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竹下国務大臣 私は、いまの和田
委員の一つの流れという表現は間違っていないと思っております。
先ほ
どもちょっと申し上げましたが、要するにオリンピックの翌年、戦後
最大の不況というところに建設
国債が始まった。これは大きな一つの効果があったと思うのであります。そうして
昭和四十六年、いわゆるドルショックによって
見通しが立たなくなったときに、また建設
国債の増発からして公共投資を刺激して内需を拡大して、世界では一番早く切り抜けた、それには効果があったと思うのであります。そうして石油ショックが来て、四十八年の暮れでありましたか、しかもたまたまそのときは福祉元年、
政府はこういう政策課題を掲げておった。ここに
赤字国債の増発に踏み切っていくわけでございますが、それも私は、あの第一次、第二次石油ショックを脱却する
過程においては財政が果たした一つの
役割りではなかったか。
それで、いまおっしゃったとおり、
昭和五十四年の一月でございます、初めて五十九年度脱却ということを大平さんがおっしゃったわけでございますけれ
ども、確かにそのとき、五十四年度当初
予算で見たらまさに公債依存度が三九%とかいうようなところまで来た。振り返ってみたら、公債依存度の一番高かった
昭和二十年の四二%に続くというようなこと。それで、これは大変というところで、いわゆる
赤字国債の
減額というその目標年次も五十九年に定まった。その中にいわゆる一般消費税(仮称)というものが、ある種の想定の中には私はあったと思うのであります。選挙の結果、本院の決議もあって、財政再建のためにその手法はとってはならぬ、まず
歳入歳出を徹底的に厳しく抑制して、そして初めて
国民の理解を得て各般にわたって検討すべき課題である、そういうふうに移ってきた。
しかしながら、考えようによると、五十一年、二年というような下支えが五十四年はまさに結果として――結果としてでございます、初めから
減額したのじゃなくして、結果として自然増収に支えられて一兆八千億でございましたか出さなくて済んだ。決算ベースで言えば
減額した。五十五年はそれの惰性でそこに一兆円の
減額枠というのがどうやら五十五年は貫けた。そこへもってきて、目標年次を断念せざるを得ませんということを明確にいたさなければならなかったのは、やはり世界
経済の不透明感から来る予期せざる停滞ということにあったと思うのであります。
そこで、今度のいま税制調査会等でいろいろ御
議論いただいておる問題でありますが、既存の税目の中における増収
措置とでも申しましょうか、それに対しても、選挙絡みという問題は別といたしまして、いろいろな
意見があって、当初報道されたようなものがすべて生きてきておるという
状態ではなかろうと私も思います、まだ答申を最終的にいただいたわけではございませんけれ
ども。しかし、そういう中に工夫して、結局やはり五十八年度
予算編成というものをスタート台として、これをまさに一般
歳出の
伸びを前年度以下に抑えていくという構えでもって、
国民の
皆さん方になお既存の施策なりを継続するためにはこれだけのものが必要であるというときに、初めて受益と負担との原則に立って、さてということで
国民の
皆さん方の選択、選挙という意味じゃございませんが、選択に問わなければならない、そういう経過をたどってくると思うのであります。
増税なき財政再建という
言葉の中でいろいろやってみますと、臨調さんの答申の中には、いわば当面の租税負担率ということが書かれてありますが、この租税負担率を一体どれを当面とすべきか。あるいは、かつて
経済社会七カ年
計画に掲げた二六・五というものもございますし、いま恐らく、分母、分子が違ってきますが二四%ぐら
いかもしれません。そういう中で直間比率の見直しというものも、直間比率の見直し即いわゆる一般消費税(仮称)というふうには受けとめられないだけの土壌はかつてなくできつつあるのじゃな
いかというようなところで、
国会の問答を通じたり各方面の
意見を聞いて再建の方途を見出して
いかなければならぬ。だから、五十八年度
予算編成というのが、ある意味においてそのスタート台だとというふうに認識すべきではな
いかな。
私も、さま変わりのときに二年留守、留守じゃございません、別に私の母屋じゃございませんが、二年ぶりに帰ってきてさま変わりの
状態で、一つだけ、いま運がいいとおっしゃいましたが、いわゆる円安基調が是正されつつあるということだけが何かほのぼのとした明かりだなという感じがしておるという素直な私の感想を、少し時間をかけまして申しわけありませんが申し述べてみたわけであります。