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筑井甚吉君 私は、産業構造と経済発展の問題を理論、応用両面で研究している人間でございますが、日本経済の長期展望を試みますと、問題として浮かび上がってくるのは、非常に急速な
高齢化、それに伴う
医療費の増大の可能性の問題でございます。現在でも
国民所得の六・数%というとかなりの規模の
負担になっておるわけですが、将来これが、継続的に巨大化する診療技術、それからそれを平等に
給付するという社会的要請がかみ合って、増大を続ける可能性があるわけです。
そこで
医療問題に興味を持ちまして、ここ数年間、専門と並行して
医療問題を勉強してきたわけでございますが、昨年当地で開かれました第二十一回日本医学会総会において、特別企画として未来学フォーラムというシンポジウムが設けられましたが、そこで招きを受けまして、将来の
医療体制とそれを支える
医療経済システムに関して研究の結果を
報告し、医学者及び現場の医師の方々の御批判を受けるチャンスをいただいたわけです。そこの討論の結果、私が今まで
考えていたものが、経済学者だけでなくて、医学者及び医師の批判に十分こたえ得るものであるというふうに
考えましたので、今回は、
改正案に直接関係ある
医療経済システム、
医療を支える
医療経済システムに関して私がどういうことを
考えたかというその骨子をお話しして、私の結論から見て今度の
改正案をどう評価するかということを申し上げたいと思います。
皆様御承知のように、経済学では衣食住のように生存に最低に必要なものをサブシスタンスミニマムと呼んでおります。これはいわば生存に必要な財ですから、財と申しますのは、有形の生産物と無形のサービスを含めて経済学では財と呼んでおりますが、私は、生存に必要なサブシスタンスミニマムと呼ばれているものを生存財と呼んでいいと
考えております。そう
考えますと、
医療も生存財であるわけです。近代社会のように健康な生存権というのが
基本的な人権として認められてくるようになってきますと、この生存財、
医療を含めた生存財は、ある
意味で
基本的人権に関係する人権財とでも呼ぶべきものだということになると思います。私は人権財という呼び方をしているわけですが、この財は
一般の財、消費財とか耐久消費財とは違った、
基本的人権に関連した財でありますから、当然その需要供給システムに関しては特殊な配慮が必要になるわけでございます。
そこで、特殊な配慮は何かといいますと、これは
負担の公平と
給付の平等ということでございます。ただ、
一般には
負担の公平と
給付の平等で終わってしまいますが、こういう財を供給するシステムを
考える場合に忘れてならないのは、目的に合った
効率性の
確保ということでございます。この点は往々にして忘れられている傾向があるし、また
厚生省のいろいろな
局長説明の中にも、
効率性の
確保という点を十分意識しておられないのではないかと危惧するわけでございます。それはどういうことかと申しますと、
負担が公平であって
給付が平等に行われても、そのシステムを運用した結果、例えば
医療システムにおいて経済的利益を追求する医師の所得の上昇に結果するのであれば、これは
医療システムの目的を達成していることにならないわけです。したがって、合目的性、すなわち目的を最も有効に達成し得るかどうかということが、
医療経済システムを
考える上で
基本的に重要なものになるわけでございます。
そこで、経済学的に
医療の特徴をまず把握する必要がありますが、時間が限られておりますので骨子だけを申し述べます。
医療というのは、大体患者の発生、需要者の発生というのは確率的な発生であります。確率的な形で発生するわけです。決まって発生するわけではございません。したがって、生存財という観点からすると、
医療供給体制というのは、発生し得る最大の規模のものに対応するような形でふだんから維持されなければならない。そういうことは、患者が来ようと来まいと、患者の発生が多いときに備えて、常に
医療に必要な建物とか
医療機械設備あるいは医師、パラメディカルスタッフを備えていなければならないわけです。そういうような固定的な費用を維持していなければならない。
さらに、患者が来るごとに、経済学では限界費用と申しておりますが、患者一人に直接かかる医薬品のコストあるいは光熱水料等の限界費用が必要になってくるわけです。
そういう特殊な供給構造を持っておりますから、その費用をどう合理的に
負担したらいいかということになりますと、固定的な費用に関しては
負担能力に応じて
負担をする。現在でも
基本としてはそういうふうに、例えば所得割の
負担というような形がある程度
導入されておりますから、保険ファンドに関してはいいわけですが、固定的な費用に対応しては
負担能力に応じて
負担をする、患者一人当たり直接必要な限界費用に関しては患者が
負担するというシステムが、経済学的に申しまして最も合理的な形でございます。
これを現実に
適用する場合にはどうしたらいいかといいますと、まず患者の
負担能力に応じた一定の
保険料を保険ファンドに支払う、実際に
医療機関にかかった人間は総
医療費の一定割合、一定率を
負担する、そういうシステムが
基本的な経済原理から導き出された現実的な有効なシステムということになるわけです。私は、これを部分的な市場メカニズムの
導入による合理化システムであると呼んでいるわけです。市場競争メカニズム、マーケットメカニズムを部分的に
導入して有効性を達成するということでございます。
それはどういうことかと申しますと、むだな検査を繰り返し、そしてむだな投薬を繰り返す医師に関しては、総額が増大します。常にその一定割合を
本人が
負担しなければならないということになると、そういう乱診乱療を繰り返す医師の場合は、当然
