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岡田(正)
分科員 まことに明快な御答弁でありまして、いや、さすがは
山中さんらしいなと思いました。非常によくわかりました。
そこで、何でそんなことを私が聞くかといいますと、ちょっと余談に走りますけれ
ども、朝鮮民主主義人民共和国、略称いたしまして北朝鮮と言わしていただきますが、そこの国のことで、いま
日本の国の中におきまして約二千世帯ほどの人たちが大変心配をし、苦しんでおる問題があるのです。
これは
大臣には直接関係のないことで恐れ入るのでありますけれ
ども、事情として御説明申し上げますと、終戦になりました。そこで、
日本に来ておられました朝鮮民族の方々、不幸にしていま南北に分かれておりますけれ
ども、その人たちが国へ帰りたいという人がおれば、たとえ国交がなくたってそれはいいじゃないですか、それは便宜を計らいましょうやということになったのが
昭和三十四年の八月ごろ、藤山さんがたしか外務
大臣をやっていらっしゃるときだったと思います。そのときに、略称カルカッタ協定と呼んでおりますが、人道的な
立場から、国交がなくても帰りたい人は帰してあげましょう、こういうことになったのです。
それで、三十四年の十二月十四日ぐらいから第一船が北鮮から参りまして、それで舞鶴でお乗せしては向こうへ連れて帰るということを繰り返して、昨年の十月七日までに百八十七回送り返しております。それで九万三千三百人ほど送り返しておるわけですが、実はその中に、
日本国籍を持ったままの男女が約六千六百七十名ほどいらっしゃるわけです。それでその男女の中に、向こうの方と結婚をなさった、いわゆる
日本人妻となっている人がやはり千八百七十三名いらっしゃるのです。それで、その人たちが不思議なことに、もうそれから数えて二十四年になりますが、だれ一人として
日本に里帰りをしないのです。実に不思議な現象なんです。実際まあ国交がないから行き来がない、仕方がないな、こういうことになるのですけれ
ども、そうではない別の事情があるんですね。
これはどういうことかといいますと、国交のないはずの北朝鮮というお国から
日本へ毎年やってくる人が二百名を超えるのです。それで、二百名超える人がやってきては、また向こうへお帰りになるのです。この中には、文化使節団とかあるいは学術研究員とか、いろんな名称でお越しになります。それで今度、そうは言うけれ
ども、おれは北朝鮮にはもう帰らないよ、生活の基盤は
日本にできたから
日本へ永住するんだというので、
日本へ住んでいらっしゃる北鮮系の方、これは帰化はしておりませんが、その人たちが北朝鮮へ祖国訪問と称して行かれる数が毎年四千人超えているのです。向こうへ行かれてはまた
日本へ帰ってくるのです。その四千人を超える中で三千名を超える人が、実はお墓参りに行くとかあるいは親戚に会いに行くとか親に会いに行くとかいう名目なんです。だから、純粋の人道的ケースというのは、毎年三千人も、
日本に住んでいらっしゃる北鮮の方が向こうへ行ってはまたこっちへ帰ってくるのです。国交がなくたってそれほど自由に往来しているのです。
ところが、向こうへ一緒についていった
日本人妻、六千六百七十名の全
日本人は別といたしまして、奥さんで行かれた千八百七十三名の方はただの一人も里帰りをしない。もちろん、その六千六百七十名の
日本人も一人も里帰りをしてこない。お父さんが死のうとお母さんが死のうと、盆が来ようと墓参りにも来ない、親戚にも訪問に来ない。一切来ないのです。一人も例外がないのです。しかも、法務
大臣にお尋ねいたしましたら、
日本国籍を離脱した人は一人もいないと言います。であるのにお帰りにならないのです。
それで、まさに現代のこの世の中でこれほど不思議な物語はないのじゃないだろうかと言って、私たちはいままで七カ年ほど一生懸命運動をしておるのでありますけれ
ども、つい昨年の十月、
日本赤十字社から北鮮の赤十字社にお願いをいたしまして、ようやく九名だけ安否がわかりました。その六千六百七十名を超える
日本人の中で九名だけわかったのです。その安否調査の結果というのも実に簡単でして、一名は死亡していました、これだけです。それから今度は残りの八名の人は、本人無事、それでどこへ住んでいます、息子さん元気です、こういう調査です。だから、まさに電報のような調査ですね。その答えを
日本の赤十字社で、各県に支部がございますからそこの支部から、何々さんのお宅ですかという電話が留守宅にかかりまして、問い合わせのありましたあなたのところの娘さんは何県のどこどこへ住んでおります、元気です、それで子供さんがおりますが元気です、心配要りません、それしか電話で言わないのです。これが安否調査です。まことに不思議なことでして、一体どうなっておるのだろうかと、家族の者は本当に気も狂わんばかりに心配をしているのです。
それで、たまさか向こうからやってきました手紙、それも本当にごく少数でありますが、来た手紙を見ると、中をかみそりでみんな切ってありまして、中身は何が書いてあったのかわかりません。ですから、つないで読もうと思っても読めない。そういう手紙が来ます。それから、向こうから二百名毎年来ては向こうへお帰りになる人、あるいはこっちから四千名向こうへ行ってはこっちへお帰りになる人、そういう北鮮の人たちにたまたま託して、うまく見つからずに
日本へ持ってきたものはまともな手紙なんです。
その手紙を読んでみますと、実に聞くにたえない、涙そのもののような手紙ですね。二十四年前に着て出た服をそのまま使っているというのです。継ぎはぎだらけです。それはこうり一杯ぐらい持っていったと思いますよ、一着じゃないと思います。だけれ
ども、それが継ぎはぎだらけでどうしようもない、だからお父さん、使い古しのシーツでもあれば一枚でもいいから送ってくださいと書いてあるのですね。その使い古しのシーツというのは、あちらの服は大体白系統でありますから、子供さんか何かに服をつくって着せてやろうという
気持ちじゃないかと思います。察する以外に手がない。ハンカチを十六枚送ってくれ、これはどういう意味かわからない。
それから、向こうは働かなければ食うべからず、ノーワーク・ノーペイということが徹底しておりますから、体のぐあいが悪くなって働きに行けない、となるとお米がもらえませんから、近所の方の情けにすがってお米を借りる。そうすると、この借りた米がたまりたまって六十キロを超えちゃった、もう貸してくれるのもいい顔しません。何とかして返さなければいかぬが、体が弱いから働いて返すことができない。それでお願いがあるのですが、サッカリンを八キログラム送ってもらいたいというのです。それで、そのサッカリンを八キログラム送ってもらうと、六十キログラムのお米とペイできるというのです。サッカリンという言葉は、私
どもずいぶん前に聞きましたね。いまごろもう売ってないのじゃないかと思うのですが……(
山中国務大臣「いやありますよ。私持ってますよ」と呼ぶ)ありますか。それほど、どっちかといったら大分古くなった商品名です。そういうことを切々と書いてきておるのです。
それで、何と不自由なことだなという感じがいたしまして、百八十七回にわたって九万三千三百人がお帰りになった中に、
日本人が六千六百七十名おって、その中に千八百七十三名の
日本人妻がおって、六千人はおろか、その千八百人の
日本人妻も一人も帰ってこないという
状態が正常だろうかと言えるのであります。
そこで、漏れ承るところによりますと、北鮮との間には実は民間貿易はもうやっているんだよというお話を聞きます。それで私は、ははあ、人間よりはやはり貿易の方が先に行くのかなという感じもいたしまして、これは皮肉でも何でもありません。その実態を参考のために教えていただければと思いまして
質問をする次第です。北鮮との貿易の実況を教えてください。