○木村睦男君 おっしゃるとおりだと思います。ただ占領中に、占領軍が被占領国の行政制度はよほど支障のない限りこれは改めるべきでないというのが明治の末期にできました陸戦法規に関する条約——ヘーグ条約といっておりますが、その中にそういう
意味のことが書かれておりまして、
日本もそれに加盟をしておる。こういうことから
考えますというと、占領中にできた憲法というものはやはり占領軍のいろんな意思がそれに加わって、必ずしも民意にこたえた結果になっていないということが過去の歴史の積み重ねの上においてそういうことがあったためにこういう
国際戦時条約もできたということから
考えますと、やはり私はいろんなその中に欠陥があるということもまたやむを得ないであろうと思うわけでございます。特に、それからすでに三十五年を経過しております。百年とも二百年とも言われる大変な社会経済、
国際情勢の変化を迎えた今日、その後の経過に顧みましても内容と合わない点が多々あるということもこれまた当然のことであろうと、こういう
意味では私は憲法というものは常に
検討をする。そして、その時代、時代に合った憲法に直していくということがわれわれ
国民の義務ではないか、かようにも
考え得ますので、私はこの際これらの問題について質問をいたしたいと、かように
考えたわけでございます。
憲法改正と言いますと、何か憲法改正すなわち第九条、軍国主義、戦争だと、こういう非常に短絡的な宣伝が行われておりまして、憲法の内容、それを十分に知っていない
国民の多くの人はその宣伝のみが耳に入って、憲法を改正するとか、憲法を研究するとか言うと、ああ第九条の改正だというふうに
考えがちな傾向があることは私は非常に遺憾に思うのでございまして、
総理はゴルフをおやりになって非常にお上手でございます。お上手な
総理は恐らくゴルフをやられるときには肩の力を抜いてゴルフをやられると思いますが、私はいまの憲法を
考えるときに、やはり肩の力を抜いてそうしてリラックスしていまの憲法を素直に
検討していくべきではないか、かように思うわけでございまして、あえて第九条を憲法改正の代名詞のように扱っておるというところに私は非常な間違いがある、かように感ずるわけでございます。
そこで、いまの憲法の条章の中でどういう点が——じゃその前にいまの憲法が二十一年に
国会で
成立いたしましたそのときのいろんな記録を見ますと大変興味ある事柄が載っております。たとえば憲法の前文については、これは当時
社会党の議員の方の質問の中にございますが、「憲法の前文は消極的であり、卑屈的である。平和主義について非常に観念的過ぎる、泣くがごとく訴うるがごとき哀調すら漂っている。」というふうなことで、いまの憲法についての
意見を言っておられる。また、あの憲法の採決のときに
社会党は賛成をされた。しかし、
社会党は改正案を出されたけれ
ども、それが通らなかったために賛成ということで、しかし憲法は社会法的なものであるべきであるという所説を加えて賛成をしておられる。それから共産党はこれは反対をされた。共産党はまず天皇制というものに対して反対をしておる。そしておもしろいことにはこの憲法には国を守る自衛の条項が一つもない、これでは一体
日本の国は将来どうなるか、そういうところで反対である。つまり第九条があるから反対だというふうなことでもあったわけでございますが、そういうふうな反対をし、あるいは違った
意見を持って今日の憲法が
成立してきておる。その憲法をいまは非常に理想の憲法のように言われて、これを
検討する者は軍国主義だとかというふうな議論とごちゃまぜになっていろいろ言われておるところに私は問題がある。やはり肩の力を落としてそして素直にいまの憲法がどこがどうかということはやはり研究をしておくべきものではないか、かように思うわけでございます。
私はいまから二、三の例について申し上げますので、法制
局長官の方からいろいろ所感があったら御説明をいただきたいと思うわけでございます。最後に
総理の御
意見を聞きましょう。
その前に、いまの憲法の用語が非常に間違っておるという点も非常にあるんでございまして、御参考に
政府、各
委員にもお配りしておりますが、
日本語としてもああいった間違いがある。そのほか誤字もある。そういうものはいろいろたくさんありますが、私はそういうことがあるからそれが理由で憲法を改正せよというのではございません。改正のときにはそういう問題もあるということを知っていただきたい、こういう
意味で申し上げておるわけでございます。
そこで、憲法第一条に天皇のことが書いてございます。あの条文を見ますというと、一体
国民の代表はだれか、国家の代表はだれかということは必ずしも明確でない。「天皇は、
日本国の象徴であり」云々と書いてございます。いかなる国の憲法でもまず国家を代表するのはだれであるかということははっきりと書いてあるのが普通でございます。天皇は象徴であるから
日本の代表であるというふうな解釈でずっときておりますけれ
ども、象徴と代表とは大いに
意味が違うのでございまして、象徴が代表であるんなら代表取締役は象徴取締役と、こう言ってもいいというふうにもなることでもおわかりだろうと思います。しかも、われわれは天皇は国家の代表であるともう信じ切っておりますけれ
ども、学説はやはり分かれているのです。天皇である、あるいは内閣である、あるいは
内閣総理大臣である、こういうふうに分かれておる。ことに憲法学者でおられた宮澤先生は、この憲法から推して
日本を代表するものは内閣である、こういう学者が説までしておられるということはやはり非常に問題ではないかと、かように思います。
それから、第九条につきましてはすでに判例その他で自衛隊の合憲は認められております。おりますけれ