本人は、同じ目的を達成するために余計支払わなければならないわけです。ところが、まじめな有能な医師で、必要最小限度の検査と投薬で治癒する医師は、総額としては少ないわけですから、その一定割合として患者は少ない費用で治療効果を上げることができるわけです。これは
負担の面ばかりを
皆さん議論しておりますが、どういうことになるかといいますと、有能なまじめな医師は患者に評価され、患者が大勢集まってくるけれ
ども、乱診乱療を繰り返す医師は患者から見捨てられて排除されるという部分的な市場メカニズムが、そこで質の高いものが需要され、質の悪いものが廃棄されるという選択作用が働くわけであります。今議論になっている無料とか定額打ち切りなんということでは、こういう
基本的な重要なポイントが失われてしまうわけです。したがって、定率というのは、あるいは一定率、一部分市場メカニズムを
導入するということは、
制度の
効率性を
確保する上に非常に重要なことである、
基本的に重要なことであるということをまず申し上げたいと思います。
次は、私が学会で
報告いたしました第二のポイントは保険ファンドの
あり方であります。これは現在は非常に奇妙な乱立した状態にあるわけですが、これは乏しい終戦後の財政事情で保険
制度をステップ・バイ・ステップに築いていった歴史的な経過といいますか結果が残っておることで、一概に否定できる問題ではございませんが、
制度間で
負担の公平が実現していない。例えば
国民健康保険一つをとってみても、あれは市町村
単位で
運営するようになっておりますから、川を一つ渡って違う町に行くと
負担率が違うというような
状況になっております。これは少なくとも長期的な時間が必要と
考えられますが、
負担率の統一という方向に向かって長期ビジョンをひとつ
確立していただきたい。そして、それが
制度間の
財政調整によってなされるのか、あるいは地域
健康保険に一本化されるのか、これはいろいろメリット、デメリットがございますので、今後慎重な
審議の上に、ともかく
負担率の統一という
負担の公平の実現を図っていただきたいということでございます。
第三点は、患者の自己
負担に関してです。
徴収方法でございますが、これはいろいろ具体的な問題が絡んできますので、部分的には可能であるけれ
ども、全体としては長期的な対応を必要とするかもしれませんが、私は、医師の窓口で支払うよりは、保険機関が自己
負担分を
徴収するというシステムを考慮する必要があるのではないかと
考えるわけです。と申しますのは、医師によっては、私自身経験がございますが、自己
負担分はただにしてくれるわけです。全体がただかと思うとそうじゃなくて、
保険者に請求する部分はちゃんと請求して取っているわけです。我々患者が知らないうちにそういうことがされているわけです。現に起こり得る架空請求とか過誤請求も、
本人負担分に目をつぶれば、
本人が知らないうちに七割ないし場合によっては十割請求されているという可能性が起こり得るわけです。ところが、常に一定率を患者
本人負担というふうにしておきますと、もし架空請求をするような例外的な医師があったとすれば、その請求に対して必ず保険機関から
本人に対してその一定率を支払えというふうに来ますから、架空請求ができないような体制が
確立するわけです。
そうすることによってどういうことがあるかというと、これは
医療費の節約なんというけちなことを私は言おうと思っていないわけです。医師というものは架空請求とか過誤請求とか、そういうような批判されるべき行為ができないシステムにいるのであって、これは医師の信頼性を回復し、医師と患者の間の関係を人間的な信頼関係に置きかえるために非常に重要な問題である。これらの対応に関しては時間がかかると思いますが、ともかく実現される必要がある。この三つのポイントが私の
医療システムの
あり方に関する提言でございます。
さて、そういう観点から今度の
改正を眺めてみますと、
保険者本人の一〇〇%を九〇%
給付にする、一〇%
負担していただく、これは非常に重要な、絶対譲れない一歩であると
考えられます。これを実現することによって
医療システムは有効性を保て、そして
先ほども指摘されましたように、緊急に
医療費を必要としている寝たきり
老人とかあるいは
老人性精神障害者のような気の毒な人に重点的に
医療費を回せる、そういうふうになり得ると思うわけです。ですから、これは定額とか無料ということではなくて、市場メカニズムの部分的
導入、
医療制度の合理性、論理的な批判にたえ得るような
医療制度にするという
意味でぜひ実現していただきたいと
考えるわけです。
さらに、
退職者医療制度の創設に関しても、
先ほど申しました
給付の平等に向かっての一歩前進というふうに評価したいと存ずるわけでございます。
その他いろいろございますが、一つ問題になりますのは高度先端
医療に関する
給付の問題でございます。これはニーズの多様化に対応するということでございますが、私が申し上げましたように、
医療を生存財あるいは
基本的人権に関連する財であるというふうに把握した場合には、
基本的な
医療に関して差別があってはならないというふうに
考えるわけです。ただ問題は、疾病の際に備えてふだんから貯蓄している人と、浪費を続けていて疾病したときには他人のファンドに頼ろうという人との間に差があるのも、これまた公平なことであるわけです。したがいまして、そこで多様なニーズにこたえるために多様化を
導入することは結構ですが、それはあくまで
基本的
医療を超えた部分に関してですね。例えば個室に入りたい、あるいは介助人が欲しいというようなパラメディカルな、
基本的な
医療の周辺の部分に関してだけ多様性の
導入を慎重に図る。さらに、研究開発と直結したような先端
医療にだけ限定し、新しい技術が定着したならば直ちに
基本医療に繰り入れるというような慎重な対応が必要かと存じます。
以上、一分超過しましたが、終わりたいと思います。