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参考人(
漆山成美君) 本日は、こういう席で私の
意見を申し上げることができるのを大変光栄に存じております。
私の申し上げたいことは若干
佐伯さんの御
意見と重複する部分がございますので、なるべくその重複部分は避けまして、私の言いたいことを申し上げてみたいと思っておるわけであります。
私は、きょうは
五つの点について申し上げてみたいと思っております。
その第一点というのは、これは
佐伯さんもお触れになりましたけれども、いわゆる国際社会の平和と力の均衡という問題についての検討であります。
それから第二番目は、
日本のいわゆる
自衛力あるいは
安全保障、
安保条約のありようの問題についてであります。
それから第三番目は、
軍縮というものをわれわれはどういうふうに考えたらよいかという
軍縮についての検討であります。
それから第四番目は、いわゆる言うところの民主主義国家、われわれのような民主主義国家における
外交や
防衛などの
安全保障と世論の問題についてであります。
それから第五番目が、これは簡単にではありますけれども、共産圏の
内部、ことに中ソ対立というものをどういうふうにわれわれは理解していったらいいのかということについての私見でございます。この
五つについて申し上げたいと思います。
それで、まず第一の力の均衡でございますけれども、これは
ソ連の
外交というものを考えた場合に、私は
ソ連が
力関係というものに非常に大きなウエートを置いているというふうに思うわけであります。それはどういうことかといいますと、よく
ソ連の膨張主義ということが、この間の大韓航空機事件などでも
関連していろいろ言われているわけでありますが、詳細に見てまいりますと、
ソ連の対外
政策というのは、決して膨張一本やりではございませんで、場合によっては縮小することもあるわけであります。いわば一歩後退二歩前進というようなこういう波状を繰り返しているように見受けられます。そういうものを決めていくのはいわば、この場合は
西側と称しておきますけれども、
西側なら
西側の国家の意思ないしは力というものがどれだけ決然としたものであるかということによって大きく左右されているように思われます。
たとえば、
ソ連は第二次大戦の後に、詳細は避けますけれども、一、二の例だけを申し上げておきますと、第二次
世界大戦の後にイランから撤兵をしました。アゼルバイジャン地区に第二次大戦中イギリス軍とともに進駐しておったわけでありますが、第二次大戦後あそこから撤兵をいたしましたが、そのときの前後
関係を見てまいりますと、その前にチャーチルが例の鉄のカーテン演説をやって、英語国民は団結しなければいけないということで非常に強い発言をしているわけであります。あるいは
ソ連が
東ヨーロッパにおいてしばしば
軍事力を
行使してチェコスロバキア、ハンガリー等々に軍事介入をしたことは御承知のとおりでございますが、しかし、自由化なり反ソ運動が起これば必ず軍事介入をするかというと必ずしもそうは言い切れませんで、たとえばポーランドの場合には直接の軍事介入はしていない、あるいはユーゴスラビアの場合には
ソ連の指導から離れたわけでありますけれども、このときも軍事介入はしていないわけであります。あるいはルーマニアの場合も、言うところの自主路線をとったわけでありますが、これに対しても直接の軍事介入はしていないわけであります。
こういうものの判定はどういう形でクレムリンで行われているのか私には推測以上のことは申し上げられませんけれども、概して言えば、それぞれの国の抵抗意思との
関係があるように思われます。たとえば、御承知のとおりにポーランドは非常に強い抵抗意思を持っていた国であります。十九世紀におきましても、あるいはナチスとの戦いにおきましても、あるいは一九五六年以降のポーランドのさまざまな暴動においても反ソ意思の強い国であります。あるいはユーゴスラビアの場合を考えますと、八一年度のユーゴスラビアにおきます世論
調査の結果を見てまいりますと、十人中の八人が、つまり八〇%の人が侵略に対抗して戦うという答えを出しております。ちなみに申し上げますれば、
アメリカは七二・八%でありますし、
日本は二〇・六%であります。そういうような非常に抵抗の強いところは比較的回避する
傾向がある。あるいはキューバ
危機を考えましても、ケネディのキューバ
