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川原新次郎君 いろいろけさからの
質疑、やりとりをばお
伺いしまして、それに関連して
志布志湾の国家石油備蓄基地についてのこと等に関してでございますけれ
ども、前
鯨岡長官の時代からもこの問題につきましては再三いろいろな
機会をとらえまして強くいろいろなことを御
要請申し上げてまいりました。ところが、今回
原長官の代に至りましても、その前
長官の時代から言われたこととほとんど変わらない形で今日まで推移してきたようであります。少なくとも、先般県の代案が出ました。これが出る前までは一口に言うと出されている計画のままでは絶対だめだということは両
長官が同様に言われてきたことだと思うのです。それにこたえていろいろな
検討を県で加えて代案が作成をされて出されてきた。その時点でこれをば一口に言うと
同意して
検討されたいということになったと思いますが、この過程を
考えてみると、
国定公園を守らなければならないという、
環境庁の方々あるいは大臣を初めとして、その
立場をばいろいろな協議の場で厳しくあるいは強く
要請を受けながらも守ってこられた、貫いてきたということ等については非常な評価を申し上げたいと思います。
ところが、まずけさからいろいろ聞いたり、またとやかく世間で言われることを見ましても、石油基地というものがいかなるものであり、そしてそれをつくった功罪がどういうふうにあらわれてくるかということ等が実際の姿をよくとらえられていないというような感じがいたしますので、あえて私の所見を二、三申し上げて
質問に入りたいと思います。
まず、社会党の先生方が
鹿児島に昨今行かれた。そしてその後県庁に、きのうかおとといか知事との折衝あるいは
要請にお会いされているようです。その記事が
地元の各
新聞にこのとおり大々的に
報道されて、きのう送ってきました。それでこれを見ると、いろいろありますけれ
ども、この中に石油基地をつくることで
地元の人の
生活が豊かになると国は言ってきたがそんな例は全国どこにもない、こういうようなことがはっきり
指摘をばされているようであります。
それで、これに対して厳しくけんか、議論しようという気はないけれ
ども、実際を知ってもらう
意味におきましてあえて申し上げてみたいと思うわけなんですが、これははばかるようですけれ
ども、世界一の石油基地をば計画し
要請し、そして持っていってつくらしたのはこの私です、あの喜入基地を。それでその後でき上がって
運営に入ってもう十年を経過いたしております。
それで、それをつくる当初、あれを
考える時分に、まず
公害はないのか、いろいろな
環境破壊はないのか、自然破壊はどうなっていくかということ等について
自分なりのいろいろな
検討をいたしました。その過程では、
委員長の
地元でいろいろな
公害問題が盛んに発生しましたね。あの時点であのような
公害が起こってこないかということで先生方の
地元等も歩きました。なるほどこれはよろしくないという点も多々ございました。所得倍増計画に従って、企業がもうけさえすればいいという
考え方の中で、じゃんじゃんいけいけ、どんどんとやらした姿があの辺に点々と出てきたわけなんですね。
ところが、その後またほかのところも歩きました。これは横浜も石油基地あるいはまた石油製油所等がいろいろございますのであれらをば見ました。ところがあそこへ行ってみますと、これはまあいま恐らくは日本一の石油製油所だと思うけれ
ども、石油製油所というのは御承知のとおりに石油基地あたりとは
公害問題についてはこれはもうたいした違いがあるわけですね。あの日石の根岸の石油製油所は恐らく日本で一番大きいのじゃないかと私は思うけれ
ども、これは四十二年に私が行ったその前ですけれ
ども、現在の社会党の
委員長の飛鳥田さんが横浜
市長時代に先生が認可してつくらしている基地でございます。
それでもって、あのでき上がったものをとらえて、あれを持ってくる前のあの辺の
環境あるいはつくった後の
公害というもの等について、何ら支障がないということをあの当時のその下の役人の方々がPRするぐらいの状態であったと私は思っております。視察をしました。それでまた現実に数字もいろいろ
指摘をされました。ところが、さすがやっぱり私はその当時から思っていましたけれ
ども、社会党の
委員長をあの当時は成田さんがやっておられたわけだけれ
ども、この
市長さんは恐らく社会党の
委員長クラスの人だろうと私はその当時から思っていましたが、
地元ではそんな演説もしたことがあります。帰って、横浜を見ろと、
