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公述人(原龍之助君) ただいま御紹介にあずかりました原でございます。
今回の
法律案について私の考えを述べさせていただく前に、大変恐縮でございますが、順序として
憲法は一体
参議院にどういう機能を果たすことを期待しているかという点でございますが、もうこれは改めて申し上げるまでもございませんが、一口に言って
参議院は衆議院と違った機能を果たしてもらいたい。権限は弱いけれども、衆議院の審議の過程において必ずしも正しく反映されていない
国民のいろいろな
意見あるいは利益を正しく反映し、そして衆議院に対するアドバイスと申しますか、警告を発し、そしていわば補正的な、批判的な機能を果たすことを期待していると考えるわけでございます。
どうすれば
参議院がそういう期待にこたえることができるか。これは一つは
選挙制度の問題であり、一つは
参議院の運用の問題であろうと思うのでございますが、ここでは
選挙制度の問題に限って申し述べますと、現在の
参議院の
選挙制度について見ますと、もっぱら不合理な点と申しますか、弊害が
全国区
制度にあると思うのであります。これは先ほどからの
公述人の
方々の指摘でもはや申し上げることもございませんが、
候補者側からいたしますと区域が広過ぎて費用と労力がかかる。
有権者側からいたしますと
候補者の
選択が困難である。また、
選挙が
組織を中心として争われ、この
組織の系列が
政党と結びつく、
参議院の
政党化を助長している。また、
選挙が人気
投票化して特定
候補者に
投票が集中する、チェックの方法がない。とりわけ、いろいろな弊害ございますけれども、
参議院の
政党化ということが
参議院に対する期待を裏切っていると思うのでございます。
そこで、
全国区の
選挙制度を考える場合に
政党化をどう見るかということが問題でございます。この点は
選挙制度審
議会に参加させていただいた一人としてずいぶんこの問題は論議したわけでございますが、しかし
議会政治は
政党が主体となって運営され、
選挙が
政党を土台として争われる以上は、
政党化は必然的な傾向で避けることはできないと私は思います。むしろ
参議院の
政党化を前提といたしまして
参議院の独自性を発揮する
ような
選挙制度を考えるべきであろうと思うわけでございます。そういう
意味において今回の
比例代表制法案は
参議院にふさわしい
選挙制度ではないかと思うわけでございます。
その
理由といたしましては、
選挙が個人本位から
政党本位に、
選挙運動は
政党が主体となって行われる、そこに金のかからない明るい
選挙の実現が可能となるのではないか。また、
名簿式の採用は
政党が当然
候補者を厳選することになって、従来金がかかるとかあるいは
選挙運動を好まないために
立候補しない
人物もこのリストに載せることができ、
参議院にふさわしい
人物の選出が期待できるのではないか。また、
比例代表制は何よりも
国民の
意思を公正に反映する、かつ少数代表の議席をも確保するという利点があるということです。また、従来の
全国区
選挙の結果は各党の得票率と議席とがほぼ一致している、実質的にはすでに比例代表の効果を上げている、そういうふうな
意味におきまして
制度としてこの
選挙方法を採用する素地ができ上がっているというふうに考えるわけであります。
私は、先年イギリスの下院でございますが、総
選挙の
実態を見ましたときに、
選挙が
政党本位、
政策本位で争われる。
選挙運動の主体は
政党であり、
候補者の選定は地区
政党にゆだねている、地区
政党は
候補者を厳しく選ぶ、地区
政党がその
候補者に
選挙資金を交付する、そういう
意味において金がなくとも有能な人、出たい人よりも出てほしい人が選ばれる、平等に選ばれるというチャンスが保証されている。それに加えて
国民の高い
政治意識に支えられまして
選挙違反がない、まことにうらやましく
感じたわけでございます。
もちろん、衆議院
議員の
選挙についても個人本位から
政党本位の
選挙に改める必要があると思うのでございますが、さしあたって当面の
全国区に
比例代表制を採用され、この一角からでも
選挙の浄化の実現を期待したいと念願しているわけでございます。
なお、
政党本位、
選挙運動の主体が
