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1983-03-24 第98回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十八年三月二十四日(木曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 稲村 利幸君    理事 今井  勇君 理事 大石 千八君    理事 丹羽 雄哉君 理事 牧野 隆守君    理事 金子 みつ君 理事 田口 一男君   理事 平石磨作太郎君 理事 塩田  晋君       逢沢 英雄君    臼井日出男君       小沢 辰男君    小渡 三郎君       北口  博君    古賀  誠君       斉藤滋与史君    白川 勝彦君       田邉 國男君    谷  洋一君       津島 雄二君    戸沢 政方君       友納 武人君    中野 四郎君       長野 祐也君    浜田卓二郎君       船田  元君    森田  一君       山下 徳夫君    木間  章君       串原 義直君    佐藤  誼君       城地 豊司君    栂野 泰二君       永井 孝信君    森井 忠良君       大橋 敏雄君    和田 耕作君       浦井  洋君    小沢 和秋君       菅  直人君    柿澤 弘治君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 林  義郎君  出席政府委員         厚生省公衆衛生         局長      三浦 大助君         厚生省公衆衛生         局老人保健部長 吉原 健二君         厚生省医務局長 大谷 藤郎君         厚生省年金局長 山口新一郎君         厚生省援護局長 山本 純男君  委員外出席者         議     員 森井 忠良君        議     員 平石磨作太郎君         議     員 塩田  晋君         議     員 浦井  洋君         議     員 菅  直人君         法務省民事局第         四課長     筧  康生君         法務省民事局第         五課長     細川  清君         外務省アジア局         北東アジア課長 小倉 和夫君         大蔵省主計局主         計官      小村  武君         労働省職業訓練         局管理課長   歌田 長一君         社会労働委員会         調査室長    石黒 善一君     ───────────── 委員の異動 三月二十四日  辞任         補欠選任   伊藤宗一郎君     谷  洋一君   木野 晴夫君     森田  一君   谷垣 專一君     北口  博君   中尾 栄一君     小渡 三郎君   山下 徳夫君     臼井日出男君   池端 清一君     佐藤  誼君   枝村 要作君     串原 義直君   川本 敏美君     木間  章君   永井 孝信君     城地 豊司君   菅  直人君     田川 誠一君 同日  辞任         補欠選任   臼井日出男君     山下 徳夫君   小渡 三郎君     中尾 栄一君   北口  博君     谷垣 專一君   谷  洋一君     伊藤宗一郎君   森田  一君     木野 晴夫君   木間  章君     川本 敏美君   串原 義直君     枝村 要作君   佐藤  誼君     池端 清一君   城地 豊司君     永井 孝信君   田川 誠一君     菅  直人君     ───────────── 三月二十四日  母子保健法健康保険法等の一部を改正する法律案金子みつ君外五名提出、第九十四回国会衆法第三四号)  労働基準法の一部を改正する法律案森井忠良君外三名提出、第九十六回国会衆法第二五号) は委員会許可を得て撤回された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案内閣提出第一九号)  原子爆弾被爆者等援護法案森井忠良君外六名提出衆法第四号)  母子保健法健康保険法等の一部を改正する法律案金子みつ君外五名提出、第九十四回国会衆法第三四号)の撤回許可に関する件  労働基準法の一部を改正する法律案森井忠良君外三名提出、第九十六回国会衆法第二五号)の撤回許可に関する件  厚生関係基本施策に関する件      ────◇─────
  2. 稲村利幸

    稲村委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森井忠良君。
  3. 森井忠良

    森井委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法というのは、局長さん、これは国家補償法ですか、社会保障法ですか。
  4. 山本純男

    山本(純)政府委員 私どもといたしましては、これは戦争犠牲者に対する国家責任補償する制度であるというふうに理解しております。
  5. 森井忠良

    森井委員 確かにそのとおりですね。そうしますと、去年一年間に物価は三%弱上がっておるのです。なぜ諸給付引き上げないのですか。
  6. 山本純男

    山本(純)政府委員 私どもといたしましては、そういう補償実質的低下ということは極力避けたいということで昨年来いろいろ検討してまいったわけでございますが、経済その他諸情勢が大変厳しい状況、それから人事院勧告その他そういうものが見送られた状況、そういう状況の中で今回は引き上げをしないということを決めた状況でございます。
  7. 森井忠良

    森井委員 国家補償法は、先ほど局長から答弁があったわけですが、要するに国の行為によって国民損害を与えたわけですね。したがって、その償いで戦傷病者戦没者遺族等援護法というのはできたのでしょう。そうしますと、国の都合で相手に損害を補てんするとかしないとかというのはおかしいじゃないですか。やはり少なくとも物価が上がっただけは、この法律年金給付特別給付金等もありますけれども、いずれにしても少なくとも物価にスライドさすべきだと思うのです。もう一度しかとお答えをいただきたいと思います。
  8. 山本純男

    山本(純)政府委員 仰せのとおり、そういう物価その他が上がる中で給付額を据え置くということは決して望ましいことでないと考えておりまして、いろいろ検討いたしたわけでございますが、一方では、この制度給付水準と申しますものは公務員給与というものを一つ基準にいたしておりまして、恩給制度における給付水準というものと並び、従来から水準が設定されてまいったという状況でございます。そういう中で、給与水準が据え置かれたという状況一つございますし、その他また、財政状況全般を見た総合的な見地から今回はこれを見送らざるを得なかったということでございます。
  9. 森井忠良

    森井委員 あなたに聞いてもこれはかなり無理もあるのでこれ以上言いませんけれども、まず冒頭に明確にしておきたいと思ったから言ったわけです。  けしからぬですよ。もちろん人勧凍結も一番けしからぬですけれども、しかし仮に人勧凍結があったにしても、いま申し上げましたような国の戦争責任による犠牲者に対して、国の都合補償を怠るというようなことは私は断じて許せません。大臣もいま聞いておられたと思うのですが、私もこの社労委員会へ参りまして十年になるわけですけれども、初めてですね、たとえば年金等ベース改定がなかったというのは。いままでは五%以下でもやってまいりました。今度はそれがない。それから原爆の諸手当の引き上げがありませんから、原爆関係法案も出されていません。わずかに特別給付金等の延長の問題があるものですから、戦傷病者戦没者遺族等援護法改正案だけをお出しになった。これはまことに言いにくいのですけれども総理大臣で言いますと中曽根さんが初めてです。去年は一カ月おくれでスライドでしたけれども、しかしそれでも法案が出ていました。おととしも先おととしも毎年出てきたものが、総理で言えは中曽根さんが初めて、厚生大臣で言えは林義郎先生が初めてなんです。いかがですか。これはやはりこの委員会でも明確にひとつ大臣の忌憚のない、飾り気のない御感想をまず述べておいていただきたいと思うのです。
  10. 林義郎

    林国務大臣 森井議員の御質問にお答えを申し上げます。  森井先生は長く社会労働委員会でベテランとして御活躍でございまして、敬意を表する次第でございますが、先生指摘のように長年おられて今回初めてだ、こういうお話しでございました。先ほどのお言葉にありましたように、最もけしからぬのは人勧凍結であるとお話しがございましたが、その最もけしからぬことをやらなければならないような財政状況にある、全く異常な状態にあるわけでございますから、そのほかの恩給関係停止をする、年金関係停止をする、一連のものにつきまして停止をするという、これは全く異例の措置だろうと思うのです。私はこういったことは長くなってはならないと思います。長くなってはならないし、またノーマルな形ではないとは思いますが、まさに異常特例措置をとって人事院勧告なんというのは当然尊重してやらなければならない話のところをやったわけですから、それは非常に残念なことでありますけれども、それをやったのがこういったいろいろな形で残念なことが及んでいるのだろうと私は思います。だから、この際人事院勧告停止してこちらの方をやるということもまた非常におしかりを受けることになるだろうと思うわけでございまして、やはり乏しきを憂えず等しからざるを憂えるという精神でがまんをしていただくということでございまして、私は事柄自体としては非常に残念なことだと思うのですが、やむを得ない措置であるし、いまのような形でお願いをしているということでございます。
  11. 森井忠良

    森井委員 人勧凍結というのは現役皆さんの問題ですね。年金凍結というのは私どもの先輩に係る問題なんです。極端に言えば、若い者としてお年寄りに済まないという気持ちがあるわけなんですよ。だから、もっと私の気持ちを率直に言えば、現役皆さんはこれからいろいろ政府とけんかをするといたしましても、お年寄りに迷惑をかけてはならぬというのが先に立つと私は思うのです。これはどうですか。ことしはもうすでに法案が出されておりませんけれども、来年はお出しになりますか。
  12. 林義郎

    林国務大臣 私がいまの段階で来年どうしますということは申し上げる状況にはございませんが、先ほど申しましたように、今回は異例な措置でございますから異例な措置ができるが、異例な状態というものはできるだけ早く解消するように努めなければならない。これは一般経済状態なり財政状態をそういうふうな形に早く改めていくことが私は政治基本だろうと思いますし、森井先生十三年やっているとおっしゃっておったように、やはりこれは上げていくようなことをいままで毎年やっておったわけですから、私はむしろその方がノーマルな形だと思います。できるだけ早くノーマルな形へ持っていくように私も努力をいたしたいと思いますし、そして政府全体、経済政策全体として考えていくべき問題ではないだろうかな、こういうふうに思っておるところでございます。
  13. 森井忠良

    森井委員 来年を楽しみにしております。  次に、これも私は毎年取り上げておるわけでありますが、国籍要件の問題です。  難民条約批准に伴う関係国内法整備がございまして、いま残っておりますのは恩給とこの援護法だけなんです。大臣とこういうふうに一問一答するのは初めてですから申し上げておくわけでございますが、言わずもがなでございますが、朝鮮人方々御存じのとおり強制的に日本人にされたのですね。そして、徴用工に出されたりあるいは戦地へ送られたりいろいろなことをされたわけでありますけれども日本人としてまことに相済まないと思っておりますけれども、当時日本人だった、そしてサンフランシスコ平和条約でこれも本人意思関係なしに国籍を離脱させられた。ところが、援護法要件は、事故が起きたときに日本人であることと、給付のときに日本人でなければならない、申請のときに日本人でなければならないという二重に要件があるわけですね。だから、最初の事故が起きたときは日本人ですからこれは全く問題がない。ところがその後、いま申し上げましたように、さあこれから申請をしようという段階になりますと、日本人ではありませんから、したがってあなたはだめだ、こうなるわけです。これは援護局長どうですか。毎年取り上げておるわけでありますけれども、あなた方、余りいいかげんにしてはいませんか。この一年間事務当局としてどういうふうな御検討をなさいましたか。御存じのように、国籍要件というのは外すべきだ。  大臣、お聞きをいただきたいのですけれども、先ほど申し上げました難民条約批准に伴う関係国内法整備国民年金等加入ができるようになったのですね。いま申し上げましたように、残ったのは恩給とこの援護法なんです。援護局長いかがでしょう。
  14. 山本純男

    山本(純)政府委員 大変むずかしい問題でございまして、私どももそういう点についてこれまで御議論ございましたことは十分承知をいたしておるわけでございますが、何分にも戦後三十数年にわたって維持してまいりましたたてまえ、恩給法と対をなしてやってまいった状況でございまして、これを改めることは大変むずかしい問題であるというふうに考えております。
  15. 森井忠良

    森井委員 去年はこの問題の議論をいたしましたのは四月一日です。四月一日にやっておるのですが、そこで森下厚生大臣が、確かに前置きとしては「非常にむずかしい問題でございますが、全力を挙げてやっていきたい、」来年までに「検討いたすことを申し上げます。」こうなっているわけです。しかも、これは前文が幾つかあるのでして、私がお訴えをいたしましたところ、とにかく森下さんは元軍人ということもあって、これは痛いほどわかるという答弁から始まっておるわけでありまして「これだけ日本が世界的にも経済大国と言われるほどの国になったわけでございますから、」という点も強調しておられたりして、「厚生省としては前向きで検討しなければいけない問題である。」こういう結びでございます。大臣がこの一年間一生懸命努力してがんばると言ったのに、いまの答弁では納得できないと思うのです。それはたまたま森下大臣検討と言われたわけですけれども検討いたします、検討いたしますというのはその前も何回もあるのですね。大臣のときもありますし、政務次官のときもありますし、あなた方、本気で聞いていないじゃありませんか。これは矛盾があるのですよ。  たとえば大ざっぱに言いますと、戦争中のことを言いますと、陸軍なら陸軍海軍なら海軍で、国内雇傭人等をやっておられた方には共済組合がありましたね。いまで言う旧令共済です。国家公務員連合会でも引き継いでおるわけですね。この人たちは、朝鮮人であろうと台湾人であろうと、台湾人というのはいまは中国人ですけれども中国人であろうと、これは全部国籍要件はないのです。旧令共済ではないのですよ。これは主として内地勤務の人です。外地に出た人は、これは戦地ですから共済組合に掛けることができない。こういった人たち戦傷病者戦没者遺族等援護法で救済をされているのです、軍人以外は。軍人恩給法ですから。そうなってきますと、同じように軍隊に関与しながら、内地勤務の人は旧令共済でいまもって国籍要件はないのです。何で戦地に行ってむしろ危険な目に遭った人が国籍要件があってもらえないのですか。こういった矛盾はしばしば指摘をしておる。ことし初めてじゃないわけです。あなた方は本気で取り組もうとしない。それはかつては経過からいけば国民年金だって日本国内でずいぶん問題になりました、国民年金に何とか加入させろというので。初めはだめだとあなた方は言った。しかし、たまたま難民条約批准という問題もありましたし、かねてからの要望も強かったので、この分については皆さんはようやく国民年金加入する道を開かれました。今度は援護法の番じゃないですか。どういう検討をするのですか。もう一回答弁してください。
  16. 山本純男

    山本(純)政府委員 従来からそういう御議論を私ども十分承知しておりまして、先生仰せにはまことに耳を傾けなければいかぬ面があることは重々承知いたしておるのでございますが、やはり一般社会保障制度とは立場が違いまして、事の起こりが雇用されていた方々に対する国の補償責任であるという見地から設けられたものでありまして、そういうところに恩給制度と並んで外国人適用の非常にむずかしい点があるというふうに私は考えております。  また、御指摘の旧令共済組合の問題は、一般公務員共済組合も同様でございますけれども、これは掛金を加入者から取る社会保障制度でございまして、その中であわせてそういう補償給付も行っておるという制度でございますので、その辺は分離が困難なために当然にといいますか、外国人が適用されている状況であると理解しているのです。それは、必ずしも私ども制度が本来外国人を一〇〇%入れることが不可能な制度であるかということは言えないという点は先生もよく御承知のとおりでございまして、私どももその点は理解しておるのでございますが、やはりこの制度が始まりました当時、ああいう戦後の状況の中で、また財政も大変厳しい中で始まった制度でございますし、これは日本国籍の者に限るという制度で始められたものだ、それはあわせて、その前身であるモデルといたしました軍人に対する恩給制度、そのもとであります恩給制度全般というものが、国籍要件にしておったという歴史的な沿革というもので制度が始まったと理解しておるのです。  今日それを見直すかどうかにつきましては、前大臣の御答弁もございまして、私どもとして何もそれを無視するとかいうつもりは毛頭ございませんけれども何分にも現在のような状況のもとで、これは国際的にも幾つもの国にまたがる大変大きな問題でございますので、にわかに結論が得られなかったという点は御了承いただきたいと思うのでございますが、ただ、いずれにいたしましても、これは将来に向かってもかなり規模の大きい大変むずかしい問題であるという事実は、私どもも認識しなければいかぬと思っております。
  17. 森井忠良

    森井委員 もう一度この一年間待ってあげます。これは毎年毎年待つわけですけれども、いまの局長答弁では私は納得できませんので、どういうところに本当にむずかしさがあるのか。本気であなた方は取り組もうとしていない。しかし基本は、先ほど私が強調しましたように、これは日韓併合条約から始まるわけですが、無理やりに日本人にさせられて、そして兵隊にとられたりあるいは徴用工にされたわけでしょう。完全にこれは日本の国が朝鮮人方々損害を与えた。外務省はもう日韓条約で対日請求権がなくなったと言いますけれども国内にもたくさんいらっしゃるのです。とにかく国籍要件というのはどう考えてももう取り払わなければならぬ時期が来ている。再度十分御検討いただけますか。これは大臣からひとつ。
  18. 林義郎

    林国務大臣 国籍要件を云々するということは、こうした問題で私はきわめて疑問には思っているのです。やはり国家補償ですから、また先生指摘のように、かつてわが国籍を持っておった人々が別の国籍を持つ、こういうことになっておるわけですから、やはり補償ということからいうならばその事態があったときの問題を議論すべきであって、その後の国籍を云々するということは論理的にはちょっとおかしいのではないかという感じがするのですよ。感じはいたしますが、先ほど来申し上げていますように恩給法との関係があります。そちらの方をどうするかという問題が一つあるのと、それから御承知のように朝鮮半島が二つに分かれておる、こういうふうな事情もございますし、その辺の問題をいろいろ考えていかなければならないことが一つだろうと思います。  それからもう一つは、どういうことでこれをいまから解決するか。確かに、私も先生中国地方におりまして、私の目で見ていて劣悪な条件の中で炭鉱夫として働いたり、徴用されてやってきた方がたくさんおられました。ですから、そういった人のことを考えると本当に心情的には何かしなければならないという気持ちはあるのですが、さあ果たして、いろいろな法律体系のもとでいまこういうふうにやっているところをどういうふうな形で持っていって変えたらいいのかなというのは、私もちょっといまめどがあるわけでもありませんし腹案もないわけでありますが、長年の懸案でもございますし、先生も毎回言っておられる、こういう話でございますから、引き続いてこれを検討させていただく方法はないものか。財政状態ももちろん私は正直申しましてあるだろうと思います。それから三十何年前の話をいろいろな形で調査がどの程度まで行き届くか、こういうことも実質的にはあるだろうと思います。しかし基本としては、援護法恩給法を通じての基本問題でありますから、やはり基本問題として考えていく話の問題ではないかという感じを私は持っておるところでございます。
  19. 森井忠良

    森井委員 この問題はもう一回だけで終わりますけれども大臣具体例になりますとこれはもう政治家としては泣かされるのですよ。去年も指摘をしたのですが、私の手元に公文書の写しが一つあるのです。  これは「昭和二十二年八月十二日、安佐郡亀山村長」、これは広島県ですけれども村長名で「張龍文殿」。昭和二十二年ですから戦後間もなくですね。「戦没者件通報」、要するに戦死公報です。「貴殿兄用碩殿昭和二十年六月三十日ルソン島方面に於て戦死せられた旨公報に接しましたので御通知申し上げると共に茲に謹みて深甚の弔意を表します」こうなっているのです。それからその年の秋の十月三日には、同じく「張龍文殿」で「英霊伝達式執行ノ件」こうなっていまして、お寺で英霊伝達式を、慰霊式も兼ねたのでしょう、やっておられる。二十二年なんです。援護法ができたのはその後ですから。  ですから、いま問題にしておりますのは、具体的にそういうふうに戦死公報に接して、日本人として役場からそういった肉身の方に通知を出したということ、これは幾つもあるわけですね。だから問題は、サンフランシスコ条約でああいうふうに国籍本人意思関係なく離されたというところに変なところがあるわけでして、こういう関係者の方は、先ほど申し上げましたように依然として日本に住んでいるわけです。それは外国におられる方もあるかもしれません。それはいらっしゃると思いますが、せめて日本に住んでいる人ぐらいは対象にしなければ人道上も許されないのではないかということで、私は御指摘を申し上げました。一つ事例だけですけれども、そういった点を十分御勘案をいただいて、先ほど言いましたように、徐々にではありますけれども国籍要件というものは減らす方向に日本の法制も向いているという点にも御着目をいただきまして、再度、大臣に御検討いただけるかどうか、お答えをいただきます。
  20. 林義郎

    林国務大臣 いま先生指摘のような話ですが、私のところにもあるのです。私の地元はわりと韓国籍の方が多いわけですから、いろいろな事例も私も知っておりますし、一つ一つやればお気の毒だというような問題は、私も話を聞いたり陳情を受けたりしたこともございます。  ただ、法律でやるということになりますと、やはり一律、画一的な話をしなければならないと思うのですね。そこがやはり非常にむずかしいところじゃないか、こう思うのです。マン・ツー・マンというかパーソン・ツー・パーソンで話を聞くと、恐らく政治家として本当に、こんなの何でやれない、どうするつもりだという話もあります。私だってそういう話を大分受けたことがありますわ。だから、そういったことを法律として検討すると、どこまでやるんだとなって、さっき先生から御指摘がありましたようにせめて内地におる者だけでもやる、それでは外地の方はどうするんだ、外地のわかっているところは――そうするとだんだん広がってきて、全部だと、こういうふうな話になれば、どこで見つけるか、どうするかというような問題もあると思いますから、そういった問題を含めるのと、援護法恩給法と両方の体系の中でどういうふうなことを考えていくかという問題になってくるだろうと思いますし、先ほども申し上げましたようにやはり基本問題だろう、こう思います。基本問題でありますから、そういった問題らしくやはり考えていく、検討していくことが必要ではないか、私はこういうふうに思っておるところでございます。
  21. 森井忠良

    森井委員 先ほど申し上げましたとおり、この一年お待ちいたしますので、ひとつ事務的にも実態的にも十分詰めておいていただきますようにお願いをしておきます。  ちょっと思い出したので御質問をするわけでございますけれども、陸海軍雇傭人というのがありましたね。陸海軍雇傭人で働いておられた期間というのは共済年金には通算ができるのですね。ところが厚生年金には通算がない。これはどういうわけですか。
  22. 山口新一郎

