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戸叶武君 きょうは伸びたり縮んだり、結局は五十分の
質問ということになっております。きょうの午後には
日ソ関係のミーティングに出て、外交、防衛の問題に対して一言だけ
ソ連側にも言いたいと思いまして、改めてそれは文書にして政府にも
質問したいと思います。
すでに
松前さんが先ほど
質問の中に率直に述べましたとおり、この
日ソ並びに日米
関係というのはきわめて微妙な三角
関係みたいなものになって、まともな人には表づらから見たのでは見られない不可思議な現象を呈している。領土問題においてもしかり、それから国際連合とヤルタ
体制との矛盾の問題。そういうものが戦後約三十七年たちまして外交文書等において問題点がだんだん
アメリカにおいても正確に出てきておりまするが、私は一番心配なのは、大体ヤルタ秘密協定というものが日米間において平和
条約が
締結された折に、
ソ連を排除して全面平和
条約でなく、とりあえず
日本を占領している
アメリカとの
関係において、
日本が占領政策から脱却できる独立への方向づけとして必要であるという形において、平和
条約がサンフランシスコにおいて結ばれたのですが、あのときにも吉田さんは委任の全権としてサンフランシスコ平和
条約を
締結するために署名しておりますが、あのときの行政協定の問題に対してはやはり吉田さんの一個の見識を持って、長い間における外交の独立というものはその国の独立を意味することであって、そういう軍事的な協定と思われるようなものに対していろいろな諸般の事情から
日本は
アメリカの占領政策から解放される独立への第一歩として踏まなければならないのではないかということを考えながらも、やっぱり吉田見識において自分ひとり単独で
アメリカの兵隊屋敷に行ってこの問題を調印しているものであります。
この事実を見ても、後で吉田さんも大分いろいろな形においてダレス圧力のもとに体勢が崩れてきておりまするが、ちょうどフェビアンソサエティーのメンバーであった正金のロンドン支店長をやった加納さんが、吉田さんとは親戚でもあるが教養と見識において吉田さんよりは私は上だと見ておりました人で、吉田さんには非常に天才的なひらめきがあるが、基礎的な学問体系というものがなかったところに吉田さんの失敗と、並びに現実政治家としての取り巻きに支配されなければならない、吉田政権を持続することによって自分たちの存在が明らかになると思うような
人たち——後年は大分変わっておりますが、自由党の総裁になった緒方さんなんかも、憲政常道論の上に立った政権交代が必要であるという一貫した理論に対して吉田側近から反撃を加えた一人であり、後では変わった模様でありまするが、このように
日本の政治家というものは外国でもそういう風向きがありますが、政権をとると取り巻きに誤られて高い見識を失う場合が往々にしてあるのであります。
そういう問題は別にして、防衛大学校の学長になられた猪木さんは多元的
国家論をも理解し、実証主義的な政治学者としては私は一流な人だと思っております。
アメリカで出たデータを基礎としてダレスに屈服した過程における吉田さんのやはり言行不一致な点、変化の点、そういった点を実証的にやはり後で憲法理論の展開の過程において示しておりますが、これに対して、何だ猪木は敵か味方かわからないというような改憲論者から議論も出て、猪木さんは特殊な雑誌から、きのうまでは彼らの味方と思った者がきょうは敵であると言わんばかりに袋だたきになったことを私は覚えておりますが、いかに政治の上における実証主義的な政治学というものが、科学としての政治学の確立というものが骨であるかということはこの猪木さんの例を見ても明らかなことであります。
現在、憲法改正の問題に対して、これはきわめて重要なものであって、自民党の中においては党の綱領にまで入れておって、それを直ちにいろいろな動きのとれないような議論を発しておって、いざというときには憲法改正は党議によって決定したものだという開き直りをしておりまするけれども、自民党の中においてならばそれが通用するかもしれませんが、今日国連を母体としてあの再び戦争はしまいという誓いのもとにできた
