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戸叶武君 いま外務大臣がお答えになった中でやはり
国連中心主義であるということを堅持するところに
日本の
外交の
基本路線というものは確立していると思います。しかしいま、憲法改正の問題には私はまだ触れる時期ではないと思いますが、戦争が終わったときに
世界じゅうが、挙げて再び戦争をやるべきでないという
国連憲章の宣言に基づいて
国連は平和維持機構として誕生したのであります。厳然たる平和維持機構としての
国連が存在するにもかかわらず、未
発展の国々においてあれもしてくれ、これもしてくれという形じゃとても応接ができないという
アメリカの心理が
先進国会議で受けとめられたり、あるいはソ連と真っ正面衝突を避けてはいけないという形のダレスさんの反共的な
考えと、もう
一つはソ連と
アメリカとが対立したならば
世界の破滅に導かれる、その辺にダレス
外交の
基本線というものは一面において理想を掲げ、一面において米ソの中における秘密条約を通じて妥協を行い、他の国の迷惑は
考えないというやり方では、私は今後における
世界新秩序の
基本原則はヤルタ体制の清算なしには確立しないと思うんです。その時期が来た、理想と現実とは違う、そのとおりであります。
外交権は内閣にあります。また内閣としては、主権者は人民であり国会が最高の機関である。しかし、自民党だけで多数をおごって押し切るということも困難であるから、まず外堀を埋めて、そして野党
関係における、幾人ふえるか、これはとらぬタヌキの皮算用でわかりませんけれ
ども、二、三名はそういう形において社会党あたりもふえるんじゃないか、同調してくれというような形における全国区の他の野党を無視した憲法違反的な行動も、多数決で国会において議決すれば、それが人民につながる意思表示であり、最高機関における承認を得たのだから差し支えないというような
考え方を持ち込もうとするならば、今後この手を逆用すれば憲法改正なんかは赤子の手をねじるがごとく易々たるものになると思います。私は人民の権利というものは、人民個々人に与えられたものであり、国の最高機関というものは個人の自由なる意思、それを酌み取って万人をして言わしめよ、自由を与え、そうして屈託のない人民の意思表示の機関として国会を保たなければ、国会の権威というものは三百代言的な御用学者的な便宜主義の
考え方では今後はいかないと思うのであります。
日弁連が反対だとか、あるいは婦人有権者同盟が反対だとかというだけでなく、もっと私は国の
基本法に対する問題の解釈というものは慎重に慎重を重ねていかなければ、ただ単に政治上における取引みたいな古い形の議員族的な発想においてなされたならば、取り返しのつかないものが出るんじゃないかということを憂えている一人でありますが、どうもこの憂いも幾らか自民党の中ですらも、奇道は行くべきではないという正論が台頭してきつつあるのが事実だと私は思いますが、憲法問題には改めて触れまするけれ
ども、少なくとも
日本国憲法はマッカーサー憲法じゃないんです。やはり、
日本の憲法九条に示されているように、再び戦争はしまいという念願を込めての全
世界の批判を結集してできた、あの段階における
国連を母体として
国連のモデル的な憲法がつくられたのだと思うのでありまして、軽々率々に議員族的な発想において憲法改正が可能だなどと思う者は人民の鉄槌を食らって必ず滅びます。
変な憲法改正は命取りであります。短命で終わることをもって過渡的な政治の役割りは済ましたとほっとするつもりで、櫻内さんやあるいは総理大臣の鈴木さんは歴史の上において取り返しのできないような汚点を後に残しては、後になってから銅像なんか建てられても、どうぞお先にと言ってあの世にまで引っ張られて地獄へ行ってしまいます。どうぞそういう
意味において、この問題は私は一政党の駆け引きの道具でなくて、主権者は人民である。個々の人民が自由濶達に自分たちの運命を切り開くことのできる自由というものを高く評価しての憲法である。人間の命を大切にするがためにつくり上げて、未来がよかれという念願が込められている憲法であるというだけの、少なくとも人生哲学と
世界観を持たなければ私は憲法問題は論議する資格はないと思うんです。
〔
委員長退席、理事
鳩山威一郎君着席〕
いま、自民党では党の綱領か何かに入っているというのでうっかりこの問題も触れられないと思うが、
流れはいつも
流れているんです。停滞を許さないんです。私は自民党の中にも志士仁人はいると思います。これをやってしまっては
日本が何もかもなくなってしまって、ストリップにされて見せ物にされたんじゃ見物人も来なくなってしまう。この辺でやっぱり