    ○山口(新)政府委員 先生御案内のように厚生年金は社会保険方式をとっているわけでございまして、その意味ではいわゆる保険料をいただいた期間が対象になるということになるわけでございまして、共済組合の場合には恩給共済を引き継ぐ制度として現在の仕組みがあるわけでございます。そういう意味で当然に通算をされているわけでございます。厚生年金の方は、そういう意味では、十七年六月に制度が始まりまして、さらに十九年十月に事務職員と女子を入れて制度が拡大をしたというような経過でございますので、その間この制度に対して加入関係がないということから、旧令の期間もそのままいまの厚生年金の期間につなぐということは制度上無理があるという経過をたどってきているわけでございます。
  23. 森井忠良

    森井委員 あなたはそういうことをおっしゃいますけれども戦争が終わって引き継ぐことになったのは何年ですか。たしか二十五年でしょう。これはあなたに聞くのは無理かな。共済組合の場合数年たっているのですよ。ですから、戦争が終わった直後は引き継ぐとも引き継がないとも決まっていなかった。年金制度は、共済年金も厚生年金も両方ともあったわけですよ。いまあなたが言われたように旧令共済ではありますけれども、これは歴史が古い。それから厚生年金昭和十七年でしたかにできた。どっちも戦前にできた制度なんですね。目的はわれわれもいろいろ伺っておりますよ。厚生年金の場合は、戦争をするのに金がないものだから、とりあえず何とか積み立てさせておけば軍事費に使えるという政策目的もその当時あったようですけれども、それはともかくとして、両方年金があった。そして終戦を迎えた、敗戦を迎えた。さて引き継ぐべきか引き継ぐべきでないか、少なくとも戦争が終わって数年はこれは決まっていなかった。だから、陸海軍雇傭人等でいま民間に勤められておる方はしまったと言っているのですよ。もし自分のいままでの共済期間というものが年金に通算をしてもらえるなら、いまで言うところの官公庁に勤めた方が得だったわけです。明確に選択ができたわけですから。海軍の雇傭人でおって、さあ終戦になった、海軍の仕事がなくなった、さてどこへ就職するか、こういうことになるでしょう。そのときに、共済年金は引き継いであげますよということがはっきりしていれば、年金を引き継いでもらえる方へ就職いたしますよ。それはいまの国鉄でも電電公社でも官公庁でもいいわけです。そういった方々は得をしているのです。  いま言いましたように、終戦後国の方針が決まらないときに、陸海軍雇傭人から民間の会社へ就職した人は一からです。それ以前の海軍なら海軍陸軍なら陸軍に勤めた期間というのは年金の通算になっていないのですよ。おわかりいただいたと思うのですが、これは非常に深刻な問題です。この議論を延長いたしますと、軍歴の問題もありまして、例の恩給欠格者ということでいま大々的な運動が続いております。  大臣、あの運動は自民党に偏っておりまして困るのです。あれを見ますとちょっと自民党に偏り過ぎて、方針としてはいかがなものか。こういうものは国を挙げて、党派で言えばやはり超党派で議論を進めていかなければならぬ問題でして、その点問題はありますけれども、いずれにいたしましても、いま申し上げましたように厚生年金をなぜ引き継いでいけないのかというのは依然として残りますよ。なるほどそれ以前、戦前については厚生年金を掛けた人と共済年金を掛けた人は違うかもしれませんが、法のもとに平等という点からいけば、これは明らかに差別なんですね。陸海軍雇傭人から官公庁に勤めた人だけが年金をつなげる、民間へ行った人はつなげない。どうですか、これは。いますぐ答えろというのはむずかしいかもしれないが、あれだけ広範な運動が起きているわけです。ぜひひとつこの問題については前向きに検討してもらいたい。あなたが言われたように技術的にむずかしさはありますよ、掛金を掛けたとか掛けないとか。しかしそこまで言えば、それは恩給共済年金だって御存じのように追加費用というような形でいろいろ国が責任をとっている場合もあるわけです。性質は違いますよ。性質は違うかもしれませんが、同じ年金を掛けた者でそれだけの差がある。もっと早くわかっていれば私どもは民間へ勤めるんじゃなかった、これはあるわけですから、再検討してください。
  24. 山口新一郎

    ○山口(新)政府委員 先ほどの私のお答えがちょっと舌足らずだったと思うのでございますが、軍歴のある場合と、いま先生がおっしゃいました陸海軍の雇傭人として働いておられた場合とはちょっと扱いが違っておりまして、大分以前にやはり同じような意味の御指摘がございまして、本来旧令共済がなければ厚生年金に当然適用になるはずであったにもかかわらず、共済組合があったために厚生年金には入らない状態戦争中過ぎていったという方々もいらしたわけであります。そういう方々に対しましては、四十年の改正で、共済組合の方で通算対象期間にも取り上げておりませんので、特例といたしまして厚生年金と旧令共済の期間を合わせて二十年以上ある場合には特例老齢年金を出すという措置をすでにとっているわけでございまして、その意味では一つの対策をすでに講じておるということが言えると思います。
  25. 森井忠良

    森井委員 いまある制度のことについては私は知っていますよ。しかし、そんなことを言っても、現実にずいぶんいまでも、陸海軍から共済へ移った人と民間の会社へ入って厚生年金加入した者と違いがあるでしょう。同じですか。ずいぶんの違いがあるはずなんです。そこのところは、掛金のあるなしいろいろありますけれども、もう強調するまでもありません、もともとどちらも公的年金で、片や通算ができ、片や通算ができないというのは、やはり法のもとに平等という憲法の精神に反していますし、極端に言えば、いま何年から実施されたかわかりませんけれども、旧令共済国家公務員連合会に引き継がれた時点、昭和二十五年だったか、そのときに同様の厚生年金の改正措置をとっていればこういった問題は起きなかった。お役所に近い方だけがそういう制度をつくったから問題になるのであって、いま申し上げましたとおり私のところは海軍工廠なんかありまして、たくさんの工員の人がそういった不満をいまもって漏らしておられるんです。わかっていれば公務員になるんだった、郵便局へ勤めるんだった、駅へ勤めるんだったということを言っておるわけですよ。とりあえず実情把握をしてもらって一応前向きに、前向きにというとあなた方はまた抵抗するけれども検討してみませんか。
  26. 山口新一郎

    ○山口(新)政府委員 いま先生が御指摘になりました点は、一応現在でも見てはいるものの完全な姿では確かに対象にはなっていないわけで、定額部分だけの対象でございますから、そういう意味での不満が出る向きも確かにあると思います。  ただ、先ほど申し上げましたように、現在の共済組合法は恩給から旧共済組合法全部を引き継いだ仕組みでございますので、そういう歴史を持つ制度の扱いと、被用者グループが出しました拠出金を主たる財源としている厚生年金とでございますから、そういう意味で完全に同じにすることが果たして可能かどうかという問題があろうかと思います。せっかくのお話しでございます、来年も厚生年金の大改正を予定しておりますので、その過程の中でまた審議会の先生方にも問題を御披露いたしまして、一応もう一回点検するということをしてみたいと思います。
  27. 森井忠良

    森井委員 次に、昨年も取り上げたわけでございますが、朝鮮人の遺骨収集、送還の問題についてお尋ねをしておきたいと思います。  大臣はおわかりになったわけでありますが、この問題につきましては、当社会労働委員会におきましても関係者からの請願が採択をされたという経過がございます。  大ざっぱに申し上げますと、朝鮮人の若い人を、当時二十二歳くらいの人が多かったようでありますけれども、朝鮮の本土から日本国内へ連行いたしまして、徴用工として働かしておりました。特に問題になりますのは広島にあります三菱重工という会社でございまして、いまの三菱でございますが、その会社にざっと三千人くらい朝鮮人徴用工がいたのではないかと言われております。戦争が終わりましたので、つまり日本が負けましたので、その人たちを本国に送還をすることになりました。それで送還というのは大体順調にいったわけでございますけれども、最後の一組がいまもって帰っていない、こういうケースでございます。本当に気の毒なわけでございますが、漏れ聞きますと、いまもって老母が息子が帰ってくるのではないかというので、朝鮮の村外れに毎日毎日出迎えに出ておるという痛ましい話も聞いておるわけでございます。  そういうときに、どうも船が沈没したらしいということになりまして調査をいたしました。特に一生懸命調査をなさいましたのは、その当時三菱の徴用工の指導員をしておられた、ペンネームで深川宗俊さんという方でございます。この人は、徴用工をずっと使っていたわけですから、指導員というと名前はいいですけれども、要するにかなりしりをひっぱたいて働かしたのだろうと思います。やはり自責の念に駆られまして、何とかしてそういった消息不明の方を――それは広島をちょうど昭和二十年の九月十五日に出発をしておりまして、その直後二つの大きな台風があったわけでございます。枕崎台風と阿久根台風といいます。そうすると、どうもこれは壱岐か対馬の島に打ち上げられておるのじゃないかということで、とにかく自費で捜し回られまして、結局その船が戸畑港から朝鮮半島の釜山に向けて出発したということが目撃者等の証言で明らかになってまいりました。そうなると今度はどっちへ行ったのだろうかということになりまして、結局突きとめたのが壱岐、対馬両島であったわけでございますが、特に壱岐の芦辺町というところに行きましたところ、大変な数の亡くなられた朝鮮人の方の遺体が土葬されておることが明らかになったわけでございます。当然のことでありますが、付近の住民の方々あるいは役場の関係者の中にもまだ目撃者があるわけでございます。これは枕崎、そして阿久根両台風による被害者だということが明らかになってまいりました。先ほど申し上げましたとおり、三菱の最後の本国への帰還者が帰っていないのと、いま申し上げました台風による被災者とがたまたま合致をするわけでございます。しかし遺体のことでありますから、それが三菱の徴用工の方であったかどうかということは残念ながら証明するものがございません。ただ、先ほど言いましたように、まだ現地の目撃者等もおられるものですから、したがって韓国人であったということだけは明確になりました。事は非常に重大でございまして、いまもって日本国内朝鮮人方々の遺体がそのまま残っておる。ろくに慰霊の行為もしない。わずかに現地で有志の方が、これじゃいけないというので、昭和四十年代に入ってもうかなりたってからでありますが、慰霊碑等の建立をされて今日に至っておるわけでございます。  慰霊碑の中には、朝鮮の地名というほどではありませんけれども、墓碑に全羅南道、全羅北道あるいは慶尚南道、京畿道といったところの出身者だということも明記されております。ついでに申し上げたいわけでありますが、そういった韓国人の方々だということなので、現地の人が遺体はちゃんと韓国の方へ向けて弔ったという経過がございます。  では、なぜそれだけ大量の人が遭難をしたのか。ここが問題でございます。これは終戦直後、先ほど言いましたように昭和二十年の九月ないし十月のことですから、まだ憲兵の力が残っていました。台風が来るというので壱岐の芦辺湾に船は避難のために入ったのでございます。ところが上陸させてもらえない。朝鮮人を上げるなというわけであります。先ほど言いましたように憲兵の威光も強うございました。結果からいきますと、結局上げてもらえないその日に台風が襲った、そして船が転覆して亡くなったというわけでございます。辛うじて数人の方がそれでも生き残られまして、命辛々朝鮮へ帰られたのじゃないかということが言われております。それも目撃者があるわけでございます。だから、ほとんどの人はせっかく避難しながらそこで上陸させてもらえないということで死亡した。ここまでは私ども突きとめております。  これらの事情は、何回も国会で問題になったものですから、たしか昭和四十九年に外務省が公文書をもって長崎県に照会をしております。大ざっぱに申し上げますと、もう戦後三十年近くたったことなので定かではないがという前提はついていますけれども、いま私が申し上げたようなことがほぼ間違いないという公文書が外務省に返ってきておるわけでございます。  経過はそういうことでございますが、先ほど申し上げましたとおり昨年の通常国会で請願は採択をされております。当然厚生省外務省もこの一年間いろいろ御努力なさったことと思うわけでございますけれども、どういうふうにおやりになったのか、まずその辺から明らかにしていただきたいと思います。
  28. 山本純男

    山本(純)政府委員 この問題につきましては、役所といたしましては私どものほか外務省、労働省も関係がございましたので、そういうところの担当部局との間では何回か協議を行ってまいりました。基本的には、私どもといたしましても、行政上の責任その他の問題という議論になりますと、先生指摘のとおり技術的にむずかしい微妙な点がございますので、そういうかたい話というよりも、むしろそこに徴用工という身分の方の遺骨が埋葬されている可能性が非常に強いという点にかんがみまして、人道的な見地というものを中心にいたしまして対応を検討いたしてきたわけでございます。  その結果、本年度は時間の余裕がございませんでしたけれども、明年度四月に入りましたらば、ひとつ五十八年度の事業といたしまして、外務省とも十分協議をしながら、とりあえず現地の調査に着手をしてみたい。先生指摘のとおり、すでに約十年前に一度文書による照会をいたしておるわけでございますが、それ以上のことがわかるかどうかということは実際やってみませんと判明いたしませんけれども、今回はひとつ中央から直接人を派遣いたしまして調査をするということで検討する。その結果を踏まえて、また韓国政府からも何らか意思表示がある可能性があるということも聞いておりますので、そういう状況を踏まえてまた検討を深めていきたいと思っております。
  29. 小倉和夫

    ○小倉説明員 大体ただいま厚生省援護局長からお答え申し上げたとおりでございますが、私どもといたしましても、何遍か厚生省方々とも御相談いたしまして、この問題についていろいろ考えなければいけない――三十年前のことである、また御遺骨の絡んだ、いろいろな方のお気持ちの絡んだ非常に複雑な問題である、そういう点も踏まえながら考えなければいけないということで、厚生省の方と御相談してまいりましたが、昨年は先生承知のとおり、実は教科書問題というのが日韓間で非常に大きな問題になった経緯がございます。そういったこともございまして、非常に歴史的な経緯を含むこの問題につきまして、韓国政府と正式に話し合いに入るという状況にはなかったことは御承知のとおりでございます。  しかし、ただいま厚生省援護局長から申し上げましたとおり、私どもといたしましても、中曽根総理の訪韓以後できました一定の日韓関係の枠内におきまして、韓国政府の意向も確かめながら、同時に、厚生省と御協力いたしましてできるだけ速やかに現地の調査ということを進めてまいりたい、こういうふうに思っております。
  30. 森井忠良

    森井委員 そこで、現地調査をなさる場合に、壱岐、対馬の現地と、これをお願いをしておきますが、先ほど申し上げました深川宗俊さんを初め、遺骨が放置できないというのでやむにやまれず現地調査をすると同時に、八十数体の遺体については、当時の町役場並びに日本におきます韓国人の団体の皆さんの御協力を得て、特に埋葬許可が要りますから、町役場の埋葬許可ももらいまして、みずから発掘をして、そして遺骨にして現在広島県に持ち帰っておるわけでございます。お寺へ安置がしてあるわけでございます。これは考えてみますと、民間の団体として、いま申し上げました関係者ですからやむにやまれずやったこととはいえ、人道的な見地からの努力だとは思いますけれども、大変な御苦労があったと思うわけでございます。そして、いま申し上げましたとおり、遺骨のことでございますから、丁重に広島県内のお寺に安置がしてございます。これは関係遺族の了承も得た上で運んできたという経過もございますので、その点についてもひとつ着目をお願いしておきたいと思います。
  31. 山本純男

    山本(純)政府委員 その点十分承知をいたしております。ただ、これを別々の問題として取り扱うということはまだ適当でない面もございますので、ひとつ一体の問題として検討してまいりたいと考えております。
  32. 森井忠良

    森井委員 それで結構です。  そこで問題は、遺骨は発掘をしたけれども、やはり韓国側で丁重に受け取ってもらわなければならぬという問題が起きてまいります。もう事情は昨年も申し上げたわけでございますが、大ざっぱに申し上げまして韓国で三つの団体がございます。一つは社団法人韓国原爆被害者協会というところでございます。その下部機関として遺族会、これは三菱遺族会でございますけれども、いま五十数家族しか実は見つかっておりません。しかし、それで遺族会を結成しております。それから、幸いにして生存者の方も、三菱で働いておった方でその一番最後の便よりも先に帰った人はほとんど無事に皆帰っておられるわけです。生存者の方がおられるわけでございます。生存者同志会というのもございます。もう厚生省御存じのとおりでありますけれども。ですから、一番韓国政府で公的に近い団体というのは韓国原爆被害者協会でございます。そういった人たちが中心になりまして、すでに水原市というところで、市の許可をいただきまして慰霊碑が、お骨が帰ってくればここへ埋葬するというふうなことがすでに議論をされております。もちろん市当局の了承を得ておるわけでございますので、受け入れ体制も非常によくなってまいりました。それに加えてことしの一月末、先ほど申し上げました深川さんという方が訪韓をされまして、関係者皆さんの意向もいろいろ聞かれたわけでございます。そのときに、日本厚生省に当たるのでしょうか、韓国の社会保健部というところを表敬訪問をしておられます。表敬というよりも陳情もあったと思うわけでございますが、そこで李晟雨という医政局長さんと会われております。これが一月三十一日であります。医政局長にお会いになりまして、この遺骨の送還の問題について話し合いをされました。非常に前向きな回答があったようでございます。幾つかあるわけでございますが、その一つは、早急に外務部を通じて日本政府に遺骨送還を要請する、これが一つ。二つ目は、日本政府から遺骨送還があればそれを受け取ります。それから三つ目は、この問題の経費を来年度から予算化することを検討いたします。さきの二つは明確でありますが、さすがに予算のことでありますから、この問題の経費を来年度から予算化することを検討しますとなっております。そのときに例が出たようでありますけれども、昨年の秋に、これは厚生省がやったと思いますが、B、C級戦犯の方々の七人の遺体を韓国へ届けております。聞きますと、韓国はその場合に予算として一体について三十万ウォン、日本円にして十万円くらいに相当するそうでありますが、何にお使いになったのか、弔慰金なのかよくわかりませんけれども、そういうような措置をおとりになった。それがいま申し上げました医政局長の頭の中にあったようであります。そういうことで、長官も五月にはお見えになるということを仄聞しておるわけでございますけれども、かなり機が熟してきておると思うのです。だからこれは、わが方はあくまでも人道的な立場で、まだいまもって朝鮮人方々の遺骨が引き取り手のないまま壱岐、対馬の島々に眠っておるということは人道上許せない、そういうことで昨年も請願採択になったと私は思うのですけれども、いずれにいたしましても放置できない問題でありますが、ここまで機が熟してまいりました。したがって、これは先ほどちょっと援護局長さんから話していただきましたけれども外務省でしたかどちらかだったと思いますが、韓国から外交ルートで話があれば、いま申し上げました関係者の私的ではありますけれども努力によって、外交ルートに上げていただけるというところまで向こうでももう煮詰まっております。外務省、もうそういった外交ルートに乗った話があるのかどうなのか。これは、もとはかつて後宮さんが大使だったころからの話でありまして、そのころ非公式には打診といいますか打ち合わせ等もあったわけでございます。したがって今回、いま申し上げました医政局長さんと会ったのが一月三十一日ということでありますから、少し日数がたっていますが、何らかの外交ルートを通じての接触があったのかなかったのか、もしないとすれば、いま申し上げましたように、基本的にはどちらからでもいいと思うのですが、もうすでに遺骨が日本にあるということだけは明確になっているわけですから、なければこちらからでも問い合わせをするくらいの御努力がいただけないものだろうかと考えますが、いかがでしょうか。
  33. 山本純男

    山本(純)政府委員 私どもから積極的に働きかけるという問題につきましては、その問題の遺骨のすべてがそういう徴用工徴用解除に伴う引き揚げ業務の一環としてかかわりのある方々であるということがはっきりしておれば、当然そういたすがわけなんでございますが、何分にも一般民間の方々との間に区分が大変つきにくい状況であるだけに、私どもから積極的に働きかけることには若干ためらいがございまして、たまたまそういう成り行きを耳にもいたしておるものですから、そういうことならちょうどそれを一つのきっかけに検討を深めていきたい、こう考えておるわけでございます。
  34. 小倉和夫

    ○小倉説明員 外務省といたしましても、先生のおっしゃいました御趣旨、特にこの問題が人道問題であるということから発します御趣旨は非常によくわかる気がいたしまして、できるだけ形式にとらわれないやり方をしたいと思っております。  ただ、国と国との問題ということになりますと、やはり事実関係を私どもとしてももう少し明確にしておきたいという気がいたしますのと、もう一つは、これは韓国人の方々のいろいろな複雑なお気持ちもあろうかと思いますので、韓国政府に内々に、どういうような処理の仕方が一番韓国の国民感情を逆なでしないような形でできるかということで御相談しなくちゃならない面もあろうかと思いますので、私どもといたしましては、現地調査をやるといたしますれば、それと並行した形で韓国側との話し合いをどうするかもあわせて検討していきたいと考えております。
  35. 森井忠良

    森井委員 この問題については、厚生省外務省両省がよく連絡をとって、現地調査も含めまして調査をしていただく、このことをお願いしておきたいと思うのです。いかがですか。
  36. 山本純男