日本憲法の九条、国連憲章の精神を精神とし、平和維持機構の国連をつくったあの当時の全世界の人々の支持のもとに
日本憲法というものはできているんで、マッカーサー憲法じゃありません。マッカーサーはそれを伝達した
程度にすぎないのであって、いま私は
日本の憲法を、
解釈にはいろいろあるにしても、
国家基本法としての憲法を崩すことは明らかに、国連をして国連の機能を果たさせないようにするための外堀を埋めるようなものであって、ヤルタ
体制における戦時中の軍事謀略協定、それを生かして、米、英、ソのあの軍部が必要とした戦時中における謀略協定、それを守って、うるさい国連から今日脱出してわれわれだけの核の問題を中心としてもっと問題を煮詰めていこうというような甘い考え方、これは
ソ連だけを
日本の右翼は攻撃しておりますが、これは明らかに
アメリカの特使としてルーズベルトの補佐役でもあったエレノア夫人の乱れの中から、とにかく戦争はもうこりごりだ、やめだという形において無惨にもウッドロー・ウィルソンのように共和党にとどめを刺されない前に、やはり
一つのどういう形においても戦争を終結に導かなけりゃならぬというエレノアさんのルーズベルトの最後を飾りたいという一念と健康ということを非常に気にして、しまいにはやはり、いろいろな資料を私はいままで集めておりますが、エレノアさんのルーズベルトを思う念は強いことはわかるけれども、大切な問題を実はチャーチルにも相談しないで、そうしてあの軍事秘密協定の基本的な方向づけを決めてしまったときにはチャーチルも当惑したようであります。しかし、ぼろを外に出すことはできない。しかも、そういう先走った聡明な女性であったけれども、夫ルーズベルトの命は短いと見て、亡くなる前にせめてもこの平和への役割りを果たしたという、名誉ある死によって夫をかばいたいとも思ったのでしょうけれども、エレノアの出しゃばりに対して非常な不快感を持ったシカゴ・トリビューンのマコーミックがシカゴ・トリビューンを通じて、真珠湾攻撃も大統領がすべて承知の上であった、
日本側から真珠湾攻撃をしかけてくるならば、それに災害が多少出ても、そういうことがなければ戦争への道を踏み切ることができないという謀略が真珠湾攻撃の中にもひそんでおったということを秘密記録は暴露しております。それは事実です、いまになってみては。
真珠湾攻撃のことだけを
アメリカは攻撃して、パールハーバーを忘れるなということにおいて問題をすりかえておりまするけれども、
日本が
海軍は反対で、
山本五十六さんもあるいはあの当時における大将であったお方も聡明な
人たちはほとんど全部戦争をやったら
日本は敗ける、しかし憲法によって、天皇の詔勅によって出されたときにはどうにもならないという、伊藤博文のつくった明治憲法の天皇の軍隊であり、宣戦布告は天皇がし得る、また軍備の削減は勝手に国会でもできない。そういう形において進むことも退くこともできなかった明治憲法、ドイツのプロシア憲法よりも、ビスマルク憲法といわれるものよりももっとひどい、神がかり的憲法によって、無条件降伏にまでいってもだれも
責任を持てないようなぶざまな無
責任体制の憲法をつくり上げ、天皇をして慟哭せしめて、人間天皇を宣言し、その上で国民に訴えて再び戦争はしないという誓いを立ててつくったのが、敗戦によってもたらされた
日本の平和憲法です。同じようなことを二度も三度も天皇に恥をかかせたり信義を偽るようなことをさせたならば、天皇というものは自分の意思を持たないで特殊な戦争推進者によって勝手に引きずり回される存在になってしまうのであって、象徴天皇としての象徴の文字は、やはり禅の
山本玄峰氏が苦労に苦労をかけて憲法草案のできかけたときに、民族統合の象徴として天皇制を否定しながらつくり上げた苦心の作であります。聖徳太子の憲法十七条の十条の中に組まれているところの維摩経から暗示を受けているような近代憲法に相通ずるようなりっぱな憲法であります。天皇は民族の象徴であると言いながら、天皇をそこへ封じ込んでおきながら、再び天皇をして無
