○岩上二郎君
地方自治をどう守り育てるかということについて、与党も野党もそれぞれ角度の相違こそあれ、大体同じようなことではないだろうか、こんな印象を持っております。私は、どちらかというと性格的に減点主義者なものですから、これでいいんだろうかと、こんなふうな感じを平素抱いておるんです。そんな感じからいろいろと御
質問申し上げたいと思うんです。
せっかく憲法や
法律で
議会の
選挙あるいは首長の直接
選挙、そしてさらには
法律と同じような効果を持っている
条例の制定あるいは改廃権、それから課税自主権等々が決められているわけですけれども、それだけに
地方自治の機能というものは相当独立性が明らかになっているはずであります。しかし、それにもかかわらず、いまでは
地方自治法なりあるいは
地方分権というものについても、口先だけではそういうことを言うけれども何か実体が伴わない、特に国と
地方の一体
行政、こういうふうな形になりつつあるのではないだろうか。そういうやさき、臨調の答申を前にして
自治省はどう受け答えしようとしているんだろうか。
地方自治団体は一体どういう態度でこれに臨もうとしているのか、私なりに
一つの期待と不安が同居していると、このようないまの感覚であります。
従来、私は
地方自治関係に携わり、
昭和二十二年の初代公選町長に出馬をし、町長の洗礼を受けて二回、そしてその間アメリカなんかへ行って、各市町村の実態を視察をしたり、そしてまた、知事を四回もやってしまった。こういうふうな経験の中から、
地方自治の時代の流れの変化というものをいろんな角度で体験をしてきたわけでありますが、いまの憲法第八章の
地方自治に関する
規定の条章を受けてつくられております
地方自治法なり
地方財政法も幾たびか
改正され、ときには改悪ではないだろうかとこんなふうな感じを持ってみたり、あるいはまた
行政組織の面でも
地方委員会、それから自治庁そして
自治省というふうに変質をしていったわけですね。そして、シャウプ勧告というのは非常にあの当時は期待と希望を持った
一つの勧告案であったわけです。
そのシャウプ勧告によると、市町村優先の原則というものがはっきりと明記されているわけですね。しかし、だんだんと時代が過ぎるに従って、中二階的であったはずの都
道府県、これがやたらに権力集中の傾向になってきている。したがって、知事四選反対とかいろんな問題が起きるのも、
一つのそういう流れからきているものであろうかと、こういうふうに思うんです。そういう状態になってくると、国、県、市町村、こういうふうに、やはり戦前にあったようなそういうところに市町村がランキングされてしまっている、これが実態ではなかろうかと、こんなふうに思うのです。
それから、一方、今度は教育委員の問題
一つとらえてみても、かつては教育委員は公選制だった。それがいつの間にかさたやみ。そして、
行政委員会の中でも、教育長なんかはこれは事前に文部
大臣の承認を得なきゃならない。あるいは
行政委員会の中でいろいろな変化はありましたけれども、警察本部長なんかはやはり
中央の公安委員会の承認を受けて出てくると、そういうふうな情勢にあるわけでございます。
今度は、国の許認可事務、あるいはその規制、さらに国の機関委任事務なりあるいは人事の支配介入といったようなものも、その方が
地方団体から見ても得だといったようなそういう意識も働いて、だんだんと
地方自治体の独自性というものが失われてきつつある、こういうふうに思わざるを得ないわけであります。
特に
中央集権の妻とも言うべき補助金政策、これは負担金なり分担金なりあるいは奨励金、いろいろありますけれども、こういうものも、
交付税それから起債絡みで国家財政の基本的な枠組みの中に封じ込められてしまう、これが実態ですね。一、二の例を申し上げましても。これまた非常に問題なんですけれども、しばしば知事会等でこの
地方事務官制度の廃止を要求したこともありますし、あるいはまた、最近になっても
地方監査制度の改善というようなものを図るべきだと、こういうふうな意向等を申し上げたり、あるいは超過負担の解消の問題等々、
自治省はもうほとんど理解を示し、それに向かって法案を準備をしても、なおかつ、政府の二十三省庁ですか、いわゆる縦社会