政党であり、元来
議員の
選挙は国政運営の中心となる
国民代表者を選ぶ手段でございますから、将来はこれに要する費用は
国家が
負担するということを考えるべきではないか。現に西ドイツで連邦
議会の
政党の
選挙運動には国庫から助成されている。
わが国におきましても、今後
選挙運動の許容
範囲と国の財政力を考えまして、合法的な
選挙運動の費用を国が
負担するということにすることが望ましいのではないかと思うわけでございます。
それからもう一つ、この
比例代表制の採用は、ただいま申し上げました
ように
全国区に金がかからないというメリットがあるわけでございますが、金のかからないということはむしろ
比例代表制の付随的な効果である。この
制度の本来の趣旨は、代表の公正、少数代表の議席を確保できる、このことが
制度の基本的性格であろうと思うのでございます。
また、この
制度の導入によりまして、今日価値観の多様化した各
国民の利害を
参議院に反映し、そして政権担当の政府をつくる衆議院に対して批判と補正の機能を果たすことができるという
意味において、
参議院のあり方にふさわしい
選挙制度であろうと思うわけでございます。
次に、
改正案に伴って提起されている問題につきまして、さしあたって
憲法上の問題に限って考えてみますと、拘束
名簿式
比例代表制は
政党主体の
選挙制度である、
憲法の問題といたしまして基本的に
政党にこういった公的な役割りを与えることが
憲法上許されるかどうかという点でございますが、これは申し上げるまでもなく、現代の
議会政治の運営の主体は
政党である、
憲法もまた当然にその役割りを承認していると考えるわけでございまして、先ほども
公述人の方から引用されました
ように、
昭和四十五年六月の最高裁の判決におきましても、すでに
憲法には
政党についての規定はないけれども、
議会制
民主主義のたてまえからいって
政党の存在を当然予定していると判示しております。拘束
名簿式
比例代表制は
政党の
憲法上の役割りを当然前提とする
選挙制度でありまして、
憲法に明文の
政党規定がないからといって
憲法上この
制度が許されないと解することはできないと思います。
第二に、ただし
憲法上の解釈問題といたしまして、
憲法四十三条に、両議院は
選挙された
議員で
組織すると規定されておりますが、
政党投票で選ばれた
議員が
選挙された
議員と言えるかという疑問でございますが、しかし
政党に
投票すると申しましても、
選挙人はあらかじめ各党の
候補者名簿を点検した上で
投票するのでありますから、いわば
候補者の群と申しますか、に対して
投票するわけで、
当選人はいずれも
憲法による
選挙であることには変わりはないと考えます。仮に
政党への
投票が実質的には一種の間接
選挙に当たるという見方をしましても、
憲法四十三条はただ
選挙された
議員とあるだけでございまして、
憲法九十三条に定める
ような直接
選挙に限らず、間接
選挙をも認める趣旨と解するのがこれは通説でございます。そして、
選挙の内容なり方法は法律で定めるということになっているのでありますから、
政党に
投票することを決めても違憲となるものとは言えない。
それから次に、拘束
名簿式
比例代表制のもとでは
国民は
政党の
候補者名簿に登載されていなければ
立候補できない、また反面に
国民はその
名簿に登載されている
候補者以外の者に対しては
投票することができない、これが
国民の
基本的人権である
選挙権や被
選挙権を侵害することではないかという問題がございますが、まず
選挙権について考えてみますと、
選挙権は
基本的人権であるという見解は
憲法十五条の公務員を選定、罷免することは
国民の固有の権利であるということを根拠にしているわけでございますが、この十五条一項の規定は確かに
国民主権主義の原理のあらわれであり、その
意味でこの権利は
国民主権の原理と結びついて、各
国民の
基本的人権であると言っていいと思うのでございますが、問題はこの
選挙権を直ちに公務員選定、罷免の固有の権利と同じく見ていいかどうかという点でございます。
この十五条一項の
国民固有の権利と申しますのは、公務員、ここでは広く
国民代表というくらいの
意味でございますが、
国民代表者の地位の根拠は最終的には
国民の
意思にかかっているという
