○森山眞弓君 大変
文部省もこのことを憂慮されまして、最近いろいろな有識者の方に意見をお聞きになるとか、その結果をまた地方の教育
委員会その他に伝達されまして、十分これからもっと注意していくようにというお気持ちで取り組んでいらっしゃるように拝見いたしますので、ぜひそのような努力を強力に続けていっていただきたいと思うわけでございます。
しかし、いま大臣の
お話承っておりますと、ちょっと抽象的なような
感じがするわけでございます。いま大臣がおっしゃいましたようなことは、かねて教育問題に
関係のある者、教育について関心を持っている者は皆同感でございまして、何とかしなければならないと思いながら今日まで来てしまったのではないかと思うのでございまして、そのような認識に基づいた上で具体的に何をしていくかということが一番大事なことではないかというふうに考えるわけでございます。
先ほど警察の方の
お話を承りましたときに、このような校内暴力に走る子供たちの大半が
学校に適応することのできない、俗に言ういわゆる落ちこぼれの子供たちである、そのようなことが事実であるという
お話がございました。このような問題意識は、
文部省にも当然前からおありになったわけでございまして、たしか五十五年十一月二十五日日付の
局長の通達の中でも「児童生徒が
学校教育に不適応を生じて問題
行動に走ることがないよう、
学校教育
活動を適切に行うため十分配慮する必要がある。」ということを言われまして、その第一に「児童生徒に対する指導
内容を精選し、指導方法の改善を図り、児童生徒が指導
内容について十分理解し、興味・関心をもって意欲的に取り組むことができるようにすること。また、
学校教育
活動のあらゆる機会を通じて、児童生徒の個性や能力に応じた指導を行い、その一層の伸長が図られるようにすること。」ということをすでにもう三年前におっしゃっているわけでございます。どうもその後の様子を見ますと、この
趣旨が十分徹底していないのではないかというような心配があるわけでございますが、どうもこのような抽象的な言い方では、具体的にどうしたらいいかというもう
一つの壁が破れてないんじゃないかという気がするわけでございます。
五十七年の六月に出されました教育モニターの報告というのがございます。それを見ますと、校内暴力の起こる
学校側の要因といたしまして、第一に、教師と生徒の間に尊敬と信頼に基づく人間
関係が欠けることであるということを挙げております。そして第二に、教師に使命感が不足している。さらに、教育指導の能力が不十分であるということを言っておりまして、これらを総合いたしますと、根本的には
先生方の意欲と能力に残念ながら問題があるということが言えるのではないかという気がするのでございます。
このようなことで気になりますのは、暴力事件の発生が日教組の勢力と比例しているということを言う人もございまして、都道府県別の数字などを見てみますとそういうこともあるのかなと私も心配になるわけでございますが、今日はそのことは特に申しませんけれ
ども、特にその
先生方の指導能力ということを重点に考えていきたいと思いまして、教員の養成のことについてお聞きしたいと思うんです。
学校の
先生になるための資格といいますのは、教職課程を大学でとりまして、その教職課程の中には教育実習というのが二週間ぐらいあるようでございますけれ
ども、わずか二週間ばかりの経験をいたしました後で、所定の課程を終わりますとだれでも資格が取れる、これはよく知られていることでございます。しかも、資格を取りました後、今度は各県教育
委員会の採用試験がありますけれ
ども、それはほとんどがペーパーテストに限られているわけでございまして、ペーパーテストの成績がいい人が現実に
学校の
先生に採用されるというわけでございますが、どうも私はこのようないままでのやり方は少し安易過ぎるのではないかという気がいたします。
学校の
先生というのは紙の上の試験ができる優等生、それだけでは不十分なのではないかという気がするんでございます。そのような問題意識が
文部省の中にもおありになりますでしょうか、お考えをお聞かせいただきたいと思います。