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参考人(
深谷昌弘君) 御紹介いただきました
深谷です。
皆さん方と重複を避けるために、三点だけにしぼって
意見を申し述べさしていただきます。
第一点は、
収支バランスが五十七
年度で一応
均衡になったということをどう見るかということが第一点です。それから第二点は、
交付税の今回の五十七
年度の
措置に関して私が感じました問題点に関してです。それから第三点は、
交付税の本来的な
あり方に関する私の見方を申し上げたいと思います。
まず第一点の、なぜ五十七
年度に
収支均衡となったか、それを一体どうとらえるのか、どう見るのかということでございますが、衆議院あるいはこの会議での皆さん方の
意見を
参考にお聞きしまして、それから提案
理由その他の資料を読ませていただきましたが、五十七
年度に
収支均衡となった
理由として幾つか挙げられております。
地方税、
交付税の
伸びが大きいこと、これは先ほど
古川参考人も述べられましたが、つまり
歳入増がある、このことは増税
努力があった、あるいは
交付税に関しましては、
借入金を返済しなければならない年限が来たのを五十九
年度以降に延ばしたというような
措置をとって繰り延べを行った。あるいはまた、利差臨特あるいは
財政対策臨特による
交付税の増額を行った。こういうことが
地方税あるいは
交付税の
伸びを大きくしている
一つの原因であろうと思いますし、それからもう
一つは、
税収が比較的順調に
伸びるという見通しに立っているということ。この
税収の見積もりについては、先ほど御指摘がありましたように、やはり過大ではないかという懸念はぬぐえないように私も思います。
それからもう
一つ、
歳入の方に引き比べまして
歳出が抑制されたことということが挙げられております。その中で
地方財政計画の近年の動きを見ておりますと、特に抑制が図られたと
数字の上で見られるものは、恐らく
給与費とそれから
投資的経費であろうと思われます。
給与費は、五十四
年度の
伸びが四・四%、五十五年が六・六%、五十六年六・六%、五十七年六・八%でありますから、やはり相当の
伸びの抑制が図られているように思われます。これは恐らくラスパイレス指数の引き上げとかあるいは
人員を抑制するといった各
団体の懸命の
努力の反映であろうと思いますし、また、
自治省等の指導もあったかと思います。
もう
一つの問題として、私は
歳出の方では、
投資的経費の問題を実は強調したいと思っているわけであります。この
投資的経費のうち特に
補助事業でありますが、
補助事業が抑制されたことが五十七
年度の
収支均衡をもたらしたことの非常に大きな要因になっているということを私は御指摘申し上げたいと思うわけであります。
昭和五十四
年度の
投資的経費のうち
補助事業の
伸び率は二〇・三%であります。しかし、五十五年以降この
伸び率は極端に抑え込まれております。五十五
年度が二・三%、五十六年が〇・三%、そして今
年度に至るやマイナス二・六%であります。額で申しますと、五十四
年度が八兆四千三百八十三億の
補助事業が組まれております。これに対しまして五十七
年度の
補助事業の
事業費は幾らになっておるかと見てみますと、八兆四千二百五十三億であります。ですから、絶対額で横ばいあるいは少し減っておるということであります。名目で減っておりますから実質ではもちろん明らかにはるかにマイナスの数値を示していることは確かであろうと思います。仮に五十四
年度の数値がその後たとえば名目で一〇%ずつこの
補助事業費が拡大していったとしたら一体幾らになっていたであろうか。乱暴な話ですが、一〇%が適切かどうかとかそういう問題はありますけれ
ども、それ以前は一五%でありますとか二〇%であったんですが、仮に一〇%だと
計算してみたとしても、五十七
年度は十一兆二千二百八十億ぐらいになるわけです。ですから、五十七
年度の
地方財政計画の
補助事業費とそれから
計算上の一〇%の
伸び率で求めたものとの間には約三兆円、二兆八千億円の開きがあるわけであります。
税収の
伸びが甘く見込まれておるということも大きな問題でありますが、私の見るところでは、もう
一つ重要な点が見落とされているのではないかという気がいたします。要するに、
補助事業費の抑制がきわめて強く効いているということであります。このことを私は決して忘れてはいけないと思います。
補助事業というのは、私の
理解では、国と
地方が共同でやる
事業であります。これは国にとっても必要な
事業であるし、