    山本(純)政府委員 御趣旨のとおり、十分連絡をとって適切に対処してまいります。
  37. 森井忠良

    森井委員 そこで、問題なのは三菱の問題でございます。  先ほど言いましたように、三菱は三千人ぐらいの徴用工を雇っておられまして、終戦になりましたから、したがって徴用工の未払い賃金を持っておるわけです。その未払い賃金が昭和二十三年九月七日、千九百五十一人分、合計金額にいたしますと十七万八千四百七十九円。当時の金で十七万八千四百七十九円を、いま申し上げました昭和二十三年に広島の法務局に供託しておられるわけです。これは約十八万円ですが、いまの金に直しますと、去年も指摘を申し上げたわけでございますが、私の計算では三億円ぐらいになる。未払い賃金でそのまま供託をされて今日に至っていますから、十八万円は十八万円のままでいまきているわけでございます。  三菱にはその問題が一つありますのと、もう一つは、先ほど言いました最後の徴用工の送還が行われたわけでありますけれども、その方々が現に帰っていないという問題があるわけでございます。推定としては、先ほど申し上げましたように、帰る途中で台風に遭われて亡くなったという推定でありますけれども、三菱の方かどうかというのはわからないわけでございます。そこではっきり言えますことは、正式な名称は別にいたしまして、先ほど申し上げました三菱遺族会というのが韓国に現在ありまして、いまもって自分の息子が帰ってない、そういうことだけははっきりしておるわけでございます。  そこで、いま申し上げました未払い賃金の問題とあわせまして、当然のことでありますが、遺族からは、終戦直後から三菱に対して、うちの息子は帰ってないがどうだろうかという問い合わせがあったわけでございます。ですから、三菱さんも帰ってないということについては認識をしておられるわけでありますけれども、帰っていないけれども私の方の責任じゃないという言い方に多分なったんだろうと思うのです。その当時は、三菱に限らず、朝鮮人徴用工皆さんを強制的に連行した人は、その当時の内務省、いまの厚生省、労働省といったところが朝鮮人送還に関する件という通達を出しておるわけでございます。もう去年指摘をしましたから細かいことは省きますけれども、それは要するに、そういった徴用工皆さんは内務省等の通達によりまして引率者をつけて釜山まで送り届ける、こうなっておるわけでございます。  この問題についても、三菱の場合は盧聖玉さんという方を引率者につけまして広島の駅を立ち、帰国の途についたわけでございます。その途中で行方がわからなくなった、こういうケースなんですね。途中で行方がわからなくなったのですが、実際は戸畑から木船に乗って帰るところまで――いい船じゃなかったわけです。木船に乗って帰るところまでは目撃者があるというケースでございます。ですから、先ほど援護局長の言われました行政的に全く責任がないかというと、要するに仮にそれが徴用工の人でしたら、常識的に考えても、戦後公知の事実として枕崎なりあるいは阿久根なり二つの台風があったことは明確なんだし、その当時朝鮮人の送還がずっと続いておったことも公知の事実なんです。その中で、申し上げましたように、具体的には三菱の人は大部分、一番最後の便の二百四十名余りの人はまだ帰ってないというこの事実が明らかになっておりますから、そういうことを総合しますと、いま責めているのじゃないのですよ。責めてはおりませんけれども、どうも全く責任がないということにはならないような気がします。これは問い詰めるとあなた方反発をしますから言いませんが、現にそういう因縁のある遺骨だということを御理解いただいておけばいいと思うのです。  そこで、三菱ですけれども一つは、先ほど言いました韓国の生存者同志会の皆さんあるいは遺族会の方々が、当然未払い賃金を払ってもらいたいという要求は三菱にされております。しかし、それに対しまして三菱の方は、いろいろ経過はあったわけでありますが、いまのところまだ拒否しておられるという状況でございます。中身について私は触れるつもりはありません。だが、そういったふうに双方の間で見解の相違がありまして、いまもって先ほど言いました約二千人分、十八万円余は広島の法務局に供託をされたままなんです。だから、これは何とかしなければならぬということでありまして、私が承知をしております範囲では、韓国の関係者皆さんは、この際だからもう示談で話しを済ませたい。それから、率直に申し上げますけれども、仮に私の論旨のとおり遺骨を送還するということになれば諸経費がかかるわけでございますし、現地に慰霊碑の一つも建てなければならぬでしょう。そういう場合に日本の国費がどこまで出せるかと言うことになるとやはり問題があると私は思うわけでございます。ですから、三菱の問題とあわせて、遺骨の問題も、そういった未払い賃金の補償もあわせ解決する方法はないものだろうか。これは私だけじゃありませんで、すでに昭和五十年代に入りまして国会で何度か取り上げられておりまして、これは厚生大臣がいいのかあるいは局長さんにお願いするのかわかりませんけれども、いままでの事実としては、外務省の当時の北東アジア課長の遠藤さん、彼が一度三菱と話し合いをされたという経過があるわけでございます。それは外国人からの要求ですから外務省も一枚かんでいただかないと無理という点もあったんでしょうね。そういうふうなことがございますので、できることならやはり三菱に、いま申し上げました経費の点もあわせて一括示談で解決というふうな形ができないものだろうか、私はこう思うわけでございます。漏れ承りますと、三菱の方もかたくなな態度じゃなくて、今後一切の請求権その他がないということになれば解決をしたいというお気持ちもあるというふうに私は仄聞をしておるわけでございます。  そこでどなたとは申し上げませんけれども外務省は具体的な経過がございますし、いざ遺骨送還ということになりますと調査費はとりあえず新年度で厚生省がお出しになるわけでございますが、申し上げましたように一括解決ができれば一番いいな。第一には遺骨送還そのもの。誤解があってはいけませんが、私はとりあえずおやりいただくのは、三菱の問題とは関係なしに、人道的な立場から遺骨送還をやってもらいたいんですよ。このことは明確に申し上げておきます。だから三菱にかかわっていろいろな問題がこじれて後回しということではこれは困るわけですから、遺骨送還はあくまでも人道的な立場、それが請願の趣旨でもあったわけですから誤解のないようにお願いいたしたいのですが、いま申し上げましたように一括解決を考えるのなら、やはり現在の三菱さんにもお出ましをいただいた方がいいのではないかという感じがするものですから、その点についても御配慮をお願いをしておきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  38. 山本純男

    山本(純)政府委員 やはり本質的には大変むずかしい問題であると同時に、またある意味では国民感情、あるいは国際問題ともかかわる大きな問題でございまして、私どもとしても表向き介入するということは避けるべきだと考えておりますけれども先生指摘のとおりある意味では関連のある問題でございますので、私どものなすべきことは当然適切に進めてまいりますし、その際あわせてそういう関連した問題が円満に決着を見るということになりますれば大変喜ばしいことだと考えております。  また、外務省とも十分連携をとりながらできるだけの努力はいたしてまいりたいというふうに考えております。
  39. 森井忠良

    森井委員 法務省、供託書類の閲覧の申請関係者からあったのではないかと思うのですが、これはどうなっておりますか。
  40. 筧康生

    ○筧説明員 この供託は広島法務局になされておる供託でございますが、その供託書類の閲覧申請が昨年の七月十五日、被供託者の代理人であるとする人から申請がございました。供託官の方でその申請に必要な書類が備わっているかどうかについて審査しましたところ、申請書類上の不備があるということが判明いたしましたので、そのことを代理人の方に指摘しましたところ、それではそれを補充してくるからということで申請書類一切をお持ち帰りになった、こういう経過であると承知しております。
  41. 森井忠良

    森井委員 どういう点が問題になりましたか。
  42. 筧康生

    ○筧説明員 これは実は、前回先生の方から御質問があったときには、供託の書類の閲覧一般のことについて申し上げたのでございますが、その後この具体的な案件についてさらに検討いたしましたところ、幾つか問題になる点があったわけでございます。その第一の点が、いまの申請のときに問題になったところでございますが、申請人の人が本当に被供託者であるのかどうかということの同一性の確認の問題と言うことが、非常にむずかしい問題があるということが第一でございます。さらにこの供託に関しましては、供託物である金銭の払い渡しの請求権の時効の問題、このことは先ほど先生がちょっと申されました請求権の放棄の問題とも関連するわけでありますが、そういうことの問題点あるいはまた、この閲覧申請というのは当該申請人にかかわる部分のみについて閲覧に供する、これが原則でございますので、この供託書の中の申請人にかかわる部分をどのようにして特定をして閲覧に供するのか、こういう問題もあるわけでございます。ただ、現在のところは、いわばその最初の出発点でありますところの閲覧の申請者が被供託者であるのかどうか、こういうところについての資料を求めておる、こういう状態でございます。
  43. 森井忠良

    森井委員 いま説明のあった中で、被供託者と閲覧申請者との同一性の資料というのはどういうものか、それが一つ。  それから、この問題で僕が助かっているのは、去年と同じメンバーなんですよ。外務省も小倉さん、それから法務省も筧さん、大臣はおかわりになり、それから援護局長もかわっておられますけれども厚生省以外のところは同じ人なんです。筧さん、そこでこれは、去年のこの委員会で、一括供託でありまして一括お見せせざるを得ないというふうに御答弁がございました。だから余分のことを言わないでいいですから、一括供託、あとは内部でいろいろおやりになるのでしょうけれども、それは二千人近いものをぱっとこれと言われましても、紙切れを切るわけにもいかないし、当然一括供託ということで去年私は了承しておりますので、それが後退する部分があっては困るので、余分なことは答えなくてよろしいですから、その点についても御注意を申し上げておきます。
  44. 筧康生

    ○筧説明員 前回の答弁、若干舌足らずのところがございまして、一括供託の場合には供託書が一体となって分離不能であるということが前提となるわけでございますが、先ほども申しましたように供託関係書類というのは一般的に公示するという性格のものではございませんので、供託者あるいは被供託者が自己にかかわる部分について閲覧ができる、こういう制度でございます。したがいまして、たとえばその部分について抄本をつくる、あるいはその部分のみについての写しをつくる等の方法を講ずることによって、その一括供託の中の被供託者にかかわる部分だけを特定するという方法も可能ではないかというように考えているわけでございます。  それからもう一点、同一性の問題でございますが、これはこの件だけではなしに、一般的にも供託時からその後氏名が変更するという場合があるわけでございます。そしてその氏名が変更されますと、閲覧申請のときには印鑑証明書の添付を要しますが、印鑑証明書上の名前と供託書の被供託者の名前とが一致しないということになりますので、その二つが同じものである、つながりがあるということの資料を求めるということになるわけでございます。これは一般的にはこういう氏名の変更ということを最も的確に把握するものは戸籍でございますので、これはそのことを証明し得る戸籍官吏の証明というのが最も確実な証明資料ということになると思っております。
  45. 森井忠良

    森井委員 私は去年は、金額は十八万だけれども、どういう方の供託がなされているのかというのは遺族会にとっても非常に重要だからということを前置きをした上で、だから名簿が必要なんだと言うことを前提にしてあなたに質問しているのですよ。議事録を見てください。そういう意味で一括供託でございますということでありますから、それは当事者の要望に沿えるなと思っております。だから、もしそうでないとすればこれは関係者としては大変なことで、第一、二千人近い人の名前の中から探すことになりますし、それは非常に問題だと思いますので、去年の答弁でいってもらいたい。  それから、印鑑証明もしくはサイン証明というのですか、日本は印鑑証明ですけれども、印鑑証明のないところは、外国はサイン証明というようなこともあるかもしれませんが、そのことはわかります。問題は戸籍簿と照会というところがこれが困るわけです。たとえば、いま全部韓国の人の名前になっているわけでしょう。韓国名でしょう。たとえば先ほど申し上げました盧さんという方は日本名は吉川さんでした。人によっては恐らくその当時の何か書いたものが残っているかもしれません。もう何にもなくなったということもあるかもしれませんが、私はこれは問題だと思うのですよ。戸籍を持ってこいと言ったってどこの戸籍を持ってくるのか。たとえばいま言いましたように吉川さんという人が韓国名で盧さんだということになって、いまお名前は盧しかないわけですから、私は盧でございます、日本名は何のたれべえといいました、吉川なら吉川といいました、こういう場合に戸籍で証明ができますか。私なんかの同級生はたくさん朝鮮人の方がいらっしゃいました、戦争中でしたからね。そういった方々も一緒に小学校を卒業しましたから卒業証書をもらっています。それは当時の日本名の卒業証書でございます。仮に、いま韓国にいらっしゃる人がその卒業証書を持ってきて、私は当時日本名でこう言いましたといったところで、因果関係はないのです。極端に言えば、どこかで卒業証書を預かってきて私はこういう者ですというふうに仮に主張しても、現在の韓国名では証明のしようがない。もし無理をすれば、その当時の日本の戸籍が残っていて、日本名がこうで、そして韓国名がどうなったかというところまで、そこまで戸籍簿に書いてあるかどうかわかりません、恐らく書いてないと思う。第一、あってもこれを閲覧に供するような状態じゃないと思う。そうなってくると、いまあなたは日本人の場合を想定してお答えになりましたけれども、もうお聞きのように、日本名と韓国名の経過は改めて申し上げませんけれども、ああいう事情で日本名にさせられ、そして現在また韓国名に直っているわけです。だから、盧さんなら盧さんという人がその当時吉川さんだったということの証明は、どういうふうな方法ですればいいのでしょうか。
  46. 筧康生

    ○筧説明員 韓国の戸籍制度の詳細を十分知らないままお答え申し上げて若干申しわけないところがございますけれども、比較的最近私どもが目にいたしました韓国の戸籍の謄本の中にも、ただいまの氏名の変更の事実がわかり得るような戸籍謄本というのもあるわけでございます。したがいまして、現在ある韓国戸籍の中においても、そういう変更が把握し得るような戸籍が残っている場合もある、こういうことのようでございます。  しかし、御指摘のようにそういうものがない、現在の名前だけしか戸籍がないという場合もあり得るわけでございます。その場合にどのようにしてその被供託者の名前と印鑑証明書上の名前との同一性を認定するかということは、これは個々的な申請ごとに供託官が、なるほどこれは同じ人であるというように判断をする、そのケース・バイ・ケースにかかってくるということになると思います。しかし過去においてその名前を使ったことがある。先ほど先生が御指摘になりましたような卒業証書であるとか、それは確かにどこから持ってきたかわからないのですけれども、そういうものを持っているということはその人がかつてその氏名であったということを示す一つの徴憑になるわけでございますので、そういうような事跡を集められて、そして供託官に見せ、供託官がなるほどこれは被供託者と同一人である、こういうふうに認定できればこの同一姓の判断はできる、こういう場合もあると考えております。
  47. 森井忠良

    森井委員 いま申し上げましたように、法務省、韓国名を日本名に変えて、供託の名簿は全部日本名ですから、そのむずかしさがあるという点については特別の配慮をしていただくようにお願いをしておきます。  そこで、一つの方法として、先ほど言いました韓国原爆被害者協会というのがあるのですね。厚生省、韓国にいらっしゃる被爆者の皆さん日本に来てもらって原爆病院等で治療をいたしますね。そういうのをやっていますね。新年度もたしか七十六人でしたか、今度来てもらうわけですね。そして原爆の治療を受けてもらうという行為があるわけでありますが、そのときには厚生省が一方的に、あなたどうですか、日本へ行って治療しませんかと言うのではなくて、韓国原爆被害者協会を通して一応の人選をするというふうに聞いていますが、いかがですか。
  48. 三浦大助

    ○三浦政府委員 この問題につきましては、在韓韓国人被爆者の問題でございますが、韓国の保健社会部との協議をいたしまして、その合意に基づきまして五十六年から六十一年までの五年間、日本に来て治療を受ける、こういうことで旅費は向こう持ち、治療費はこちら持ちということで、試験的に五十五年から合計五十五人ばかりこちらに引き受けております。
  49. 森井忠良

    森井委員 私が言うのは、厚生省が韓国原爆被害者協会というのをどういう団体としていま扱っておられるのか。つまり、なるほど形式的には韓国保健社会部でしょうけれども、では韓国保健社会部はどこと相談をするのかという場合に、これは社団法人韓国原爆被害者協会じゃないのですか。韓国原爆被害者協会を全然通さずにあるいは全く接触もしないで、韓国の保健社会部だけですか。私が聞きたいのは、余談のことじゃなくていいのです、厚生省はいま申し上げました団体とどの程度接触があるのか、その点だけはっきりさせてもらえばいいのです。
  50. 三浦大助

    ○三浦政府委員 先生がおっしゃるとおり被爆者協会とお話しをしております。
  51. 森井忠良

    森井委員 そこで法務省、先ほどは端的な形で卒業証書と申し上げたけれども、私の推定では、現実の問題として、ほとんどの方は日本にあった物は何も持っていないと思うのだ。そうすると、一つの方法として、厚生省もいままでの話し合いの相手としてきた、韓国政府はもちろんだけれども、唯一の被爆者の団体があるわけですね。その人たち日本名はこうだったとみんな知っているわけだ。社団法人と聞いていますからある程度の公的な団体だと思うけれども、だれかが証明してくれなければ、たとえば原爆なんかも、原爆手帳をもらおうとすれば証人捜しですが、やはり証人捜しぐらいしかないわけですよ。そうすると、韓国原爆被害者協会というふうな、ある意味で韓国政府と常日ごろから密接な連絡をとり、しかも被爆者の渡日治療等については事実上のお世話をしておられるわけですから、れっきとした団体のそういったところが、この人は日本名はこうでしたという証明を出せば、それはどうでしょうかね、ある程度それで認めるというようなことになりませんか。きちっとしたものでは無理かもしらぬけれども、そういった方法も一つあるのじゃないか。もちろん法務省の窓口は形式主義ですからそれはわかるけれども、そういったれっきとした判このついた証明等があればいいのではないか、こういう感じがいたしますが、それはいかがかということが一つ。  それから逆に、韓国原爆被害者協会から韓国の社会保健部に対してこの種の証明をしてくださいといって、韓国政府が証明をしたらどうなのか。これもちょっとお聞かせをいただきたい。
  52. 筧康生

    ○筧説明員 ただいまの御質問は、韓国原爆被害者協会というものがそういうかつての姓名と現在の名前との同一性について証明し得る能力というのですか、あるいはそういうものの資料というものを把握しているような団体であるのかどうかということに関連するわけでございまして、実はその点について私ども、この団体自身の性格あるいは能力等を承知しておりませんので、もう少し十分検討をさせていただきたい、こういうふうに思っております。
  53. 森井忠良

    森井委員 長くなりますからこれでやめますけれども、こういうことなんです。要するに、名前のとおりこれは原爆の被害者の団体なんです。あなたはどこで被爆しましたかというところから始まるわけだから、これは広島で被爆をいたしました、三菱なら三菱の工場内で被爆いたしました、当然これは韓国被害者協会として調べなければならぬ。どこで働いておったか、その当時日本名は何だったですか、これは当然のことですから。時間がないからもうはしょるわけですけれども、たとえば厚生省は、韓国人が日本に見えたら、その人が被爆者であったら被爆者手帳を出すわけでしょう。当然日本名じゃなくて韓国名で申請があるわけだから、その場合にどういうふうにして被爆者手帳を出しておるのか私は知りませんけれども、そんなことは役所にあるわけです。だから、恐らく厚生省の場合は実態で見ておられると思いますけれども、理屈を言えば幾つもあるけれども、少なくとも韓国原爆被害者協会というのは被爆者の団体であるから、当然被爆をした場所あるいはその当時の日本名というのは調べているのです。十分調べているのです。だから私は、先ほど言いましたように、ある程度公的な団体だから韓国被害者協会が証明をすればもうそれでいいじゃないか、しかも形式上もそういったふうにちゃんと判こをついた、判こというかサインをついたものを持ってくれば認めていいのではないかという感じがしておるわけです。もうこれは答弁要りませんけれども、先ほど言いましたように、韓国政府が逆に証明をしたらどうなるのかということも含めて御検討をいただいておきたいと思います。  外務省、法務省についてはもういいです。  次に、少し中身が変わるのでありますが、時間がありませんからはしょらせていただきます。
  54. 稲村利幸

    稲村委員長 厚生省基本関係のことをやるわけでしょう。
  55. 森井忠良

    森井委員 ちょっと待ってください。まだ続くのです。  大久野島の毒ガスの被災者の問題についてお伺いをしたいのです。  瀬戸内海といえば風光明媚なところでございますが、広島県の竹原市の沖合いに大久野島というのがございます。いまは国民休暇村となっておりまして、非常にいいところですが、実はここで日本陸軍が毒ガスをつくっていたわけでございます。そしていまなお毒ガスの被害で、毒ガス障害にさいなまれていらっしゃる方がたくさんあるというケースでございます。  援護措置昭和二十九年からたしか行われておると思うのですけれども厚生省は毒ガス被害者を扱っていらっしゃいますね。それから大蔵省も扱っている。これは役所が二つあるわけですよ。厚生省の場合で申し上げますと、これは法律の根拠はないわけですけれども、毒ガス障害者に対する救済措置要綱という行政措置で、一定の援護措置をおやりになっておられるわけですね。ですから、これは行政措置でありますから毎年毎年更新をしなければならぬ、こういう問題があるわけでこざいます。ですから、ことしの年金じゃありませんが、もうやめたと言われれば、それは法的根拠はないのですから泣き寝入り、そういうことは恐らくなさらないと思いますけれども、それは行政措置ですからそういうものだと思うわけでございます。これはぜひともひとつ法律にしてほしい。毒ガス被害者援護法とでも申しますか、法律にしてほしいという要求があるわけですが、いかがです。
  56. 三浦大助

    ○三浦政府委員 毒ガス障害者の救済措置につきましては、先生おっしゃいますように、救済措置要綱でいま救済をしておるわけでございますが、これはかなり限られた地域でございまして、また限られた対象者の救済でございますので、私ども、立法措置によらなくともそれと同じような効果を上げておるわけでございますから、行政措置として今後もやっていきたいというふうに考えております。要するに、中身は、救済施策の内容の問題でございまして、障害者の方々の実態を十分に踏まえながら、今後とも一層充実を図っていきたいというふうに考えておるわけでございます。
  57. 森井忠良

    森井委員 今度も長年の要求によってようやく介護手当と家族介護手当、これがことしの十月から動員学徒等について制度化されるわけです。これは遅いですけれども、せっかくお決めになりましたけれども、そうすると、これはなかったものを追加するわけですから、またこの措置要綱というのを改正をされるわけですか。
  58. 三浦大助