責任な——最終的には恥をしのんで、面目をしのんで、民族のために自分の命をもささげて裁かれてもよろしいという気持ちで敗戦によってやっともたらされたいまの民主憲法というものをつくり上げることに同意したのが天皇の存在であり、天皇自身というものは、その後私はずっと天皇とおつき合いを明治天皇のお孫さんの時代から、御用邸の時代から知っておりまするけれども、行き過ぎのないように、民族の統合の象徴として政治的な過ちを犯さないように、あれほど謙虚に
行動している人は私はないと思うんです。
しかし、われわれは天皇制は否定である。民族統合の象徴としての天皇というものの存在がどういうふうに定着するかは歴史の流れの中において定むべきであって、再び天皇をして慟哭せしめるようなひどい無
責任な目に遭わせるようなことをして、国会の周囲に、天皇をしてあれだけの無
責任な敗戦外交になっても何らの
責任をとらない軍部官僚の手によって伊藤の銅像だけが
保護されているようなばかげたことは、
日本にいかに官僚軍閥の亡霊が主権者としての国民を乗り越えて、
日本の幽霊は足のない幽霊であるということが昔から西洋の幽霊と違う特徴であるが、ちゃんと足まで立てて伊藤博文の銅像が立っているということは、明らかに官僚軍閥、いつの日か自分たちが伊藤博文がつくったような憲法を復活さしてみせるという執念が宿っているからだと思います。私が恐ろしいのはこの執念です。
日本だけでなく世界のために新しい道を開こうというだけの謙虚さを持って、東西南北の人々の苦悩を代表して、
日本は国連憲章を舞台として生まれたモデル的な
国家であるから、これを守り抜くというだけの信念がないのか、この点が非常に私は疑問とされるところであります。
私は天皇誕生日の日に、鈴木さんは非常な苦悩を経たと思いますが、私は答弁は必要ないという
質問をやったときに、総理大臣として私が内閣の首班である限りにおいては憲法は改正しませんということを断言しました。憲法を改正しないというのは、憲法の中に流れている魂を変更しないということを意味することであって、憲法改正への外堀を埋めさせて平気でいるようなごまかしであっては、憲法改正というものはしませんということには通じないのであります。大阪城における外堀を埋められてしまって、あのざまは何ですか。
いま、全国区の議員をどうやったらふやせるかというので、自民党と社会党とが話し合って、そして国の最高機関としての国会で多数決において決定するならば、憲法を改正しなくても最高機関としての国民の意思を代表する国会の多数決によって、憲法改正をしなくても事実上の憲法違反行為でないということを証明できるというような、哲学のないへ理屈はだれが考えたんですか。人民一人一人の直接独立した自由の精神というものを基調として近代憲法は生まれておるのであって、国の最高機関が国民の意思を形式的に代表すると称して、多数決によって決めれば、それによって憲法改正しなくても同様の成果を上げることができるというようなへ理屈は、政治哲学を無視した属僚的な見解であって、それこそ禍乱のもとはここから生まれるのであります。
社会党自身からいっても、特殊な人々が、われわれから言えば浅薄な考え方をもって、党のためを思い将来を思ってやったのかもしれないが、そういうことは取り返しのつかないことでありまして、逆手にそれがとられたときには、社会党がそういう慣例をつくったがゆえにということによって、国の基本法としての憲法は国会の多数決主義によって、憲法改正の手続を経なくともやれるようなでたらめな慣習をつくって、果たしてこの憲法というものが守り抜けるかどうか。こういう形式的な哲学のない取り引き、従属的と言っては失礼だが、実際的に党を思い、または党の行き悩みを考えての
一つの試みかとも思えますが、憲法を守るのは野党の社会党だけの意思によって決定するものでありません。一人一人の人民の意思を結集し、批判し、憲法改正に必要な手続をとるのでなくて、このような便法において悪慣例をつくるということは、自民党たりと社会党たりとも、後世においてかくのごとくして
日本の議会政治は形骸と化して、精神は滅びたという記録が記せられるときに、自民党の総理大臣でも国
会議員でももって可とすることができるか。これは、私は重要なことだと思います。
