○上野
政府委員 お答え申し上げます。
この週刊新潮の記者の方が私の家に参りまして、雨の日曜日でございましたが、二時間ぐらいいろいろお話をいたしました。主題は楢崎先生御提起の二月二十一日の件でございます。
いろいろなやりとりがあったわけでございますが、まず、いま先生の御指摘になった部分についてお答え申し上げますと、この私が「”クーデター
発言”に怒る。」と書いて、かぎ入りでずっと二十行ぐらい言っております。これはこういう形で私は申したのではございません。これは幾つかの、いわば段落、問答の形でいろいろなことを申しました。
〔東家
委員長代理退席、
委員長着席〕
最後の部分でございますけれ
ども、いま先生の御指摘のようなことにつきましては、私はこういう言い方をいたしました。記者の方がまず、国
会議員が院内の
発言について責任を問われないということを聞いたのだけれ
ども、それはどういうことなんですかということを言われました。私は、一般論として、
憲法五十一条に「兩議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を間はれない。」という条項がございます。三十年前の法律書生に戻りまして、その当時の講義のことなどいろいろ思い起こしまして、こういう条項がある。そして民主主義にとっては言論の自由は欠くべからざる要件であります。そして、一般
国民の間でもそうですが、この場合には個人の名誉等の反対利益もまた尊重せられなければならない。しかしながら、直接
国家意思の形成に当たる議員の議会における
発言においては、その反対利益というのも譲歩を余儀なくされるだろう。往々にして国会では行政、司法等に対する徹底的な批判が行われる、行われなければならない。その極、往々にして個人の名誉、
社会の治安を害するというようなこともあり得ようけれ
ども、そのために言論を抑圧し、または萎縮させてはならない。また、これに乗ずるいろいろな権力からの
防衛をする必要もあろう。議員の院内の言論について院外における責任を免除するという特権を認めたのはこういうような政策的な配慮からであって、議員の
発言の自由を保障したものでございましょう。まず、こう言いました。
そうしましたならば、先方は、そうですか、そういうことでありますと、国
会議員であれば、バッジをつけておれば何を言ってもいいんですかね、こういうことでございましたので、私は、それに対して、いや、それはそうではない、バッジをつけているからといって何を言ってもいいということでは、この文章では「ないでしょう」と言っておりますけれ
ども、私は、「ないんですよね」、こう言ったのです。それで、それは院内におきましては責任を問われる場合が――これは一般論でございますよ、先生のその指摘についての云々ではなくて、あくまで法律論として申したのでありますが、院内においては責任を問われる場合がある。たとえば国会法等におきましては、「無礼の言を用い、又は他人の私生活にわたる言論をしてはならない。」というようなことも書いてございますけれ
ども、いずれにしても政治的な責任を問われる、あるいは院内における各議院のいわば秩序
維持の点からの責任ということは、これは問われることもありましょう、しかし、これは今回の問題とは余り
関係はございませんね、こういうふうに私は申し上げたのでありますけれ
ども、この記事を見ますると、そういういわば前段、後段が抜けまして、そこだけが取り上げられておる。しかも前からずっと続いた
発言のように書かれておる。
まあ週刊新潮のいろいろな編集方針その他がございますのでしょうけれ
ども、私としてはこういう言い方を、書き方をされたということはやや残念に思っております。その記者の方は若くても大変礼儀も正しくて、りっぱな記者だと思いますけれ
ども、この記事につきましては私は残念に存じております。