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後藤委員 名は体をあらわすということでありまして、「長期経済計画いかん。」という諮問をされているわけです。これに対しての
中身の変更がなされていない。しかも、経済企画庁というのはどういうところで何をやるのだろうかということで、経済企画庁設置法を改めて私は見てみました。そうしたら、先ほど
長官も御
答弁になりましたように、第三条第一号に「長期経済計画の策定及び推進」という
言葉がある。さらに十四条で、「本庁の附属機関として置かれるもの」に経済審議会と
国民生活審議会がある。この経済審議会も、「
内閣総理大臣の諮問に応じ、経済に関する重要な政策、計画等につき調査審議すること。」こういうようになっているわけであります。
私は、今度の「展望と指針」というものをずっと読ましていただいて、
総理、いままでの五カ年計画なり七カ年計画というものは、それなりにポイント、ポイントに
一つの計数なり数字が、目標的に論議されていた素材の計算があるわけでありますから、当然出てくる。ところが、今度ずっと読んでみますと、数字のない文章を読むと頭に入らないのですね。数字があると数字のところでひっかかって、その前後の脈絡なり政策的な
中身というものがわかるわけでありますけれ
ども、さあっとこれを読みますと、何が書いてあったのかなというようにいくわけです。これはどうも立体的な計画的体をなしていないんではないだろうかという気がするわけです。
たとえば「七カ年計画」では
一つの目安というものが参考資料として出されているのですよ、「昭和六十年度における我が国経済の輪郭」というもの。たとえば、先ほど
総理にも御
質問申し上げた租税負担等におきましては、二六・五%程度というものを予測値として出すというようなこともやっている。そうすると
国民は、なるほど租税負担というものをいまの
政府は経済計画の中で、六十年ぐらいにはこういうところに
一つの目標を置いてやっているんだなということがわかるわけであります。ところが、これでは何もない。つまり内閣の選択の幅が大き過ぎるということ。
確かに、新経済
社会七カ年計画は、私も
質問をしたことがあるわけですけれ
ども、満身創痍と言ったらおかしいですが、現実と非常に大きく
乖離したために、これが相当
質問の矢面に立っておったことは事実であります。しかし、それは当然なんです。経済計画というものは、計画経済ではないわけでありますから、現実と
乖離していくということはあり得るわけであります。その現実と
乖離したのが、
最初の積算に間違いがあったのか、あるいは政策運営に間違いがあったのか、あるいはその他外的要因で間違いがあったのかということを立法府においても大いに議論をしていきながら、よりよき姿を求めて、また新たなる見直しをしていって経済計画をつくっていく、これが
国民に最も親切な方法だろうと思う。
ところが、諮問のことを変えていかないで「展望と指針」というふうになってしまっているということは、本来の企画庁の任務というものを遂行していないんではないか、あるいは経済審議会が求められておるものを
行政の場が少し制約しているんではないだろうかという気が私はするわけであります。
そこで、「展望と指針」というものを読んでおりまして、経済審議会の長期展望
委員会が昨年六月に、ちょうど一年ばかり前に、「二〇〇〇年の日本―国際化、高齢化、成熟化に備えて―」という膨大な文書を出されているわけであります。私は、これを読んだ方がよりわかりいいし、それから今度の「経済
社会の展望と指針」というものは、この中からそのまま取り入れられている部分が相当ある、あるいは各省庁の所管
大臣が
所信表明演説の中で触れている程度のことが切り張りでこの中に入ってきているように思うわけです。眼光紙背に徹しろとかと言われても、この「展望と指針」の中からは、これから六十五年度に私
たちはどういう
社会、どういう経済を描いていくかということは出てこないのです。
数字というものは現実からどんどん
乖離していく、逆に言えば経済計画の数字によってむしろ
行政の幅が狭められる、それがひとり歩きするということを
総理はお
考えではないだろうかと思うのですが、緊張した与野党の間で議論をしていく、あるいは
政府が経済計画にのっとって政治を進めていく、こういうことが、私は、これまで長い間の蓄積の中で試行錯誤を繰り返していきながら進めてきた経済計画のメリットであったと思うのです。それが大きくこれからは変わっていって、
一つの作文、文章を出しておけばいいということになってまいりますと、この「展望と指針」の中でも明確に出されてきておりますのは、年金については「昭和七〇年を目途に制度全体の一元化を完了させるという
方向に沿って検討を進める。」これがあるだけなんです。あとの数字は、経済成長率が四%、物価上昇が三%、失業率が二%、そして卸売物価が一%。これもなかなかうまくできておりまして、四、三、二、一、これを足したら十で、十進法の国だから十というのが出てきたのかなというような
感じで私はいる。この数字だけなんですよ。
これでは幾ら「展望と指針」を出されても、
国民はこの日本の国はどう行くのだろうか、幾ら数字の嫌いな
総理にいたしましても、それから的確に六十五年のわが国の経済の輪郭というものは私は読み取れないだろうと思うのです。もう一度返って、これはこれとして、積み重ねがあるわけでありますから、経済計画というものに戻るということを、設置法の精神に照らして、あるいは各種審議会がありますけれ
ども、経済審議会というものは非常に重みを持った審議会だろうと私は思うのです。その審議会の任務遂行に誤りのないようにするためにも、経済計画という形に戻していく必要があるだろう。
なお、これにはこの計数の根拠になった数字の参考資料が全くないわけです。どうしてこの数字といいますかそういう積算の基礎が参考資料としてつけられなかったのか。
長官、いかがでしょう。――それでは
総理から。