簡単に社会党でも
委員長周辺の人なんかは考えておられるようでありますが、
委員長は何も独裁政治家ではないのであります。謙虚に人民の意思を代表し、徒党の掛け引きの上に立って一党を支配するというような
やり方でなく、思いつきの発想によって
行動するのでなく、われわれは領土問題に関しても、自民党の思いつき的な
北方領土の問題でなく、社会党たりと自民党たりとを問わず、戦争中に他国の主権を無視し、その領土を自分のところでは何らの被害を受けずして、
ソ連に与えてやったというルーズベルト
周辺におけるところのエレノアさんもその張本人の一人であるが、こういう形の平和
条約の前提というものは、原則的に国際法の理念の中にも明らかなように、他国の主権を無視して戦争に勝ったから負けたからといってこれを取ったり奪ったりできるものではないというのが、第一次世界大戦以後のベルサイユ
体制下においての、原則的において確立した国際法の理念じゃありませんか。それをみずから
目的のためには手段を選ばずという形において——迷いに迷っていろいろな予言者を集めたり、あるいは
ソ連を納得させるにはどういうことだというふうな苦悩を経たでありましょうが、そういう形において出たヤルタ
体制そのものを、あたかもダレスに押しつけられて黙認していかざるを得なかった吉田
体制、いままでの
外務省の物の考え方、
日本政府の受けとめ方、そんなことによってどうやって
日本は独立の外交ができるのか。社会党においてもそうである。
ソ連の言うなりになって第五列的な役割りを果たすとしか思えないような領土問題に対しても、敗戦にかかわらずあのヤルタ
体制ができる一九四五年二月十一日、あの
時点における
日本の領土はいずれにしても返還するのが原則ではありませんか。米英ソの軍事謀略協定によって、秘密協定によって他国の主権を無視し、他国の領土をつまんで相手に与えるというような卑劣な
行動によって行われたヤルタ秘密協定は、
ソ連だけの問題ではない。そのたくらみの中心は、ルーズベルト
周辺のエレノアさんや何かを中心としての迷いに迷い抜いた
一つの
やり方であって、この点はやがて資料が明らかにされるに従って、ああいうものはやはり清算さるべきが本当であって、
アメリカ、イギリス、
ソ連の軍部の軍事謀略的な要請を受けての勝てる国々の脱落行為、こういうものは戦争中にはかつてはよくあったことであるし、ウイーン
会議において神聖ローマ帝国を代表し帝政ロシアやドイツ、オーストリアの王室を手玉にとって、そうして謀略的なナポレオン封鎖のためのウィーン
会議を開いたメッテルニッヒはキッシンジャーの尊敬する人物であるが、メッテルニッヒがいかに謀略をやってもオーストリアは滅びていったではありませんか。帝政ロシアも滅びていったではありませんか。カイザーといえども滅びていったじゃありませんか。
この幾多の歴史の流れを見るならば、マキャベリの哲学を理解しないでメッテルニッヒ的な権謀術策をよしとした謀略外交が成功したためしなしでしょう。ばかなこともいいかげんにしてもらいたい。私はいま、本当に
日本だけの戦争を食いとめ、安全を図ろうというような安泰な気持ちで物を考えているのじゃない。
日本以上にもっとさいなまれたナチスには虐殺され、
ソビエト・ロシアに頼っても、スターリンは強制労働をあえてポーランド人に要請して、奴隷、使役等によってこれをひどい目に遭わせた。このヤルタ協定によって、ナポレオンにおいて国民革命の余波を受けて独立を敢行していったポーランドが、逆にメッテルニッヒの権謀術策によって罪なきポーランドがなぜ民族として最悪の被害を受けなけりゃならないのか。私はミッテランが来ての大演説の中にもほの見えたのでありますが、ポーランドの悲劇というものをわれわれが見過ごして、ヤルタ協定の清算を帝政ロシアの大国主義を踏襲するとしか思えないこのいままでの
ソ連の海に出るもがきのための
一つの権謀術策なりそういうものは、やはりみずから自主的に解消するというだけの謙虚な反省なしに
ソ連も
アメリカの言うことも世界は腹の中では聞いてない。力がないから、無理して戦争をやってまでひどい目に遭うのよりは、じっと時が来るまで待とうと言うが、いまの核戦争反対、事実がわかってくるに従って
