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関嘉彦君 この本、私も講義なんかでときどき使っておりますので読んでいるんですけれ
ども、ここに書いてあるそのままの文句は私は見当たらないように思います。しかし、これに似た趣旨のことをマックス・ウェーバーが「職業としての
政治」、私はこれは本来は「天職としての
政治」と訳すべきだと思いますけれ
ども、それに似たことを言っていることは事実であります。確かに、マックス・ウェーバーがこの中で言っておりますように、
政治に魂の救済なんか求めてはだめだ、あるいは
政治によって
人間を改造する、権力によって
人間を改造する、かつての中国の文化大革命で行われましたようなああいうことを
政治がやるべきじゃないんだ、そのことをマックス・ウェーバーが言っていることは私も賛成です。
しかしこの講演が行われましたのは一九一九年のたしか一月か二月だったと思いますけれ
ども、その
背景を
考えて読まないと大変な誤解を与える。つまりこれが書かれましたのは、ドイツの第一次大戦の敗戦直後、この本の中にも書いてありますけれ
ども、いわゆるボルシェビキでありますとかスパルタクス・ブンド、これはローザ・ルクセンブルグなんかによって指導された団体、その中にはサンジカリストもおれば後に共産党に入った人たちもいるんですけれ
ども、そういったスパルタクス・ブンドであるとかボルシェビキの人たちが、心情は非常によろしい、何ら階級的な対立のない、矛盾のない
社会をつくろう、そういう心情倫理で動いて、そして革命、武装蜂起をやっていた
時代。その状態に学生が巻き込まれないようにという
考え方から、マックス・ウェーバーはこの講演をミュンヘン
大学でやったわけであります。
この本をよく読みますと、決して
政治は一〇〇%結果倫理だなんということは言っておりません。このマックス・ウェーバーの本の一番最後のところを読みますと、結果倫理も大事であるけれ
ども、しかし、
政治家は同時に
——人間が結果を予測する能力なんか限られておりますからね、いいことをやろうと思ったことが結果において悪くなることもあるんだから、したがって、できるだけその結果を目測するということが
政治家にとって非常に大事な要件、見識と訳している本もあります。アウゲンマス、目ではかることですね、結果を。客観的に結果をはかる。それがどういう結果をもたらすかということを
考えてやらなくちゃいけない。いかに心情的にすぐれていても、革命なんかをやることは、武装蜂起なんかをやることは、かえって結果として反動勢力を強めて労働者に不利になる。そのことを
考えないで行動するのはよくないことだということを言っているわけであります。
しかし、結果の予測というのは完全にはできませんから、しかしそれにもかかわらず、やはり
政治家は
自分の信念をつくらなきゃいけない。この本の中に、名前は書いてないですけれ
ども、私はここに立っている。私はこれ以外に一切ほかにすることができないんだ。これは、宗教改革を提唱しましたマルチン・ルーテルが、その
考え方を撤回しろということを要求されたときに、イヒ ステーエ ヒア イヒ カン ニヒト アンデルス ツーン
——私はここに立っている、これ以外のことはできないんだと、
自分の心情倫理を吐露したわけであります。そういう心情倫理と同時に結果倫理が
政治家にとっては必要であって、これは互いに相補うべきものだということを言っているわけで、結果さえよければ心理はどうでもいいなんということは決して言っていないわけであります。
これはあなたの
言葉の行き過ぎかと思いますけれ
ども、しかし仮にその結果だけを問題にするにいたしましても、マックス・ウェーバーがここで言っています結果というのは、決して物質的に、たとえばGNPが何%上がるとか物質的な幸福だけを言っているんじゃないわけであります。たとえば、先ほど引用しましたように、下手をすると反動勢力が台頭して労働者に不利になるかもしれない。弾圧を受けることになるかもしれない。これは決して物質的なものじゃないわけであります。精神的なものも言っているわけであります。つまり、もし結果において物質的な利益さえ向上すればそれでいいんだというふうな
考え方でマックス・ウェーバーを引用されたのでありますならば、これはとんでもないマックス・ウェーバーの誤解であります。マックス・ウェーバーは恐らく地下で怒っているだろうと思うんです。
一月二十六日の検事の論告
求刑、
田中氏に対する論告
求刑があった日の晩、
テレビの討論会で、ある
自民党の議員の人たちが、仮に
田中氏が金をもらったと仮定しても、何ら
日本に被害を与えなかったじゃないか。ロッキード社から輸入したところのトライスターが事故を起こしたこともないし、何ら国民に被害を与えなかったからいいじゃないかという趣旨のことを答えておられましたけれ
ども、もしこれがあなたの
政治哲学でありますならば、これはデモクラシーにとって大変危険なことであります。どうもそういった議員の人たちあるいは
田中氏を支持する人たちは、物質的なもの、経済的なものしか目に映らない。もっと大事な、精神的な美徳、勇気であるとか正直であるとか、そういうものがどうも見えないんじゃないかと思うんです。しかし、そういった国民的な最小
限度の美徳がなしにはデモクラシーを支えていくことはできないと思う。
したがって、結果が大事でありますけれ
ども、先ほど来同僚議員がいろいろ
質問しましたように、その結果、国民の同義心が退廃していく、どうせ
政治家は悪いことをするんだからしようがないんだと、
政治に対してだんだんそっぽを向いていく、そういうふうなことになりますと、これはデモクラシーそのものが壊れていく。形だけは議会がありましても、この議会を支えている土台が自然に腐っていく、そういう危険があるわけであります。われわれが
田中氏の言動なんかに対して反対しているのも、そのことを心配するからであります。それについて私が、いまは仮定で、これはあなたの心情じゃないかということを
質問しましたけれ
ども、それについてのあなたのお
考えを承りたいと思う。