○寺田熊雄君 私は、
日本社会党を代表して、ただいま上程せられました
貸金業法案、すなわち
貸金業の
規制等に関する
法律案、並びに出資法、すなわち出資の受入れ、
預り金及び
金利等の取締りに関する
法律の一部を改正する
法律案について、反対の立場から討論をいたします。
この二
法案は、一体となって、いわゆるサラ金なる
貸金業の貸付上限利率を引き下げるとともに、業者の登録制を
実施し、
事業に関する規制を行い、もって資金需要者の利益を図る目的を持つと説明せられ、
中曽根総理をして言わしむれば、一歩前進というのでありますが、事実はこれに反し、むしろ業者の利益を図り、資金需要者に多大の犠牲を強いる内容であって、百歩後退とも言うべきものであります。
以下、その理由を説明いたします。
第一に、私は、この両
法案の底流には、他の文明国には例を見ない非近代的な高利是認の思想がひそんでいることを
指摘したいと思います。
かく申しても、私は決して、古代ギリシャの哲学者や初期キリスト教の教父たちのように、あまねく利息を取る行為そのものを禁止すべきであると主張するものではありません。しかし、私たちは、現在、少なくも議会制民主主義をとる先進諸国において、本二
法案のごとく年率七三%とか五四%というごとき高利を是認する
法律を発見することは困難でありまして、これらはサラ金業者の主張に迎合するシャイロック的暴利容認の思想による非近代的内容の
法案であると断じて差し支えありません。
さらに、この両
法案は、そのもっともらしい体裁の陰に、
国民を欺く冷酷な内容を隠している点において許しがたいものであります。すなわち、出資法改正案は本則において、第五条に規定する上限利率年一〇九・五%を
貸金業については四〇・〇〇四%に引き下げることを標榜するのでありますが、その実、附則において、法施行後三年間は七三%、その後は「別に
法律で定める日」まで五四・七五%とするばかりか、そのいわゆる「別に
法律で定める日」を「
法律施行後五年を経過した時点で経済
状況や
貸金業者の
業務の実態等を勘案して速やかに定める」と規定するのであって、これを灰色のベールに包んでしまっておるのであります。
しかも、
昭和五十七年五月七日の
衆議院大蔵
委員会の
会議録によりますと、本
法案の提案者の代表やその有力なる賛同者たちは、四〇%の金利を猛烈に論難する業者の代表らに対して、こもごも、この
法案は「四〇%にするとは書いてないのだから心配するな」という
趣旨の
発言を繰り返して、彼らをなだめているのであります。まさに羊頭をかかげて狗肉を売るのたぐいであり、とうてい許されざるものであります。まして上田昭三博士のごとき本問題の権威は、サラ金の適正金利を、業者の一昨年末現在の一口当たり当初平均融資額二十万円という低額融資についてすら三〇・九%とするのでありますから、本
法案の定める金利がいかに業者寄りのものであるかが判明するのであります。
第二に、本二
法案は、近代法が民事
責任と刑事
責任とを峻別し、すべての社会事象にそれに適合する
責任を配分しつつ規律していることを知らず、両者を混淆して立法し、そのため、さまざま
な面において著しく不当な結果を生ぜしめているのであります。
すなわち、出資法第五条の定める一〇九・五%の上限利率は、その範囲内であるならば刑事
責任を問わないという性質のものであるにすぎず、民事
責任については、別個に金融
関係の憲法とも言うべき利息制限法が存在し、元本十万円未満は二〇%、百万円未満は一八%、百万円以上は一五%を制限利息とし、期限後の遅延損害金はその倍額までを許すという段階的金利制度を採用しているのであります。
また、最高裁判所は、経済的弱者たる債務者を保護せんとする同法の
趣旨からして、この制限利息を超えて支払われる利息は、当然に元本の弁済に充当せられ、なおかつ余りあるときはその返還を求め得るとするのでありまして、この
法律と判例とにより、高利の債務の支払いに窮し、一家離散や心中のほかなき債務者や、倒産の危険に瀕した中小
