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1983-10-06 第100回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年十月六日(木曜日)    午前十時一分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         植木 光教君     理 事                 大坪健一郎君                 中西 一郎君                 佐藤 三吾君                 黒柳  明君                 上田耕一郎君                 秦   豊君     委 員                 安孫子藤吉君                 石井 一二君                 大木  浩君                 倉田 寛之君                 源田  実君                 佐藤栄佐久君                 曽根田郁夫君                 竹内  潔君                 鳩山威一郎君                 降矢 敬義君                 宮澤  弘君                 梶原 敬義君                 久保田真苗君                 中西 珠子君                 和田 教美君                 立木  洋君                 柳澤 錬造君    事務局側        常任委員会専門        員        山本 義彰君    参考人        野村総合研究所        会長       佐伯 喜一君        京都産業大学教        授        漆山 成美君        軍事評論家    藤井 治夫君        軍縮問題研究家  前田  寿君        国際政治学者   畑田 重夫君        評  論  家  青木日出雄君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○外交総合安全保障に関する調査     ─────────────
  2. 植木光教

    委員長植木光教君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査特別委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  外交総合安全保障に関する調査のため、本日、参考人として野村総合研究所会長佐伯喜一君、京都産業大学教授漆山成美君、軍事評論家藤井治夫君、軍縮問題研究家前田寿君、国際政治学者畑田重夫君、評論家青木日出雄君、以上六名の方の出席を求め、意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 植木光教

    委員長植木光教君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  4. 植木光教

    委員長植木光教君) 外交総合安全保障に関する調査を議題とし、総合安全保障について参考人から意見を聴取いたします。  本日、午前中は野村総合研究所会長佐伯喜一君、京都産業大学教授漆山成美君の御出席をいただいております。  この際、参考人皆様に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席いただきましてありがとうございます。本日は、総合安全保障につきまして参考人皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人の方々に御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進め方といたしまして、まず最初にお一人三十分程度それぞれ御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  それでは、まず佐伯参考人にお願いをいたします。
  5. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 三十分で総合安全保障についての考え方を整理して申し上げるのは非常にむずかしいので、ある程度書いたものを用意してきたわけてありますけれども、若干時間が超過するかもしれませんので、その点、あらかじめ御了解願いたいと思います。  一般的に国の安全保障を考える場合に、安全保障のための努力が総合的でなければならないということは、まあいわば自明のことだと考えるわけであります。つまり、脅威種類が多様であるし脅威段階も多様でありますので、多様な種類脅威に、多様な段階に対応していくためには、当然、用いられる手段、これも多様でなければならない。そういう意味において、安全保障のための努力が多様な対策を含む総合的なものでなければならないということが言えると思うのであります。  また、現在の国際関係を考えてみますと、これは核兵器の時代でありますし、国際的な相互依存関係が密接な時代でありますので、防衛努力というものが集団的でなければならない、安全保障のための努力が集団的でなければならない。そういう意味においても、総合的な安全保障努力が必要だと、こういうことが言えると思うのであります。  しかし、わが国の場合には、さらにそれ以上に特殊な事情があるということを考えておく必要があると思うのであります。  つまり、日本憲法では戦力保持が禁止されておりますので、自衛権はあるけれども戦力保持は認められない、こういう形になっておるわけであります。つまり、日本自衛権の裏づけとして持ち得る実力というものは、憲法が禁止しておる戦力という概念、これに触れない範囲内のものでなければならない。つまり、自衛のために必要最小限度実力であれば、それは憲法で禁止しておる戦力という概念には抵触しない、こういう解釈がとられておるわけであります。  いずれにいたしましても、そういう憲法のもとで日本が持ち得る自衛力というものはあくまで自衛のために必要最小限度のものでなければならない、そういう制限が課せられておるわけでありますから、ほかの国以上に軍事力中心とした防衛努力以外の安全保障努力日本心要としておる、こういうことが言えますし、またほかの国以上に集団的な防衛努力を必要としておるということが言えると思うのであります。  さらに問題なのは、現在の憲法解釈によりますと、個別的自衛権集団的自衛権はあるけれども、集団的自衛権についてはその行使は認められない、こういう立場をとっておるわけでありまして、日本は集団的な安全保障体制を必要とする事情を一方に持っておるわけでありますが、その集団的な安全保障体制あるいは同盟体制において、日本立場というものは集団的自衛権行使が許されないという特殊なものでなければならない、こういう問題も背負っておるわけであります。  いずれにいたしましても、以上のような意味において、日本においてはほかの国以上に総合的な安全保障努力を必要とする、こういうことが言えるわけであります。  ただ問題なのは、総合的な安全保障という言葉を強調することによって、その総合安全保障の中で防衛努力をどのように位置づけるかということがあいまいになるおそれがあるという点に問題があるように思うわけであります。  つまり、総合安全保障の議論を実り多いものにするためには、どうしても次のような問題を明確にしておく必要があると思うのてあります。  第一は、軍事力中心とする防衛努力以外の安全保障努力が十分行われておるかどうかという問題であります。  それから第二は、それらの安全保障努力が現状の防衛努力拡大を必要としない程度に、あるいは削減を可能とする程度効果的に行われておるかどうか。  それから第三は、防衛努力は他の安全保障努力によって完全に置きかえられるものかどうかという問題、つまり防衛努力とそれ以外の安全保障努力関係補完関係にあるのか、完全な代替関係にあるのか。  それから第四は、もし防衛努力を他の安全保障努力によって完全に置きかえることができないとすれば、日本がやらなければならない最小限度防衛努力というものは一体何かということ。  それから五番目は、日本が今後強調しなければならない防衛努力以外の総合安全保障努力というものは何か、こういう問題になるわけであります。  それで、私はこれまで日本防衛努力以外の総合安全保障努力を十分に行ってきたとは考えませんし、またこれまでの防衛努力以外の日本安全保障努力日本防衛努力を現在の規模より大きくすることを必要としない程度の、あるいはより小さくすることを可能にする程度安全保障効果を持ったとは考えないわけであります。さらに将来にわたって防衛努力以外の安全保障努力が大規模に行われることによって防衛力拡大をしなくても済むような情勢をつくり出せるかどうかということになりますと、そういうことはどうも言えないように思うわけであります。  具体的に考えてみますと、たとえば総合的な安全保障努力一つの分野として経済安全保障、あるいはエネルギー安全保障という問題がありますし、食糧の安全保障というような問題があるわけであります。  たとえばエネルギー安全保障という問題一つとって考えまして、その努力が十分に行われたということによって、果たして軍事的な脅威に対する安全保障効果というものがエネルギー安全保障経済安全保障のための努力によって十分得られるかどうかというと、これは全く別な問題になるわけであります。つまりエネルギー安全保障という問題、あるいは経済安全保障という問題は経済的な脅威のある段階に対応する手段でありまして、軍事的な脅威に対応する手段としてはきわめて不適当であると、こういうことになるわけであります。  さらに、エネルギー安全保障について考えてみますと、現在の中東情勢というものを頭に入れて考えてみますと、中東からの石油の安定供給を確保するためにアメリカ急速展開部隊を整備しなければならない、あるいは空母をインド洋、ペルシア湾の方に派遣しなければならない、こういうような問題が起こってきておるわけでありまして、エネルギーの女全保障のためにむしろ軍事的な防衛努力が必要となっておる、こういう側面があるわけであります。  さらに、経済援助を通して援助を受ける国の政治経済の安定を促進し、間接日本安全保障に役立てるということが総合安全保障の重要な一環として考えられるわけでありますが、そうして日本がトルコとか、パキスタンとか、タイ等に対して与えておる経済援助というものは、日本安全保障との関連において重要な意味を持つことは明らかだと思うのでありますが、それではその経済援助というものをどんどん大きくすることによって、日本に対する軍事的な脅威に対応するための安全保障効果を十分にその経済援助によって獲得できるのかというと、どうもそうは言えないように思うのであります。  まず、非常に簡単に考えてみますと、日本政府開発援助というものを考えてみますと、日本政府開発援助は一ころGNPの〇・三%を若干超しておったわけでありますが、去年あたりの実績を見ますと〇・二九%という水準に低下しておるわけでありまして、仮に五カ年間で政府開発援助倍増するという計画計画どおり実行できたとしても、このGNPの〇・三%台の政府開発援助GNPの〇・四%に持っていくということはとうてい考えられないわけであります。ほとんどGNPに対する比率は変わらない。五年倍増計画をやったとしても変わらない。現実は五年倍増計画の実現が非常に困難になっておる、こういう情勢であります。つまり、効果的な援助を与え得る対象、受け入れ条件というようなものを考えてみますと、政府開発援助を急速に拡大するということは財政的な制約というものを考えなくても非常に困難である。ましてそういう経済援助を通じて日本安全保障にどの程度効果がもたらし得るかという問題について考えてみますと、少なくとも日本防衛努力を現在よりも軽減させるような効果経済援助努力の増大によって期待するということはできないのではないか、こう考えるわけであります。  元来、経済援助というものは安全保障のためになされるのではなくて、他の目的のためになされる努力安全保障上の効果間接に持ってくるということでありまして、経済援助を通じて日本安全保障のためにある程度効果をもたらそうとしてもそこに一つの限界がある。さらに、外交的な努力、あるいは軍縮軍備管理努力、そういうものを通じて日本安全保障にある程度の貢献をもたらすということが十分考えられますし、十分可能でありますけれども、結局そういう外交的な努力なり、軍縮軍備管理努力を通じて防衛努力をゼロにすることができるのかあるいは現在より縮少させることができるのかというと、そういう効果をそれに期待することは無理ではないか。つまり、私が言いたいのは、総合安全保障努力の中の防衛努力と、軍事力中心とした防衛努力と、防衛努力以外の総合安全保障努力との関係というものは相互補完的な関係であって、防衛努力以外の総合安全保障努力によって防衛努力を完全に置きかえる、つまり完全にこれを代替するということはとうてい不可能であるということをはっきり認識する必要があると思うのであります。  そうなりますと結局日本総合安全保障という考え方の中で最小限やらなければならない防衛努力というのは一体何だと、あるいは防衛努力以外にそれでは日本重点を置いてやらなければならない総合安全保障努力は何か、こういうことを明らかにしていく必要があると思うのであります。従来どちらかというと、総合安全保障という言葉を使うことによって総合安全保障の中における防衛努力の位置づけを非常にあいまいにしてきた、あるいは総合安全保障という言葉をたくさん使うことによって防衛努力というものがこれをゼロにすることができるというような錯覚を国民に与えるような傾向があったのではないか。その点については最近の国際環境変化、今後の国際環境の展望というものをしっかり頭に置いて考え直してみる必要がある、こう考えるわけであります。  つまり、現在われわれが直面しておる国際環境というものは一体どういうものであるか、それを前提にして日本が最小限やらなければならない防衛努力あるいは日本が考えなければならない防衛努力以外の総合安全保障努力、こういうものを考えてみる必要があると思うのです。  その点について簡単に整理して申し上げますと、五つぐらいのポイントをわれわれは念頭に置く必要があると思うのです。  第一は、東西軍事力バランス変化して不安定になっておるという問題であります。基本的にはアメリカ軍事的優越が失われた。要するに、アメリカソ連軍事力がほぼ均衡する状態になってきておる、しかしそれが安定した力のバランスをもたらすという形にはなっておらないということであります。アメリカ軍備増強努力を続けなければ、軍事力バランス西側に不利に傾く可能性が出てきておるということであります。  それからグローバルな戦略的な軍事力バランスは一応維持されておるわけでありますが、地域的な軍事力バランスについて考えてみますと、ヨーロッパにおいては明らかに地域的な軍事力バランス西側に不利に傾いておるということであります。そうして、ソ連がその国境を越えて第三世界における紛争に軍事的に介入する能力が過去十年間において非常に強化された、こういう状況が、アメリカの圧倒的な軍事的優位のもとに維持されておった世界の平和というものについて、非常に不安定な要因をもたらしておるわけであります。  それから第二は、ソ連及び東ヨーロッパにおいてソ連型の社会主義体制が行き詰まってきておるわけでありますが、行き詰まれば行き詰まるほど、ソ連軍事力に依存する傾向を強める可能性が出てきておるという問題であります。もちろん、ソ連内部には困難な課題がたくさんあるわけでありますから、西側対応いかんではソ連が対決を強める方向を選ぶのではなくて、選択的な協力の道を選ぶ可能性も出てきておるわけでありますが、問題は、ソ連がその体制内部に困難な問題を抱えておるがゆえに、自発的に軍縮の道を進むという保証がないということであります。  それから第三は、第三世界における政治的な不安定、特に中近東、中南米における紛争政治的な不安定が恒久化する可能性がある、それが世界安全保障バランスにも世界経済にもマイナスの影響を与え続けるということであります。  それから第四は、アジア太平洋地域におけるソ連軍事力増強が顕著であるということであります。この地域において、アメリカ軍備近代化重点を置いておるわけでありますが、規模拡大ということは余りやらなかったわけであります。ソ連はその規模においてもその質においても著しい増強を最近行ったわけであります。いわゆるミンスク空母の派遣に続きまして、SS20やバックファイア極東配備増強されましたし、北方三島における約一個師団の地上軍増強というものも日本人の神経を非常に刺激したわけであります。現在の状況ではソ連ヨーロッパ極東において同時に二つの作戦を遂行する能力を持つようになったというふうに判断されておるわけであります。ただ、この地域におけるソ連軍備増強にもかかわらず、アジア太平洋地域におけるミリタリーバランスが、ソ連に有利に傾いたというふうに考える必要はないし、また四面海に囲まれておる日本地理的状況から考えまして、ソ連地上軍日本に簡単に侵攻してこれを占拠するというような情勢ではない。そういう状況のもとでソ連がいきなり爆撃機やミサイルで日本を核攻撃するかというと、それは戦略的にきわめて無意味であるし無謀である。したがって、ソ連がこの地域で顕著な軍備増強したけれども、それによってヨーロッパと同じようにこの地域軍事力バランスが、ソ連に有利に傾いたというふうに考える必要はないわけでありますが、中東情勢との関連で、アメリカの第七艦隊の守備範囲が非常に広がったわけでありまして、この状況は、日本日本の本土の直接防衛のためにやらなければならない自衛努力というものが、過去と比べると非常に重要な意味を持つようになってきておる、つまり、日本日本の国の直接の防衛アメリカに依存するということはできない、こういうことは非常にはっきりしてきておるということが言えると思うのです。  第五番目の問題は、アメリカとその同盟国との経済的な力関係に非常に大きな変化が生じたということであります。  一九六〇年当時のアメリカGNPは、世界経済の約三四%を占めておったわけでありますが、その当時、日本アメリカGNPの約九%で世界GNPの約三%である。一九八〇年には、これがアメリカは二二%になり、日本は一〇%になったわけでありまして、大体、日本経済力アメリカの半分弱、日本の一人当たりのGNPアメリカとほぼ肩を並べる、こういうところまで来ておるわけであります。そういう状況のもとにおいて、アメリカ世界の三割あるいは四割を占めておった時代、また日本世界経済に数%しか占めておらなかった時代と同じように考えて安全保障の問題、外交の問題、経済の問題を処理するということはとうていできないことだろうと思います。つまり、そういう経済の力の変化というものを反映した新しい国際的な役割りあるいは責任の再調整、これが行われなければならないような情勢になっておるということが言えると思うのであります。  以上のような国際環境変化というものを頭に置いて日本安全保障の問題、日本最小限度やらなければならない防衛努力の問題、あるいは防衛努力以外に日本がやらなければならない総合安全保障努力の問題、これを考える必要がある。その場合に、まず日本安全保障ということを考えてみますと、第一に頭に入れておかなきゃならないことは、いわゆるパックスアメリカーナの時代は終わったということを自覚する必要があるということであります。つまり、アメリカの力によって世界の平和が維持されておったという時代が終わった。したがって、日本ヨーロッパも、アメリカ安全保障上のむずかしい問題を全部押しつけて、経済に専念することができた、そういう時代というものはアメリカが今後いかに軍事力増強経済を活性化しても、再びそういう時代に戻ってくるということは考えられないと思います。  それから第二は、今後予想されるさまざまな東西関係危機、あるいは世界経済危機、あるいは第三世界における危機、そういうものに対応するあるいはそういうものを回避していくためには、価値観を共通にする日米欧協力が必要であると思います。  第三に、日本アジア太平洋地域に位置する国でありますから、この地域諸国経済的な発展と政治的安定を促進することによって、日本の周辺に平和な環境を形成する、そういう努力をする必要があるわけであります。その場合に、特にASEAN諸国との関係を重視する必要があると思います。  それから第四に、中国との関係については、中国は現在西側に門戸を開放して現実的でモデレートな経済政策をとろうとしておるのでありますから、日本中国の持っておる制度的な違い、イデオロギー上の違いというものを十分頭に置きながら、これを自覚しながら中国との経済的協力関係を発展させる必要がある。ただ、その関係というものは、あくまで日本は独占的、排他的な関係をねらうべきではないし、軍事的な協力関係にまで発展させるということは避けなければならないと思います。  第五番目に、ソ連との関係では、懸案の領土問題をねばり強く解決するという基本的な姿勢を堅持しながら、両国関係の安定と改善に努力しなければならないわけであります。  その場合、最小限五つぐらいのことを念頭に入れておく必要があると思います。  第一は、日米の緊密な協力関係、これを崩さないこと。  それから第二は、ソ連のおどしに屈しない体制をつくるということ。  それから第三は、日本経済ソ連から見て魅力のあるものに発展させ続ける。  第四は、日本の国内の対ソ世論の分裂をできる限り防ぐ。  それから第五は、ソ連が無視し得ないような日本アジアに対する影響力保持し続ける。この五つ念頭に置いて日ソ関係安定化のための努力、これを粘り強く続ける必要があるわけです。  最後に、一番大事なことは、アメリカとの緊密な協力関係を持続するということであります。日米関係が広い意味における同盟関係にあるということをはっきり確認する必要がありますし、日本アメリカとの同盟関係の基礎にある成熟したパートナーシップを運営していくためには、最小限三つの考慮が必要だと思います。  一つ日米両国が国際的な政治経済秩序の運営について共同責任を持っておるという考え方を明らかにする。  第二はこれまで以上に日本は国際的な役割りを積極的に果たす用意を持たなければならない。  それから第三に、アメリカは一方的に政策を決定して日本に押しつけるのではなくて、日本影響を及ぼすような重大な政策決定に当たっては日本と十分協議する。狭い意味防衛の問題については、日本日米安保条約に基づく防衛上の協力体制信頼性効率性を高めるための努力をしなければならないと思っております。  日本最小限度やらなければならない防衛努力は、憲法を改正しない、安保条約を改定しない、専守防衛姿勢保持する、非核三原則は守ると、こういう方針を変えない範囲日本自衛努力を強化するということだと思うのであります。さしあたり、日本が具体的にやらなきゃならないことは、日本政府が決定した方針を忠実に実行するということであります。みずから決定した方針を忠実に実行するということてありまして、昭和五十一年度に日本政府防衛計画大綱を決定したわけであります。また、それを実現するという目標を掲げて防衛庁は五六中業というものを決めたわけでありますが、この五六中業をその最終年度に当たる昭和六十二年度までに達成するということが当面日本が追求しなければならない問題だと考えるわけであります。  現在の情勢でいきますと、この五六中業の完全達成もまず危ないという状況になっておるところに問題があるわけであります。アメリカ政府としては、恐らくこの防衛計画大綱以後、国際情勢が変わっておるわけでありますから、防衛計画大綱自体ではいまの国際情勢に合った自衛努力ができないというふうに考えておると思うのでありますが、日本は、まずこの自分で決めた方針を実現するということに最大限の力を注ぐべきであるにもかかわらず、いまの情勢では五六中業の達成もできないし、防衛計画大綱の実現もできない。そういう状況ですと、アメリカから日本を見た場合には、日本自衛努力を十分やっておらない。要するに自助努力を十分やらない、要するに、パートナーとして十分な努力をやっておらない、こういう印象を与えるわけであります。  ともかくこの防衛計画大綱の実現と中期業務見積もりの完全達成のために必要とする防衛予算というものを国民に納得してもらうということは、いまの情勢では非常にむずかしい問題であるということはわかるわけでありますが、まず日本が自分で決めた、自分が必要だと考えておった計画、これを実現するために最大限の努力を果たす必要がある、そのためには、要するに防衛費をGNPの一%以下に抑え続けるというような考え方、あるいは防衛費の伸び率が六%、名目的に年率六ないし七%というような政策では恐らくこれは完全達成ができないのではないか、その点についてどうやって国民の支持を得ながら自分で決めた政策を完全に実現するかということが最小限日本がやらなければならない大きな課題だと思っております。  それ以外に、軍事技術の交流の問題であるとかあるいは厚木基地にかわる夜間離着陸訓練基地の設定の問題であるとか、いろいろ努力しなければならない問題はたくさんあると思うのです。これが最小限度やらなければならない防衛努力でありますが、それ以外に、つまりその防衛努力というものは、いまの日本の国情から考えてみて、あるいは憲法の制約から考えてみて、日本最小限度やらなければならない防衛努力でありますが、日本アメリカの負担の公平、こういう見地から考えますと、それで十分だとは言えないわけであります。また、総合安全保障という見地からいたしますと、それ以外の安全保障努力が必要になってくるわけであります。それは、要するに経済援助の問題でありますし、外交努力の問題でありますし、軍縮とか軍備管理の問題になってくるわけであります。  問題はそういう防衛努力以外の総合安全保障努力として具体的に日本はどういう政策をとる用意があるのかということが一つも明確にされておらない。ここに問題があるわけでありまして、経済援助一つとってみましても、さっき申し上げましたように、仮に政府開発援助五カ年で倍増するという計画を実行したとしても、GNPに対する政府開発援助の比率は〇・三%という水準を上回ることができない。つまり、日本防衛努力はこの程度だけれども、防衛努力以外の経済援助でこんなにやっておりますよということを世界に言うのには、まず規模の点で説得力がないわけでありますし、さらに、その内容、その効果というものを考えますと、いまのところ日本は説得力のある総合安全保障政策世界に対して明らかにすることができておらない。この点について今後政府は相当真剣に取り組む必要があると考えるわけであります。  ちょっと時間が超過しましたので、私はこれで終わります。
  6. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、漆山参考人にお願いいたします。
  7. 漆山成美