アメリカのど真ん中のフィラデルフィアやボストンにおいても、最も
アメリカの健全な精神を代表するところにおいてもそれが燃え上がってきた、内から燃え上がってきた。
あした副大統領が来られるそうですが、経済摩擦の問題だけではないと思います。
ソ連が、ブレジネフの命短しと言われているかもしれないが、生きている間にみずからの
責任においてヤルタ協定を清算しなけりゃならない。
ソ連は
アメリカとの競争を避けるために、力の均衡によって、その均衡維持によって不安定ながらも平和を維持しようと考えたのも事実でありましょう。しかし、均衡ということはなかなかむずかしいことであって、均衡というのは主観的な見方の均衡が多いのであります。
アメリカと
ソ連は正面衝突はしない。しかしながら、核の競争はせざるを得ないというのは、優位に立って後は城下の誓いをさせようという方向にきているのが今日でありましょう。しかし、こんなことをやっていたら、本当に
アメリカと
ソ連とはお互いにぶつかり合ってしまえば最後だからお互いの正面衝突はしまい、そのかわり近所迷惑は考えないで核の分散をやって、ぎりぎりのところまでいって相手をやっつけよう、気違いに刃物というのはこれです。本当にこんな不安定な中に世界が揺すぶられて、
アメリカと
ソ連のために明日がはかり知れないというような目にいつまでも世界ががまんしていると思ったら大間違いです。
私はこの運動は
アメリカからも本当の悲惨さを広島、長崎において見た。宇宙航空士が地球を離れて地球を見たとき緑の楕円形の地球を見ることができたということは非常な喜びかもしれないが、広島、長崎以上の原爆戦が行われたときに、
アメリカや
ソ連だけにそれが及ばないということはあり得ない。両方ともわかってきているようである。地球が客観的に見て緑の楕円形と思ったものが広島、長崎の何百倍というような破壊力を持って瓦れきの原爆投下された後の広島や長崎のような目に遭ったら、世界の人々は皆ほかの世界に生き延びようとするつもりかどうか。そんな哲学のないその場限りのような物の考え方では際限なく人類は破滅への道を行くだけであり、どんな危険を冒してもこれをぶち切ろうという考え方が今度のサミットの会においては盛り上がるかもしれない。
ソ連、
アメリカが簡単に応じるとは思えない限りにおいては、
ソ連と
アメリカの核兵器によってコントロールされ、戦力が弱ったからといって連合国の最も被害の大きかったフランスと中国が
除外されたが、これがためにフランスなり中国は犠牲を払って核開発をやったのです。
ソ連や
アメリカと組んでの打算による
一つの核の恫喝による世界支配には屈しられないという悲願がその中には込められております。
言葉は外交辞令できれいな言葉を述べておりますが、私はこの来るべき世界サミットの会は非常な世界の平和を維持するための質的転換のときが来たんだと思いまして、いままで外務大臣にも言いましたが、言っても答えを求めてはいけないと思うが、このごろの様子だとどうも何が何やらさっぱりわからない。本当に関東は昔は開拓地であって、夜ばいが発達して筑波でも何でも夜ばいの都とされましたが、あんまの夜ばいよりもひどいようなもので、どこが味方でどこが敵で、どこが愛国者で、どこが何だか、みんな疝気筋ばかりを気にしておって本当のことをだれも言えない。議会があって議会なきに等しく、総理大臣あって本当のことをうっかり言ったら揺すぶられてつぶされてしまう。私は、いまのエール大学の鴨教授、いま
アメリカに呼ばれておりますが、国際法の博士をとる前に来て、
日本の派閥に対して実証的な研究をしたいというので三十幾人の国
会議員を訪ねて
一つ一つアンケートをもらったが納得ができないというので、彼は実証主義的な政治学の立場から、それを細かく分析して調べました。
私は、君は派閥次元の政治というものを過重評価しているけれども、あれは政党以前の原始的形態であって、
一つの政治
責任を持たない三好、松永の殿、少なくとも細川、山名の時代までは足利幕府の
