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高木健太郎君 あることに対する施策をやるという場合の私の
考えを申し上げまして御参考にしていただきたい。
未来におけるその施策の効果を予測するというためには、私は現
時点における初期条件というものをはっきり決めなければいけない。たとえば
教育について言いますと、細かいことですけれ
ども、生徒の学習意欲であるとか、あるいはいまお話しになりましたような現在の
社会条件あるいは自然環境条件、こういうもの現状分析が必要であろうと思います。ところが、御存じのように、分析しようと思いましても
関係する因子が多種多様でございまして、しかもその力
関係が計量しにくいという性質を持っております。いわゆる数量的にその因子の分析が
表現しがたいという面がありますので、その現状分析の結果はきわめてあいまいな初期条件しか得られないのではないか、これが現在の現状であろうと思うわけです。これをイデオロギー的に固定して
考えたりすれぼ非常に間違いが大きくなるのではないかと。現在の
学校内暴行にしましても、そういうものをある一面から見るということはどちらから見ても非常に危険な要素を含んでいると私は思います。そういう
意味では、この初期条件を決められるときにも、ごく自然な、素朴な。平らな心でこれをながめることが必要であろうと思います。現在起こっているいろいろの制度改革とか教科書
内容、教科書の改訂、検定、いろいろ問題が起こっておりますが、それらはどちらかに偏した形で
考えられては絶対にいけないというのが私の
考えでございまして、その点をまずお含みいただきたい。
次に、この初期条件がはっきりしました場合に、
教育というのは時差的の効果がありまして、非常に年数が長いわけでございますから、いまお話しになりましたような
社会条件の
変化というものがこの二、三十年間にどのように起こっているかということは非常に予測が困難であろうと思います。そのために、これに対する法則性というものを見出すことがまた困難であります。したがって、その結果の予測ということはきわめて困難であろうと思うわけでございます。中教審に委嘱をされてはおりますけれ
ども、
文部大臣の
一つの
意見として、いまもちょうどお話しになりましたように、教科書の編さんあるいはその他の改革につきましても
審議会の皆さんにぜひこのことを十分頭に入れて今後
審議をされるように、
文部大臣からひとつお伝えを願いたいというのが私の
意見です。
次に、私は医学者であり、また生物学者、生理学者ではございますが、たまたま保健体育の教科書を見ました。これに関する
意見がございます、私の
考えがございますので、お聞き取りいただきたい。また御
意見もお伺いしたいと思います。
公民
社会が現在非常に濃密に取り上げられておりまして、教科書問題というと公民
社会の問題であるかのごとき感を受けるわけでございますが、私は保健体育の教科書を拝見いたしましたけれ
ども、その中には現在の常識かるいって、あるいは学問水準からいきまして、どう
考えてもこれはうそである、間違いであるというようなものが幾つかございます。これを若い頭の中に暗記させるということは非常に危険であるというふうに
考えますので、教科書の編さんあるいは改訂という場合にも、ぜひ公民
社会ではなくって、その他の教科書ももう少し十分見られる必要があろうと思う。検定に当たられる教授の二、三の方にお伺いしましたけれ
ども、原稿が回ってくると、もしも書き直すとすれば、全部書き直せば書き直せるけれ
ども、できたものに手を入れるといっても、なかなか手が入れられるものではないというようなお話がございますので、検定はだれだれという名前を挙げるだけではなくて、その具体的なやり方についても今後御工夫をなさることが私は大事だと思うわけです。また、ある問題につきましては、現在学界においてもまだ
意見があるというものを、何かある一方的な
意見が書いてあるということは、これはやはり保健の教科書につきましてもこのようなことが見られます。これは非常にまありっぱな先生がお書きになっていることでございますけれ
ども、大学の先生はある一面については詳しいが、他の方面については余り詳しくないというのが通常ではないかと思いますので、こういう過ちは必ず起こり得ることではないかと思います。こういうことも今後編さんする上で十分留意されることが必要かと思います。そして、全体教科書を見ますというと非常に理屈が多いわけでございまして、なぜこうなるか、どうしてこうなるかということが処々方々に出てまいります。しかし、世の中のことで、あるいは自然現象におきましても、なぜそうなるということは、よほどの学者でなければそれはわからないことでございまして、まず事実を書くことが私は大事である。子供が非常に理屈っぽくなるということは、一面そういう教科書にも私は罪があるのじゃないかと思っておるわけで、子供には事実をやさしく記載しておくということの方が私は大事だと思っておるわけです。最も私が気になるところは、広範な知識を有される専門家が、限られたページ数にそれを全部盛り込もうとしておるために、先ほど知識の詰め込みということがございましたが、そういう無理がありますために、きわめて濃密なコンパクトな記載になっておりまして、
文部大臣がおっしゃるようなゆとりというものはその中に全く感じられないわけでございます。生徒は恐らくその一語一語をゆるがせにできないような、そのような圧迫感を教科書からは受けるのではないか。
教育がその効果を上げるためには生徒の意欲というものを起こすことが大事でありまして、単に詰め込むということは意欲を失わせて
学校をいやがるということになるのではないか。そういう
意味では、アメリカが現在とっておりますような、紙数を制限しないでもう少し分厚な教科書をお書きになると。その中にはむだがたくさんあってもよい。ただし平凡なことが書いてありまして、生徒はそれを読むうちに全体のことが
理解できるというような形、副読本にされてもいいでしょうが、そういうような教科書の編さんの方がいいのではないかという気が私はしているわけであります。これは教科書の価格というものが現在無償でございまして、
文部省の
予算の方の
関係もあるかと思いますが、何とかもう少しふやすか、そうでなければアメリカにおけるような貸与制というものをお
考えになって、教科書がもう少し厚くて、読めばいろんなことが書いてある。そしてその中からひとりでに興味を持ってくる。そして、その中から全体として何かをつかまえていく、
理解をする、
考えるということを学はせることが私は大事でありまして、先ほどお話がありましたような詰め込みということを避けようとするならば、そのような教科書にすべきではないかと私は思います。
われわれもそうでございますが、
一つの知識を得ようと思うのには、十のものを読まなければ
一つの知識は私は得られない。それを十が十、教科書に書いているものを覚えさせようとするので、ゆとりがなくなってくるのではないかというふうに思うわけでございます。棒暗記をせざるを得ない。しかもその教科書に書いてあるどこから試験が出るかわからない、こういうやり方では、生徒はますます私は
学校から離れていくのではないか。この点はぜひお
考えいただきたいと思います。
大臣も東大をお出になりまして、
中等学校、高等
学校を優秀な成績で御卒業になったんだと思います。しかし、いまお
考えになりまして、中
学校、高等
学校の教科書に書いてあったことを覚えておられますか。まる暗記されたのかもしれませんが、どこか漢文の一節ぐらいは覚えておられるかもしれませんが、しかし全部は覚えておられないんじゃないか。あるいはまた、いま現在、あなたのお仕事にその中
学校、高等
学校でまる暗記されたことが現在どれくらいお役に立っておるか、ちょっとお伺いしたい。