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神谷信之助君 そんな子供だましみたいな言葉のあやじゃないのです。帽子というのはいつでも
自分が脱ごうと思ったら脱げるんです。脱がすことができるんです。そういう意味で言っているのですよ。そのことをごまかしてしまうというところに私は重大な問題があると思います。
田中問題に
決着をつけて
田中の
政治支配を断ち切るということが、今日の日本の
民主政治の原点にかかわる重大問題だ。だから、そこで先ほども言いましたように、
判決文で
田中被告らの汚職行為、これが航空行政、それの適正な運用を担保すべき運輸
大臣の認可権、権限の行使を直接、間接に利権化する、こういうことをやっている。 ここまではっきり断罪された刑事被告人がそのまま日本の
政治を牛耳っている、こういう状態というのは私は世界に恥ずべきことだと思います。だから、こういう人物がいまなお自民党の最大派閥
田中軍団を通じて自民党を支配するような
事態を放置して、私は
政治倫理を語る資格があるのかどうかと、そう言わなければならないと思うのです。
田中元
総理みずから第一回公判で、
総理大臣だった者が逮捕され、
起訴されたこと自体万死に値する、こう述べて、みずからその
政治的、
道義的責任を痛感するかのごとき
態度をとっておりながら、有罪
判決が出れば居直り、居座る。そして
総理はこれに辞職を勧めることもしなければ、
政治的、
道義的責任を明らかにすることも勧めない。そして、
国会自身がみずから課した
責任である
国会の
責任を果たすための辞職勧告決議案も上程することを妨害する。そして結局この居座りを是とし、事実上認めている。その上で集団的
政治倫理の確立と言っても、
国民にとってはきわめてそらぞらしい、白々しい言葉としか聞こえないわけであります。われわれは断じてこれを許すわけにはまいりません。
しかし、時間がありませんから、次は秦野問題に移ります。
総理は、十八日の本
会議で、それからまた昨日の当
委員会でも、法相として懇切を欠き、説明不十分の点もあったので注意をしたと言って、内容はなかなかいいことを言っている面もある、法相は非常に正直者で情熱家で正義感が強い、特に人権擁護に心を砕いている善人だということも昨日来盛んにおっしゃっております。ここで言っている、
総理のなかなかいいことを言っているというのは、こういうことじゃないのでしょうか。文藝春秋の十二月号の対談で、加瀬秀明氏の「誰が
田中だけを責められるかということですよね。」、こういう
発言を受けて法務
大臣は、「今、
田中さんに辞職を迫っている連中に、人のことやめろという資格があるかと問いたいんだ。」、こう法務
大臣は答えています。われわれが
田中さんやめろと、そんな資格があるのかと問わなければならぬ、こう言っている。われわれも含まれるかと思ってよく
考えてみると、この点については
田中元
総理がちゃんと説明をしています。すなわち、
判決の当日に私邸で次のように言っています。「あんなことをやれば」、つまり
判決ですね、「あんなことをやれば
国会議員は全部、有罪だ」と。だから、
国会議員は
田中さんと同じようなことを皆なさっているのだ、こういうことを
田中角榮氏自身が言っています。
わが党は、御承知のように、企業献金は一円ももらったことはない。
国民の支持の中で
政治活動をやっていますが、
田中さんに言わすと全部有罪だと。「私のことをガタガタいう連中が党の一部にもいる。私は三十八年も
国会議員をやってきた。そんなやつらが
昭和二十年、二十一年にしてきたこと、それ以前のこともおれはすべて調べている。みんな知っている。」、こうおっしゃっています。こういう
田中さんの
発言になりますと、これは自民党員の中、あるいは自民党周辺のことなんだなと、こうわかります。だから
総理、私は思うのですがね、法務
大臣は、いま
田中さんに辞職を迫っている連中に人のことをやめろと言う資格があるかと問いたいのだというのは、なるほどそういう意味では正直に正直者らしくなかなかいいことをおっしゃっていると、
総理のおっしゃる指摘はここなのかなというように思うのですが、いかがですか。