一つのコントロールのもとに一応とにかく問題が処理されておったが、だんだん三好、松永というような徒党が天下を乱してしまって収拾がつかないところに武家政治の崩壊というか、公家政治と同じような建武中興というようなものの崩壊が導かれたので、いま政界再編成の方向づけが行われるときであって、いい悪いは別問題として、政治
責任を持たない派閥次元の徒党によって天下の政治が支配されるような変則的な政治というものは長く続くものではないという形で、やはり長期政権というものは必ず腐敗を生む。
緒方竹虎氏のようなまじめな議会政治信奉者も吉田さんにかかっちゃ手に負えなかった。吉田も当初は和田博雄なんかを追っかけ、社会党を強化しなければやはり議会政治というのはできないのだと本当に考えた時期もあった。しかし、政権をとると、官僚は政権を長期にわたって壟断していると権力を利用していろいろなうまいことがやれるという卑しい品性に周りの者が崩れてしまって、そうしてウォルポールがイギリスにおいて内閣制度を創立した相当な人物でありますが、二十年の長期政権の中に勲章をもらいたいというやつには勲章をやる。勲一等が欲しいというやつには勲一等をやるというようなぐあいの、勲章、名誉、利権、賄賂、そういうもので、人間の弱点でもって操る方が楽だというふうにウォルポールは考えて手もつけられないような二十年政権の腐敗を生んだのです。いずれにしても金でクルクルパーにするのが一番手っ取り早いということを考えてしまった結果、収拾つかなくなったときに、ピットは不可能を可能ならしめ、徹底的に世論に訴え、言論に訴え、気違い扱いにされたけれどもウォルポールの腐敗政権をぶっ倒してしまった。この献身的な、人民の声を代表して、内閣制度の中に安座して長期政権をむさぼった政権はピットの死力を尽くしての捨て身の闘い、言論の闘いの中に埋没してしまった。
日本にはこずるいやつばかりがいて、このピットが持っているような気力がない。だから、相当な財力なんかを持つやつも、うっかり変な金を使ってつまづくよりも、くそ度胸があって金を使える人が、国のためならという名目のもとに必要な金をつくってくれるところに集まっていった方が、早く大臣にもなれるし政権もとれるんじゃないか、ばかな考えというものは三好、松永の徒である。
そこで、ピットは宰相で偉かったけれども、子供のピットは二十四ぐらいで宰相になったのは、ナポレオンが大陸封鎖をやったということはナポレオンの失敗だけれども、これに抗して屈しないだけのイギリスの人民の力によって祖国を守ろうとする悲願が、ピットの根性がやはりしみ通っておったからこそイギリスの独立はかち得たのであります。いまのようなざまでだれかがつまづき、だれかが死ぬようなときには、金や名誉や悪いことをやっても自分はひっかからないで、ほかの人が犠牲になってくれるくそ度胸のある人がやっぱり国のためには必要だと思っているような考え方のもとに政治力学が構成されると思っても、歴史の現実の怒りというものは、さようなことであっては歴史の流れを食いとめることはできないんです。こわいです。便宜主義的な内閣温存策を講じても、前向きの姿勢で人民に対して、人民に対してやはり
一つの憂いを憂いとして食いとめて、議会政治にもいろんな欠陥がありますけれども、政権交代ということを無視しない、長期政権は弊害があるというウォルポールの実例を見ながらやはり政権交代の可能なような状態、可能じゃなくても人民がさせてみせる、その怒りに燃えたときに、もって進退は、ただ単に私はいまの鈴木内閣だけの進退じゃないと思う。
そういう意味において、きょうはほかの
質問をじみにやりたいと思いましたが、いま一番心配なのは、依然として遠慮した外交辞令で物を言っているけれども、ミッテランの演説を聞いて私は百二十点と思った。高い理想を掲げながらも現実を忘れない、また祖国の利害、打算ということも軽視できない、しかしながらそれだけに拘束されないで、世界が変わればそれに対処するだけのものを持たなくちゃならないという、あの流れの中におけるダイナミックなこの瞬間を逸してはいけないというだけの決意があの中にはひらめいておったと思います。私はそういう意味において、とにかく戦争反対をやりながらも、韓国に恫喝されるならば、韓国が
