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小林(進)
分科員 結構でございます。
防衛庁長官とは、ともに外国旅行もした旧友の仲でありますから、きょうはひとつなごやかにやりたいと思います。
第二番目といたしまして、私は、これは総括質問にも言ったのですよ。一番大切な、新憲法のもとでわれわれは何を守るのだ、
自衛隊は、あるいは国民でもいいです、何を守るか。この何を守るかという定義が大変明確になっていないのです。防衛白書の中には書いてあるとか、あるいはあっちでこうだとか怪しげな答弁をされておりますけれ
ども、これはないのです。私はこの前も申し上げましたよ、旧憲法と比較して考えてくれと。旧憲法は、実に単純明快なんです。それは、いわゆる天皇のために守るんだ、天皇のために死ぬんだ。それで、国民はいわゆる大君の民である。一切はそこに統括されているから非常に単純で、また精神訓話というか集団統一をして行動をともにするにはこれは実に明快なんだ。この点を私は総括質問のときに申し上げたのです。いい悪いは別だ。「大君の辺にこそ死なめ」だ。「海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ」か。
〔
石橋(一)
主査代理退席、
主査着席〕
これは有名な話ですけれ
ども、こんなことを言ったら時間がたってしまいますからやめます。重点的に申し上げるけれ
ども、旧憲法時代にはあの美濃部達吉といういわゆる憲法学者が、天皇は機関だ、国家というものを人間の体にたとえれば頭脳だ、あとの国家、国というものは身体の形であって、天皇の命令一下でこの体は動くんだという、こういう天皇機関説というものを出したときに、御承知のとおり当時の貴族院議員、それから旧学者、それから蓑田胸喜などという人が中心になって、天皇は頭脳だとは何だ、天皇が機関とは何だ、天皇即国家なんであって、天皇をおいて日本の国家の存在なんかあり得るものじゃない、これは不忠の臣であるということで大変問題になって、美濃部さんは貴族院議員を追われ、あるいは一切の公職を追われてさびしく晩年を死んでいかれたけれ
ども、しかし、天皇機関説は誤りがないということで最後まで所信を曲げずして、そうして晩年を終わられた。
そういうことで、明治憲法のときには天皇即国家なんです。天皇即臣民なんです。天皇のほかに日本国民なんかいないのです。そういうことで統一したから、だから戦争に負けるときも、国がどうなろうと、国民が全部死んでいこうと、そんなことは問題ではない。敗戦の条件は、わが皇室が一体どうなるか、皇室が存在するかどうかということの一点で、ポツダム宣言を受諾するかしないかが終戦のときの最後の悩みであったことは御承知のとおり。
私も戦争に引っ張られた。毎日毎日訓練を受けた。死んでいくときは、天皇万歳と言うんだ。お母ちゃん万歳なんか言ったら大変だ。国家万歳なんて言ったら大変だ。不忠の臣だと言われた。こういう一つの思想的統制を、この天皇即国家、われわれは何のために死ぬのだ、天皇のために死ぬのだ、大君の辺に死ぬのだという画然とした哲学を、今度は新憲法の中に注入してやらなければ、りっぱな軍隊なんかできっこない、
自衛隊なんかできっこないじゃないか。その
自衛隊は、どういう思想を統一しているかということを私は聞きたいのです。ないから、こうやって、見なさい。私は、時間がないから言いますけれ
ども、全部書き出してみた。
まず防衛白書の中。それから栗栖弘臣、これは有名ないまの
自衛隊を代表する人物であります。彼なんか、「何のための軍隊か、誰れのために戦うのか」ということの問題で野坂昭如と対談をしておる。その中で野坂は、結局、軍隊というものは生命、財産、社会の仕組み、文化を守るのだ、こういうことを言ったことに対して、栗栖は発言なし。なしが、後になって、これは非常に論議する必要がありますということを認めた。
自衛隊の頂点にいる人さえも、何を守るかということについては議論する必要がある、こういう発言をしておる。
それから、防衛研究所の教官、京都産業大学教授の小谷秀二郎「国防の論理」という中に、守るべきは現在の民主主義体制である、こう言っておる。民主主義体制を守るのが国防の本義である、こう言っておる。
それから、
防衛庁の事務局が編さんしたものの中には、防衛を考える会事務局編「わが国の防衛を考える」
昭和五十年。防衛の目的は武力侵略から国土と国民の安全を守ることだ、こう位置づけておる。みんな違うのだよ。
海原治と久保卓、「現実の防衛論議」
昭和五十四年に出した。何と言っているか。海原は、安全保障とは、外交、経済、防衛——軍事、この
三つの力を総合することによって国の安全を保つのである。これは総合論だ。それに対して久保卓は、安全保障の対象は、国の安全と独立と、もう一つは繁栄だ、こう言っている。
防衛大学の校長をやった猪木正道は一体何と言っているか。「軍事大国への幻想」、
昭和五十六年発行の本です。この中で「およそ、国家の防衛というものは、国際社会の一員として領土、領海に責任を持つという意味で主権と独立を守るための権利であると同時に義務でもある」これが防衛の本義だと言っている。
まあ、一々言ったら切りがない。いわば統一したものがないのだよ。ないところに高い金を使って、二十八万だの三十万だのと
自衛隊を陸海空軍を持って、そして飯食わしてやったって、本当に必要なときに役に立つわけないじゃないですか。思想の統一がないからだ。明治憲法のようにきちっとしたものがないからだ。だから、各人みんなばらばらだ。
もっと言ってやろうか。まだある。まだ防衛
関係論者のことを言ってやれば、防衛なんというものはマイクロ的に見れば自分の生命の問題であり、したがって宗教及び哲学の問題である。人生観が
人ごとに違うのだから、国防観も十人十色であってしかるべきだと言っている。十人いたら十人みんないろいろの意見があってしかるべきだ、こういう論議もある。こんなことで一、二、一、二と訓練したって、一体物になりますか。この問題は議論したってしようがないが、どうだ
防衛庁長官、私の言うことに異論があるか。あるならあるでちゃんと言いなさい。