政策の前に、一九六二年にはあそこから引き揚げているわけであります。
そういうことと逆に、今度、真空といいますか、真空という
言葉は余りにも使い古された
言葉ではありますけれども、そういうところにはしばしば
軍事力を
行使してくるように思われます。その
アジアにおきます典型的な例は朝鮮戦争でございまして、朝鮮戦争の始まる一九五〇年の一月にアチソンが朝鮮、台湾を
アメリカの
防衛線から外したことは御承知のとおりでございます。
さらに最近になってまいりますと、いわゆる
ソ連の
脅威というものが声高に
西側で叫ばれるようになりましたのは一九七五年ぐらいのいわゆるアンゴラへの侵攻、エチオピア、イランの崩壊、アフガニスタンと、こうくるわけでございますけれども、そのときの
状況を考えてみますと、七五年の春にどういう事態が起こったかというと、いわゆるインドシナの崩壊であります。それで
アメリカが全く戦意を喪失したといいますか、あるいは国内的な混乱の中で対応
能力を失っているときに七五年のたしか十月にキューバ兵がアンゴラに上がっているわけでございます。この間に明確な因果
関係があるかどうかは、これはまた推測する以外にないわけでございますけれども、
アメリカの崩壊の中でアンゴラへ出てきたこと、あるいはイランに対する
政策が、パーレビを助けるのか助けないのか非常に動揺したこと等々が結局
力関係を
ソ連にとって有利だと思わしめた
一つのファクターではないかと思うわけであります。逆にレーガン
時代になって、いわゆる言うところの強い
アメリカというものを強調するようになってから、
ソ連との間にいろんな問題はありますけれども、ともかくもINF等々の交渉の場というものは何とか確保する方向にあるように思われます。
そういうきわめて大ざっぱな
力関係の中で、やはり
日本というものが、先ほど
佐伯さんのお
言葉にもありましたわけでありますが、
西側の有力な一員として自分の
責任を果たすという
状況がだんだん迫ってきているわけであります。これは八〇年代前半を見通せと言われましても、私の力ではとても見通せるものではありませんので、ここ数年のということに限定して申し上げますが、私は
自衛隊の
内部の現状はよく知りませんけれども、たとえば一%の神聖化というような問題は、これはいつまでも固執すべき問題ではなかろうというふうに考えております。
昭和二十年代には二・七八%という数字もありますし、
昭和三十年には一・七八%という数字もありますし、最低は
昭和四十五年の〇・七九%でありますが、以来若干ずつ回復してきて、いま〇・九何がしになっているわけであります。これはもちろん、
日本のことでありますから、
日本の
防衛のために必要なわけでありますが、私は、
外交的考慮としてもやっぱり重要な問題になってきているように思います。
たとえば一九八二年、昨年の
アメリカの上院におきます
外交委員会の公聴会の記録を読んでみたわけでございますけれども、この記録によりますと、一部の議員の中から、ロスという上院議員でありますが、彼の発言の中にこういう
言葉がございました。一九八〇年代いっぱいかかって
日本が
アメリカの
経済力というものに近づいてきて、それでもなお
日本が
防衛力を一%
程度にしか負担をしないで、しかも
アメリカの方は五%、六%、七%
程度の負担をずっと強いられてきた場合には、一九九〇年代に恐らく
アメリカに大きな揺り返しが来るであろう。これは一人の議員さんの御
意見でありますから、直ちにそれをもって
アメリカ人が全部そう考えているというのは速断でありますけれども、しかしこういう声がやはり出ているということはわれわれは考えておかなければならないと思うわけであります。
ついでだから申しておきますけれども、ロンドンのエコノミストの去年の十二月十八日号によりますと、いまの
アメリカの
状況の中で
日本が
西側として貢献しようとするならば、二%
程度の
防衛費はどうしても必要であろうと、それ以下では
アメリカの怒りというものをなだめることはかなりむずかしいと思われるというような第三者の批評を載せております。こういうことは、何も外ばかり見てきょろきょろしている必要はございませんけれども、そういう
意見があるということを申し上げたわけでございます。
それから、
安保条約についてでございますけれども、
安保条約というものに安保廃棄論というものがあることはよく承知しております。それから、そのほかに安保再改定論があることも承知しております。あるいは、ごく少数ではありますが、安保をNATO並みに、PATOとでも申しましょうか、