市長の飛鳥田さん、これはもう社会党の
委員長クラスの方だと私は思っている。その方が現実に日本一の石油製油所をつくらしてこれをば
運営に入っている。そして
公害の心配を起こしていない。こういうようなこと等もはっきり申し上げて、反対の方々との対決をしながらあれを進めていったわけでございますけれ
ども、あれをやってみて、
新聞にメリットがないとかいろいろなこと書いてあるようですけれ
ども、メリットは大いにあります。
これは
東京のど真ん中にあるいはまた全国の大きな都市にりっぱな企業をどんどん持っていったのと比較するとメリットはないかもわかりません。ところが、全国もう最下位に等しいような財政指数である
鹿児島県の中では、あれだけのものを持っていっただけでもこれは成功のうちで、それだからもうそれこそわらをもつかむ思いで何かを求めているのが
鹿児島県の現実なんです。
そういうふうな中で、あれを持っていって税収が大いにふえてきたというのでどういうような数字が出されてきたかというと、私の町もこれはもう全国の劣等の県でありながらその中でまた劣等の町でありました。ところがいまあれをなされてから、県の平均はこれは財政指数が〇・二三ですけれ
ども、あれをなしてから〇・八二というこれはもう県内では他に追随を許さない財政指数の市町村に変わっております。それと過疎も、ほとんど
鹿児島県に過疎でない町はなかったわけですから、ところがあれを実施しまして十年足らずで過疎から脱却をしまして、それで人口も大いにふえて過疎から脱却をいたしている。
そういうふうなこと等から見ましても、また雇用の面から見ましても、雇用がないないと言います。大企業が来たような雇用があるわけはありません。これは倉庫業だということで、持っていったところで百名ぐらいの雇用しかないと思っていなくてはならない。税収は入ってくるだろうということを私は公開の席で
説明をしながら持っていきましたけれ
ども、実際は四百五十名、これは完全に企業の中に入って、大きな企業の中に働いている者がそれだけおります。
ところが、それだけでなくて、その企業を取り巻くいろいろな関連の会社がございます。小さいものあるいは大きなものの出張所ですね、それがざっと四十社ぐらいあります。その中に
地元の雇用を含めて、ほとんどが
地元を使っているようですけれ
ども、これはざっと二百名使っております。四百四、五十名のほかにです。それと、周囲にやっぱり飲食の関係やあるいは日用品の関係、そういうような商店がどんどんふえて町化しております。田舎であったあの浜が町になっております。そういうようなこと等からしまして、さっき言ったとおり人口増、いわゆる過疎の村から外されたという
一つの例ができております。
それで、その当時非常に反対反対と言いよった、陣頭に立って騒ぎよった労働組合あるいは革新の方々、そういうような方々もおられて私もけんか腰で対決をした時期がありますけれ
ども、それが何にもございません。私が町長をするとき恐らく過半数の町会議員が反対で立ち向かっておったわけですけれ
ども、それができ上がってスタートする時点になったならば全員賛成という形に変わっております。これは間違っておったということか。
そのもっといい証拠に、いま現実に野党の国会議員なんです。いまおるのです。その人もこれは反対して騒いだ組だと私は思っておりますけれ
ども、ところがそれができ上がって
運営に入ってみると
公害はない。あるいは心配はない安全な職場であるということを裏書きする何物でもないと私は思うけれ
ども、その人の息子さんを基地にお願いしますということで入れていま働かしているこの現実は、これは何物も心配ないということを物語ると私は思っております。そういうようなこと等からしましてもデメリットあるいはまた心配がない。
もう
一つ景観の問題で、田舎で何にも人が立ち寄る、観光客が立ち寄るようなそんなところではございません。ところがあの基地ができてきましてから、あの基地では人数をチェックされているわけですけれ
ども、いま年間二万五千人が基地の視察に訪れております。もちろん石油業界の専門家があそこの中を知るために
勉強に来る人間とは別に、ただ観光客として
鹿児島から指宿温線都市、これの通過個所として通るのにあそこを見せなければならない、
一つの観光ルートの一環に織り込まなければならないというくらいに二万五千人があの中に入っているというような
状況です。
それから
考えてみると、志布志の
環境の問題、景観の問題等が盛んに出ましたけれ
ども、私はこれをやることで何も景観が壊されたとか
