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山中国務大臣 先ほどの質問にお
答えいたしましたが、私は、この原点を三十四ドルから二十九ドルに下がったという見方から出発しない。二ドルから今日の二十九ドルに一応なっておる。しかも私
たちは、第一次
石油ショックは何とか混乱の中を切り抜け得たものの、第二次
石油ショックの後はどうも切り抜け切っていなかったわけです。三十四ドルの重みに耐えながら、
日本の
産業も国民生活も、
中小企業、大
企業を含めて前途に暗雲がたれ込めて、一体
日本の未来はどうなるのだろう、
日本の国際貿易の中で占める地位を確保できるのだろうか。総理のよく言われます
経済的にも世界の孤児になりはしないか、そういうときに五ドル分だけ
石油のコストが安くなったことは、これはもう
日本にとって短期的に見ても長期的にも大変すばらしいことであって、
自分たちの力ではお願いしても聞いてもらえるわけでなし、航空母艦を持っていって何とかするわけでもなし、武器を売るわけでもなし、そういう
日本が、ただひたすら、上げられたらその値段でしか買えない、下げていただいた、ありがとうございますという感謝しかできない国としての立場を考えれば、この五ドル、値が高くなったのが戻ったということを絶好の転機としてとらえて、心の中では、OPECの
人たちも大変だろうな、ブーメランという
経済原則を知らずに一方的に戦略物資にして混乱せしめたことの償いというものあるいはその結果というものがこういうふうになるとは思わなかったという、困っておられるであろう立場も
理解してあげなければならぬと思いますが、しかし一方、私
たちは五ドル値下げをしてもらったことに対しては、これを懸命に国民の
経済の
活性化、国民生活の向上というものにうまく活用していかなければならぬと思います。これで、第二次
石油ショックから立ち直り切れなかった前途に一筋の光明を見出し、私
たちは立ち直るチャンスをつかんだ、このチャンスをぼんやりとして見過ごしてはならない。
電力料金についても、私の発言が変わるようにおっしゃいますが、変わっていないのです。第一、いま
日本に二十九ドルの油が来ているわけじゃないのです。あの
人たちが相談をして、まあ二十九ドルで一応統一するかと言ったら、北海
原油の方がまた少しそれならばと言い出す、ナイジェリアがまた言い出す、いろいろなことがありまして、これは最終的に二十九ドルで済むものか、あるいはまたどれぐらい続くものか、なかなか予測が困難だと思うのです。
ですから、
日本に三カ月ぐらいで着いて、三カ月ぐらいかかって、高いいま持っております油と入れかえて、
価格をならしながらおろしていくことになるでしょうが、その五ドルの天の恵みは、
日本の
産業界にも国民生活にも、きわめてじわっと均てんされておりていって、そして国民生活を土台にした国家
経済というものが、ぐっと
日本の力として前進する
一つの引き金になる。そのときに、どういう
配慮をどういうところにするかという問題の中で、直ちに電力というのをどうするかという話がありますが、これもやはり基本的にはおっしゃるとおり、下がった分だけ下げればいいじゃないかと言うのは簡単ですが、例にとられましたように、円高になったから下げるといって、一軒に三百円返して一年半後には五〇%もまた値上げをしたという、そういうことは長期展望がないいまはまして慎まなければならない。しかし、
配慮の要素の
一つに電気料金が入らないというのはおかしいので、それは当然入ると思うのです。
私の発言がいろいろ変わるように受け取られるのは、恐らく電力
業界の
人たちが、社長さん
たちが皆写真入りで、五ドルぐらい下がったって電気料金は下げないということを勝手に発言されるものですから、私としては予算
委員会で大変苦々しく思っておるということを言いました。そうしたら、それ以来静かなようですが、いずれにしても公共料金として定める、それだけの公共性を少なくとも九電力、それぞれ
地域において持っているわけです。しかも、
地域経済の各種会合の責任者、指導者は電力会社の社長がなっておるという事実を見ても、それだけの
地域への公共性というものはあるわけですから、上げてくれというときだけ持ってきてわいわい言うのじゃなくて、下げなければならない客観情勢がきちんとある場合にはそれに対して電力会社はどう
対応すべきかという、そういう検討を良心的になさるべきである。それが、下げないぞということを勝手に言うというなら、これからは上げるということを持ってきても、私
たちは、勝手になさい、うちは受け付けませんという態度でいきますから、したがって結論は、国民全体が、国民
経済がこの転機を逃さずに生き生きとして動き出す第一歩にしたいということに尽きます。すべての政策をにらんでやりたいと思うのです。