意味でございます。直ちに具体的に個々の
代表者が
国民によって選ばれるということを決めたものでもないということ。この権利はいわゆる表現の自由とか思想の自由の
ような自然的な
基本的人権と違って
制度上の
人権でございます。
それで、いかなる
範囲の
国民に
選挙人たる地位と
資格を与えるかということは、法律によって決められる性質のものでありますから、
憲法が
選挙権という文字を用いることなくして
選挙人の
資格という文字を用い、そして
選挙人の
資格は法律で定めると規定していることから申し上げましても、右の
ような
選挙権も法律的な性格を前提としたものと考えます。したがって、この
比例代表制によりまして
選挙人が
政党の
名簿登載者以外の者、つまり
無所属の
候補者には
投票することができないという
選挙権の制限を受けることになりましても、それを違憲と見るべきものでないと考えます。
被
選挙権につきましても同様、選ばれる権利を持つ者は一定の
資格を与えられたものでございます。その
資格は法律によって決めるというわけでございまして、したがって
比例代表制の採用が
憲法の
禁止するところでない以上は、それに伴って
名簿登載者以外の者は
立候補することができないということになりましても、それは
憲法に違反するものではございません。
そのほか結社の自由に違反するのではないか、あるいは
無所属主義ということが信条、
憲法十四条あるいは四十四条ただし書きに言う信条であって、
無所属の
立候補を認めないことが
憲法違反でないかという
意見もございますが、これはそう当たらない。仮にまた、
無所属が信条や
社会的身分になるといたしましても、被
選挙権は
制度上の
人権でございますから、合理的
理由があれば差別することは違憲とならないということ。今回の
比例代表制の採用によりまして
無所属の
立候補が認められないということになりましても、
選挙の公正確保という法律の趣旨の
目的にかなうわけでございますから、合理的差別として許されるというふうに考えます。
最後に、今回の拘束
名簿式
比例代表制が
憲法に違反するものとは言えない。しかし、違憲じゃないといたしましても、立法
政策として適当であるかという問題になりますと、少し
意見がございまして、問題は
憲法のもとで可能な、どの
ような
改革を
選択するかということであろうと思うのであります。
選挙制度の
改正は、
政党の
立場によって利害関係が異なる、また同一
政党の中でも
議員の一人一人にとって直接の利害関係が絡み合っているというところに
選挙制度の
改正のむずかしさがあると思うのでございます。
そういうふうに
選挙制度の
改正は各党の利害にかかわるだけに、
わが国の現実に即した実現可能なものでなければならないのではなかろうか。
改正の方向がただ原理的に正しいとか理論的にすっきりしているというだけでなしに、現在の
わが国の
政治状況のもとで実現可能なものであることが望ましいと思うのです。言いかえれば、
選挙制度は
議会政治の共通の土俵でございますから、一方原理的な正しさを求めながらも、他方比較的与野党の協調の得られやすい
ようなものでなければならないのではないか。そういう
意味で、立法
政策として今回の
改正案が、
無所属の
立候補は認めないが、実質的にいわゆる
無所属を可能ならしめるための配慮が加えられていることは妥当と思うのでございます。
また、今回の
改正案をめぐりまして、
政党本位の
選挙の
改革の方向に賛成しながらも、個人的要素を
排除しているのは妥当でないという
意見もある
ようでございます。私もこれまで
有権者が個人本位に
投票するという長い間の慣行から考えまして、いま少しく個人的
意思の介入を認める余地を残しておく方がよかったのではないかというふうに思うわけでございます。
要するに、
選挙制度は与野党の共通の土俵でございますから、与野党の歩み寄りの期待できる
ようなものが望ましいと思われるわけでございまして、
選挙制度の問題でもって与野党が激突するという
ようなことは
議会政治の危機をも招くおそれがございます。代表的
民主主義の基本ルールである
選挙制度の
改革につきましては、慎重に審議を重ねていただきまして、与野党の最大公約数の合意を見出せる
よう努力していただきたいと要望するわけでございます。
ひとまずこれで終わります。