○中山(利)
委員 お疲れでしょうけれども、あと十分か十五分、簡単にやりますので、ごしんぼうを願いたいと思います。
先ほどから
お話がございましたように、私も
日本の
警察というものに対して高い評価を持っておるわけであります。治安
状況、検挙率ともに世界一でありますし、民主
警察のかがみと言われておりますようなフランスの
警察などに比べても、
日本の
警察の方がはるかに民主的だという評価を持っております。そういう高い評価を
前提にして、なおかつ
日本の
警察に、
国民の信頼を得られるようなりっぱな
警察になってほしいということで、以下のことを申し上げることを御了承いただきたいと思います。
実は、非常に残念なことですが、去年の秋ですか、偶然の機会から二百人近い若い人たちに
警察についての印象を伺ったことがありました。私は、
警察を好きだという人は恐らくないだろうと思っておりましたが、いろいろ聞いておりますと、もう嫌いというのを通り越して、何か恐怖感みたいなものをさえ感じさせられるような反応があったわけで、私は非常に高い評価を持っていただけに、大変残念な思いを持ったわけでございます。
これは、最近「西部
警察」だとかテレビの
警察ドラマですか、番組が、取り調べ等に相当な暴力を使ったり、ピストルをむやみに撃ち回したり、そういうことから来る影響もあるでしょうし、昔のいわゆるおかっぴき的な
警察あるいは戦前の
警察といったようなイメージがいまでも強く
国民の中に根差しているのではないかなという感じがしたわけでありますけれども、いままでのように法はきちっと守るべきであるし、重罪犯人、凶悪犯人はもう厳罰に処せられるべきであるし、
自分の意思でなくてもルールを犯した者はペナルティーを科せられるべきものである、そういうものは
国民の一つの義務でもあるというふうに私は理想的な考え方をしていたのですが、そうでなくて、その逆の見方をするようになりますと、いろいろな事例があるわけであります。
この間も、実は偶然、朝出かける支度をしながらテレビを見ておりましたら、ある少女が、
自分のお母さんからいろいろ日ごろの行状を責められて、実は何人かの男の人に麻薬を注射されて暴行されたということを話したために、その人の親戚の人が
警察に訴えたということだったのですが、それが全くのでたらめであることがわかって釈放されたわけですが、その間、おまえ何をやったんだ、本当のことを話してみろ、正直に話せば気が楽になるぞとかいうことをしつこくしつこく
質問をされて、最後には何か
自分がそういう悪いことをしたような気になってしまったというようなことを、女のアナウンサーのインタビューに答えて話しておりました。
そういうことが、いろいろ聞いてみますと、全然皆無だというわけにはいかないようであります。昔とは違いますけれども、拷問といいますか肉体的な圧迫を加える、いすをけ飛ばす、それから大きな声を出す、拷問に近いような取り調べ方法が現実に行われるということを聞いておりますし、そういう拷問を加えなくても、
警察の取り調べ室だとか留置場だとかそういう特殊な雰囲気の中では、身に覚えのないようなことでも認めてしまうという事例がたくさんある、そういうことも聞いているわけであります。それから、大多数の
捜査官はりっぱな取り調べをしているわけですが、中に、ときどき何かサディストではないかな、被疑者をことさらにいじめて楽しんでいるのではないかなと思われるような異常な精神状態を持った
捜査官がいるような感じがいたします。
また、こういうことに対して、
一般の市民、庶民というのは、
自分の権利を本当に主張をする、弁護士を頼んだり裁判にかけたりして最後まで身の潔白をみずから証明するということが必要であろうと思うわけですけれども、中にはその証明をすることが、逆に、いろいろな証人を
警察に呼び出されて同じような
質問を受ける、また、検察庁や裁判所へも出頭しなくてはならない、そういうことで迷惑をかけるよりも、
自分は身に覚えがないんだけれども、
警察から疑われているものを認めて、そしてそのことによって
自分の社会生活を守っていこうというような、何といいますか、庶民の知恵といいますか、権力に対する庶民のささやかな抵抗というものがあるんではないかな、そういう事実があるということを、私は幾つもの事例を見ているわけであります。こういうことで、当局はこのことを十分に配慮して、これからもいろいろな
捜査にかかっていただきたいと思うわけであります。
それから、
わが国の
制度は、
警察の取り調べ、検察がまたそれを検察の別な
立場から、角度から取り調べをする、裁判も三審制ということで、
国民の権利を守るということに順次チェックを重ねていって誤りなきを期しているわけでありますが、これも何か十分に
機能をしていない。先ほど私が申し上げましたようなことがそのまますんなり裁判の判決となって決着をしてしまうというような事例が余りにも多いんではないだろうか、そういうことを検察も裁判官も、その取り調べの調書にある言葉の外にあるもの、本当の庶民の人柄とか性格とか、その置かれた
立場というものをもっともっと考えていかなければいけないんではないかと思うわけであります。きのうの日石・土田邸
事件などの判決の中にも、「予断のもとに被告たちを犯人と断定し、客観的な証拠への配慮を欠いたまま自白獲得に固執し、それが
真相の
解明を妨げた」というふうに言われるようなことが今後ないように、ひとつ十分配慮をしていただきたいと思います。
こういうことでは、本来
国民の
基本的ないろいろな権利や生命、財産を守ってくれるはずの、
国民の味方であるはずの
警察が、いつの間にか
国民の敵としてきばをむいてくるようなおそれ、こういうものが先ほど申し上げた二百人の人たちの感触になってきているんではないかという感じで、非常に残念な思いがしたわけでございますが、こういうことがないように、本当に
国民の信頼が得られるような
警察になるためには、やはりもっともっと、優秀ではありますけれども、なお一層
警察官、
捜査官の資質の向上が望まれるわけでありまして、いま申し上げたような趣旨で、
警察官の教養訓練、あるいは精神鑑定などの適性検査を含めてどのような対策を考えておられるのか、お伺いしたいと思います。