アジア諸国を包括して
安保条約をつくれというような
意見があることも聞いております。しかし私は、このいずれも、安保廃棄論、再改定論、PATO論、この三つにつきましては少なくとも数年の時間の枠で考える限りにおいてはなすべきことではないと考えておるわけであります。
まず、安保廃棄の方から申し上げますと、これは当然
日本の重武装ということにつながる
可能性もあるばかりではなくて、恐らく安保を廃棄した
日本というものに対して
アジア諸国の警戒心というものはかなり高まるであろうと思われます。これは同じく
アメリカの公聴会におきます国防省の役人の証言でありますけれども、そういう場合には
アジア諸国が非常に困った
立場に立つだろう、
アメリカの軍の存在が太平洋から失われる危険性があるし、
日本が余りにも軍事優位に立つことに対する
アジアの不安があるし、それから
アメリカが
中国に傾斜し過ぎることを
安保条約は食いとめている力があるんだから、そういうものがなくなることは
アジア諸国にとって困るというような
防衛当局の
アジア観が出ております。
それから、再改定論で、完全な形の相互集団
防衛条約にせよという主張が
日本の
内部でもかなり有力な方々から表明されておりますけれども、私は、これも数年に限って考えますと、恐らく、
アメリカにそれに対応する声が私の知っている限りではほとんどないといっていいと思いますけれども、仮にそういうことで政府間の交渉が始まったとしても、その結果は余りにも予測不可能である、恐らく非常な大混乱というような問題が起こるのではないかと思われます。また、PAT〇というような形で
アジアを包含した集団安保をつくると申しましても、
アジア諸国の国情はそれぞれさまざまな課題を抱えておるわけでありまして、ある国はゲリラにおいて悩まされている、あるいは
日本のようにむしろ
ソ連の海軍力というようなものを意識せざるを得ない国とか、さまざまな
脅威の
状況がありまして、一概にそれを包括できないのではないかと思うわけであります。私の考えでは現行
安保条約をもっとうまく運営することによって数年はやっていくのがいいのではないかと思われます。
そのほか、細かいことといいますか、場合によっては、受け取りようによっては重要なことかもしれませんけれども、私は、核の三原則のうちの持ち込ませず原則というのは、
日本の
防衛上、現実的な必要性が起こった場合には修正した方がよいのではないかという見解でございます。
それから
集団的自衛権につきましても、これも
日本の
防衛上不可欠の
状況が生じた場合に、
個別的自衛権の発動という形で処理できないような事態が起こった場合には、これはやっぱり再検討をする必要があろうかと思うのであります。
以上が、きわめて簡単でありますが、
自衛隊と安保についてでございます。
第三番目に申し上げたいのは、核
軍縮、あるいは全般的な
軍縮についての
考え方であります。
これにつきましては、当然のことながら第一番目の原則と申しますのは、私は、核
軍縮におきましても、いわゆる軍事的な均衡というものを崩壊させてはいけない、あるいはシンメトリーを崩壊させてはいけないというふうに考えるわけであります。
たとえば、昨年スウェーデンのパルメ
委員会というのが、
ヨーロッパの
東西分割線にそれぞれ分けて百五十キロずつの非核地帯をつくれという提案をしたことがございます。そのときに
ソ連の反応を見てみますと、
ソ連はアルバトフが
出席しておったわけでありますが、アルバトフは、そういう非核地帯の実現
可能性には疑問であるという答えを言っております。それで、これはたとえば
日本及び
アジア地域に非核地帯をつくるということになりますと、
日本を非核化するのはそれはそれとして、
ソ連のウラジオストクあるいはペトロパブロフスクなどの要塞をどうするのか。あるいは北朝鮮の羅津、あそこは
ソ連に貸与しているという説がもっぱらでありますが、それなどをどうするか。あるいは、今回の大韓事件でも見られましたけれども、オホーツク海の聖域化、あそこにおける
ソ連の原子力潜水艦のたまり場をどうするか。あるいは
中国はいま核武装を通常兵力よりもよりウエートを置いているというふうに推定されておりますけれども、
中国の核武装化の進行をどうするか等々の非常にむずかしい難問が起こっているわけであります。そういうようなものは、しかし、一切無視して
