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鍛冶委員 ここで、ちょっと時間がかかるのですが、ひとつ私が最近読んだ本の中で感動しました内容のものがありますので、後々の
質問との絡みの中でちょっと読ませていただきたいのですが、これは鈴木健二さんという方が書きました、いまベストセラーになっている「気くばりのすすめ」というのがございます。この本の中で「一粒の豆」という非常に感動的なお話がございまして、私もこれを読んでいて大変泣けて仕方がなかったのですが、お読みになっているかもわかりませんが、官房
長官、大蔵
大臣、文部
大臣もおそろいでございますし、総務
長官もいらっしゃいますし、公安
委員長もいらっしゃいますから、それをちょっと読んでみたいと思うのです。
この中で「一粒の豆」と鈴木健二さんが言うのは、
私は一粒の豆を自分の生きがいにしている奥さんを知っている。その奥さんには二人の息子さんがいて、ご主人はすでに亡くなっているから、正しくは妻の役割はすでになく、母親としての役割だけの
立場だが、母親がどう振舞うことがこどもにとって最高の教育であるかということを身をもって示した方なのである。こういう中で
状況が語られているわけですが、この一家は、お子さんが二人あって、上の子が小学校三年、
次男が小学校一年のときに御主人が交通事故で亡くなられた。ところが、加害者であるというようなことで、結局土地も家も全部売り払ってそれに
賠償した。残されたのは母親と子供二人で、路頭に迷ったのですが、結局各地を転々として、ある家の好意にすがって、納屋の一部を借りてその親子三人が生活を始めた。何もない中で、勉強机もミカン箱
一つというような中でやっていた。お母さんは、生活を支えるために朝六時から起きてまずビルの掃除をやり、昼間は今度は学校給食の手伝い。これは
文部省に
関係があるところでやられているようです。
〔
江藤委員長代理退席、
委員長着席〕
夜は料理屋で皿洗いというようなことで、朝早くから夜おそく、十一時、十二時まで働きづめに働いて、何カ月も何カ月もがんばったらしいのですね。その中で、結局はどうにもならぬという中でもう死ぬことも
考えられたようでありますけれども、子供と一緒にお父さんのいる天国へ行こう、そればかりを
考えるようになった。
そこで、その後、こういうふうに書いてあるのですが、
ある日、お母さんは鍋の中に豆を一ぱいひたして、朝出がけにお兄ちゃんに置き手紙をした。
「お兄ちゃん。おなべに豆がひたしてあります。これをにて、こんばんのおかずにしなさい。豆がやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい」
その日も一日働いて本当にくたびれきってしまった母親は、今日こそ死んでしまおうと、こっそり睡眠薬を買って帰ってきた。二人の息子はムシロの上に敷いた粗末なフトンで枕を並べて眠っていた。
お兄ちゃんの枕元に一通の手紙が置いてあるのに気がついた。「お母さんへ」。お母さんはなにげなしに手紙を取り上げた。そこにこう書いてあった。
「お母さん、ボクはお母さんの手紙にあったように一生けんめい豆をにました。豆がやわらかくなったとき、おしょうゆを入れました。でも、夕方それをごはんのときに出してやったら、お兄ちゃんしょっぱくて食べられないよといって、つめたいごはんに水をかけてそれを食べただけでねてしまいました。
お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ボクをしんじてください。ボクはほんとうに一生けんめい豆をにたのです。お母さんおねがいです。ボクのにた豆を
一つぶだけ食べてみてください。そして、あしたの朝、ボクにもういちど、豆のにかたをおしえてください。だからお母さん、あしたの朝は、どんなに早くてもかまわないから、出かける前にかならずボクをおこしてください。お母さんこんやもつかれているんでしょう。ボクにはわかります。お母さん、ボクたちのためにはたらいているのですね。お母さんありがとう。でもお母さん、どうかからだをだいじにしてください。ボク先にねます。お母さん、おやすみなさい」
