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公述人(池間誠君) ただいま御紹介にあずかりました
一橋大学教授の池間です。
どうも最近は国際
経済についていろいろと新聞紙上をにぎわしておるわけですが、ここではできるだけ原則的なことを申し上げたいと思います。
御
承知のように、一九五〇年から七三年にかけまして、
世界経済というのは黄金
時代を享受してきたわけでありますが、残念ながら一九七三年以降、つまり第一次石油ショックですが、
世界経済というのは停滞と混迷の局面に突入し、特に、
日米欧の
経済関係はぎくしゃくしている、これは御
承知のとおりの相互主義とかいろいろなことが言われておりますが、そういうことです。もっと具体的に申し上げますと、一九七三年以前の二十
年間には、
世界生産量は年平均六%で伸びてまいりました。しかし、一九七三年以降はその半分の三%であります。同じように、
世界貿易の伸び率も八%から四%へと低下しております。いずれも半分になっております。それだけではなく、失業も一九三〇年代以来の水準に達し、さらに上昇を続けております。また、インフレ率は鈍化しつつあるとは言いながらも、依然として高いという状況であります。
きょうここで、限られた時間内で私が申し上げたいことは、このような状況の中での
日米欧の
経済関係につきまして、次の五つの視点から申し上げたいと思います。
第一点は、先進国
経済の転換能力が減退したこと。第二点は、
政府介入が増大したこと。第三点は、国際分業には
限界があるということであります。第四点は、発展途上国への影響というのが一体どういうものであろうかということを簡単に触れたいと思います。第五点は、それでは
日本の対応策はどうあるべきかということについて、これら五つの点について申し上げたいと思います。
結論を先に申し上げますと、第一点から第三点はいずれも保護主義への動きを示すものであります。しかし、第四点すなわち発展途上国を考慮した
世界的な視野を考えますと、自由貿易を推進すべきだということになります。そして、
日本自身がその推進の中心になるべきだろうというふうに考えております。
まず、最初の
経済の転換能力の減退でありますが、前に申し上げましたように、
世界経済は現在、混迷と停滞の局面にある。ある
経済学者、これはアーサー・ルイスと申しますが、ノーベル賞をもらった学者でありますけれども、彼によりますと、一九五〇年から七三年の繁栄は特殊であり、再び繰り返せるものではないというふうに言っております。その理由として、次の六つの要因が列挙できるかと思います。第一に、第二次
世界大戦後のヨーロッパの急
成長というのは、それまでに蓄積されたイノベーションの在庫を使用できだからであり、いまやその在庫は枯渇してしまったということであります。第二に、
経済を新しい軌道に乗せるほどの新しいイノベーションの登場がしばらく期待できない。第三に、農業やその他の分野においても過剰労働力はもはや存在しなくなったと。労働力不足ですね。第四に、新鉱山の開発の困難性または資源保存
政策のために原材料が不足がちであると。第五に、特に高
所得国においては、消費者は、工業品よりもサービスを好む傾向が強い。工業品の生産性というのは、サービスよりも高いわけですから、その結果として生産性の低下ということが起こるであろうということであります。第六に、高い税金が労働意欲と投資意欲を減殺していると。もちろん、以上六つの要因について異議を唱えることもできますが、しかし一般的、基本的傾向としては承認できるであろうと思います。そうだとしますと、これからも、こういう六つの
成長制約要因のために今後とも
世界経済は停滞するであろう。少なくともわれわれは、
成長や拡大が余り望めない状況にあると考えられます。これが私の基本的前提であり、また
日米欧の
経済摩擦を考える上での一つの基本的視点であろうと思います。
さて、
経済の
成長率は、
経済が新しい変化に適応し、順応し、克服する能力によって決定されると、まあ抽象的ですが、そういうぐあいに言えるかと思います。これが
経済の転換能力と呼ばれるものであります。そして、この能力の根本的決定要因というのは、労働や資本が産業から産業へ、
地域から
地域へ、あるいは職業から職業へと移動する
程度、すなわち生産要素の移動