    参考人漆山成美君) 本日は、こういう席で私の意見を申し上げることができるのを大変光栄に存じております。  私の申し上げたいことは若干佐伯さんの御意見と重複する部分がございますので、なるべくその重複部分は避けまして、私の言いたいことを申し上げてみたいと思っておるわけであります。  私は、きょうは五つの点について申し上げてみたいと思っております。  その第一点というのは、これは佐伯さんもお触れになりましたけれども、いわゆる国際社会の平和と力の均衡という問題についての検討であります。  それから第二番目は、日本のいわゆる自衛力あるいは安全保障安保条約のありようの問題についてであります。  それから第三番目は、軍縮というものをわれわれはどういうふうに考えたらよいかという軍縮についての検討であります。  それから第四番目は、いわゆる言うところの民主主義国家、われわれのような民主主義国家における外交防衛などの安全保障と世論の問題についてであります。  それから第五番目が、これは簡単にではありますけれども、共産圏の内部、ことに中ソ対立というものをどういうふうにわれわれは理解していったらいいのかということについての私見でございます。この五つについて申し上げたいと思います。  それで、まず第一の力の均衡でございますけれども、これはソ連外交というものを考えた場合に、私はソ連力関係というものに非常に大きなウエートを置いているというふうに思うわけであります。それはどういうことかといいますと、よくソ連の膨張主義ということが、この間の大韓航空機事件などでも関連していろいろ言われているわけでありますが、詳細に見てまいりますと、ソ連の対外政策というのは、決して膨張一本やりではございませんで、場合によっては縮小することもあるわけであります。いわば一歩後退二歩前進というようなこういう波状を繰り返しているように見受けられます。そういうものを決めていくのはいわば、この場合は西側と称しておきますけれども、西側なら西側の国家の意思ないしは力というものがどれだけ決然としたものであるかということによって大きく左右されているように思われます。  たとえば、ソ連は第二次大戦の後に、詳細は避けますけれども、一、二の例だけを申し上げておきますと、第二次世界大戦の後にイランから撤兵をしました。アゼルバイジャン地区に第二次大戦中イギリス軍とともに進駐しておったわけでありますが、第二次大戦後あそこから撤兵をいたしましたが、そのときの前後関係を見てまいりますと、その前にチャーチルが例の鉄のカーテン演説をやって、英語国民は団結しなければいけないということで非常に強い発言をしているわけであります。あるいはソ連東ヨーロッパにおいてしばしば軍事力行使してチェコスロバキア、ハンガリー等々に軍事介入をしたことは御承知のとおりでございますが、しかし、自由化なり反ソ運動が起これば必ず軍事介入をするかというと必ずしもそうは言い切れませんで、たとえばポーランドの場合には直接の軍事介入はしていない、あるいはユーゴスラビアの場合にはソ連の指導から離れたわけでありますけれども、このときも軍事介入はしていないわけであります。あるいはルーマニアの場合も、言うところの自主路線をとったわけでありますが、これに対しても直接の軍事介入はしていないわけであります。  こういうものの判定はどういう形でクレムリンで行われているのか私には推測以上のことは申し上げられませんけれども、概して言えば、それぞれの国の抵抗意思との関係があるように思われます。たとえば、御承知のとおりにポーランドは非常に強い抵抗意思を持っていた国であります。十九世紀におきましても、あるいはナチスとの戦いにおきましても、あるいは一九五六年以降のポーランドのさまざまな暴動においても反ソ意思の強い国であります。あるいはユーゴスラビアの場合を考えますと、八一年度のユーゴスラビアにおきます世論調査の結果を見てまいりますと、十人中の八人が、つまり八〇%の人が侵略に対抗して戦うという答えを出しております。ちなみに申し上げますれば、アメリカは七二・八%でありますし、日本は二〇・六%であります。そういうような非常に抵抗の強いところは比較的回避する傾向がある。あるいはキューバ危機を考えましても、ケネディのキューバ政策の前に、一九六二年にはあそこから引き揚げているわけであります。  そういうことと逆に、今度、真空といいますか、真空という言葉は余りにも使い古された言葉ではありますけれども、そういうところにはしばしば軍事力行使してくるように思われます。そのアジアにおきます典型的な例は朝鮮戦争でございまして、朝鮮戦争の始まる一九五〇年の一月にアチソンが朝鮮、台湾をアメリカ防衛線から外したことは御承知のとおりでございます。  さらに最近になってまいりますと、いわゆるソ連脅威というものが声高に西側で叫ばれるようになりましたのは一九七五年ぐらいのいわゆるアンゴラへの侵攻、エチオピア、イランの崩壊、アフガニスタンと、こうくるわけでございますけれども、そのときの状況を考えてみますと、七五年の春にどういう事態が起こったかというと、いわゆるインドシナの崩壊であります。それでアメリカが全く戦意を喪失したといいますか、あるいは国内的な混乱の中で対応能力を失っているときに七五年のたしか十月にキューバ兵がアンゴラに上がっているわけでございます。この間に明確な因果関係があるかどうかは、これはまた推測する以外にないわけでございますけれども、アメリカの崩壊の中でアンゴラへ出てきたこと、あるいはイランに対する政策が、パーレビを助けるのか助けないのか非常に動揺したこと等々が結局力関係ソ連にとって有利だと思わしめた一つのファクターではないかと思うわけであります。逆にレーガン時代になって、いわゆる言うところの強いアメリカというものを強調するようになってから、ソ連との間にいろんな問題はありますけれども、ともかくもINF等々の交渉の場というものは何とか確保する方向にあるように思われます。  そういうきわめて大ざっぱな力関係の中で、やはり日本というものが、先ほど佐伯さんのお言葉にもありましたわけでありますが、西側の有力な一員として自分の責任を果たすという状況がだんだん迫ってきているわけであります。これは八〇年代前半を見通せと言われましても、私の力ではとても見通せるものではありませんので、ここ数年のということに限定して申し上げますが、私は自衛隊の内部の現状はよく知りませんけれども、たとえば一%の神聖化というような問題は、これはいつまでも固執すべき問題ではなかろうというふうに考えております。昭和二十年代には二・七八%という数字もありますし、昭和三十年には一・七八%という数字もありますし、最低は昭和四十五年の〇・七九%でありますが、以来若干ずつ回復してきて、いま〇・九何がしになっているわけであります。これはもちろん、日本のことでありますから、日本防衛のために必要なわけでありますが、私は、外交的考慮としてもやっぱり重要な問題になってきているように思います。  たとえば一九八二年、昨年のアメリカの上院におきます外交委員会の公聴会の記録を読んでみたわけでございますけれども、この記録によりますと、一部の議員の中から、ロスという上院議員でありますが、彼の発言の中にこういう言葉がございました。一九八〇年代いっぱいかかって日本アメリカ経済力というものに近づいてきて、それでもなお日本防衛力を一%程度にしか負担をしないで、しかもアメリカの方は五%、六%、七%程度の負担をずっと強いられてきた場合には、一九九〇年代に恐らくアメリカに大きな揺り返しが来るであろう。これは一人の議員さんの御意見でありますから、直ちにそれをもってアメリカ人が全部そう考えているというのは速断でありますけれども、しかしこういう声がやはり出ているということはわれわれは考えておかなければならないと思うわけであります。  ついでだから申しておきますけれども、ロンドンのエコノミストの去年の十二月十八日号によりますと、いまのアメリカ状況の中で日本西側として貢献しようとするならば、二%程度防衛費はどうしても必要であろうと、それ以下ではアメリカの怒りというものをなだめることはかなりむずかしいと思われるというような第三者の批評を載せております。こういうことは、何も外ばかり見てきょろきょろしている必要はございませんけれども、そういう意見があるということを申し上げたわけでございます。  それから、安保条約についてでございますけれども、安保条約というものに安保廃棄論というものがあることはよく承知しております。それから、そのほかに安保再改定論があることも承知しております。あるいは、ごく少数ではありますが、安保をNATO並みに、PATOとでも申しましょうか、アジア諸国を包括して安保条約をつくれというような意見があることも聞いております。しかし私は、このいずれも、安保廃棄論、再改定論、PATO論、この三つにつきましては少なくとも数年の時間の枠で考える限りにおいてはなすべきことではないと考えておるわけであります。  まず、安保廃棄の方から申し上げますと、これは当然日本の重武装ということにつながる可能性もあるばかりではなくて、恐らく安保を廃棄した日本というものに対してアジア諸国の警戒心というものはかなり高まるであろうと思われます。これは同じくアメリカの公聴会におきます国防省の役人の証言でありますけれども、そういう場合にはアジア諸国が非常に困った立場に立つだろう、アメリカの軍の存在が太平洋から失われる危険性があるし、日本が余りにも軍事優位に立つことに対するアジアの不安があるし、それからアメリカ中国に傾斜し過ぎることを安保条約は食いとめている力があるんだから、そういうものがなくなることはアジア諸国にとって困るというような防衛当局のアジア観が出ております。  それから、再改定論で、完全な形の相互集団防衛条約にせよという主張が日本内部でもかなり有力な方々から表明されておりますけれども、私は、これも数年に限って考えますと、恐らく、アメリカにそれに対応する声が私の知っている限りではほとんどないといっていいと思いますけれども、仮にそういうことで政府間の交渉が始まったとしても、その結果は余りにも予測不可能である、恐らく非常な大混乱というような問題が起こるのではないかと思われます。また、PAT〇というような形でアジアを包含した集団安保をつくると申しましても、アジア諸国の国情はそれぞれさまざまな課題を抱えておるわけでありまして、ある国はゲリラにおいて悩まされている、あるいは日本のようにむしろソ連の海軍力というようなものを意識せざるを得ない国とか、さまざまな脅威状況がありまして、一概にそれを包括できないのではないかと思うわけであります。私の考えでは現行安保条約をもっとうまく運営することによって数年はやっていくのがいいのではないかと思われます。  そのほか、細かいことといいますか、場合によっては、受け取りようによっては重要なことかもしれませんけれども、私は、核の三原則のうちの持ち込ませず原則というのは、日本防衛上、現実的な必要性が起こった場合には修正した方がよいのではないかという見解でございます。  それから集団的自衛権につきましても、これも日本防衛上不可欠の状況が生じた場合に、個別的自衛権の発動という形で処理できないような事態が起こった場合には、これはやっぱり再検討をする必要があろうかと思うのであります。  以上が、きわめて簡単でありますが、自衛隊と安保についてでございます。  第三番目に申し上げたいのは、核軍縮、あるいは全般的な軍縮についての考え方であります。  これにつきましては、当然のことながら第一番目の原則と申しますのは、私は、核軍縮におきましても、いわゆる軍事的な均衡というものを崩壊させてはいけない、あるいはシンメトリーを崩壊させてはいけないというふうに考えるわけであります。  たとえば、昨年スウェーデンのパルメ委員会というのが、ヨーロッパ東西分割線にそれぞれ分けて百五十キロずつの非核地帯をつくれという提案をしたことがございます。そのときにソ連の反応を見てみますと、ソ連はアルバトフが出席しておったわけでありますが、アルバトフは、そういう非核地帯の実現可能性には疑問であるという答えを言っております。それで、これはたとえば日本及びアジア地域に非核地帯をつくるということになりますと、日本を非核化するのはそれはそれとして、ソ連のウラジオストクあるいはペトロパブロフスクなどの要塞をどうするのか。あるいは北朝鮮の羅津、あそこはソ連に貸与しているという説がもっぱらでありますが、それなどをどうするか。あるいは、今回の大韓事件でも見られましたけれども、オホーツク海の聖域化、あそこにおけるソ連の原子力潜水艦のたまり場をどうするか。あるいは中国はいま核武装を通常兵力よりもよりウエートを置いているというふうに推定されておりますけれども、中国の核武装化の進行をどうするか等々の非常にむずかしい難問が起こっているわけであります。そういうようなものは、しかし、一切無視して日本だけが軍縮をすればいいというのは、私はシンメトリーを欠いているように思うわけであります。  それから、軍縮に関する二番目の原則と申し上げますのは、私の考えではその検証であります。ソ連の場合には、しばしばその外交、対外政策にうそと欺瞞といいますか、あるいは秘密といいますか、そういうようなものの影が濃厚でございまして、そのことは大韓航空機事件でわれわれが実感したことでありますけれども、アフガニスタンの事例を考えましても、アフガニスタンは一九七九年の十二月の二十四日に侵攻を開始したわけでありますが、その前日のモスクワの新聞は、アフガニスタンにソ連が軍事介入をしていることはないということを、否定的な論調を、記事を出しているわけであります。  あるいはカンボジアやラオスやアフガニスタンにおきましては、ソ連がいわゆる黄色い雨と称する毒ガスを使用していることも難民たちの口から漏れてきているわけでありますけれども、これを査察、検証するということは、これは国連の方でやろうとしたわけでありますけれども、これも実際はソ連の立ち入り拒否に遭っている。そういうような状況の中で軍縮というものが実質的に効果的に行われているかということを、どうしてもわれわれは査察ということをしなければならないだろうと思うのであります。  それから、三番目に申し上げたいのは、しばしば日本でも、有力な人もその中にいらっしゃいますけれども、いわゆる西側が一方的に軍縮をすればよいという説がございます。たとえば、それをやればソ連もやがて対応してくるであろう。まず西側がイニシアティブをとることによって軍縮のよき循環を図るべきであるという主張をなさる方がいらっしゃいます。  しかしこれは、経験に即して考えます限り、実際はそういうことはあり得ませんで、たとえば第二次大戦後のアメリカというものを考えてまいりますと、一時アメリカは動員を大幅に解除しておりますし、バルーク案を出して核の国際管理を主張しておりますし、あるいはヨーロッパその他に対して経済援助を提供したわけでありますが、その間ソ連の動員の解除のテンポというのは非常に遅いものでありましたし、それからバルーク案は拒否されましたし、マーシャルプランも、ソ連を含んだものでありましたけれども、これも拒否されたものであります。したがいまして、イギリスの有名な平和運動家であったノエルベーカー氏が、戦後十二年間にわたる軍備拡張に対する責任は全くソ連の側にあるという指摘をされていることは、私は妥当な指摘であろうと思っておるわけであります。  それから、七〇年代のことを考えましても、七〇年代というのは御承知のようにアメリカのベトナム挫折、あるいはウォーターゲート事件等々があって、アメリカにおいて軍事に対する拒否反応が強くなった年代であります。アメリカ軍備管理軍縮局の発表した数字によりますと、これは七〇年代と多少ずれますけれども、一九六七年のアメリカの軍事費は千二百億ドルであります。その間、ソ連の軍事費は七百九十二億ドルであります。ところが、それが十年後の一九七六年に、同じくいまの、同じソースの発表によりますと、アメリカは八百六十七億ドル、ソ連は千二百十億ドルとなっております。これは七五年度ドルに換算してございますので、インフレがありますものですからドルに換算してありますが、この数字を見ますと、私の計算では、アメリカは毎年三・五七%ずつ軍事費を減らしていった計算になります。一方、ソ連の方は四・八三%ずつ軍事費を毎年ふやしていったという計算になります。このアメリカの発表数字がでたらめだと言われればそれまででありますけれども、一応そういうことでアメリカがまあ動機はともあれ実質的には軍縮に向かっていったときに、ソ連は逆に追い上げて追い越していったという数字が出るわけであります。  したがいまして、西側が一方的に軍縮をすればソ連はそれに対応するであろうという主張は若干楽観的な主張であろうかと私は見ております。  それから、第四番目には、軍縮といえどもやはり交渉力というものが必要なわけでありまして、核の惨禍を説けば必ずみんなが軍縮をするというほど国際社会は単純にできていないわけでありまして、もし理のあるところに従うということならば、北方領土の返還というのはとっくにあり得たわけでありますが、やはり実際はなかなかそうはいかないわけでございます。  そうしますと、どうしたらソ連軍縮の場に引っ張り出し、実質的に軍縮に踏み切らせるかという問題が、これは西側として考えざるを得ないわけであります。まあアメリカがパーシングIIなどのINF、中距離ミサイルをヨーロッパに展開するというのもその軍縮のための一つのてこでありましょうし、それから、これはソ連のサハロフという反体制の人が書いた論文がありますが、その中に、アメリカはMXミサイルを建造すべきである、大体二、三十億ドルかけて建造せよ、それによってソ連軍縮に引き出せというようなことを言っているのもやはり同類の考え方であろうかと思われます。いままで成功した軍縮一つはABM協定というのがございます。アンティバリスティックミサイル協定でございます。これは一九七二年に締結されて、お互いにABMをつくることを一基でしたか二基でしたかに限定するという協定でありますが、この経過をずっと調べてまいりますと、奇妙なことに気がつきます。これは、当初ソ連は一九六六年の十二月に、アメリカからABM協定を申し込まれたときに拒否しております。そんなものは意味がないということを言っております。ところが、一年半たちますと、ソ連はようやくABM協定に対応して交渉に応じてくるようになります。その間に何があったのかということでありますが、これも推定するしかございませんけれども、明らかな事実は、この間に当時の国防長官のマクナマラが、ソ連のABMシステムを貫き得るほどにアメリカの攻撃システムは強いんだと、MIRV、多核弾頭ですね、そういうようなものでアメリカの技術力というのは非常にすぐれているのだということを表明したわけであります。これは私の推測にすぎませんけれども、恐らくそのときソ連アメリカのMIRV化の進行を食いとめるためには軍縮協定の方が望ましいと、MIRV化を放置するよりは軍縮協定の方が望ましいと判断したのではないかと推定されております。まあ、アメリカでもダートホーフだとかイギリスのフリードマンなんという連中もそういうようなことを推定しているわけであります。これは私はソ連西側、今後アジアにおける軍縮協定というのも、仮に交渉するとき、どういう切り札を持つのかということは、私いま具体的な回答がございませんので大変恐縮なことで、一般論しか申し上げられませんけれども、その中に経済力のありよう、あるいは日本の非核化のありよう等々がある種の切り札になるかもしれないと思っておるわけでございます。  それから、第四番目に私が申し上げたいのは、民主国家における世論と防衛という問題であります。これは、われわれの民主国家、言論の自由が保障されている民主国家というのは、これは非常に大切な価値でございまして、われわれはある意味でそれを守ろうとしているわけでございますけれども、ただ、すべてのことがそうであるように、民主国家は民主国家なりの弱点というものを持っていることも否定できないことであろうかと存じます。それが一番典型的にあらわれたのはアメリカのベトナム戦争の際でございまして、一九七五年にサイゴンが崩壊するわけでありますが、あれはやはりテレビ戦争、お茶の間戦争と言われたのは、決して理由のないことではございませんで、戦争で勝ったけれども国内世論で崩壊したというパターンであろうかと思うのであります。そのことを受けまして、アメリカは現在、戦時権限法というのをその後つくりました。ニクソンが拒否権を発動しましたけれども、ニクソンの拒否権を超えてつくられたウォー・パワー・アクトというのがございます。これは、簡単に言えば、九十日以上アメリカの大統領が兵隊を海外に出そうとした場合には、議会による決議だとか宣戦布告だとか、そういうことが必要なんだ、大統領が自由に兵隊を動かし得る権限というのは九十日であるということになっているわけでありますが、これについては、かなり私は批判があり得ると思っております。もし大統領の権限が九十日以内しかないとなれば、相手側として見れば戦争を九十一日までやれば勝つわけでありまして、そうしますと相手は戦争を引き延ばすということに、長期戦にかえって問題がもつれ込むという可能性もありますし、あるいは大統領の方から言わせますと、九十日内に何としても議会に説明しなければならないということになりますと、あわてて戦争はエスカレートしてしまって思わぬ失敗をやったりあるいはまた戦争が途中であるにもかかわらず引き揚げてしまうというようなそういうようなめんどうな問題が起ころうかと思うのでありますが、しかし、いずれにしても民主国家において世論あるいは議会、先生方を前にして大変恐縮でございますけれども、大きなウエート、これをどういうふうに考えていくかということがあろうかと思うのであります。  現在のソ連との東西関係で申し上げますと、ソ連西側の世論というものを非常にいろんな形で工作しているということは明らかであろうと思うのであります。若干歴史的なことになりまして恐縮でありますが、たとえば第二次大戦の始まる前の独ソ不可侵条約を結んだときに、ソ連の指令ではイギリスやフランスは当時ナチスに対して反対しておったわけでありますが、そういうイギリスやフランスの反ナチ世論を非難するような運動をヨーロッパで起こさしているわけであります。つまりせっかくドイツで結んだそのドイツに対してイギリスやフランスが反対するようでは困るわけですから、イギリスやフランスの世論工作をやっていたわけであります。ところが一転、ドイツとソ連が戦争を開始いたしますと、今度はイギリスのチャーチルに対する支持運動を労働組合等が急速に開始してチャーチルのプラカードをかついだ愛国運動が起こるというような状況になるわけであります。これも当然のことであります。  それから戦後を見てまいりますと、さっき申し上げましたベトナム戦争のことはまた別といたしまして、五十年代の例のストックホルムアピールのような形の反核平和運動というものはやはりソ連西側を追い越し、追いつくための時間稼ぎであったのではないかと思われます。  それから最近のヨーロッパ並びに日本におきます反核運動というものは、これはロシア人のブコブフスキーという人の説でありますけれども、一九八〇年のブルガリアにおけるソフィアにおいて会議が行われて、そのときに帝国主義を批判せよあるいは帝国主義に従っているマスコミを批判せよというようなアピールが行われていて、それで西側軍備増強というものをチェックしようとしたとされております。  こういうことの実態というものはなかなかとらえようがございませんけれども、世論というものが西側の長所でありかつ弱点であるということはこれはそう言えると思うのでありまして、こういうものに対してどうするかという問題が起こるわけであります。これはしばしば言われておりますように、いわゆるスパイ防止法というようなものも必要でございましょうし、さらにはデマ、プロパガンダというものに対抗する最良の道は真実を明確にしていくことだと思うのであります。たとえばイギリスの第二次大戦中のBBC放送が非常に高い信頼度を得たのは、あれはプロパガンダよりも真実を放送するというそういうことがあったからであります。そういうことで、これはやはりソ連や共産圏の真実についてわれわれはもう少しいろんな形で事態を国民の前に明確にしていく必要があるというふうに私は考えております。  それから、第五番目には経済でございます。これは経済というのは相互経済依存とかいろんなことがしばしば言われておりますし、また南北開発、南の開発について経済協力をやれということもしばしば言われておりますので、その点は私はいまここでは省略させていただきたいと思います。  私がここで一つだけ申し上げておきたいのは、いわゆる経済的な力を利用して、相手がたとえば膨張主義をやめて温和な国になったときは経済協力をどんどん展開する。しかし、逆に相手が膨張的になって非常に害を与えるときには経済制裁をするという形で、経済力を使って何とか少しでも国際環境を平和なものに持っていくことができないかということについてであります。前者についてはこれはなかなか両方ともむずかしい問題でございまして、ソ連の国民が豊かになった場合に、それは果たして対外政策の穏健化につながるのかという非常にややこしい問題があろうかと思うのであります。これについては私は必ずしもそうならないだろうという、要するに太ったオオカミかやせたオオカミかという一時はやった議論でありますけれども、その問題は依然として残っているように思うわけでございます。  それから経済的な制裁につきましては、歴史的な事例を考えてみますと二つの条件が必要なように思われます。その一つの条件と申しますのは、経済制裁をやる国が全会一致的であること、抜け駆けをする人がいないということでございます。たとえば、穀物禁輸をやるときにアルゼンチンが穀物を出すというようなことがないというような意味であります。  それからもう一つの条件は、真剣であるということであろうかと思うのであります。それはどういうことかといいますと、経済制裁というのは必ずこちら側にも何がしかのダメージを受けるわけであります。農民は輸出ができなくなるというようなダメージを受けます。それから場合によっては、相手の脅迫を受けるときがございます。たとえば、第二次大戦前のイタリアがエチオピアに侵攻しましたときに、いわゆる経済制裁を国際連盟はやろうとしたわけでありますが、あのときに、ムッソリーニにすごまれて、結局石油を制裁の中に入れることができなかった。で、イタリアは大した痛痒を感じなかったというケースがございますが、そういうときに真剣であるかどうかという問題であります。だから、経済制裁というものも決してイージーな道ではないということを申し上げておきたいわけでございます。  それから第六番目には、いわゆる中ソ対立を中心とした共産圏の内部抗争というものがどうなっていくのであろうかという問題であります。これは日本に、あるいはアメリカ、広く西側にとりまして重要な関心事でございまして、私はこれは断定するだけのものをまだ持っておりませんけれども、いささか乱暴な言い方を申し上げれば、私は中ソ対立の将来というのは限定的な和解であろうというふうに考えております。  それは、限定的と申し上げましたのは、全面的和解というときに私が念頭にございますものは、五〇年代のように、中ソ同盟条約が結ばれて、あの中に日本を仮想敵国にしてあったわけでありますが、中ソ同盟条約が結ばれて、国際共産主義運動でソ連のイニシアチブのもとに中国が従う、そういう状況を全面的和解と私はいまここで考えておるものですから、恐らくそういう状況にはなるまいというふうに考えております。  しかし、中ソ間の緊張は若干緩和していくであろう。いわば中国はいままで、七〇年代ずっととってきた、西側と歩調を合わせてソ連に対抗するという、いうところの反ソ統一戦線の路線から、むしろ西側寄りではあるけれども、西側ソ連の中間に立っていろんな自主外交の幅を広げていく、そういうような路線へと移っていくのではないかというふうに考えるわけであります。だから、果たして中国西側のいわば、言葉は非常に悪い言葉になりますけれども、西側のかわりにソ連軍を引きつけておくということがどの程度期待できるのか。私は、まだ余り大きな期待が寄せられなくなる事態も起こり得ると、つまり非常に不鮮明な要素をまだ持っているというふうに考えているわけであります。  しかし、いずれにしましても、そういうような中ソ間の緊張というものが漸次緩和してまいりますと、その場合、ソ連日本に対する圧力というのは若干やはり従来よりは強くなってくるであろうと私は考えております。それは決してパニックを起こすような性質のもの、そういうような脅威とは私考えませんけれども、しかし若干は強くなってくるであろうというふうに考えるわけでございます。そういうことで、日本の安全というものに対する軍事的な意味というのはもっと日本としては努力せざるを得なくなってくるだろうというふうに考えます。  それから、以上で六項目ではございますが、一つだけ、この間の新聞報道を読んでちょっと奇異に感じたことがあるので、私一つだけつけ加えさしていただきたいと思います。  それは、例の国連軍の派遣につきましての処理の仕方がきわめてまずいというような感じが私はしたわけでございます。あのときは、たしか民間の人たちの意見を、国連軍に日本が提供するんだというようなことを国連の事務総長に出して、しかしこれは政府見解ではございませんということを政府が言われている。それで結局何かいろいろ反対があって取り下げてしまったというようなことでありますけれども、どうしてああいうふうな、これは民間の意見で政府の関知したことではありませんというような報告書をわざわざ国連に出そうとなされたのか、そこらのところがよくわからないので、私は、むしろああいうものは積極的に日本は寄与すべきだという考え方でございまして、昭和三十二年の政府の国防の基本方針の中にも明らかに、国際連合が有効に侵略を阻止し得るまで安保条約は続けるのだと、こう書いてございますから、国連を強化するということは、わが国の外交安全保障上の重要なファクターになっているはずであります。それを何か処理の仕方がきわめてあいまいであったようなのは遺憾であったと思っております。  以上をもちまして私の意見といたします。
  8. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  9. 大坪健一郎

    大坪健一郎君 ただいま佐伯先生と漆山先生から大変貴重な御意見を聞かせていただきましてありがとうございました。なかなか広範な、しかも多岐にわたるお話でございましたから、少し検討さしていただいた上で質問さしていただくとありがたいんですけれども、ぎりぎり詰めた時間でございますから、多少散漫になるのをお許しいただいて質問さしていただきます。  まず、先にお話しくださいました佐伯先生にでございますけれども、先生は、防衛努力以外の安全保障に関する努力日本にとって、日本がまだ十分行われていないという御指摘をなさいましたし、また防衛に関する努力と、それ以外の安全保障に関する努力とは相互補完の関係に立つものであって、代替関係に立つものではないというお話がございました。これは私ども全く同感でございますし、日本の場合はややもすると、防衛努力をこれからしなきゃならないのは、言ってみれば安保関係のほかの努力の代替のためだというような議論が見られますけれども、やはり基本的には安全保障の一番中核的な問題として防衛問題が挙げられなくてはならないと思うんです。しかしながら、防衛努力については、先生がおっしゃいましたように、既定の方針をわれわれがしっかり国民の同意を得て遂行していくことが必要でございまして、またそれ以上のことを、当面なかなか急激に変化させることはできないと思いますけれども、防衛以外の安全保障に関する努力が十分でないという点については、まだまだわれわれとして改善する余地があるんではないかと思いますので、その辺についての先生の御意見をひとつお聞かせいただきたい。
  10. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 防衛努力以外の総合的な安全保障努力についてもっともっと日本が改善する余地があるのかないのかという問題については、改善する余地があるということは明らかだと思うのでありますが、私が言いたかったのは、そういう努力日本政府はやっておらないということを言いたかったわけであります。  われわれがいろんな国際会議に出ていきましたときに、必ず問題になるのは、防衛努力がその程度であるのであれば、それじゃ日本経済援助について一体どういうことを考えておるのだと、こういうことになるわけですけれども、現実の政府開発援助の数字を私調べてみたわけでありますが、何年か前には政府開発援助GNPの〇・三%を若干上回った時期があるわけですね。ところが、去年の数値を調べてみますと、〇・二九にもう落ちておるわけですね。しかも、ことしの予算について考えてみましても、政府開発援助については最重点でこれは扱われておるにもかかわらず、いまのような趨勢でいった場合に、この〇・二九%の政府開発援助を〇・四%に持っていける見通しがあるのか——ところが全くないわけであります。つまり、量的にその政府開発援助というものはそんなに大きくする余地がもうほとんどない。そうだとすると、そういうGNPに対する比率をふやすのじゃなくて政府開発援助の質を問題にして、こういう意味において広い意味安全保障にプラスになるような政府開発援助日本はしつつあるんだと、あるいはしようとしておるんだと、こういうことが明らかにされればいいわけでありますけれども、いまのところそういうことが私は明らかにされておらないと思うのです。したがって、こういう点についてはこれからももっと努力しないと、日本必要最小限度防衛もやっておらないし、防衛努力以外の総合安全保障努力もやっておらないと、外から見るとそういうふうに理解されてもこれはどうも仕方がないのじゃないか、そういう感じを持つわけであります。
  11. 大坪健一郎

    大坪健一郎君 いまのお話でございますけれども、これは防衛関係の一番基本の問題として、主としてヨーロッパアメリカから日本にいろいろ注文があるわけですが、たとえば日米関係の靱帯を最も強くする必要があるということを前提にしての議論だろうと思うんです。ところが、その日米関係の靱帯を強くして、戦略的にどういう地域にどういう援助をすることが日本安全保障防衛以外の政策として役に立つのか、ということが明確になっておらぬという点は確かに御指摘のとおりで、私どもはそれについて今後もう少し詰めていかなきゃいかぬと思いますが、先ほど漆山先生のお話にもございましたけれども、アメリカの空気は、そういう全般的な配慮と戦略的構想で日本にいろいろ注文してくるよりも、何か自国の国民を納得させるために非常に激しく日本に当たっているようなきらいがあるように思います。  さっきロス議員のお話がございましたが、ロスさんといえば非常に親日的な議員さんということで通っておったわけなんですけれども、このロスさんが、いまのような日本防衛努力ではアメリカとのアンバランスがひどくなって、一九九〇年代に入れば大きな揺り返しが来るだろうと言われたということなんですね。このことを漆山先生にもう少し詳しく実は教えていただきたいんですが、私ども非常に、たとえば安全保障の観点で論議するとすれば、エネルギー安全保障について、日本中東から石油を非常に輸入しておりますけれども、たとえばアラスカの石油についてアメリカにもう少し譲歩を求めて、アラスカからアメリカ日本に石油を思い切って入れてくれるようになれば——もちろん石油の質の問題はありますけれども、日本としても中東から非常に長い、それこそシーレーンを通って危険を冒して日本まで運んでくる石油の量が減るわけですからいいわけなんですけれども、そういうことになると非常にアメリカアメリカの利益のみを固執するような論議が多い、こういうことは両国にとって非常におもしろくないことではないかと思うので、貿易摩擦の問題も絡めて、今後やはり基本的な、長期的な安全保障の問題として、その問題の決め方、考え方アメリカとも論議していかなければならないと思うのですが、さっき漆山先生のおっしゃいましたロスの発言の中身、揺り返しが来るだろうということをどういうふうに理解すべきか。それからまた、アメリカの公聴会で出ました上院議員のいろいろな見解がやはり日本の国民に十分伝わってない点もありますし、まあ彼らの選挙対策的な意見もあるでしょうけれども、われわれとして耳を傾けなければならない議論もあると思いますが、そういう点についてもう少しいろいろ御説明をいただければありがたいと思うのです。もう時間がありませんからこれで私の質問を終わります。
  12. 漆山成美

    参考人漆山成美君) いまのアメリカの公聴会の状況でございますけれども、いま確かに先生の御指摘がありましたように、議員の方はどちらかというとやはりきつい、選挙区からの突き上げとか選挙対策の問題もございますのでしょうか、やはりどうしてもきつい発言がございます。ただ、逆にもうやはり日本をカバーしてくれるような議論も出ていることは出ております。たとえばコロンビア大学のモーレーという人が、これはある意味で大変親日的な意見でございますが、御参考までにちょっと申し上げておきますと、たとえば日本をひっぱたいて、ひっぱたいて、それで防衛努力をさせて、最後に通商関係までこじれてくるということになると、日本はやがて怒り出してとんでもない方向にいく危険性というのはあるだろう。それから、安保改定をせよと言っても、これは実際問題としてはできることではないのだ。それから、米軍を引き揚げるとこう言うけれども、米軍を引き揚げてもかえって困るのはアメリカなんだ。それから、日本から中国重点を移せと言っても、中国日本では価値が大分違うんだ。日本の方がはるかに重要なんだというようなことをるる言って日本を弁護してくれまして、最後に言っているのは、アメリカ人は余りにもスピードということを気にし過ぎている。日本がいまどっちの方向を向こうとしているのか、その方向が大切であって、それをもっとスピードを早くやれ、早くやれと言うだけではいけないのだ。そういう意味では日本をもっと信頼して、彼は、いま日本が向いている方向は正しい方向だというふうに言っておりますけれども、信頼してかかるべきであろうというような意見なども出ておるようであります。  いろいろな意見がございまして、その一つ一つを御紹介申し上げますと大変でございますが、私の見た限りでは、それが一番日本に対して好意的な意見であったように思います。
  13. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 委員長、いまの問題についてちょっと私、参考意見を言わしてもらいます。
  14. 植木光教

  15. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 私はいまの問題についてちょっと申し上げたいのは、結局、安全保障の問題とか防衛の問題が日本では予算の問題として受け取られておるし、アメリカからの要求に対する対応として受け取られておるわけですけれども、基本的に重要なことは、防衛の問題とか女全保障の問題は日本の国民的課題であるというふうに受けとめて、日本としてどうしなければならないかという考え方をはっきり持つ必要があるのではないか。もちろんアメリカのやり方にいろいろな問題がありますけれども、日本自身の対応を考える場合に、この安全保障の問題が国民的な課題になっておらないというところに私は一番基本的な問題があると思うのです。
  16. 大坪健一郎

    大坪健一郎君 どうもありがとうございました。
  17. 久保田真苗

    久保田真苗君 両先生、大変専門的なお話ありがとうございました。とても時間がないようですから、私は一つだけ両先生にお伺いしたいと思うのです。  一つは、お話を伺っておりまして、やはり核抑止力の問題をどうとらえるかということが非常に大きいポイントだろうと思います。現状はともかくといたしまして、やはりこの核抑止力による東西両ブロックのそれぞれの安全保障という考え方は、私にはどうも暗い展望しか出てこないのでございます。それで、むしろ積極的に、それでは平和戦略をどういうふうに展開するかというそういう観点から両先生の御意見を伺いたいと思います。  つまり、核抑止力はむだであり、有害であり、惨禍の非常な危険がある。しかも、それに伴う米ソ両超大国の世界に対する、あるいは同盟国にすら対する覇権主義というそういう問題もございます。  現在の世界で申しますと、世界は両ブロックだけではない。非同盟中立の国が八割にもなっている。その中には開発途上国のほとんどが含まれ、また西欧にも中欧、北欧に中立国ができております。また両ブロックの中でも、漆山先生御指摘のように、東欧圏でのいろいろな抵抗がある。西欧でも日本同様にアメリカとの協定を持っているオーストラリア、カナダというふうな国も決してこの対立の中心に入って、この抑止力の真っただ中に入って軍事国になろうとはしていない、そういう勢力があるわけでございます。こういう勢力を強めていく、この勢力の拡大を図るということが一つ大事なのではないか、これが私のポイントの一つでございます。  もう一つのポイントは、さらに積極的に、漆山先生のおっしゃいましたパルメ委員会で言っているような、抑止力を共通安全保障というようなそういうものに転化していく。その努力について今後国連その他世界の国々のそういった努力とともに日本がなし得る努力は何か。これは総合安全保障の考えにつながるのでございますが、そういうことにつきまして、非常に範囲が広うございますけれども、特に重要なポイントとお考えになる点をお伺いしたいと思います。
  18. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 御質問の趣旨が私には完全には理解できておらないかもしれませんけれども、基本的な問題として、いま差し迫って対応しなければならない問題と長期的に対応していい問題とがあると思うのですけれども、その長期的にわれわれが考えなければならない問題としては、いま御指摘のようなことが恐らく重要な問題としてわれわれが真剣に考えなければならない問題だろうと思うのですけれども、その差し迫った問題として考えてみますと、たとえばヨーロッパにおけるINFの交渉ですね、中距離核軍備を削減する交渉というものを一つとって考えてみますと、これは一九七九年にソ連ヨーロッパにおいてほぼ軍事力バランスがとれておるということをブレジネフは認めておるわけですね。それから八一年に、戦略核兵器と中距離核兵器を含めて東西バランスがほぼとれておるということを彼は認めておるわけです。しかし、そういうことを認めておりながら、一九七七年以降ずっと一貫してヨーロッパにおいてヨーロッパ向けのSS20をソ連増強してきたわけですね。それはバランスがとれておるということを認めた後にこれを増強してきたわけです。しかも、NATOがパーシングIIとクルーズミサイルの展開を決意した後に、それをやめるんであればすでに展開したSS20を減らしてもいいということを言い出したわけです。つまりソ連は、自発的にそこに力のバランスがとれておるから軍備増強しませんという考え方をしないわけなんですね。何らかの対応措置をこちらがとると、それに対して少しよけいに持っておる軍事力を減らしてもいい、こういう対応をする国を相手にして力のバランスというものを最小限のレベルに維持していこうとした場合に、これは交渉だけでは問題が片づかないわけなんですね。一方においては交渉する、一方においては力のバランスについて相手と交渉するのに有利な条件をやはりつくっていかなきゃならない。つまり現在わが国が直面しておる問題は、その交渉と軍備とこの二つを結びつけないと話が進まないという、そういう問題を前提にしてどうするかということを考えていかなきゃならないわけでありますから、非常に長期的に考えた場合にやらなければならない問題はいろいろあるわけですが、当面の方法としては、やはり軍備というものと軍縮交渉というものをどう結びつけてより低いレベルにおける力の均衡による平和を実現していくか、こういうプロセスを考えていかなければならない。  それから、当面日本ソ連軍縮とか軍備管理の問題についてどういうことが議論できるかということを考えてみますと、むしろ日本がいま力を持っておらないがゆえにソ連と対等で軍縮交渉ができないという状態になっておるわけですね。だから日本軍備を拡充しろということを私は言うわけじゃないのですけれども、当面は持っておらないためにこれは話にならないわけです。ただ、もしソ連との間に軍縮とか軍備管理の点で何か意味のあることを考えるとすれば、当面われわれが考えてみる必要があるのは、コンフィデンス・ビルディング・メジャー、信頼醸成措置というものを日ソ間で何か考えることができるのか、そういうところから発足していく必要があるのじゃないか。  それで、先生がおっしゃったようないろんな問題については、広い意味における力というものを通じないで平和を実現するためのいろんな方法の一つとしてわれわれが検討してみる必要があるんだろうと思うのですが、その緊急性という点から考えるともっと当面いろいろ考えないとならぬ問題があるんじゃないかと、こう考えるわけです。
  19. 漆山成美