日本だけが
軍縮をすればいいというのは、私はシンメトリーを欠いているように思うわけであります。
それから、
軍縮に関する二番目の原則と申し上げますのは、私の考えではその検証であります。
ソ連の場合には、しばしばその
外交、対外
政策にうそと欺瞞といいますか、あるいは秘密といいますか、そういうようなものの影が濃厚でございまして、そのことは大韓航空機事件でわれわれが実感したことでありますけれども、アフガニスタンの事例を考えましても、アフガニスタンは一九七九年の十二月の二十四日に侵攻を開始したわけでありますが、その前日のモスクワの新聞は、アフガニスタンに
ソ連が軍事介入をしていることはないということを、否定的な論調を、記事を出しているわけであります。
あるいはカンボジアやラオスやアフガニスタンにおきましては、
ソ連がいわゆる黄色い雨と称する毒ガスを使用していることも難民たちの口から漏れてきているわけでありますけれども、これを査察、検証するということは、これは国連の方でやろうとしたわけでありますけれども、これも実際は
ソ連の立ち入り拒否に遭っている。そういうような
状況の中で
軍縮というものが実質的に
効果的に行われているかということを、どうしてもわれわれは査察ということをしなければならないだろうと思うのであります。
それから、三番目に申し上げたいのは、しばしば
日本でも、有力な人もその中にいらっしゃいますけれども、いわゆる
西側が一方的に
軍縮をすればよいという説がございます。たとえば、それをやれば
ソ連もやがて対応してくるであろう。まず
西側がイニシアティブをとることによって
軍縮のよき循環を図るべきであるという主張をなさる方がいらっしゃいます。
しかしこれは、経験に即して考えます限り、実際はそういうことはあり得ませんで、たとえば第二次大戦後の
アメリカというものを考えてまいりますと、一時
アメリカは動員を大幅に解除しておりますし、バルーク案を出して核の国際管理を主張しておりますし、あるいは
ヨーロッパその他に対して
経済援助を提供したわけでありますが、その間
ソ連の動員の解除のテンポというのは非常に遅いものでありましたし、それからバルーク案は拒否されましたし、マーシャルプランも、
ソ連を含んだものでありましたけれども、これも拒否されたものであります。したがいまして、イギリスの有名な平和運動家であったノエルベーカー氏が、戦後十二年間にわたる
軍備拡張に対する
責任は全く
ソ連の側にあるという指摘をされていることは、私は妥当な指摘であろうと思っておるわけであります。
それから、七〇年代のことを考えましても、七〇年代というのは御承知のように
アメリカのベトナム挫折、あるいはウォーターゲート事件等々があって、
アメリカにおいて軍事に対する拒否反応が強くなった年代であります。
アメリカの
軍備管理軍縮局の発表した数字によりますと、これは七〇年代と多少ずれますけれども、一九六七年の
アメリカの軍事費は千二百億ドルであります。その間、
ソ連の軍事費は七百九十二億ドルであります。ところが、それが十年後の一九七六年に、同じくいまの、同じソースの発表によりますと、
アメリカは八百六十七億ドル、
ソ連は千二百十億ドルとなっております。これは七五年度ドルに換算してございますので、インフレがありますものですからドルに換算してありますが、この数字を見ますと、私の計算では、
アメリカは毎年三・五七%ずつ軍事費を減らしていった計算になります。一方、
ソ連の方は四・八三%ずつ軍事費を毎年ふやしていったという計算になります。この
アメリカの発表数字がでたらめだと言われればそれまででありますけれども、一応そういうことで
アメリカがまあ動機はともあれ実質的には
軍縮に向かっていったときに、
ソ連は逆に追い上げて追い越していったという数字が出るわけであります。
したがいまして、
西側が一方的に
軍縮をすれば
ソ連はそれに対応するであろうという主張は若干楽観的な主張であろうかと私は見ております。
それから、第四番目には、
軍縮といえどもやはり交渉力というものが必要なわけでありまして、核の惨禍を説けば必ずみんなが
軍縮をするというほど国際社会は単純にできていないわけでありまして、もし理のあるところに従うということならば、北方領土の返還というのはとっくにあり得たわけでありますが、やはり実際はなかなかそうはいかないわけでございます。
そうしますと、どうしたら
ソ連を
軍縮の場に引っ張り出し、実質的に
