○中村哲君 私は社会党の一員としまして、この学術
会議法案に関して必ずしも御
質問といって、そしてお答え願えることがあるなら答えていただきたいけれ
ども、私の方も用意して通告しておりませんので、私の
意見を述べたいと思います。答えられるところは答えていただきたいと思います。
結論的に言いますと、この
日本学術会議というものは終戦後間もなくできまして、私
ども学会におります者は多かれ少なかれ
関係しているんですが、私は一回も出たことはありません。出るほどの余裕がありませんので出ませんでしたが、大体今日までの学術
会議のたどってきた道というものは知っているつもりであります。今度の
改正案というものを、このままの形で通すようなものでは私はないというのが結論でありまして、ただ、私が六月に
国会に出ます前に、すでに参議院社会党はこの
法案についての見解を出し、そしてそれが
衆議院に回っておりまして、またここへ戻ってきたのでありまして、そのときの参議院の
審議の問題点等については十分知っておりませんので、先ほどの
粕谷委員の発言されたそういう社会党の立場の枠外に出るものではありません。しかし
質問したいことが幾つかあるんです。お答え願う必要もないこともあるんですが、というのは、今度の
改正案を見ますと、前の
改正案にない内閣総理大臣が任命しというような非常に私にとっては唐突とした言葉が出ております。第六章雑則第二十五条「内閣総理大臣は、
会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があったときは、
日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる。」、次の第二十六条もやはり「内閣総理大臣は、」、途中を抜かしますけれ
ども、「当該
会員を退職させることができる。」、これは前のそれに
相当するところでは「総会の議決」でとなっているんですが、まあ、中曽根首相自身がだれを
会員にするとかそういうことの選択を必ずしもするわけじゃありませんでしょうけれ
ども、実際にはそれに類似したことが起こるぐらい中曽根首相というのはタレントでありまして、なかなか学術のことも芸術のことも発言しております。これは、芸術院賞だとか芸術院
会員とかいうのはそれぞれ
機関があるけ
ども、やはり
政府の方針、
政府の中でリーダーシップをとっている者の発言というものは
影響を持っておりますから、したがって、事によってはそこまで発言しましても別に違法ではないわけです。
それで、私がちょっと心配するのは、現在の段階で、昨日でありましたか、中曽根首相自身が国際
関係のことを一言したときにゲーム理論のことを発言しました。このゲーム理論というのは国際政治学者がよく使う言葉でありまして、また国際政治学の現況がゲーム理論に傾斜しておる。このゲーム理論というのは、仮想の相手を決めて、そのストラテジーを、戦術を考える、そういうゲームの、対立の、力
関係の理論でありまして、いまの国際政治学者は、われわれ政治学一般の学者とも違って、そのことを非常に追求しているというふうに見られております。
このゲーム理論に関連しては、アメリカにおきましても非常に問題にされている。なぜなら、この原爆の時代に、対立する者との間の国際
関係、それを戦術的に考える。もっと高い次元の平和とか、あるいは人類の将来とか、そういうことを考えない。それがゲーム理論に対する今日の批判でありますけれ
ども、先般、中曽根氏自身がすでにゲーム理論によってと、こういうふうに発言している。まさにレーガン自身がそういう立場をとっておりまして、そうして日本から——よけいなことを言うようですけれ
ども、日本から韓国へ行きますと、最前線まで出ていって、そして望遠鏡でのぞいている。そういうレーガンの最近の性格というものは、ヨーロッパの目から見ますと、たとえば英国の「エコノミスト」の表紙は、御
承知の方もあるかと思いますけれ
ども、レーガンがハリウッドの俳優だったときにピストルを持って構えているあの写真を正面に掲げておりまして、レーガンの登場というのはそういう西部劇的なセンスで出てきているところがあって、これがアメリカをいま代表している。御
承知のように、アメリカにもケネディ大統領あり、その他いろんな学会の空気がありまして、決してレーガンによって代表されているわけじゃないし、またゲーム理論によって代表されているわけじゃない。
しかし、論理は飛躍するようだけれ
ども、この
法案の提出
理由の中に、特に三行目のところにおいて「
日本学術会議は、我が国の