こういう置き手紙がしてあった。
母親の目からどっと涙があふれた。
「ああ、申しわけない。お兄ちゃんはあんなに小さいのに、こんなに一生懸命に生きていてくれたんだ」
そしてお母さんは、こどもたちの枕元に坐って、お兄ちゃんの煮てくれたしょっぱい豆を涙とともに一粒一粒おしいただいて食べた。
たまたま袋の中に煮てない豆が一粒残っていた。お母さんはそれを取り出して、お兄ちゃんが書いてくれた手紙に包んで、それから四六時中、肌身離さずお守りとして持つようになった。
その後でありますけれども、
もし、あの晩、お兄ちゃんが母親宛ての置き手紙を書いてなかったとしたら、この母子たちはたぶん生きていなかっただろう。一通の手紙、一粒の豆が三人の生命を救ったのである。しかもそれだけではない。母親は気をとり直していっそうよく働き、その働く母の尊い姿をみつつ育った二人の兄弟は、貧乏のどん底でもけっして絶望することなく、よく母親の手伝いをし、勉強をした。それから十数年の歳月が流れた。お兄ちゃんも弟さんも明るく素直で母親思いの立派な青年に成長し、ともに世の教育ママたちが憧れている超一流の国立大学を卒業し、就職した。
塾に通ったわけではない。夜は暗くなると電気代を節約するため早く寝なければならないような生活だったのだ。生育環境は劣悪そのものである。そんな生活の中で、いったい何がこの兄弟に作用したのか。
それはたった
一つ、母親が毎日を一生懸命に生きたことだったのである。それだけである。その母親の後をこどもたちは小さな足で一生懸命についてきた。人間にとってもっとも大切なのは、毎日を一生懸命に生きることである。
こういう話です。
ここで私があえて長い文章を読み上げましたのは、生きざまということ、それから子供たちは大人の、そして先生の生きる姿といいますか生きざまを見ている。言葉ではない。言葉でいろいろ指導もでき、
会議をやったり通知を出すことはできるかもわかりませんけれども、子供たちが本当に見ておるのは、むしろ大人の人たち、身内の人たちの生きざまだ、後ろ姿だ、これを実は申し上げたかったわけです。
私の知っている方も、息子さんがことしの一月十五日に結婚式を挙げました。このお母さんも、主人がいなくてこれと似たような中でがんばった人です。
一体どうなるのだろうかと思って見ておりましたら、私どものところから離れて、千葉の方へ住んで十八年の歳月が流れた中で、結婚式へ行ってみましたら、子供さんが本当にりっぱに成長しているわけですね。話を聞いてみますと、やはり言葉は何も言わなかったけれども、お母さんの生きざまを見てきた、こういうことですばらしい成長をされているわけでした。
これを
考えまして、反面、ではいまわれわれを含めての反省、きょうは特に教育現場ということだけを問題にしているわけですけれども、その中で、教師というものは生きた教科書である、むしろ私はこういうふうに
考えるべきであろうと思うのですが、残念ながら、現在のわれわれ政治を取り巻く
状況も、
田中前総理の政治倫理の問題、これは間もなく決議案が取り上げられることになるようでありますけれども、こういう問題等を含めて、一連の政治の中では変な空気が流れておる。さらには、悪を取り締まるはずの警察の
関係で、悪い者と手を組んで変なことをやって、大量に逮捕者が出たりというようなことが行われている。さらには、教える教員の中で、残念ながら、私の出身地の九州の方でありますけれども、教材を入れるについて汚職、収賄、いわゆるお金をもらったり、また教頭、校長になるためにお金、まいないを使ったりというような事件が起こっておる。これはまさに、少年非行というものも、大きく詰めていきましたら、現場におけることもさることながら、家庭におけることもさることながら、こういった
状況がむしろ青少年の非行化または校内暴力につながっておる、こういうふうに思うわけでございますけれども、こういった点について、官房
長官、文部
大臣それから警察庁の方で、ひとつ一言ずつお答えをいただきたい。