軍縮に踏み切らせるかという問題が、これは
西側として考えざるを得ないわけであります。まあ
アメリカがパーシングIIなどのINF、中距離ミサイルを
ヨーロッパに展開するというのもその
軍縮のための
一つのてこでありましょうし、それから、これは
ソ連のサハロフという反
体制の人が書いた論文がありますが、その中に、
アメリカはMXミサイルを建造すべきである、大体二、三十億ドルかけて建造せよ、それによって
ソ連を
軍縮に引き出せというようなことを言っているのもやはり同類の
考え方であろうかと思われます。いままで成功した
軍縮の
一つはABM協定というのがございます。アンティバリスティックミサイル協定でございます。これは一九七二年に締結されて、お互いにABMをつくることを一基でしたか二基でしたかに限定するという協定でありますが、この経過をずっと調べてまいりますと、奇妙なことに気がつきます。これは、当初
ソ連は一九六六年の十二月に、
アメリカからABM協定を申し込まれたときに拒否しております。そんなものは
意味がないということを言っております。ところが、一年半たちますと、
ソ連はようやくABM協定に対応して交渉に応じてくるようになります。その間に何があったのかということでありますが、これも推定するしかございませんけれども、明らかな事実は、この間に当時の国防長官のマクナマラが、
ソ連のABMシステムを貫き得るほどに
アメリカの攻撃システムは強いんだと、MIRV、多核弾頭ですね、そういうようなもので
アメリカの技術力というのは非常にすぐれているのだということを表明したわけであります。これは私の推測にすぎませんけれども、恐らくそのとき
ソ連は
アメリカのMIRV化の進行を食いとめるためには
軍縮協定の方が望ましいと、MIRV化を放置するよりは
軍縮協定の方が望ましいと判断したのではないかと推定されております。まあ、
アメリカでもダートホーフだとかイギリスのフリードマンなんという連中もそういうようなことを推定しているわけであります。これは私は
ソ連と
西側、今後
アジアにおける
軍縮協定というのも、仮に交渉するとき、どういう切り札を持つのかということは、私いま具体的な回答がございませんので大変恐縮なことで、一般論しか申し上げられませんけれども、その中に
経済力のありよう、あるいは
日本の非核化のありよう等々がある種の切り札になるかもしれないと思っておるわけでございます。
それから、第四番目に私が申し上げたいのは、民主国家における世論と
防衛という問題であります。これは、われわれの民主国家、言論の自由が
保障されている民主国家というのは、これは非常に大切な価値でございまして、われわれはある
意味でそれを守ろうとしているわけでございますけれども、ただ、すべてのことがそうであるように、民主国家は民主国家なりの弱点というものを持っていることも否定できないことであろうかと存じます。それが一番典型的にあらわれたのは
アメリカのベトナム戦争の際でございまして、一九七五年にサイゴンが崩壊するわけでありますが、あれはやはりテレビ戦争、お茶の間戦争と言われたのは、決して理由のないことではございませんで、戦争で勝ったけれども国内世論で崩壊したというパターンであろうかと思うのであります。そのことを受けまして、
アメリカは現在、戦時権限法というのをその後つくりました。ニクソンが拒否権を発動しましたけれども、ニクソンの拒否権を超えてつくられたウォー・パワー・アクトというのがございます。これは、簡単に言えば、九十日以上
アメリカの大統領が兵隊を海外に出そうとした場合には、議会による決議だとか宣戦布告だとか、そういうことが必要なんだ、大統領が自由に兵隊を動かし得る権限というのは九十日であるということになっているわけでありますが、これについては、かなり私は批判があり得ると思っております。もし大統領の権限が九十日以内しかないとなれば、相手側として見れば戦争を九十一日までやれば勝つわけでありまして、そうしますと相手は戦争を引き延ばすということに、長期戦にかえって問題がもつれ込むという
可能性もありますし、あるいは大統領の方から言わせますと、九十日内に何としても議会に説明しなければならないということになりますと、あわてて戦争はエスカレートしてしまって思わぬ失敗をやったりあるいはまた戦争が途中であるにもかかわらず引き揚げてしまうというようなそういうようなめんどうな問題が起ころうかと思うのでありますが、しかし、いずれにしても民主国家において世論あるいは議会、先生方を前にして大変恐縮でございますけれども、大きなウエート、これをどういうふうに考えていくかということがあろうかと思うのであります。
