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宮之原貞光君 私は、この合併が、いま
局長の言うように、果たして
子供の健康づくりがより効率的になるかどうかまだ疑問を持っておる、これは。それぞれのやはり現在あるところの
学校安全会なりあるいは
学校給食会が、自分のあり方の中で、この面が足りないし、合併すればこうなるんだと、これはよくなるんだという説得力があるならばまた理解できますけれ
ども、たとえば、午前中来いろいろやってきておるところの経緯からわかりますように、低廉な云々というよりも、今日一番問題はより安全なということなんだから、
子供のあれの。それが合併されてさらによくなるというようにはどうしても理解できない。しかし、今後なお安全ということを第一にやるということはそれは結構でしょう。けれ
ども、この答弁だけで終わるということのないような実証をやっぱりやってもらわなけりゃ私はこれ
意味ないと思うんですよ。もうそのずさんさということは、どうあなたが抗弁されようと午前中ずっと出ておるわけなんだから、次の機会にはこういうことのないようにやってもらわなきゃならぬけれ
ども、果たしてそれが健康会になった場合にそうなるんだろうかどうだろうかということはやっぱりこれは疑問だということを、僕はやっぱり疑問をここで表しておきたいと思いますよ。
時間もありませんから、
学校給食会
ばかりやっておると困りますから、
学校安全会の問題で一、二まず
お尋ねいたしたいと思います。
学校安全会のことで一、二
お尋ねをしたいんですが、私の手元に「
学校安全」五十二号というのがありまして、創立二十周年記念特集号があるわけでございますが、その十八ページから二十三ページにかけまして、今後の
学校安全会の展望として、「
学校安全推進のための基本的な考え方に関する若干の考察」という論文があります。まあ私これを読ませていただきまして、いままでの半官半民のところの役所としての文章にしてはなかなか思い切ったことも書いてあると、こう思って、その点は評価をしなければならない分野も
たくさんあります。その中で、私が特に、こういう問題点を摘出しておられるんだけれ
ども、今後これを除去するためにどうしようということをお考えになっておるんだろうかという、中身を評価すると同時に、今後の対策についてどう考えておるんだろうかという
質問をせざるを得ませんので、その点を
お答えいただきたいと思いますが、十九ページのところで「
学校安全と家庭側の問題」と、こういう
項目の中でこう書いてあります。
ところで、
学校でちょっとした
児童・生徒・幼児の災害事故が起きると、
学校側に特段の手落ちもない場合でも、保護者が
学校の責任を云々する傾向が一部にみられる。
いたずらに
学校側の責任のみを問うという傾向は、
学校の教育活動を萎縮させ、消極的にさせ、そのことがまた
児童・生徒にいろいろな体験をさせて真の安全に適応する
児童・生徒の育成を妨げるという悪循環となって、いつ大きい事故を起こすか分からないという
児童・生徒にしてしまうおそれがある。
こう
指摘をしているんです。それから次の項の「
学校安全と
学校・
学校の設置者側の問題」として、
次には、
学校や
学校の設置者側にも問題がある。
学校で、
児童・生徒の死亡事故などが起きると、
学校・教育
委員会で間々行き過ぎた安全管理が行われている。教室の窓からの転落事故死が起きたということで、町中の小・中
学校の教室の窓を手すりだらけにして、はい出す余地もないようにしてしまうというような管理は、その
学校に
児童・生徒がいる間は、窓からの転落事故は起きないかも知れないが、その
児童・生徒の真の安全のためにはならないと考える。
校長の中には、自分の
学校でだけは、災害事故を起こさないでくれと教師に言う校長もいるという。
これらの考え方は、真の
意味の
学校安全では決してないと考える。
かつて、本会の支部で無事故
学校の表彰というようなことをやった支部があるが、事故が起きないのにこしたことはないとしても、このような考え方も真の
意味の
学校安全では決してないと考える。共済掛金を払ってもらっているのに、給付が無いので、何かの見返りをということもあったようであるが、云々と、こういうようなやはりいろいろな問題点を
指摘しておるんですが、私はやっぱりこれも、ここに出しておるように、そういう傾向はないではないと思うんです。
そこで、こういうものの中から、いまのあるところの
学校安全会の制度面という問題と
対比して、一体こういう傾向を除去するためには何か
方法ないのかどうなのか、そこのところを考えられたことがあるかどうかということで、私は何かやっぱり制度上
一つ問題点があるんじゃないかという気がしてならぬのですが、この点はいかがお考えになりますか。