    参考人漆山成美君) いまの軍縮交渉と軍備の問題につきましては、佐伯さんがお話しになりましたことで大体尽きていると思いますので、時間がございませんので私それは省略させていただきますけれども、最後にコンフィデンス・ビルディングの信頼醸成措置という問題は、確かにこれはヨーロッパでNATO、ワルシャワ条約機構、それから中立国の間で、演習、二万五千でございましたか、演習をする場合にはそれをお互いに見ることができる、オブザーバーを派遣することができるという形で、演習を装った攻撃ということをないようにしようという措置でございます。しかし、いままでの記録をずっと見てまいりますと、若干これはまだ完全とは言えない面がございまして、たとえば西側諸国は比較的全部の演習を公開しておりますけれども、ソ連の場合には演習の公開の度数が少ないようであります。それから、演習の当日になっていきなり通告してきて、それでどうぞ見てくれと言われても準備ができませんで、そういうようなことがあって必ずしもそれが完全に機能しているわけではございませんが、しかし私は、やはりそういう公開、オープンにしていくということが東西緊張をやわらげる一つの方策だろうと思うのであります。  そういう意味では、核を低いバランスで安定させるという場合も、低いとは一体何かという大変むずかしい問題がございまして、よく簡単に最低限抑止力という言葉を使いますけれども、しかし最低限とは一体何かとなりますと、国情、その国の政治制度によって違いまして、二千万人殺されてもがんばれるという国と、百人殺されてももう手を上げるという国では最低の規模が違いますから、いろいろ問題がございますけれども、しかしその最低にしていくというときには、やはり一つは外からのそういういま佐伯さんがいろいろ御説明なさったような、軍事とそれから交渉という両立の問題と、それからそのほかに西側でしばしば行った例の反核運動というものが、ソ連内部では——大体ソ連内部には反核運動というのは、官製反核運動と自主的反核運動とでも称しますか、そういう二種類あると思いますけれども、その自主的の方は大体つかまえられておるようでありまして、その官製反核運動は、NATOの核に反対せよとか、帝国主義の核に反対せよということが大体メーンな、主要なテーマになっているようでございます。それではやはり困るわけでございまして、そういうところの平等性をどういうふうに回復していくか、これは西側としても考え、平和運動家の方の課題であろうかと思っております。
  20. 植木光教

    委員長植木光教君) 時間がまいりましたので、次の機会にお願いをいたします。
  21. 黒柳明

    ○黒柳明君 公明党の黒柳でございます。  佐伯先生と漆山先生の貴重な御意見を拝聴させていただきまして、感謝する次第でございます。  往復で十分という非常に限られた時間でございますんで、もう相当大幅に時間が超過しておりますんで、常識の線に沿いまして、簡単に質問させていただきたいと思います。  佐伯先生が最後におっしゃいました総合安全保障政策、政府は真剣に検討せよ、取り組めと、私もそのとおりだと思います。また、何回も御指摘いただきましたような、防衛努力以外の安全保障に対する努力をもっとせにゃならぬと、これもそのとおりだと思います。かといいまして、防衛以外の努力防衛努力に置きかえられるものじゃない、相互補完的なものであると、そのとおりであると私思う次第であります。  そうなりますと、明年度の防衛費なんかを見ましても、善悪はともかく、全体のバランスとしまして何か正面装備だけが予算が突出しまして、防衛費だけをとりましても、後方の支援ないしは後方の兵たん等につきましての予算の配分が非常にアンバランスではなかろうか、総合安全保障上果たしてその防衛費の配分の仕方これでいいのかなと、こういう感じがいたしますが、その点いかがでございましょうか。佐伯先生のお考えをお伺いします。  もう一点は、漆山先生のお考え、先ほど社会党の先生も指摘をしましたパルメ委員会におきましても、核抑止論は後退している、こういうふうに私認識しております。しかし、中曽根総理もあるいは政府閣僚も、本国会におきまして、あくまでも核抑止力を前面に立てまして、防衛論、安全保障問題というものを論議している、こういうふうに私は認識しているものでございますが、この点、これからわが委員会としましても、行政府が怠慢なこの総合安全保障問題に関する調査あるいは立案というものについて、当委員会で遅まきながら取り組んで、真剣に考えようと、こういう当委員会としましても、何か、核抑止力に対する現政府の認識の仕方につきまして、私は若干国際世論からのギャップがあるような感じがするんですが、その点いかがでございましょう。二つお伺いいたします。
  22. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 防衛費の問題については先ほども私は申し上げたわけでありますが、防衛費の伸び率とか防衛費だけが問題になって、防衛政策なり防衛の戦略なり防衛の実態、それが議論されておらない。それは、要するに防衛問題とか安全保障の問題が日本の国民の問題として考えられておるのではなくて、アメリカからの要求として受けとめられ、アメリカの要求にどうこたえるかという形で対応されておるために起こってきておる問題だと思うのです。したがいまして、おっしゃる点については、私も、正面装備だけ考えて本当に意味のある防衛力増強ができつつあるのかどうかという点については疑問を持っております。  ただ、私は、いま防衛庁の予算の詳しい内容を知っておるわけではありませんので、総額が抑えられた場合に、正面装備をとるのか後方を充実するというのをとるのか選択に迫られたときに、現在のような状態にあるいはならざるを得ないのかもしれない。  基本は、やはり日本防衛をするのに最小限必要な防衛予算が与えられておらないというところに問題があるのではないか。さらに、その背後にあるのは、防衛の問題について国民に十分の理解を与えるための努力、国民の支持を十分得るための努力というものが政府によってなされておらないために、防衛費を防衛の専門家が考える程度のレベルまで上げようとした場合に、十分な国民の支持が得られないという実情に日本がいま現在なっておる、そこに一番問題があるのではないか。つまり安全保障の問題とか防衛の問題は、国民の支持がなければこれは魂が入らないわけですね。だから、国民の支持を得ながらやらなければならないわけでありますが、その支持を得るためのイニシアチブを政治家にとってもらわなけりゃならないと私は考えるのです。
  23. 漆山成美

    参考人漆山成美君) 正面装備の問題等につきましては、私は全く現場を知りませんので何とも申し上げようがございませんですが、核のことにつきましてはちょっと私見を申させていただきますと、確かに抑止力というものについて難点はあるという議論は私もよくいろんなもので読んでおりますが、しかし、じゃ仮に、極度の核のアンバランスが起こったとしまして、抑止力はもう意味がないから、じゃ西側だけでもしようがない、もうどんどん減らしてしまおうというふうな事態が起こったとして、そのときどういうことになるかということだと思うのであります。  これは経験によるしかございませんけれども、われわれが経験したことは、一九五六年のスエズ動乱の際のフルシチョフの出方であります。あのときは英仏軍がスエズに進攻したわけでありますが、フルシチョフはロンドンとパリを核攻撃するかのように恫喝外交をやったわけでございます。それから、これは微妙な形ではございましたけれども、中曽根さんがいわゆる不沈空母論をぶたれた後に、ソ連は何か核攻撃があり得るかのような言辞を弄したわけてあります。しかし、そういうときに余り日本で大きな動揺ないしはパニック伏態が起こらなかったということは、まさかソ連が核攻撃を本当にしかけてくることはないだろう、そうなれば必ず世界破滅の大戦争になってしまうということに対して、言うところの核抑止力というものに対してある程度信頼感を持っていたからではないかというのが私の見解でございます。
  24. 黒柳明

    ○黒柳明君 ありがとうございました。
  25. 立木洋

    ○立木洋君 佐伯参考人にお尋ねしたいんですが、この総合安全保障というものが一体どういうものなのか、基本的な考え方ですね、それから同時に、総合安全保障の中で最も基本とすべきことが一体何なのかという問題だと思うんですけれども、先ほど来参考人のお話をお伺いしていますと、今日多様でなければならないということをお認めになるけれども、しかし、今日の状況の中でいわゆる防衛努力というのは他に代替できない。同時に、今日の国際的な環境から見るならば、この防衛努力というのはさらに最も重要になってくるであろう。とりわけアメリカとの関係が密接でなければならないし、その中で、日本が今日持っている力に応じた努力をしていく必要があるという御説だと思うんですね。  そうしますと、今日考えてみる必要があるのは、私は、たとえばこの間SSDIの中で最終文書が採択されていますけれども、これまでの軍事力拡大によっていわゆる安全を保障するというふうな考え方というのは、歴史的に言うならば、いわゆるもう過ぎ去ってきた状態になってきて、そういう意味では軍縮による平和、軍縮による安全、つまり脅威の存在する平和ではなくて、脅威の存在しない平和ということを世界の多くの人々が認め、そういう方向に努力する必要性というのが生まれてきている、そういう時代にわれわれが存在しているということだと思うんですね。  同時に、この軍事同盟の問題についても、いわゆる大国に依存あるいは大国に協力して、軍事的な同盟関係によって安全を維持するということではなくて、軍事同盟そのものがもたらしている状態というのは他民族に対する主権等々に重大な事態が今日発生しているわけですから、そうではなくて非同盟中立、そういう方向で努力していく必要があるんではないかと思うんですね。一九七〇年の二十五回国連総会の中でも明確にそれが述べられているのは、国連憲章に基づいて軍事同盟を伴わない効果的普遍的な集団安全保障体制の確立ということが一カ国の反対だけで通過しておるわけですよね。これは国連二十五回、一九七〇年ですからもう現在から言えば十数年前の考え方だと思うんです。  そういうことを考えてみますと、軍事力拡大に依存しあるいは軍事的な同盟関係に依存して安全を保障していくという考え方というのは、これはいわゆる戦争に巻き込まれる危険というのがますます伴うのではないか。そこで、日本の国民が今日の状況の中ではやはり核を廃絶すべきだという要求が強いわけですし、NHKの世論調査によりましても、これは七八%の人々が結局軍事同盟、いわゆるアメリカとの関係で戦争に巻き込まれるおそれがあるんではないかというふうなことが結果として出ている。こういうことから、もっと違った道を安全保障の総合的な立場としては据える必要があるんではないかというふうに考えるんですが、この点いかがでしょうか。
  26. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 非常にこれは基本的に重要な問題であるしむずかしい問題だと思いますけれども、私は、軍事力の均衡によって平和を維持する、あるいは軍事力を拡充することによってより安定した軍事力の均衡に到達するという行き方も完全ではないし、また軍縮交渉によって、言葉の上の交渉によって平和が実現できるという考え方も完全ではない。それから、同盟体制によって自分の国の安全が完全に確保できるという考え方にも問題はたくさんあるわけです。しかし、同時に非同盟によって、非同盟中立によって自分の国の安全が維持できるという考え方はもっと多くの欠陥を含んでおると思うのです。したがって、問題はともかく完全な案はないわけなんです。  私は、現在の核兵器の時代、国家の相互依存関係が現在のように複雑になっておる時代において、完璧な防衛を達成するということは不可能だと思うのです。安全保障を達成するということは。ただ、その中でわれわれが満足できるよりベターな安全保障をどうやって追求するかということを考えていかなければならないと思うのですね。  そういう点で私が強調したいのは、残念ながら現在の世界というものは力の均衡の上に平和を維持するという努力を全く無視して平和を維持するということはもうできないのだ、この考え方、それだけで十分ではないけれども、それをなしに平和を維持するということはできないのだという考え方に立って物を考えなければならない。したがいまして、私は軍縮交渉、軍備管理努力、これは大いに一方においてやらなければならないけれども、同時により安心できる力のバランスをどうやってつくるかということを忘れては、現実の政治的な問題として平和を考えることにはならないんじゃないかと思うのですね。  非同盟中立という考え方については、これはいろんな議論があると思いますが、私は一番基本的な問題はその国のスケールの問題だと思うのですね。非常に規模の小さい国が非同盟中立を達成する場合と、世界的な影響力を持った国が非同盟中立を達成する場合とでは、非常に問題の立て方が違ってくると思うのです。それから、さらにこの点で考えなければならないことは、もし日本の国民の一〇〇%を非同盟中立で自分の国の平和を維持できるんだというふうに確信させることができれば、これも一つの現実的な政策手段に私はなると思うのです。しかし、それは私は不可能だと思うのですね。日本の国民が一〇〇%非同盟中立で自分の国の安全が維持できるというふうに考えない限り、国民を安心させるための現実的な努力というものはどうしても必要になってくるわけですよ。それ以外にいろいろありますけれども、私が特に指摘したいのはその二つの点です。
  27. 立木洋

    ○立木洋君 もう時間がなくて、もっといろいろとお尋ねしたい点が大分あるんですけれども、この後いつかいろいろお話しする機会もあるかと思います。  いま述べたことに私は決して満足しているわけではありませんし、幾つかお話ししたいことがあるんですが、次、いまのことも兼ねてなんですが、漆山参考人にお尋ねしたいんですが、先ほど来出ております抑止力論の問題、それから均衡論の問題ですね。均衡によって平和が維持されるというふうな考え方、そのバランスを崩すべきじゃないということ、これも私はもうすでに戦後の歴史の中でいわゆる破産した考え方ではないか、極端に強く言えばですね。いわゆる現実に当初広島や長崎に原爆が落とされたときには、二発か三発の原爆しかなかった。これが一九五二年には千発になって、一九六〇年には一万発になっている。今日では五万から六万発の核兵器があるんですね。そしてこれは人類を五十回から六十回殺してもなお余りある原爆であるという。人類がこの間いろいろな問題をやってきた。均衡論だあるいは抑止力だということが、現実にはいわゆる核の軍拡の道だった。いろいろな努力があったけれども、そうはならなかった。  だから、問題の考え方というのは、いわゆるそういうバランス論というのはまさに相手より優位を自分が感じなければそれで満足しないわけですから、常に自己が優位に立とうとする。今回の米ソ交渉なんか見ても、それはアメリカにしてみれば結局中距離核ミサイルがヨーロッパではバランスがとれていない、これ自体問題がありますけれども、だから配備が必要だ、配備するとなると今度ソ連側はそれに対抗措置をしますよと——これは軍拡の道なんですよ。これはバランス論を基礎にしているからそういうことになっていく。同時にそれならば、バランスが保たれたからいままで戦争がない時代があったのか、バランスが保たれなかったときには必ず戦争の道になったのか。これは歴史の事実は違うんですね。そういうことから考えてみて、私はバランス論というのはおかしいんではないかというふうに率直にぶっつけたいわけです。  それと同時にもう一つは、いま安保を変える必要はない、短い期間ではとおっしゃったけれども、非核三原則に対しての見直しだとか、集団自衛権の問題の見直しだとか、これは私は大変物騒なお考えではないかと思うんですけれども、その点あわせてお伺いしておきます。
  28. 漆山成美

    参考人漆山成美君) バランスというのはかえって軍拡の道だ、危険な道だというふうな御指摘だと思いますが、いままでの第二次大戦後の状況で考えてまいりますと、先ほど申し上げましたように七〇年代というのはアメリカは実質的に軍縮の路線をとっているわけであります。先ほどの数字が全然間違いだと言われればそれっきりでございますが、一応軍縮局の数字を見ますと、アメリカは大体千二百億ドルから八百億ドルぐらいまで下げておるわけです。その間にソ連は八百億ドルから千二百億ドルぐらいに逆に上げているわけであります。これをそういう長期的な傾向を放置しておいた場合にどういう事態が出るかということがやはりアメリカ危機感であったろうと思うのであります。それはある意味では対抗する以外に選択の道がなかったということだろうと思うのです。  二番目に、じゃそういうことをやっていけばお互いにシーソーゲームでだんだん大きくなってしまうではないかという御指摘だろうと思いますが、私は先ほど申し上げましたように、軍縮ということに対して否定的な見解を持っておりません。持っておりませんが、軍縮については幾つかの条件がある、つまりここでもバランスであります。たとえば日本だけが非核になるけれども、ウラジオストクその他シベリアにSS20その他があった場合にこれをどうするか、そういう場合にそれをなくするためにはどういうふうなわれわれは交渉力を持つ必要があるのかという問題がございます。それからいわゆるオープンソサエティーの方向とクローズドソサエテイーの問題がございます。  ただ、そういうことを詰めていきますと、急速には回答は出ませんけれども、やはり軍縮の交渉力というものにわれわれは思いをいたさざるを得ないのじゃないかというふうに考えるわけであります。その交渉力を何で持つかということが重要な問題であろうと私は思っております。時間がありませんので、この程度にさしていただきます。
  29. 柳澤錬造

    ○柳澤錬造君 佐伯先生、漆山先生にそれぞれ貴重な御意見をお聞かせいただきましたことを感謝申し上げます。時間がございませんので、簡潔に二、三の点をお聞きしてまいりたいと思います。  最初に漆山先生にお聞きをするんですが、歴代日本の政府の総理が施政方針演説の中で、他国に脅威を与えるような軍備は持たないという発言があるわけであります。私が聞きたいのは、脅威を感じるかどうかは相手の国の主観の問題なんです。それを日本の国が他国に脅威を与えないという、そういう判断をどこからするんでしょうかと言って聞いたこともあるんですが、明確な答弁がない。それから、脅威を与えないような軍備ならば私は持たない方がいいと思うんです。戦争する、しないじゃなくって、やはり日本の国を守るということになったならば、そういう他の国がうっかり日本の国に手を出したらやけどをするぞ、大変だぞというものを感じるような状態でなければならないのだと思うんですけれども、その辺について漆山先生の御意見をお聞きしたい。
  30. 漆山成美

    参考人漆山成美君) 私は、具体的な兵器の種類についての知識は持ち合わせておりませんので、たとえばどういう兵器なら脅威を与え、どういう兵器なら脅威を与えないかということの兵器的な問題は申し上げることはできませんけれども、御指摘のように、日本に侵略があった場合には大変なことに相手がなるぞと、そういう意思をこちらが持っている、能力を持っているということは、やはり重要なことだと思っております。先ほど申し上げましたように、ユーゴスラビアというのがああいうふうにソ連離れをして、なおかつソ連が軍事的に対応できないのは、ユーゴスラビアの防衛意思の強さと私は関連していると思います。だから、軍事力を持てばすぐ戦争になるんだという意見には私はどうも納得できないところがございまして、軍事力を持っているがゆえに平和というものを維持することができるんだという考え方を私はとりたいと思っております。
  31. 柳澤錬造

    ○柳澤錬造君 じゃ次に佐伯先生にお聞きしたいんですが、これももう大分前に福田総理のときにASEANに行きまして、日本経済大国にはなっても軍事大国にはならない。大変好感を持たれて、それから歴代の総理がみんなこの言葉を使うわけなんです。このことも私がお聞きをしたいのは、経済大国になっても軍事大国にならないと、そういうふうな国家とはどんなもので、そんな国家があるのかどうかということなんですね。そういうことで成り立つならば、じゃ農業大国だとか文化大国だとかという言葉も出てくるんであって、国家というものは私はそんなものじゃないと思うのですけれども、その辺を簡潔にお聞かせいただきたいと思うんです。
  32. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 結局これは、日米安保条約によって日本と結びつけられておるアメリカがどういうふうに考えるかということと非常に関係があると思うのです。だから、もしアメリカ日本経済大国になったんだから軍事大国でなければアメリカ同盟国に値しないという考え方を仮に持つとしますと、日本経済大国であって軍事大国を目指さないという考え方は成り立たないだろうと思うのですね。さっき申し上げましたように、現在の日本というのは、アメリカとの同盟体制アメリカとの防衛上の協力体制憲法上必要としておるわけですが、同時に、集団的自衛権行使が許されない。それでもいいという前提で現在の日本アメリカ同盟関係が成立しておるわけですね。だから、日本アメリカ同盟関係が成立する限り私は、日本経済大国で軍事小国の道を進むことができると思うのです。  そこで、アメリカの目から見た場合に、日本が軍事大国を目指すのがアメリカにとって利益なのか、世界の平和にとって利益なのか、あるいはアジア太平洋地域の安全にとってプラスなのか。また、アジア諸国日本がそういう方向を目指すのがアジアにとって危険なのか危険でないのか、こういうことが考えられなければならないと思うのです。私はいまの世界情勢なりアジア情勢から考えてみて、どの国も日本経済大国で、軍事大国を目指すということを期待しておらないと思うのですね。希望しておらない。その軍事大国を目指さないことによって起こるいろんな問題については、むしろ軍事大国を目指すことによるマイナスの条件を考慮に入れた場合には、それは許容できるというふうに考えておるからこの行き方で私はやっていけるし、この行き方が成立すると思うのです。
  33. 柳澤錬造

    ○柳澤錬造君 漆山先生にもう一つ。  先ほど民主主義国家の世論ということで御見解をお述べいただいたんですが、それに関連をして、日本の国の中でいろいろこういう安全保障の問題が議論されるときに、私はそこの一番の基礎に大変な混乱があるというのが私の見方なんです。それはどういうことかと言えば、日本の一億一千万国民が、挙げてもう戦争は御免だ、戦争は反対だ、戦争は嫌いだという、そういう意思が結集されて、署名なり何なりでこの国会に持ち込まれて、衆議院も参議院も全会一致でもってそういう決議をしたとしても、それは日本人の意思がそういうものだということであって、そのことと日本の国家が戦争に巻き込まれるかどうかということとはこれは全く別の次元の問題だというふうに私は思うんです。その点が、日本の政府のいろいろの物の言い方なり国会の中の議論なり、いろいろの先生方の物の書かれる中にあってでも、その辺が非常に私は混乱をしているという見方をするんですけれども、漆山先生の御見解をお聞きしたいのです。
  34. 漆山成美

    参考人漆山成美君) 民主主義国家における世論と問題というのは非常に深刻な問題でございまして、ベトナム戦争でアメリカが失敗した最大の原因は、世論というものの造反にあったことは御承知のとおりでございます。こういうものに対してどういうふうにしたらいいのか。われわれは民主主義というものを崩壊させてはなりませんし、あるいは自由というものを崩壊させてはなりませんので、それをつぶすだけではどうにもならない。そうなれば、どうしてもそこに一種の啓蒙された世論というものを形成していく努力というものが必要だと思うのです。その啓蒙された世論をだれがつくるかということになりますと、それはまさに国会の先生方であり、政府であり、あるいは新聞社であり、私ども研究者であるというふうに私は理解しております。  それからいまの国民の方々がどういう意識を全般に持っておられるかということは、これは世論調査なんかでしばしば出てくることでありますが、むしろ安保や自衛隊を肯定していらっしゃる方の方が数字的にはだんだん多くなってきている。ただそれを明確に理論づけする努力というものが若干政府側といいますか、われわれも含めまして欠如しているのではないかと、そういうふうに考えております。
  35. 秦豊

    ○秦豊君 お二人に質問をさしていただく前に、私の基本認識を一応お聞きとめいただきたいんです。  私は総合安全保障政策なるものはまだ政策としての完熟度を有していない。いわんやわが国には精緻に練り上げられた国家戦略などはどこを探しても存在はしない、していない。こういう認識をまず持っております。したがって現在行われていることはかなり情報回路が閉鎖された上で、つまり防衛官僚、外務官僚に一方的に情報が偏した上で、野党に与えられる情報は非常に希少な中でいわゆる防衛論議なるものが行われているけれども、それは必ずしもディジタルな実態を踏まえてはいない、いわゆる訓詁の学に偏している、これが私の基本認識。  もう一つは、これは佐伯さんもかなり貢献されたと思うのですけれども、大平政権のときに、総合女全保障政策なるものに関するいわゆる民間の提言が行われ、政府はキャッチャーにすぎなかった。本来、政府の内部から熟成されたものではない。したがってその後遺症はいまに至るも貫かれている。したがって麗々しく総合安全保障関係閣僚会議なるものは機構上存在はし得ていても、そこで行われているまさに国家の基本にかかわる安全保障政策なるものについての論議のレベルはきわめて貧寒ではないかと、大きな疑念を有している一人です。  そこで質問もしなきゃいけませんので質問しますけれども、いま自衛隊生け花論というのがあります。生け花だから根はない、表面華やか、これはなぜか。ヘリテージ財団あたりの指摘を待ったり、ある年度の防衛白書の小さな自己批判の行間から読み取るまでもなく、先ほども同僚議員がお話しになりましたけれども、これはあたりまえなんです。予備隊以来ゆがんだ発生があって、現在では一次防以来桧町のいわゆる買い物調達計画としての技術論的なきわめて限定的な装備調達計画はあり得ても、それが予想されるある正面の脅威に対して、なぜ、どのような対応をというふうな深められた論議はついぞなかった。したがって、皮肉なことに、大蔵省の防衛庁担当主計官が最も手ごわいチェックポイントであって、国会が果たしてチェックポイントであり得たのかどうかについては、厳密な吟味を経なければだれも評価はできないというのが過去の実績でしょう。  しかし、そういうことを言い出すと何時間にもなるからはしょりますけれども、佐伯さんに伺っておきたいんですけれども、佐伯さんの展開された総合安全保障概論ですね。これは一%論以外は大してきゅっとなるべきことでもないと思うんですがね。ただ一つ、私の聞き違いでなくんば、なすべきことの個条を列挙された中に、何番目かに、ソビエトの恫喝に屈しざる体制、あれは体制の整備という言葉が当然括弧の中に入っていると思うんですね。ということは、それを演繹すれば、あるいは敷衍すれば、佐伯さんの持論の中には、基盤的防衛力構想なるものは、すでに現実との乖離において破綻をしていると、所要の防衛力構想にいまや立ち返るべきだというお考えが含まれておりますか。
  36. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 二つの問題を考えないといかぬと思うのです。国際情勢との関係で言えば、基盤的防衛力という考え方を打ち出した防衛計画大綱というものと、防衛計画大綱ができた後の国際情勢というものの関連を考えてみますと、防衛計画大綱というのは現在の国際情勢にマッチするものではない。当然これは理論的に言えば計画を再検討すべきだと私は考えます。  問題は、繰り返し私が強調しておるように、防衛の問題とか安全保障の問題というのは、国民の支持がなければこれは魂が入らないわけですね。したがって、国民の支持を得ながらどうやってそういう方向へ持っていくのかということを考えなければいけないのであって、国民の支持が得られないのにそういう方向へ進んでいくということは危険である。この二つを考えながらやってもらいたいということなんです。
  37. 秦豊

    ○秦豊君 それから、さらに具体的に、たとえば防衛計画の大綱水準、それは佐伯さん御自身が言われましたように、かなりスローダウンしていますからね、六十二年であろうが六十三年であろうが私は、下方修正を余儀なくされると見ておりますけれども、仮の話ですね、防衛計画大綱水準の戦力が一応完備された場合には、拒否力としての有効性をかなり持ち得るというお考えですか。
  38. 佐伯喜一

    参考人佐伯喜一君) 防衛計画大綱の別表というのが問題なんですけれども、この別表ではたとえば航空機の数は書いてあるけれども種類は書いてないとかですね。したがって、その防衛計画大綱を大きく変えなくても相当なことができる、そういうことは私は言えると思うのです。したがって、具体的にどういう機能を自衛隊に持たせるためにどういう兵器を選択していくかということを非常に懸命に考えていけば防衛計面大綱の枠の中でも相当なことができる。しかし、それで十分かというとそうは言えないのじゃないか。  さらにシーレーンの問題なんかについても一千マイルのシーレーンのパトロールでは不十分であるけれども、完全な防衛能力を持つ必要があるのかどうかということになるとそれは必要じゃないだろう。恐らくパトロールと完全な防衛の中間ですね、中間のコントロール能力をどの程度持つかということになると、相当これは専門的に詰めて議論する必要がある問題だと思うのですね。そういう問題については専門家が十分時間をかけて検討していただければいいんじゃないかと思います。
  39. 秦豊