行政組織の壁にぶつかってにっちもさっちもいかないということで、申し訳ないがしばらく
関係各省と
相談をして態度を決めますというような答えだけしか言えないところに問題がある、このように思うのですね。
そういうようになってきているのは一体どういうことなんだろうか。なぜそうなってきてしまったんだろうか。
一つは、私は、お上にこれ従うといった日本民族性にもその原因もあるのではなかろうかと思いますが、もう
一つは、やはりアメリカなりあるいは欧州諸国のような、血みどろな戦いをしながら獲得した自由なり民主主義制度というようなものでつくられた国々と違いまして、そういう
一つの体験もないまま上から与えられている、これがなかなか民族の中になじまない。形だけは民主主義的な体制ができた、しかしそれがなじみにくい、肉づけもできない、そういうふうな状態にある中で、今日なかなか市民意識というものが向上しない。ここらあたりにも
一つやはり問題があると、このように思いますし、また、国も
地方自治団体も市民の意識改造というかこういうものがないまま民主制度だけが先走り過ぎてしまって、その
中身の問題が実は空洞化されているところに、今日のような
中央集権のメカニズムが物すごく伸びてきてしまっているというところに原因の
一つがあるのではなかろうかと、こういうふうに思うのです。
しかし、元来
地方自治というのは行き過ぎもありますし行き足らないところもある、そして、悩みながらともに歩んでいくと、こういうふうなところに
地方自治のうまみというか
地方自治の本質的なものがあるだろうと思います。ところがちょっと行き過ぎるとすぐ
自治省がちょっかいをかける。たとえば
東京都のああいう、まあ
ラスパイレス方式から見るとちょっとおかしいとか、いろいろなことでちょっかいをかけるのですけれども、あのかけ方はちょっと官僚体制の権化みたいな感じがしないわけじゃないですね。むしろそういうことよりもやはりこれでいいのかということを
東京都に知らせるという努力をもっとすべきではないか。その努力の結果、やはり
住民の側からこれはとんでもないと、こういう声がかかって自粛する。そういうふうなことになっていくのが本来の
地方自治の育て方ではないだろうか、こんなふうに思うんです、
それからもう
一つ、やはりこれは
自治省にも
指摘しておきたいのですが、これは各省ともどもなんですけれども、これはもうたびたび
行政局長にも申し上げておりまするように、
田園都市構想に基づくリージョンプラザというものを大変表に掲げて、われわれも事前に何回か
説明を聞きましたが、しかし
住民主体あるいは
住民参加の上でそういう政策が実行されるような事前の手当てというものがないまま、補助金を裏づけにしてこれがいいよということで、まず各都
道府県に
一つのモデルケースとしてこれをどうですかと呼びかけるということが先行されますと、市町村の段階でも金が出るならばやってみようか、こんなふうになっていくわけですね。そうなると
地方自治というものが育たないわけです。いわゆる
地方行政あれど
地方自治なしというのは実はそこにあるのです。
私は元来、田園
都市をずっとやってきて、もう約二十年になります。その二十年の歳月の中で、やはりこういうものをどうでしょうかと、こういうことで何回か呼びかけ、それじゃ知事さんは何かおみやげを持ってきたか、いやみやげも何もありません、
一つの思想を持ってきただけですよと、こういうことで何回となく
住民の意識を改造させながら、それじゃ自分もやってみようか、しかしそれにはある程度の負担金が伴いますよ、いやそれくらいのことは大したことはありませんと、こういう中で、決しろ
住民の側からのいわゆる要求として、これだけの負担はするけれどもそれ以上のものは出せないから市町村なりあるいは県にお手伝いをいただきたいと。それに対してその器に県が何がしかのお金を出していく、これが本当の補助金の姿ではないだろうか。補助金の先行する中では、
地方行政はある程度うまくいくかもしれないけれども、
住民自治というものが育たない。逆に言えばそういう結果になるだろうと思うのです。
そこらあたり、これは
自治省としても二年目に入っているわけですから、やはりそこらあたり十分に踏まえて
住民の意識改造がどこまで進んでおりますか、
