○
渡辺参考人 渡辺でございます。
昭和五十
年度補正予算以降
財源不足補てん対策、いわゆる
地方財政対策というのが毎
年度講じられてきて今日に至っております。きょうは、五十八
年度地方財政対策を中心に据えて、私の
意見を三点ばかりに
整理をして申し上げさせていただきたいと思います。恐らく、結果的に上程されております
改正法案に苦言を呈するというようなことになろうかと思いますが、思っておりますことを率直に申し上げてみたいと
考えます。
まず第一点でありますが、
地方財政対策による
財源不足補てんは不完全であり、五十八
年度にはそれが一段とあらわになってきているということであります。
幾つかの例を申し上げてみます。
その一は、資金
運用部資金からの
地方交付税特別会計借入金に係る例でございます。
ここには二つばかり例を引くことができるわけでありまして、
一つは、元金の半分は償還時に国が
負担する、残る半分は同じく
地方が
負担する。この
地方が
負担するということが、
補てんが不完全であるということの
一つの例であります。もっとも、これは従来からずっと引き続いて行われてきていることであります。
二つ目は、今度は利子でありますが、利子は、これまでは国の
一般会計が
負担をしてきていた。しかし、五十八
年度では、そのほぼ半分を
地方が
負担するという新しい
措置が導入された。これは不完全
補てんが五十八
年度に一段と強められた
一つの例でございます。
例の二番目その二の例を申し上げますと、いわゆる利差補給にかかわる問題がございます。
地方債の引受資金に占める
政府資金の割合が、これまでは六〇%に至る分までの
民間資金との間の利差を国が補給するということでございました。これが実は昨
年度すなわち五十七
年度に、資金構成の
改善が図られた等によりという理由のもとでこの利差補給が見送られました。ところが、五十八
年度になりますと、これがかつての六〇%という水準が明確に五〇%に引き下げられまして、五〇%に至る分までの利差を補給するという形に変わったわけであります。これが五十八
年度に
財源不足補てんが不完全になったという形で改めて登場した
一つの例だということが言えます。
その三の例を申し上げます。いわゆる
増発地方債にかかわる例がそれであります。
増発地方債は、
財源対策債と性格づけられております。すなわち、元利
償還金であるところの
公債費の一定部分が
地方交付税算定の基準
財政需要額へ算入されるという扱いがなされることになっております。この
措置の中に二つの問題を見出すわけであります。
一つは、一定部分の残りの部分は
地方が
負担をするということであります。これが不完全
補てんの例でありますが、もっとも、これは従来からずっと続けられてきている問題でございます。
増発地方債との関連でもう
一つ見出せる問題は、五十八
年度にこの一定部分という基準
財政需要額への算入率が引き下げられる
措置が講じられることとなったということであります。これが五十八
年度に新たに登場した不完全
補てんの
措置であると
考えることができます。
以上、
交付税特会借入金、利差補給、
増発地方債、三つの例を引き合いに出しまして、
財源不足補てんは不完全であると申し上げたわけであります。しかし、それがなぜ不完全であるととらえなければならないのかという疑問が恐らく残るだろうと思います。答えは簡単でございまして、
地方交付税法六条の三の二項に基づいた
地方行財政制度の
改正もしくは
交付税率の引き上げが行われていたとすれば、いま申し上げたような
地方の
負担は生じなくて済んだはずだからであります。したがって、以上の不完全は、国の
負担を
地方へ転嫁するというふうにとらえることができる。それは国の都合、主としては国家
財政の都合に基づく、そういう意味では一方的な転嫁でありまして、
地方の側から見ればそれは不当な転嫁であると
考えざるを得ないと思います。
さて、申し上げたい第二番目の問題に移りたいと思います。
地方財政構造にかかわる問題でございます。すなわち、
地方財政構造が時代の要請に沿って
改善されようとしていないばかりか、むしろ望ましくない方向へゆがめられつつあるというのが第二番目の問題の中心であります。
ここでもまた、幾つかの例を引き合いに出してみたい。
その一は、
地方交付税法六条の三の二項にかかわる例でありまして、先ほど申し上げましたように、ここでは、国は行
財政制度の
改正もしくは
交付税率の変更を行わなければならないと規定されております。
まず前者、すなわち行
財政制度の
改正に注目したいわけでありますが、ここで言う行
財政制度の
改正ということの中身は何であるか。一般には、国、