    ○秦豊君 まだ二分残していますから漆山さんに。  さっき中ソ対立、限定的和解以外はあり得まいと、私はその認識は共有します。ただ、私は三年ちょっと前に中国の招きで、新疆省イリ地区のホルゴス川を挟んだ中ソ国境のつまり第一線ですね、解放軍の望楼からソビエト軍の兵舎まで直距離八百メーターというところで国境を実観したときの印象を含めて申し上げると、やはり象徴的な撤兵は少なくともいま外務次官レベルで行われているチャンネルを通じてあり得るのではないか。たとえばモンゴル地区において、一線の部隊配置を二十キロ、三十キロ後退させる、イリ地区においても、あの錯綜して遊牧民が出たり入ったりしているややこしい国境線もやや中間的確定をして兵力配置を双方に引き下げるというふうな象徴的効果をねらったいわゆる段階的撤兵によって中ソ和解を誇示する、誇示した効果をモスクワと北京が分かち合うというふうなことは僕はあり得なくもないと思いますが、最後にその点だけを伺っておきたい。
  40. 漆山成美

    参考人漆山成美君) 私は限定的和解と申し上げたときにはっきり申し上げたつもりでありましたが、要するに五〇年代のような中ソ同盟が復活する、あるいはソ連の指導のもとに国際共産主義運動が一枚岩になる、そういうことはない。しかし、そこに至るまでの段階で限定的な和解というものはあり得るだろうということを申し上げたつもりであります。  なぜそういうことを申し上げたかというと、まあいろんな理由がたくさんございますけれども、一つだけここで申し上げておきますと、私の考えでは、つまり中国ソ連もお互いに相手を対米カード——アメリカに対するいろんな譲歩を引き出すためのカードに使っている節が多々ございますので、そういうカード論からすれば完全に癒着するとカードの効果がなくなるということだろうと思うのてあります。だから、ソ連に対してはアメリカのカードを使い、アメリカに対してはソ連カードを使うといういわゆる自主路線というような形をとっていくだろうと、私はそう考えているわけでございます。
  41. 植木光教

    委員長植木光教君) 以上で午前中の参考人に対する質疑は終わりました。  参考人皆様にお礼のごあいさつを申し上げます。  本日は、お忙しい中を本委員会に御出席願い、貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の本委員会調査参考にいたしたいと存じます。まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)  午後一時再開することとし、休憩いたします。    午後零時十八分休憩      ─────・─────    午後一時二分開会
  42. 植木光教

    委員長植木光教君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査特別委員会を再開いたします。  午前中に引き続き外交総合安全保障に関する調査を議題とし、総合安全保障について参考人から意見を聴取いたします。  午後は、軍事評論家藤井治夫君、軍縮問題研究家前田寿君、国際政治学者畑田重夫君、評論家青木日出雄君の御出席をいただいております。  この際、参考人皆様にごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席いただきましてありがとうございました。本日は、総合安全保障につきまして参考人皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人の方々に御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進め方といたしまして、まず最初にお一人三十分程度それぞれ御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  それでは、まず藤井参考人にお願いいたします。
  43. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 藤井でございます。  いま私たち日本国民は火薬庫の隣で暮らしている、こういうふうに申し上げてもいいような非常に危険な状況に直面しております。まさに北太平洋、東北アジア世界の火薬庫である、こういうふうにも言えるような事件が最近発生したわけであります。  今次国連総会におきまして新たに議長に就任されましたイユエカさんは、この大韓航空機撃墜事件について、一九一四年のサラエボ事件に似ていると指摘いたしまして、米ソの両超大国が非常に危険な状況にあるということを警告したわけであります。サラエボ事件は、申し上げるまでもなく、あのバルカンの渦中にあって、そしてオーストリアの皇太子がセルビアの青年に暗殺されるという、そういう事件がきっかけとなって第一次世界大戦が起きたわけであります。  今日、まさに北太平洋は世界の火薬庫である。第一次大戦の前にはバルカンがヨーロッパの火薬庫であると言われたわけであります。だが今日では北太平洋に非常に危険な状況が存在する。それはまずベーリング海域、ここではアメリカソ連がその国土を直接向き合っているわけであります。そうして六〇年代ごろからSLBM、つまり水中発射弾道弾を持つソ連の原子力潜水艦が就役したことによってこの海域をめぐる非常に激しい闘い、暗闘が展開されるに至ったわけであります。アリューシャンとカムチャッカ半島、これがまさに両者の、米ソの最前線となっているわけであります。そうしてこの米ソの暗闘は、今日ベーリング海域だけではなく、さらにオホーツク海から日本海へと進んできているわけであります。  七〇年代に入りましてソ連がデルタ級の原子力潜水艦を配備する。これに伴いまして、これに搭載されているミサイルの射程は約八千キロメートルございますから、オホーツク海からこれを米本土に向けて発射いたしましても、西海岸全域はもちろん、内陸部のシカゴにまで到達するということになったわけであります。したがって、これを搭載する戦略原潜を追ってアメリカの側は対潜作戦を展開する。それはオホーツク海へ入り込み、そうしてさらに日本海へと及んできているわけであります。オホーツク海の制海権、さらには日本海の制海権をめぐる非常に激しい闘いが、争いが展開されているわけであります。  アメリカはベトナム戦争終結に伴いまして対ソ戦略重点、対ソ包囲網の形成ということに非常に力を入れてきているわけであります。しかも、レーガン政権が登場いたしましてからは、対ソ勝利、多発報復、そういう戦略のもとでアジアを非常に重視している。そうしてアリューシャン海域あるいは日本海、さらにはオホーツク海におきましてたびたび大規模な演習を実施しているわけであります。とりわけ、ことしに入りましてからはアメリカ国防総省が柔軟作戦というものを採用したことを明らかにし、その中核としての空母機動部隊の運用というものを日本海あるいは北太平洋でふやしているわけであります。こういう中て非常な緊張状態がこの地域において発生している。  そういう問題を背景にいたしまして大韓航空機の悲劇が起きたことを私たちは見落とすことはできないわけてあります。もちろん、この大韓航空機の領空侵犯、あるいはまたソ連機による民間航空機の撃墜の責任は追及されなければなりません。だがしかし、それと同時に、この北太平洋における緊張状態をいかにして解きほぐしていくか、このことを私たちは考えなくてはならないわけであります。火薬庫のそばで暮らしている。本当にそれはこの日本の目と鼻の先であります。問題が発生すれば一体日本はどうなるのか、このことを私たちは真剣に考えなくてはならないわけであります。だが、残念ながら日本の政府の最高責任者はこのことについて緊張を緩和する方向に問題を解決していこうとするのではなく、むしろ逆の方針をとろうとされているわけであります。この撃墜事件に際して、まさに日本を取り巻く軍事情勢は一触即発の状態にある、こういうふうに述べられたわけであります。この認識は正しいと私も思います。だが、だから防衛機能を高めていくことが政治の最大の責任である、こういうふうにおっしゃると、これはとんでもない。逆さまの方向に進むのではないか。きわめて憂慮すべき傾向であると言わざるを得ないわけであります。  加えましてこの方は、抑止力と均衡の理論ということを繰り返し国会において述べられているわけであります。抑止と均衡、これが平和を維持していく大事な要諦である、これが戦争を起こさせない大事な要諦である、こういうふうに彼は繰り返し述べられているわけであります。果たしてそうであるのかどうか。均衡論、バランス・オブ・パワー、あるいは抑止の論理、こういうものが本当に平和につながるものであるのかどうか。これは私どもは本当にまじめに、冷静に、科学的に検討しなくてはならないわけであります。  そうして結論として申し上げますと、この均衡論、あるいは抑止論というのは全く時代おくれであるばかりではなく、きわめて危険なものである。それは国民の安全を、あるいはまた人類の安全を損なうものである、こういうふうに申し上げざるを得ないわけであります。  なぜそうであるのか。バランス・オブ・パワーというのは、今日までそれによって平和が守られたというためしを持たないわけであります。十八世紀以来、ヨーロッパでこの勢力均衡論が幅をきかせましたが、しかし結果として起きたのは何であったか、軍備の拡充と戦争であります。これが歴史の教訓であります。なぜそうなるのか。軍事力バランスというのは定量的には、はかりがたいものであるからであります。量的に測定する、こういうことはできないわけであります。できないものをしようとする、ここに無理がございます。軍事力と申しますのは、いろんな要因というものがございます。物的戦力、人的戦力、潜在戦力、そうしてそれらの戦力の大成、さらに地理的な条件、さらにそういう戦力を運用する戦略能力、こういうものをトータルに見なくちゃ戦力は評価できません。そんなことは可能であるのかどうか。  さらに戦力というものはいろんな分野に分かれているわけであります。陸、海、空、こういうふうに分かれている。あるいは戦略戦力、戦城戦力、戦術戦力、こういう問題もあるわけであります。戦略戦力につきまして言いますと、ICBMもあればSLBMもある、あるいは戦略爆撃機もあるわけであります。こういうものをトータルでどういうふうにして分析するのか。非常にむずかしい。全く困難である。しかも、それに加えまして、この戦力の分析にはどうしてもやはり心理的な要因がつきまとうわけであります。相手の戦力はどうしても大きく見える。こういうふうな要素がございますので、相手はいつも大きい。だからこちらは足りない。だからふやさなくてはならない。そしてこちらがふやせば、また相手もふやす。こういうことでパワーバランスというのが、非常な悪循環を結果としてもたらすということになる。絶えずある分野、ある地点におきましては一方が優位である。他方が劣位である。劣位を回復する、そして優位を獲得する、この絶えざる悪循環が戦争を招いてきたわけであります。バランス論というのは、決して平和を確保するための論理ではないわけであります。  加えまして、抑止論というのが戦後登場してきたわけであります。この抑止論というのはバランス論よりもまだまだもっともっと危険なものである、こういうふうに申し上げざるを得ないわけであります。バランス論というのが劣位の回復から優位の確保へとこういう循環的な軍拡運動を招いたといたしますと、この抑止論というのは優位の固定化をねらうものだと、こういうふうに特徴づけることができると思います。抑止力とは相手の攻撃力を上回る反撃力を持つことである。その大きな反撃力によって相手をおどかして、そして相手が攻撃を加えてくるのを抑えつける。おどかしで抑えつけるというのが簡単に申し上げますと抑止の論理であります。  したがって、それはどうしても軍事力の優位を確保するということにならざるを得ないわけであります。だから単なるバランス論よりも、抑止論が採用されました戦後において軍備の拡充というものが恐ろしいテンポで進んできたわけてあります。第二次大戦前とその以後比較いたしまして本当に常備軍の戦力というのは恐ろしいほど蓄積されてきているわけであります。とりわけそれは核軍備において顕著であります。核軍拡がどんなに恐ろしいスピードで進展し、今日どのような状況にあるか、これは改めて申し上げるまでもないと思いますが、そういう状態を招いたものがまさに抑止論であります。  なぜそういうことになってきたのか。これは核が持つ魔力にとらわれたとしか言いようがないわけであります。究極兵器としての核兵器、しかもそれが大陸間を飛翔するミサイルと結合した、まさにこれは最強の兵器であります。そのような兵器があらわれたがゆえにもう戦争は終わりなのか、軍拡は終わりになるのかと思われましたが、そうではない。むしろ逆の傾向が出てきているわけであります。そうして米ソはともに軍拡を進めていく。その結果としてどういう状況が起きたかと申しますと、核兵器を持てば持つほどその持っている国の国民の安全が脅かされるという状態が生じているわけであります。核抑止力というのはふえればふえるほどそれを持っている国民の被害がふえるわけであります。全国土に基地を設定しますと、相手の核ミサイルが全国土に飛んでくる、こういう矛盾が生じてきた。まさにそのようにしていまや核抑止力論は破綻に直面しているわけであります。  そうして同時に、この核抑止力に守られているいわゆる核の傘を差しかけられているという同盟国、この核の傘の矛盾がはっきり出てきているわけであります。だからこの矛盾を取りつくろうために核の拡散が始まる、あるいは核兵器の持ち込みが進む、こういう事態がいままさに強まっているわけであります。ヨーロッパに核兵器が持ち込まれるあるいはまた西太平洋にもカールビンソン、トマホーク、ニュージャージー、いろんなものが現にやってきているわけであります。  そうして、さらにもう一つ、核抑止力がふえるに伴いまして核戦争を戦って勝つという戦略が登場してきた。戦争を抑えると言っていたのが戦争を戦って勝てるような体制をつくる、こういうふうになってきているわけであります。使わないはずの核兵器が使える核兵器になり、戦わないはずの核戦争に勝てるということを考え始める。軍事力というのはすべてそうであり、核兵器についても例外ではなかったことがいま証明されつつあるわけであります。  そういう状況の中で均衡と抑止というものを日本防衛政策の基軸に据えていいものかどうか。もちろん、そんなことがなされてはならないわけであります。だが残念ながら去る八日二十六日に発表されました防衛庁の防衛白書は、まさにこの均衡と抑止の論理によって貫かれていると言っていいわけであります。そして、今日まで日本防衛政策において、日米安保や自衛隊を抑止力として規定したことはなかったわけでありますが、中曽根内閣の登場によってこのことがはっきり防衛白書にうたわれるようになったわけであります。日米女保体制の抑止効果の維持向上、こういう言葉防衛白書に出てきているわけであります。抑止効果、これは日米共同演習について触れたところで出てくるわけでありますが、日米共同演習というものが抑止効果を持つ、おどかしの効果を持つ、こういうふうに読み取ることができるような白書になっているわけであります。  さらに、この抑止力というのは何よりも核抑止力でありますから、日本に対する核持ち込みというものが具体的に公然と行われる、こういう状況がやってきております。防衛白書は、日米安全保障条約に基づく米国の核抑止力を含む軍事力の存在ということを初めて明記したわけであります。安保条約に基づいてアメリカの核抑止力が存在している。どこに存在しているか、それは日本であります。日本に核抑止力が存在している、このことをはっきり防衛白書が書きましたのは今回が初めてであります。  さらに、問題はそれだけではございません。海峡封鎖の問題がございます。また、シーレーン防衛の問題がございます。この問題につきましても中曽根内閣の防衛政策は大きく従来とは異なったものになってきております。シーレーン防衛につきまして防衛白書は、まず日米共同対処による、このことをはっきり打ち出しました。海峡封鎖をやる、機雷を入れる、機雷敷設をやる、このことも明示したわけてあります。さらに、アメリカの機動打撃力を有する任務部隊の使用、これも含んでシーレーン防衛をやるということを今回の白書で初めて明らかにしたわけであります。アメリカの機動打撃力を有する任務部隊、つまり空母機動部隊を使う。これは一体どこで使うのか。言うまでもなくそれは相手の基地に対してである、こういうふうに考えることができるわけであります。敵の基地を攻撃する、ここまでシーレーン防衛の問題が発展してきたのがはっきりと今回の防衛白書で示されたわけであります。  シーレーン防衛というのは鈴木総理がアメリカで約束をされたわけでありますが、それは八一年。ことしの一月には、中曽根総理が海峡封鎖をやる、こういう公約をなさいました。そして、八月の白書ではここまできたわけであります。まさにこれは軍事の法則に従って発展してきたものである、こういうふうに申し上げることができるわけであります。  つまり東京からグアム島の方向へ、大阪からフィリピンの方向へ、この長い長いシーレーンを守るよりは海峡を封鎖すればいいわけであります。海峡を封鎖すればソ連海軍は出てこれない。出てこれないようにすれば何も長い長いシーレーンを守る必要はない。いや、それよりも、海峡を封鎖するよりも敵の艦隊そのものを撃滅しろ、撃滅してしまえば問題はすべて解決するわけであります。軍事的な合理性から言えばそうであります。敵の基地、敵の戦力を壊滅させてしまえば問題はすべて解決するわけであります。そういう考え方に立っているのは、ほかならぬアメリカ海軍であります。  アメリカ海軍の作戦部長へイワードさんは、七九年二月に、ソ連海軍を迅速に破壊することは太平洋の制海権を確保する最も経済的かつ効果的な措置である。さらに、ソ連に対して、その極東に対する兵力投入の脅威を与える等々のことがアメリカ海軍の太平洋戦略である、こういうふうに述べておられるわけであります。敵海軍を撃滅すればいい、まさにその戦略を日本アメリカとともにすることになったのではないのか、恐ろしいまでの状態になってきている。  かつて、第二次大戦において日本海軍は真珠湾を攻撃した。シーレーンを守ったり細々したことをやるよりも、敵海軍の根拠地を襲う、これをやっつけてしまえば問題は簡単であります。けりがつくわけであります。だが、真珠湾を攻撃してけりがついたか、つかなかったわけであります。そのお返しは東京に来ました。大阪にも来ました。また、広島にも長崎にも来たわけであります。一体どうするのか、相手を全部やっつけなくちゃならない、アメリカ本土を攻撃できなかったからあの戦争は負けたのである、こういうふうになっていきはしないのか。ここに軍事が独走していく危険な姿というのがあらわれていると思います。しかも、その方向に進んでいくために、私は非常に不正確な、あるいはまた意図的につくり上げられた状況分析というものがまかり通っている、このことをいつも防衛白書を読んで感じるわけであります。  たとえば、ことしの防衛白書は、「このまま放置すれば東西間の軍事バランスは、東側優位に傾くすう勢にある。」、こういうふうに断定しております。あるいはまた、ICBM、SLBMの発射基数においてソ連は米国を凌駕するに至った、こういう記述もあるわけであります。ICBM、SLBMの発射基数、ソ連アメリカよりも多い、これは紛れもない事実でありますが、先ほども申しましたように、軍事力の分析においては自分の都合のいいことだけを取り上げてやる、これでは正確な結論に到達することはできないわけであります。ソ連のICBMとはどういうものなのか、そしてそういう戦力それ自体についてだけではなくて、その質的な面を加えて評価することも必要ですが、それだけではなく、いろんな戦略体制というものを考えなくちゃならない。対潜作戦のことも考慮しなくちゃならない、基地の問題、前進基地の問題も考えなくちゃならない。結論として言えば、米ソの戦略核兵器は余りにも多過ぎる、この現実があるわけであります。そうして、そういう状況が何もソ連の核兵器がわれわれにとって脅威であるだけではなく、米ソの核兵器が脅威なのである、こういうふうに言っていいわけであります。  さらに通常軍、極東ソ連軍の脅威、こういうことを強調しているわけでありますが、そういう脅威を強調するのに都合のいい事実だけを拾い出す、データだけを拾い出す、都合の悪いデータはどんどんカットしていっている。たとえば、ソ連極東海軍の艦艇別、艦種別の比較分析あるいは地上軍、その充足率、一体どうなっているのか、こういうことは比較的信頼できるデータがあるにもかかわらず、白書は一切取り上げていないわけであります。こういうふうにして非常に意図的に加工された形でソ連脅威があおり立てられている。これは軍事分析として見ますならばきわめて不当なものである。そして、そのような手段の不当性というものが目的に対する疑念を呼び起こす、私はこのように思うわけであります。  私たちはソ連に対していかなる態度、政策をとるべきなのか。ソ連がきわめて軍事的防衛について偏重し、そして国境防衛というものを絶対視している。万一のことがあってはならない、万全の守りを固める、その結果として今回のような撃墜事件のようなことが起きたわけでもありますし、またそういう政策がいろんな問題を引き起こしてきている、このことを決して見落とすつもりはございませんが、しかし、それに対してわれわれが軍事的な対応だけを、軍事的対決だけをやっている、こういうことになりますと、むしろ逆効果である。  かつて、大平内閣までの防衛白書に示された政策を見てみますと、日本は「体制を異にする諸国とも対話と交流を着実に進め、世界のすべての国との友好協力関係を増進することにより、わが国の安全と繁栄を確保してきた。」、こういうふうな記述が、これは七八年の防衛白書ですが、ございます。そういう方向でソ連とも交流と対話を進めていく、ソ連国民との相互理解を深めていく、こういうふうにしていく以外に安全を確保することはできない。対ソ包囲網の強化や軍事的対決の方向はますます緊張を強め、危険を強めていくことになる。私どもはそういう点からいたしまして、対ソ政策についても冷静にこの際再検討すべきではないのか。韓国機の撃墜事件を通じて、防衛機能を高めていく、こういうふうな結論を導き出すというのは、全く安全保障とは逆さまの方向に日本を引きずっていくということになる、こういうふうに私は考えるわけであります。  しからば、安全保障の方向というものをどこに見出していけばいいのか。やはり何よりも大事なのは日本国民の安全を守るということであり、そのためには軍事的指向に偏向してはならないということであります。残念ながら今日まではなかなかそうはならない。軍事的指向に偏向したこの防衛論が横行しているのが現実であります。ユニホームの皆さんは防衛の任務を与えられております。その任務に忠実であり、その任務を全うしたいと考えている。彼らはできないとは言わないわけであります。言えないわけであります。軍事的防衛は不可能である、こんなことはこんりんざい言うわけにはいかない。だからできる、できる、やるためにはこうしなきゃならない、その条件を出してくるわけであります。防衛力増強が必要である、国家総動員が必要である、国民の皆さんも一緒にやってください、こういうことになっていくわけでありますが、しかし、私どもやはり冷静に事態を観察しなきゃならない。アメリカに戦いを挑むようなああいう不合理な結論をユニホームが下すのを避けなくちゃならないわけてあります。これをコントロールするのは国民であり、何よりも国会であります。  防衛白書には幾ら読んでも日本の脆弱性について触れておりません。かつて国防会議の事務局長をなさいました久保卓也さんが、日本は戦争にたえられないと喝破されたわけてあります。これは名言であります。日本は戦争はできないわけであります。日本の地理的条件、経済的条件、社会的条件、どこを考えたって日本は戦争にたえられない、戦争になればおしまいである、お手上げである。これは久保さんがおっしゃるように真実である。この条件の上に立って一体どうするのかということを考えなくちゃならない。まさに、その方向を示すものが総合安全保障と言われているものである。この中身につきましては、それぞれの立場でいろんな考え方の違いがあらわれておりますけれども、しかし、いまや軍事力の価値が非常に低下してきた、ある場合にはそれは危険である、こういう認識において一致しておりますし、また日本の安全、国民の安全にとっての脅威は多様化してきた、こういうことについても認識は一致するわけであります。  とするならば、それに対応する手段政策も多様なものでなくてはならない。この点も合意が成立するはずであります。そうして、非軍事的手段、この比重を高めていかなくてはならない。その政策を、非軍事的手段による安全保障政策を開発していかなくてはならない。この点についても合意があると思います。私は、そういう点について十分な研究と検討を加え、そうしてそういう方向で本当に日本国民の安全を守る、さらには人類の生存を確保するような安全保障政策を開発していくべきであり、その主体になるのはあくまでもシビリアン、国民、とりわけ国会である。そういう意味でこの総合安全保障の問題を取り上げることが大切ではないか、こういうふうに考えているわけであります。  どうもありがとうございました。
  44. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、前田参考人にお願いいたします。
  45. 前田寿