日本の防衛を守ってくれるその代償として韓国の借款はそのまま受け入れるべきであるというような議論をやっても平気な一貫性のない政治哲学——哲学じゃない。こういう形において野党も与党もよろめいている限りにおいてはだめだと思います。
で、私は実際、きょうは一番心配なのは、
植物新
品種保護の
条約の問題でしたが、それはいま
松前さんも全部触れてきましたからあれですけれども、この問題でもっと当局あたりはしっかり外務大臣にぶち込んで、ただ単に
保護するという名目でなくて、発明や発見の篤農家ほど本当のことを秘密にしている人はないんです。この
人たちが安心して世界に奉仕できるような、安心してそれを全体的な人類に奉仕できるような奨励、こういうようなものにこそ金の裏づけをすべきであって、勲章や表彰で、
保護するという名目で変な後ろ向きの
保護をされては困ると思うんです。それをやっぱりもう少し、農林省の熱心、
外務省の熱心もよく知っておりますが、当局あたりはもっと先取りをして、いかなる場合においてもわれわれが生き残ることができるというだけのやはり先取りの具体的な問題を、私はこういう篤農家や発明家から、その
人たちをして感激して協力できるような奨励金なり資金、研究継続の保障なりをしていくような形で、よろいかぶとだけを着せられて名誉の名によって動きのとれないような後ろ向きの
保護政策、表彰政策には御免だから、もう少し世界に貢献し得るような特許の新しい科学
技術、躍動を私は促進させるための意見を、外務大臣は苦労人でよく心得ているからやってもらいたい。いままでのようなどんぶり勘定で、百姓をおだてて名誉さえ与えれば、勲章ぐらいやれば、表彰すればというような形の後ろ向きの農政というものはもうよしてもらいたい。
そういうわけで私は、もうこの二、三日を見て、とにかくこれは政治というものは力なりと思うかしらないけれども、一人のピットが欲しいですよ。一人でも信念を持って、世界にこの人のある限りは議会政治は守れるというような、ミッテランでも尾崎行雄以外にだれも引用しないじゃないですか。明治憲法の中にあっても、天皇の玉座の中から人民に攻撃を加えるようなやつらは許さないというだけの熱烈たる国会の中に闘いの記録を残しているじゃないですか。あれが政治家です。あれが本物です。うろちょろしないことです。人民をだますことを考えないで、人民とともに苦悩し、模索し、そしてタイミングを逸せずに私は世界の人々の心をかち取ることが必要だと思うので、あえて私は、どうも危なくなって信用しないというのは悪いけれども、信用していいのか悪いのか。やっぱり
余り議会政治の経験を持ち過ぎちゃったから、議運族の人にもりっぱな人もあるし、国会対策の人にもあるけれども——別に御返事も答弁も必要としません。
しかし、
一つだけ言いたいのは、民の憤りはとんでもないときに発するということだけはお忘れないように。人民をなめるなという言葉が人民の中から出ていることは否めない事実であるということ。やっぱり、民衆とともに苦悩し、経験した
人たちの心得なければならないものだと思うんで、あえて私心配で夜も眠れないから、きょうだけは小さな問題で大きな問題の
品種の
改良の問題、この問題に限って、実際は
ソ連でいままでやってきたうそのことも
ソ連の参事官に私は暴露して、改めてソチの
植物園における経験で、日露戦争の後に恐らくは愛媛県から持っていった果樹——私はこのために死のうと思っているんですから、死に場所を探しているんですから真剣勝負で対決しますよ、人民の名によって。政府に干渉はしません、外交権は政府にある。しかし、恥を万代にまで残していかないように、政治家としては心して
一つの議会政治を守ってもらいたい。哲学のないインチキ憲法は滅びる。そういう意味において、残念ながら議会政治を守るより仕方がありませんから、そのことだけはあえて通告し、私は外交権に対しては内閣において
責任を持つものですから関与しません。しかし、ごまかしにはわれわれは応じないということだけを——自民党の中でも志士仁人は生まれる——議会政治を否定するなら別だけれども、否定しないでごまかしていこうというようなもってのほかの措置に対しては、議会政治を守るためには命を賭して闘うことをあえて宣言しておきます。
以上、終わり。