住民参加の体制はどうなっておりますかと、こういうことを十分に聞きながらこの裏づけになる補助政策の実現に当たっていただきたいものと、これは要請をいたしておきたいと思います。
そんなことをずっと二十年からの経過を
考えてみて、しからば
地方自治というのはどのように育てたらいいだろうか。このように
考えてみると、何となくまあもはや病膏肓に入ってどうすることもできないんじゃなかろうか、しかし言わなきゃならないだろう、言ってもどうにもならないだろうというような、とつおいつ疑惑を感じながら、私なりの
意見を二、三申し上げますので、これに対して今度はお答えを、
大臣でも結構ですし、
局長でも結構でありますけれども、それぞれお答えを願いたいと思うんです。
一つは、臨調答申というのが一体どんなふうになるんだろうか。これを非常に
心配している一人ですけれども、恐らく昨年からずっとやってきた経過を
考えてみると、財政難からまず補助金はどうなのか、
交付税はどうなのか、起債は一体どうなのか、こういうようなところに手をつけようとするんじゃなかろうかと思うんですけれども、これは私はそれなりの対応をしていいと思うんです。ただ、この対応されないものがたった
一つあるんですね。それはやはり
地方自治体の主体制というものをはっきり確立させるとそういうような姿勢の上に立って
自治省がどう
作業を進めていくかということが
一つ大きな問題であろうと思うんです。いわゆる国と
地方というのは対等、並列の
関係にあるという明確な位置づけというようなものをどこまでやれるか。
あとは、事務の再
配分の問題とか超過負担をどうするかとか、いろいろと出入りのある
関係の整理というようなものは当然でしょうけれども、まず一番基本的な問題は、
地方自治の存在、
地方自治の重みをはっきりとどう打ち立てるか。この打ち立て方いかんによって臨調にあるときには抵抗しあるときにはいろんな政策上やむを得ないということもあるでしょうが、その一番基本の問題だけはこれはもうどうしても
自治省としては市町村あるいは県の立場に立って強く体を張っても抵抗する、こういうふうな姿勢がますます大事なことであろうと思うんです。それに対する認識を改めていただいたものと思います。これは
大臣には
予算委員会で申し上げましてお答えいただきましたので、
行政局長からもう一回はっきりとお答えをいただければと思います。
それから、私国会に出てから不思議に思うのは、ここにも入口のところに「
地方行政委員会」というのがあるんですけれども、これは名前を変えた方がいいんじゃないか。
地方自治委員会というふうに名前を変えられないものだろうか。確かに国と
地方との
関係は
行政の絡みがあって、ある面においては論議をしなければならない問題でありますが、こういう
地方行政のサイドだけから問題を詰めていきますと、だんだんといまのような社会、特に成長から福祉へというそういうふうな方向に向かいつつあるときに、ますます各省とも
地方自治団体にどうすべきかこうすべきか、いろんな問題を提起をされ、その絡みの中に物すごく入り込んでいくわけですね。それはそれなりに
一つの
理由はないわけじゃない。しかし、
地方自治を育てるというそういう角度がどうも足りないように思われるんで、アメリカなんかで各市町村をめぐった中で、やはり
執行部抜きにして
議員がそれぞれ討論をし、採決をしていくケースが非常に多いわけですね、そうでないところもありますけれども。ところが、日本の場合は常に
執行部と
議会という
関係が対立
関係みたいな形になって論議されているわけですが、もう少しフリーな立場でトーキングできるようなそういうものもあっていいという
意味もくるめて、名称が、
地方行政委員会という何か上から下へという体制が温存されているという感じから、自治委員会みたいなものを
考えてみてはどうだろうか。これは
一つの検討課題の問題としてちょっと申し上げておきたいと思うんです。これは私なりの
一つの
考えです。
それからもう
一つ、いまでも総理
大臣の諮問機関として
地方制度調査会というのがあります。私もそのメンバーの一人になっていますけれども、従来から
地方制度調査会の答申を何回か私も読んだこともありますが、どうもまたかといったような答申が非常に多いんですね。どちらかというと形式的というか