    ○三浦政府委員 措置要綱の改定をいたしたいと思っております。
  59. 森井忠良

    森井委員 あれやこれや考えますと、それは特定の地域と言われればそれまでです。しかし、その当時、日本陸軍が国際法に違反してあれだけの毒ガスをつくっておった。そういう意味では、これはもう大きな問題です。だから、私は本来やはり法律が正しいと思いますが、局長が言われるように、ある意味で事実上やっていくのだからいいじゃないかということもわからないわけではありません。ですから、やるなと言っているわけではありませんが、関係者皆さんは、そうは言っても、同じ援護措置をしてもらうなら法律をつくっていただきたい。それでも対象者は何千人かいらっしゃるわけですから、しかも現在のこの毒ガス被害者というのは、全国的にもうすでに散らばっているわけです。そういうこともありますから、それは原発被害者ほど広がってはいませんけれども、やはりこの際法律をつくってもらいたいという要望については、私も強くこの際指摘をしておきたいと思うわけでございます。  次に、同じ毒ガスの被害者でありながらも、大蔵省所管とそして厚生省所管とでは、厚生省の方が力が弱いのかどうか知りませんけれども、えらい差があるわけです。これは理屈の上では、旧令共済組合員であったものとそうでないものという理屈もついておりますけれども、しかし、いずれにいたしましても、見ますとかなり差がございます。  たとえば特別手当というのがありますね。これは月額七万五千三百円。医療手当、これはケースによって違いますけれども、明確に金額はついております。ところが、これはないのですね。旧令共済組合員以外の方、一般障害者と呼んでおりますが、大蔵省所管でもない。それからさらに動員学徒に至っては、これは全くない、こういう形になっております。これはどういうわけですか。
  60. 三浦大助

    ○三浦政府委員 私どもの方で救済措置を講じております対象者は、学徒動員と当時非共済組合員であった人たちでございますが、その共済内容というのは、旧令の共済組合員の一般障害者に準じて私どもやっておるわけでございます。認定患者との比較をいたしますと、確かに特別手当、医療手当は私ども見ておりませんが、ただ、学徒動員等の非組合員につきましては、毒ガス製造中止後の昭和十九年の十月以降に入ったということもありまして、直接ガスの製造に従事してなかったということで、かなり重い患者さんがいないということもございます。したがいまして、私どもとしましては、現在広島大学の方で毎年健康診断もやっておりますので、もしそういう方がいらっしゃればこれはまた大蔵省とも相談していろいろ考えなければいかぬわけでございますけれども、現在の時点では特別手当、医療手当を出すような対象の方がいらっしゃらない、こういうことでいま見てないわけでございます。
  61. 森井忠良

    森井委員 対象者がいれば出すということを確認していいですか。
  62. 三浦大助

    ○三浦政府委員 それは、私どもいま広島大学の方といろいろ相談をしているわけでございますけれども、現在はそういう方々がいないということでございますし、もしそういう方があった場合には旧令の共済組合員の共済を扱っている大蔵省との相談もしなければいかぬものですから、現在はまだないということでございます。
  63. 森井忠良

    森井委員 ですから、あったら差別はつけないというふうに理解していいですね、厚生省としては。  ついでに大蔵省、答えてください。
  64. 小村武

    ○小村説明員 大蔵省主計局では、共済課が直接旧令共済を担当しておりまして、私は厚生省と共済課と両方から予算要求を受けている立場でございます。  ただいま局長から御答弁ありましたように、旧令共済の方は認定患者と一般障害者と両方ございまして、厚生省所管の方は学徒動員等でございまして、一般障害者と同じ扱いをしております。  局長お話しにもありましたように、昭和十九年十月以降学徒動員の方々が入られたころは、毒ガスが中止された後だということで実態がそういうふうになっているのではないかというふうに理解し、現在の制度で私ども査定上やらしていただいているという現状でございます。
  65. 森井忠良

    森井委員 あなた、見たようなことを言うじゃないですか。毒ガスが中止された後で動員学徒なんかは行ったんですか。これは昭和十九年ですからね。当時の旧制中学校、女学校、それから国民学校の高等科というのですか、そういう十二歳から十七歳までの人たちをやはり駆り出しているんですよ。それが主として厚生省の所管になっているんですね。大蔵省の方は、先ほど言いましたれっきとした工員といいますか、旧令によるところの共済組合員を主として扱っているわけです。いろいろ差別があるのですよ。  それでは、こういうのはどういうふうに答えますか。たとえば医療手当の申請手続でも、旧令共済の方は医療手当交付申請書、履歴書、戸籍抄本、従事したことの証拠書類、これだけでいいんですね。それに対して動員学徒等、つまり厚生省の所管の方は、それに健康診断の成績表というのを出さなければならないのです。片方は従事したということがあれば医療手帳は出しましょうというわけです。いま申し上げましたように厚生省所管の学徒の方は、それに健康診断、特に精密検査だろうと思うのですが、悪ければ医療手当を出すがそうでなければ出さぬぞという思想ですね。これは大きな違いがあります。  それから、いろいろなのがありますが、たとえば保健手当というのがありますね。これも動員学徒等の場合は健康管理手当、これが障害として一番といいますかひどいわけでありますけれども、健康管理手当をもらっておった人が病気がある程度治癒に向かって、再発のおそれはあるがとりあえずよくなりましたという方に、つまり健康管理手当をもらっておった人が症状がやや軽くなったという場合に保健手当をもらうわけですね。ところが、大蔵省所管の方はそうじゃなくて、医療手帳の交付を受けた者が指定医療機関で診療を受け、ガスに起因する疾病があると診断され、治療の必要を認めないがガス疾病の再発のおそれがある、こう診断されますともらえるようになっているのですね。やはりかなり差があるわけです。これはいけないじゃないですか。
  66. 三浦大助

    ○三浦政府委員 ただいま先生指摘の点につきましては、医療手帳交付の際に、履歴書、戸籍抄本、健康診断、四番目に当時の事実確認のできる証拠書類というのがございまして、確かにこれが健康管理手帳をもらう場合と重複をしておるという御指摘の点がございます。これにつきましては県の方からも、地元とのお話し合いで私どもの方にいろいろ話が上がってまいっておりまして、この点は簡素化しなければいかぬなということで検討させていただきたいと思っております。
  67. 森井忠良

    森井委員 健康管理手当についてはどうでしたか。答えをまだもらってなかったでしょう。
  68. 三浦大助

    ○三浦政府委員 ダブっている点につきましては、私どもいま簡素化しなければいかぬなということで検討したいと思っております。
  69. 森井忠良

    森井委員 改めて御指摘は申し上げません。それでもことしは、先ほど言いました介護手当、家族介護手当等が一応認められましたし、要望であった忠海病院の診療科目の増加についても認めたということでいいわけでございますけれども、いま申し上げましたように、もう具体的には言いませんけれども、大蔵省所管と厚生省所管とではまだ数々の差があるということだけは指摘を申し上げまして、順次これは直していただきたい。大体五年くらい違うのですよ。いまの介護手当等も大蔵省がまずやり、それから四、五年たって初めて厚生省制度化するというかっこう。ほかの面でもそういっておるものですから、これは特に大臣にお願いしておきますが、大蔵がやって厚生ができないことはないわけですから、この点についてお伺いしておきたいと思うのです。
  70. 林義郎

    林国務大臣 いま森井さんのお話を聞きまして、これはむずかしいものだなという感じを私も強くしたのです。正直に私の実感を申し上げますけれども、この大久野島に毒ガス工場がありまして、そこで働いておられた方、現実にそこの工場の工員として、また職員として働いておられた方と勤労動員に行った方とは、やはり同じ障害を受けているのだろうと思うのですね。だから、その障害によって考えていくということは一つの原則として考えなくてはいかぬ話でしょうが、いま分かれていますのは、恐らく、学徒動員ですからそんな長い期間行ってないということでの区分がたまたまされていて、しかも所管が違うから、こういうふうな話ですが、やはりそこは症状に応じまして統一を図っていくというのがやる方向ではないかと思いますし、私も大蔵省当局とも話をいたしましてそういった方向に持っていきたい、こういうふうに考えております。
  71. 森井忠良

    森井委員 この問題、まだ御指摘をしたい点はたくさんございますが、時間の関係で割愛させていただきまして、ほかの質問に移っていきたいと思います。      ────◇─────
  72. 稲村利幸

    稲村委員長 それでは、厚生関係基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますのでこれを許します。森井忠良君。
  73. 森井忠良

    森井委員 時間があと十分しかありませんから、二つの質問を一緒にやらしていただきたいと思います。  一つは、医療法の改正の問題でございます。これは出す、出すと言いながらもいまもってまだ出してきていない。しかも、いままでは法案の締め切りというのは大体三月中旬というふうに私ども政府側から説明を受けておるわけでございますが、いまもって出していない。これはどうなっていますか。
  74. 林義郎

    林国務大臣 私からお答えをさせていただきます。  先生指摘のように何で三月中旬までに出さないかということにつきましてはおわびを申し上げますが、私の方も鋭意検討いたしまして、できるだけ早い機会に、いま実際問題として手続きをやっておるところでございますから、三月中にはできる、こういうことでご了解をいただきたい。(「あしたの閣議」と呼ぶ者あり)あしたの閣議にかける予定にしておりますから、そういったことでやりたい、こういうふうに思っております。
  75. 森井忠良

    森井委員 私どもも医療法の改正案出しておるわけでありますが、その意味では突き合わせていただきたいと思いますけれども、医療法を制度審にかけたのはあれはおととしになりますか、えらい長くかかったわけですが、中身に変更はないでしょうな。
  76. 大谷藤郎

    ○大谷政府委員 大筋におきまして変更がないという線で各関係団体、各省庁と詰めているところでございます。
  77. 森井忠良

    森井委員 私は新聞しかわからないわけですけれども、たとえば医療法人の指導監督、特に役員の問題等については、いままで原案では知事が解任を命ずることができるというふうになっておりましたが、伝えられるところによりますと、少しやわらかくなって、命ずるのじゃなくて勧告だとか、税制上も何かけしからぬ動きがありまして、これは直接厚生省関係がないのかもしれませんけれども、税制の面についても幾つか変わったところがあったというふうに聞いています。もう時間がないから簡単に。
  78. 大谷藤郎

    ○大谷政府委員 先ほど大臣が申し上げましたように、一日も早く国会に提出いたしたいということで関係方面と話し合いをしている最中でございまして、この問題につきましては、私どもとしてもまだ検討をしているところでございます。
  79. 森井忠良

    森井委員 えらい逃げるけれども、先ほど陰の声あり、あしたの閣議というような話もあったりして、えらい違いだ。大臣は今月中だと言っている。きょうは何日だと思いますか、二十四日でしょう。閣議の日にちはもう限られている。  しかし、いずれにしてもそうすると中身についてはここで言えないということですか。もしいま申し上げましたように中身に変更があるとすれば、やはり関係審議会にかけなければならぬという点がありますので、その点について明らかにしてもらいたい。
  80. 大谷藤郎

    ○大谷政府委員 大筋につきましては変更をしないということで折衝をしておるわけでございます。
  81. 森井忠良

    森井委員 あと五分になりましたから、吉原元審議官、現老人保健部長にお伺いをしたいわけでございますが、原爆医療の問題です。  これは老人保健法で、原爆一般疾病分との関係で老人保健法審議のときに問題になりました。つまり老人医療費のうち御存じのとおり七割は拠出金、それから二割が国、そして残りの一割を五%ずつ都道府県と市町村が持つことになっておるわけでございます。原爆はいままで、原爆医療法によりまして一般疾病の費用は全部国持ちだということになっております。  ついでに申し上げますが、原爆医療法というのは根底に国家補償がある、たとえば所得制限等はついていないわけでありまして、この点については最高裁判所でも判決があったくらいでありますけれども、そういうようなことから、原爆医療法でいけば拠出金以外は全額国庫負担となっておりますのに、老人保健法を優先して適用しますと、都道府県と市町村は五%ずつ被爆者の老人に対して医療費を支払わなければならぬという問題が出てまいります。したがってこれはけしからぬと言うことで、大体これは老人保健法を審議する過程でわかってきたわけでございまして、田中正巳さんに言わせますとこれはチョンボだったということでございます。後で気がついた。これは老人保健法、それから精神衛生法等幾つかあるわけですけれども、特に原爆については少なくとも被爆者の皆さんから国家補償によるということを盛んに言っております。僕が思いつきで言ったのではないのですよ、国家補償というのは。もうたび重なる原爆の審議で本委員会の附帯決議についているわけです、国家補償見地でやろうということについては。それからいきますと逆行するわけでございます。  そういうことで、私どもといたしましては、去年の老人保健法が成立するときの附帯決議でこういうことを書いてある。「多数の原爆被爆者を抱えているため新たに相当の医療費負担が発生する地方公共団体については、政府はその負担について従前の実績を踏まえ、今後とも別途適切かつ十分な財政措置を講ずること。」このとおりになっておりますか。時間がないから一言、ぱちっと答えてください。
  82. 三浦大助

    ○三浦政府委員 私からお答えいたしますが、先生おっしゃるように、今度の老人保健法の施行によりまして県、市それぞれ五%ずつ拠出することになったわけでございますが、いままでたとえば広島県、市が負担しないで済んでいた部分が三%ございまして、新しく老人保健法の施行によって二%分の今度上積みが出る、こういうことでございまして、三%分につきましては、一つは急激な負担がかからないようにということで、私どもの方で老人臨調の方で費用を見ておる、こういうことでございます。
  83. 森井忠良

    森井委員 あなた、勝手に附帯決議を解釈してもらっては困りますよ。附帯決議というのは与野党一致でこれは決めたものですね。しかもあのときの状況は、何としてもこれを吹き抜けないと老人保健法の審議に差し支えるというようなことがありまして、私のところへも、きょう大蔵省も見えておりますけれども、決して御迷惑はかけません、いままでどおりですね、さようでございます、じゃ附帯決議に書くぞ、よろしゅうございます、こうなってきたのです。あなた、わけがわからないことで、三%はいままでも負担すべきだったのをしなかったのだから、したがって仕方がないのだ、こういう言い方になっています。それは詐欺に遭ったようなもので、これはいけません。  それからもう一つの問題点は、いま県、市とおっしゃいましたけれども、県、市といいましても、市というのは広島市だけでしょう。たとえば広島県や長崎県で被爆者をたくさん抱えている市や町は、これはその対象にすらなっていないという問題があるわけでございます。これはあなたを責めるのはちょっと酷なのです。本当はその隣の人にもうちょっとはっきりさせなければいけなかったわけでありますけれども、もう時間がないからやめます。  いずれにしても大臣、この問題は、はい、そうですかと引き下がることのできない本当に重要な問題でございますから、別の機会に取り上げさしていただくか、あるいは大臣と私とでもう一度話をさしてもらいたいと思いますが、いずれにいたしましてもこういった問題があるということを申し上げておきまして、私の質問を終わりたいと思います。
  84. 林義郎

    林国務大臣 いまの森井先生お話しですが、先般予算委員会の総括のときにでしたかな、一般委員会か何かのときに、先生わざわざ陳情団を連れてこられた中にもそんなお話しがありました。ですから、私も実は前に勉強してみたのですが、老人保健法でわざわざ附則の中で原爆法律を引いて書いてある。しかも附帯決議では先生お話しのようなことが出ているわけですから、法律だけ読むとやるな、こう書いてあるし、附帯決議を読むと全部やれ、こう書いてあるわけですから、非常におかしな、矛盾したことだと思うのです。だけれども、これはやはり先生のお立場もありますし、いろいろ考えてみなければならない問題だと私は思っております。役所はいろいろと理屈をつけて申し上げないといかぬわけですけれども、やはりこれは政治的に何か考えないといかぬ話じゃないか、こういうふうに思っております。
  85. 稲村利幸

    稲村委員長 この際、暫時休憩いたします。     午後零時三十分休憩      ────◇─────     午後二時六分開議
  86. 稲村利幸

    稲村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。平石磨作太郎君。
  87. 平石磨作太郎

    ○平石委員 厚生大臣にお伺いをいたしますが、戦傷病者戦没者遺族等援護法、今回人勧に伴う手当の据え置きというようなことから、今回は従来の例によらず引き上げが行われていないわけでありますが、来年はどうするか、一言お伺いいたしたい。
  88. 林義郎

    林国務大臣 平石議員にお答えを申し上げます。  来年はどうするかというお話しでございますが、私は、先生指摘のとおり、この法案は毎年のように上げてきたのだろう、こう思っております。ことしは臨時特例的なことで据え置きということにいたしたわけでございますが、これは御承知のとおり、人事院勧告凍結を初めとする一連のストップ措置に関連するものでございまして、厚生省といたしましては、やはり援護を受けられる方々の心情を考え、また援護法の精神にかんがみますと、やはりいままでどおりやるのが正しいのだろうと思っております。思っておりますが、そうしたことで来年はどうするかというのは、やはり来年の予算編成あるいは来年の経済状態その他を見なければ何とも言えないことでございますが、気持ちとしてはいま申し上げましたように、例年のようなかっこうで続けていくべきが望ましいことであろう、こういうふうに考えておるところでございます。
  89. 平石磨作太郎

    ○平石委員 来年はひとつ大臣の努力を強く要請いたしまして、次に進ませていただきます。  いまお話しの出ました戦傷病者等の遺族につきましては、もちろん戦争行為によるそういった方々、いわゆる遺族の生活を保障する、こういった形の国家補償でございますが、やはり戦争犠牲者として中国に残留をされて三十八年、ほんとにまだ見ぬ肉親を捜して、今回も厚生省の努力によって肉親を捜す訪日がなされたわけでありますが、いままで国交回復以来何回かにわたってこういった措置がなされ、肉親とのめぐり合い、再会といったようなことで大変喜んでおるわけでございますが、中にはまた結局再会ができなかった、こういったまことに気の毒な方もいらっしゃるわけでございますが、国交回復以来今日までどのくらい永住帰国者がおられるか、お知らせをいただきたい。
  90. 山本純男

    山本(純)政府委員 私どもが訪日という形で身元調査をいたしまして、その過程の中で判明いたしました孤児の方の人員は、一昨年第一回が二十七名、昨年の第二回が四十五名、今回、今春の第三回が二十二名、合わせまして九十四名ということでございますが、これ以外に当事者の方が自発的に帰国して永住しておられる方が、このほかにかなりの数おられます。
  91. 平石磨作太郎

    ○平石委員 私、五十六年の四月にこのことについても御質問を申し上げたわけですが、その際に、四十七年から五十五年までに引き揚げ、定住された方が二千八百名ぐらいおられるという御答弁をいただいておるわけです。したがって、いま局長が言われました九十四名、この方々が本当にこうして肉親を捜しに来られたわけですが、いままで局長の言われた三回のこの引き揚げ確認について、初めてやられたことですから当初はいろいろと戸惑いもあっただろうし、あるいは事務においてもいろいろな面で支障があったりしたことも当然だと思うのですが、三回やられたことによって経験も積まれた。したがって、いままでのやったことに対する反省、それから今後はこう改正、改善をすべきであろう、あるいは今回の第三回目に当たってはいろいろとトラブルもあったし、さらに未確認の方々が非常に大量に出たということもある、そういったことが前二回と比べたときに非常に違った一つ状況が生まれたというようにもお伺いをいたしておるわけですが、この反省を含め今後どのように対処するのか、そして一回、二回、三回に当たって、三回目はどのようなことが考えられたのか、一つそういう点、まとめてお答えをいただきたい。
  92. 山本純男

    山本(純)政府委員 御指摘のとおり、三回重ねてまいります間に、いろいろと当初予期し、準備をしていなかった問題なども出てまいりました。中でも、従来私どもの対応の仕方が、孤児の方の大変御同情申し上げるべき状況を非常に強く意識いたしました余りに、少しく私どもの対応が、何と申しますか、孤児並びにその日本におられる肉親の方々の立場にやや偏った面があったことは否定できないところでございまして、この問題が、あわせて中国サイドにおきましてやはり同様に大変むずかしい問題を種々はらんでいるということについての配慮が必ずしも十分でなかったという点が一つ出てまいりました。これにつきましては、昨年の春以来一年間にわたって、政府間で協議を数回にわたって重ねてまいりまして、その結果、将来に向かって改めるべき点は改めていくということで進めてまいりたいと考えております。  ただ、残念ながらそれ以外にも、やはりこれは肉親の調査というやり方の面において、私どもにもう少しかゆいところに手の届かない点が幾つかあるという点が次第にわかってまいったのでございますが、この点については、率直に申しまして、今回の第三回の調査では余り具体化することができなかった状況がございます。たとえば孤児の方々の、中国において把握する可能性のあるもろもろの情報と申しますか手がかり、そういうものについては、実は正直申しまして、もう少し私どもも把握をいたしたいという希望を持っております。  また、日本の側におきましても、孤児の方々、それからその肉親の方々以外に、やはり同じ開拓団におられた方々なりあるいはそういう御縁でいろいろ援助の活動をしておられる民間団体の方々の御意見をよりよく反映するという点でも、まだ努力の余地があろうかと思っておるわけでございますが、このあたりは、正直申しまして、この一年間の交渉がちょっと時間がかかりまして、その関係で、今回の調査を非常に短い間で準備をするという状況になったものですから、反省はいたしながらそれが間に合わなかった点が一つと、また、中国国土の中でのもろもろの調査活動その他につきましては、これはまた国際的な問題でございまして、これからまた外交交渉を通じて引き続き詰めをやっていかなければならない問題でございますので、これは今後の交渉の中でなるべく前向きに解決するように努力していきたいと考えているところでございます。
  93. 平石磨作太郎

    ○平石委員 今回の訪日について、ここに新聞にもございますが、いろいろとテレビその他にも放映がありましたが、孤児の中に非常な不満が出た、こういったことが報道されまして、そして厚生省が、もちろんこうして来日についてのスケジュール、いろいろと善意にやったことだとは思うけれども、やはり三十八年のああいった、まだ見ぬ親に対する再会をしたいという気持ち、だから、どんなにせられても、どんなに接待をしても、それが再会ということにならないと、これは本当に、せっかく来日をしたにもかかわらず再会ができなくて再びまた中国に帰る、この心情を見たときに、この新聞にもございますが、私たちは肉親捜しに来たんだ、こんなところに来てもうれしくもない。これは京都その他の方へ厚生省が御案内をしたときのことだが、そのように物見遊山的なこと、これも善意でやられたことだから私は責めはいたしませんけれども、結局再会する人が少なかった、だから再会できなかった、こういったことがこういった不満にあらわれてくるんじゃないか、こう私は思うわけです。  そうすると、今回については、いま答弁にありましたように、時間的余裕もなかったといったようなこともございましょうが、十分調査をし、そして再会可能な方々を多く日本へ訪日をいただく、こういうような形にしていかねばならぬじゃないかという気がするわけでして、単なる同情とかあるいは感傷的な形でやるということでなしに、これからは相当腰を落ちつけてじっくりとひとつやっていかねばならぬじゃないか、こういうように考えるわけですが、今回の反省点等を含めて、大臣、今後の取り組みをお聞かせいただきたい。
  94. 林義郎