日本人はなめられないような体制をつくらなければ、真の愛国の至情というものは盛り上がらないというだけの私は愛国者が輩出すると思うのです。どうぞそういう
意味において、もうこの問題は勝手な自民党内における派閥駆け引きの論議の段階を離れて、少なくとも憲法で規定された手続上において、国会を母体として鈴
木内閣というものは生まれたということを忘れないで、自民党のおかげで生まれたという形だけにとらわれないで、何が大切かということをじっくり
考えて、国家百年の計を誤らないようにするのが、いまの段階における総理大臣なり外務大臣の他に責任を転嫁することなき
一つの構えじゃないかと思うんですが、人のやることだから失敗もあるし成功もあるし、まあ見ておけという人もありますけれ
ども、見ているだけでは、祖国の音を立てて壊滅していく状態をわれわれは見ちゃいられない。さっき
中山さんが松前君とともに、なかなか高適な
宇宙時代の
科学技術を論ぜられましたが、
日本の領土問題でもずいぶん苦労したようだけれ
ども、二月七日の下田条約の結ばれた日が
日本の北方領土問題の原点だなんてうそです。ちっとも勉強してない、
日本の
外交史も。
準備がなく用意がないから黒船に襲われ、あのときにも
アメリカのハリス、下田条約あるいは神奈川条約、あるいは帝政ロシアの軍閥がぼっこわれ軍艦を持ってきて恫喝をやって、クリミアで敗戦するロマノフ王朝の崩壊を導いたあの冒険主義者が自分たちの帝国主義の手を足を伸ばそうとして、ついにロマノフ王朝を葬ってしまった。
日本においても井伊掃部頭が何の
準備もできてない幕府のうろたえを、醜態を見せないために屈服して下田条約を結んだのであって、量も
日本の
外交史の中において腰抜け
外交の見本が下田条約であります。そのことは、幕府の
外交に携わった人も後で取り返しのない悲劇として腹を切ったり、文久二年に竹内下野守あるいは松平石見守あたりが、あのとき
中国側から示された地図なり何なりはあれは間違いのもとだと言って訂正を申し入れて、グリニッジ天文台にまねしてつくられたペテルスブルグにおけるところの郊外につくられたイギリス製の地図を見て、はっきりそこでは樺太が、北緯五十度以南が
日本領になって記されている。万国が認めているようなことを偽って
日本に強要したような条約に対しては訂正を申し込まなけりゃならぬと言われたが、安藤老中が坂下門事変で傷ついて、井伊大老の後を追おうとするような国内における騒ぎで帰ってきた。
そういうもろもろの
外交史における帝政ロシアを取り巻く、ロマノフ王朝を取り囲むところの節度なき冒険主義者の横行に対して、
日本とロシアとの間は際限なき抗争が続く危険性がありと見たから、ウィッテ伯は軍部に追放されて野にあって、ポーツマス条約のときだけ、
世界的な視野を持って対処し得るようなものはあなた以外にないというので、あのポーツマス条約に行ったときに、在来の懸案をすべて一掃すべく、ポーツマス条約において、
日本と帝政ロシアの間においてわだかまっている問題を平和条約の名において
処理したのであります。それは
日本の
外交官は小村寿
太郎のことだけを高く評価しておりますけれ
ども、ロマノフ王朝がやがて崩壊していくであろうことを予見して、自分たちの苦心というものを後に残すのには、
フランスの銀行に回想録を保管してもらって、自分が死んでから後に、ウィッテはかくのごとき悲願を持って
外交に当たったのかということを知ってもらえばいいし、知らなくてもいいし、というだけの私は見識を持ってポーツマス条約に臨んだと思うのであります。保
それから見ると、佐久間象山の開国論者と攘夷党の吉田松陰とが、立場は違っても、ともに腐れ切ってしまった主体性を失った、奴隷への道を行くところの幕府に
外交を任せることはできぬということで一決して、イデオロギーを乗り越えて宗国の急を打開しようという決意を示したあの百八十度旋回から見ると、どうもいまの官僚なり
政府なり、なかなか学のある人もいるが大切なへそがない。タヌキも笑うであろう。タヌキは腹をたたけばポンポンと鳴るそうだけれ
ども、へそのないタヌキが腹だたいても腹立つばかりで、笑うこともできないし鳴くこともできないというタヌキばやしのこの
外交には私は愛想が尽きてくると思うんです。まあこの辺は今後において十分心得ておって、優秀な外務官僚や通産官僚や、あるいは防衛庁における官僚の中にもきわめて良心的な人があります。政治が、見識がなく経綸がなく、責任を持つという気魄がなく、これじゃゴキブリ退治はできません。そういう
意味において、今度は神風は吹いているんです。
日本よ、ここまで来たら、もうマージャン賭博に憂き身をやつしているような、ゴルフのがけに憂き身をやつしているような小ばくち打ちを退治して、もっと本物の
日本人に立ち返らなけりゃ