可能性というものに依存するわけであります。しかしながら、このような生産要素の移動
可能性というのは、上述のいろいろな要因のため、また特に欧米においては、少なくとも次の六つの要因によって著しく阻害されているだろうと思います。第一に、技術が高度に専門化しているため、産業間または職業間の移動が困難である。第二に、個人または家計というのが住居その他の固定資産を保有するようになり、ほかの
地域への移動や転勤が阻害される傾向がある。第三に、夫婦共働きが増加しておりますが、夫婦が共に働ける
地域や産業というのは限定されている。第四に、これが最も重要であると思いますけれども、現代の企業は規模が大きく、資本と労働が集中化されがちである。巨額の投下資本と大量の雇用者を抱えている企業は、採算が悪くなったからといって直ちに閉鎖、または他分野への転換を図ることは容易ではない。これは
地域についても同様であります。すなわち、特定産業または企業が特定
地域に集中的に立地し、
地域と産業が一種の運命共同体を形成している場合には、その産業の撤退とか転換は困難であろうということです。第五に、
政府介入の増大であります。これは後に詳しく述べますが、失業保険その他の
社会保障制度が整備されているために、職業間または産業間の移動が阻止されがちであります。また、すでに申し上げました高い税金というのも、高い
所得を求めて移動しようとする意欲を失わせ、また高い収益率を求めて投資しようとする意欲をも失わせるということになりかねません。第六に、往々にして転換を求められるいわゆる成熟産業というのは、高賃金が支払われる傾向があります。この場合には、労働がその高い
所得を求めて他の分野へ移動するということは、もはやないわけですから、それだけ移動への意欲というのは減殺されざるを得ない。
以上のことを考慮すれば、先進国
経済の転換能力の減退が、かなり根深い原因に基づいている。そして、これは決して一時的ではなく長期的なものであることが理解できるかと思います。ここに保護主義、したがってまた、貿易摩擦の温床があるのではないかと思います。
次に、第二点につきまして、
政府介入の増大であります。しかし、産業の転換能力の減退というのは、貿易摩擦の潜在的要因ではありますが、それを顕在化させる要因ではないと思います。顕在化させるのは
政府の介入であろう。周知のように一九三〇年代、または第二次
世界大戦以降、
経済活動への
政府介入は増大してまいりました。また、
経済の発展段階が高くなるにつれて、つまり先進国になればなるほどさまざまな分野への
政府介入の度合いも多くなる傾向が見られます。もちろん
経済活動に対する
政府介入の増大には、それなりの理由があります。つまり、両大戦間及び一九三〇年代の大不況を通じて市場機構——マーケットメカニズムにすべてをゆだねる自由放任主義は侵食されてまいりました。特に失業と
所得分配の問題は、市場機構では
解決できないという信念が生まれてきたわけであります。市場機構は本質的に不安定で不完全であり、また競争は、人間の性質の卑俗で破壊的な面を助長すると考えられるようになったという嫌いがあります。
いずれにしましても、
政府が市場を管理し、支配できるという見方が普遍化したのであります。一たびそのような観念が一般化すれば、すべての
経済的社会的情報が
政府に集中し、
政府が
経済を望む方向に導くことができると信じられるようになります。そこで、さまざまに相反し衝突する個人や集団の要求が政治的な重要性を帯びてくることになるわけです。ともかく
政府は、こうしてほしいと望む人々の意思に沿って何かをなすべきだと主張されるようになってくるわけです。このような状況にあっては、生産者や労働者の声が
政策に大きく反映される
可能性が高まるだろう。なぜなら、生産者や労働者はそれぞれ結束しやすく、何らかの被害を直接にこうむるからであります。あるいは、ある特定産業が特定
地域に集中している場合には、この産業の衰退は、すなわち
地域の衰退と荒廃であります。このときには、産業保護イコール労働者保護イコール
地域保護という重層が形成され、不平、不満の声も増幅されがちであります。
生産者にしろ
地域住民にしろ、彼らは輸入競争に直面する当事者であります。したがってまた、直接的な括弧つきの被害者であります。被害者の声は特に大きくなりがちであります。これに引きかえまして、輸入から利益を得る消費者は国内の各