    林国務大臣 いま局長から御答弁申し上げましたように、長い間中国政府との交渉もいたしましたし、その結果お越しをいただくということになったわけでありまして、準備の点等が不行き届きであった点は私も率直に認めておりますし、そういったことがありましたならばおわびを申し上げたいと思います。  先生指摘のように、やはり肉親捜しで来られたわけですから、そのために一生懸命厚生省の方も、援護局の職員、みんな一生懸命やってくれたと私は思っているのです。またそうだと思いますが、残念な結果になりましたから、肉親捜しができなくて残念ながら帰られた方もあったわけであります。そういった形にならないように、これからもいろいろと準備をしていくということも必要でございましょう。必要でしょうが、まだ八百人ぐらい残っておられるわけでございますから、私は、それらの方々もできるだけ早く軌道に乗って、来ていただくようなことを考えていかなければならないだろう。もう戦後三十七年、そろそろお父さん、お母さんは亡くなられるような年ごろになりますし、やはり生きているうちに肉親に会うという気持ちは、人の本性として失うことのできないとうといものだと私は思いますから、そういったお気持ちに十分こたえてやるようにこれからも努力してまいりたい、こういうふうに考えております。
  95. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いま大臣答弁にありましたように、これはまさに時間との勝負だということが言えましょう。両親もほとんど高齢化し、七十五、八十といった状況ですので、ひとつなるべく早くやってもらわなければならぬ。  そこで私は、今回の状況等を見ましても前回を見ましても、あのテレビ放映は非常に効果があるのではないかという気がいたします。いろいろと質問の中で、郵政との連携もとりながら、中国の方でテレビの収録をし、日本で放映をするというようなことも一部答弁の中にあったようですが、そういったことをもひとつ今後推進をしてもらうし、さらに提言をしたいことは、厚生省のいわば専門官というか係官というか、この事務を促進するために中国の大使館に人を派遣すべきではないか、そして専門的に外交交渉に当たらせ、外務省との連携をとりながら事務を進めるといったこともとらなければいかぬのじゃないだろうかという気もするのですが、その点いかがなものでしょうか、ひとつお伺いをしたい。
  96. 林義郎

    林国務大臣 中国で向こうの方のテレビを撮ったらというお話しかとも思いますが、この辺は、御趣旨はよくわかるのですけれども、中国内部の御事情もあるようでございますから、中国側とよく相談をして話を進めていかなければならないことだと思っております。  第二の問題の中国大使館に人を派遣したらというお話しでございますが、私は率直に申しまして、在北京大使館では大変よくやっていただいておると思っております。厚生省からも担当職員、一等書記官一名出して、外務省方々と一緒になって協力をしていただいてやっておるところでございますし、いまの体制でやっていけば何とか対応できるのではないだろうか。私もかつて海外におりましたけれども、海外におりますと、この仕事はおまえの仕事だ、あれはおれの仕事だというわけにいかないのですね。皆さん来られたら、自分の職場を問わずに一生懸命になって一緒に協力をしてやらなければできないわけでありますし、こうした問題も、一時的に大変なことでございましょうから、そういった意味で各大使館の館員の人にもいろいろお世話になっていることだろうと思います。そういった一致協力体制でやっていただくことを心から期待をしているものでございます。
  97. 平石磨作太郎

    ○平石委員 派遣をしてあるということですが、ひとつさらに充員をしてもらうということと、大体めどとして八百人くらいといったお話しがいまありましたが、中には三千人もというようなことも聞きます。未調査段階だと思うのですけれども、仮に八百としましても早くめどを立てなければならぬ。大体どのくらいの年数でやろうと考えておられるのか、お伺いをしたいのです。
  98. 山本純男

    山本(純)政府委員 昭和五十年度では一応百八十人分の訪日調査の予算をお願いしているところでございまして、こういうペースでございますと、私どもの訪日調査という形によらないで身元の判明する方も若干はおいでになるわけではございますが、これが主体になるということなので、数年の年数がどうしても必要であると考えております。  ただ、それにも増して、訪日された方の中でどのくらい身元が判明するであろうかと申しますと、先ほども指摘がございましたように第一回、第二回ともに五割そこそこ、第二回がちょっとパーセントは高くて七割ということでございましたけれども、今後に向かっての見通しということになりますと、私どもとしてもいろいろな手がかりがはっきりした方から優先的においでいただいたという事情もございますので、今後これが大きく下がるということは考えたくないのでございますが、また非常にパーセンテージが上がるということは、ずいぶんと努力をいたしたいと思いますけれども非常にむずかしい。そういうことで、現在の方々の中で日本の国土をまだ踏んだこともないという方々がまだ七百五十名ぐらいおられるわけでございまして、私どもとしては、とりあえずはこの方々に少なくとも一度は日本の土地を踏んで、自分の目と体でもって体験しながら肉親捜しをやっていただくということはぜひひとつ早く一巡させたいと考えております。  その後、結局全体としては、恐らく数百名の訪日調査を一度経験したにもかかわらず身元がなおわからないという方が残られるだろうと思います。この方々につきましては現在なお引き続き継続調査はいたしておりますけれども、十分な努力をするゆとりがまだないのが実情でございまして、残る七百幾らの方々に少なくとも一度訪日調査をやっていただくめどが立ちますまでの間には、訪日調査をしてもなおかつわからないという方に今度だんだん重点を移す、ことに身元がわからないままでも永住帰国する道が昨年から開かれたことでもございますので、今後はそちらの方にだんだんと力を入れていくように持っていきたいと思っております。
  99. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いま申し上げたように時間との勝負でありますし、遠い昔のことですから資料等確認の作業についても大変な困難が伴うことは当然のことでして、そういったことを克服されて、一刻も早く再会できるように事務を進めていただきたいと強く要請をするわけでございます。  次に、内地へ帰られて定住されるということについて質問をいたすわけでございますが、厚生省が今回の予算措置の中で、いわゆるセンターをつくって日本語の教育その他を行うわけでございます。これは大体四カ月というようにお聞きをしておるのですが、これで十分なのかどうなのか。  それから、高知県の未帰還者等援護対策促進協議会で十周年の記念誌が今回できたわけです。これは厚生省へ上がっておると思いますが、これを見てみますと、定住された方たちの手記も入っておりますし、それから日本へ来て言葉のわからないところでどんなに苦労しておられるかということもこれにつぶさに書いてあるわけです。座談会等もやるわけですが、これを読んでみますと非常に苦労しておられる。しかも一番のネックが日本語である。そして日本語ができるようになりましてもなかなか仕事につきにくい。ついても日本語が不十分ですから十分にならない。この前私が取り上げさせてもらったときに、中央へ集めて日本語教育をし、社会情勢を知らせてあげたらどうかといったことを質問の中で提言をしたのですが、当時はカセットテープを渡すだけで、それはちょっと困難だ、やはり親元に帰って就職をして、仕事の中で日本語を覚え、日本の社会情勢を知ってもらう方がベターであるという御答弁をいただいたのです。結果的には今回の措置がなされるので一応の前進と評価をしておるわけですが、ここで私は申し上げておきたいことは、この方々が中国に育ったということ、そして日本の社会情勢が全くわかっていない。この社会の仕組みというものをひとつはっきり認識できるようなことを、そのセンターにおける教育の中でもひとつやる必要があるのではないか。たとえて申し上げますと、食べることと着ることと住まいをすること、これはやはり国が行うんだということで大きくなっておられますので、そういった面での認識の違いとかいったようなことが、日本社会に入ったときにトラブルの原因になるといったようなことをも聞いたことがございます。そういったようなこと等をあわせたときに、四カ月でできるのかどうか、ここらを一言、その見通しをお知らせいただきたい。
  100. 林義郎

    林国務大臣 私からお答え申し上げておきますが、先生も大変御熱心にこの中国孤児問題を取り上げていただいておりまして、私からも感謝申し上げますし、高知県では非常に熱心にいろいろなことをやっていただいている、この問題に関する先進県であろう、こう思います。そうした意味で一層の御努力を心からお願いをする次第でございます。  御承知のとおり、また御指摘のとおり、やはり日本語というのは非常にむずかしい。それなら日本語を直したらどうだ、こういうふうな話も出てくるかもしれませんけれども、そうはいかないわけでございますし、やはり日本語のマスターということが一番大切なことで、今回孤児センターということで発足をいたしたのであります。  言葉だけでなくて、いまのお話しにもありましたように、社会の仕組みというのは、中国社会と日本の社会はやっぱり仕組みが違いますから、その仕組みをよく理解をしてもらうというようなことも、私は当然にそこでやっていかなければならない話だろうと思いますし、それが四カ月でできるか、こういうふうなお話しでありますが、人の関係その他ございまして、一応四カ月でやってみまして、それでいけなければまた何か考えていくということではないだろうかと思います。とりあえずいままでの経緯等からは一歩前進したわけでありますから、そういったことの積み重ねを通じましてよりよきものにいたしたい、こういうふうに考えているところでございます。
  101. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこで、この手記を一部読まさせていただきますが、いろいろな手記があるわけです。この中で、六川綾子さんとおっしゃる方ですが、これは昭和五十年に引き揚げてこられた方です。この人の手記の中にこういうことがあります。「私達帰国者にとっては、様々な困難が数多く有ります。第一、住宅問題、就職、老後の生活問題、国や県の方々も帰国者の各問題について一つ一つ解決戴いている所ですが、帰国者の中には年金をかけていない老人も少なく有りません。老後をどの様に生きれるか、特に不安を感じるものです。」という手記もございます。このことを見てみますと、やはり長い間中国に暮らされて、そして日本へ引き揚げてきますと、いまこれに出ておりますように、いろいろなネックがあるわけですね。  それからもう一つ、時間の関係で、若い方ですけれども読ませてもらいますと、「自分はまだ国籍がないから、卒業証書も本物をもらえない。」こういうことなんですね。これは小学校、中学校、そして定時制の高校といったように入っておられる方ですが、そのように記載があるわけです。  だから、国籍の問題、それから老後の年金の問題、それから就職の問題、いろいろな問題が一遍にこの人たちにかかってくるわけです。これを私は、厚生省だけが片をつけるといってもなかなか困難じゃないかと思いますよ。だからきょうはまず労働省に来ていただいておるのですが、就職のことについては、労働省のそれぞれの職業高等訓練校とか総合訓練校等において職業教育その他行っていただいておると思うのですが、全国でどのくらいしておられるのか、簡単にひとつ話していただきたい。そして、それがどういうような成果になって就職に結びついておるのか。ここらもあわせて……。
  102. 歌田長一

    ○歌田説明員 先生お話しのとおり、中国残留孤児の引き揚げ者の方が日本で生活していくためには、職業的自立が必要でございます。そのために職業訓練を受けて、技術、技能の習得をすることはきわめて有効であると私どもも考えております。そこで、職業相談の過程で、日本語ができる方については積極的に職業訓練への受講を進めておりますし、また多少の日本語ができる方でも入校していただきまして、職業訓練校の協力生活指導員等の協力を得ながら、職業訓練校に入っていただいて技能習得をしていただくようにお願いしているわけでございます。  そこで、訓練の状況でございますが、昭和五十四年度には五十四名の方が訓練校に入られました。五十五年度は三十五名の方が訓練校に入っておりますが、五十六年度には百二十七名、五十七年度は十月末で百四十九名の方が訓練校に入校しております。  さらにまた、訓練校を修了した方の就職の問題につきましては、公共職業安定所の専門の指導員を通じましてかなり綿密な職業相談、職業指導を行っておりまして、かなりの就職の成果が上がっておるわけでございます。
  103. 平石磨作太郎

    ○平石委員 労働省にさらにお伺いをいたしますが、これは職業転換手当とかあるいは訓練手当とかそういったものは支給しておるわけですか。  それともう一つ、訓練校以外に、たとえば准看の養成所へ行っておるとかあるいは調理師学校に行っておる、こういったようなことがあるわけです。これは労働省所管でもございませんけれども厚生省、どちらでもいいのですけれども、こういった方々にもそれぞれの手当その他があるのかどうなのか。
  104. 歌田長一

    ○歌田説明員 引き揚げ者の方の職業援護措置でございますが、昭和五十七年度、本年度から職業転換給付制度の適用を図ることにいたしました。そこで職業訓練手当、これは月額十万円ほど出ますけれども、その手当を支給しながら、職業訓練を受け、あるいは職場適応訓練を受け、また訓練を終わった方が広域にわたって求職活動をするための給付金を支給したり、あるいは住所を移転して就職する場合の移転費を支給したり、そういった就職援護措置を今年度から適用することにいたしております。  それからさらに、公共職業訓練校でなくて、民間の訓練校に短期に訓練を受ける場合、委託訓練というふうな形で、同じように職業訓練手当を支給しながら、短期の職業訓練も実施するような体制を整えているところでございます。
  105. 山本純男

    山本(純)政府委員 引き揚げ者の方の中には、すでに技能をお持ちの方もおいでなわけですけれども、たとえば厚生省の所管で申し上げますと、医療関係の業務なり、はり、きゅうといったようなものを含めまして技能を持った方がおいでなのですが、大体そういう職種はすべてこれは国家試験、免許という手続が必要になっておりまして、そのための教育課程を経ない方には免許が手に入らないという状況がございます。また、私どもに関しましては、そういう看護婦学校でございますとかそういうところについて特別の手当その他を出すという制度はございませんので、それぞれ自前でやっていただくなり、あるいは労働省の力をかりましてお世話をいただくということしか対応はないわけでございます。
  106. 平石磨作太郎

    ○平石委員 私はそこらがちょっと――職業訓練校のルートへ乗った場合はいまおっしゃったようなことがあるけれども、千差万別ですから、したがって、特に若い女の方たちはこれは養成所へ入って看護の道へ進もうと、ここにも手記があるわけですが、「まず就職の事が大事ですが、手につけた技術が通用しない。」これは中国のは通用しない。「それでは新たに勉強しようと思っても言葉ができない。私はその事を毎日考えています。日本に帰って来たことが本当に幸せだったのか、まだわかりません。」こういう方があるのですね。そして、いわゆる准看の学校へ入って勉強しておるわけです。この方々が、もちろん生活保護は受けていらっしゃると思うのですけれども、やはりこういう技能習得についてハンディを持っておるわけです。だから日本の人と同じような形で、用意ドン式に免許をもらいなさいというようなことでは余りにも親切でない。だからこれは国の責任だと思うんですよ。相当前進はしておりますけれども、前は日本語のカセットテープを渡して親元へ帰したらこれで終わり、日本社会へ皆さん御自分で入って日本社会に溶け込んでください、これは余りにひどいと私は思うんですよ。だから、いまのように前進はしておりますけれども、いざ日本の社会へ入ろうとしたときに、やはり一般の普通の日本で育った方々と同じようなレベルの中で競争しなさいと言われても、これは余りにも不親切だと私は思うんですね。だからここは政府責任を持って、そういったことについても諸手当をあげながら社会へ受け入れられるような準備を整えていかなければいかぬのじゃないか、こう私は思うわけです。大臣いかがです。
  107. 林義郎

    林国務大臣 お話しは非常によくわかる話でありますし、言葉もできない、それから中の環境もよくわからないというところへぱっと来られたわけですから、その適応たるや私は非常にむずかしい問題があると思いますし、またそれを乗り越えてやっていくために、いろいろな形で政府が援助をしていかなければならないことも当然だろうと思います。この孤児センターの方にいろいろな基金を設けまして、私も実は率先して少し募金集めをやっていこう、こういうことも考えておりますし、そういった金を活用するとかいろいろなことをこれから考えていかなければならないと思いますし、先生の御指摘でありましたような調理師とか准看であるとかいろいろなこともあるだろうと思いますから、そういったこともミックスしながら、帰国された孤児の方々が何とか日本の社会のりっぱな一員となってもらうように努力をしてまいりたい、こう思うのです。もちろん労働省の方で先ほど課長からお答えがありましたように、委託訓練というのですか、そういったこともあるようでございますから、そういったことを全部活用して総合的にやっていくことが必要ではないかというふうに考えているところでございます。
  108. 平石磨作太郎

    ○平石委員 ここにまことに悲惨な事例の新聞が出ていますね。御存じだと思うのですが、昨年の十一月八日、「中国帰りの一家で惨劇」これは神戸にあった事件ですね。「言葉の壁・就職難・狂暴化 酒乱の次男全員で殺す」中国から引き揚げられた六人の家族が酒乱の次男を全員で殺してしまった。こんな悲惨な状態が起きているわけですよ。したがって私は、この人たちが自分のかわいい息子を殺さなければならぬといったような、これはやはり日本社会へ戻ってきて本当に幸せだったかどうだったか、そういうことを非常にわれわれに問いかけた事件じゃないかと思いますよ。だから私は、いままで三十八年間、中国で孤児として育ってまだ見ぬ親を捜し求めて日本まで来た長い歴史、そして痛さ、こういったことを私はこの人たちの個人の責任にしてはならぬと思うんですよ。私は、日本政府がもっと汗をかいてその痛みを分かち合ってやらなければいかぬ、これから本当の痛さが出てくるのじゃないかと思うんですよ。この新聞、新聞記事ばかり申し上げて失礼でございますけれども、これを見ましても、今回のことを非常な不満を持っておるわけです、さっきもちょっと触れましたように。確かに引き揚げて再会のため来られた方々は非常な政府に対する不満を持っておられる。「口々に政府へ不満」民間は温かいけれども政府の対応は冷たい、こういう記事も出ておる。私はもっと政府はこれらの方々の痛さを知っていかなければいかぬ。だから、ただこうやりました、ああやりましたと言うだけでは私は解決にはならぬと思うのです。いろいろなネックが社会の中にありますから、これらについては政府責任をもってやるべきじゃないか。  それから、さっきの手記の中にもありましたが、国籍がないので、高知県で引き揚げてこられた方がまだたくさんおりますが、これを見てみますと、日本で生まれてあちらへ渡航して帰られた方は日本国籍がある。それからあちらで結婚をされた女の方、この方は日本国籍を持っておる方もありますが大体中国籍。そしてそこに生まれたお子さん、中国の人との間に生まれたお子さんはほとんど全部中国籍ですよ。このいわば間に生まれた二世の方、これは引き揚げてきておるわけです。この人たちがいまの日本の帰化の制度という中で国籍をとらねばならぬと思うのですが、これはあの条件から言いますと、何年間は日本に在住せねばならぬとかいろいろな厳しい条件があるわけですが、この方々がはっきりしておる以上は、私は、簡単と言ったら語弊がありますけれども、明らかな場合は早く国籍をとらすようにして、そういったネックは外してやるようにしてやらなければいかぬのじゃないだろうか、こう思うのですが、法務省の方にお伺いしたい。
  109. 細川清

    ○細川説明員 御説明申し上げます。  先生指摘の中国残留孤児のお子さんの国籍でございますが、出生によりまして日本国籍を取得しておられない方もおられるわけでございますけれども、そういう方々につきましては、現行の国籍法におきましても簡易な手続きで、帰化によりまして国籍を取得することが可能でございます。一般外国人の方の場合につきましては五年間の居住が要件とされておりますけれども日本人のお子さんでありますので、日本に住所さえあれば帰化の申請ができるということになっておりますので、現行法で十分賄えるのではないかと思っておりますし、また、そういう申請がございましたならば迅速に適切な処理をさせていただきたい、そういうふうに考えております。
  110. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そういう方法があれば、あるいは戦時死亡宣告等もたくさんなされておりますが、これらの取り消しとかいったようなことで早くなにができるように、ひとつ御努力をいただきたい。  それから、厚生省にさらにお伺いをしておきたいのですが、この引き揚げてこられた方々が社会へ定住をした場合に、いま神戸で悲惨な事件が出たわけですが、ある程度やはり、追跡調査といえば語弊がありますけれども、この世帯は安定ができたかどうか、まだ不安が残っておるか、この世帯はこんな問題点があるのだといったようなことをいわゆる追跡をしてある程度把握しておかないと、これはそのまま解き放した形にしても、非常に本人たちは社会の厚い壁に突き当たってしまったというようなことになっておるのですが、大体引き揚げてこられた方々がどういう生活をしておるのか、そしてその方々の収入はどんなものなのか、生活が安定できるような収人があるのか、調査をしておればお知らせをいただきたいし、今後これをどのようにしていくかを、今後の問題も含めてひとつお答えをいただきたい。
  111. 山本純男

    山本(純)政府委員 私どもが現在つかんでおりますところを初めに申し上げたいと思いますが、昨年の六月に帰国した孤児六十八人の方について、帰国後の生活状況調査をいたしました。その結果で申し上げますと、一つの指標は、当初はほとんどの方が生活保護を受けて生活を立てておられるわけでございますが、その生活保護を脱して就職、自立されたという方が一年未満では大体一八%程度でございますが、一年以上二年末満の方については三割程度までふえているということでございまして、大体二年と三年の間で半分の方が生活保護を脱却なさっておる、そんな状況が出ております。そういうところから申しますと、かなりな率と私どもは考えるわけでございますが、一方、現にその結果、就職された結果の収入についての調査を見ますと、これもやはりかなり低収入でございまして、一番多い階層が十万円と十五万円の間という階層が数として一番多い、そういう状況でございます。そういうところから、自立されたといいましてもかなり苦しい。共稼ぎであるとかいろいろやりくりをされておられるんじゃないかというような状況を私ども承知しております。  こういう問題につきましては、これから一年経過いたしておりますので、その後の状況についてはまた調査を着手いたしまして、なるべく早くまたその後の状況を把握したいと考えております。ただ、これを全面的に私どもの方で把握するということは、個人のプライバシーという問題もございましてなかなか微妙な点があろうかと思いますが、一方では、都道府県には私どもから助成をいたしまして、一年間生活指導員を派遣していただくという事業をやっていただいておりまして、これはまた県のサイドでは御熱心に、ときに一年を超えてまでいろいろやっていただいておる状況がございまして、そういう線からまた特にむずかしい問題が出てまいりました場合には、私どもにわかってくることになると思います。それ以外で申しますと、後は民間団体の中で、身元調査と同時に、帰国後の生活について大変御尽力いただいておる団体もございまして、そういうところからもいろいろ情報がございますので、そういう御協力を得ながら、私どもとしても、帰国された方々のその後の生活状況にはできるだけ気を配ってまいりたいと思います。
  112. 平石磨作太郎