    参考人前田寿君) 前田でございます。  私は、午前の開会から傍聴席で聞いておりましていろいろ伺いましたので、なるべくすでに述べられましたことと重複しないように心がけたいと思います。それで、専門との関係もありまして、軍縮政策中心としましてお話をしたい、意見を述べてみたいと思います。ただし、初めにお断りしておきますが、私が申し上げる軍縮というのはきわめて広い意味軍縮でありまして、軍縮及びそれに至る措置というような意味合いでありまして、むしろその後の方に重点が置かれることになるかと思います。  国家の安全保障というのは本来総合的なものでありまして、わざわざ総合というのをつける必要もないかと思いますけれども、これは従来日本安全保障政策が総合的でなかったがために、総合安全保障ということが数年前から特に重視されるようになったのだというように思います。しかし、この総合安全保障に実体を持たせるためには、いろんな機構づくり、つまり国家総合安全保障会議とか、その下部研究機関であるとか、そういうものを整備する必要もあるかと思いますけれども、それよりも何よりも、まず国民とそれから国家の指導者がみずからこの問題に深い関心を持つということが大事かと思います。そこで、そういう観点から日ごろ考えておりますこと、つまり外交防衛と深い関係を持つ広義の軍縮政策中心に、政策の総合性の重要さというものに触れてみたいと思います。  日本の安全を保障するためには、外交政策防衛政策経済政策、その他多くの関係する政策の有機的な連携というものが必要でありますけれども、それを言いかえますと、外交政策などそれぞれの政策を他の政策から切り離して、孤立して考えるべきではないということにもなるかと思います。  たとえば、広義の軍縮政策をとってみますと、それはまずもって外交政策の一部でありますけれども、同時に防衛政策の重要な要素でありますし、さらに経済政策とも深い関連を持っているわけであります。つまり、どれか一つ政策を突っ込んで検討していくならば、おのずからそれは総合的にならざるを得ないというように考えます。  それから、核時代軍縮問題といいますのは、第二次大戦以前の軍縮問題とは性格をかなり異にしているわけであります。つまり、単に国家の軍備を縮小するというようなことだけではなくて、広く平和維持のためのもろもろの手段を含んでいるわけであります。それは、各国の意思疎通の措置、そういうものから最終的には世界各国の軍備全廃というような問題まで交渉において取り上げられているわけです。言うまでもなく、一たん核戦争が起これば人類は一蓮托生であるということでありまして、そういうことのために広義の軍縮問題というのは大国だけの問題ではなくて、中小諸国も含むところのすべての国家の安全保障の重要な一環になっていると言えるかと思います。こういうことから、一般に軍縮問題というのはどうも複雑でむずかしいということになっております。確かに核兵器に関しましては、MIRVだとか、それからCEPとかあるいは化学兵器につきましてはバイナリーウエポンとかいうようなことが言われます。MIRVは御存じのとおり別の目標に飛ぶところの核弾頭でありますし、CEPは半数必中界などと言われます。バイナリーウエポンは二つの化学物質を含んでいて、発射する前には弱い毒性しか持っておりませんけれども、発射されますとそれが合体して死に至る強烈な神経ガスを発すると、こういうようなものが盛んに出てまいりますので技術的にむずかしいと言われます。これは確かに否定できない問題であります。  それから、軍縮問題を推進するためには外交防衛政治経済、科学技術、社会、文化、宗教に至りますまで、そういう人たちの協力がなければ本当はなかなか推進できないものであります。しかしながら、これを裏返して考えてみますと、軍縮問題専門家というのは、実は世の中に存在しないというようにも言えるかと思うのです。つまり歴史だとか物理の専門家で軍縮問題を勉強している方はいらっしゃるかと思いますけれども、それは軍縮問題の中の一部を研究しておられるのにすぎないというように考えます。したがって、軍縮政策の形成は専門家に任せておけばいいと、むずかしいから専門家に任せておけということにはならないと思うわけてあります。実は、軍縮に関する中心的な構想というのは比較的単純なものでありまして、その発想は必ずしもいわゆる専門家、内容的には政治家とか行政官とか学者とか軍人とか、そういう直接関係する人たちでなくとも、つまりどんな職業の人でもそれは可能ではなかろうかというように思うわけです。つまり、みんなの知恵を結集しまして、それを分析し活用して日本軍縮政策のあり方を見詰めていくべきであるというのが私の意見であります。しかしながら、日本にはそういう慣習が従来ございません。特に政府が一般国民の知恵を吸い上げるというようなポンプもパイプもないというのが非常に大きな欠点であろうかと思います。  これに関連しまして、私は一つの風味あるアメリカの例を思い出すわけでありますが、一九六三年の六月に米ソ両国政府間に直通通信線、いわゆるホットラインというのができました。ホットというのは熱いじゃなくて、いつも通じているという意味でありますから、いつでも使えるというホットラインができたわけてあります。これに関連しまして、いろんな話題があるのですけれども、アメリカの週刊新聞のパレードという新聞の編集長ジェス・ゴーキンという方の活動に大変興味を持ったわけてあります。一九六〇年の三月二十日に、このゴーキン氏は自分の新聞のトップ記事として偶発戦争に関する公開状というのを書きました。その中でホワイトハウスとクレムリンを結ぶ直通電話線を引けというように提案したのであります。記事を書いただけではもちろん実現しないわけで、一九六二年中にケネディ、ニクソン両大統領候補、ちょうど大統領選挙のさなかでありましたが、その二人に会見しまして、ケネディの方は賛成をして、ニクソンは考慮するというように答えたのでありますが、その上にたまたま訪米しましたフルシチョフソ連首相にも強引に会談したのであります。強引にといいますのは、フルシチョフさんを歓迎するパーティーがニューヨークでありまして、その招待者はパグウオッシュ会議などのスポンサーになったアメリカの実業家でありますが、その人を知っていたために、招かれもしていないのに会場へ入って行きまして入り口へ入ったところに立っていたフルシチョフさんをつかまえて自分の持論、後にホットラインとなりました電話線のことを売り込んだわけであります。KK時代がやってきまして、つまりジェス・ゴーキンさんの意見に両方とも賛成な二人が米ソの首脳になったわけですけれども、なかなかこの構想は実現しなかったわけです。そこで、ゴーキンさんは再びケネディ大統領に会見しますし、それからフルシチョフ首相には電報を打ちまして、そうこうするうちにキューバ事件が起こりましてホットラインの構想がアメリカ軍縮提案の中に組み入れられるということになったわけです。  これは事件のときに民間の商業通信を使ったために非常に多くの時間がかかり、後で打った電報が先につくというようなことで、かなり両政府とも難渋をしたわけででき上がったわけであります。結局ゴーキンさんの電話方式をやめて、テレフリンター方式になったわけですが、これは電話ですと即断をする危険があるなどという理由があったからだと思います。後に、六三年のたしか秋でしたか、ゴーキンさんはケネディ大統領から感謝状をもらいまして、うれしそうに私に見せてくれたことがあります。  長くなりましたが、これは要するに普通の国民が知恵を出して、そして大国間の大切な意思疎通を図るために貢献した一例であります。  次に、簡単に日本政府のとりました軍縮政策の反省について述べてみたいと思います。  日本の場合すでにちょっと触れましたように、政策形成への国民的参加とか、あるいは諸政策の総合的検討といった点に一般的な欠陥がありまして、これが軍縮政策の確立にも影響していると思います。第二次大戦後日本政府は、基本的に防衛アメリカにゆだねるということがありまして、国際政治においては日本立場は一般的に対米依存の政策となりまして、アメリカの意向に反する行動をとりにくいというような事情をもたらしたように見えます。したがいまして、軍縮政策につきましても、西側の一員という立場を原則としておりましたから、もともと自主的な日本軍縮政策というものは少なかったわけであります。  それにしましても、これまでの経過で全く反省の必要がないかといいますと、そういうわけではないと思います。たとえば、核兵器実験禁止問題、これにつきましては初め、一九五四年のビキニ事件の後、日本の外務大臣は国会で、アメリカの水爆実験に協力するのは当然であるというようにお述べになりました。それから、日本政府は一九五七年に国連総会で核実験の継続を妨げないところの核実験登録制というのを提案したのであります。それから、アメリカ政策が変わりましたので、それに合わせまして一九六二年の国連総会で部分的核実験停止というのを支持し始めたのであります。それから、一九六三年の部分的核兵器実験禁止条約、これができました後、日本はようやく全面的核実験禁止というのを主張するようになったのであります。  その間、一九五七年の日本の提案、およそ一年間の暫定的実験停止という内容の決議案につきまして、当時の日本の首相から米ソ英三大国の首脳に賛同を呼びかけたわけですが、これに対しましてソ連の首相から返事が来まして、核兵器実験についての取り決めとその他の軍縮問題の取り決めとが無関係に実現されるべきであるとする点でソ連日本との間に見解の一致を見たのは満足であるというように肯定的な返書が来たわけてあります。そうしますと、この返書に接した日本の首相は曲解であると言って大変あわてたのであります。  確かにソ連首相の返書は日本の決議案の文面の不明確なところを突いて、そしてソ連の主張に近いように勝手に解釈したという点は確かにあったのであります。それにしましても日本案も、ともかくまず核実験の停止を、ということを主張していたわけてありまして、その点ではソ連の基本方針と相通じていたというように思います。ですから、日本政府はそのとき何もあわてる必要はないのでありまして、日ソ両国の主張の一致点と不一致点を明確にして、そうして真剣に核実験の禁止に向かって役立てればよかったというのがその当時からの私の感想であります。  ところが、曲解であると言ってあわてたために、しかもそれが世界に向かって報道されましたために、結果として、唯一の原爆被災国日本が果たして核実験禁止を望んでいるのかどうかという疑問を世界の人々に持たせてしまったのであります。日本政府はその後、核実験禁止問題でも、それから核兵器拡散防止の諸措置でも多くの貢献をしてまいりました。それは評価しなければならないと思います。しかしながら、総合安全保障の一環としての軍縮政策、こういう観点から見てみますと、いまもって活発であるとは決して言えないと思います。  このところ日本軍縮問題といいますと、INFの米ソ交渉でソ連のSS20が削減された場合、それがソ連ヨーロッパ部からアジア部へ移されるかもしれないということが焦点になっているようであります。これは確かに重要な問題でありますが、果たして日本にとっての軍縮問題の唯一最大の課題であるか、問題があると思います。これは先ほど藤井さんからちょっとお触れになったことと関連があるかと思います。もしそのように考えているとしますと、やはり日本軍縮政策は行き当たりばったりであるという感じを持つのであります。  INFは非常に多くの種類の核兵器送達手段の中の一部でありますし、それからSS20に対しましては、そのほかの国、ソ連以外の国のINFも現在存在し、または計画されているわけであります。それから、SS20というのは中距離核戦力ですけれども、これはICBM、大陸間弾道ミサイルにも改造できるわけですし、それから長いICBMはまたINFとしても使用できるわけであります。要するに危険なのはSS20だけではないということであります。ソ連アジア部のSS20だけなくなれば北東アジアは安定するというわけではないということであります。ですから、日本としましては、世界規模とそれから特に北東アジアという地域規模における核戦力とそれから在来型戦力を総合的に検討しまして、軍備規制の一つとしての核戦力規制、その中のSS20の問題というのを考えるべきではないかというのが私の意見であります。  最後に、北東アジアの平和とそれからいわゆる軍備規制措置に関しまして若干具体的に述べてみたいと思います。  軍縮問題といいますのは、国際関係全般の一つの縮図であるかと思います。ですから、軍縮というのは、それが実質的であればあるほど、ほかの国際関係から切り離して独自に解決するということがむずかしいものであります。これは古い例を見てみましても、十八世紀あたりからヨーロッパの平和と安定のためにいろんな思想家などが平和計画を出しておりますが、これも、軍縮を単独で実現しようとしているのではなくて、総合的な平和計画の中の一環として軍縮を実施しようとしていたわけであります。それから、こういう実現しなかった平和プランだけではなくて、実現しました一九二二年のワシントン海軍軍備制限条約、これを見ましても、それは中国に関する九カ国条約とか、あるいはアジア・太平洋に関する四カ国条約といったような、当時の国際緊張緩和あるいは国際安全保障措置の一環として達成されたものであります。つまり、軍縮問題といいますときわめて特殊なようにとれますけれども、これは要するに平和問題であるという一つの結論になろうかと思います。  そこで、私はこれまで軍縮軍縮と申し上げまして、多分にその定義が不明確で、朝の論議を聞いておりましても、軍縮とおっしゃっているものの中に軍拡ではないかと思われるようなものもあったわけでありますが、私は、それで広範多岐にわたる核時代軍縮問題というのを軍縮とその準備的措置というような概念でとらえているわけであります、軍縮とその準備的措置。それは国際緊張の緩和とか信頼醸成などの環境づくりに始まりまして、次第に軍備の規制から縮小の方向へ導いていくように努力するというのが基本的な考え方であります。これは、いますぐ大幅な軍縮を実現するというのは無理であるという考えが基本的にあるからであります。したがいまして、日本としましては世界的な軍縮に気を配ることも必要ですけれども、まずもって北東アジアにおける軍縮とその準備的措置というものを重視して、そして、その総合的な政策研究を行うべきであると。これをこの委員会でぜひ取り上げていただければありがたいというように考えているのであります。  これに関連しまして、戦後の軍縮交渉を振り返ってみますと、その特徴は、まず米ソ本位である。それから戦略核兵器の重視であり、またヨーロッパ中心であったわけであります。御存じのように、ヨーロッパは北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構の対峙という大きな特色がありまして、すでにこれまで政治的・軍事的安定のための制度化に向けて努力が続けられてまいりました。西ドイツの東方外交、それから全ヨーロッパ安全保障協力会議、中部ヨーロッパ兵力削減交渉、それから米ソ間の中距離核兵器制限交渉、それから戦略核兵器削減交渉などがそれであります。で、そうした努力が大きな成果を上げたとは言えませんけれども、少なくともその話し合いそのものは東西関係の悪化防止に役立ってきたと思います。それからまた幾つかの協定もできているわけであります。  ところが、アジアではそうした措置、話し合いというのはまだ手つかずの状態にあるわけです。それから、アジアは地理的にも政治的にも軍事的にもその形や構造がヨーロッパとは全く違うので、ヨーロッパ方式はとれないということをまずもって考えねばならないかと思います。朝鮮半島ではまだ形式的には休戦状態が続いているわけですし、インドシナ半島は不安定であり、中ソ関係アジアの他の部分にも影響を及ぼしているわけであります。したがって、そのような地域政治的安定ということがまず軍縮より先に考えられねばならないわけですが、いずれにしましても、アジアで私の言う軍縮とその準備的措置を考えますときには、アジアのそれぞれの地域あるいは地区の特徴に合わせた独特の方式を考えなければならない。ヨーロッパ方式はだめだということであります。  北東アジアというように申しますと関係国の数は少ないわけであります。大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、日本、中華人民共和国、それからモンゴル人民共和国、ソビエト連邦、アメリカ合衆国といったように少数でありますけれども、政治的・軍事的観点からしますと、実にそれは世界的に重要な地域であると思います。これは北東アジア以外の分を含めた数字なので若干ただし書きが要るわけですけれども、この七カ国でもって世界人口の四〇%を超えるわけです。軍事支出として見ますと、世界総額の六〇%に達するという状況であります。それから、何よりも重要なのは、世界の三つの核兵器国の軍事力がこの北東アジアで相接しているという重要性であります。そこで、北東アジア軍縮とその準備的措置というものは真剣に検討されるべきである。これは日本のためだけではなく世界的にも重要な意味を持っているというように思います。  それと、北東アジアについてですけれども、平静ではありませんけれども余りひどい状態にはない。といいますのは、中東とかインドシナ半島ほどではない。それからまた、米、ソ、中という三つの大国がありますけれども、そのいずれの一カ国も軍事力でもってこの地域を制圧するというようなことは不可能だということはどの国にもわかっているかと思います。そこで、この北東アジアを全体として、あるいはまたそれを分けまして中ソ国境地帯、朝鮮半島、日本海方面、オホーツク海方面、その他幾つか考え得ると思いますが、そういう地区で、あるいは全体で、戦争や大事故が起こるのを防ぐ各種の措置を考案して、そうして関係諸国が話し合うことが大切であるかと思います。それに非常に重要なことは、軍事的措置に限らないで、関連する必要な民間の活動も対象にするということを提唱したいわけであります。  そうした努力の具体的な措置は、まず幾つかの地区・方面での国際交流の促進が始まりでありましょうが、それから関係国の艦船事故防止協定とか航空機事故防止協定、特定地区における軍用の航空機・艦船の活動の規制とか、軍事演習及び軍隊の移動の事前通告であるとか、その他の偶発戦争防止措置、それから国際兵器移転の規制などを重視すればいいかと思います。それから後に漸進的に平和の島、平和の地区というようなことを考えまして軍縮の方向を目指すというわけであります。  こういうことを申しますと、それはいかにも甘いではないか、実現不可能だというようにお考えの方がいるかもしれませんけれども、実際そういうことは全ヨーロッパ安全保障協力会議とか米ソ交渉とかでかなり実現しているのであります。たとえば、日本ではよく知られておりませんけれども、一九七二年には、公海およびその上空における事件の防止に関する米ソ間の協定というようなのもちゃんと結ばれているわけであります。こういう努力は、北東アジアにおける最近の航空機撃墜事件に対する過剰反応とは逆の考え方に立つものであります。  それで、信頼のない国と国との間で信頼醸成措置などとれるものかというような意見もあるわけですけれども、絶大な信頼関係にある国の間よりも信頼のない国の間の方が信頼醸成措置を考える意味があるというのが私の考えであります。北東アジアのほかの関係国から日本に対して、私の言うところの準備的措置に関する提案が遠からず出されてくるのではないか。そのときに、核実験禁止の場合のようにあわてないように、そういう準備をしておくということが大事かと思います。  ありがとうございました。
  46. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、畑田参考人にお願いいたします。
  47. 畑田重夫

    参考人畑田重夫君) 畑田でございます。  そもそも安全保障というのは、主権者であります国民の平和と安全を守ること、これが基本的な目的でなければなりませんし、そうだと思います。だとすれば、いまの前田参考人も言われたわけですけれども、あらゆる角度からこれは検討され、また守るべき措置が講じられなきゃなりませんので、そういう意味では総合安全保障という言葉自体、用語自体に私は全然異存はないわけです。むしろこれは当たり前のことだと思います。しかもこれは、私どもの社会科学的な、たとえば現状の全面的分析にも照応する概念とも言えるだろうと思います。  ただ、問題だと思いますのは、今日、日本の財界もしくは政府筋などで総合安全保障の重要性が強調されるようになってきているんですけれども、実はこれはその経過的な姿を見ましても、国民の立場からではなくて、あくまでも財界を中心とします今日の現体制危機意識ですね、ここから出発しているというふうに言わざるを得ないと思います。その意味で、この総合安全保障論議がわが国で表面化してきました経過とその過程ですね、過程そのものをひとつ糸口としながら、問題に接近をしていきたいというふうに思います。  この芽生えというのは、もう六〇年代の末期からございました。それはちょうど、御承知のように、六〇年代というのは本格的な高度成長期であります。その末期といいますと、ちょうど生産力が巨大にふくれ上がって、そのはけ口を、内需に壁があるとすれば、どうしても外に向かわざるを得ないとか、あるいは財政需要に目が向くとか、つまりこれは軍需化でもありますが、そういう傾向があらわれていたわけであります。  したがって、たとえば六九年の財界四団体の総会をずっと調べてみますと、六九年四月の経済同友会の総会ですけれども、木川田代表理事が、資源小国の日本というものに言及をしているわけですね。海外通商航路の安全と安定ということに言及しまして、これを契機としましていわゆるマラッカ海峡防衛論が盛んになったわけであります。  また、同じく六九年四月の日経連総会では、集団安全保障体制による防衛と広い視野の中での自主防衛ということが強調されます。  同じく六九年五月でありますが、経団連総会ではベトナム以後の極東の平和と安全のためということで、安保体制の堅持とわが国の自主防衛極東の平和と安全確保、自主防衛努力などが議論されるわけです。  それと同じ六九年の八月ですけれども、これはもう御承知かと思いますが、いわゆる船田私案が発表されます。船田私案というのは、自民党の安保調査会の当時会長でありました船田さんでありますが、これは「沖縄以後の防衛展望」と題する船田私案であります。私どもの記憶にあります百万人の郷土防衛隊構想であるとか、台湾、韓国、ベトナムなどへの武器輸出の提案などが含まれていたわけです。  しかし、これはまだ私の考えますには萌芽的な現象であったと思います。本格的に総合安全保障論が台頭いたしますのはやはり七〇年代になってからだと思います。特に、七五年というちょうど七〇年代の半ばに例のNIRAですね、総合研究開発機構でありますが、三億円の予算で二十一世紀への課題と呼ぶ総合プロジェクトが発足いたします。これはその後七八年に、「日本の課題」といいまして大変膨大な事典ですけれども、「日本の課題」としてその研究成果がまとまっております。学陽書房から出版されております。つまり、日本のシンクタンクを総動員した非常に膨大な研究でありまして、これはまさに二十一世紀への課題といいますけれども、いわば危機意識に根差してこういう大がかりな研究が開始されたと思います。  そして、七八年の六月でありますが、関西経済同友会が、「総合安全保障の確立をめざして」という文書を発表いたします。関西の財界を代表します関西経済同友会であります。これは、ちなみにこの柱を見ていきますと、そう長い文章ではないのですけれども、一つは、「日本の守るべき価値の再認識」と、第二が、「総合安全保障体制の確立」三番目が、「安全保障についての教育システムの充実」です。四番目が「危機管理のための機構と制度の整備」であります。さらに、時を同じくしまして、三菱総研ですね、これが「総合安全保障体系」を描き出します。さらに野村総研も同じ時期に「複合危機の内容」、いずれもこれはそれぞれ研究所が出しております。たとえば三菱の場合は、「日本経済のセキュリティに関する研究」あるいは野村総研の場合は、「国際環境変化日本の対応」という書物の中にこれらに対する見解が表明されております。  このように一斉に七〇年代になってから表面化したというのはどういうことかと考えてみますと、これは総合安保論が台頭します契機の一つでもあるんですが、私どもは七〇年代、つまり国際政治史的に見ますと一九七〇年代というのはいわばパックスアメリカーナといいますか、アメリカ的平和、この秩序が完全に崩れる十年間でありました。よく俗に四大ショックというふうに私は呼んでいるんですが、七一年のドルショックですね、いわゆるニクソンショックであります。それから七三年のオイルショックであります。それから七五年のいわゆるベトナムショックであります。それから七九年の第二次オイルショック、つまりイラン革命、ホメイニショックともよく言うのですけれども、この四大ショックですね。つまり、経済的にもドルと石油を基調としたこれまでのアメリカ的な支配が崩れるわけですね。したがって、構造的危機とか複合危機とか体制危機とかいろいろ言うのですが、しかも軍事的にも全力を挙げて戦ったはずのベトナムでアメリカが敗れ去るわけであります。したがって、この危機意識たるや大変なものだったというふうに思いますね、七〇年代というのは。しかもその七五年に研究が——先ほど大規模な総合プロジェクトが発足していると言いましたが、この七五年にいわゆるサミットが始まっているわけであります。先進国首脳会議ですね。ランブイエ・サミットとして第一回が始まっています。これは単に日本のみならず、資本主義的な仕組みをとっています国々の共通した危機意識あるいは現状認識に根差すものであったというふうに思います。  もう一つの契機は、二つ目の総合安保論議が台頭します契機というのは、これはやはり六〇年代に膨大にふくれ上がりました日本の生産力のはけ口として海外へ進出し出します。しかも多国籍企業という形態をとりながら進出していくわけですけれども、これも簡潔に申しますと、商船は軍艦を呼ぶ、商業上の船は必ず軍艦を後からずっと呼んでくる、呼び寄せる。というのは海外における権益を守らなきゃならないということで、これは軍備増強を図らなければならないということになります。それが一つの契機になっているというふうに思います。  三つ目は、これもベトナム以後特に顕著なんですが、アメリカ日本に対する責任分担増大要求が非常に激しくなります。これは今度レーガン大統領来日を契機として、もう農産物に至るまで、単に軍事面のみならずいろんな意味での対日要求が非常に強くなってまいりますが、そういうことで、いまおよそ挙げました三つが一つの契機になっていたというふうに思います。  つまり国民生活の実態から出発するのではなくて、今日日本の財界を中心とするこの危機意識、これは科学的には私ども資本主義の全般的な危機というふうな用語で呼んでいる状況なんですが、これに対応するものとして総合安保論議が盛んになったというふうに私は見ているわけです。  この総合安保論議がどういう機能や役割りを果たしているかといいますと、本来総合安保論といいましても、やはり何といいましても中心防衛力の充実整備であります。というのは、大平総理が七九年の三月の防衛大学の卒業式でこのように述べておられるんですね。わが国の安全保障防衛力を整備するとともに経済力外交力、文化創造力などわが国が保有するすべての力を総合的に結集して初めて確保される。ちょっと途中略しますけれども、その根幹をなすものは防衛力の充実整備である。このように述べておられるんですけれども、私も本来そういうものだと思います。したがって、この総合安保論議というのは、日本軍備増強というか、常備軍であります自衛増強中心として国民生活の全分野に軍国主義的な体制とか風潮をずっと強化する、あるいは行き渡らせるという意味で、その軍備増強というものを薄めるといいますか、これをぼかす作用と同時に、教育とか社会、文化その他の面に軍事的なやはり雰囲気を持ち込んでいくという役割りを果たしてきているんだというふうに思います。  そこで、大きな柱として二つ目、後半の問題としまして、こういう総合安保論議というものにつきまして私自身がどう見ているかということ、つまりもう一つ先ほど御紹介するのを少し忘れましたが、総合安全保障戦略、総合安全保障研究グループという、これは大平総理の諮問機関ですね、九つありましたか、このグループの研究成果が出ているんですが、この中でも一貫して強調していますのは、総合安全保障中心は何といっても日米関係であるというふうに述べられています。  つまり日米関係というのは、さらにその中心日米安保条約を基軸としているわけであります。そこで、安保体制というものを私はどうしても、つまりこれを既成事実として、あるいは不問に付しながら安全保障論議をしていくのではなくて、そもそも論のところまで立ち至って根本的にこれを問い直す必要があるのではないか。つまり、先ほど藤井参考人も述べられていたんですが、抑止論の批判をなさいました。私全く同感であります。つまり安保というのは、アメリカの核抑止力と、さらには日本自体の防衛力、これに頼ろうとする考え方が基本になっております。  ところが安保そのものというのは、そもそもこれは、たとえばシーボルトといいまして元GHQの外交局長でありますが、対日理事会の議長もなされ、あるいは対日アメリカ政治顧問でもありましたシーボルトさんが「日本占領外交の回想」という著書の中で、実はあのサンフランシスコ講和会議における吉田全権代表の演説ですね、これはアメリカが草案を事実上書いて、ほとんど手直しをしてそれを吉田さんが読み上げた。よくサンフランシスコ平和条約を境にして日本は独立をしたというふうに言われるんですが、決してこういう独立国の姿というのはあり得ないわけでして、しかもこのサンフランシスコ平和条約の第五条と六条を根拠にして日米安保条約、つまり旧安保条約が締結をされているわけです。しかも、その安保条約が六〇年に改定をされまして、さらに七八年に事実上の改定とまで言われるあのガイドラインが確定するわけであります。しかも、現行の安保条約の三条で、日本のいまの自衛隊でありますが、これを維持し発展させるということ、つまり自衛隊の増強が義務づけられているわけであります。  ところが、実際にはこの安保体制のもとでどういうふうに、日本の本当に平和があったのかという問題であります。これは、日本は安保のために平和であったという議論がつい最近の国会でもなされているわけですね。これはそうではなかったのであります。歴史の事実は一つしかないわけですけれども、たとえば朝鮮戦争当時約一万人の日本人が占領軍労務者として軍事物資輸送に参加していますが、戦争勃発からわずか半年間でも三百八十一人の死傷者を出しております。これは海上保安庁の三十年史であるとかあるいは占領軍調達史であるとか、それから初代の海上保安庁長官でありました大久保武雄さんの「海鳴りの日々」といったような、そういう出版物の中でもはっきりと数字まで挙げられているところであります。戦争に巻き込まれたのであります。ベトナム戦争のときも、これは当時の椎名外相が言われたように、日本は大変敵性国であって、脅威を受けるようなことがあり得るんだと。たまたま一定の条件もあって——このときは椎名外相は、ベトナムが少し日本から離れていたからよかったというふうにおっしゃっているんですが、つまりあの二つの戦争を見ただけでも戦争に巻き込まれたのであります。平和であったのでは絶対にないのであります。  しかも、その安保のもとで第六条に基づいて米軍の基地がございますけれども、この三十一年間に事故とか犯罪が十七万四千件数起こっています。しかも、死者が千二百人を数えています。基地周辺での事故その他の死者がですね。これはフォークランド戦争、昨年の四月でありますが、イギリスがアルゼンチンと戦争をやりました。フォークランド紛争と俗に言われておりますが、このときの両軍の総戦死者が九百名余りでありますから、いかに安保の実態が日本国民の立場から、主権者である国民にとって安全なものでないかということを裏づけていると思います。  そこで、私が申し上げたいのは、私自身がどのような安全保障の構想を描いているかということを御参考に供したいのであります。しかも、これが私の結論ともなるわけですが、つまり軍事的、経済的に、あるいは社会的にもそうでありますし、さらに国民の民主主義的な諸権利の面から見ましても、日本国民と日本の国土の平和と安全を脅かしている根源ですね。つまり幾つかある諸原因ではなくて、並列的に並べられるあるいは考え得る原因ではなくて、その根源に実は日本アメリカの間のいわゆる安保条約があるんだということです。いわゆる抑止ですね、これを抑止力として考えていること自体に大問題があるのではないか。これは赤城宗徳さんも、日本で核抑止という言葉を使ったのは私だけれども、これは間違いであると反省をしておられます。さらにごく最近の朝日新聞に、ストックホルムからお帰りになりました都留重人さんは、朝日新聞の論説顧問でありますけれども、中曽根・石橋論戦ですね、先般の衆議院予算委員会で行われましたこの模様を新聞紙上で読んだけれども、「そこで首相が「私は抑止と均衡に基づいて戦争を起こさせないようにしている」と言ったのに対し、石橋氏が、この絶好の機会を逸し、抑止理論の破産に論及しなかったことを不思議に思った。西欧の保守的な指導者のあいだでさえ、抑止理論が時代おくれであることが常識化しつつあるからである。」つまり通称パルメ委員会の「共通の安全保障」という報告書を基礎として議論されたこのSIPRIの会議でありますが、都留さんは日本からこれに代表として参加しておられて、帰ってきてすぐこの朝日新聞に「抑止論の破産」ということで「座標」という欄に九月二十五日でありますが、書いておられます。その中で、ヨーロッパでは完全にこれは常識化している、つまりそもそも抑止理論というものは。したがって核抑止論になるとなおさらであると、こういうことなんですね。  したがって私の考えておりますのは、現に現行安保条約の第十条の二項で、要するに固定期限の定めがありますから、とっくにもう十年過ぎているわけでありますから、私どもが政府の方針として外交政策として、いまの政府にそれが不可能ならば主権者である国民が新しいしかるべき政府をつくる、そして終了の意思を通告する、そういう方法によって安保条約を廃棄して、いわゆる非核・非同盟・中立の日本を実現するためにいまや国民の総力を上げる、つまり国民的合意を取りつけるために全力を上げるということであります。  それが実現した場合に、いわゆる幾つかの方策を直ちに手を打たなければならないというふうに私は考えております。一つは非核三原則の法制化であります、立法措置であります。  一つは中立法の制定であります。  さらに三つ目には中立を保障するための諸措置であります。これは対外的にいろんな意味での中立を宣言するとか、二国間に不可侵条約を結ぶとか、それから真の意味での、敵対的軍事同盟ではなくて真の意味での集団安全保障機構の確立への努力であります。これは地域的もしくは国連そのものも実は本来ならば集団安全保障機構の一つなんですけれども、もちろん不十分さは持っておりますけれども、地域的にあるいは全世界的な努力をするということであります。  四つ目は、非同盟諸国会議へ参加するということであります。これは外相会議あるいは首脳会議はもちろんのこと、非同盟諸国グループの一員に日本が加わるということであります。今日非同盟諸国はすでに国際社会においては多数派を形成しているのが現状であります。  さらにその次に、発展途上国との平等互恵の経済関係、これはいわゆる平和五原則の中に平等互恵というのが四番目にございますが、当然のことであります。つまり、いまこれは安保を中心に申し上げましたので何か軍事的にのみ私が限って申し上げているようでありますが、そうではなくて、実は経済的な安全保障、この総合安全保障戦略の総合安全保障研究グループ、この研究報告書も狭義の安全保障と広義と、その広義の中に経済的な安全保障を入れているんですが、実は今日日本は発展途上国や社会主義国との間の関係を見てみますと、輸出は日本の輸出の五一・五%を占めています。輸入は六四・二%であります。原油に至りますと何とこれは八五%であります。これは八一年の統計でありますが。だとすれば、いわば産油国のほとんどは非同盟諸国に加わっているわけですから、つまり経済的な意味でも資源小国である日本エネルギー源であるとか、さらに食糧も含めて国民生活の安全を図る意味でもこのような諸措置がぜひとも必要なんだろうというふうに思います。  あと、それによる場合でもなおかついろいろとソ連脅威論であるとか、あるいは日本が本当に急迫不正の侵略を受けた場合にどうするんだとかいう議論が大いにあり得ることだと思いますし、これこそ国民的な論議の場にゆだねて大いに本来の意味での中立国、非核非同盟の中立の日本としてのいわば安全の保障の仕方ですね。その意味ではもちろん自衛の措置ですね。いわゆるあらゆる形での自衛の措置は当然これは含んでおります。これはいかなる国といえども正当防衛としての自衛権は、具備しておりますから、保有しておりますので、そのような状況になった日本もまた当然自衛権を持っているわけですから、これは国民的な自発性や積極性を基礎にした自衛の措置も含めていろんな形があり得るというふうに思われます。  以上が全分野にわたる国土と国民生活の平和と安全を図る上で今日私が考えておりますこと、同時に本委員会はもちろんでありますが、広く議論が展開され深まることを心から期待しまして、一応私の見解の表明にさしていただきます。  どうもありがとうございました。
  48. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、青木参考人にお願いいたします。
  49. 青木日出雄