中身がない。しかし、片方から見れば、答申したって余り実現してくれないんだから仕方がないわ、しかしまあ委員会がある以上審議をしなきゃなるまいと、こういうことで審議をしているのが実態かしらと。若干は幾らか
地方制度調査会の答申の線に沿って実現したのもあったでしょう。よくその
中身はわかりません。しかし、
地方制度調査会はやはり
地方団体それぞれ出て参加しておりますので、これはそのまま残すとして、その実効性をどう担保したらいいのかという、その担保するための
一つの組織としてかつて設けられた
地方財政委員会というのがありましたですね、あれの機構と同じような、もう一回シャウプ勧告時代を振り返ってみて、やはり
地方の
団体代表を参加をさせて、そして実効性が担保できるような
一つの機関をつくってはどうか。また、新しくつくるということは行革絡みでむずかしいとするならば、現在
地方財政審
議会というのがありますね。これは
地方の
団体が参加しておりません。したがって、こういうものの組織を拡大する、そしてもう少し権威のあるものに位置づける、そういうふうな政策が生まれないものであろうかというふうな感じを持っています。
しかし、
自治省の中でいかにそういうものを設けてみたところで、二十三省庁の縦割り組織というものは厳然としてある。この壁をどう破ったらいいのかということがやはり臨調の大きな課題であろうと思うんです。さて、どうしたらいいか。たとえば
地方事務官制度の問題でもまあ
自治省が鋭意努力をし、そして行管で一生懸命この問題を取り上げて閣議まで押し上げていったにもかかわらず、それが途中各省の抵抗に遭ってさたやみというふうになってきた経過を思いあわせて、これはなかなか大変なことだ。しかし、大変でもその壁を破らない限りは
地方自治確立、いわゆる
地方分権というこの旗印を掲げることはできないんではなかろうか。旗印を掲げることだけはできたとしてもその実行がなかなかむずかしいと思うんですね。これは与党からも野党からもそれぞれ、
大臣の御所見をいただきたいと言っても、それに対する答えは、まことに同感であります、しかし、ということになると、いつの間にか
大臣がかわっちゃう。こういう皮肉な
一つの
現象が起きているのがこの委員会の姿であろうと思うんですね。それでまた同じことを繰り返す、まあそういう中で時は過ぎていく。しかし、
地方自治というのは一体どうなるんだろうか。何か
地方自治が置き忘れられた形で、
地方である県も市町村も全部抱き込んじゃって、そしてその一体的な運営、これをするのが
地方行政のあり方であるかのような印象さえも持たないわけにはいかない、こういうふうに思いますので、それをどう具体化するかということが非常に問題だと思うんです。
その
意味で、
地方行政は
住民のためにある、何らかの具体的処方せんというようなものが、やはり恐らく臨調が出てきて、これが思うようにならないとすればまた十年先か二十年先にまたぞろ出てくるかもしれないけれども、このまま時代が過ぎ去っていくと、
地方自治というのは一体何だろうか、憲法の中で第八章だけがかすかに残っているみたいな、そういうふうなことになっていってしまったのでは、これはもうどうにもならないことになるだろうということを恐れておりますので、そこらあたりの感触を踏まえてひとつ
自治省はしっかりやっていただきたいものと思いますので、いま申し上げました
意見にどうお答えいただけるか、
行政局長。
大臣、もしお答えいただければ結構でございますが……。
あわせて、行管がこれに対してどう対応するんだろうか、これもまた
一つの見ものなんですけれども、行管もまた調整権限を持ってはいても力が弱い。そういうことで省と庁ではえらい違いがあると、こういうふうに言われているだけに、中曽根さんには物すごく期待はしていますけれども、どうなんだろうかという
心配と、また、大変やる気を持っている鈴木総理でもありますし、鈴木総理の前に中曽根さんは御馬前で死ぬというようなかたい決意であるかのようなことを
新聞でも拝見しましたし、本当かしら、本当にそこまでやってくれるならば幸いだと、こんなふうな気持ちを抱きながら実は御
質問申し上げるわけでございます。
簡単で結構ですけれどもお答えいただきまして、私の
質問は終わります。