現在の
ソ連との
東西関係で申し上げますと、
ソ連は
西側の世論というものを非常にいろんな形で工作しているということは明らかであろうと思うのであります。若干歴史的なことになりまして恐縮でありますが、たとえば第二次大戦の始まる前の独ソ不可侵条約を結んだときに、
ソ連の指令ではイギリスやフランスは当時ナチスに対して反対しておったわけでありますが、そういうイギリスやフランスの反ナチ世論を非難するような運動を
ヨーロッパで起こさしているわけであります。つまりせっかくドイツで結んだそのドイツに対してイギリスやフランスが反対するようでは困るわけですから、イギリスやフランスの世論工作をやっていたわけであります。ところが一転、ドイツと
ソ連が戦争を開始いたしますと、今度はイギリスのチャーチルに対する支持運動を労働組合等が急速に開始してチャーチルのプラカードをかついだ愛国運動が起こるというような
状況になるわけであります。これも当然のことであります。
それから戦後を見てまいりますと、さっき申し上げましたベトナム戦争のことはまた別といたしまして、五十年代の例のストックホルムアピールのような形の反核平和運動というものはやはり
ソ連が
西側を追い越し、追いつくための時間稼ぎであったのではないかと思われます。
それから最近の
ヨーロッパ並びに
日本におきます反核運動というものは、これはロシア人のブコブフスキーという人の説でありますけれども、一九八〇年のブルガリアにおけるソフィアにおいて会議が行われて、そのときに帝国主義を批判せよあるいは帝国主義に従っているマスコミを批判せよというようなアピールが行われていて、それで
西側の
軍備増強というものをチェックしようとしたとされております。
こういうことの実態というものはなかなかとらえようがございませんけれども、世論というものが
西側の長所でありかつ弱点であるということはこれはそう言えると思うのでありまして、こういうものに対してどうするかという問題が起こるわけであります。これはしばしば言われておりますように、いわゆるスパイ防止法というようなものも必要でございましょうし、さらにはデマ、プロパガンダというものに対抗する最良の道は真実を明確にしていくことだと思うのであります。たとえばイギリスの第二次大戦中のBBC放送が非常に高い信頼度を得たのは、あれはプロパガンダよりも真実を放送するというそういうことがあったからであります。そういうことで、これはやはり
ソ連や共産圏の真実についてわれわれはもう少しいろんな形で事態を国民の前に明確にしていく必要があるというふうに私は考えております。
それから、第五番目には
経済でございます。これは
経済というのは相互
経済依存とかいろんなことがしばしば言われておりますし、また南北開発、南の開発について
経済協力をやれということもしばしば言われておりますので、その点は私はいまここでは省略させていただきたいと思います。
私がここで
一つだけ申し上げておきたいのは、いわゆる
経済的な力を利用して、相手がたとえば膨張主義をやめて温和な国になったときは
経済協力をどんどん展開する。しかし、逆に相手が膨張的になって非常に害を与えるときには
経済制裁をするという形で、
経済力を使って何とか少しでも
国際環境を平和なものに持っていくことができないかということについてであります。前者についてはこれはなかなか両方ともむずかしい問題でございまして、
ソ連の国民が豊かになった場合に、それは果たして対外
政策の穏健化につながるのかという非常にややこしい問題があろうかと思うのであります。これについては私は必ずしもそうならないだろうという、要するに太ったオオカミかやせたオオカミかという一時はやった議論でありますけれども、その問題は依然として残っているように思うわけでございます。
それから
経済的な制裁につきましては、歴史的な事例を考えてみますと二つの条件が必要なように思われます。その
一つの条件と申しますのは、
経済制裁をやる国が全会一致的であること、抜け駆けをする人がいないということでございます。たとえば、穀物禁輸をやるときにアルゼンチンが穀物を出すというようなことがないというような
意味であります。
それからもう