    ○平石委員 老後の問題がちょっと残ったんですが、時間がないんですけれども年金は来てますか。これは年金局長にお伺いしておきたいのですが、帰ってきて、国年にしても厚年にしても年数が足らないといったような場合に適用ができるのか、できるようにするのかどうなのか。もう一言でお答えをいただきたい。
  113. 山口新一郎

    ○山口(新)政府委員 この問題につきましては、明年の改正の際にひとつ積極的に検討してみたい、かように考えております。
  114. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこで、大臣に最後にお伺いをいたしますが、ここに高知県でいま答弁にありました生活指導員をしていらっしゃる、これは公文俊さんという方です。この間、私もセンターへ中国孤児の慰問に行ったときにこの方も来ておりました。この方がこういうことを書いておるのです。「孤児は痛憤した。孤児の歓迎会において、森下厚相が挨拶したのに対し、孤児代表が答辞を述べたが、その中で、「日本政府はベトナム難民に対し、一億ドル(二百二十億円)の予算を投じ、難民に日本永住を許可しました。中国にある孤児に対しては年間三億円の予算で、国籍も与えない。永住の許可もない。私達は日本人であります。もっと私達の血の叫びを聞いて欲しい。」と言いました。森下厚相も涙を流し、顔を上げ得なかった。厚相の涙が、その時の魂の痛みにより流れたものなら、その涙を忘れることなく、その時の魂の痛みを、政府を動かす努力に繋がらして欲しいと思います。」こういう答辞がなされておるわけです、あの中国孤児から。したがって、私はいまだんだんとお話しをいただきましたけれども日本社会に入って溶け込んでいくというのにはいろいろなネックがある。しかもそれは厚生大臣のみではなかなかむずかしい。こうなりますと、この答辞の中にありますように、孤児に対して内閣の中で各省が、建設省は住宅問題、あるいは法務省、労働省、外務省、こういった形の中で対策をとる一つの機関を政府の中に設けて、総合的な施策をして、この人たちが早く日本社会に溶け込むような手だてをひとつ考える必要があるんじゃないか、こう思うのですが、大臣の最後の決意をひとつお伺いをして、終わりたいと思います。
  115. 林義郎

    林国務大臣 お答え申し上げます。  いまの昨年の森下厚生大臣のときのお話しは、私も心に打たれるところがございますが、永住の許可をしないとかというようなことはないわけでございまして、日本人でありますから当然に日本にいてもらいたいし、先ほど法務省の方から御答弁申し上げましたように、許可の手続等も簡素化してやろう、こういうことでいろいろな手を実は打っているわけでございます。ただ、先生指摘のように定着化対策というものはこれからいろいろと進めてまいらなければなりません。いまのところは、援護局を中心にいたしまして連絡会議等を持ちまして、労働省、建設省その他各省に呼びかけまして、緊密な連絡をとりながらいまやっているところでございます。  私は、役所というものはうまくお互いが心を通じ合ってやればいろいろなことができる。単に組織、権限を持ったからできるという話でもないんだろうと思いますし、いま一生懸命皆さんやってもらっておりますから、そういった形で話を進めていったらいいんだろうと思います。どうしても何か新しい器をつくってやらなければならないというようなことでもあれば私はすぐに取り組んでいきたい、こう思いますが、いまのところは、及ばずながらやっているという御指摘はあるかもしれませんが、皆それぞれの分野において、特に中国孤児問題については皆さん非常な共感を持って熱心にやっていただいておるというふうに私は認めておりますから、こうした形でやっていくのが適切でなないか、こういうふうに考えておるところでございます。
  116. 平石磨作太郎

    ○平石委員 以上で終わります。
  117. 稲村利幸

    稲村委員長 和田耕作君。
  118. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 きょう私は二つほど御質問を申し上げたいと思うのです。  一つは、千鳥ケ淵墓苑の春秋のお祭りの問題と、もう一つは、いまも同僚委員の質問のありました中国孤児の問題、この二つの御質問を申し上げたいと思います。  私も、この大東亜戦争には陸軍歩兵伍長ということで、本当は幹部候補生で少尉にならなければいけないところだったんですが、精神状態がよくないということで伍長どまりでございまして、そして、野戦分隊長としてバターン半島のあの激戦に参加いたしました。ちょうど分隊の兵隊が十一人のうちの六人が戦死ないし戦病死をする、大変激しい戦闘でございました。それで、事情がありまして関東軍に転属をされる形で満州に行ったんですが、戦後は、満鉄におったとかいろいろなことでソビエトにつかまえられまして、抑留者として四年間ソビエトにおりました。その間のほとんど大部分は日本軍の捕虜と一緒にラーゲリーで生活をしたんです。     〔委員長退席、大石委員長代理着席〕 そのときにもたくさんの仲間が死んでいきました。一線の戦闘で戦死した人たち、これはそれなりに、あの当時は戦いに勝ち進んでおったときですから、祖国の栄光を夢見ながら亡くなった人だと思いますけれども、ソビエトの捕虜で亡くなったたくさんの人は、これは祖国も自分も暗たんたる気持ちで亡くなった。この戦争で、いろいろなところで戦死されあるいは病死された人が非常に多いと思うのです。  ごく最近も、三月二十六日から二月十日までオーストラリア政府の招待で衆議院からの議員の派遣がありまして、私もそれに参加してオーストラリアへ行ったんですが、首都のキャンベラから約二百キロくらい離れたところの地方の都市に、戦争時代にニューギニア方面で捕虜になった日本軍の人がそこへ集められて、私どもも当時そういう教育を受けたのですけれども、捕虜になって生きておってはいけない、虜囚の恥ということで集団脱走をしまして、おのおの自決をしたり戦闘をしたりで亡くなった約三百名近い人のお墓があるのです。私はそれを見ながら、あの戦争ではいろいろな場面でいろいろな亡くなり方をしている人が非常に多いという感じがするんですね。  そういうことでございまして、厚生省が長年遺骨の収集に努力をされている、私どももいろいろな団体と一緒に、もっと精力的にやりなさいということを佐藤内閣のときから何回か言ってきたのですけれども、非常に熱心におやりになったと思います。それに敬意を表する次第でありますけれども、いま千鳥ケ淵墓苑に何体の遺骨が集まっておられるのか、そのことについて最初にご報告をお願いしたい。
  119. 山本純男

    山本(純)政府委員 昭和五十七年五月現在の状況で申し上げますと、三十一万七千四百六十四柱の遺骨を納めております。
  120. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 私は、外国のこのような戦没者に対しての大変気持ちの込もった慰霊祭をしばしば拝見したこともありますけれども日本の場合は、確かに政府主催のものを千鳥ケ淵墓苑でもやっておられますけれども、何かもうひとつ気持ちが入ってないという感じを受けるのですね。  というのは、この千鳥ケ淵墓苑の春と秋のお祭りには、私は外国へ行くとかいうことがなければ必ず出るのです。私の関係している幾つか宗教団体とかいろいろな団体がやっている会もほとんど必ずあの会へ出ますし、また五、六年前から墓苑の奉仕会の理事をいたしておりまして特に関心が深いのですけれども、春の厚生省が主催しているお祭りがありますね。あれも私は大概出ておりますけれども、いつも思うことが一つあるのです。それは、政府主催のものとしては外国の使臣がだれも出ていない、武官もあるいは大使、公使も。私の聞いているところでは、たとえばフランスとかカナダとかイギリスも英連邦の諸君も、皆出るようです。豪州でもそうです。大概外国使臣を呼んでかなり厳かにやっておるのですけれども日本の場合に外国使臣を呼んでおられないのはどういうわけか、このことを一つお伺いしたい。
  121. 山本純男

    山本(純)政府委員 私どもも確たる理由を詰めたわけではございませんので、私なりに理解しておるところを申し上げたいと思うのでございますが、戦後戦没者に対する慰霊の行事というものは大変微妙な状況の中で始められ、今日まで取り進められてまいったわけでございまして、その中ではこれを著しく華やかにすることについては大変控え目にするということが一貫した方針であったわけです。そういう中で、また戦後間もないころには、日本に対しまして、事が前大戦に関します限りは、国際的には必ずしも感情もまろやかでない面も多々あったような状況でございますので、その中で恐らく遠慮ということからやってこなかったというふうに理解しておるのでございますが、一方では、外国の大使館の方その他を公的にお呼びするという問題は、これはまた国際的な問題という意味もございまして、最近で私ども承知しておりますところでは、こういう問題はなかなか微妙な点があるので慎重な検討を必要とする性質のものである、こう聞いております。  私どもとしても、できることならばそういう方々からも慰霊の意をいただければうれしいわけではございますが、これを実際に実行に移すかどうかにつきましては、そういった問題多々ございますので、慎重に検討させていただきたいと思っております。
  122. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 この種の独立国家戦没者政府主催の追悼会、お祭りには、大概の国が外国の使臣を呼んでおるわけです。戦争は自分が勝手にやったわけではなくて、他の関係の諸国は無論のこと、近隣諸国との関係のあることですから、やはりそういう国々の方々をお招きして、こういうふうにあれをしているということが、つまり平和を祈念をするという意味も含まれるわけですね、そういう形をすれば。大臣、ぜひともその問題を御検討いただきたいと思います。  これはちょっと杞憂かもわかりませんけれども、ひょっとしたら靖国神社との関係で、千鳥ケ淵墓苑に外国の使臣をお迎えすることに何か二の足を踏んでいるのじゃないかという感じを私は持つことがある。つまり、外国の大使は皆外国を代表している人、この人たちが墓苑に来れば、靖国神社をちょっとないがしろにするような感じもあるように思う人が日本にはおるわけです。そういうことはなかなかめんどうな問題です。問題ですけれども、しかし、少なくとも政府主催で実態は無名戦士の墓という形の墓苑のお祭りに、外国使臣をお迎えしないというのはおかしなことなんです。将来靖国の問題がどう解決されるかわかりませんけれども、解決された暁には堂々と靖国神社にもお参りしてもらっていいじゃないですか。そういうことを含めまして、ぜひとも春の政府主催のお祭りには外国使臣をお迎えするように御検討、御努力をいただきたい、これが一つでございます。
  123. 林義郎

    林国務大臣 和田先生お話しはもっともな話でございまして、私も、外国に行きましたら大体そこの戦没者のお墓には必ず参ることにしております。アメリカに行きましたらワシントンのアーリントンとか、大韓民国に行きましたらやはりあそこにありますから、公式でもまず最初に参りまして花をささげるということはやっているつもりでございます。そうした意味で、千鳥ケ淵は厚生省が主催したり何かしているわけですから、外国方々にも当然来ていただいて、日本の国のため戦没された方々の霊を弔うとともに平和を祈願するということは、おかしな話ではないだろうと私は思います。いままでのいきさつはいま援護局長から御答弁したようなことがあったのだろうと思いますが、ここは外務省当局の感触もあるでしょうから、その辺の感触も入れまして前向きで少し考えてみていい話ではないだろうか、こう思います。  御指摘のありました靖国神社問題というのがありますから、この問題になるとまた話が非常にこんがらかってくるだろうと思いますが、この問題だって話が解決すればお説のようにやってもいい話だろう。どういうふうな形で解決するかということにかかってくるのだろうと思います。そういったことがありますから、外国との話でもございますから、外務省当局とも相談いたしまして、お説の方向でやれるものかどうか検討してみたい、こういうふうに思っております。
  124. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 続きまして、秋のお祭りは、千鳥ケ淵墓苑の奉仕会という団体がありまして、私もその理事をしておりますけれども、この会にも私は毎回出るのですけれども、問題があると思うことが一つある。この会には外国の武官、主な国はほとんど全部出るのです。そして、皇室からも常陸宮、三笠宮あるいはその他の代表的な方々もお出になるのです。この会は、政府政府で春やりますから、当然総理大臣御自身に出ていただかなければならぬと思いますけれども、あえてそういうことは望まないのです。ただ、皇族の方も出られるし、外国の武官も出られるところに、総理大臣の代理として、四十八年までは厚生大臣が出たり、総理府総務長官が出たり、労働大臣がでたり、官房長官が出たりしているのですよ。四十九年からは大臣が出られなくなって、官房副長官とか総理府総務副長官とか、去年は厚生政務次官の津島さん、先ほどおられたけれども、次官が出られるという形になっている。下は下だけれども、政務次官がまずくて大臣がいいと私は言っているわけではない。ただ、総理大臣の代理としては少し軽少な、つまり軽く扱うような感じを皆持つわけですよ。外国の武官もみんな来ているでしょう。皇族の代表も見えているでしょう。総理大臣代理として官房副長官とか政務次官では著しくかっこうがとれない、そういう感じを私はいつも持つのですよ。これは少なくとも厚生大臣あるいは官房長官、総理府総務長官等のしかるべき人が総理の代理として出る必要があると思うのです。このことも厚生大臣、ぜひとも真剣に考えていただきたい。これは四十八年までは出ているのです。どういう理由があったか知らぬが、四十九年からは格下げしっ放しで現在に至っている。余りいい感じはしないのですよ。この問題は厚生大臣の一存でもできることだと思いますので、ぜひとも改めていただきたい。遺族の人たちも皆来ているわけです。関係の団体の人も約千人ぐらいの人が集まるわけです。それを、何だか政府がこういうお祭りを軽く見るような印象を与えることはよろしくないと思うことがありまして、ぜひともこのことをお願いしたいと思う。いかかでしょう。
  125. 林義郎

    林国務大臣 いまお話しがありましたように、秋の例大祭でございますが、総理は当然出るという御案内はいただいているのでしょう。それで二段格落ちというのでは、正直に申し上げましてちょっといかぬだろうと思います。ただ、いまお話しを聞いておりまして、四十九年以降変わったということ、何かトラブルでもあったのかなといま私もふと思っておったところです。でなければ私はしかるべき者が出なければならないと思いますし、十月十八日ぐらいですから、もし厚生大臣をやっておればぜひ私も参加させていただく、参らせていただきたい、こう思うのです。  ただ、私がやっているかどうかは別にいたしまして、そういう式典のことでございますから、格式とかというようなものはたっとんで行わなければ式典にはならないのだろうと思いますので、その辺は十分注意してやりたい、こういうふうに思っております。
  126. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 ぜひともそのように。たとえば厚生大臣が出たり、ときには労働大臣が出たり、いままではいろいろな関係大臣が出ている。官房長官が出たこともあります。どういう理由か知らないけれども、われわれから見れば何か軽く扱っているなという感じ、これは遺族に対しても外国の使臣に対しても非常にまずいことですよ。政府として御検討を賜りたいと思います。よろしくお願いいたします。
  127. 林義郎

    林国務大臣 先ほども申し上げましたように、格式の話だと思うのですね。お葬式へ行くときでも、御本人が行くか奥さんが行くか、そうすると焼香の順序も皆違うわけですから、やはりそこは考えていかなくてはならないと思います。  先ほど先生から四十八、九年ぐらいから何か変わったというお話しもありましたから、その辺で何かあったのかなと私も思いますし、私自身はそんなことは記憶に何もないのですが、何かありましたらなんですけれども、そうでなければしかるべき措置をとるように内閣の中でも相談をしていきたい、こう思っております。
  128. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 ぜひお願いします。  なお、参考までにこれを差し上げておきましょう。いままでの政府主催、それから奉仕会主催の二つの場合にだれがどう出たかというものです。  続きまして、中国の孤児の問題について御質問をいたしたいと思います。  私も、この問題に特別の関心を持っている一人でございます。と申しますのは、私は終戦がちょうど旧満州国の首都の新京でございまして、あの終戦の、言葉ではちょっと言いあらわせないような非常に不安定な、旧政権は崩れたけれども新しい政権はできていない、全くアナーキーな状態のもとでこの孤児の問題も出てくるわけなのです。新京とか奉天とかハルビンとかチャムスとかいうところには、難民の収容所があちらこちらにできる。時も十月、十一月と寒さに向かっていくというというところでたくさんの人たちが死んでいく。あるいは中国人に子供を渡していく。新京とかハルビンに集まった人はいいのですけれども、その途中でいろいろな形で父母や関係者が命を失い惨たんたる状態なんですね。しかも主体は開拓団です。御案内のように、開拓団は日本が降参する直前まで分村計画で日本のいろいろな村から移っていったわけですからね。結局この人たちの中で一番運のいい人がああして何十年も中国で育てられて残っておるのですね。いろいろな意味で大変御苦労なさった人なんです。しかもこれは完全に日本の国策遂行の犠牲になったという形の人なんですね。そういう人でありますから、先ほど同僚議員の御質問もありましたけれども、ひとつ何とか実効の上がるようなことを親身に考えていただきたい。それにつきましては、私どもも各党の有志の方々ともう五、六年いろいろ努力してまいりました。厚生省の方にも大変お世話になりました。文部省も外務省関係の各省の方々も非常によくやってくれました。そういうことでようやく実って、一昨年来何十人かかたまって日本に帰っていろいろ肉親捜しをしているわけなんですね。これはもうずっと前から民間の関係団体も大変な御苦労をなすってやってきた。けれども、もうここまで参りますと政府責任を持ってやってもらわなければならぬということで、私どもとやかく申す気持ち一つもありません。何とかうまくいくように願っているわけなんですね。  この段階で一番大事なことは、中国の政府にその気になってもらうことなんですね、大臣。これがないとこの問題だけは何ともならない。中国の政府がその気になって積極的に協力してくれるような手だてを、日本政府日本関係団体としては一日も忘れてはならない。これが一番大事なことなんですね。そういう段階で起こったのが昨年来の例の養父母の問題なんですね。そして、例の四万円を渡して、二十万円を渡して、十万円を渡したという問題なんですね。いまの向こうの政府のメンツなりいろいろなことを考えないで、日本政府が直接中国の国民のだれそれに金を渡すという形、これはぜひとも避けなければならない。回り道をしても向こうの政府を立てるという形を、いろいろな小さなことでも配慮していただきたい。  養父母の問題はいろいろ御苦労していただいて一応方針として解決したようですが、具体的な取り決めはもうできていますか。
  129. 山本純男

    山本(純)政府委員 これまで合意ができましたことは、養父母の扶養の問題につきましては、中国における扶養に関する法律制度並びに社会慣習上でき上がっております慣習があるようでございまして、これにのっとって決める。それから、その結果、その扶養費は原則としては孤児本人が負担すべきであるということは了解するけれども、そのうちの半分は日本政府給付金の形で負担をする。残る部分についても、孤児の立場を考えまして孤児本人経済的、精神的な負担が及ばないように極力努力をするというところまでが取り決められまして、あともうちょっと細目にわたりまして、地域の問題でございますとか、家族の数の問題、あるいは扶養義務者が複数おられる場合その他細かい点が多々残っておりまして、これはただいま在外公館経由で細かい詰めを始めている段階でございます。
  130. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 局長さん、中国の中での孤児の立場というのは、中国の国籍を持っていますね。いまは中国の国民ですね。その点どうなんです。
  131. 山本純男

    山本(純)政府委員 ごく例外的には、これは選択の機会があったようでございまして、そのときに日本国籍を選択して引き続き日本国籍のまま中国に在住しておられる少数の方がおられますが、その他の方は現在少なくとも中国の制度下においては中国籍を持っておられます。ただ、その中にはまた、実は日本国におきましては潜在的に日本国籍がいまだに残っているという方もおられまして、それがときに二重の国籍、つまり、日本の中で国籍が編製されたけれども、中国ではまだ制度上、書面上国籍が残っているという問題を起こす原因にもなる。ちょっと複雑ではございますが、私の知っておるのはそういうような状況であります。
  132. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 私も一昨年、中国の北京あるいは各地方の主なところの人民公社の何カ所か回ったことがありますが、やはり日本と比べると生活程度は非常に低いですね。非常に質素な生活をなさっておられる。それで、日本のけんらんたる消費生活と直接比べるような機会を与える、あるいはそういう心理状態日本に来た孤児たちにさせるということはいかがなものかということですね。そして、向こうへたくさんのおみやげはいいとしても持っていって、向こうでこんなりっぱな物があるのだと誇らしげにあれするということがどういう結果になるのか。果たして長い目で見て孤児のためになるのかどうかということもやはり考えてみる必要がありはしないかということを思いますね。今年度の十万円の問題はそういうことを特に思うのですね。あれは一昨年は四万円で、去年が二十万円で、今年は十万円というのはどういうふうな気持ちでお決めになったのですか。
  133. 山本純男