地方にとっても必要な
事業である。しかし、この
補助事業についての国と
地方の見方が近年大きくずれているのではないかという気がいたします。国の方では、
財政の危機にあるから
補助事業はこの際抑制しても構わないものだとお考えでしょうが、
地方の
立場から見た場合、
補助事業は
伸び率がゼロであって果たしていいものかどうか、実質マイナスの
伸び率で果たしていいものだろうか、こういうことが問題になると思います。このような
補助事業費の
伸びが名目で横ばいである、しかもそれがここ三年間も続いておる、こういう事情が果たして正常な
財政の姿であろうか、
地方財政の正常な姿であろうか、私は疑問に思うわけであります。
現行のもとでも後年の借入返済が賄えるかどうか問題でありますし、それから
地方税が順調に
伸びるかどうかも問題でありますが、それ以上に正常な
財政機能を現在
地方財政が果たすような、そういう
財政需要をもとに
収支が
均衡しているかどうか、その方が私はまた重要な意味を持っていると思うわけであります。もし、このような
投資的経費の動きが正常な事態であるという判断に立つのであれば、あるいは借入返済の問題や
地方税の見積もりの問題に目をつぶるとすれば、あるいは
地方については
財政再建はある程度成ったと、こういうふうに申していいのかもしれません。しかし、
現状は全くそうではないと私には思われるわけです。特に
地方の
時代と呼ばれておりますし、それからまた国際
情勢その他からかんがみますれば、日本の今後の経済の活力というものは、内需による成長を図るしか手がない、そういう
時代にあると思います。そういうときに、
地方の
市町村あるいは県、そういうものが活力を持って発展していくということがなければ、日本経済は活力を持ち得ないのであります。そういう
地方の
時代、あるいは内需による成長の要請、そういう観点に立てば、この
補助事業、あるいは単独
事業も含めまして、
地方での
投資的経費がこのような
伸び率でいいということはとうてい考えられない。むしろ異常な事態であると言わざるを得ないのではないかと思います。
確かに高度成長期に日本の経済の骨格をつくる
時代においてはナショナルプロジェクトと言われるような直轄
事業は重要な
役割りを果たしましたが、しかし、今後はむしろ
補助事業や単独
事業が大きく
伸びてくれなければ困る
時代にある。そういうときに、現在三年間続けて横ばいになっておる、これが果たして標準となるような
財政需要の額であろうかということが私は疑問に思われるわけです。
それから第二点の、五十七
年度の
措置について私の感じました問題点を申し上げます。減額留保についてであります。一千百三十五億円の減額留保を五十七
年度に行っております。これだけ減額して後
年度回しにする。まずこの減額という、国が、国の
立場から減額をしたということですが、これは
交付税が
地方固有の
財源であるという考え方からいたしますと、ややおかしいのではないかと思います。それから
年度間調整、長期的な視点から後
年度にこの
交付税を回したということも、本来は受け取った
団体が独自の判断で後
年度回しにするという
措置をとればいいことであって、それを国がやるということは、やはり
交付税の考え方から、本来的な考え方から言えば問題があるのではなかろうかと思います。
それからもう
一つ、今
年度の
措置で私は問題であろうかと思いますのは、単独
事業の
伸び率であります。これは非常に大きく伸ばしているんですが、果たして実現可能なものかどうかという問題があると思います。そして、もし実現可能であるとすれば、それは一体どういう手段で可能なのか、傾斜
配分みたいなことをやらざるを得ないのではないか。そうだとすると、これは
財政力格差を均てん化するという
交付税の考え方に矛盾を来してくるわけであります。こういう点が五十七
年度の
措置に関する私の感じました疑問点であります。
それから第三に、
交付税の本来的な
あり方に関する私の考えておりますことを申し上げたいと思います。
交付税の本来的な
あり方全体についてここで申し上げるつもりはありません。自主的な
地方団体の
財政運営が可能になるように
財源を
確保する、そしてまた、
財政力格差を均てん化しつつそういう
財源を
確保していくというのが
交付税の本来目指すべき姿であろうと思いますが、もう
一つ私はここでつけ加えたいのは、実は合理的な、
計画的な、自主的な
地方財政の運営が可能になるためには、長期的な、
計画的な視点というのが必要なのではないか。それが現在の
