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瀬崎委員 なお、こういう遊休工場用地に工場立地をいろいろやるといいますが、これは小手先では解決しないと私は思います。根本的にはやはり多面的な活用を考えなければならないし、より基本的な問題というのは、国内の
消費景気をよくすることによって初めて工場立地も進むのであって、そういう意味からも、
減税とかあるいは
福祉その他の充実で
国民の
消費、
購買力の向上を図ることが、遊休工場団地の活用という点からいっても必要だ、こういうことも一言つけ加えておきたいと思います。
時間がないので、次の問題に移ります。
先ほど来、
内海建設大臣は、
中小業者の
仕事の
確保に努めているとかあるいは
発注の公正に努めていると言われたのです。ところが、現実には
中小企業の
仕事確保には役立たないで、政治家の利権と大企業の
仕事確保に役立っている
公共事業のゆがんだ
発注の姿を新潟三区に典型的に見ることができるのです。これが資料の3と4であります。
これは、
公共事業を大企業といわゆる
田中系企業等で独占する、越山会にでも入っていないと
仕事がとれぬと言われてきたのですが、その全体像がなかなかつかみにくかったのです。いろいろと
努力をして、私の方で、まず五十六
年度、
建設省の、新潟三区内に四つの工事事務所がありますが、一件一千万円以上の全部の工事について分析を行うことができました。
この表で、Aというのは新潟県外の大手企業であります。一部中堅が入りますが、要は県外企業であります。Bというのは
田中系企業または親
田中系企業と言われるグループであります。
田中系と言われるのは長鉄工業、中越興業、越後道路サービス、大石組、長岡舗道、吉原組、山崎組、それから親
田中系と言われるのは星野組、福田組、福田道路、植木組、丸運
建設、興和地下
建設、本間組、加賀田組です。それから、Cというのは越山会系の企業であります。Dというのは非越山会系及び区分不明、あるいは共同企業体になっているために一応非
田中系あるいは非越山会系とみなすというものを含んでおります。
これはもうごらんになったら説明は要らないと思うのです。たとえば信濃川工事事務所について見ますと、総工事件数八十件、総工事額三十五億四千五百九十万円。このうち県外大手への
発注は二件、一億九千十万円で、率にして五%であります。次に、
田中系及び親
田中系への
発注十五件、八億九千八百九十万円、これは二六%です。越山会系企業への
発注四十件、十七億九百五万円で、これが四八%を占めます。したがって、大企業と
田中系・親
田中系と越山会系を合わせますと、実に二十七億九千八百五万円、七九%、八割に達してしまうのですね。
実は、越山会系企業の業者名、工事名もわかっているのですが、多くは越山会の幹部の企業なんですが、中には、新潟三区の状況では越山会に入ったことになっていないと工事がとれないものだから、心ならずも越山会員を名のっている人もあるわけですね。そういうことも配慮して、ここには個々の工事や名簿は出さなかったのです。
長岡国道工事事務所、総工事件数百十六件、九十億九千九百三十五万円です。県外大手への
発注四十件、五十三億八千七百九十万円、これは件数と金額からもわかるように、そう大きい規模の工事は余りないのです。必ずしも県外大手でなくてもやれるのでしょうが、これも政官財癒着によって大手がとる。次に、
田中系及び親
田中系二十七件、十五億二百二十五万円、一六%。越山会系企業三十六件、十四億二千二百四十五万円、一六%。そこで、大企業と
田中系・親
田中系、越山会系を合わせますと百三件、八十三億一千二百六十万円、九一%に達してしまうのですね。
三国川ダム事務所などはちょっと特殊なんですが、公平を期する意味で新潟三区内四工事事務所全部についてトータルしますと、資料三の合計欄のように、県外大手と
田中系及び親
田中系と越山会系を合わせまして百九十三件、百七十七億、八九%、九割をとっている、こういう姿になっている。世間のうわさが決して単なるうわさではない、まさにこういう事実を反映している、このことをはっきり
指摘しているわけであります。
私は、昨年の
予算委員会で、政官財癒着の談合によって入札以前に本命が決められ、入札は儀式化されている、このことを厳しく批判したのです。昨年は三井
建設の内部資料でこのことを明らかにしたのですが、今回のこの新潟三区内
建設省工事事務所の
発注状況は、結局、指名競争入札の指名権を握った
建設省が、言わずと知れた政治家の圧力に屈してこういう
発注状況を招いている、これはもう弁解の余地がないと思うのです。
今日、特に
中小企業の
仕事の
確保が、われわれ国
会議員にとって、政治家にとってまさに焦眉の急務なんですよ。そういうときに、その政治家自身が自分で会社をつくって、そして、その政治的地位を大いに利用して
公共事業をどんどんとっていく、こういうことが政治家の政治的道義的責任として許されるのかどうかです。ほっておけばこういう傾向は強まると思いますが、
建設大臣としてこういう事態をどうごらんになりますか。