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瀬戸山国務大臣 佐藤さんは
教育の専門家でございます。私は
教育面については、こう言ってはまことに恐縮でございますが、全くのずぶの素人といっていいわけでございます。今度
文部省を担当いたしまして、私は法務
大臣を担当したことがありますから、過去から青少年の非行問題を気にしてやってきておるわけでございますが、たまたま最近ああいう非常にショッキングといいますか、心配される事件が起こる、素人でございますから細かく分析してみずから対策を立てるなどという能力はございませんが、しかしこれは容易ならざる事態であるという感触を持っております。
もちろん
文部省あるいは学校等でもいろいろ努力してもらっておることは想像にかたくないのですけれども、それにしてもこういうことになるのはどこかに欠陥があるのじゃないか。ちゃんとしておればこんなになるはずがない。世の中は何事も理想どおりにいきませんけれども、しかし余りに
教育現場といいますか、将来を背負っていく子供たちがああいうふうになる姿は見逃すことができない、こういう感想を持ちまして、素人ながらちょっと
考えついたことを八項目にわたって――一刀両断にいかぬと思います。
教育の問題は、国家百年の大計と言われるぐらいの問題でございますから簡単にいかないと思いますけれども、この際、長い
歴史と伝統を持っておる
文部省、
文部行政あるいは
教育であるけれども、一遍根本的に問題点を全部洗い直してみてもらえないかということで、八項目を役所の
皆さんに私から思いつきみたいな案を出しまして、それを検討してもらっております。
それで当面やるべきこと、今後やるべきこと、長期にわたって
考えなければならぬこと、いろいろあると思います。そう簡単なものじゃないことはよく承知しておりますが、いまおっしゃった学歴社会ということ、確かに昔から言われておりますが、これをどういう
教育行政で直す方法があるのか。あるいはいま学業に追いついていけない、これは
佐藤さんが言われたように確かにあると思いますよ。それは、過去において私が刑事政策上タッチした場合もそういう面が相当あらわれておりました。それで、一体いまの学校の小中あるいは高校まで入れて、
教科書がむずかし過ぎるのかどうなのか。五十五年からやや緩和されたということになっておるわけでございますけれども、私どもの時代はそんなにむずかしい
教科書教育はなかったから、時代が違うから感覚がずれておるのかもしれませんけれども、非常に詳細な、
教科書にたくさん盛られておる。しかし、それを全部追いついていかぬというわけでもないのですから、おおよその子供たちはちゃんとしておる。全部非行に走るというわけでもない。一体
教科書がむずかし過ぎるのかあるいは学校の指導の仕方がまだ十分でないのか、いろいろそこら辺に原因があると思います。また、学校の先生の
立場から言わせると、私ども毎日のように各方面から手紙もいただいておりますけれども、うかつに手は出せないのだ、お母さん方や父兄がやかましくて、どうだこうだ、自分のところの子供はこうだといって、とてもじゃないがうかつに注意したりなんかできないという状況もあるらしい。私は、よけいなことを言いますけれども、全くいまの社会は気が狂っているのではないかと感ずるような
状態でございます。
でありますから、私は、全部がこういうことでいいのかということを、
教育についてはこの際
考えてもらう時期に来ているのではないか、漠然たることを言いますけれども。ですから、根本をついて一挙に全部快刀乱麻みたいに解決はできないと思います。しかし、
一つ一つどこに過重な点がありどこに欠点があるか。偏差値だとか輪切りだとか、私
言葉に聞いておるのですけれども、これもしかし統計学上非常に有効な働きをしておる部面もある。しかし、そういうことまでしなければ一体社会人としてあるいは世界人として立っていけないのかどうか、ここら辺で一遍
考え直すべきではないかという感じを持って専門家に検討を願っておる、これがいまの私の
立場でございます。