地域に分散して生活しており、このような消費者を組織化し、その声を一つとすることは、不可能ではないにしてもきわめてむずかしいことであります。かくして輸入からの利益を得る者、または逆に輸入規制によって損失をこうむる者の声というのは小さくならざるを得ないということになります。要するに生産者や労働者の声が大きく
政策に反映され、消費者の声は余り反映されなくなるという傾向が見られます。貿易摩擦が顕在化してくるゆえんはここにあるのではないかという気がいたします。
次に第三点に入りまして、国際分業の
限界ということに、移ります。
これまで転換能力の減退と
政府介入の増大について述べてきましたけれども、これらはもちろん相互に関連しており、転換能力の減退が
政府介入を増大させ、また逆に、
政府介入の増大が転換能力を減退させるという場合が往々にして見られます。しかし、なぜ保護主義であり、また貿易摩擦になるのかということが問題になります。それは結局、国際貿易が国境を越えて行われる
経済取引だからにほかなりません。言いかえれば、異なった
政府のもとに住む人々、すなわち異なった
国民の間の
経済取引が国際貿易であります。生産諸条件の基盤が異なる
国民経済で生産された財、サービスの交換が国際貿易であります。その意味で、同一の
政府のもとで、共通の生産基盤の上で生産された財、サービスの交換、すなわち国内取引とは異なっているのであります。この相違点が実は重要であります。外国との貿易を行わない閉鎖
経済と、それから外国と貿易を行う開放
経済とでは、産業調整はおのずから違った様相を呈するはずです。端的に申し上げれば、閉鎖
経済にあっては、たとえば失業している人々があれば、その人人が再雇用されるまでは、労働
節約的な技術進歩とかいろいろな改善をストップさせることが可能かもしれません。しかし、開放的で競争的な
世界では、外国の競争者が新しい発明や改善を行ってしまった場合、自国企業もこれに追随するか、さもなければ企業を閉鎖せざるを得なくなります。しかし、先に述べたように、
経済の転換能力が減退している状況にあっては、外国からの競争に対応して新しい分野に転換することは容易ではない。さらに、欧米のように
所得水準の高い国においては、貿易を規制することによってたとえ貿易の利益が失われたとしても、その低くなった
所得水準でも十分に生活できます。つまり、保護のコストを十分に
負担できるわけです。先進国
経済においては、国内的にも
経済効率性の追求は緊急必須の課題ではなくなり、むしろ
所得の平等と雇用が優先課題となっています。同様に、国際貿易に対しても効率性の追求が是が非でも望まれるわけではありません。
さて、
日米欧の先進国は、いまやほぼ同一の発展段階に、あります。工業品はいかなる種類であれ、
日本でもアメリカでもヨーロッパでも生産できます。工業力は同質化したわけであります。
日米欧は競合
関係にあるわけです。自国で生産している工業品は他国でも生産しています。したがって、貿易からの利益は少なくなったように目に映るわけです。市場が停滞している時期にあっては、それゆえに
日本品の販売増は、他国品の販売減を意味するというぐあいになってくる
可能性があります。他方、
経済の転換能力は減退し、また生産者と労働者の不平、不満の声は大きく、消費者の声は小さいが
所得水準は高い、こういう状況になりますと、貿易規制が導入されやすくなってまいります。いずれにしろ、国際分業は国家の行動によって制約されます。われわれの生活は
経済活動に依存してはいますけれども、われわれの幸福というものは
経済活動のみに依存するわけではありません。貿易に対する規制は、生産物を増加させなくとも、社会の独自性とか国内秩序を維持することができるかもしれません。そのために貢献するかもしれません。これがまず、先進国についてです。
次の発展途上国への影響でありますが、これまで述べたように、現在の先進国
経済、少なくとも欧米
経済には保護主義的な要因が内在しており、貿易摩擦はいつでも起こり得る状況にあります。これは成熟した
経済にまつわる宿命のようにも思えてなりません。
日米欧という先進国それ自体を考えるならば、保護のコストを
負担しても、その
所得水準は依然として十二分な生活水準を保証するであろう。しかし、
世界全体を考えれば、決してそうではありません。先進工業国には六億七千万人の人々が住み、各人は