地方間の
事務配分の
見直しをする、
地方税制度の
改正をする、あるいは国庫
負担金の対象
経費の範囲あるいは
負担率を変更するなどというようなことだと
理解されているようであります。私もその
理解に賛成でありまして、これらは、一括して申し上げれば、
地方財政構造の変革ないしは
改革ということになるだろうと思われます。つまり、行
財政制度の
改正と規定されているとおりに
措置が行われないできているということは、
地方財政構造の
改革が行われずにきているということを意味いたします。
先ほど申し上げた後者、すなわち
交付税率の変更についても、もしもこれが行われていたのであれば、
地方財政の
財源のうち一般
財源がかなりふえることが期待できるはずであります。ふえるとすれば、これも
財源構造のそれなりの変更をもたらすことになるわけであります。にもかかわらず、この
措置も見送られたまま今日に至っておる。
その二の例を引きますと、この例は、
財源の面に注目した場合に出てくる例でありますが、先ほ
ども申し上げました
増発地方債の問題が
一つはございます。
増発地方債は、建設
地方債と性格づけられました。つまり、
地方債を
発行した結果得られる
財源は、建設事業にのみ充用することができるということとされたわけでございます。言いかえれば、一般
財源の増加ではない。これもまた
一つの
財源の面に見る構造上の問題だと
考えられます。
財源面でもう
一つの例を申し上げますと、冒頭申し上げましたように、
財源不足補てんが不完全であった、その結果
財源の欲しい自治体は、超過課税や法定外普通税やあるいはいわゆる受益者
負担など、いろいろなルートを通して税以外の
住民負担を新設もしくは加重しようと
努力せざるを得ないだろうと思います。こういった
財源が
財源構成の上で比重を高めるとすれば、それは自主
財源なのであるから望ましいのではないかと一見見てとれそうであります。しかし、それは形式的な見方にとどまるわけでありまして、実質的に見るならば、これは自治体の自主的な意思に基づいてもたらされる構造変革ではございませんで、いわば
財源不足補てんが不十分である、不完全であるという国の側の事情によって、いやおうなしにもたらされる
財源構造の変革であるというところに、見逃すことのできない問題が包み込まれていると
考えられます。
ところで、超過課税とか法定外普通税とかいわゆる受益者
負担とかによってもなお
財源に不足を生ずるときには、自治体は、
最後の手段として各種の基金を取り崩すという道を選ばざるを得なくなる。御承知のように、五十八
年度予算ではすでに全国各地の自治体が行っております。基金を取り崩すということは、
財政健全化に逆行する問題を含みます。そういう問題を含んでの基金取り崩し、ひいては
財源構造の変革ということになるわけでありますから、これもまた望ましくない動きであると
考えるわけであります。
さて、
財政構造のその三番目の例として、
経費面に注目をしてみたいと思います。
五十八
年度地方財政対策を受けて作成されました
地方財政計画を拝見いたしますと、
投資的経費の補助直轄分が前
年度に比べて〇・七%減少をしたという特徴に気がつきます。そこで、最近何年間かにおける
地方財政計画の推移を、前
年度対比の
伸び率とそれから構成比などによってたどってみますと、そこに
一つの際立った特徴を見出します。すなわち、農業基盤整備、治山治水、港湾、道路といった
経費が
傾向的に優遇をされてきている。反面、文教施設、厚生労働施設、生活環境施設といった
経費が冷遇されてきているという特徴がそれであります。特に、冷遇されてきている後者に注目をしてみたい。これは
住民の日常生活に密着した
投資が相対的に冷遇されてきているということでありまして、これに対して国民が納得できる説明が加えられない限りは、これもまた
経費面における望ましくない構造変革であろうかと
考えるわけであります。
経費面でもう
一つの例を引き合いに出してみたい。それは
地方債の元利
償還金、すなわち
公債費の
経費に占める相対的地位が、四十年代から五十年前後ごろにかけまして数%で推移してきておりましたのが、その後次第に高まってまいりまして、五十八
年度にはついに一〇・〇%、二けた台に乗せたわけであります。目に見えてここ数年は比重を高めてきている。その理由に、すでにほかの
参考人からもお話がございましたが、元金の一部は
地方負担であるという
傾向がこれまで続いてき、さらに五十八
年度には、利子のほぼ半分も
地方負担に切りかえられたといったような事情を抱えた
増発地方債が、その主因の
一つとして