    山本(純)政府委員 一昨年、昨年はそれぞれその時点までお寄せいただきました善意の寄附金を、そのときお見えになりました孤児の方に素直に頭割りでそのままお渡しした結果でございます。本年それを差し控えましたのは、幾つかの筋から私どもに注意が喚起されておりまして、一つは、ただいまお話しのとおり、非常に向こうにおいて貴重であり高価な品物を多量に持ち帰るということは、地域社会への影響にいろいろむずかしい問題があるので極力差し控えるように図ってほしいという、一つの注意の喚起がございました。また一方では、お金の方も、昨年の二十万円と申しますとこれは一年分の給与、しかも相当いい給与に当たるようなことになるものですから、これまた地域社会にいろいろ影響があり、ひいては孤児の方御本人、その家族の方にも影響が出ているというお話しも承っておった。しかし、これはまた、多数の方が大変善意で寄附を下さるわけでございまして、私どもとしてもこれをお取り次ぎしないわけにはまいりませんので、私どもなりに、問題の起こることが少ない限度としてこの程度と考えましたのが十万円でございましたけれども、実は寄附する方にはその都度、まあ間接的な寄附の場合にはそうできない場合もございましたが、原則として、私どもからこの趣旨をお伝えいたしまして、御本人には一部をお渡しいたします、残る部分は中国孤児問題全般に役立たせていただきたいということでお受けしたわけではございますが、それにもかかわらず直接孤児の方にそういうものがまた別なルートからかなり手渡され、ことに肉親が見つかった方の場合には、家族の方からかなりいろいろなおみやげその他がございまして、これが今回中国へ戻られた後いかなる反響が出てくるか、正直申しまして、明年度でございますが三回百八十名と予定しております孤児調査に、何か悪い影響が出なければよろしいがということを実は心配しながら、状況を見守っておるという状況でございます。
  134. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 私が心配しますのは、先ほど申し上げたとおり、中国の政府がこういう問題をどういうふうに感じ取るかということですね。政府としては表立って何も言っていないようですけれども、しかし必ずいろいろな感じを持っておると思いますよ、この問題については。孤児たちは当然向こうへ行って、いままでいろいろとあれされたのに対して、もう誇らしい気持ちでいろいろあれするというのはよくわかるし、しかし、ああいう社会で中国の同じ国民から、こういうふうなことを外国からあれされてこういうふうなことになったということが、私は、日本人が思うような形で素直にはなかなか受け取られないんじゃないかという感じがするのです。これは外務省の方、きょうは来ていないと思いますけれども厚生省外務省の方とよく連絡をとって、大使館を通じて中国側の素直な反応、気持ちをぜひとも調べる必要があると思いますよ、今後の問題からいって。したがってそういうことをとって、向こうのメンツを立てるということをいつも考えて、要すれば、このお金は北京で向こうの政府からあるいは五万円なり十万円なりの形で渡さすような、これは支度金を含めて出るときにいろいろな寄附を集めたり金を借りたりする人もおるようですから、そういうことも含めて政府に扱わせるようにするとか、そういう細かい配慮をしないといけない問題だと思うんですね。今後も起こることでありますから、ぜひともひとつ大臣、この問題は御検討いただきたいと思います。
  135. 林義郎

    林国務大臣 和田議員御指摘のようなことをやはり考えていかなければならないと私も思います。中国孤児の問題は、中国に残留した日本人方々が引き揚げてくる、こういう話でありますから、ここにはやはり肉親の情愛というものがあると思います。と同時に、一九七二年九月二十九日の日中共同声明の中で、中国人民に対して心から反省し、おわびを申し上げるということを言っている精神というのは、私は日中両国の基本的な考え方でなくてはならないだろうと思います。そうした精神の上に立ちまして、いま中国人のメンツというお話しがありましたが、私は中国という社会はいわゆる仁義の社会だろうと思うのですね。日本ではどうも薄れてきたけれども、仁義の社会だと思うのです。そうした社会の中でいろいろなことを考えたときに、日本では私ども当然だと思うけれども、そういった金を受け取るのはどうだとかいろいろなことがあるだろうと私は思いますから、先生指摘のように、やはり中国政府の考え方も聞くし、いろいろなことを細心の注意を払ってこの話は進めていかなければならない問題だろうと思っております。
  136. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 まだ少し時間がありますけれども、これで私の質問を終わることにいたします。ありがとうございました。(拍手)
  137. 大石千八

    ○大石委員長代理 浦井洋君。
  138. 浦井洋

    浦井委員 午前中同僚委員から、この改正案についていろいろ御批判があったので、余りダブるところは省略をいたしますけれども、肝心の障害年金だとか遺族年金、こういうものの引き上げが見送られておるわけですね。去年一カ月おくれの改正案が出てきたわけですが、そのときに前大臣森下さんに私、尋ねたのですが、そのときに彼は「決して一カ月おくれを固定するつもりはございません。もとに戻すように全力を挙げたい。」こういう御返事であったわけです。ところが、もとへ戻すどころか元も子もなくなった、こういうことで、午前中大臣お話しを聞いておりますと、今度はなかなか知的な表現になりまして、ノーマルな形に戻す方がよいとかいうようなことを言われておる。どうも最近の自民党の厚生大臣は食言ばかりするのか。これは一体どうするんですかね。森井委員が言われたように、私も社労になってもう七年でありますが、戦傷病援護法がこういうかっこうで出てくるということは初めてであります。国年法等改正案が出ないというのもことしが初めてであります。何をされておるのです。     〔大石委員長代理退席、丹羽(雄)委員長代理着席〕
  139. 林義郎

    林国務大臣 浦井議員にお答えを申し上げます。  去年、森下さんがお答えを申し上げたのは、「この段階で五十八年度の予算を想定したり、また余り希望的な意見を述べることはどうか」と思うが、「厚生大臣としては、厚生行政のために、特に福祉関係のためには全力を挙げるということを申し上げたい」こういうふうなことを言っているようでございます。  私は、今回こういうふうなことになりましたのは、もうくどくど御説明するまでもない、先生よく御承知のとおりでございまして、人事院勧告をやむを得ず凍結をするというような話から始まりまして、恩給その他のものも引き上げを行わないというようなことに関連をする一連の措置だというふうにわれわれは考えているところでございまして、こうしたことが、先生には過去七年間ずっと続いてきて、毎年上がってきた、毎年上げるというような話をやってきた、こういうことだろうと思うのです。それがそういった、まさに異例な時期であるからやはり異例な取り扱いをしなければならなくなった、こういうことでございまして、非常に残念なことだと思いますが、全体の体制の中からすれば、こうしたことでお願いをせざるを得ないというのがわれわれの立場でございます。ノーマルとかなんとかというお話しがございましたが、私が朝申し上げましたのは、やはりそういったことが起こらないようなりっぱな経済運営全体をやっていかなければならない、財政状況というものをというものもできるだけ早く回復をしなければならない、そうしたことの中でいままでのようなことができるようにするのが政府の役割りではないだろうかということを申し上げた次第でございます。
  140. 浦井洋

    浦井委員 ますます悪い答弁であるわけなのですが、これは少々理屈になりますけれども恩給法に横並びしなければならぬという決めはこの法律にはないわけですね。だから大臣に蛮勇があれば、あえてやってやれぬことはなかったと私は思うわけですよ。それほど、厚年も国年もそうでありますけれども物価スライドというのはこの年金、諸手当制度の柱であるわけですよね、これは大臣承知のように。去年も引用したと思うのですけれども社会保障制度審議会の答申の中で、たとえば四十七年度、十年ほど前になりますけれども、「スライド制を初めて採用したことは画期的である。」このとき初めて採用したんですね。そして「財政再計算期をなるべく縮めて、賃金、物価、生活水準等の動向を勘案し、給付水準を調整すべきである。また、スライド制の時間的ずれを是正するよう努力すべきである。」こういうふうに言っている。次の年の四十八年には、各種の年金等の現金給付等について「その実質価値を維持し、予定された生活水準を確保する措置が最低限必要である。年金における自動スライド制の採用や、年金額の算出の基礎となる過去の報酬を再評価する方式の確立等は、その適例である。しかしこれらの措置を実施する場合のタイムラグは、インフレーションの進行が急速化するほど重大となるのは当然で、それを短縮する方法を講ずべきである。」主にタイムラグの解消を言っているわけですが、しかしその大前提としては、やはり物価スライドという制度が取り入れられて、これを人間の体で言えばひとみのように大事にしなければ、年金制度、諸手当制度というのは崩壊するんだということをまた言っておるわけなんだと私は理解をしておるわけなんです。  そこで、さっきの問題はこれ以上議論しても大臣の立場から前向きの答えは出ないと思いますので、来年が年金再計算期であるわけですが、山口さんおられるわけですが、そのときにやはりこのスライド条項をもっと重視するという意味で、これを拡充するという意味で五%を、去年はやったわけですけれども、五%以下であってもスライドするんだというようなことを、やはり来年の法改正を考える場合に検討項目にしなければならぬのではなかろうか、またなっておるんだろうかという問題ですが。
  141. 山口新一郎

    ○山口(新)政府委員 いまお話しございましたように、物価スライドの問題は、現在制度全般について検討を進めております社会保険審議会の厚生年金保険部会でも大事な項目の一つでございまして、五%という基準あるいはそのスライドの時期、それから指標のとり方、そういうものにつきましてもいろいろ御議論がかわされているところでございます。
  142. 浦井洋

    浦井委員 大臣一つ要望しておきたいのですが、やはり物価スライド制度というものをもっと広く充実させるということのために真剣に努力をしてほしいということですが、簡単にちょっと決意のほどを。
  143. 林義郎

    林国務大臣 私は、物価スライド制というのは、著しき物価の変動に対応して年金が安定的な仕組みになるようなということを考えて行われた制度だと思うのです。制度としてはそういうことだと思う。一般的な社会の中におきましては物価は余り上がらないというのが前提でありまして、その中で上がったときにはやはり何かするというのが、私は物価スライドの制度だろうと思いますから、そういった制度の本質論を少し議論をしてもらう――いまの先生お話しは逆のお話しだろうと思いますが、そういったものも含めていま厚生年金部会でいろいろ議論をしているようでございますから、その議論の結果にまちたい、こういうふうに考えております。
  144. 浦井洋

    浦井委員 これはなかなか、本質議論をやりよるとこれだけで時間がなくなるわけであれなんですが、遺骨収集の問題についてひとつお聞きをしたいのです。  私が聞きたいのは、沈没した船ですね。沈船、沈没艦船といいますか、この中の遺体の収容の状況がどうなっておるかということを最初にお話し願いたい。
  145. 山本純男

    山本(純)政府委員 艦船が沈没いたしました場合には、かなりの多数の方が犠牲になられ戦没されることは当然なわけでございますが、残念ながら多くの艦船は技術的に届きかねるところに所在しておるわけでございます。従来とも沈没艦船からの遺骨の収容ということは原則としてはやっておらないわけでございますが、しかしながら、一部にはきわめて浅い海に船が沈没いたしました場合、具体的には五、六十メートル程度までというところでございますと、これは技術的にも十分対応可能でございますので、これまでもそういう艦船につきましては幾つか遺骨の収集をいたしてきたところでございます。
  146. 浦井洋

    浦井委員 私がきょう取り上げたいのは、いまも傍聴に来ておられるわけなんですが、トラック諸島、トラック環礁ですね。ここで一体どうなっておるのか、その状況をどう認識しておるのかということなんですが。
  147. 山本純男

    山本(純)政府委員 私ども承知しておりますところでは、トラック環礁内で沈没いたしました艦船は三十三隻、そのほとんどが昭和十九年二月十七日の空襲によるものというふうに聞いております。また、環礁外には十四隻が沈没しているという状況を把握しております。  これらの艦船の中で、収容できていない戦没者の推定数は約五百三十名ということでございます。そのうちこれまでに収容できましたのは、昭和二十六年に第三図南丸をサルベージすることができまして、その際二十七柱の遺骨を収容いたしました。また、昭和四十八年九月には地元政府との間の交渉が成立いたしまして、伊号百六十九に限定いたしましてその遺体のみの収容が可能となりまして、その際七十六柱が収容できたものでございます。残余は、いまだに収容できないまま環礁内に眠っておられるという状況でございます。
  148. 浦井洋

    浦井委員 いまの局長お話しでは、トラック環礁内外で合わせると四十七隻、こういうことだそうでありますが、私どもは、内外合わせると百隻に上る艦船が沈んでおるというふうに言われておるわけであります。こういう沈没艦船に対して、アメリカの国防省並びにトラック政庁は、戦争の記念品的博物館として保護条令を出して手厚く保護しておる。そのために、当時そのままの姿のままで沈船がいまでも見られるが、この沈船を見る目的で世界じゅうからダイバーが集まってくる、こういうことなんですね。  高槻市に住んでおられる吉村さんというダイバーの方が、昨年の暮れから私どものところにずっと訴えてこられておるわけです。その方のお手紙によりますと「現在、スポーツダイバーが、トラック礁湖の沈船にダイビングを行い、容易に遺骨を発見できる船は二隻あります。その一隻はオイルタンカー「神国丸」であり、もう一隻は特設巡洋艦「愛国丸」である。」こういうことなんですね。  その手紙を少し読んでみますと、大臣、これがこの十七日の朝日新聞にも出たのですが、「この神国丸は、トラック沈没ダイビングスポットとして最もポピュラーなもの」だ。観光物になっておるのですね。「ここトラック環湖を訪ずれるダイバーのほとんどがこの神国丸を見る事となる。神国丸での一番の見処は、日本兵の人骨であり、この沈船に潜水するすべてのダイバーがこの兵士達に会う事となる。それは、ダイビング・ガイドである地元のダイバーが彼ら兵士の骨を暗い船室からわざわざ出して見せてくれるからである。ガイドされたダイバーは、それぞれにこの骨を手に取り、記念撮影をするのである。つまり彼等兵士の骨は、今やダイバーの見せ物であり、地元の潜水ガイドの商売道具と成っているのが現状である。誠に情けのない話である。」そこに神国丸という分類のあれがありますね。ここに持ってきておりますけれども、三月十七日に朝日新聞が記事を出して、この写真もそこにあると思うのですが、こういう状態、これは一体どうしますか。
  149. 山本純男

    山本(純)政府委員 私どもとしても、すでに数年前からそういう状況は折に触れて耳にいたしてきたところでございまして、大変心を痛めている次第でございます。しかしながら、これは日本国の領土外の問題でございまして、私どもとしてこの遺骨を収集するためには、ミクロネシア連邦のトラック州政府というところの間で交渉ができ上がりませんと引き揚げに出かけることができない状況にございますので、いま現在外務省にお願いをいたしまして、人道的な見地からもぜひひとつ、そういう技術的に引き揚げの可能な遺骨については私どもに収集を許可するように鋭意交渉中でございます。
  150. 浦井洋

    浦井委員 いまの神国丸、それから愛国丸というのがあるのです。この船も少し説明をいたしますと、一万四百三十七トン、大阪商船が戦前、開戦前ですね、アフリカ東岸に就航する目的で建造された客船であるが、一度もこの航路に就航することもなく、姉妹船の報国丸とともに海軍に徴用され、特設巡洋艦に改造された。そして一九四四年二月十七日未明、米機動部隊の空襲を受け沈没した。防衛庁資料室によると、当日二百六十六名が乗船をしていたとある。現在愛国丸は夏島というのですかデブロン島の東側約八百メートルの沖、最大水深七十メートルの海底に着定しておる。人骨の最もたくさんある船室の水深は五十五メートルから六十五メートルということでありますから、先ほどの局長のちょうどリミットぎりぎりのところぐらいの水深であるわけなのです。そこで、実際に行かれた方からやはり手紙をいただいておるのですが、こういうことなのです。   狭い入り口から船内に入る。右に回り、つまり艦首の方向へとゆっくり移動して行く。ヘドロが巻き上る中で水中ライトの光がとどく限りそこに見えるのはおびただしい数の人骨であった。さらに六、七メートル奥に入る。頭蓋骨、大腿骨、上腕骨、そして肋骨に至るまでまさに骨の山である。その盛り上がった骨の山にそっと腕を差し込んでみた。腕のとどく限り手に触れるものはすべて骨であった。全身に鳥肌が立った。私とガイドのミスター・キムオとであらかじめ島で採った花を兵士達の骨の山に供えて暫く合掌した。この兵士達の何と惨めで哀れな事か。 こういうお手紙をいただいておるわけであります。だから、先ほどもいいましたように、やはりこれは最大限の努力をして、大臣在任中に、予算がないというようなことは言わせませんので、お金がないというようなことは言わせませんので、向こうと積極的に折衝をして、外務省も巻き込んで、そして最大限の努力をして遺骨収集をやっていただきたいと思うのです。
  151. 林義郎

    林国務大臣 わたしはお金がないなどというようなことをこの問題については申しませんから、その点はひとつ御安心をいただきたいと思います。  遺骨の問題は、いまも写真を配られましたが、私も非常に残念なことだと思うのです。まだこうした戦争のときの遺骨が残っているということ自体が非常に残念なことでございますし、一生懸命これは回収をしていかなければならない、こう思っておるところでございます。いま政府委員からお話しを申し上げましたように、外務省を通じてミクロネシア連邦トラック州政府に対して、向こうの許可をとるということで努力をしているところでございます。なかなかその許可がとれない。外交交渉はなかなかむずかしいようでございますが、私は、国民感情といたしましてもやはり何か解決をしなければならない、こういうふうな気持ちを持っておりますし、格段のしり押しをいたしたい、外務省に対して再度督促するように話をいたしたい、こういうふうに考えておるところでございます。     〔丹羽(雄)委員長代理退席、委員長着席〕
  152. 浦井洋

    浦井委員 この記事がいろいろな新聞に出まして、いろいろなところからお手紙をいただいておるわけですよ。たとえばこれは須崎市の方です。かつてトラック島を基地として南方作戦に従事をして、最後には、昭和十九年二月にトラック環礁南水道にて被雷沈没、受傷の上、当時夏島にあった第四海軍病院へ収容されて、二月十七、十八日の大空襲を経験された方なんですが、昨年の三月にトラック島を訪ねておられる。その方から吉村さんにあてられた手紙を少し、この項の最後で朗読をしてみたいと思うのです。   何よりもおどろかされたことは、当時の沈んだ船舶が周辺の海に戦争博物館としてそのまま残されていたことです。船や物が博物館として残されることはまあ納得出来ることとしても、私達がかつて同じ釜の飯を食い生死を共にと誓った戦友が遺骨のままでそこに放置されている事実は何といっても容認しがたく、何としてもこれが引きあげに微力をつくさねば……それが生きている私共の勤めであろうかと、帰国後も海軍関係の会合へは出来る限り出席してトラック島の実情を皆に訴えておりますが、何としても微力で、これといった力添えにもならず失意をかこっているところです。 それから、その沈没の模様ですね。実際に遭われた方ですから。   軍医や看護婦さんたちはそれぞれ防空ごうに入ったままで、唯、一部の動かせない私共重症の者たちだけが高台にある病院のベッドで、米機の二日間の思いのままの乱舞を見守っていました。重油タンクをはじめ竹島、春島の飛行場、在泊船舶は殆どやられました。愛国丸は丁度私が横臥した方向の海上三キロ位のところで被弾し、物すごい轟音と共に沈んで行きました。病院のガラスも飛び散り一瞬耳を覆う惨状でしたが、頭をあげてみるともう愛国丸の姿はありませんでした。   リンデマン氏(潜水を趣味とするドイツ人で、トラック周辺の沈船の写真集を丸善より出版、厚生省へも再三にわたって遺骨の引きあげを陳情している)もこの船に再三潜られていたとか、沈没の時の様子などいろいろ聞かれました。そして最後にぽつりと言われた言葉、戦争は空しいものというひとことに心をうたれました。   私共も今度のトラック島行きでいろいろのものを得てかえりましたが、何といってもその最大のものは、戦争はおろかで悲惨でばかげた行為であり、その反対に平和こそどれほど貴重な大切なものであるかという事を身をもって感じとったことです。二度とこの様な不幸な戦争をさせない事こそこの戦争で生き残った我々の最大のつとめであり、余生をそのためにささげたいと念じています。今日もトラック島は青い空のもと相変らぬ平和で静かなたたずまいであろうと思います。でもその周辺のエメラルドグリーンの海の底には数々の遺骨が故国へ帰る日を待ち望んでいるのです……。  それから、北海道の方からも手紙が来ております。ここに乗り組んでおられた人です。   多くの戦死者が今なお、サンゴ中とは言へ、只一途に国の為めにと思い、祖国をはなれ、なすすべもなく戦死され、今尚放置されて居るとは何とも心が痛みます。 これは趣旨は皆、非常に残念だ、まさにこの遺骨の収集が終わらなければ本当に戦後は終わらないのだとということを心の底から願っておられるというふうに、私は読んで痛感をいたしました。  そこでこういう人たち、トラック島におられた方あるいはその船に乗っておられた方を初めとして、先ほど言いました吉村さんを初めとしたこのスポーツダイバーの方たちも含めて、何とか民間人として遺骨収集に協力したいというふうに申し出ておられるわけですね。だからぜひ厚生省としても、いままで大臣は格段の努力をしたいということでありますが、大臣在任中の仕事として、こういう方たちの協力を得ながらぜひ精力的に外交折衝をやっていただいて、特に神国丸、七体だというふうにいわれているのですが、ショーになっているわけです。だから、こんなことのないように、それから二百六十何人の方が沈んでおられる愛国丸、この遺骨収集を急いでいただきたい、このように私は思うのですが、どうですか。
  153. 林義郎

    林国務大臣 先ほども申し上げましたように、遺骨がこうして残っておるということを当時一緒におられた方々は本当にわがことのように残念がっておられることだと思いますし、いま先生のお読みになりました文章は心を打たれるものがございます。私も全く同感でありまして、もしも私の友達がそういうことになったならば何とかしてやらなければならない、こういうふうな気持ちでいっぱいでございます。同胞のそういったことがないように、私も一生懸命これから努力をいたしたいと思います。向こうがトラック州政府でございますから、向こうの国との交渉をしなければならない話でありまして、交渉抜きでやっていくということはできない話でございますから、十分交渉いたしまして話をつけて、無事遺骨が帰るようにいたしたい。またいろいろな形での御協力は、向こうの政府との話もあるでしょうし、日本国内のいろいろな問題もあるでしょうから、そのときの問題として考えさせていただきたい。御協力をしていただく好意は喜んでお受けしたい、こう考えております。
  154. 浦井洋

