○林寛子君 いま御報告の中ですでに、ソフト面での欠落していた部分の指導をこれからしていきたいというお
言葉がございましたので、そのとおりにがんばっていただきたい。幾ら器をつくっても魂入れずでは何にもなりませんので、その点をよろしくお願い申し上げたいと思います。
それから、文部大臣にお伺いしたいと思いますけれども、戦後のこの六・三・三制の教育問題、基本的な六・三・三制というものを私は一人の母親としても、少なくとも見直していかなければいけないというような声が一般の母親の中にも起こっているということを文部大臣に
認識していただきたい。少なくとも現状の、いまの学校制度を見ますときに、中学校は高校の予備校、高校は大学の予備校として私は本来の学校の機能というものが損なわれていると思われます。そしてまた、自由民主党の中にも教科書問題については有償論、無償論、両方ございます。けれども、私は一自由民主党の
国会議員としても、また一母親としても、少なくともいまの教科書というもの、私は今度かわりましたけれども、当選してまいりましたときは全国区で当選してまいりました。全国を歩いておりますけれども、義務教育の生徒をお持ちのお父さん、お母さん、会場においでになった皆さん方に、教科書を見たことのある人手を挙げてくださいとお願い申し上げて、残念ながら教科書を読んだことがあると、手を挙げてくださる方は〇・一%しかございません。しかもその教科書を読んだことのあるという〇・一%の方は学校の先生でございます。私はそういう現状を見まして、いかにいまの母親が子供の教科書を見たこともない、教科書問題がどうのこうのと言っても、私たちは教科書を知らないのだ、見たこともないというのがいまの現状でございます。私はそういう
意味で教科書というもの、古いと言われるかもしれませんけれども、私など小さいときは、母親に、教科書代を持っていらっしゃいと先生に言われたのよと言えば、母親は封筒にお金を入れて何年何組、何野何子と書いて子供にその教科書代を渡してくれました。そして子供は、その教科書代を翌日学校へ持っていって先生に渡すと教科書を渡される。家へ帰って、お母さん、この教科書をもらってきたのよと言うと、母親はぱらぱらとでも見たのでございます。けれども、いまの母親はいつ教科書を学校でもらったのかもだれも知りません。見たこともない。教科書がいつ配られたかも知らない。なぜか、全部無償だからでございます。私はそういう
意味で、全国のお母さん方にお集まりいただいたときに皆さん方に、教科書代は幾らか御存じですか――みんな知らないとおっしゃいます。ちなみに、大臣も御存じだろうと思いますけれども、少なくともいまの
日本の
国民の一人当たりの貯蓄額は約五百万だとも言われております。そして私どもは一年間に平均の
国民一人の収入というものは三百九万一千円でございます。その中で所得税額――平均サラリーマンが納めている所得税額は十七万二千円でございます。十七万二千円平均サラリーマンが所得税を納めていただいて、少なくとも国と地方とで生徒一人に対しては平均で義務教育費というものを約五十万かけているわけでございます。その中で小学校の生徒の教科書代は一体幾らなのか、小学生の一年間の教科書代は二千百三十三円でございます。中学生の教科書代は一年間三千二百四十一円でございます。そしてお集まりいただいたお母さん方に、小学校の生徒をお持ちのお母さん、一年間に二千百三十三円のお金が払えませんか、中学生の生徒をお持ちのお母さん、一年間の教科書代三千二百四十一円が払えませんかと言ったら、お母さん方が何とおっしゃるか。扇さん、わずかそんなお金だったの、一度美容室に行くのがまんしたら一年間の教科書代って出るのね、これが私が全国回っておりまして母親から聞く
言葉でございます。私は教科書無償というのはありがたいことだということはわかっておりますけれども、少なくとも高齢化社会を迎え、そして
日本国民の一人一人がこれから先行き、
日本の経済も危ないと言われる中で受益者負担というものがどこまで広がっていくのか、
国民一人一人が不安に感じていると思います。そういう
意味において、私は少なくとも親のない子供、身寄りのない子供、生活保護を受けている子供は無償で結構だけれども、払えるとおっしゃるお母さん方が大半を占めて、美容室に一回行くのをがまんして一年間の子供の教科書代が出るのであれば、
国民が負担し得る金額であると私は思う一人でございます。そして私は根本的に、無償論の皆さん方ともお話しいたしますと、これを有償にすると営利的な教科書会社が競争して教科書の値段を上るだろうとおっしゃる、そういう意見もございます。けれども、私の
経験からいたしますと、お母さん方に話を聞きますと、扇さん、少なくとも、子供が小学校に入ってまだ学校になじまないときにやむなく転校したときに、各県各県行く県が、県をまたがれば教科書が違うというのは何とかならないのですかという声も聞きます。少なくとも、古いと言われようと、新しいと逆に言われるかもしれませんけれども、義務教育というものは私は国定教科書であっていいという意見の一人でございます。国定教科書にすると軍国主義につながる教育をするという声がありますけれども、私はとんでもない話だと思います。義務教育は、国定教科書にして自由主義を堅守し、そしてみんなで責任を持った平和というものを進めていく、義務教育はどこの県に転校しても同じ教科書で生徒が迷わないで教育を受けられる、そしてその国定教科書は、国が小学校は幾ら、中学校は幾らというふうに決めて初めて私は親が安心して値段の決まった教科書代を払えるんだろうと思います。そういう
意味で私は文部大臣に、六・三・三制、いまの中学が高校の予備校と化し、高校が大学の予備校と化している現状の打開と、あるいは将来的な
日本の教育制度の根幹にかかわる教科書の平和的――あるいは
国民の幼い、いたいけな子供が教育で迷わないように、学校でさびしい思いをしないためにも、全国義務教育は国定教科書にするというような御意見が心の隅にもありやなしや、伺わしていただきたいと思います。