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国務大臣(
中曽根康弘君) その辺が非常に苦悶しているところであると前に申し上げたのでございます。われわれは
国会議員でございますから、法の番人でもあり立法者でもございます。また、私この間の
所信表明演説におきましても、
憲法の基本
原則である
平和主義あるいは基本的人権あるいは
三権分立の原理、これを守っていくと、そういうことも申し上げておるわけです。
それで、これは法の番人というたてまえをいろいろ
考えてみますと、これは静態的な感覚だと申したのですが、
三権分立というものを厳格に守って、しかも統治権の重要な部分である立法権を構成するのは結局代表者でありますが、この代表者である
国会議員がどうして選ばれるかといえば、選挙民が選挙するから出てくる。この選挙民によって選挙されて出てくるというその
立場は、普通の公務員が任命されて契約
関係で出てくるのとは違う
立場であります。普通の公務員の場合は特別権力
関係で一種の雇用
関係とも言えると思うんです。
しかし、
国会議員ともなりますというと、代表者としての
立場で、選挙という厳粛な手続を経て出てくる。そういう意味において、一たん出てきた以上は、その出てきた代表者の
良心に従った独自の
判断で行動を行う。したがって、
国会における
言論、表決については院外において責めを負わない、あるいは、懲罰あるいは選挙争訟、資格争訟において除名して議会から議席を剥奪するためには三分の二の多数を要するという強い身分保障もしておる。そういうような立憲主義の
立場からくる法的要請というものをどういうふうに考うべきであろうか。その選挙民と選ばれた代表者との
関係というものを第三者が簡単に切断できるであろうか、そういう問題が片方であるわけであります。
〔
委員長退席、理事初
村滝一郎君着席〕
しかし、片方においては、今度は政治の道徳性という面から見まして、
国会議員としての行動自体が覊絆を受けておるわけであります。その
国会議員としての覊絆を受けておる日常の行動、道徳性を要求されているという面、これは動態的な状態です。この静態的な法の番人、法秩序というものと動態的な道徳性というものとの
関係をどういうふうに
判断すべきであるか。これは非常に基本的な法理学上の問題も含むような重大な問題であると思うんです。
そういうようないろんな意味から、われわれといたしましても、将来禍根を残さないように、後世から笑われないようなりっぱな行動をとっておかなきゃならぬと、そういう意味の感覚でこの問題をどう考うべきであるかと
考えまして、そしていま
判決が目前に迫っているという、こういう状態のもとにおいては、やはり
三権分立ということが非常に重要であると、そして
裁判官は
良心に従って法を守って
判決を下すと信じておりますが、その
裁判官も
人間ですから、その前に
裁判官に影響を与えるおそれのあることは一切慎む必要がある。
民間の団体がいろいろおやりになることは、これは
表現の自由であり、あるいは基本的人権や、あるいは
憲法に保障する
言論の自由でございましょう。しかし、少なくとも
国家機関である立法権の構成者あるいは
行政権の構成者という面になると、この
裁判を管轄する方々の
関係においてできるだけ影響を与えないで、独自の
良心と法を守るということを遵守できるような環境を整えることが、これが
エチケットではないか、しかも
判決がもう目前に迫っておるという重大なときである。そういう意味において、この場合の選択は静かに見守るのが適当であろうと、そういうふうに申し上げておるわけです。