    参考人青木日出雄君) 青木であります。参考人の陳述も私が最後でございますので、いままでの方と重複を避けることを考えまして、主として軍事力について申し上げます。  国の安全保障というのは、もちろん外交、文化、経済、生産等すべてを総合して守らなければならないわけでありますが、ただ、その中で軍事力はやはり無視をできないだけの価値を持っていると思います。現実に現在の世界軍事力を持っていない国というのはほとんどございませんし、またいま各国が持っております軍備軍事力というのは全部が抑止力を目標としております。その抑止力の中でも現在世界的に支配的な力を持っておりますのは、米ソらを中心とする核抑止力であります。実際にこの抑止力が機能していないかどうかというのは、いろいろ論議のあるところだと思いますが、現実には核兵器が開発をされ装備をされましてから、日本を除きましてその他の地域では一度も使われなかった。一九四五年以降各国で、世界の各地でいろいろな軍事紛争とか軍事的対立がございましたが、その間でついに使われないで済んだということは、やはり一定の抑止力を持っていたのではないかと思います。最も近くは先月一日、サハリンの上空で起こりました大韓航空機事件であります。この事件で二百六十九人の生命が失われたのでありますが、その事件の結果で米ソともに相互に相手を非難する声明を投げつけ合いました。ただ、従来でございましたら二百六十九人の生命が失われたという事態は戦争を引き起こしやすいような状況であります。実際には非難の応酬だけ、それもその非難の中には相互に相手のことを配慮するような言葉も入っていたというふうに理解をしておりますが、これだけでそれ以上の事態にならなかったのは、両国とも大戦争に発展させ、核兵器が飛び交う事態を恐れたからだと思います。現実の問題としては、現在米ソの持っている核兵器が、二百六十九人の生命を失われたにかかわらずそこでの戦争への事態に発展することを防止できたと考えております。  ただ、現在世界じゅうの抑止力としての軍備が基本に考えておりますのは、集団安全保障体制であります。集団安全保障体制では、常に二国間あるいは多国間の軍事同盟が基本になっております。一体この軍事同盟は何のために行われているのかというところも幾つかの論議のあるところだと思います。一般的には軍事力が不足であり、それが抑止力として機能をしないからその軍事力を補完するために同盟関係を結ぶという考え方がございますが、現在の世界体制はそうではないと思います。世界諸国が現実に軍事力を持ち、また、世界諸国の中に、社会体制とか宗教とか人種とか、これらの要因に基づく対立がありまして、特にいまは自由民主主義体制社会主義体制との二つのブロックが大きな対立をつくっております。この中で、自分の国がよいと信ずる方向を守るために一つの軍事同盟を結び、ブロックによる対立をせざるを得ないというのが現在の軍事同盟の形ではないかと思うのであります。  そこで、二国間あるいは多国間で軍事同盟を結んだ場合に、その相互に果たすべき役割りは何であろうか。実際には自分の持っている軍事力が不足をして、それが抑止力として機能しないからという意味ではなく、体制相互間での同盟関係を維持するための軍事同盟でありますから、基本的に考えれば、そこでは各国がその能力に応ずる協力をすればいいということになると思います。この能力というのは、単に持っている兵力とか、その国の持つ経済力とかということだけではございませんで、各国が持っている信条や憲法を初めとする法律、社会体制、それらに応ずる協力をすることが現在の軍事同盟を維持する手段である。また、それをもって維持をしていることがいまの集団安全保障体制を有効に機能をさせているもとになっていると思います。  そこで相互の軍事同盟を持っております国が軍事力について分担をしなければならないわけであります。この軍事力の分担はいかにあるべきかということも、これまた議論のあるところでありますが、一つは、その国が存在をする地域と、その国が生存し、安全を保障するための国の目的に応じての分担である。そう考えますと、そこで、軍事同盟を結んでおります相互の国が相手の戦略に対して協力をし、それに貢献をする必要があるのかどうか。実は旧来の軍事同盟は常にそういう形をとっておりました。同盟を結んでいる二国間であれば、相手の戦略に対して協力をするなりそれに貢献をするなりの力を発揮しなければ軍事同盟は維持されなかったわけであります。  しかしながら、現在では世界のうちで同じ体制を持っている国相互間でも国の進路も違い、国の持っている戦略も違います。ここの中では先ほど申し上げました地域とか国家の目的に応じまして力の分担をすればいいのであって、相手国の戦略に対する積極的な貢献とかそれに対する協力は必要はないのではないかと思います。これは特に日本の場合に問題になることでありまして、現在、日本アメリカ日米安全保障条約によりまして軍事同盟を形成している。その中で相手国の戦略に対する協力や貢献をしなければならないとすれば、そこで基本になっておりますのは米ソの核戦略でありますから、日本アメリカの核戦略に対する寄与か関与をしなければならぬわけであります。これは非核三原則を持っております日本の国是には反します。現在の国際的な軍事同盟及びその中における軍事力の分担というのは、その種の協力、貢献の関係がなくても成立をするのではないかと考えます。  特に核戦略につきまして、日本は非核保有国でありますから核戦略に関与できないと思うのはこれまた間違いだと思います。日本世界で唯一の核被爆国であり、非核三原則をもって現在の国是とする限りこれはきわめて有力な戦略であります。これをもって米ソの基本にしております核戦略の中に日本が積極的に関与をしていくことも可能であります。また、そういう考え方でなければ、安全保障の中で軍事力が重要な一角をなし、集団安全保障考え方の中で軍事同盟を維持しているということときわめて大きく矛盾をするわけであります。  ただ、この軍事同盟についてもう一つつけ加えておきますと、現在の世界で非同盟という軍事同盟もあるのだということであります。これは非同盟という名前でありまして、軍事力につきましては、何かと同盟をし、または何かに頼り、そこの国の基本戦略を決めているものと考えます。  次に、安全保障の中で軍事力意味があるものであり、それを有効に機能させなければならないと考えるとき、その有効性を保つために何をすればいいかということであります。余り細かいことはいま申し上げるのを避けますが、安全保障上の軍事力を考えるときに、最も危険といいますか、最も不適当なのは対処防衛力考え方であります。もちろん軍事力というのは相手があってのことでありますから、対処をすべき脅威の対象を全く考えないで軍事力を形成するということは不可能であります。向こうが航空攻撃力を持っているときに、それに対する防御措置を全くとらないで一つの軍事体制をつくり、それを抑止力とするということは不可能であります。  ただ、ここで申し上げます対処防衛力という考え方を持つべきではないというのは、個々に単年度あるいは短い期間にわたりまして向こうの軍事力が増加をしたとか減少をしたということに関してすぐに過敏な反応を起こして自分の政策を変えることであります。安全保障における軍事力というのは、ある意味ではそこの国の領土とか国民とか社会経済関係で一定の量が出てまいります。何かに対処し、抑止力として使うための一つの量というのは、直接相手国の兵力に関係なくその国で決まるものと考えます。もし隣国が何かの体制をとったとき、たとえば大規模な軍事演習をするとか国際緊張を生じて兵力を集中するとか、軍事的に対処をすべき事態が起きたとき、それに応ずる方法というのは、たとえば予備役の動員であり、部隊の配置の変更で、必要な戦略物資の集積というような処置であります。それらのおのおのの事態に応じて防衛力増強したり、減少させたりするような過剰な反応をいたしますと、これは安全保障上、抑止力としての価値が薄らいでまいります。  そこで、どの国にもその国の状況に応じて、ある計算可能な対処力が出てくると思います。これにつきましてはまた何かの機会に申し上げなければいけないと思いますが、たとえば、現在のイギリスの国防計画にございます、目的別の経費の配分というのがございます。イギリスが抑止力としての軍備を持って、他国からの脅威を排除をするというために使う軍備は、おのおのの目的があります。たとえば、NATO軍と協力をして兵力をヨーロッパ大陸に配置をするとか、北海の防空をするとか、英仏海峡の防衛をするとか、おのおの目的があるわけであります。その目的の重要さ、それが、国としてもし何かあった場合にどれだけの脅威になるかを計算して、そのおのおのの目的ごとに経費を配分する方法であります。このような軍事力がどんな形で役立つかを考えること、その役立たせるための経費を配分することによって一つの抑止力としての軍備は存在し得ますし、形成もできるわけてあります。ですからここで具体的に考えるべきは、脅威の増大に対して単に総経費を増大するということではなく、その脅威に対応できるような兵力の配分や経費の配分をすることであるということになると思います。  また、その防衛力を最も有効に利用することは何であろうか。ただ力は持っているだけでは意味がないのであります。その力を有効に機能させるため、最も合理的に動かすためには、外側からの脅威に対する情報が必要であります。現実には、戦車の数をふやすことよりも、相手の国が、あるいは周辺の国がわが国に侵略をする可能性があるのかどうか、そのような体制をとっているかどうかを知ることの方が重要であります。このために、軍事力安全保障に最も有効に機能させようと思うとき、国として必要なのは情報収集力の整備であります。そして、それは単に軍事情報というだけではなく、国としての安全保障を保つための情報であると思います。具体的に言えば、たとえばその情報機能を防衛庁に持たせなくても、国としてどこかの機関で総合的に持っていればいいわけであります。  やはり、先月一日の大韓航空機事件で一つ明瞭になりましたのは、日本にも通信情報の収集能力はあり、それが有効に機能をしているということであります。現在の情報の中で、通信情報、電子情報の果たす意義、役割りというのは決して小さいものではありません。ただ、その中でもっと痛感をいたしますのは、それ以上の情報収集能力日本にはないということでございます。現在、世界的に考えられます安全保障のための情報収集能力で最も重要なのは人工衛星による情報の収集であります。これを決して防衛庁につけなければならないとは思いません。国としてどこかで日本の安全を保障できるような情報力を持ち、米ソの現有中のものに比較する必要はございませんので、日本の必要とするような偵察衛星をどこかで持つべきだと思います。  安全保障の中で軍事力が果たす役割りというのはわずかな一角であります。ただ、その軍事力を最も有効に利用し、最も抑止力として機能させるのは情報収集能力にあるのではないかということが、本日私の申し上げたいことであります。
  50. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言を願います。
  51. 源田実

    ○源田実君 藤井参考人にお伺いいたしたいと思います。  先ほどのお話、いろいろ同感するところもございます。しかし、最後的な結論がどうも私にははっきりつかめないのでありますが、それは事務当局が参考人の言われたことを引き写したのかと思いますが、まあ、こういう——これは違うんですか。(資料を示す)
  52. 植木光教

    委員長植木光教君) 違います。
  53. 源田実

    ○源田実君 それじゃ改めて伺います。  結局、参考人が考えておられるわが国の防衛政策の基本となるものは一体どういうぐあいに具体的になるのか、これをひとつ伺います。
  54. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) わが国の防衛政策の基本は、これははっきり明示されていると私は考えております。それは何であるかと申しますと日本憲法であります。この日本憲法には、日本国民が生存と安全を確保していく道、それは何であるかということがはっきり示されているわけであり、しかも、それは日本の最高法規として定められているわけであります。つまり、それは日本の国是、根本を定めております。この日本憲法の基本理念は、申し上げるまでもなく、絶対平和主義であります。また同時に、基本的人権の最大限の保障である。また、国民の生活と福祉を保障するという、これが安全保障の根本である、私はそう考えております。  そうしてまた、申し上げるまでもないことでありますが、この平和主義に基ついて、国会において非常に重要な歯どめが幾つか決定されているわけであります。日本の平和、国民の生存を確保するために何よりも、たとえば武器輸出をしてはならない、あるいは非核三原則を堅持しなくてはならない、さらには自衛隊の海外派兵はしてはならない、こういうことが国権の最高機関である国会の御決議になっているわけであります。こういうものを守っていく。そうして全世界的に戦争の原因をなくしていく、この努力を続けていくことが大事である、そういうふうに私は日本安全保障政策の根本を理解しております。  だがしかし、それだけでは平和と安全を確保することはできないではないか、こういう御意見もあることは私も理解しておりますが、余り短絡的に考えない方がいい。つまり、戦争というのは、これはいつかの参議院の委員会でも申し上げたかと思いますが、紛争が起きる、それが武力的な解決の方向へ脱線していって起きている。あらゆる紛争は平和的に解決しなくちゃならぬ。そういう意味では、たとえば大韓航空機の問題でも冷静に平和的に解決していく努力をすべきであって、先ほども申し上げたことでありますが、火薬庫のそばで火遊びをするようなことはしてはならない。また、確かにソ連にはいろいろ問題がございますが、しかしこのソ連と隣国であるわれわれ日本国民がいかに理解し合い、また交流を深めていくか。憎悪をたぎらせるところから戦争は起きる、この国民の憎悪を深めていくようなやり方はとってはならない。かつて、アメリカ、イギリスを鬼畜と呼んだことがございますが、ソ連に対してそういう対応をしてはならない。国民の相互理解、これが戦争を防ぐ、このことも明らかであります。  そういうふうなことは、憲法さらには国連憲章の精神からして十分に私たちは理解をしているはずであり、そこから脱線をしてはならない。残念ながら、この脱線傾向が最近顕著になってきているのではないか。そのことがむしろ安全保障にとってきわめて有害である、こういうふうに私は理解しているわけであります。
  55. 源田実

    ○源田実君 私は結論を聞きたいんですが、結局、憲法を守れば非武装中立という政策をとらなければならないのかどうか、参考人のお考えをお伺いしたい。
  56. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 戦争というのは、先ほど申しましたように、国際紛争の武力的な解決を図る、あるいは諸国民の間に憎悪をあおり立てている、こういうところから直接には起きてくるわけですが、だがしかし、もっと根本的なものがある。それは何であるか。それがなければ戦争が起きない、戦争の必要条件、これがつまり第一に軍事同盟である、第二に軍隊であります。軍事同盟が日本を戦争に巻き込むおそれを持っている、このことについては先ほど畑田参考人が申し述べられましたが、やはりそういう危険な側面があることは否定できません。だから、軍事同盟をなくす、つまり非同盟中立の方向へ進んでいくということが日本安全保障にとって非常に重要な措置である、こういうふうに私は理解をしているわけであります。  また、戦争というのは軍隊がなくて戦えるか、戦えないわけであります。戦争は必ず軍隊があるところで起きているし、また軍隊が強くなっているところでより激しく悲惨な戦争が戦われているということも事実である。だから、根本的に言えば、中立と軍縮、さらに軍隊そのものをなくす、つまり非武装の方向へ進んでいく、このことが戦争を防ぐ。戦争を防ぐというのがつまり安全保障ということでありますから、そういう意味では非常に大事な姿であり、そしてそのことを宣言したのがわが日本憲法ではないか、こういうふうに私は理解しております。
  57. 源田実

    ○源田実君 そうすると、結局結論的には日本軍備を持つな、軍事同盟、日米安保条約を破棄しろ、これを日本のさしあたりの政策にしたらよかろうという意味ですか。
  58. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) さしあたりの政策ということになりますと、私はもっと現実主義者でありますから、いろんなことを考えております。だが、私たちはその方向を追求しなくちゃならないし、そういう目標、理念をはっきり憲法は掲げているわけでありますから、これをなおざりにしてはならないと思います。  ただ、さしあたり一体どうしていくのかというふうになりますと、先ほど前田参考人も申し述べられましたように、現実的に可能な道はたくさんあるわけであります。そのことを熱心に考えて、そのことについて努力を傾けていくことが大事なのであって、生兵法は大けがのもとである、それに反するような勇ましいことは言わない、あるいはやらない方がいい、こういうふうに私は考えております。
  59. 源田実

    ○源田実君 どうもはっきりよくわからないんですが、そうすると、急にはやめない、だんだん情勢を見ながらよければ自衛隊をやめる。それから中立、これも急にはやらない、よければ様子を見て中立をやる、こういうぐあいに了解していいですか。
  60. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 平和な環境づくり、これがやはり何よりも私は優先すると思います。私はそのことを自分の書物の中で、積極平和政策の展開、そしてその政策展開が実を結んでいく過程において中立と非武装実現の条件を探っていく、こういうふうに申し述べております。
  61. 源田実

    ○源田実君 この問題は、まあ私の見解がはっきりわかっておるから言う必要がないと思うんですが、しかし、こういうことをひとつどういうぐあいに考えておられるか。  日本が中立——これは中立の主張者は多いわけです。しかし、中立は成り立つのか成り立たないのか、まさかの場合に。まさかの場合です。日本が攻撃されるという意味じゃない。日本は中立を保つ、しかし世界には戦争が起きた、核戦争が起きた、日本の中立は意味があるのか、この点はどうですか。
  62. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 積極平和政策の中で何よりも大事なのは世界の核戦争を防ぐことである、第三次世界大戦の勃発を防ぐということである、私はそういうふうに考えております。  第三次世界大戦が勃発したらどうなるか、核戦争が起きたらどうなるか。これはいろんな研究もございますが、そのときには人類の生存は不可能になる、こう考えなくてはならないわけですから、私ども、とりわけ政治を担当されている方々はこの核戦争、世界大戦を防ぐことに全力を挙げていただかなくてはならない。その万一の事態が起きたときのことは、これは考えてもいかんともいたしがたいわけであり、それはもちろんユニホームは考えていらっしゃるでしょうけれども、そんな事態を引き起こさないことが政治責任ではないか、こう思います。
  63. 源田実

    ○源田実君 ただいまおっしゃった、とにかく当面というか、私の言う当面はここ二、三年とか、十年、二十年、そんなものじゃないです。少なくともここ百年から二百年という間一番大事なことは、どうして世界的な核戦争を防ぐかということが当面、人類に課せられた最大の問題である、こういうぐあいに考えておりますが、参考人、どうお考えですか、これについては。
  64. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 全くおっしゃるとおりだと思います。
  65. 源田実

    ○源田実君 そこで、核戦争になる要因というものが、実はいかなる国とも仲よくすると言うけれども、実際は仲よくできない国がある。  日本は戦争をやって最後に負けた。ソ連と戦をやるつもりは毛頭なかった。そのときしかも条約もあった。しかし、攻撃された。日本に力があった場合にはあれはああならなかったろう、日本は勝っておったろう。まあ勝たなかったからね、ああいうぐあいになるんですけれども。  それからもう一つは、われわれはともかく人類の自由を尊ぶ、これは基本的なものである。しかし、ソ連においては、口ではそう言っても、現実においては果たしてソ連の国民に自由があるのか。これはマルクス、エンゲルス、レーニン、こういうようなあのソ連の共産党のいわゆる祖先、これが言っておる中にもはっきりと暴力を肯定しておるんです。肯定じゃない、これでやるんだということを。こういうところと、われわれのような考え方で、暴力をとにかくこれは必要悪である、やむを得ない場合しかこんなものは使わない、でき得れば暴力というものは、攻撃のために使っちゃいけない、防御にだけ使う、こういう考え方、しかし自分の国の自由、国民の自由、他の国の国民の自由、幸福、こういうものを守るために必要悪であるけれども、やむを得ず使う、しかもそれは防御であるという考え方を私なんか持っておるんです。しかし、あれはちょっと、まあ時間もないから言いませんけれども、はっきりと相手にすきがあったらやれと書いておる、こういうところに大きな違いがあると思うんですが、どうですか。
  66. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 源田さんのおっしゃるのは、御経験があるからそういうことになるのではないかと推察するわけですが、私自身は全くのシビリアンと申しますか市民でありますから、そういうふうに何かもう周りの者がみんな虎視たんたんと、すきあらばというふうにうかがっているとは考えないわけであります。市民社会の良識というものが国際社会にも通じていく、こういうふうに考えております。つまり、人類社会の発展を考えてみますと、確かに弱肉強食の時代もございましたが、だんだんとそうではなくなってきた。そうして、とりわけ第二次世界大戦を通じまして国連が成立し、侵略戦争を否定するという国際的な原理が確立されたわけでありまして、いまやかつての日本の軍国主義者やあるいはヒトラーがやったようなああいう侵略戦争はやろうとしてもできないわけでありまして、そういう国際社会の中でソ連自身の対外政策も規制をされていると私は考えております。  したがいまして、ソ連のもちろん軍事力が外部に対して使用されている、あるいは東ヨーロッパ、モンゴル、アフガン等に海外派兵と申しますか、国外派兵されている、こういう事実を私は否定するわけではございませんが、しかし何かもうめちゃくちゃなことがなされるというふうには考えないわけであります。また、そういうことがなされないように努力をしていくのが私たちの責任であり、またそういう私たち市民の努力がそれぞれの国の政府を動かしていく、そして第三次世界大戦の勃発を防ぐ、核軍縮を進める、こういうことが可能になっていく。そういう意味で、私はあるいは楽観主義者と言われるかもしれませんが、そういう人類を信じている、英知を信じております。  確かにソ連、これは大変な難物であると私も考えております。つい九月にもソ連へ行ってまいりましたが、いろいろ話をしましても、確かにこれは簡単にはいかないわけであります。だから私は、やはり相互理解ということが必要であり、相手が、ソ連の国民が私たちに比べますと本当に不幸な生い立ち、歴史を背負って生きている、このことも否定すべきではないと思います。だから、過剰防衛、そして過剰な軍事力の強化、そしてそれがまた日本周辺でもいろいろ行動する、こういうことも生じてくるわけでありまして、これに対してこちらが軍事力で対応しますと、向こうはますます国境の守りを固めるということになってまいります。そして、結局大変なことが起きかねない。したがいまして、非常な不安感を彼らが抱いている、その不安感をなくしていく、そして、軍事力への過度の依存がソ連国民あるいはソ連経済にとって非常に大変な結果をもたらしているんだということをよく理解し、そしてソ連がわが日本憲法が理想としているような方向に進むように援助していく、このような高い観点から私は日本防衛も考えなくてはならないのじゃないか、こう考えているわけであります。
  67. 源田実

    ○源田実君 実はロシアの民族ぐらい、この数千年の間にあんなに苦労した民族はいないと思うんですよ。これはまあおたくの方がよけい御承知と思いますから詳しいことは言いませんけれども、実に苦労しておる。しかし、そこにいま何かできているかというと、異民族に、あるいは外国人に対する非常な不信感を持っている。これはかき消すことができないと考えます。それに反して日本は、このくらい平和に過ごしてきた民族はいないんですよ。自分の力でやったんじゃない。海という天然の要塞があった。海軍がうんと発達したらなかなかそれも役に立たぬけれども、しかし昔は伝馬船ぐらいしかないんですからね。あんなときには日本なんか、天然の要塞の中で実に幸福にわれわれの先祖、われわれまで暮らしてきた。こういうのは、その民族が持っておる哲学というものがずいぶん違うと思うんですよ。それはわれわれはいつもこれを念頭に置いてやらないと、日本人の考えによってロシア人もこう考えるだろうということをやると、とんでもない結果になる。今度のKALの事件なんかもそうも考えられます。  それで、これは私の意見ですが、いまの問題は私の考え方が間違っておるかどうか、それだけの御返答をいただいて、私の質問を終わります。
  68. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 源田さんがみずからの戦争体験をもとにしていろいろ考えていらっしゃる、そしてソ連に対してそういう御見解を持っていらっしゃるという事実を教えていただきまして、私は全然異なる立場から平和の問題、安全の問題を考えているわけで、見解は非常に違いますが、ずっと熱心に本当に御努力をいただいておるということについては、りっぱなことであると考えます。
  69. 石井一二

    ○石井一二君 石井でございます。  では質問をさしていただきたいと思いますが、ずいぶん長いお話を十二分に聞かしていただきましたので、どちらかと言えばこちらにしゃべる機会を与えていただきまして、答弁は要領を的確にとらえて、簡潔にポイントのみ御答弁をいただきたいと、まず、そうお願いをいたすものでございます。  午前中の御二名、そして午後の御四名の先生方、それぞれ専門家のお方でもこうも意見が違うのかというほど防衛に関して極端な相違った、それぞれ理論的には整然としたお考えが出てくるわけでございまして、そこにこの問題のむずかしさがあろう、そう基本的に認識をいたすものでございます。  さて、私は、きょう午前中の佐伯先生のお話にも関連するわけでございますが、基本的な姿勢として、憲法は改憲しない、安保条約は堅持する、非核三原則もしかり、専守防衛は最も大事である、そういった中においてわが国を取り巻く諸防衛情勢を考えてみますと、現実の問題として、現在は平和である、だがしかし脅威というものは歴然として存在をしておる、しかもその仮想敵国的な最たるものはやはりソ連であるというように私は理解をいたしておるわけでございます。最近のソ連状況というものを推察いたしますと、欧州では、ポーランド問題と、パーシングIIというような西欧へのアメリカの配置がありまして、優位性を失ってきております。また中東におきましては、レバノンの紛争とかそういったものを中心としてソ連離れ、あるいはアフガンの問題を抱えておる。そういった観点から見ると、どうしても軍事的にやや日米が劣勢であるとも伝えられる極東に対して、特に中ソ和解の傾向ということも背景にして目が向けられておるのではないか、そのような懸念をいたすわけでございます。もし日本が攻められた場合、どんと土手っ腹へ来る場合は、やはり日米安保条約も機能をいたします。私はそういったことも含めて、シーレーンを中心とした経済封鎖的な要素も含めて考えてみるべきではなかろうかと、そのように考えるわけでございます。  そのような前提に立って、先ほど来の御講演を中心にして、四名の先生方に一つずつまず御質問をいたしたいと思うわけでございます。  畑田先生の御意見の中で、私は前提が違っておりますと、それから出てくる次の過程というものが違ってまいると思いますので御意見を聞きたいわけでございますが、日米安保条約が固定期限が来ておるのに、それが現在存続しておるのはおかしいといったような言い方をされましたけれども、私は一九七〇年に自動延長をされておる、国会もそれを認知しておると理解をいたしております。特にそれに関連して、国民の意見で破棄を通告すべきであると言われましたけれども、先生は国民の代表である国会というものを無視されておるのではないか、それについてどう考えておられるか御意見を伺いたい。  第二点として、商船は軍艦を呼ぶという表現をなされ、安保を抑止力として考えていること自体に問題があると言われましたけれども、その結果、国民の自発性、積極性をもって自衛をせよと、きわめて言葉はきれいでございますが、チェコスロバキアのように若者がタンクの前へ寝そべって防いでみてもつまみ出されればしまいでございます。具体的に自発性、積極性で自衛をするという国民が竹やりでも持って突っかかっていけと言われるのか、この二つについてまずお答えを求めたいと思います。
  70. 畑田重夫

    参考人畑田重夫君) お答えいたします。  私の表現がまずかったのか、それとも私は正しく申し上げているんだけれども、お聞き取りが不正確であったのか、——安保条約の第十条二項に確かに固定期限の定めがございますですね。それが七〇年の六月二十二日でもって期限が満了いたしました。その場合に、正確にはいずれかの締約国が他方に対し、終了の意思を通告することができ云々となっているんですね。できるんですが、しなきゃならないとは書いてありません。事実上アメリカ日本も両方とも政府はしなかったんですね。したがって自動延長なんです。だからいまもそのまま、現行安保条約が生きているわけなんです。  だから私が申し上げたのは、七八年に事実上のガイドライン、日米相互防衛協力の指針、これでもって今日さらに、たとえば電子情報における交換なんかも全部ガイドラインに書かれていますね。これがはしなくも、今度大韓航空機事件でもまさにもろにその実際の姿が明らかになったわけてして、それで、しかもその次に申し上げたのも、これは私は正確に申し上げたつもりであります。つまり、いまの自民党政府でこれ通告なされば本当に一番いいんです。だけれども、そうでないとすれば、やはり主権者である国民がしかるべき政府をつくって、その政府が通告をする。そうすると、一年のうちに終了すると、こういうことになっていますね。それが一つ目の、前の問題であります。  それから二つ目の、商船は軍艦を呼ぶということで私が申し上げたんですが、これは日本の海外投資その他も、それから多国籍企業としての海外への進出なども、要するに六〇年代を経て七〇年代になってからぐっとふえるわけですね。その意味で、前の戦争、満州事変なんかも全部そうなんですが、いつでも名目は海外のわが国の利権を守るんだと、これは在留邦人の生命も含めてそれを守るという名目で絶えず軍隊が増強され、さらにそれがいざというときには戦争に出ているという形をとってきたし、これはもういわば本能的にも資本というのはきわめて憶病なものでありまして、軍事的、政治的な、たとえば安定とかあるいは保障がない場合には、資本進出というものは、あるいは資本輸出も含めて経済進出というのは本来あり得ないのですね。また、実際にしていないと思います。  その意味で、日本がそういう海外経済進出の傾向を強めることと並行して、いわば軍備の拡充も図らなきゃならぬという雰囲気が出てきまして、それがつまり総合安保論議という中で、中心は軍拡であっても、その他の形を、ほかの分野を強調いたしますと、その軍拡そのものが薄れるというか、これをぼかすこともできますから、それで私が先ほど総合安保論議そのものが果たしている役割りとか、機能みたいなものについて触れたわけなんです。
  71. 石井一二

    ○石井一二君 なるべく簡単に、ひとつ。
  72. 畑田重夫

    参考人畑田重夫君) そういう意味で申し上げたわけです。
  73. 石井一二

    ○石井一二君 私の質問は、自発性と積極性ですからね、答弁に答えてませんけど、時間が惜しいですから結構です。時間が余れば最後でやっていただきます。  次に、青木先生、失礼でございますが、私は、先生の抑止力を評価されるお考えについて多とするものでございますが、その中で集団安全保障体制の中で、各国はそれぞれの能力に従って責めを果たせばよいと。私は、これは無責任だと思うんです。仮想敵国があり、それがグループになっておる。その力がたとえば一〇〇ぐらいあれば、自分たちで出せば九〇あるいは八〇だと。おまえのところ、もうちょっとがんばって出してこい、それで一〇〇にしようというやはりグループ内で対抗できるバランス・オブ・パワーをつくっていかなきゃならない。そのためには無責任過ぎる御言及ではなかったかと思うんですが、その点についてちょっとコメントしてください。
  74. 青木日出雄

    参考人青木日出雄君) 能力と申し上げましたのは、先ほども申し上げましたように、単に経済力があるからとかあるいは国力があるからどれだけの分担をしなければならぬということではないと思うのであります。本日の主題も安全保障について総合的にどう考えるかということでありますから、ほかの面で協力をする方法はあるわけであります。一つの軍事ブロックの中で協力をするのは、単に軍事力だけの貢献をしなければならぬことではないわけです。  そこで、そのおのおのの国が各国によっていろんな制約がございます。日本では御存じのように、憲法による制約もあれば非核三原則による制約もある。しからばそれはその国の国情に応じて行えるだけの協力でいいだろうと思うのであります。ほかの面について国際協力をすればそれで一つの軍事同盟の中で協力関係を維持することができる、そう考えております。
  75. 石井一二

    ○石井一二君 ありがとうございました。  続いて藤井先生に、大きな問題があるんですが、ちょっと時間の関係を心配しますので、先に前田先生に直接御講義とは関係ないんですが、関連としてシーレーン関係に対する先生の個人的な御意見を承りたいと、そう思うわけでございます。  私は、先ほど申し上げましたように、直接仮想敵国が攻めてくる場合、日米安保条約が作用してかなりよくプロテクトされておる。そうなった場合にシーレーンがどうかという心配があるわけでございます。特に日本は貿易立国ということもございまして、貿易立国というとすぐに石油がどうのこうのという論議になりますけれども、コバルト、クロム、マンガン、そういったものが現状どうなっておるか、御承知のとおりでございます。また、こういったものの鉄鋼、自動車、エレクトロニクス産業に占めるシェアというものはきわめて高いものがある。そこへもってきてマラッカ海峡、ホルムズ海峡、ジブラルタル海峡というものを見た場合に、鈴木総理が日米共同声明の中で言われた一千海里を超えた中に大きな脅威というものがあるということを言わざるを得ないわけでございます。  特に、最近ソ連の海軍戦略というものがきわめてこわい状態になっております。たとえば空母、これはミサイル潜水艦もたくさんございますし、駆逐艦もマリゲート艦も近代的な装備を備えておる中へ、トロール漁船団というややこしいものがある。私は、こういった中で、専守防衛という言葉は聞こえがいいわけでございますけれども、日本が攻められた場合は戦っていくことができる、そういうぐあいに言葉どおり理解した場合に、じゃあシーレーンの中で日本の商船が攻撃を受けたから、それからぼつぼつ本土から攻めていこうかというのじゃ間に合わないと思うわけでございまして、国が攻められているという裏には、権益とか商権とか資源というものが侵されておるということも含めた場合に、私はその専守防衛範囲というものは、どんどん太平洋のかなたへ距離を伸ばして有効になっていくのではないかと思うわけでございますけれども、専守防衛ということにひっかけたシーレーンの長さというものをどの程度であるべきとお考えになっておるか、個人的な御見解を承りたい。
  76. 前田寿

    参考人前田寿君) 御質問の相手が人違いではございませんでしょうか。
  77. 石井一二

    ○石井一二君 御専門家としてあなたの個人的な御意見を聞いておるわけでございます。
  78. 前田寿

    参考人前田寿君) シーレーンについてはよく存じませんけれども、いわゆるシーレーン保護というのが、仮に肯定するとしても、どの程度が適当かということについては疑問を持っています。そして最大の疑問は、要するにシーレーンが問題になるのは、日本は戦争に巻き込まれていないけれども、中東に戦争が起こった。その場合に、日本のシーレーンが問題になるということですけれども、その際シーレーンの防衛そのものよりも、むしろ核戦争の起こらない、つまり核の対峙という状況が一番事態を左右する大きな要件ではないかと思うわけです。そのもとにおいて、下部の問題としてシーレーン保護の問題があるというように考えておりまして、私自身はそのような上部の核の対峙ということをコントロールする問題に最も関心を持っています。
  79. 石井一二

