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戸叶武君 いや、別に感謝を受けるほどのありがたいものじゃありませんが、「良薬は口に苦し」と言うので、苦い方だけは幾らか
感じたようですが、私は肖向前君とは一九六〇年(昭和三十五年)、安保闘争の際における安保
条約改定阻止国民会議の十二団体のカンパニアの総団長として北京に訪ねた、彼が有名人でなかった時代からの知り合いですが、彼は大連に生まれ、
日本の文理科大学を出、台湾生まれの外交官謝南光君の下におって非常に正確に
日本の情報をキャッチしているのには私は驚いたのです。あのときも選挙に入る前の忙しい時代で、私が参議院で執行
委員でしたから、
中国に浅沼君のしりぬぐいと称して行ったのですが、浅沼君はしりなんかはぬぐう必要がないほどきれいな男でありました。彼は
中国の本当に苦境に入っていることに――
中国は二面作戦というのは絶対にやらないんです。孫子の兵法でも包囲せん滅戦というのはとらないのです。兵は凶器なりという
考え方で孫子は教えているのであります。そういう
意味において、兄弟党的ソ連が
中国を無視してアメリカと密約を結んで、そうして
中国をないがしろにしたという不信義な行為に対しては言うに言われない憤りを持っていたときであります。アメリカとも立場は違うが、本当に腹を割って話をしようといってダレスにも連絡し、ワルシャワにおいても長い間粘り強く話し合いを続けたのでありますが、すでに現実的にソ連以外に恐るるものはない。ソ連とアメリカが組めば、しかも密約を結んでおれば、それによってアメリカは安全であるとでも思ったのでしょうか、ダレスさんは応じなかったのです。そこに浅沼君に対しての切々とした周恩来氏の訴えがあり、素朴な大アジア主義的な夢を持っておった浅沼君としては、隣国
中国の窮地を打開するためには一身を捨てても自分はこれに対応しなければならないと決意した模様であります。
中国側は二面作戦を避けるという
意味において、恐らくは米ソ両帝国主義ということは避けてもらい、浅沼さんの思ったとおりの
考え方で
中国をこの窮地から活路を見出してくれというようなことに応じて、盟邦のために私はやったのだと確信しております。一言も彼はその後言いわけはしませんでした。河上さんにも、学生時代からの親友の私にも一言も弁解をしなかったけれ
ども、しなかったところに浅沼君の偉さがあり、そうして彼は体を張って、日中両国の結びをつくり上げるために一身を捨てていったのであります。
政治というのは官僚の
字句の
修正や解釈でなくて、体を張って
相手の国々の人々の苦悩を打開するために全力投球をするのがこれが本当の政治家の任務であります。政治家と官僚とは違う。官僚に多くのことは言えない。問題を官僚だけに任せないで、政治家が、いつでも飛び込んで話をしようとする構えを持って、少なくとも総理大臣が北京に行く前に、官房長官の
宮澤さんでもなんでも、行って本当に腹を割って話し合いをして、属僚の
字句解釈的な
修正のような小細工な外交でなく、腹を割ってお互いに今後の世界の平和共存の基礎をアジアから築き上げる共同
責任を持つために、われわれも過ちがあったが、
中国もいろいろな試行錯誤があったのを変えていこうという努力もしているし、それに呼応してわれわれも改めるべきものは改めるというぐらいの腹を割って話ができる政治家が自民党にはいないんでしょうか。いなければ貸してあげますよ。それぐらいな土性骨がなければ政治はやめた方がいいです。官僚に問題をなすりつけて、官僚はまた小細工をやって、いつまでそんなことがもつのです。
日本人というのは小細工はうまいが、西郷さんのように大きくたたけば大きくなるし、小さくたたけば小さくもなるというデリカシーも持ち、しかも
相手の心を酌み取ることのできる、地下三千尺の水の心を酌み取ることのできる民族だというならば、
日本は過ちを起こしてもそれによって改めることにやぶさかでないならば、
中国はもう一度私はほれ直してくれると思うんです。どうもあいつは冷たくておもしろくない人間だから今後つき合いはいいかげんにしていこうと言われるのと――やはり
日本人というものは率直であり簡明であり、そうしていつも明日を目指して明るさを求めているんだという新しい
認識を勝ち得るならば、
日本のためにも
中国のためにもなるじゃありませんか。やるならけんかでもいさかいでももっとはでに、陰湿な、じめじめしたことしの夏みたいな、夏が来たのか何やらわからないような、こういう天候が悪いから、天勾践をむなしゅうするのかもしれませんが、私はもう少し気のきいた政治家が自民党の中にもありそうなものだと思いますが、
櫻内さんどう思いますか。政治家と官僚の違いをどう思いますか。官僚が
責任を持つのじゃなくて、一国の総理大臣なり鈴木内閣の枢要の人たちが体を張ってこの難問題をできるだけ早く解決するだけの前向きの姿勢をとらないうちはだめですよ。こんなことは何の価値もありません。そのことはすでに
松前君も指摘しておりましたが、もっとさっぱりとした