一つの条件は、真剣であるということであろうかと思うのであります。それはどういうことかといいますと、
経済制裁というのは必ずこちら側にも何がしかのダメージを受けるわけであります。農民は輸出ができなくなるというようなダメージを受けます。それから場合によっては、相手の脅迫を受けるときがございます。たとえば、第二次大戦前のイタリアがエチオピアに侵攻しましたときに、いわゆる
経済制裁を国際連盟はやろうとしたわけでありますが、あのときに、ムッソリーニにすごまれて、結局石油を制裁の中に入れることができなかった。で、イタリアは大した痛痒を感じなかったというケースがございますが、そういうときに真剣であるかどうかという問題であります。だから、
経済制裁というものも決してイージーな道ではないということを申し上げておきたいわけでございます。
それから第六番目には、いわゆる中ソ対立を
中心とした共産圏の
内部抗争というものがどうなっていくのであろうかという問題であります。これは
日本に、あるいは
アメリカ、広く
西側にとりまして重要な関心事でございまして、私はこれは断定するだけのものをまだ持っておりませんけれども、いささか乱暴な言い方を申し上げれば、私は中ソ対立の将来というのは限定的な和解であろうというふうに考えております。
それは、限定的と申し上げましたのは、全面的和解というときに私が
念頭にございますものは、五〇年代のように、中ソ同盟条約が結ばれて、あの中に
日本を仮想敵国にしてあったわけでありますが、中ソ同盟条約が結ばれて、国際共産主義運動で
ソ連のイニシアチブのもとに
中国が従う、そういう
状況を全面的和解と私はいまここで考えておるものですから、恐らくそういう
状況にはなるまいというふうに考えております。
しかし、中ソ間の緊張は若干緩和していくであろう。いわば
中国はいままで、七〇年代ずっととってきた、
西側と歩調を合わせて
ソ連に対抗するという、いうところの反ソ統一戦線の路線から、むしろ
西側寄りではあるけれども、
西側と
ソ連の中間に立っていろんな自主
外交の幅を広げていく、そういうような路線へと移っていくのではないかというふうに考えるわけであります。だから、果たして
中国が
西側のいわば、
言葉は非常に悪い
言葉になりますけれども、
西側のかわりに
ソ連軍を引きつけておくということがどの
程度期待できるのか。私は、まだ余り大きな期待が寄せられなくなる事態も起こり得ると、つまり非常に不鮮明な要素をまだ持っているというふうに考えているわけであります。
しかし、いずれにしましても、そういうような中ソ間の緊張というものが漸次緩和してまいりますと、その場合、
ソ連の
日本に対する圧力というのは若干やはり従来よりは強くなってくるであろうと私は考えております。それは決してパニックを起こすような性質のもの、そういうような
脅威とは私考えませんけれども、しかし若干は強くなってくるであろうというふうに考えるわけでございます。そういうことで、
日本の安全というものに対する軍事的な
意味というのはもっと
日本としては
努力せざるを得なくなってくるだろうというふうに考えます。
それから、以上で六項目ではございますが、
一つだけ、この間の新聞報道を読んでちょっと奇異に感じたことがあるので、私
一つだけつけ加えさしていただきたいと思います。
それは、例の国連軍の派遣につきましての処理の仕方がきわめてまずいというような感じが私はしたわけでございます。あのときは、たしか民間の人たちの
意見を、国連軍に
日本が提供するんだというようなことを国連の事務総長に出して、しかしこれは政府見解ではございませんということを政府が言われている。それで結局何かいろいろ反対があって取り下げてしまったというようなことでありますけれども、どうしてああいうふうな、これは民間の
意見で政府の関知したことではありませんというような報告書をわざわざ国連に出そうとなされたのか、そこらのところがよくわからないので、私は、むしろああいうものは積極的に
日本は寄与すべきだという
考え方でございまして、
昭和三十二年の政府の国防の基本
方針の中にも明らかに、国際連合が有効に侵略を阻止し得るまで
安保条約は続けるのだと、こう書いてございますから、国連を強化するということは、わが国の
外交、
安全保障上の重要なファクターになっているはずであります。それを何か処理の仕方がきわめてあいまいであったようなのは遺憾であったと思っております。
以上をもちまして私の
意見といたします。