考えられることは明らかでございます。それはともかくとしまして、その結果として、
公債費の地位が上昇してきているということは、言うまでもなく、自治体の
財政運用の
硬直化をもたらしているということでありまして、そういう点から見て、こうした
経費構造に見る変化は、やはり望ましくない変化であると
考えざるを得ないわけであります。
さて、第三番目の問題に目を移します。
いまは、構造面での問題を
整理してみたわけでありますが、今度は
運用面についての問題を見てみたいと思います。すなわち、
地方財政運用が自治体の自主裁量度を拘束してきているという問題がそれであります。もともと
地方財政計画は、国家予算にほとんどすべて連動してつくられてきているというのが実態でありますから、拘束されるのは当然の結果であるという
考え方は申すことができます。それは承知の上で、しかし、特に最近気になる幾つかの点をあえてつけ加えて申し上げてみたい。
まず、
財源面でございますが、この
財源面につきましても、
地方税は自主
財源などと言われているけれ
ども、実質的には自主
財源ではないということが、もともとからの問題として
一つはございます。かみ砕いて申し上げるならば、税目、税率、課税対象、課税標準などといったような税の
内容に関する細かいことは、
地方税法によって全国一律的に決められている。もっとも多少の例外はございますが、全体としては一律的に決められていると言ってもよいだろうと思います。つまり、そこでは自治体の自主裁量度は働いていないという意味で、
地方税をまず問題にしたわけであります。
しかし、これは従来からの問題でありまして、
財源面で最近気になる問題をそのほかに
一つ、二つ拾ってみますと、先ほど例に出しました超過課税、法定外普通税あるいはいわゆる受益者
負担などとの問題に絡みまして、不完全な
財源不足補てんのために、いわばいやおうなしに自治体はそれらの
住民負担を
強化していかざるを得ない。このいやおうなしにというところに、自主裁量度が拘束されてきている一面を見ることができます。
ついでに、もう
一つ財源面で例を引き合いに出しますと、
増発地方債は、先ほど申しましたように建設
地方債として性格づけられた。これは一般
財源ではない、自治体にとって使い道が自由な一般
財源ではないというところに、すでに自主裁量度を拘束しているという問題を見受けることができます。のみならず、この
増発地方債は、
財源対策債としての性格をもあわせ持たされています。つまり、先ほど申しましたように、一定部分は基準
財政需要額に算入されるという扱いがなされておりますが、そういう
財源対策債を許可するに当たって、起債許可
制度の
運用がほかの
地方債に比べて一段と厳しくなるであろうということが予想されるわけであります。もしそうなるとすれば、ここにもまた
自主性が拘束されるようになったという一面を見ることができるわけであります。
目を転じて、
経費面について見てみますと、五十八
年度地方財政計画の
投資的経費に
一つの特徴を見出します。
そのうち、まず単独分についてでありますが、前
年度に対する
伸び率が、五十七
年度の場合には八・五%であった。にもかかわらず、五十八
年度は〇%に抑えられた。五十七
年度になぜ
伸び率が高められたのか。これはもう申し上げるまでもなく、
景気対策のためでございました。ところが、それから一年、五十七
年度の
日本経済の成長率はきわめて低い状態で推移してまいりました。五十八
年度の
政府見通しによる
経済成長率は、さらに五十七
年度のそれを下回って予測されております。にもかかわらず、なぜ五十八
年度の
伸び率がゼロと抑えられたかということが、ここで問題になるわけであります。私は、
地方財政が
景気対策にどの
程度関与すべきであるかという点については、論じなければならない問題が少なからずあると
考えております。ここではその問題に触れません。ここで注目したいことは、そのときどきの
政府の
考え方によって自治体の
経費が思うままに動かされるという、そういう問題をここに見るということについてであります。
いまのは
投資的経費の単独分についての話でございましたが、同じ
投資的経費の補助分につきましては、先ほど申し上げましたように、
住民の日常生活に密着した
公共投資が
地方財政計画によって冷遇されてきているという問題がある。
地方財政計画に示された国の方針は、かなりの
程度自治体の予算編成を拘束いたします。
以上、
投資的経費の単独分、補助分両方見たことを一言で申し上げるならば、いずれも自治体の自主的な
財政運用を一段と拘束してきているというふうにまとめることができるだろうと思われます。
さらに、目を転じまして、