日本人になりましょう。これじゃだれも、どうも
日本人というのは口先の言い訳だけうまくて、つき合ってみてもおもしろくないからよしなさいと、このごろはアメリカあたりまで「タイム」でそういうことを言って、自分のやったことは棚上げして、広島、長崎のことはそっちのけにして、
日本が悪いのは事実であったが、南京事件だけをこの機会に問題をそっちの方へそらそうというような気配すら
感じておりますが、何もかもしょい込みになったのじゃ
日本もたまったものじゃない。
一つ一つ明快に問題の解決をつけていくというだけの決断が政治の中にないときには、一国はそれによって滅びていくのです。魂が滅びていくんです。
人が行き倒れになったときに、行き倒れになったかどうか、息の根がとまったかどうかを見て、はらわたの腐ったところがら食いにいくのがインドのハゲタカです。ハゲタカのような
日本人にはなりたくない。やっぱりもっとライオンのような、トラのような野性が
日本人にはふさわしいのじゃないかと思いますが、ぶらぶら木にぶら下がって、人が息絶えるまで待っていて、はらわたが腐って食べごろだと思って、もう死んだというので骨だけ残して、むさぼっていくハゲタカのような
日本人にはなりたくない。
そういう
意味において、いままで私は非常に苦労人の集まっている鈴木内閣というものに期待を若干持っておりましたが、これではだれも期待が持てなくなったのじゃないでしょうか。こんなぶざまな状態で長期政権をやられた日にはたまったものじゃないという憤りが国民の中には満ち満ちてきております。私は一月おくれのお盆に田舎へ行って、昔ながらの生き残りの小学校の友達や何かと話してみたら、一般庶民の物の見方の方がはるかに明快です。何であんなことにこだわってこじらしているんだろう。役人には役人のそれなりの理屈はあります。理屈はあるけれ
ども、政治は生きているのです。寸刻を争うような時代に、もっとダイナミックな決断が私は政治の中に躍動しなければ、
日本の政治というものはもう夏だし腐り切ってしまいます。外科手術は間に合いません。どうぞお引き取りを願いますというような言い分きりしか言えなくなるじゃないですか、自民党みずから。社会党もその例に漏れてはおりませんが、お互いに
反省して外科手術をやって、
日本の議会政治をもう一度本物に立て直すというだけの勇気がなければ私は
日本はこのまま滅びていくと思うんです。鈴木内閣には任せ切れないという憤りが国民の中から暴発すると思います。暴発寸前のところまで来ております。私の予言は大体当たることで有名なんですから。私だけが憂えているのじゃない。国民のすべてが、――人はいいかもしれないが、慎重かもしれないが、これじゃうだつが上がらぬといって未来に対して期待を持っておりません。
そういう
意味において、
教科書問題は何だかんだという窮屈な問題よりも、今後の民族に、子孫に受け継がれる問題として好個のこれは
社会科学の中における、政治問題化した問題の中において、お互いのアジアにも世界にも
反省を促す点において、
日本の官僚みたいなばかなことをやるなといういい手本として私は今後試験材料になると思いますが、いい方の試験材料ならいいが、これは悪い方の試験材料になるのだから、なったやつが、人体実験と同じようだけれど、手術しても治らない手術ほどつらいものはないですよ。時はいま、いま思い切った
日本におけるところの道義が退廃してどうにもならなくなったときにこそ外科手術がなされなければならないときに、外科手術もしないで頓服を飲ませている医者、ぐうたら医者、これと同じようなわれ国手でござるというような政治家がいるとするならば唾棄すべきであります。
日本は救われません。その間にもっと早く手をくだせば何とかなったのに、どうぞ御臨終でございますという引導を渡されるより以外にないじゃないですか。よくもこれまででたらめな政治を政権欲しさに引き延ばしてきたものだ。後世から私は筆誅が加えられると思うのであります。
教科書問題は母親の問題であり、家庭の問題であり、青年の問題であり、未来に希望をつなぐ人々の問題であり、
国際間においても重要な問題です。これ以上の政治問題はないのです。悪い
意味において、政治問題化されているという事実
認識を欠いているから、のんべんだらりんこのようなばかなことを毎日毎日繰り返しているのですが、これで一国の総理大臣が勤まりますか、こんなぶざまな
態度で。鈴木総理大臣や苦労人のあなたのような人がい、
宮澤さんのような何をやってもそつのない人もいながら、一番大切なものを忘れた政治家ばかりがよくも集まったものだと嘆かざるを得ないのですが、自分に関する問題だから自分で嘆くというわけにはいかぬ。結局、だれがやってみてもどうにもならないところへ来てしまったというような見方の上に立って、いまのような
態度を依然として改めていくことをしないのですから、私はその辺をしかと、甘心してもらうだけでなく「良薬は口に苦し」、薬が効いたかどうかということをやっぱり試してみなければ、ヤブ医者ですから確認を持てませんけれ
ども、御返事をひとつお願いしたいと思います。