環境が壊されたということはないと思う。私の町にそういうふうに人口がふえてきた。その人たちが、裏の方は段々畑みたいな地域ですが、その地域で海の見える場所、日石基地がありそしてタンカーがたくさん横づけしている、世界じゅうにないいわゆる五十万トンのタンカーが横づけできるのはいま喜入しかないわけですが、それが横づけをしている、またほかの桟橋に船が並んでいる、それの見える場所がみんな住宅地として一番望んで値段が上がっていくということです。それから基地を嫌うというが、
環境が悪いものだったらみんな基地の近郊に家はできないはずですけれ
ども、これは
環境庁の方でもごらんになってもらいたいと思うけれ
ども、基地の周辺に新しい住宅がどんどんでき上がっていって、ベッドタウンもその辺に寄ってきているという現実を知ってもらいたい。
特に、海を見たい基地を見たい、そんなことからすると、いま志布志に返って申し上げますけれ
ども、私はあの地域に石油基地をつくってもこれはそう心配されるような——もちろんこれは
先ほど長官の話がありますとおりに、
国定公園からこれは外さない形において、これはもちろんそこへつくると権現山から見ようがどこから見ようが基地は見えるけれ
ども。ところが見えたにしましても大きくあそこの景観を崩すようなものではなかろうということ等に立ってこれは評価するに足るという話が出たろうと思うけれ
ども、何ら私はあれは心配するものではないと思うのです。
あそこにいまあれだけのりっぱな
国定公園を持っておっても年間だれがあの松林に通っていますかと言うのですよ。何にもあそこは生かされていないと思うのです。この辺の千葉あるいは湘南海岸の辺ならばこれは砂丘海岸だから夏は海水浴場でとてもいいかもわかりません。ところがあの海岸は海水浴は禁じられているところなんです。危険なんです。本当に石のごろごろある危いところですから、海水浴には子供は入れちゃならないと禁じられている場所なんです。そういうふうな場所で、松があって砂を丘から山へ登って眺める、これは結構かもしれませんけれ
ども、それだけで
地元住民というものは生きていけるものじゃない。
だからして、恵まれない住民が言うことは、特に
鹿児島は貧乏だが、その中であの大隅というところはそれの八割にも達しない所得がないところなんです。それで卒業生はほとんど出ていっていない、過疎化していっていくというこの現実の中で、あの青い海を眺めてそうして松のこずえを聞いておったら腹がふくれるものではない。またそのままとっておけば全国の観光客がどんどん来てそれこそ
国定公園だということであふれて
地元が潤うなら別として、いままで長い歴史の中でそれは何にもないわけです。権現山からの展望台が利用されないという話があったようですけれ
ども、それが証拠じゃないですか。
ところが、これが基地があそこにできてみなさい。逆にそこを通過していった——内之浦に御承知のロケット基地があるわけですけれ
ども、あそこには年間人が相当量来ております。ところがあれはちょうど通過個所なんですね。それを兼ねた
一つの観光コースとして、これは喜入の基地がコースになっているように、観光客を誘うりっぱなもう
一つの材料にもなっていくと思うのです。何も
公害の上でも
環境の上でも心配はないのだということをば私は信じておりまして、もう当初からこれは絶対にやらねばならないということであの
推進に自信をもって当たっている一員であります。
そこで、
質問を申し上げますけれ
ども、この自然
環境は守らなければならない、それはわかります。ところが、
環境を守るためにやたらに反対さえすればいいというようなものではないんです。やはりそこに住む地域の住民の福祉とのかかわりが存在するということを
考えなければならない。その
意味でこの保護をしていくということと公園を利用するということはこれは調和をさせなければならないと思うのです。
志布志湾の
国定公園は
先ほど申したとおり白砂青松ではあるけれ
ども、海水浴は禁止されておる現況では、実際問題として
考えると住民とのかかわりというものは十分に深いとは言えないわけなんです。だからしてあの辺の
生活は塗炭の苦しみをばいましているわけなんです。だからして守るべきは守って、使うべきは
自然保護を
考えながら必要限度に使うべきであると
考えるわけなんです。これは守るところは守らなければならない。しかし生かすものは地域住民のためにも
考えて生かしていかなければならないと思うのです。
そこで、
長官にお尋ねすることは、
環境の
保全と住民福祉のための利用のあり方について基本的
考え方をひとつお
伺いいたしたいと思います。