科学者の内外に対する
代表機関として、」と、国の
代表機関でありますけれ
ども国際的な
関係のことを言っているが、その国際的
関係という中に国際政治学の学会の事情も反映しているんでありましょう。
そういうふうなことで、政治学
関係一つをとりましても、内閣の方で学者を
会員として決めるときに、国際政治学のゲーム理論に非常に通暁した人を入れるとか、そういうふうに自然になってくるのでありまして、そういう時代の、ことに権勢を背景とした空気に対して、学術というものは毅然としていなければならない。そのつもりで実は
最初の学術
会議の出発のときに、文部省に直属させるとかそういうのじゃなくて、内閣直属にしましたところ、それが内閣総理大臣直属という形で、逆に非常に政治的介入を予想させるような
改正案の条文になってきている。このことを非常に私は憂慮するわけであります。
この学術
会議は英文ではサイエンス・カウンシル・オブ・ジャパンとなっておりまして、サイエンスという概念は、これはどちらかと言えば自然
科学に傾斜しておりまして、また日本の学術
会議もどちらかと言えば自然
科学の方に傾斜する
考え方が強いのではないかと思うんです。
日本のそういう学術の最高の
機関としては、別に日本学士院というものがあります。芸術の
関係では芸術院というものがあります。そういうものと並ぶような形で、サイエンスの最高のこういう
審議機関にしようというのでありましょうが、それは
一つの
考え方でありますけれ
ども、そのサイエンスというものが今日、内外の物理学者が非常に憂慮するような核兵器の問題など、そういう技術的なことに進んでいきますと、それをチェックする、それについての価値
判断をする要素、そういうものが同時に学術
会議の中に強くなければならないけれ
ども、何かそういう
科学技術——
科学と技術ということになりますと、先ほどからの政治学の中にもゲーム理論がずっと強く入ってきている、こういう時代でありますだけに、一たびこういう形で
改正が行われたときに、何がチェックできるのかという点で非常に疑問を持ちます。
そして、いままでの選挙にかわりまして——いままでの選挙も、終戦後長い月日がたちますと、
最初の
趣旨から離れてだんだん空虚になってきていることがないとは言えない、私
どもそう思いますけれ
ども、それをどう
改正するかというときに、内閣直属で、内閣総理大臣が
会員まで決定する形になっている、そういう
改正法案を、御
承知のようなこういう国際
関係が非常に微妙な時期に
改正するということに対して憂慮するのでありまして、以上は私の考えであります。
ただ、この選挙にかわって——こういう
会員を選ぶのは、私の理解しているのでは、一種の学会などから選ぼうとしているんだと思うけれ
ども、学会といいましても、例をとりますと、国際政治学会があり、政治学会があり、その他政治史の学会もあり、一人が幾つも兼ねているわけです。いままでのように、学術
会議の選挙権というのは一人一票だけれ
ども、いろんなものを兼ねていて、そこから代表が出てくる。一体そういう学会的なものを期待したときにどういうふうに
判断するのか、その
判断の有権的解釈は内閣、そして総理府にあるという、この点が私はせめて文部省にあれば、文部省は何といいましても大学
関係のことをよく知っておりますから——そういうところとも違って、総務長官のもとに、政治的な決定をする、そこのところにこの学術
会議が所属していて、先ほどのようなことだっていうことは、一体、いま
改正にいろいろ
理由をつけておりますけれ
ども、これから一遍出発したときに、こういうことじゃなかったというときに、どうして、
国民が反対し、政党がそれに気がついたときに、批判できるかということを心配します。
最後に、お聞きするところとしては、実際に
会員を決めるときの手続はどうするか、この手続が非常にむずかしいのでありまして、それらの点については細かく案を持っておられると思うが、その案を出されないと最終的にこれを
判断することができない。
私は十年前後文部省
関係の
審議会にずっと出ておりまして、
審議会の
会員の決定、選挙で決まるところもありますし等々、そういう
審議会の実情から見ますと、学術
会議のように一般の学者から選挙されるんじゃなくて、やはり官庁の方が行政指導で決めたり、また
会員を決めたりということが強いのがこれが
審議会。その
審議会よりもさらに強く内閣総理大臣に直属していると、これはどうもいただけない、まあ、そんなことであります。お答えいただかなくてもそういうことだと思います。