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三浦(隆)
委員 大変時間が惜しまれてまいりましたが、大変むずかしいところでありますが、刑法六十条の共同正犯、これがどういうことなのか。あるいは共同実行の意思とはどういうことか。あるいは共謀、共同正犯とはどういうことなのか。あるいは刑法六十一条に言う教唆犯、あるいは従犯ということはどういうことなのかということを正直、実際にお尋ねしてみたかったです。時間の都合上ちょっとそれは取りやめます。
それとお尋ねしたかったというのは、これはもう
お答えは要りませんですが、池園という渦中の人と、もう
一つには酒井さんという人がいる。そこに、ある料亭においてOBなる者が数人集まった。その中の一人がお金を車代だと言って渡した。というふうになると、そこで一般論としましては、みんなでもしその場においてそうした教授選考のことが話題となり、話題となったことを承知の上でその中のだれか一人がお金を持っていったとすれば、みんなの共同謀議が成り立った上でその中の一人が持っていけば、全員が共同正犯にひっかかる可能性が出てくる。あるいは場合によっては、そうでなくても、教唆犯なり従犯なりの対象になるというふうに理解されるような気がいたします。とすれば、こうしたことについて酒井氏というふうな人、OBなる人はどの程度の認識を持ってこれまで自分の主張をお述べになっていたのか。法律に暗いから述べたのかどうか。私にはいささか疑問を感ずることがあります。
もう
一つには、けさの
新聞になりますというと、改めてもう一人話題になる人、
新聞で名前が出ておりますからもう言ってもいいのでしょうが、酒井さんという教授も話題になっているようでありまして、この方ももらってすぐ返された。しかし、この人から勧めて、私だけがもらってはだめだ、池園教授にも働きかけて持っていった方がいいよと言い、言っただけではない、言われた相手はそれに従ってお金を届けたということになってきますと、この酒井という人の責任というか、刑法的な
意味における責任もかなり免れないところになっていくだろう……(「酒井氏じゃないよ」と呼ぶ者あり)ごめんなさい、ここに
新聞にあります横川教授でありますが、そういうことになろうかと思います。
むしろ渦中の人、池園という人が、先ほど最初に言いましたように、どこまで起訴され、有罪となるか。これはまだ取り調べの結果でわかりませんけれ
ども、この人の場合には、場合によってはどうなるかまだわからない道があり得るのではないか。いわゆる収受についても、二月九日に受け取って三月三十日には返した、四月十三日にお金を受け取って七月二十二日には返したというふうなこと、請託も否定した、いろいろなことが一応現在のところ述べられているからであります。逆に言って、もし何でもなかったとするならば――これはわかりませんよ、ほとんどクロかもしれませんから何とも、言えません。もし何でもなかったとすれば、何でもなかったことによって実は身分、教授という地位が剥奪された、名誉が傷つけられた、信用が傷つけられた、財産的にもえらい損失をしたということになれば、逆に刑法二百三十条名誉毀損、刑法二百三十三条信用毀損、民法七百九条不法行為、次々とそういう過程も、これは仮定の論議かもしれませんけれ
ども考えられないわけではなかろう、このように思うわけであります。
すなわち、ここで言いたかったのは、最初の
文部省の見解がいとも気軽に、現金収受が云々だったら懲戒免職免れぬだろう、辞表を
提出されているのだから受け取ってあたりまえだろうという話があったから、実際の問題としてはそれほど単純ではないのだということであります。すなわち、現行規定で
教員保護、いわゆる身分の保障を法律をもって規定しているということは、法律を盛るには多年にわたって、それこそ国
会議員なりが多くの人の見解を聞きながら、ああでもないこうでもないという多年の論議の中から積み重ねて現行法規というものは出てきているのでありまして、そういう
意味では現行法規の規定というのは本当に大切に守っていかなければならない。この教授は先ほど言ったように、もし辞表を
提出しなかったならばどうなりますか。やめさせようとしてもなかなかやめるものじゃないですよ。いまの田中さんじゃないけれ
ども、やめさせようと言ったって本人がやめないと言ったら、がんばった日にはなかなか容易なことじゃない。たまたまあの人はたった一人でやった。そういうことの中に、本当にその人がクロになるかどうかわかりませんけれ
ども、もしそれほどの人でなかったとしますと、いま言ったように
新聞には一斉に書かれる、自分と仲のよかったはずの同僚の教授もにわかに冷たくなる、世間の見る目も冷たい、
文部省も冷たい、まさに帰っても本当に家族とも
ども身を縮めるように小さくして、法律で自分の身分を争うというふうな勇気を喪失してしまっている、そして、一日も早く楽になってしまうというふうな、そういう気の弱いタイプかどうか知りませんけれ
ども、もしそうであるとすると気の毒だなという感じもいたします。
そこで、時間のようでございますので最後に、実は厚生省の方にも、お呼びしておりましてお尋ねしたかったしいろいろとありますが、次回にまとめてお尋ねしたいと思います。
文部省に
一つ質問をしておしまいにしたいと思います。
すなわち、社交儀礼あるいは
社会通念というふうなものは、貧しい日本から豊かな日本へと発展する過程の中で、冠婚葬祭など、ほか
教育分野に限らず、金銭授受に対する認識も昔と今とでは変わってまいりました。「おしん」の時代といまとは違うということです。小中高校の
教員に対する父兄の盆、暮れの届け等も、現在それほど不思議ではなくなってきております。厳格に解すれば、先ほ
ども怪しげな答えもあるけれ
ども、しかし先ほどの怪しげな裁判の結果というか判例を全国に流したら、
教員の中には恐慌を来す者が出るかもしれないくらいかなり一般化されております。したがって、池園教授個人や一個別
大学の問題としてではなくて、
教育者全員に対して、
教育への信頼を回復し維持させるために、
文部省は贈収賄禁止の趣意を盛ったところの指示を改めて全
学校の
教職員に出すということも
一つの手段だと思います。こんなことは本来出す必要もないのでしょうけれ
ども、いま言ったようにどこからどこまでがよくて悪いかも踏まえて、基本的な考え方からその他、いまあやふやになってきているわけであります。本人が、いわゆる刑法違反の認識を持ってというか、賄賂などの認識を持って受け取っていれば処罰されてもあきらめもつきますけれ
ども、何となく友人がみんな受け取っているからここくらいまではいいじゃないか、みんな何げなしということで受け取っていて、それでだめだったというのでは
余りにもかわいそうなような気がするわけであります。ですから、処分ということも、もちろん違法だということだけでやるならいいかもしらぬけれ
ども、処分内容を仮に軽いのではなくて厳しい処分をあえてしようとするならばするほど、この処分の前に
文部省としては、かかる
不祥事が二度と起こらないように再発防止のためのそうしたいわゆる
教員に対して、注意した方がいいよ、どういう名目になるか知りませんが、何らかの呼びかけをしておく方が
教員に対する親切というものではなかろうか。それを言っているにもかかわらず、いわゆる入学に際してあるいはその他の事例に際して、いろいろなときに金品を要求したりなんかすれば、これはもちろん許せないことですけれ
ども、いまのところはとりあえず時代が変わりまして、認識も変わっていることですから、改めてこれこれしかじか、
教員の心得的なものですが、やっていく方がむだではなく親切になるのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか。