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参考人(
隅井孝雄君)
隅井でございます。
最初に、誤解のないように申し上げておきたいと思いますが、私たちは、文字多重の問題などについて、聾唖者の皆さんから出ている要望な
ども考慮して、
文字多重放送、テレテキストと申しますけれ
ども、これが持つ利点をできるだけ早く
活用するということを
考えるべきだというふうに強く思っているわけです。しかしながら、
文字多重放送を有用に
活用しようということを
考えた場合に、今回の
放送法改正案は若干の問題があるのではないか、運用の仕方によっては、文字多重のメディアとしての有用性、自由な発展を場合によっては若干阻害するかもしれないという部分がありはしないかというふうに疑問を抱いておりますので、そういう意味で先般来各方面に対して問題提起をさしていただいているわけでございます。
もともと、本来、
文字多重放送、テレテキストと申しますのは、使い方によっては数百ページ、千ページあるいは数千ページのものを送り出すことが可能なわけですね。これは外国のもので恐縮でございますけれ
ども、これはドイツのものですけれ
ども、(資料を示す)イギリスではBBCがこの種のものを、これを一ページと申すわけですけれ
ども、ページ数にしてBBCの一チャンネルが二百、2チャンネルが二百、そしてITVと申します民間
放送の方が四百ページということですから、合わせて八百ページの
サービスをロンドン地区で行っているというふうなこともございます。フランスでは十三種類の
サービスが行われていますけれ
ども、トータルいたしますとこの種のページ数が千ページに達するという、そういう状況のわけでございます。したがって、いまの現行の
放送法とか
電波法というのは、チャンネルが五つとか四つとか七つとか限定されたチャンネルしか使えない、それを
国民が共有財産としてどう整理しながら使うかということで
ラジオや
テレビを律してきたというものですけれ
ども、そういう枠からははみ出るメディアがこれからは登場しようとしているのだというふうに思います。CATVも使い方によっては同じようなことが起こると思いますけれ
ども、文字多重もそういう性格があると思います。
先ほど、ちょっとCATVの問題が出ましたので触れさしていただきますと、アメリカなどではチャンネル数がたくさんとれるということと、
契約する人が任意にお金を払って
契約するということがありますから本を買うのと同じだというふうなことがありますので、
既存の空中波とは違って、連邦政府が介入しない、地方自治体が
免許といいますかフランチャイズを与えるというふうなかっこうをとっていますし、その中で市民のアクセスチャンネルを、自由に発言する、政治的な
意見でも自由に発言していいんだというチャンネルを設けるというふうになっていて、
放送法とか連邦
通信法とは違うことになっているわけですね。したがって、番組
内容についても連邦
通信法の各種の条項はCATVにはアメリカでは適用されていない別の体系になっている。つまり言論、表現の自由を守るんだというふうなことで新しいメディアです。これはアメリカだけではなしに、フランス、イタリー、ドイツ、それからベルギー、オランダ、そういうヨーロッパ各国でも、状況の違いはありますけれ
ども、市民のサイドの新しい
情報としてこの種のメディアを使っていきたい、テレテキストな
ども使っていきたいということで非常に論議をされているという点があると思います。
その点で
考えますと、今度の
放送法改正案では、
既存の
放送で
無線局としての
免許を与えているわけですけれ
ども、それを使って文字多重をする場合にも改めてもう一度
無線局としての
免許をする、つまりいまの
放送局を
免許しているのと同じ
方法でこの種の文字多重を流す
対象を無線
免許の
対象にしたいということで枠をかぶせてしまうということになりますと、若干私
どもは問題があるのじゃないか、文字多重のいわば自由で多様な発展というのを阻害することにはなりはしないかという疑念を持っているということを御理解いただきたいと思います。
私は、この種のメディアに関してはたくさんとれるということがあるわけですから、できるだけ
行政的な関与とか介入というのは、多少必要でしょうけれ
ども、
放送も空中波を使うわけですから全くなくていいというふうには申し上げませんけれ
ども、可能な限り最小限にとどめるというようなことが必要だと思っているわけです。文字多重について野放しにしようと言っているわけではないのであって、たとえば
放送局が使う部分については、これは当然その
放送局自身の
免許の枠がございますから、そういうことを前提として
放送局が
放送法の枠内で
活用を図る、したがって
放送局が出すニュースなんかは
放送法第四十四条なんかも適用されながらやるということは当然あるのだろうというふうに思います。
しかし、後でもう一度申し上げなければいけないというふうには思いますけれ
ども、たとえば百ページ、二百ページ、五百ページ、千ページとれるようなこの種の画面を、私
どもの
考え方で言うと、一種のメディアアクセスというような
考え方に基づいて、社会的ないろんなグループとか団体とか、個人というわけにはいかないと思いますけれ
ども、いろんな組織が自由に
活用できるように市民に開放するのだという
考え方を、もし
法改正をするのだったらば、ぜひ盛り込んでいただきたい。今回の独立利用を認めるという
考え方の中にはあるいはそういう
考え方も含まれているというような気がしなくもありませんけれ
ども、現在の
放送法をそのまま適用するということだけになってしまいますと、自由な文字多重の利用が阻まれるというふうに思います。
もう一点、総括的な問題で申し上げますと、技術方式の問題でいろいろ論議があることは
皆様方の方が詳しいのじゃないかというふうに思います。私は、いまここでどっちの方式が適当だとかなんかと言うつもりは全然ございませんけれ
ども、文字多重の将来のためにどういう方式でいくのが望ましいかというふうなこと、あるいは
視聴者の側の受信機の買いかえのような負担を
軽減するために、やっぱり技術方式などについてももう少しオープンな論議が必要だったのではないかというふうに
考えています。音声多重が実用化されましたときに、とりわけ
放送法の
改正ということを伴わずに
放送局が行ったわけですね。ですから、文字多重を、実用実験と申しますか、実験のための主体、多分それは
NHKや
民放各局ということにもなりましょうけれ
ども、場合によっては実験主体が
第三者機関であってもそれは論議の過程では構わない場合も出てくると思いますけれ
ども、そういうことで
放送法の
改正以前にそういう実用実験を十分行う、その中で技術方式だとか文字多重の使い方だとか送る
内容をどうしたらいいかということについて
視聴者が目に見える形で、ああ、これはこういうものなんだ、こう使えるんじゃないか、こういうふうにしたらいいんじゃないかというのとがオープンで論議された上で、最終的に新しいメディアポリシーができて法体系を新しく
考えていく、そして
放送法も新しくしていくのだということ、そういう手続のようなものを私たちは非常に望んでいたわけですけれ
ども、そういうことが少し抜けたまま
放送法の
改正というところに一挙に行ってしまったというところで、今後の文字多重やニューメディアを
考える場合に少し残念だったという気がしておりますものですから、若干今度の
改正案については少しうなずき得ない点があるということをるる申し上げておるわけでございます。