    ○石井一二君 後でもう一度質問さしていただきたいと思いますが、藤井先生、ちょっとお伺いしたいのでございますが、御発言の中で、特に軍事力というものは比較ができにくい、ようはかりにくいと、したがって、バランス・オブ・パワー論というものは無用論であるといったような御発言がございましたけれども、私は、軍事力はやはりいろんな角度から比較ができる。したがって、バランス・オブ・パワー論というものはきわめて大事である、またそれが機能して今日の平和がある、まあそのように考えておるわけでございますが、どうしてもそれははかれないとお考えなのか、そこのところをもうひとつ簡潔に、もう一度御答弁いただきたいと思います。
  80. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) ごく一部について、あるいは一時点においての比較は可能である、そう思います。だが、この戦力というのはトータルなものですから、その全部を比較して、二つのうちの優劣を論ずるというのはきわめてむずかしく、えてして相手の強いところを強調して、そしてそれをみずからの軍備拡張の理由づけとする、こういう傾向が生まれてくる、必ずそうなってくると申し上げてもいいと思います。
  81. 石井一二

    ○石井一二君 ありがとうございました。  それと、まあ現実の問題でございますが、SS20、あるいは私が先ほど申し上げましたソ連の海軍戦略の増強実態という前提に立って、私はソ連脅威というものを非常におそれておるわけでございます。先生のお話の中で軍縮傾向ということを進めていくということになった場合、相手があるから、やはりそれに見合った交渉をしなければならない。軍縮を呼びかけても、最近のINFを見ても、どちらかと言えばソ連の方が軍縮に乗ってこない。また、きょうの午前中の漆山先生のお話の中でも、最近十年間の数字を示されて、米国は毎年三%ずつ削減したけれども、ソ連は逆に毎年四%ずつ軍拡をやっておるといった具体的な言及もあったわけでございますけれども、ソ連をして軍縮案に同調していただくためにどのような呼びかけをすべきだ、どのような方途があるとお考えになっておられるか、ちょっとお聞かせをいただきたい。
  82. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) まあこれをソ連の人たちに言わせますと、いまおっしゃることとは全く逆のことを言うわけであります。核軍縮をわれわれは一貫して主張してきたと、こういうふうに申します。一九四〇何年からやっているんだと、こう申すわけであります。私はソ連の人たちの言うことを頭から否定するわけではありませんが、しかし一九六〇年代以降、ソ連が口に軍縮を唱えたかもしれませんが、現実にやったのが軍拡である。そして、事実いまおっしゃいますように、軍備が核戦力中心にいたしまして、さらに海軍力を含めて非常に増強されてきているというこの実態を否定するものではありません。  だが同時に、軍拡をやったのはソ連だけであるというふうに考えることができるか、それは事実に反すると思います。それに先立ってむしろ軍拡をやったのは、アメリカを初めとするNATO諸国であります。五〇年代、これはデータを幾らでも申し上げることは可能でありますが、軍事予算を一番ふやしたのはNATOであります。その次、六〇年代に入りましてワルシャワ条約諸国が、ソ連も含めましてふやしている、こういうふうになっています。
  83. 石井一二

    ○石井一二君 最後に一言。  時間がなくなりましたけれども、先生の御指摘の中で、三海峡あるいは四海峡を封鎖することは可能であるし、すればソ連は出てこないだろう、そういった御発言があったわけでございますが、私は対ソ戦略ということに関する限り、この海峡封鎖論は無意味である、そのように感じておるわけでございます。  その理由はいろいろあるわけでございますが、三海峡をたとえ封鎖してもオホーツク海の一番北のマガダンに基地がある。さらにペトロパブロフスクという基地がある。また、カムラン湾もあるということが一つと、最近SLBMあたりの射程距離というものがぐんと延びてきております。また、三海峡封鎖に失敗して太平洋側へぐっと出てきてもSOSUSというものが最近発明されて、半径五十キロメートル以内は深いところにおる潜水艦を捜せる。したがって、私は海峡封鎖論で争うことは余り重要でないと思うわけでございますが、海峡封鎖論と防衛との関連について御所見を一言でお願いしたいと思います。
  84. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) この問題につきましては、私はすでに五十八年四月十一日の参議院安全保障特別委員会で申し上げております。つまりそういうきわめて危険なことはやめるべきである、これが結論であります。
  85. 石井一二

    ○石井一二君 時間ですね。——それではありがとうございました。
  86. 梶原敬義

    ○梶原敬義君 梶原です。四先生には大変御苦労さんですが、せっかくですので四人の先生にそれぞれお伺いをしたいと思います。したがって、私の質問につきましては一括して大体二点にしぼらしていただきます。  第一点がソ連脅威論の問題ですね。なぜソ連脅威なのか、どのようにしてソ連がその脅威を実現しようとしているのか、こういう点について、まあそれぞれの角度から御意見を承りたいと思います。  それから第二点は、先ほど源田先生のお話の中では、第三次世界大戦が勃発してしまったらいずれにしても日本民族はもう結論的には生き残れないだろうというお話がありました。しかし、私はついさっきまでは国会の外におりました人間でありますから、一般国民が考えている考え方というのか素朴な点から御意見を賜りたいと思うんです。  私は、ずっと毎日何百人かに会いながら、握手をしながら、いまの平和の問題は非常に心配だということで一年ばかり歩いてきましたが、その中で突き詰めていくと、頭の上から核兵器が落ちてきて、そして日本民族が一瞬のうちに灰になる、これだけはやはりどうしても避けてもらいたいという切実なお話をずっと承ってきたわけてあります。したがって、私はいま地球上の人類を何回もあるいは何十回も殺戮するような米ソを中心にした核兵器が存在している今日、その状況の中で一体わが国の置かれているいまの立場、位置、そこから考えて、世界はあるいはアメリカやソビエトはそうなったとしても、日本だけでも国民が生き残る道をやはり探すべきではないかと思うんです。その点についてぜひ先生方の御意見を賜りたいと思います。  まあ、青木先生につきましては若干その辺はもう意見が違うと思います。確かに相手によって軍事力を持つことが平和を守ることになるんだという御意見でありますから、私と考えはちょっとこれは違うんでありまして、しかし青木先生の考えをどんどん拡大をしていけば、いまの米ソの軍縮や何かもへったくれもないし、もうどんどんエスカレートするし、日本もエスカレートする。これは国民がいま本当に考えておる、一人一人国民に通った考え方とはずいぶん私はかけ離れているんではないか、こういう気がするんですが、それは私の意見です。したがって、前の二点につきましてそれぞれの先生から御意見を承りたいと思います。
  87. 植木光教

    委員長植木光教君) 順次参考人に御意見を賜ります。
  88. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) 問題がすごく広うございますので、時間を考えましてどういうふうに申し上げていいのかと思いますが、私はソ連脅威論というのはその大部分がつくられたものであると考えております。ソ連軍事力が非常に強大である、これはやはり否定しがたいわけでありまして、ソ連は六〇年代以降アメリカに追いつくということを目標にし、そして七〇年代に至ってようやく対米均衡を達成した、つまり、アメリカに匹敵する、それに近いような軍事力を持っている、この軍事力の存在自体はこれは事実であります。だが、それが日本にとって脅威なのか。私は決して簡単にそういうことを結論づけてはならないと考えております。ソ連脅威日本にとって顕在化してくるのは、第一に世界大戦が起きたときである。まさにそのときにソ連の攻撃力が日本に集中される。とりわけ安保条約のもとで日本アメリカに基地を提供している。これが前線攻撃基地となっているわけでありますから、そのソ連の攻撃は避けられないと見なくてはならない。だからソ連脅威を現実化しないためには何よりも世界大戦を避けなくてはならない、こう思います。  それから第二に、ソ連軍事力日本行使されてくる可能性があるのはソ連と軍事同盟条約を結んだ場合である。これはアフガン、チェコ、ハンガリー、いろいろなケースがございます。そういう軍事同盟条約あるいはそれに類するような条約を結ぶと武力介入を受ける危険性が生じてまいりますから、ソ連とも軍事同盟条約は結んではならない。同様に日米安保条約というのもそういう意味合いを持っているわけでありまして、アメリカ日本に対して武力介入を加えてくる危険性を内蔵しております。そういう意味ではいかなる国とも軍事同盟条約を結んではならず、軍事同盟条約を結ばなければ、ソ連脅威が、世界大戦を避けられるとすれば、日本に及んでくることはない、こういうように考えていいわけでありまして、そういうことを立証するデータはもう幾らでもあるわけであります。  それから、第三次世界大戦の問題についてはいま申し上げましたとおりでありまして、これは、とりわけ核兵器の問題を中心にいたしまして日本としてそれを避けるためにやるべきことがたくさんあるし、そういう意味での努力を残念ながら政府レベルでは今日まで日本はやっておらない。世界の火薬庫をそばに抱えていながらそこでの緊張緩和のために一体何をやってきたか、何一つやっていないわけであります。だから私は、非常に危険なのは恐ソ論である。ソ連がこわい、こわいと。決して私はこわくはないと思います。むしろソ連はたくさんの弱点を抱えている。そして軍事力がむしろ首かせになり、ソ連安全保障そのものを損なうようにいまやなりつつある。そういうことはアメリカについても言えるのではないか。むしろ日本のように、平和憲法を掲げ、そしてもしその憲法が定めますとおりに軍縮努力、平和の努力をすれば、これこそが一番確実な安全保障になるのではないか、そう思うわけであります。
  89. 前田寿

    参考人前田寿君) 第一のソ連脅威論でありますが、私はソ連だけが脅威だというようには考えておりません。いまでもアメリカの方が軍事的に若干は優位に立っている。それは、優位に立っているというのは若干核戦力が強くともそれによって戦争に勝つという意味では毛頭ありませんけれども、もともとアメリカの方が独占的に強かったのが変化してきてソ連が追いかけてきて、そして現在アメリカと並んできたというのが私の判断であります。したがって、突発的にソ連脅威が生じたということでもないと思うのです。しかしながら、アメリカを追っかけてきたソ連、これは経過を見てみますと明らかに悪循環でありまして、これを防ぐ手だてが重要であるというように考えます。  それから二番目の第三次大戦、特に核戦争の防止でありますが、これについては、私は、世界軍備状況、それから軍縮交渉の実態もそうでありますが、軍備状況世界の人々にできるだけ知らせるということが重要な、遠道のようであって重要なファクターではないかと思います。つまり世界の人口四十五億六千万人のうち、ここで現在論議しているようなことをよく知っており、またよく考えておる人たちは何人いるかということを考えますと、ごく一握りの人にすぎない。ほとんど全く関心のない国民もあるかも——いや、あると思うのですね。そういう状況ですから、軍備状況を知らせるということ、これはちょっと私が述べますこととも関係があるんですけれども公開性。それからもう一つ、ちょっとなれない言葉ですけれども透明性、トランスペアレンス。どこに何があるというようなことをできるだけ外国にわかるということ。軍事はなるべくそれをわからせないようにするわけでありますけれども、現在は人工衛星の時代であって、地上にスパイを送らなくてもかなりの透明性を得られる。透明性をふやすことによって、脅威というか、危機といいましょうか、緊張を緩和することに役立つのではないか。その際、国際連合にできるだけ協力をしてやればいいのではないかというようなことを考えております。
  90. 畑田重夫

    参考人畑田重夫君) 前者のソ連脅威論でありますけれども、これは、やはり具体的に日本にとってソ連脅威であるのかというふうな問題の立て方をしなければならないというふうに思います。確かに、隣国の場合、ソ連に陸地でもって境を接している国、隣の国ですね、たとえば中国もそうですが、アフガンもそうですね。それから同じ社会主義的な国家体制、ワルシャワ条約機構の中の、そういう中におけるヘゲモニーを握ろうとするいわば大国主義的な考え方とかあるいはそういう政策傾向、さらに民主主義的でないソ連におけるそういった政治上の問題点、こういったものがある場合には、現にそういう脅威を受けている国があるんですね。ところが、日本の場合、海を隔てておりますし、資源の乏しい国でありますし、こういうところにたとえばソ連が何のために侵略をするか。これは、ただ一つあり得るのは、先ほど藤井参考人もやや言われたのですが、アメリカソ連が戦争になった場合に、決してこれは前の朝鮮人民軍であるとかベトナム人民軍のようなわけにはいかなくて、ミサイルも持っておりますし、核兵器も持っている国でありますから、それの報復として、日本に対する、基地に対する攻撃があって、これが日本の国土や国民生活に被害をもたらす、このことがあり得るわけですね。だから、現に、大賀元海幕長も、これはフィクションである、ソ連の北海道侵攻論はこれは全くフィクションであるということを述べられています。あるいはアメリカ日本に関する公聴会がありましたが、ギンという前の在日米軍司令官も、日本に対する単独のソ連脅威というのは絶対にあり得ないと、これは一人だけではなくて、各大学教授も含めて発言した人が数人、全部同じように言っておりますね。私たちはそういうふうに問題を立てなければならないのではないか。だからこそ非同盟。唯一の脅威があるアメリカの基地があって、そこに盾として攻撃してくるということを、このことをやはりなくさなければならない、排除しなければならない、そういうことを申し上げたわけであります。  それから二つ目の問題は、日本国民が平和で安全で生き残れる道はという第三次戦争の関連での御質問がございましたけれども、私どもは、日本憲法の前文にもはっきり書いてありますように、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、この前文の見地に立って、決して日本だけがではなくて、日本が今日の諸条件のもとで世界の平和にどのように貢献できるかという意味で、先ほど私の平和、安全保障に関する構想として、あるいは幾つかの政策的なものを申し上げたわけであります。そういう意味で、世界的な規模における核戦争を何としても防がなければ日本も含めて生存が危ぶまれると、そういう状態だというふうに思います。
  91. 青木日出雄

    参考人青木日出雄君) 先ほど軍事力と軍事体制意味について申し上げましたので、誤解をされたのではないかと思いますが、私は別に軍備をこれ以上どんどんエスカレートをしなければならぬとは何も言っていないわけであります。それよりも、現在の状態から軍縮可能性は十分あると考えております。  軍縮というのは、またこれはアメリカの言っておりますように、同じレベルに物事を引き上げなくても軍縮はできるのでありまして、軍縮の一番最初の原理から言いますと、両方が同じ比率で下げていきますと最後は同じレベルになってしまう。ですから、どんなアンバランスがあってもできることであります。ただ、先ほど軍事同盟について申し上げましたのは、おのおのの国の国情とか環境とか能力とかに応じてそれは分担をすべきものだと。集団安全保障の中でそういう形をすべきものだと申し上げましたが、端的に申し上げますと、たとえば一番初めのソ連脅威について、隣に強大な軍事力といいますか、世界で一番大きな軍事力を持っている国があるのでありますから軍事的な意味から言って脅威がないはずはないのであります。常に軍事力が存在をすれば軍事的な脅威も存在をいたします。  ところが、具体的な話になりまして、たとえばソ連が現在極東地域にSS20を百八基、あれはもう九掛ける五というのが一編成でありますからいずれは百三十五になると思います。そのSS20がある。しからばそれに対抗するための抑止力として日本に核弾頭つきの巡航ミサイルをいっぱい並べればいいか、決してそうではないのであります。そういうところで軍事力バランスというのは存在しない。といいますのは、ソ連のSS20は東京へ届くでありましょうし、日本に巡航ミサイルを配置をいたしましてもそれはモスクワには届かないわけであります。軍事力の中でこういうときのトレードオフというのは、モスクワに到達をするミサイルでなければ東京に到達をする核ミサイルの抑止力にはならねということです。ですから、個々についてのバランスをとるという考え方というのは間違いでありまして、そうではなくて、集団安全保障体制の中で抑止力として有効に機能させるということが現実にいまの世界体制上必要だというわけであります。  もう一度申し上げますが、ソ連脅威について、実際に軍事力がありますからそれは脅威でありますが、ただ、差し迫ってそれでは日本ソ連に占領される可能性があるかどうかというようなことになるとその可能性は余り高くないと思います。特に、現在の軍備で、抑止理論で考えますと、実は先生の御質問ではなくて、先ほど源田先生の御質問にあったことでありますが、たとえばシーレーンの防衛について、実はシーレーンの防衛なんていうのは抑止効果が最も働くものなんであります。一定の距離、たとえば千マイルなら千マイルの中で潜水艦を制圧するといったってその先はどうなるんだという、常にそういう問題がつきまとうわけですね。そうではございませんで、そういう問題こそ一定の軍事力を持ち、一定の軍事体制をもって抑止力として機能し得るものという、逆に言いますと抑止効果以外にシーレーンの防衛なんていうのはできないわけであります。というのが申し上げたいところであります。  それから、第三次世界大戦が起こり得るかどうか。先ほども申し上げましたように、実は現在のように核兵器が発達し、装備をされてしまいますと、余りにも大量破壊の恐怖が大きくなりますから実際に第三次世界大戦に発達する可能性というのはないのではないか。これは兵器論についてよく言われることなんですが、第二次大戦で主要な交戦国はみな毒ガスを準備したのであります。しかし、それを使用したときに出てくる被害の大きさを考えまして、どこの国も負けるまでほとんどそれは使わなかったのです。兵器というのはそういう性質も持っておりますので、大量破壊兵器になるほど使いにくくなる。同じく大量破壊兵器ほど実は両者の軍縮交渉は成立をする可能性が出てくる。いままでの兵器の発達から見ますと、必ずある一定の段階になりますと、両方での使用の抑制とか使用の禁止とかについての条約ができておるわけであります。ですからまあ幾らか楽観的でありますが、現にその事態になりましたので、米ソともにいま戦略核兵器の削減交渉を始めているわけであります。  一番初めに申し上げましたように、私の考えているのは、一定の地域の中だけで余り軍事力バランスを神経質に考える必要はない。それよりも集団安全保障体制の中でいかに有効な抑止力として働かせるか、それから、一国で考えますと、軍事力だけではなくてその他の努力によって、きょうはそれを申し上げなかったわけですけれども、その他に投入をする努力によってその集団安全保障体制も保つことができるというふうに考えるのであります。
  92. 梶原敬義

    ○梶原敬義君 もう時間ないですね。  最後に、青木先生の件ですがね、二点ほど意見だけ言って終わらしていただきます。  隣に世界最大の強大国、それはアメリカソ連とどっちが大きいかというのは議論があるところなんですけれどもね、これがあるから脅威だと言われるけれども、あなたと意見の違う、僕よりもっと力の強い人が本当に隣の家へ住んでいたらそれをあなたは恐らく脅威と感ずるんじゃないですかね。そういう論理の飛躍についてどうも納得できない。  それからもう一つ、大量破壊兵器がどんどんできれば戦争はもうそれは抑止につながっていくという、やらないという考え方は、僕は甘いと思うしね、これはもしやったらどうなるのかというところ、そこを慎重に考えないといけないんではないかという、また、この点については後ほど質問される方で続けていただきたいと思うんですが、どうもありがとうございました。
  93. 和田教美

    ○和田教美君 きょうは午前中、午後のお話を聞いておりまして、総合安全保障という問題についての考え方というものが皆さんの立場立場によって非常に多岐にわたっているという感じを改めて強くいたしました。  まあこの委員会は、外交及び総合安全保障に関する調査特別委員会でございますから、せっかく委員会もできたわけですから、せめて総合安全保障という概念について、なかなかむずかしいことかもしれませんけれども、大まかな考え方の合意ということができれば大変幸いだというふうに考えております。そういう立場から幾つか御質問をさしていただきたいと思います。  まず最初に、前田参考人にお伺いしたいと思いますが前田参考人はいまのお話ですと、けさから熱心に御発言を聞いておられたそうでございますので、総合安全保障という問題における軍事的手段と非軍事的手段とのバランスの問題ですね、これをどう考えるかという問題についてお伺いをしたいわけでございます。  最初に、午前中意見を述べられました佐伯参考人は、安全保障というのは本来総合的なものである、手段は非常に多様であるということを申し述べられまして、この点に関してはきょうの参考人のほとんどの御意見は大体一致しているというふうに思います。ただ、佐伯さんは、軍事的な手段が非軍事的な手段と比べて完全に代替性があるのか、非軍事的な手段が軍事的手段に完全にかえることができるのかどうかという問題については完全に代替性があるとは考えない、やはり相互補完的なものであるということをおっしゃって、さらに日本において総合安全保障論というものが盛んに展開される場合に、余りに総合安全保障ということを強調すると、軍事的な防衛力という問題があいまいになる危険性もあるというふうなことも指摘されたわけでございます。しかし、私は、確かに佐伯さんもおっしゃったように、非軍事的な手段、たとえば平和外交努力とか、あるいは軍縮とか、あるいはまた経済協力とかというふうなもので完全に軍事的な手段を代替することはなかなかできないという点は認めますけれども、しかし、日本においては、特に平和憲法を持っておる日本においては、やはり軍事的手段というものをなるべく低いレベルに抑えて、非軍事的な手段による安全保障を追求していく部面を極力大きくしていくべきではないかというふうに考えるわけでございますけれども、前田参考人の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  94. 前田寿

    参考人前田寿君) いま和田先生がおっしゃったことにつきまして原則的に同感であります。  私も、午前中佐伯さんのお話を聞いておりまして似たような印象を持ったわけですけれども、もともと軍事的な措置とそれから非軍事的な措置を同等に比較するところに問題があるのではないかというのが一点でありますし、それからもう一つ軍事力に対して非軍事的な措置という、これも言葉の上で若干問題があるかと思うのですね。軍縮というのは軍事の裏返しであり、軍事そのものを動かすものでありますから、もっと適当な言葉があるかと思うのですが、それは別といたしまして、軍事的な措置を、軍事力安全保障の力として強めるということと同等に、日本においては、いまおっしゃったように、その他の軍事以外の安全保障力、これを非常に大幅に力を入れて強めるということが重要であって、特に日本の場合はそういう観点に重点を置くべきではないかと思うのです。  私は、よく日本で軍事ないし核の論議をするのを聞いたり読んだりしておりますと、日本の方が、どうも大核戦力を背景としたアメリカの人が物を言っているような錯覚を持つことがあるわけです。ところが、日本の場合はアメリカと同盟は結んでおりますけれども、やはり別個の独立国であるし、きわめて小さいし、地理的に位置するところも全く違うわけですし、世界に重大な事態が起こったときにアメリカと全く同じ状況に置かれるわけではないわけです。したがって、いま御質問の和田先生が述べられましたように、軍事的な防衛力以外の安全保障力、これは日本こそ開拓すべきである。いま、世界的にはスウェーデンが非常に熱心でありますが、こういう国と匹敵するような、またそれ以上の努力日本がやらねばならないし、またできるということであります。午前中にもパルメの話が出ましたが、パルメが置かれているヨーロッパ立場と、北東アジアにおける日本立場というのは質が非常に違うわけですから、日本日本で独自のそういう努力を開拓すべきであるというように思います。
  95. 和田教美

    ○和田教美君 それでは次に藤井参考人にお伺いしたいと思います。  いまの問題とも多少関連があるわけでございますけれども、藤井さんも総合安全保障というふうな考え方から非軍事的手段をさらに高めていくことが必要だということを結論的に申されたわけでございますが、確かに藤井さんがいろいろ指摘されました中曽根総理の抑止と均衡論というものに対する批判には非常に聞くべきところが多かったと思っております。しかし、抑止と均衡による軍拡路線というものに対置するものが非武装中立論であると、つまり白か黒かという選択がいまの日本安全保障政策として果たして適切であるかどうか。安全保障政策というのは多様な手段の組み合わせであると同時に、まあ白と黒というふうになかなか割り切れない面がたくさんあるわけでございまして、いわば灰色的な面がかなりあるというふうに思いますが、非武装中立という考え方一つの理想として掲げるということは私にもわかりますけれども、現実の政策として、その辺の第三の道といいますか、中間の考え方というものはあり得ないかどうかというふうなことをお聞かせ願いたいと思います。
  96. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) まあ政策の問題を考えていただくのは政党なり政治家の皆さん方であって、余り政策論を私が申し上げるのもいかがかと思いますが、私自身が考えておりますのは、非軍事的手段について、大きく言いいまして軍縮といったようなものもございますし、それからそれだけではなく、教育とか文化とかあるいは経済とか、そういうやるべきことはもう実にたくさんあると思います。とりわけ若い世代が将来お互い理解し合ってこの地球で生きていかなくちゃならない、そういう意味では次代の人々の交流と相互理解、これを広げていくというようなことが将来日本自身が生存していくためにも非常に大事ではないか。だがしかし、そういう意味での努力というのはほとんどいままでなされていないわけでありまして、大学一つつくるのに本当にジェット戦闘機十数機あればできる、そういう大学を若い第三世代の青年たちのためにつくるという努力もしておりません。だから、そういう努力をすることの方が戦闘機を幾つか持って、そして商権や権益を守るというようなことをやるよりははるかに有益であろうと思います。  で、私が考えておりますのは、そういう意味での積極平和政策でありまして、この内容はもう本当にたくさんのものを含めて考えることができると思うわけです。で、白か黒かという問題になりますと、私はやはりこれは平和というのがもう絶対的なわれわれの追求すべき目標であって、まあお話は聞いておりませんが、佐伯さんがおっしゃったように軍事的手段というものを合理的に何かある場合には使っていいというふうには私はやはり考えられないと思うのです。何と言っても軍事的手段を使うということは人間が殺し合いをすることですから、そういうことは絶対に避けたい、これはやはり政治の方向でなければならぬと思います。  ただ、非武装中立をすぐできるかといいますと、これはそんなことはもちろん全然不可能なことだと思うわけです。それは何よりもやはり国民の合意が成立するかどうかということが問題ですから、そういう点から考えましてもこれはなかなか簡単にはいきません。国民全体が非武装中立でいこうというふうに決意すれば、私はそれで十分日本の安全を確保することができるというふうに考えております。その条件ができていないという点が一つ非常に大きな問題だと思っております。
  97. 和田教美

    ○和田教美君 次に前田参考人にもう一度お伺いしたいわけでございますけれども、まあ前田さんのお話は主として軍縮問題でございました。軍縮とその準備的措置ということでございましたが、特に北東アジアにおける軍縮及び準備的措置についてこの委員会で何か研究して考えろというお話でございました。  私もその必要性は非常にあると思っております。今度のINFの交渉を見ておりましても、どうもINFの交渉がもしまとまった場合にはヨーロッパ配備のソ連のSS20がアジアに回ってくるのではないかというふうな説が出ますと、日本政府があわててこれをグローバルな交渉にしてくれというふうな申し入れをするというふうなことも起こったわけでございますが、やはりそういう場合に軍縮交渉ということになるとヨーロッパ中心になるというふうなことではもう済まない状況が、説明はいたしませんけれども、いま北東アジアで起こっておるというふうに思います。そういう意味アジアにおける新しい軍縮の、何といいますか場といいますか、そういうものを何か考えていかなければならないというふうに思いますが、それを具体的にそれでは国連の場に求めるのか、地域的な何かそういう会議みたいなものにするのか、それとも二国間の交渉というふうな形がいいのか、その辺について長年軍縮問題を研究されております前田参考人として具体的にどういうアイデアがあるか、一つでも二つでもひとつお示しを願いたいと思います。
  98. 前田寿

    参考人前田寿君) 私が最初に報告しました内容と関連性もございますが、もう十年二十年も前から私はアジアにおける広い意味軍縮問題を検討しなければならないということを主張してまいりました。やっとそういう関心が出てきたということを喜んでいるわけです。  先ほどの和田議員の御質問とも関連があるのですけれども、軍事力と非軍事的な安全保障の力というのは別々ではありませんで、表裏の関係になっている、一体だというように私は考えているわけです。つまり、防衛政策の中には軍縮軍備規制に関する政策もビルトインされていなければいけない、そういう意味もあります。  アジアにおける軍縮交渉ということでありますが、いまの御質問は具体的な意見を求めておられるのだと思いますが、いろんな点を考えなければならないと思います。現在は公式の軍縮交渉としてはニューヨークの国連総会、それからジュネーブの軍縮委員会、これが公式でありまして、そこではいろんな地域の問題が取り上げられております。現在地域的な、つまりアフリカ軍縮委員会とかラテンアメリカ軍縮委員会というようなものはございませんけれども、これはいずれ私は世界規模の問題を扱うニューヨークやジュネーブの交渉のほかに、各地域別につまりアジア、ラテンアメリカ、アフリカその他、地域別にこういう問題を扱う場ができることが望ましいと思っています。それは特に地域的な軍縮軍備規制の措置を取り扱う、それに重点を置くということがいいかと思うのです。ただし現在、非常に近い将来、ここ一、二年の間にそういうような機構づくりをすることが望ましいか、あるいは可能であるかどうかということになりますと、これはまた問題であります。  そこで具体的に考えておりますのは、まずこの政府間の交渉というのは大変厄介だと思うのです。たとえば北東アジアで私が先ほど取り上げました七カ国にしましても外交関係のない国が含まれているわけですから、そういう国を集めて軍縮論議を、政府の代表を集めて軍縮論議をするというのは大変困難だと思うのです。したがって、たとえばその七カ国の中の二カ国ないし三カ国、そのできる範囲で民間人の会合あるいは国会議員の会合というようなこと、つまり政策に直接拘束されないような人たちがまず基本的な話し合いをする。そういうことから始めまして、次第に国の政策とも関連を持たせたようなレベルへと交渉を上げていくということがいいのではないかと思うのです。したがって、最初は二国間、三国間でやるのが最終的にはその地域関係諸国全部が出るということであり、最初は民間人の研究会議的なもので始まって、ついにそれが政府間の交渉へと進むことを目指す。これは話し合いが条約締結ということばかりを考えるのではなくて、私自身は話し合うことそれ自体平和に貢献するというように思っているわけです。  それから、それに関連しまして現在は何といいましても軍備軍縮交渉に関するデータが不足しておりますし、関心のない人が多いわけです。したがって、たとえばアジアにつきましてもデータバンク的なもの、軍備軍縮に関するいろいろな資料をできるだけ多くの国の多くの人に知らせるような、そういう機関が必要ではないか。そんなにお金のかかる問題ではないのです。これは私は国連の軍縮部とも話しておりまして、そんなに金のかかるものではなく彼らも非常に関心を持っております。そういうじみちな基礎的なことから始めるのがいいのではないかというように考えております。
  99. 和田教美