    浦井委員 ひとつ精力的に早くやっていただきたいということを要望しておきたいと思うのであります。  そこで、戦傷病者援護法というものはもちろんですが、先ほど出てまいりました原爆医療法、これはいずれも老人保険法による医療の給付外ということに政令でなっておるわけです。これで吉原さんの出番になるわけですが、そこで、この戦傷病者援護法の七十歳の方も、それから原爆医療法の認定疾患の方も、これは一部負担なしですね。そうですね。
  155. 吉原健二

    ○吉原政府委員 そういうことでございます。
  156. 浦井洋

    浦井委員 それで、しかも原爆医療法の一般疾患、いわゆる十一種疾患については、これはきのうも聞いたところでは、被爆者援護という趣旨に基づいてこれも予算措置をされておるわけですね。
  157. 三浦大助

    ○三浦政府委員 原爆被爆者の一般医療につきましては、これは予算措置としまして、一部負担分を予算措置をして見ております。一部負担分を公費で見ております。原爆医療費です。
  158. 浦井洋

    浦井委員 それからもう一つ、最近老人保健法の実施の後で厚生省が非常に注目されておられる現象として、全都道府県ですね、七十歳以上の重度障害者の方に対する一部負担も、これは地方自治体として何とか一部負担なしでやっているわけですね。
  159. 吉原健二

    ○吉原政府委員 私どもといたしましては、老人保健法の趣旨に照らして、この法律と整合性をとった施策ということをお願いをしているわけでございますけれども、いま御質問にございましたように、大部分の都道府県におきましては、身体障害者等につきましては、特に重度の障害者の方につきましてはこの一部負担は免除する、あるいは肩がわりするというような措置をとっているところが多いというふうに承知をしております。
  160. 浦井洋

    浦井委員 それに対して厚生省は、例の五十八年度二十二億とかいう老人保健臨調などに関して、ペナルティー的なことをやる気はございませんね。
  161. 吉原健二

    ○吉原政府委員 いま申し上げましたような地方単独事業につきましては、お願いをしているわけでございますけれども、それに従わずといいますか、地方が最終的にいろいろ御判断をされまして何らかの形で単独事業をされたという場合でも、私どもとしては、制裁措置というのはどういうことをお考えになっているかわかりませんが、そういった性格の措置をとるつもりはございません。  ただ、いまちょっと御質問にございました老人保健法の実施に伴う臨時財政調整交付金というのがございます。ほんのわずかな金額で、五十七年度では二億八千万というわずかな金額でございますが、これの配分につきましては、市町村なり都道府県、実際には市町村を対象に考えておりますけれども、老人保健法を適正に実施することによって負担がかなりふえる、その負担を緩和する、こういう趣旨の調整交付金でございますので、法律以外の単独事業をおやりになったその負担増につきましては対象にならない、制裁ではなしに、もともとそういう対象にすべき補助金ではないというふうに考えているわけでございます。
  162. 浦井洋

    浦井委員 いや、私が言っているのは五十八年度の二十二億を言っているわけです。五十七年度の話はわかりました。  そこで、一つ私の要望なんですけれども、そういうかっこうで、先ほどから言いましたように国家補償的な部分については一部負担はとらないというようなかっこうになっていますね。それから、都道府県がやっておる重度の障害者に対しても一部負担を地方単独事業としてやっておる場合には、これも、ここの言葉遣いがむずかしいのですけれども、どうも天下に名だたる吉原さんの、ちょっと言い過ぎかな――の言葉であるわけですが、まあ黙認をするということである。ということになってきますと、私が要望したいのは難病ですよ。現在二十四特定疾患ということでありますけれども、スモンを初めとして六十九歳までは無料であったのが七十歳になったらやはり一部負担がある。それでいろいろ問題も起こしておるわけなんです。だから、これはきのうもいろいろ聞いたのですけれども、確かに社会保険が今度は老人保健にかわったのだから、こういう人は自己負担してもらうのだというような乱暴な言い方も、それは制度的には言えるかもわからぬですけれども、一方では、そういうかっこうで一部負担をとらないというようなルートがあるわけですから、難病についても七十歳以上の方、一部負担は何とか国なり地方なりが協力をして、工夫をして、本人さんからは取らないというふうにするのが情ではないかと私は思うのですが、これは公衆衛生局長。(私語する者あり)
  163. 稲村利幸

    稲村委員長 お静かに願います。
  164. 三浦大助

    ○三浦政府委員 難病疾患の七十歳以上の方の老人保健法の適用によります一部負担につきましては、老人保健法制定のときに、一応七十歳以上の方々につきましては無理のない範囲でひとつ自分の健康は自分で守る、そういう自覚も高まる、あるいはまた無理のない範囲で御負担いただく、こういう趣旨で割り切っておりますので、難病の方々だけにその一部負担分を公費で見るということは、やはり横並びの線からいって非常にむずかしいのではないかというふうに考えているわけでございます。
  165. 浦井洋

    浦井委員 この質問を吉原さんに同じように答えてもらうのはいかぬわけですか。
  166. 吉原健二

    ○吉原政府委員 私がお答えしましても、いま公衆衛生局長お答えしたことと同じような答弁になりますので、御了解いただきたいと思います。
  167. 浦井洋

    浦井委員 それは当然そうだと思いますね。  それで大臣、大体私の言わんとする趣旨はおわかりになっていただいたと思うのです。私もはっきり申し上げて、きょうもスモンの被害者の方が来ておられるし、この間、スモン協議会の方と一緒に結核難病課長にお会いしたときに、やはり五十八年度については何とか地方の肩がわりみたいな、肩がわりと言ったらいかぬですが、というようなかっこうでやってもらって、五十九年度からは厚生省としても予算措置をとりたいやに私はそのとき理解したのですが、これは大臣、ひとつ厚生省挙げて努力していただくわけにいきませんか。
  168. 林義郎

    林国務大臣 いまのお話しですが、役所から答弁すればさっきのような答弁になるだろうと思います。それは、法律を厳正に執行しなければならない行政官としてはそうだと思いますし、その長にある私が別のことを言ってもおかしいのですが、やはり政治的に考えますと、難病というのはなかなか大変なことである。読んで字のごとく、むずかしい病気と書いてあるわけですから、大変な問題があると私は思うのです。先ほど原爆の話も出ました。だからやはり、何かここは考えていかなければならない点があると私は思うのです。あると思いますから、どういうようなことであるかというのは少し考えますが、やはり何かやっていかなければ政治にはならないんではないだろうか、こういうふうに思っていますから、少し考えさせてもらいます。検討いたしますということで御答弁にいたします。
  169. 浦井洋

    浦井委員 前向きに検討をしていただきたいと思う。政治家の話というようなかっこうの俗っぽい話ではなしに、やはり行政的にも政治的にも、情もあり理もあるんだというような形での前向きの検討をお願いしたいと思うので、大臣、もう一言だけ。
  170. 林義郎

    林国務大臣 政治的という言葉が何か足して二で割るというような話にとられたら困るのですが、やはり情を持って当たらなければならない。それが一つの大きな柱になるだろうと思うのです。そういった意味で、何か考えていくことをやらなければならない問題ではないかというふうに考えているということを申し上げておきます。
  171. 稲村利幸

    稲村委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。     ─────────────
  172. 稲村利幸

    稲村委員長 田口一男君外三名から、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合及び新自由クラブ・民主連合四派共同提案に係る修正案が、また、浦井洋君外一名から、日本共産党提案に係る修正案が、それぞれ委員長の手元に提出されております。  両修正案について提出者より順次趣旨の説明を求めます。田口一男君。     ─────────────  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案     〔本号末尾に掲載〕     ─────────────
  173. 田口一男

    ○田口委員 ただいま議題となりました戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合及び新自由クラブ・民主連合を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。  修正の要旨は、 一、第一項症の障害年金の額、現行三百九十五万五千円を四百十四万九千円とする等障害年金、障害一時金及び遺族年金、遺族給与金の額を、四・九%を基準として、それぞれ引き上げること。 二、勤務関連の重症者が平病死した場合の遺族年金の額、現行二十五万九千円を三十六万円とし、これに伴い平病死及び併発死に係る遺族年金及び遺族給与金の額を、それぞれ引き上げること。 三、施行期日を昭和五十八年四月一日とすること。 以上であります。  何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。(拍手)
  174. 稲村利幸

    稲村委員長 次に、小沢和秋君。     ─────────────  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案     〔本号末尾に掲載〕     ─────────────
  175. 小沢和秋

    小沢(和)委員 私は、ただいま議題となりました戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、日本共産党を代表して、その趣旨を御説明申し上げます。  政府が今国会に提出した同法改正案は、平病死に係る遺族年金及び遺族給与金の引き上げだけにとどまり、これまで毎年行ってきた障害年金等引き上げを行っておりません。  物価が上昇しているにもかかわらず、国家公務員給与凍結し、これを理由として年金等のスライドを停止した今回の措置は、同法による年金受給者の切実な願いを踏みにじるばかりか、権利として定着し、事実上制度化しているスライド制を崩すものであり、わが党はこれを認めることはできません。  よって、本法律案の一部を修正し、従来政府人事院勧告に沿ってとってきた方式により、次のとおり引き上げようとするものであります。  その第一は、第一項症の障害年金の額、現行三百九十五万五千円を四百十四万九千円とする等、障害年金、障害一時金及び遺族年金、遺族給与金の額を四・九%を基準として、それぞれ引き上げること。  その第二は、施行期日を昭和五十八年四月一日とすること。 以上であります。  何とぞ、委員各位の御賛同をお願いいたします。
  176. 稲村利幸

    稲村委員長 以上で両修正案の趣旨説明は終わりました。  この際、両修正案について、それぞれ、国会法第五十七条の三の規定により、内閣の意見を聴取いたします。林厚生大臣
  177. 林義郎

    林国務大臣 ただいまの日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合、新自由クラブ・民主連合提出の修正案については、政府としては反対でございます。  ただいまの日本共産党提出の修正案については、政府としては反対でございます。     ─────────────
  178. 稲村利幸

    稲村委員長 これより原案及び修正案を一括して討論に付するのでありますが、その申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。  採決の順序は、まず、田口一男君外三名提出の修正案について、次に、浦井洋君外一名提出の修正案について、最後に、原案について採決いたします。  まず、田口一男君外三名提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  179. 稲村利幸

    稲村委員長 起立少数。よって、本修正案は否決いたしました。  次に、浦井洋君外一名提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  180. 稲村利幸

    稲村委員長 起立少数。よって、本修正案は否決いたしました。  次に、原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  181. 稲村利幸

    稲村委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。     ─────────────
  182. 稲村利幸

    稲村委員長 この際、大石千八君外六名から、自由民主党、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合、日本共産党、新自由クラブ・民主連合及び柿澤弘治君共同提案に係る本案に附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。大石千八君。
  183. 大石千八

    ○大石委員 私は自由民主党、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合、日本共産党、新自由クラブ・民主連合及び柿澤弘治君を代表し、本動議について御説明いたします。  案文を朗読して説明にかえさせていただきます。     戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、次の事項につき、格段の努力を払うべきである。  一 国民の生活水準の向上等に見合つて、今後とも援護の水準引き上げ、公平な援護措置が行われるよう努めること。    なお、戦没者遺族等の老齢化の現状及び生活の実態にかんがみ、一層の優遇措置を講ずるとともに、援護の水準の引上げに伴つて被用者医療保険における被扶養者の取り扱いが不利にならないよう配慮すること。  二 給付改善の実施時期については、従来の経緯を踏まえ、適切な措置を講ずること。  三 第二次大戦末期における閣議決定に基づく国民義勇隊及び国民義勇戦闘隊の組織及び活動状況等について明確にするとともに、公平適切な措置をとり得るよう検討すること。  四 満州開拓青年義勇隊開拓団については、国境及び満鉄警備等に関する事実を調査するため、関係者と連絡を密にし、一層資料の収集に努め、問題解決のため努力すること。  五 戦没者遺族等の高齢化が進んでいる現状にかんがみ、これら遺族の心情に十分に配慮し、海外旧戦域における遺骨収集、慰霊巡拝等については、更に積極的に推進すること。  六 生存未帰還者の調査については、引き続き関係方面との連絡を密にし、調査及び帰還の促進に万全を期すること。  七 中国残留日本人孤児の肉親調査を今後とも積極的に推進するとともに、帰国を希望する孤児の受入れについて、関係各省及び地方自治体が一体となつて必要な措置を講ずること。    また、中国からの引揚者が一日も早く日本社会に復帰できるよう、中国帰国孤児定着促進センターの運営の充実強化を図る等その対策に遺憾なきを期すること。  八 かつて日本国籍を有していた旧軍人軍属等及び旧国家総動員法による被徴用者等に係る戦後処理のなお未解決な諸問題については、人道的な見地に立ち、早急に、関係各省が一体となつて必要な措置を講ずるよう検討すること。  九 原子爆弾による放射能、爆風、熱線等の傷害作用に起因する傷害、疾病を有する者に対する障害年金の支給及び死亡者の遺族に対する弔慰金、遺族年金等の支給に当たつては、現行援護法の適用につき遺憾なきを期すること。  十 法律の内容について必要な広報等に努める等更にその周知徹底を図るとともに、相談体制の強化、裁定等の事務の迅速化に更に努めること。 以上であります。  何とぞ、委員各位の御賛同をお願いいたします。
  184. 稲村利幸

    稲村委員長 以上で趣旨説明は終わりました。  採決いたします。  大石千八君外六名提出の動議に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  185. 稲村利幸

    稲村委員長 起立総員。よって、本動議のとおり本案に附帯決議を付することに決しました。  この際、厚生大臣から発言を求められておりますので、これを許します。林厚生大臣
  186. 林義郎

    林国務大臣 ただいま御決議になられました附帯決議につきましては、その御趣旨を十分尊重いたしまして努力いたす所存でございます。     ─────────────
  187. 稲村利幸

    稲村委員長 お諮りいたします。  本案に関する委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  188. 稲村利幸

    稲村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     ─────────────     〔報告書は附録に掲載〕      ────◇─────
  189. 稲村利幸

    稲村委員長 森井忠良君外六名提出原子爆弾被爆者等援護法案を議題とし、趣旨の説明を聴取いたします。森井忠良君。     ─────────────  原子爆弾被爆者等援護法案     〔本号末尾に掲載〕     ─────────────     〔委員長退席、今井委員長代理着席〕
  190. 森井忠良

    森井議員 私は、ただいま議題になりました原子爆弾被爆者等援護法案につきまして、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合、日本共産党、新自由クラブ・民主連合を代表いたしまして、その提案の理由を御説明申し上げます。  昭和二十年八月六日、続いて九日、広島・長崎に投下された人類史上最初の原爆投下は、一瞬にして三十万人余の生命を奪い、両市を焦土と化したのであります。  この原子爆弾による被害は、普通の爆弾と異なり、放射能と熱線と爆風の複合的な効果により、大量無差別に破壊、殺傷するものであるだけに、その威力ははかり知れないものがあります。  たとえ一命を取りとめた人たちも、この世の出来事とは思われない焦熱地獄を身をもって体験し、生涯消えることのない傷痕と、原爆後遺症に苦しみ、病苦、貧困、孤独の三重苦にさいなまれながら、今日までようやく生き続けてきたのであります。  ところが、わが国の戦争犠牲者に対する援護は、軍人公務員のほか、軍属・準軍属など国との雇用関係または一部特別権力関係にあるものに限定されてきたのであります。しかし、原子爆弾が投下された昭和二十年八月当時の、いわゆる本土決戦一億総抵抗の状況下においては、非戦闘員と戦闘員を区別して処遇し、原子爆弾による被害について国家責任を放棄する根拠がどこにあるのでしょうか。  被爆後三十数年間生き続けてこられた三十七万人の被爆者と、死没者の遺族のもうこれ以上待ち切れないという心情を思うにつけ、現行の医療法と特別措置法を乗り越え、国家補償の精神による被爆者援護法をつくることは、われわれの当然の責務と言わなければなりません。  特に昨年六月に国連軍縮特別総会が開かれ、ニューヨークでは百万人の反核集会が開かれましたし、わが国内においても、反核・軍縮を求めて草の根運動が発展し、その原点として被爆者援護を求める声が一段と高まっている折から、政治もこれにこたえるべきであります。  国家補償の原則に立つ援護法が必要な第一の理由は、アメリカの原爆投下は国際法で禁止された毒ガス、生物化学兵器以上の非人道的兵器による無差別爆撃であって、国際法違反の犯罪行為であります。したがってたとえサンフランシスコ条約日本が対米請求権を放棄したものであっても、被爆者の立場からすれば、請求権を放棄した日本政府に対して国家補償を要求する当然の権利があるからであります。  しかも、原爆投下を誘発したのは、日本軍国主義政府が起こした戦争なのであります。われわれがこの史上最初の核爆発の熱線と爆風、そして放射能によるはかり知れない人命と健康被害に目をつぶることは、被爆国としての日本が、恒久平和を口にする資格なしと言わなければなりません。  第二の理由は、この人類史上未曽有の惨禍をもたらした太平洋戦争を開始し、また終結することの権限と責任日本政府にあったことは明白であるからであります。  特にサイパン、沖縄陥落後の本土空襲、本土決戦の段階では、旧国家総動員法は言うまでもなく、旧防空法や国民義勇隊による動員体制の強化に見られるように、六十五歳以下の男子、四十五歳以下の女子、すなわち、全国民国家権力によってその任務につくことを強制されていたことは紛れもない事実であります。今日の世界平和が三十万人余の犠牲の上にあることからしても、再びこの悲劇を繰り返さないとの決意を国の責任による被爆者援護法によって明らかにすることは当然のことと言わなければなりません。  第三の理由は、すでに太平洋戦争を体験している年代も数少なくなり、ややもすれば戦争の悲惨さは忘れ去られようとしている現状であります。原爆が投下され、戦後すでに三十数年を経た今日、被爆者にとってはその心身の傷跡は永久に消えないとしても、その方々にとっては援護法が制定されることによって初めて戦後が終わるのであります。  私たちは以上のような理由から、全被爆者とその遺族に対し、放射能被害の特殊性を考慮しつつ、現行の軍属、準軍属に対する援護法に準じて、原爆被爆者等援護法を提案することといたしたのであります。  次に、この法律の内容の概要を御説明申し上げます。  第一は、健康管理及び医療の給付であります。健康管理のため年間に定期二回、随時二回以上の健康診断や成人病検査、精密検査等を行うとともに、被爆者の負傷または疾病について医療の給付を行い、その医療費は、七十歳未満の被爆者については現行法どおりとするとともに、老人被爆者についても、老人保健法にかかわらず、本人一部負担、地方自治体負担を国の負担といたしました。なお、治療並びに施術に際しましては、放射能後遺症の特殊性を考え、はり、きゅう、マッサージをもあわせて行い得るよう別途指針をつくることにいたしました。  第二は、医療手当及び介護手当の支給であります。被爆者の入院、通院、在宅療養を対象として月額三万円の範囲内で医療手当を支給する。また、被爆者が安んじて医療を受けることができるよう月額十万円の範囲内で介護手当を支給し、家族介護についても給付するよう措置したのであります。  第三は、被爆二世または三世に対する措置であります。被爆者の子または孫で希望者には健康診断の機会を与え、さらに放射能の影響により生ずる疑いがある疾病にかかった者に対して、被爆者とみなし、健康診断、医療の給付及び医療手当、介護手当の支給を行うことにしたのであります。  第四は、被爆者年金の支給であります。全被爆者に対して、政令で定める障害の程度に応じて、年額最低三十万千二百円から最高五百七十九万三千五百円までの範囲内で年金を支給することにいたしました。障害の程度を定めるに当たっては、被爆者が原爆の放射能を受けたことによる疾病の特殊性を特に考慮すべきものとしたのであります。  第五は、被爆者年金等年金額の自動的改定措置、すなわち賃金自動スライド制を採用いたしました。  第六は、特別給付金の支給であります。本来なら死没者の遺族に対して弔慰をあらわすため、弔慰金及び遺族年金を支給すべきでありますが、当面の措置として、それにかわるものとして百万円の特別給付金とし、五年以内に償還すべき記名国債をもって交付することにいたしました。  第七は、被爆者が死亡した場合は、十五万円の葬祭料を、その葬祭を行う者に対して支給することにしたのであります。  第八は、被爆者が健康診断や治療のため国鉄を利用する場合には、本人及びその介護者の国鉄運賃は無料にすることにいたしました。  第九は、原爆孤老、病弱者、小頭症その他保護、治療を必要とする者のために、国の責任で収容、保護施設を設置すること。被爆者のための相談所を都道府県が設置し、国は施設の設置、運営の補助をすることにいたしました。  第十は、厚生大臣の諮問機関として、原爆被爆者等援護審議会を設け、その審議会に、被爆者の代表を委員に加えることにいたしのであります。  第十一は、放射線影響研究所の法的な位置づけを明確にするとともに、必要な助成を行うことといたしました。  第十二は、日本に居住する外国人被爆者に対しても本法を適用することにしたのであります。  第十三は、厚生大臣は、速やかにこの法律に基づく援護を受けることのできる者の状況について調査しなければならないことにいたしました。  なお、この法律の施行は、昭和五十九年一月一日であります。  以上が、この法律案の提案の理由及び内容であります。  被爆後三十八年を経過し、再び原爆による犠牲者を出すなという原水爆禁止の全国民の願いにこたえて、何とぞ、慎重御審議の上、速やかに可決されるようお願い申し上げます。(拍手)
  191. 今井勇

    ○今井委員長代理 これにて趣旨説明は終わりました。      ────◇─────
  192. 今井勇

    ○今井委員長代理 この際、お諮りいたします。  第九十四回国会、金子みつ君外五名提出母子保健法健康保険法等の一部を改正する法律案及び第九十六回国会、森井忠良君外三名提出労働基準法の一部を改正する法律案の両案について、それぞれ提出者全員から撤回の申し出があります。  これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  193. 今井勇

    ○今井委員長代理 御異議なしと認めます。よって、撤回を許可することに決しました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。     午後四時三十五分散会