企業者などが救済せられる事例が少なくないのであります。
しかるに、本二
法案は、かかる従来の金融秩序を根本的に覆し、
貸金業法第四十三条として、「利息制限法所定の利率を超える利息であっても任意に支払われたときは有効な利息の弁済とみなす」とする一条を設けているのでありまして、この両
法案が可決せられんか、今後高利の債務支払いに追われ、一家の破滅や
企業の倒産に瀕した
国民は、唯一とも言うべき法的救済の道を奪われるという冷酷無残な結果を生ずるのであります。本二
法案に賛成する人々は、果たしてかかる残忍なる結果を招来する法改正に気づいておられるのでありましょうか。
本二
法案の提案者の代表は、右に述べた利息制限法と最高裁判例とが
貸金業者の最も忌み嫌うものであることを知りつつ、彼らが本二
法案に反対しないための代償ないし懐柔策として、右の第四十三条の規定を設けたこと、及びこの第四十三条こそが本二
法案最大の争点であることを当院大蔵
委員会ではっきりと認めているのでありますから、本二
法案が資金需要者の利益を犠牲として
貸金業者の利益を図る著しく階級的のものであることは、一点の疑いさえないのであります。私はまた、これにより借地法、借家法などとともに経済的弱者たる庶民を守らんとする法務省
関係の社会政策的立法の一角が崩れ去ったことを悲しむものであります。
第三に、民事
責任と刑事
責任との混淆により、この二
法案の提案者やこの
法案を事実上立案した大蔵省は、出資法上の上限利率を超えない以上、
貸金業者の徴収するすべての利息は民事的にも有効と考え、貸金元本や融資残高の多寡により利率を上下する段階的金利制度を採用する態度を全く示そうとしないのであります。
その結果、
貸金業者は多く貸せば貸すほどもうかることになり、おのずから過剰融資に走る弊害を生ぜざるを得ません。また、そのため、大手サラ金業者は、リース会社や相互銀行のみならず、消費者金融に消極的な都銀や生保からも融資を受け、豊富な資金力に物を言わせて全国に支店網を広げ、サラ金禍の社会悪は増加の一途をたどりつつあるのであります。
第四に、本二
法案の立法作業を担当した人々は、必ずしも
貸金業者の
業務の実態、特にそのあくどい取り立て方法等について十分な知識を有せず、かつ融資自体の性格、対象、社会的機能等の異なる
企業向け大口融資と個人向け小口融資とを一緒くたにして規制せんとしたため、各般の
業務規制方法がきわめて大ざっぱ、かつ不十分なものとならざるを得なかったのであります。
たとえば、業者の暴力的取り立て方法の規制も抽象的に過ぎて実効性を有せず、貸し付けに当たり恩給証書や運転免許証、健康保険証等を取り上げる行為などの規制も考えず、白紙委任状の乱用が公正証書作成のみならず不動産担保についても行われることに思いをいたさず、保証人が全く事実を知らないうちに保証人とされる事例が多いため、業者に対して保証の意思を確かめる義務を課すべきであるのにそれを怠り、過剰融資を罰則のみならず行政的制裁の対象とさえしていないことなど、本二
法案は
欠陥だらけの
法案と称しても決して過言ではありません。
最後に、私は、今日ほどサラ金をめぐる社会悪が増大している根底には、
政府が従来、正規の金融
機関を指導して消費者金融
業務に取り組ませるための行政的
努力を怠ったことが
原因であることを
指摘せざるを得ません。しかも、いまなお大蔵省は、かかる
努力をなすことを確言せず、かえって都銀等の融資に好意を示すかのような言動さえもうかがわれるのでありますから、本二
法案が
成立し、
貸金業者が法的認知を得た場合には、都銀等の業者に対する融資はますます増加し、サラ金禍は一層増大することが憂慮せられるのであります。
以上、本二
法案が業者保護に偏り、資金需要者たる
国民の利益を害する内容を持ち、
業務規制も不十分であり、今後一層過剰融資を生じ、社会悪を増大する危険性を有する
欠陥法案であることを
指摘して、反対討論を終わります。(
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