○田並委員 私の方は、東北・上越両新幹線、上野
開業と同時に
開通をする予定であります赤羽から大宮−宮原間の二十一・一キロの通勤
新線の問題についてちょっとお
伺いをしたいと思います。
この通勤
新線は、
建設決定の経過から見て、当然東北・上越両新幹線と同時
開業ということが
考えられておったわけです。ところが、最近になりまして、六十年三月予定の両新幹線の上野
開業と同時
開業というのがかなり絶望的になってきた、このような話を聞くわけでありますが、この点について重点的にまずお
伺いをしたいと思います。
第一点目としては、本通勤
新線を
国鉄として
建設決定をした経過です。これについてお
伺いをしたいわけであります。
私
どもの認識では、
一つは上越・東北両新幹線の
建設決定の見返りとして、それともう
一つは、高崎、東北両線の
輸送力の増強、この二点から実はこのことが決定をされたというふうに、私も当時県議会におりましたから理解をしておったわけであります。
特に東北・上越の両新幹線の
建設計画が当初発表された
段階では、大宮以南は高架でなくて地下化という計画が
国鉄から発表されたわけであります。したがって、県なりあるいは県民は、仕方がない、とにかく新幹線は通ってもらった方がいいんだから、地下化ならばいいだろうということで賛意を表したわけでありますが、その後
国鉄の方から、地下化が困難なので高架化にしたい、このような変更の提示があり、それ以来埼玉県も県議会もあるいは県民も、それでは困ると反対運動が実は起きたわけであります。そして県の方としては、四十八年の七月に再度地下化の強い要望を出したわけであります。これに対して
国鉄の方は、五十二年の九月に至りまして、地盤の軟弱でどうしても地下化が困難だ、したがって、ぜひ高架にしてほしい、高架を認めてくれ。その条件ということじゃないのでしょうけれ
ども、騒音一振動等環境基準を守ります、それと通勤
新線を
建設をいたしますというような条件を
国鉄が提起をしてきたわけですね。これを受けて埼玉県並びに県議会では五十二年十二月に至り、それじゃ、新幹線の高架化を受け入れる条件として、
一つは通勤
新線を
建設をすることと、新幹線の全列車を大宮にとめてもらうことだ、これでひとつ県内の反対運動を鎮静化をしようじゃないかということになって、県も県議会も挙げて、新幹線の受け入れについての
努力、協力というものを実はしたわけであります。
こういう県の
動きに対して、
国鉄が五十三年の十一月に至って運輸
大臣に対して、通勤
新線、赤羽から大宮まで、これは東北新幹線に併設をして
建設をする、さらに大宮から宮原までは高崎線に線増して宮原まで
開通させます、こういう内容の
申請をして、運輸
大臣も同年の十二月に
国鉄からの認可について許可を与えたわけであります。その中でもって、
工事については新幹線と同時施工にする、これがはっきり
申請の中にあり、また許可の中にも明確にうたわれておったわけであります。だれが
考えてみても、県議会も県民も県の方も三者が、とにかくこれで通勤
新線は上野
開業と同時に走るんだなというふうに
考えるのは常識だと思いますし、ごく当たり前に私たちも
考え、御案内のように埼玉県というのは東北新幹線と上越新幹線と両方走るものですから、県内が三つに分割をされるという
状況になったわけであります。おかげで大宮と熊谷はとまることになりましたが、いずれにしても、そういういろんな運動の経過の中でこのことが約束されたというように私
どもとしてはずっと理解をしてきておったわけであります。そういう意味から、この
建設決定の経過から見て同時
開業が私たち、ごく当たり前だというふうに
考えておったのですが、その点について
国鉄総裁としてどうお
考えになるか、まずそのことをお聞きしたいと思うのです。