年間九千五百ドルの
所得を得ています。他方、二十二億六千万人の人々は、一人
当たり年間二百三十ドルを得ているにすぎません。
世界的には
所得は極端に不平等であります。したがいまして、
世界的視野からすれば、生産資源の効率的利用は依然として重要な課題であると言わざるを得ないわけです。先進国の人々が保護のコストを甘受できたとしても、グローバルに見れば、いまだ人類は生産資源を浪費するほど裕福ではないと思います。発展途上国の
経済発展は、先進国の
経済成長に大きく依存しています。先進国の人々はこのことを十分に認識し、
世界的視野からの転換能力の増進を考えるべきであろうかと思います。特に、相対的に地位が低下したとはいえ、アメリカは依然として強力な
経済力を持っていますので、アメリカの人々は特に自己の利益、便益のみを考えるべきではないということです。
最後に、
日本の対応策でありますが、欧米が成熟工業国、マチュア・インダストリアル・カントリーと言いますが、成熟工業国だとしても、
日本は成熟途上国であると考えた方がよろしいのではないかと思います。
経済の転換能力は、
日本ではいまだ減退していません。これはいろいろな主要な
経済指標を見れば、パフォーマンスを見ればおわかりいただけるかと思います。その意味で、
世界経済の停滞を阻止し、飛躍へと反転させ、貿易摩擦を解消させる
立場に
日本はあるであろうと考えられます。
では、
日本は何をなすべきか。少なくとも域下の五項目が考えられるのではないかと思います。
まず第一に、何よりも急務なことは、欧米
経済の抱えている困難性を正確に実感として理解することであります。相手国産業の弱みや努力不足を批判することは、これは容易であります。そしてまた、相手国
政府の
政策や要求を批判することも、これも容易であります。しかし、われわれにとって肝心なことは、なぜ産業の転換が円滑に進展していないのか、なぜ
政府は特定のタイプの
政策をとらざるを得ないのか、その理由と原因を正確に理解することが重要であります。
第二に、
日本はあくまでも自由貿易体制を堅持すべきであろうと思います。
日本経済は、海外からの天然資源の輸入なくしては存立し得ないということは御
承知のとおりであります。工業品を海外に輸出するのは、輸出して金をもうけるためではなくて、必要不可欠の天然資源を輸入するためであります。そのためには、
世界貿易が全体として自由貿易の環境にあった方が
日本にとっては望ましいわけです。したがいまして、
日本は相手国からの要求がなくとも、率先して市場開放、その他の自由貿易体制を整備すべきであります。もっとも、市場開放といっても、現在、アメリカからいろいろ要求されておりますが、国内秩序を維持する範囲内においての市場開放でなければならない。もっと極端に申しますと、
日本間に土足で上がってくることを許すような市場開放であってはならないと思います。
第三に、特に
日本企業は新商品の開発に邁進し、高度異質化の貿易へ飛躍すべきであると考えられます。新商品が出現せず、先進国間同士が同一商品の差別化、ちょっとした違いだけでいろいろな努力をするということが今日の貿易摩擦の根本原因であろう。新商品の出現は貿易摩擦をかなりの
程度解消するであろうから、
政府はその開発に積極的に援助すべきではないかと考えられます。現在の貿易摩擦解消のための交渉に費やされているその有能な官僚、いろいろな人々の労力と時間のコストを考えれば、新商品開発への援助は、
国民に現在以上の
負担をかけないであろうと考えられます。
第四に、第一点とも関連しますが、相手国の
経済の困難性を理解したならば、それに基づいてその困難性の除去に協力すべきである。これは現在推進されている産業協力などの考え方が、その一つであろうと思います。
最後に第五として、
日本政府は、現在の欧米諸国が陥りがちな消費者無視、または不在の
政策を極力回避すべきであろう。自由貿易
政策を遂行するためにも、消費者の利益を重視することが不可欠であります。もちろん自由貿易
政策の遂行はじみなものであり、決して受けるものではありません。それだけに忍耐強く行わなければなりません。しかし、各国が互いに必要な物を交換するという相互依存の
関係が保証されてこそ、言葉と人種の対立は除去されるであろうというふうに考えられます。
以上で
公述を終わります。