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国務大臣(
中曽根康弘君) いま木村先生御
指摘のように、戦後三十数年の間には幾多の歴史的変遷がございました。私はしかし、今日の世界情勢や
日本の国内情勢等考えてみた場合に、明らかに歴史的転換点に立っていると自覚をしております。七〇年代におきまして不確実性の時代とか、あるいは歴史の曲がり角に来ているとかよく言われましたけれ
ども、ある
意味においてはもう曲がってきている、もう転換点、カーブを切ってきている。そういう段階に入ってきて、不確実性という霧は次第に消えてきて、問題点がここへはっきり出てきた。不確実性と言われた時代あるいは不透明と言われた時代は、何が問題で出てくるかわからないという時代であったと思うんです。いまや問題点はわりあいはっきり国内、国際、ともに出てきた、そういうように思います。
〔
委員長退席、理事
長谷川信君着席〕
そういう
意味におきまして明らかに転換期に差しかかっており、かつまたそういう
意味において過去の
日本の政治の総決算期に当たってきておるというふうにも心構えとしては考えられるのであります。
一言で申し上げますならば、国際的にはいままで
日本はさまざまな努力をしてまいりましたが、最近の情勢から見ると、ややもすれば世界的に孤立する危険性が出てきた。経済的に非常に強大な国に成長したがゆえに、片方においてはこれを危惧する声も出てきたし、またこれを羨望する声も世界的にも出てきておる。こういうような国際環境の中でどうしてこれを調和し、調整して、
日本をさらに新しい発展時代に国際的に迎えていくかという大事な局面に差しかかっていると思っております。そういう
意味で、私は世界に開かれた
日本ということでいきましょうと皆さんにお訴え申し上げたわけです。
国内的にはまたいろいろな経験をしてまいりましたが、戦後、
国民の皆さんが戦前と比べてみて非常に明らかにりっぱないい時代が来たと謳歌しておりまして、さらに大きな経済成長を踏まえまして、終戦直後仰望した文化の時代とかあるいは福祉国家という理念が現実に手の届くところへ来て、しかもそれをある
程度実践して、そのような国になりつつある。そういう、終戦直後われわれがすきっ腹を抱えて仰望して、むなしく言っていた
言葉が、いま現実のものになってきたと言えます。しかし、その結果がどういうことであるかと言えば、ややもすればわれわれの本来の理想でないような感じのものも出てきた。いわゆるばらまき福祉ということもありましょうし、あるいは自由というところからは少年の非行や学校教育の問題がかなりこういうふうに出てきておりますし、国内経済においても停滞の時代に入ってきているということでございます。そういう
意味において、国内的にも転換点に来ておるし、新しい二十一世紀に向かって、ここで方向をある
程度決めて、
国民皆さんで力を合わせていくコンセンサスをつくる時代になった。たまたまそれが行政改革の時代になり、財政改革の時代と符合してきている、こういうことであると思うのであります。
中曽根内閣は、たまたまそういう歴史的転換期に成立いたしまして、その仕事を背負わされている宿命を持ってきていると思うのであります。したがいまして、国際的な問題については、経済的摩擦について最大限の努力をして世界に窓を開くようにし、調和ある
日本にしようと思い、安全保障面におきましても、一番大事なパートナーである
アメリカとの間を調整して、これまた摩擦を防ぐ努力を行う、そういうことも実はやったと思っておるのでございます。しかし、
吉田さんが
安保条約あるいは平和条約をやりましたときに、安保をやったら戦争になると言われましたが、今日私たちがこの
安保条約を効率化しよう、いざというときには最大限に有効に発揮できるようにわれわれ自体もまた努力すべきところは努力しておこうと、こういうわれわれの善意が
国民の皆さんに十分必ずしもそのとおり受け取られないで、かつての
吉田さんのときと同じように、安保をやったら戦争になるというような一部の宣伝に乗ぜられているというところもある。われわれの努力不足をうらむのであります。しかし、われわれがやっていることは正しいことであり、この道を通じて
日本の安全と平和は確保される、こう確信してやっておるところでございます。また、行政改革にいたしましても、また財政改革にいたしましても、いよいよ本番の段階に入りまして、
国民の皆様方の合意を求めて、そして全力をふるってこの歴史的責任を果たしてまいりたい、こう考えておるところであります。
まことに非力でございますけれ
ども、誠心誠意、自分の力のあらん限りを尽くして努力してみたいと思いますので、よろしく御指導をお願い申し上げる次第でございます。