交付税制度ではどうもうまくいかないようにもうなってきているのではないか、そういう気がいたします。これは、先ほどの
投資的経費における
補助事業の問題について触れたことと
関係があるんですが、基準
財政需要というものを一体どういうふうに考えるのかということであります。その
年度年度の単
年度の
財政計画を達成するのに必要だという観点から基準
財政需要を
計算するということが、果たして自主的なそして合理的、
計画的な
地方財政を運営する上で有効なやり方だろうかということであります。
現在まで、
地方財政の苦況を五十
年度以来臨時特例交付金あるいは
交付税特会借り入れ、それから
財源対策債の発行といった、いずれも暫定
措置で——制度
改正に当たるかどうかということが問題になったと思いますが、ともかくも名目は制度
改正であれ、これは政府の方でも暫定的な緊急避難としての制度
改正であると私は認めていると思うのですが、そういういずれも暫定
措置で乗り切ってきたわけです。オイルショックあるいは一般消費税の導入といったいろんな不確定要素がありましたので、五十三
年度あるいは五十四
年度あたりまでは暫定の
理由があったかもしれません。しかし、いまもなおこの暫定
措置が続いているということは私はどうにも
理解ができません。実は、私、たしか五十三
年度と五十四
年度、国会のこの
委員会に呼ばれて、このときに、そういう事情があるから、本来は抜本的な
改正をしなきゃいけない、そういう点から言えば五十三
年度の答案はとても優をつけるわけにはいかない、まあ良であると。次の年呼ばれたときは、去年と同じ答案が出てきた、それで前と全然進歩がないのに依然として良をつけるわけにいかないから可ですと言って、次の年は来なかったんですが、来たとしたらどうしても落第であると言わざるを得なかった、そういう苦しい
立場にあったんじゃないかと思うんです。
ともかくも、五十三
年度あるいは五十四
年度あたりはそういう暫定の
理由があったかもしれませんが、いまなおそれで続いているということは、私はやはり解しかねるところであります。この五十七
年度が
収支均衡だというふうにみなすなら、これは今度は
交付税の税率の
改正とか制度の
改正を必要としない事態にことしはなっちゃったのかなあと、何かキツネにつままれたような気がするわけですが、そういうことが生じたのは実は基準
財政需要にも
一つの問題がある、私は、この問題は重要であると思うのです。基準
財政需要という考え方が、そもそもその
年度その
年度の国の立てた
地方財政計画の基準
財政需要を満たすという、そういう立て方がどうもやはり矛盾があるのではないか。長期の
計画的、合理的な視点から標準的な
財政需要を
算定する、それをもって基準
財政需要と考えるということが必要なのではないか。
財政力を平準化しつつそうした標準的な
財政需要を充足するための
財源確保を目指す、これが本来
交付税のあるべき使命ではなかろうかと私は思うわけです。
投資的経費、これはやはり景気の動向その他で短期的には調整する必要があるということは私も認めるものであります。しかし、短期的に調整するのはいいとしても、しかし長期では合理的な、
計画的な資源
配分を
確保しなければならない。それをその
年度年度の御都合の積み重ねによって合理的な資源
配分をゆがめるような
あり方はやはり問題だ。
地方にとって自分の
計画の見通しを立てられるように、そういう基礎となるような
交付税の
あり方でなければならないのではないかと思います。
それからもう
一つ投資的経費について申し上げておきますが、これについては、
地方債とそれから税、どのくらいの比率で本来長期的には賄うべきかということをやはり考えるべきであろうと思います。これをやらないために短期で
地方債充当率がそのときどきの
財政事情で九割近くになったり、あるいはゼロに近くなったり、非常に幅が出てくる。これはまた
地方債充当率が不思議なことに三二%で
交付税がぴたりと合うということの
一つの要因にもなっているわけですが、そういうふうになっていることのマイナス面というのはやはり大きいのではないか。短期ではそのような都合で起債充当率は変化することはあっても、長期にはやはり適正だと思われる充当率を守っている、
平均すれば守られている、そういうような事態をつくっていく必要があるのではないか、このように思うのです。
投資的経費だけじゃなくて、基準
財政需要全体についてやはり長期的な、合理的な、
計画的な視点からの基準
財政需要の
算定というものが私はそろそろ考えられていい
時代ではなかろうかと、このように思っております。
以上です。