ども、やはりちまたにはこの問題について諸説ふんぷんとしていまでも解釈が十通りも十五通りもある。学者によって一番解釈が違うのがこの第九条。こういうままで置いていいのであろうかという疑問もあるわけでございます。
それから、
国民の権利義務の章でございますが、ここでも非常に
国民の権利についてはたくさん書いてありますが、義務については教育、これは受けさす義務と受ける権利、そして勤労、それから納税、この三つの義務しか規定してございません。これはやはり非常に問題であろう、かように思うわけでございます。ことに共同体としての家族、家庭、こういうものの存在を明確にすることによって
日本の国家は成り立つわけでございますが、この点も明確にしてないという点に非常に問題があろうかと思うわけでございます。
それから第四十一条に、「
国会は、
国権の
最高機関」である、こう書いてあります。ところが、
日本のような、あるいは自由主義陣営のようないわゆる自由民主国家においては三権分立のたてまえになっておるわけでございますので、
国会、つまり立法府が最高の機関ではないのでございまして、立法、司法、行政並立した三権分立が民主主義国家の真の姿でなければならないのに、
日本の憲法には、
国会は、
国権の最高の機関であると書いてある。これを外国の例に見ますというと、これはソ連その他共産国で、いわゆる権力集中の国では間々こういう条文をとっておりますが、民主主義国家においてはこういう条文を憲法の中にうたっておる国は一つもない。この点も実情に合わないのではないか、かように
考えるわけでございます。
なお、もう一つ二つ言いますというと、第八十九条、これは公の財産の支出または利用の制限。公金その他の公の財産は宗教上の団体のために金を出したり利用さしてはいかぬと、また公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業にもやってはならない、こう書いてあります。ところが現在、
政府は私立学校に補助金を毎年出しておる。ことしも二千八百三十五億この
予算で計上をいたしております。ただ、これをストレートに私立学校に出さないで、
日本私学振興財団にと、ワンクッション使って出しておる。したがって、教育に公の金を出しておるのではないという言いわけになっておるわけでございます。なお突っ込んで言いますれば、金を出しておるから監督もしておる、監督をしておるから公の支配に属してきたんだと、だから合憲なんだという解釈も成り立とうかと思いますが、それは順序が逆でございまして、この憲法で言っておる公の支配に属しない教育に金を出していけないというのは、そういう手続さえよければいいという
趣旨ではなくて、やはり教育の自由といいますか、そういう立場から、
政府の監督しない民間の教育機関に
政府は干渉がましい金を出したりすべきではないという
趣旨から出ておると思います。
そういう
意味から言うと、明らかに八十九条にどうも抵触するのじゃないか、しかし、従来ワンクッション置いてやっておるからいいのだと、こういうふうなことになろうかと思うのでございますが、こういうことが繰り返してあるいは継続してありますというと、こわいのは、やはり遵法精神というものが消えていく。そして人によって法律をどんなに解釈してもいいのだ、たとえば、税務署が来れば税金を納める者が、税法を私はこういうふうに解釈したからこれは脱税じゃございませんと言ってもそれに抗弁できないんじゃないか、というふうな
感じすらするわけでございます。
もう一つ例を申し上げますというと、非常事態に対する憲法上何も
日本の憲法には規定がない。これは非常に危険なことだと思います。どの国でも非常事態に対する
政府の権限なり何なりというものは基本である憲法に規定してあるのが通例でございますが、全然
日本は規定してない。一たん、これは外国の侵略だけが非常時ではございません、大地震もございます、内乱もございます。そういうときに、ある程度現行法を超えて措置をしなきゃならぬ、この裏づけがなければ、そのときの
政府が民主主義に徹した
政府ならよろしいけれ
ども、そうでない
政府ですと何でもできるという危険がある。こういうことは実際にはあり得ぬと思いますけれ
ども、そういうことを前提としてきちっとしておかなければ
日本の秩序というものは保たれない、また権力の乱用ということに走りがちである、こういうことも
考えるわけでございます。
まだほかにもございますが、時間がございませんから申し上げません。その他、先ほど申し上げたように、用語の誤り、法律用語の
使用の仕方の間違いあるいはそのほか文法の、かな遣いの間違い、いっぱいあるんです。これはあるのも当然でございまして、英文の原文を渡されて草々の間にこれを翻訳をしてつくった憲法でございますから、こういう誤りがあるのも当然でございましょう。
そういう憲法でございますので、私は、やはり
日本が独立して三十年、この段階におきましては占領中につくられた憲法というものに素直にこれを
検討し、改めるべき点は改めるべきではないか、もうその時期が決して早過ぎない、いまやその時期が来ておるんじゃないか、かように
考えております。なるがゆえに、わが党も立党の綱領としても憲法改正をうたっておるのはそういうことでございまして、憲法の持っている
国民主権あるいは平和、自由主義、人権の尊重、そういうものを変えた憲法をつくるために改正しなさいと言うのではございません。いかに憲法が変わろうともこのりっぱな原則は守るわけでございまして、いま私が申し上げたような制定当時のいろんな事情、その後の社会、内外の
情勢の変化、そういうものに照らしてみて実情に合わなくなっている点は速やかに改正するというのが私は正論ではなかろうか、かように思うわけでございます。
これらの点について、まず法制
局長官からひとつ
意見をいただきまして、後、
総理大臣から御
意見を承りたいと思います。