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大森昭君 私が質問すればそういう答弁しかあなたはいつもしないんだけど、その言うとおり、ある程度の配慮をしてくれているなら私はいつもこうしつこくやらないんですよ。現実問題として、この間校内暴力の問題だとか非行青年の問題で連合審査で議論したって言うんだ、幾つかあるって言うんだ。しかし、家庭の中のしつけというものがやっぱり基礎だというわけだ。いろんなことがあるでしょう。
先生がもっと責任感持ってやってくれなきゃいけないとかいろんなことがあるけど、そうなってきますと、それは
郵政事業の人事というのは役所の仕事なんだからやむを得ないんだといってね、それはいいっていうんですよ、僕は単身の人だってね、やむを得ない場合もある。しかし、何も七十名の庶務課長がだよ、福島に青森から来て単身でいることないんじゃないの、僕に言わせればね。やっぱり青森だったら少なくとも隣りの秋田ぐらいには行くだろうし、あるいは統括
局長みたいに偉くなっちゃうと、それはまあ青森の人だろうが秋田県の出身だろうが、それは仙台地郵の
局長になったって、それはある程度ね。しかし、少なくとも七十名や六十名ぐらいの庶務課長、
郵便課長、貯金課長、保険課長、大体この辺の人というのは本省か郵政局で見習いで来てない限りは、少なくともみんな少し——まあ私も大分しわがふえましたけどね、しらがか頭がはげているかどっちかですわな、本当の話ね、正直言って。それで、しかもその方の話を聞けば、せがれは大学に行っていて、奥さんは秋田にいて、私は福島へ来てるんですよと、これじゃ幾ら職場に活力を持たせるとかどうとか言って、そんなこと……。たとえば、そういう人事をするんなら、一年たてば秋田の近辺で七十名ぐらいのところが庶務課長があくんだったらそこへ入れたらいいじゃないんですかね。あなた方はいいよ、学校出だから、もう決まってるんだから、コースが。二年でもって見習いの
郵便局の課長やって、二年やって、
局長やって、二年やって、郵政局の……。だけれど、まさにもう長い
事業の中でもうくたびれた人が、僕に言わせれば、一生懸命やっているでしょう、若いときに。それが
郵便課長で、津軽の方から福島に何でしなきゃいけないのか。やっぱりそういうことを厳密に、とりわけ東北地方は、私が行ったときに、大体そのぐらいの局ですから五人くらいの管理者がいますけれ
ども、四人は単身ですよね。この間なんかあんた、本省の人がどっか行くというんじゃないんですよ、同じ東北管内でもって奥さんと会えるのが年に三回しかないというんですよ。これでは活力もへちまもないでしょう。だから、私はいつも貯金
局長がもう臨調答申で一生懸命がんばっている、
郵便の方の
小包も大変だからといって
郵務局長ががんばっている、保険の方もそうだ、各
事業局長さんが一生懸命がんばったって、人事のあり方が、いいかげんにそうすっ飛ばして、さいころ振っているのか何だか知らないけれ
ども、飛ばしていたんじゃ、そんなもの、
事業なんか発展するわけないですよ、そうでしょう。
それから、もう一つこれに関連して、これは管理者の
立場で私は言うんですがね、党派を乗り越えて、余り気の毒なような人事をやっちゃいけません。それで断れないんです。もう五十過ぎたら、何を言ってるんだ、そんなところおれ行けるかと、役所なんかやめたいと、それはできないでしょう。できない人の弱味に突け込んで、ぽんぽこぽんぽこ……。だって、郵政省のいま本省の次席の皆さんがいますけれ
ども、全員次席になったら全部現場へ出すんでしょう、それも希望調書をとってるんだけれ
どもね。希望調書というのは何のためにとっているかといえば、岡山に生まれたから、できれば見習いで行くんでも岡山の方に帰りたいわと、いや岡山は余り適当じゃないから、鳥取ぐらいならまだいいわ。岡山の人が盛岡に行ってみたり、東北生まれの人が四国に行ってみたり、どういうんですか、これは。希望調書なんというのは何のためにとっているのかね。将来幹部になってもらいたいからしっかり現場の管理者の苦労も身につけてというけれ
どもね、一斉に次席になったら出なきゃ本省には帰れない。本省で今度は係長に帰ってきたら一斉に出なければだめ、そんな人事ってありますか。私はもう、人事のやり方というのがやっぱり
郵政事業を支えていく一つの基盤ですよ、これは。そこのところがきちっとしなければ、幾ら
事業局長が一生懸命
事業成績を上げようたって、人事の本体がそんなようなことだったら活力ありません。
しかも、最近は非常に公務員試験がむずかしくなってきましたから、優秀な青年が試験を受けて入ってきますが、当時はまさにお願いをして、東京だってみんな集めて回ったんでしょう。地方に帰りたいというUターンの取り扱いだって、どういう
方針でUターン政策なんかやってるんですか。