    ○和田教美君 ありがとうございました。  もう質問時間が終わったようですが、もう一点だけ青木先生にちょっと簡単にお聞きしたい。
  100. 植木光教

    委員長植木光教君) では簡単にお願いいたします。
  101. 和田教美

    ○和田教美君 大韓航空機の事件でですね、先ほど防衛庁には情報収集能力があるというふうに通信収集能力を非常に評価されたということは私もそのとおりだと思いますけれども、できればああいう事件は未然に防げれば一番よかったわけで、そういう意味では機器管理の体制といいますかね、たとえばレーダーは防衛庁の航空自衛隊でやっている、それからつまり無線の傍受は陸上自衛隊でやっている、それから民間の航空管制は別だ、そうしてそれを統合するシステムというのは何らない。これを即時迅速にそういう情報がもしまとめられて分析できれば、あるいは将来ああいう事故が防げるかもしれないということがあると思うのですが、その辺についてのお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  102. 青木日出雄

    参考人青木日出雄君) 先ほどいまの時代で一番必要なのは情報収集能力だというお話を申し上げましたが、それと同時に国際間でその情報をどう利用するかという問題と、それから国の中でその情報をどこが管理をし、どう利用するかという二つの問題があると思います。  先ほども申し上げましたように、いまの安全保障のための情報収集手段というのは別に防衛庁が持たなければならぬものではございませんで、国としてはっきりした統合された機関があればいい。それからまたそれは国際的に利用する。先ほど前田参考人がお話しになりました透明化というのは一つはそれだろうと思うのです。実際に現実の状態を正確に把握をし、それを国際間で利用するということが一番いい方法だ。またそれが一つ同盟関係のある組織の中でありますと、それは相互に利用できるようにすべきです。それをすることがああいう事件を防止できる一つ役割りではないかと思うのであります。ただ、大韓航空事件につきましてはあすまた陳述をすることになっておりますので、それに細かい話は譲らしていただきます。
  103. 和田教美

    ○和田教美君 ありがとうございました。
  104. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 どうも参考人の方々御苦労さまです。  午前中のお二人の参考人は、意見の違いももちろんありますけれども、かなり軍事力による安全保障を共通して強調されましたけれども、午後の四人の参考人の方々は、もちろん立場の違いはありますけれども、軍縮による安全保障を強調されたということが共通点としてあったと思うんです。この安全保障の問題がこのように大きな問題になってきたことについては、これは私は軍事同盟の対抗の悪循環、軍事ブロックの悪循環がやはり最大の問題だと思うんです。一九五〇年代の前半にNATO、日米安保、SEATO、CENTOなどが次々にでき、ワルシャワ条約機構もできて軍事同盟の対抗が生まれる。私は、今日のような状況にきたことの原動力は、帝国主義陣営のリーダーのアメリカだと思いますけれども、七〇年代の中ごろからソ連もまた誤った軍事力バランス論をとって、軍備拡張の悪循環のもう一方の役割りを果たすに至って、われわれはソ連に対しても、社会主義にふさわしくないやり方だというので、正しいイニシアチブを発揮するように求めているということがあるわけです。  なお、源田委員が発言されて、やはり公の委員会ですので一言言っておきたいんですが、あの第二次大戦の最終段階でのソ連の対日参戦、日ソ中立条約違反だという指摘がありましたけれども、あれは四五年二月のヤルタ協定でルーズベルトが強く参戦を要求し、その後ソ連の側は、日ソ中立の基盤はもう実体がなくなっているということで、翌年からの条約延長をしないという通告をした上でのことだったということを一言つけ加えておきたい。  それからなお、マルクス、エンゲルスなどについても言及がありましたけれども、この点についてはまた別の機会にしたいと思いますが、やはりおっしゃる場合には正確な事実に基づいて、それから今日の科学的社会主義の諸党の方針に基づいて言及をしていただきたいという希望を申し述べておきたいと思います。  初めに、前田参考人にお伺いしたいんですけれども、前田参考人は北東アジアにおける信頼強化措置などについての御提案がありましたけれども、先ほど畑田参考人が触れた昨年のアメリカ上院の公聴会でも、やはり米ソ対決というのが、米ソの世界的対決が、たとえば日本における攻撃などの唯一のケースだということがありましたけれども、ですから北東アジアの問題だけではなかなかいまの安全保障の十分な措置には当然ならないわけですね。その点でやはり国際的ないまの危険な軍拡状況をどう軍縮の方に持っていくかということを考えなきゃならないんですが、私先ほど指摘しましたように、やはり基礎には軍事同盟問題があると。これは国連憲章に基づく集団安全保障概念とやはり違った仮想敵国を持った軍事同盟の対抗が世界の危険な行動をつくっているわけなので、この軍事同盟をどう解消していくかということに触れないと、やはり本当の軍縮は実現できないのじゃないかと思うんです。国際的に広がった反核運動もいまヨーロッパなどでも非同盟を目指すという動きになっておりますし、私どももこの日本の軍事同盟、安保条約をどう解消するかということが日本軍縮に貢献する最大の問題ではないかと思います。前田参考人はお話の中で、軍事同盟についての評価、余り触れられなかったので、その点どうお考えになっていらっしゃるか、お伺いしたいと思います。
  105. 前田寿

    参考人前田寿君) 基本的には私のアプローチは、軍縮及びその準備的措置につきまして、グローバルなアプローチとそれから地域的なアプローチ双方を肯定し、あるいは双方両輪のごとく考えて進んでいくということが第一の起点であります。それからもう一つは、非常に漸進的にこの軍縮とその準備的措置に取りかかるということであります。  したがって、いま上田先生がおっしゃいました軍事同盟の問題、これは現在ですからこの軍事同盟があるままで、いろんな話し合い交渉をするということになると思います。そのことが、軍事同盟が存在するということがかなりの足かせになって、重要な軍縮の進展というのは大変困難であろうと思うわけですね。しかし、それをもたらすような状況環境地域的につくっていく。それを強調することは世界規模での核軍縮交渉などをおろそかにする、軽視するというような意味では毛頭ないわけです。両方同時に進める。これはちょっと触れましたけれども、従来戦後の軍縮交渉を見てみますと、ほとんど全く米ソ本位であって、その中でも御指摘のNATOとワルシャワ条約機構の対峙ということを基礎にして動いてきたわけです。しかしながら、これでは世界の平和は保てない。特に紛争が起こるとすれば、これは地域的に起こるわけです。したがって、この地域の安定ということを重視した準備的措置を考えなければならない。地域的にもあるいは世界的にも漸進的にいい状況が出てくればそれに従って軍事同盟の処置を考えていくということであります。
  106. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 もう一言。それではたとえばアジアにおけるその地域的ないい状況ですね、それをつくる上でたとえば日本安保条約をなくして非同盟の国になる、畑田参考人が言われたように、たとえば非同盟諸国会議に参加する。あれは国連の四分の三近くゲストオブザーバーを入れるとあるわけですけれども、そういう措置を日本が思い切ってとることがアジアの危険な緊張状態を緩和するのに役立つとはお考えにならないでしょうするのに役立つとはお考えにならないでしょうか。
  107. 前田寿

    参考人前田寿君) そういうことができる状態をもたらすというところにポイントがあるわけでして、現在あるいはきわめて近いここ数年以内にそういうような状況をもたらすことは大変むずかしいというように解釈しているわけです。
  108. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 畑田参考人にお伺いしたいと思います。  畑田参考人は、日米安保条約のもとで朝鮮戦争、ベトナム戦争とアメリカの戦争に巻き込まれた点を指摘されました。私どももいま一層危険な状況にあると思います。たとえば中曽根内閣になってからの三海峡封鎖問題などは、安保条約がどこかから攻めてくるのに対して日本を守る、特に仮想敵国としばしば言われ始めたソ連が攻めてくるのに対して日本を守る条約、仕組みであるということが全くのフィクションであることを明らかにしたと思うんであります。たとえば中東ヨーロッパで米ソ対決が起きたとき、三海峡封鎖を日本がやろうということになりますと、アジアではソ連日本に対して何らの軍事行動をとっていないのに、日本側がアメリカと一緒になって三海峡封鎖をやる、これは安保条約が守るどころではなくてアメリカの対ソ対決政策のきわめて危険なシステムであって、それに日本が自主性なしに巻き込まれているという実態を政府の口から明らかにした事態だと思うんですが、そういう危険な事態から日本をいわば救うために、畑田参考人は非核・非同盟・中立の日本を主張され、私どももその点では基本的に賛成なんですが、これこそ私は単なる軍事的手段にとどまらない総合安全保障の可能な、現実的なまた唯一の被爆国日本が国民的に選ぶべき道だと思いますが、畑田参考人はそういう中立日本が——中立条約を結んでいるわけですから、なかなか中立を破られることは国際法上少ないはずなんですけれども、万が一その中立を侵されたときどういう手段日本の中立を守ろうとお考えになっておられるのか、石井委員の質問も関連してありましたので、お答えいただきたいと思います。
  109. 畑田重夫

    参考人畑田重夫君) 先ほど石井委員の御質問に私が正しく答えておりませんでしたし、いままた上田委員から万一の場合という御質問がございました。  私が考えておりますのは、先ほど申し上げた非核・非同盟・中立の日本と、そして基本的にどの国も持っているところのいわゆる自衛権は、もちろん日本もあることは例外ではないということを申し上げたのですが、その前提の上に立ってなんですけれども、たとえばいまの憲法のままで日本がそういう状態になったときに、ある外国が急迫不正の攻撃を日本に仕掛けてきた場合にどうするのかということですね。これは大いに問題があるところでして、議論が沸いているところであります。  そこで私の考えておりますのは、基本的にそういう国民の総意と、そしてもちろんその前に警察力ですね、これはいま、どこの国も警察力はあるのですが、警察力と、それから国民がいま発揮できるもうあらゆる形態の力の結集と、これは、たとえば日本憲法学者も含む公法学者ですね、この多数意見になっているとも言われているのですが、「註解日本憲法」というのがございまして、この中にもはっきりそういう場合を想定して書かれているくだりがございます。これは、私自身は公法学、憲法学の専攻ではありませんけれども、いわば広い意味政治、公法関係でよく学会その他の学際的ないろんな研究の場でも意見を交わすことがあるんですが、たとえばその「註解日本憲法」にこういうふうに書いてあります。「わが国が保持している戦力でない力、たとえば警察力をもって侵入者に抵抗したからといって、それが非戦力から戦力に変ずることはない、ということができる。従って、それらの力によって抵抗することは、憲法第九条二項の「戦力保持しない」という規定に違反するものではない。次に否定説の第二に対しては、急迫不正の侵略に対して国家は全力をあげて抵抗すべきものであり、これに抵抗することは、一種の自然権的な正当防衛の権利であって、交戦権の否認に触れないものということができよう」と。それからさらに具体的に、それを「警察力」とかいわゆる「民衆のもつ各種の力」というふうにこれは表現はしてあるのですけれども、同時にこういうことがあるんですね。もし外国から不正の侵入者があった場合のことについてもこの「註解日本憲法」は叙述をしております。日本の現行憲法で言いますとですが、「戦力は本来は自衛のためにも保持を許されないが、この場合には、国民の損害をできるだけ少なくとどめるために、国家としてはむしろ全力をあげて抵抗することが認められてよいはずであり、その見地から、このような侵略の事後における」——たとえば侵略のあった瞬間から後は「戦力保持憲法の禁止するところでないと解すべきである。」。つまり、募集ですね。たとえば新たな軍隊の募集も含めて、これは憲法違反ではないという見解がほとんどすべてと言っても私はいいと思うのてすが、日本の学会における多数説の反映だというようにこれは思うのですが、私もそう思います。  私自身は十五年戦争の最終場面で二年間第二次世界大戦に参加を強いられまして、同期の友人たちを例の学徒動員ですけれども失ってしまった一人なんですが、私もすでに六十歳を過ぎましたけれども、もしもそういうことがあった場合には、私だって本当の意味で愛国的なやむにやまれない気持ちから私どもが持っているあらゆる力、経験も生かしながら多くの子供たちも含めて一緒に私は立ち上がるだろうというふうに、私自身もそう思っております。  それをもう少しイメージとしてわかりやすくつかんでいただくために申し上げますと、これは私いつもよくそういう場合に申し上げているのですが、たとえば過ぐるベトナム戦争の際に、アメリカ爆撃機がベトナム上空にたくさん飛来をしましたときに、あどけないベトナムの子供たちが路上の石を拾って、もちろん届くはずもないですけれども、空に向けてこれを投げるというこういう姿がよく報じられましたけれども、本来そういうものが国民の自発性や積極性に根ざした自衛の権利に基づく姿だろうというふうに思いますし、もちろんそんなことを言いましても、先ほどもいろいろと議論になっていますようなこういう現代兵器が進んでいる中で、これらは物理的に大きな力を発揮できるわけじゃないですが、その前に私が申し上げたようないろいろな措置をこれを前提としてのことで、あらゆる平和的な努力、措置、国内的、国際的なそういう政策的な努力をした上での話だと、いまの御質問も恐らくそうだと思います。そういったようなことを私自身は考えております。
  110. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 青木参考人に一言質問したいと思います。  青木さんは発言の中で、戦後、日本に使われた以外は核兵器は一回も使われなかったと、そういう意味では核抑止力というのは戦後機能してきたとおっしゃいました。確かについ最近まではそういうことが言えたと思うんです。キッシンジャーの有名な核兵器と外交政策の中にも、全面核戦争というのはもう手詰まりになっている。だから全面戦争と全面平和の間に最大限の段階を開発する必要があるというので、有名な限定核戦争論を五〇年代の末ですけれども理論化したんですが、そういういわば確かに抑止だ、使えば相互破壊ということで抑止状態というのが事実としてはいろいろ危機がありながら続いてきたわけですね。  ところが、やはりカーター政権さらにはレーガン政権になって変化が生まれてきておりまして、私はここに「朝日ジャーナル」の前田参考人と国防会議事務局参事官の菊地康典氏との対談を、これは去年の三月十九日号ですが、持ってきておりますが、国防会議の菊地氏も「こういう状況の中で、最近、核兵器を「使える」兵器とみなし、米ソ核戦争において「勝利が可能である」と唱える議論があらわれてきた。」と述べているわけですね。ワインバーガーの二回にわたる国防報告を見てみましても、ソ連のあらゆる攻撃に耐えて生き残る戦力をつくるというのがアメリカの基本戦略だと何回も繰り返していますし、そういう意味では核兵器でソ連から攻撃されてもアメリカは生き残り得るということを国防報告で公然と述べ、新聞報道によれば、六カ月の米ソ核戦争計画までつくられているという状況で、技術的発達でMaRVだとか命中率の非常な上昇などで、また巡航ミサイルなどで核戦争がやれる、勝てるということをいまのアメリカの指導部あるいはかなりの部分が考えてきたところに今日の非常な危険があるんじゃないか。それが抑止理論が崩壊したということのもう一つの理由だと思うのですけれども、その点でわれわれはもう核抑止論というのは崩壊しているし、だから核兵器全面禁止が本当に現実的課題になっているというように思うのですが、その点青木参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
  111. 青木日出雄

    参考人青木日出雄君) 現実に核兵器の小型化とか、それから爆発力の矮小化といいますか、そういうことが核兵器を使える兵器に転化しつつあることは確かであります。ただ、それは現在の米ソとも考えております戦略が核兵器の通常兵器化でありまして、それをコンバインする戦争に将来持っていきたい。いままで開発をされた兵器で全く使われないで済んだ兵器というのはございませんので、それを組み合わせた戦略というのを考えつつあることは確かであります。ただ、そのときに、現実に使われる可能性を持ちます小型の戦場核兵器とか戦域核兵器が、すぐ全地球的な戦略核兵器の飛び交う戦争になるかどうかということとは結びつかないと思うのであります。逆にそこで引き離そうとする考え方でありまして、効果といたしましては、小型化された核兵器がいままで抑止力として働いていた戦略核兵器とは違うものになりつつあるということではないかと思うのです。そこで、実際にそういうふうに二つに切り離して考えた方がいいのかどうか、また、二つに切り離して考えるといいましても、同じ核兵器でありますから、結びつく可能性というのは十分にある。それをどうやって抑止していくかということがこれからの一番大きな問題だろうと思うのです。  余りはっきりした答えになりませんが、現実に上田先生が言われましたとおり、現在の核兵器にはその危険がございますけれども、ただ、それをもって核兵器の抑止力がなくなったとは言えないというふうに私は考えています。
  112. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 終わります。
  113. 秦豊

    ○秦豊君 お疲れのところ、私で終わりますからね。  午前中から私少し展開を始めているんですけれども、いわゆる総合安全保障政策の最大の欠陥は一体何か。まさに総合性の欠如にあると私は考えております。つまり大平政権から現在の政権に至る歳月の中でも一向に深まっていない。つまり総合というのは、言うまでもなく、各部門、分野のバランス、均衡、整合、こういうものを経た後に初めて名を冠し得る言葉だと思う。ところが、やはり檜町政策防衛力整備計画のみが著しく突出している反面では、たとえば非常に枢要な備蓄、国家備蓄を含めた備蓄、これにほとんど光が当たっていない。わずかに石油と、皮肉なことに農政の欠落によって過剰在庫を抱えている米という現象はあります。あるいは、通産が主導をして、コバルト、タングステン、リチウムなどを含めたいわゆるレアメタルの国家備蓄にようやく行政の目が向き始めているにすぎない。午前中も出ましたように、政府開発援助のODAは、いまやあえぎあえぎである。では、その周辺に外交努力があり、経済協力があり、文化交流があり、それらを何となく総合安全保障政策とは言っているけれども、政府として総合安全保障政策をもっぱら担当するセクンョンなどはどこにもない。ただ一つ関係閣僚会議、その外延に国防会議があるけれども、国防会議は事務に堕している。関係閣僚会議はそのときどきのルーチンワークに追われている。したがって、はなはだ私は、全体として総合安全保障政策を議し、執行し、完熟していく行政の機構は貧寒であると言わなければならぬと思います。だからこそ、植木委員長のもと、われわれ特別委員会の存立の価値と役割りもそこにまたあると思うんです。  そこで私は、まず、藤井参考人と青木参考人に同じことを伺いたいんですけれども、お二人の軍事専門家の視点からごらんになって、現在のきわめてテンポと歩幅の大きい中曽根政権、肩に力の入り過ぎる癖のある中曽根政権のいわゆる総合安全保障政策というものを軍事専門家の眼でごらんになりますと、一体どういう欠陥を内包しているというふうにお考えでしょう。お二人に伺いたいんです。
  114. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) おっしゃるように、中曽根政権、中曽根内閣の安全保障政策というものは、全く総合という字が抜けてしまったと言ってもいいような、本当に極端な軍事力依存、軍事力傾斜を示していると思います。実際、しばらく前、これは大平総理が言われたことですが、総合安保の問題を出されたときに、軍事力だけを偏重する考えはとらないのだ、はっきりそういうふうに言われておりましたが、こういうことは一言ももう発言はないわけであります。むしろ、本当に自制が失われつつあるのではないかとさえ危惧しているわけでありますが、まさに何といいますか、暴走に近いような方向へ突っ走っている。先ほどから出ました海峡封鎖の問題にいたしましても、それから米艦護衛の問題にいたしましても、沿海州へ行くアメリカ空母機動部隊の護衛もあり得るというようなことで、専守防衛というものが、一体、そういうアメリカとペアになって向こうが攻めてくるのを一緒に行動し守るというようなことで、果たして現在国是として存在するのかどうか、こういうことも疑わしいような状況ができております。  大事なのは、もちそん、私は安全保障政策について現実主義が大事だという点は否定しませんが、どちらへ向かって進んでいくのかということがはっきりしていないのです。現実論に照らして、そして中曽根さんは自分のこの抑止と均衡の理論こそが最も現実的なものだ、こうおっしゃっておりますが、しかし、それはどちらへ進んでいっているかと言えば、軍拡と戦争の方向へ進んでいっている。そうではなくて、現実に立脚しながら平和の方向へどう進むかという点での努力が全く最近は欠落している、こう考えております。
  115. 青木日出雄

    参考人青木日出雄君) 一番先にお断りしておきたいと思うのですが、先ほど私に質問がございませんでしたので、言う機会がなかったのですが、安全保障の中で軍事的な力というのはほかのものについては代替性がないのであります。幾ら外交的な努力とかあるいは文化的な努力経済的な努力をいたしましても、破壊力、暴力であります軍事力と代替をすることはできない。ですから、これは独立に考えなければならないものだと思います。もちろんその中で軍事力というものの中には軍縮も含みます。単独の要素として扱ってそれをどう考えるかということが必要だと思うのであります。  ただ、私は抑止力論者でございますので、抑止的な意味軍事力というのは重要だと思いますし、それを持つことが必要だと思うし、それから、現在その抑止力を補完する形で集団安全保障、あるいは二国間、多国間の同盟というのも要ると思うのであります。ところが、そこで異なったブロック間、たとえばNATOとワルシャワ条約機構の間で軍事力をほかのものに代替するというのは不可能でありますけれども、では、同じブロックの中でその中の分担する役割りという点では、先ほどもちょっと申し上げましたように、ほかでのかわり得る手段はあるわけであります。その国の状況とか、置かれている環境とか、あるいはそこの国の法律的な規制とか、これによっておのおのが分担する役割りは変わってまいりますし、同じブロック間、あるいは同じ同盟国間であればその中で違う役割りによって行うこともできる。まあ現在の政策でわりあいにその視点が欠けているという気がいたします。  単に私は、ソ連軍事力が横に存在すれば、存在することだけによって、ブレゼンスだけによって脅威というのはあり得るんだというふうに申し上げましたが、それに対抗する、あるいはそれに抑止的な効果を働かせる手段が、おのおのの国がその軍事力に対抗する手段を持つことではないわけであります。一つのブロック内とか一つ同盟国内で何かかわり得る手段があれば、たとえばほかの方法で同盟国間に貢献をすることができるならば、おのおのの国で軍事力だけを等分に増加することだけがその抑止的効果を発揮するものではないということです。  特にその中で目立って考えられますのは、いまの兵器の発達とか、それから軍事情勢変化に応じまして、その軍事ブロック間でどういうような軍縮交渉をすればいいか、あるいは兵器か軍備の管理の協定をすればいいかという問題であります。これは、私個人的に考えておりますのは、現在のヨーロッパにおけるINFの交渉というのは全くの間違いでありまして、おのおのの国が違った分担をするというふうに考えれば、一つ地域間における軍備の制限交渉とか削減交渉というのはブロックの間で行われなければいけない。アメリカソ連だけを代表させて、ヨーロッパの核戦力の制限はできないはずなのであります。当然そうなれば、たとえばソ連側はフランスの核戦力も問題にいたすでありましょうし、イギリスの核戦力も問題にするであろう。ですから、そういう形でのおのおのの軍事同盟とか軍事ブロックの中で果たすべき役割りも違うし、そこで交渉すべきことも違うと思うのであります。  それも先ほど一言だけ申し上げましたけれども、日本は核兵器を持っておりませんし、非核三原則を厳守しております。その中で、では核戦略があり得ないかというと、そうではないわけであります。日本が核兵器を持たないということもりっぱな戦略でありまして、それの中で、日米の同盟間でそれを有効に生かして交渉をする方法もございますし、特に対ソ交渉にそれを使うこともできるというのが私の考えであります。そういたしますと、現在の方向というのが必ずしも私の考えている方向と一致するものではないということであります。
  116. 秦豊

    ○秦豊君 あす大韓航空機問題連合審査がありまして、確かにデテールはそこにゆだねますけれども、せっかくおそろいですから、確かになぜという観点を突き詰めればむしろ深まった印象もあるが、少なくとも九月一日に事件が生起して、今日まで軍事専門家の冷徹な目で解析を続けてこられた藤井さんと青木さんにことさらに、あしたは軍事面に余りいかないと思うから、軍事面に限定しての印象を中間的に少し総括をしておいていただきたいんです。しかも時間の制約があって、非常にぜいたくな質問ですけれども、あえて藤井、青木両参考人に伺いたい。
  117. 藤井治夫

    参考人藤井治夫君) あの事件は、結論から申しまして、私は大韓航空並びにソ連の重過失致死罪というふうに考えております。ソ連ではずいぶんと大韓航空の計画的スパイ飛行説を言うわけでありますが、その可能性はほとんどゼロに近いというふうに私は結論的には考えております。  問題は、その後の処理において、余りこれは軍事的な問題ではないかもしれませんが、大韓航空並びにソ連は全く無責任である。それからもう一つソ連の軍事体制内部の問題として考えてみまして、ソ連のパイロット、要撃戦闘機のパイロット及び要撃管制官、この辺に非常に大きな問題がある。つまり、上から命令されたら何でも武力行使をやってしまうというふうな、そこで判断力が全然働かないということですね。これと同じようなケースとして例のミグ事件がございましたが、ああいうときに武器使用ができるようにしなきゃならぬという説が一部の日本国内から出ているわけです。こんなことは絶対してはならない。してはならないことをソ連はいまやっているわけですから、それを改めさせるというふうなことが必要ではないか、こういうふうに思うわけです。
  118. 青木日出雄

    参考人青木日出雄君) 現実に武力、軍事力行使が行われたわけですが、現在、実際の世界情勢を見ますと、各国の国境とか主権を維持するために武器を使用するという可能性は随所にございます。ですから基本的に言えば、そこではおのおのの国内法が優先するわけでありますから、ソ連のように国境法を厳守をしておりましたら武器を使用されることがあると考えるべきだと思います。そうすると、中へ入った方にまず一番初めの間違いがあったというふうに考えます。ただそういうことでありますから、実際にはあの地域でなくても、またあの情勢でなくても武器は使用されたであろうというふうに考えます。しかし現実に起こりました場所が現在の米ソ間、それから将来の米ソ間で一番軍事的緊張が高まるであろう位置であります。そこへ入っていったときに、ただでは済むまいというのも本当の感情であります。この事件を通じまして、それではそういう地域について、大韓航空機が迷い込むことを防ぎ得なかっただろうか。それについては、現在のアメリカソ連の軍事体制から、それを見逃したあるいは積極的に見逃したと言うと、これは問題があると思いますけれども、積極的にそれを阻止しようとしなかった。そこに実際のアメリカソ連の軍事体制関連をしていたというのが私の率直な感想であります。  特に現在のような緊張した状態になければ、特に米ソが核兵器によって対決をしている状態がなければ、これは有効に警告をされたでありましょうし、またソ連側も武器を使用することがあり、強制着陸をさせることがあっても、撃墜まではしなかったのではないかというふうに考えます。
  119. 秦豊

    ○秦豊君 前田参考人に一問だけお伺いしたいです。  先ほどの陳述の中で、軍縮とその準備的措置という意味の展開がありました。それに関連して、ちょっと評価を伺っておきたいんですが、たとえばブレジネフ政権の末期に、たしかタシケントで提案がありましたね。北東アジアを主として指向して、信頼醸成措置の強化とか、演習の相互通告、まあヨーロッパにやや似ているんだけれども、類似の提案めいたものがあって、日本では余り強い反応は示さなかった。そういうことを含めて、最近社会党の石橋さんが北京を訪問されて、あれは第一次訪中団と言うそうですがね、党レベルでは。中国の党要人その他との会談の中で、たしかアジア・太平洋軍縮委員会ですか、というふうなものを提案された。非常に新しかったから、耳が立ったんだけれども、残念ながら中国側の公式な反応はなかったと理解しております。しかし軍縮問題を専門に研究していらっしゃる前田さんの目から見て、あなたの述べられた、まさに北東アジアにおける核軍縮措置の準備的段階のある一翼を担い得るかもしれない可能性を持った構想というふうな評価になるのか、あの構想自体がそう詳しく発表されていませんので、いまここでいきなり評価を求めることがやや無理かもしれませんけれども、その点をちょっとあえて伺っておきたいと思います。
  120. 前田寿

    参考人前田寿君) 私も興味を持って見ましたが、いま秦委員がおっしゃったように、社会党の代表団の提案の内容が不明確なんですね。どうも新聞で見ましたところ、先ほどちょっと和田委員への答えで申し上げたように、ニューヨークとジュネーブの公式の国際軍縮交渉機関、それのアジア版のようなものを考えておられるのではないかと、まあ推測しているわけなんです。もしそうだとしますと、結論的には私の個人的な印象ですけれども、まだ時期尚早ではないか、つまりそういうところまでいく前に検討すべきことがいっぱいあるのではないか。ヨーロッパを重視しながら、ヨーロッパでなおかつまだああいう状態で、INFもSTARTもなかなか難航しておりますし、その他の問題もなかなかうまくいっていないわけです。そこでアジアのことを考えてみますと、いわゆる信頼醸成措置——CBM、あれはヘルシンキ宣言で有名になりましたけれども、あれ以来非常に多くの措置を考え得るとは思うのですが、なかなか早急にはできない。したがって北京でのあの提案について、中国が反応を即座に示さなかったのはもっともだと、ちょっと語弊がありますが、それもやむを得なかったのではないかと思います。  それともう一つの要因として考えられますのは、中国はいわばまだ勉強中なんです、軍縮問題について。そうして、もうかなり前からアメリカの大学などへ、アームズコントロールの研究にいろいろやらせておりまして、それからジュネーブの現在の委員会、四十カ国委員会にも初めて出るようになりまして、関心は持ってきております。しかしながら、即座に対応するというような準備はまだできていないというように思うのです。  したがって、私個人はそういうような公式の組織づくりより前に非公式の各国間の話し合い、ですから日ソ間でも結構ですし、日本と北朝鮮でも日中間でも結構ですが、いまおっしゃったような信頼醸成措置について非公式に話し合いを始めていく、議員間ならなおいいわけですが、そういうことが非常に重要ではないかというように思っております。
  121. 秦豊

    ○秦豊君 終わります。
  122. 植木光教

    委員長植木光教君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。  参考人皆様にお礼のごあいさつを申しあげます。  本日は、お忙しい中を本委員会に御出席願い、貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の本委員会調査参考にいたしたいと存じます。まことにありがとうございました。委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時二分散会