財源面と
経費面両方にかかわる問題の
一つとして、先ほ
どもちょっと触れましたが、自治体による各種基金の取り崩しという問題にここでもまた注目せざるを得ません。
基金の取り崩しは、
財政運用の健全性を損なうだけでなく、
運用の
弾力性をも損なうという重要な問題を抱えております。
弾力性を損なうと言えば、
地方債の元利
償還金、すなわち
公債費が増高
傾向をたどっているということも、また同じ範疇に属する問題かと思われます。この
弾力性を失うということは、言うまでもなく、それなりに自治体の
財政運用から
自主性を奪ってしまうという結果をもたらすわけであります。
以上、三つの問題について、気がつくことを申し上げました。
全体を通しまして、私は、今後
地方財源不足補てん対策、すなわち
地方財政対策と言われてきております
措置は、今後も恐らくはかなりの期間にわたって継続を続け、かつ深刻化していくだろうと
考えざるを得ません。
なぜ継続し、深刻化していくのか、理由はいろいろ挙げられます。
たとえば、
日本経済の成長率が、これも先ほど別の
参考人からお話ございましたように、近い将来高く推移するだろうということはほとんど期待できない。だとすれば、自治体の自主
財源はふえない。当然国からの
地方交付税交付金もふえることが期待できない。
財源の面では、そのように抑えられた
状況が続くはずであります。
他方、
需要面ではどうか。自治体の仕事は、
住民の日常生活に密着したものがほとんどであります。したがって、簡単に削るということができにくいという特性を持っている。のみならず、最近著しくあらわれてきております
社会経済的な諸変化、たとえば高齢化、情報化、高学歴化、自由時間の増大、技術革新、家計の
支出構造の変化、さては
経済のサービス化といったもろもろの条件変化を総合的に
考えてみますと、自治体の仕事は、単にふえていくであろうというにとどまらず、これからは従来の仕事とは違った質的転換をあわせ遂げていくであろうということが予測されます。その質的転換の中に、当然の結果として
需要量もまた増大していくということを、私は予測せざるを得ないと
考えるわけであります。
以上のようにして、
需要はなかなか簡単には削れない。
財源が抑えられ、
需要が削れないということでございますから、
地方財源不足補てん対策は継続されていかざるを得ないということになるだろうと思われます。
もう
一つの事情も見過ごすわけにはいかない。これもまた別の
参考人からお話ございましたように、資金
運用部資金からの
地方交付税特別会計の借入金の元利償還が、近い将来全体としての
地方自治体にとってかなりの重荷になっていくということが予測される。現在の時点で、すでに
昭和六十年代半ばごろにはそのピークに達するであろうと
考えられております。それまでの間に、私が申し上げましたように
地方財政対策が継続して
措置され続けていくということになりますと、六十年代中ごろに予測されているピークの時期というのは、もっと後方へずれていく可能性もまたあるだろう。だとするならば、これもまた
地方財源不足補てん対策は、将来にかけて継続し、かつ深刻化していくだろうという予想を支える見逃せない根拠の
一つになろうかと思われるわけであります。
さて、それにいたしましても、
昭和五十
年度補正以降講じられてまいりました
地方財源不足補てん対策は、余りにも展望を持たない
対策の継続であり過ぎました。毎
年度十二月ごろ、自治、大蔵両省のやりとりの中で、突き詰められた
状況の中でその
対策が講じられてきていたというのが毎
年度の例になっております。いわば展望のない、つまり羅針盤も海図もない漂流が
地方財政という船を荒海の中へ押し流してしまおうとしている、そういう
状況に現在置かれているだろうと思うわけであります。
地方自治というのはどこかへ吹き飛ばされてしまったのではないかという感じが昨今ではいたします。憲法九十二条は、もしかするとすでに形骸化の階段をかなり上っているのではないだろうかと思われて仕方がないわけであります。
以上のことをあれやこれや
考え合わせますと、たどりつく道筋はもとの道筋でありまして、
地方交付税法六条の三の第二項の規定に沿った
措置が講じられなければならないということであります。この規定が、
日本経済が軟着陸するまではがまんしろという大きな声のもとで無視されて、九年間経過してきているわけであります。一昨年本席に呼ばれましたときにも、私はその
状況を指して、
行政権による立法権の侵害が続いてきていると申し上げたわけでありますが、今日は一段と声を高めてそれを申し上げたいというふうに
考えるわけであります。
失礼いたしました。(
拍手)