日本は救えないという声が、私は地下から総理大臣や外務大臣にはもうとうに届いていると思います。届いたか届かないかは郵便局じゃありませんから私は問いません。届いているが、それが耳にまでは入ったが腹の奥にまでは達しないかどうかはその人の見識によるものであります。
外交については、われわれは野党としていろんな進言はできるけれど、最終的にはやはり内閣が責任を持つべきであります。また野党も、自分の国のためにやっているのか、あるいはソ連の手先か
アメリカの手先かわからないようなところでうろちょろしておっては、
政府に向かって本物の
外交をやれというだけの進言の威力はないと思います。自分はどうだ、国に対して責任を持つのか。何が何やらわからないような、本当のことを言うと党が二つに三つにぶっ裂けちゃったら大変――党などのことではない。問題は国の将来の運命のことである。私はそういう
意味において、まず
外交権を握っている自民党の中の、酷かもしれないが苦労人の鈴木さんと櫻内さんから断固たる決意を、いまのチャンスを逃がしては、歴史の中における哲学は、
流れの中にタイミングを失っては何にもならないのです。火事が起きてから拍子木をたたいて、幾ら救急車を出したなんて言ったって何にもならないんです。そういう
意味において、政治の頂点に立つ者の苦労というものはわかり過ぎるほどわかるから余り責められないけれ
ども、櫻内さんでもあるいは鈴木さんでも、いまの機会に
日本にあれだけの見識を持った政治家がいたということになれば、銅像なんかつくっても次の時代には、ヒンデンブルクの銅像のように引っくり返されてしまう危険性があります。このごろは、革新陣営でも変な銅像なんかつくるのがはやるそうですが、最たることです。胸像ぐらいでがまんして、あとは献金した方がいい。そういう
意味において、そこいらに伊藤博文の銅像もうろちょろしているけれど、木の葉の中に隠せと言ったら木の葉の中に隠してはいるけれ
ども、ちょいちょいのぞいているようですが、あんなことは最も野蛮な陋劣な
一つの品性をそこに表現しているものであって、民主主義というものは人民の血においてから取ったものであります。私の恩師ハロルド・ラズキーは、デモクラシーというのは二言で言えばフリーディスカッションだ――自由にして濶達な意見が述べられて、人民の声が政治の中に正しく到達しないような政治は悪政です。悪政は必ず滅びます。そういう
意味において、私は
日本の議会政治を守らんとするならば、一党一派の利害打算に、権謀術策に陥ることなく自由濶達な政治論議をやって、そうして
日本人の
考え方というものを外国に率直に知らせることが
外交の最高の手段であって、情報化時代の役割りは
アメリカのようなCIAをつくったり、あるいは帝政ロシア以来伝統的なソ連のGPUや、スパイ政策みたいなものをやっても、最終的には自由を求める国民の声を抑えることはできなくなったのです。この二、三年過ぎてごらんなさい。ソ連であろうが
アメリカであろうが人民の声に、小さいか大きいかのそんな議論のときではない。もっと国民にわかるような明るい、未来に対して理想を描くことのできるような政治、
外交を求める声というものは
世界の新秩序の原動力になると思います。
理想論だ、現実論だなどということじゃない、俗論を廃して、やはり私はいまのときにこそ、
世界の運命をかけての戦いの中にわれわれ
日本の安全のためだけじゃなく、ポーランドのよう在武器なき抵抗者にも、ベトナムでもってだまされて殺された黒人の中にも、自分の安全だけあればいいと言ってまだ
発展途上国の人たちに武器を売りつけて、戦争をやたらにやるなどという残酷なことをやることは
外交でない。もう
世界はそういうものに応じなくなったということを、目に物を見せてやるのがいまの現実政策でなけりゃならないので、理想と現実が分断されるような下等動物的な発想においては
世界新秩序は確立されない。それならば、人間はミミズになってしまった方がいい、ミミズというのはところどころ切れてもすぐつながるから。そういう
意味において、現実政策の中にこそ理想的なものが貫かれ、子供たちに対して未来に対して、希望が持てるようなものが貫かれなければそれは現実政策とは言えない、俗悪な政策だと私は思います。
いまこの一週間ぐらいが大変なときです。ミッテランも来ます。
世界銀行の総裁までやったマクナマラも、
政府の要路に立った一人として、いろんな幅の広い人を集めて、ニクソン時代のジェラルド・スミス元軍備管理軍縮
局長官とか、マクジョージ・バンディ元国家安全保障担当
大統領特別補佐官とか、そういう人たちが出て、
アメリカの良識ある知識人、
政府の責任を持った経験のある人たちが見ちゃいられぬといって、ミッテランの来る前にちゃんと
アメリカからも
一つの声が上がっています。
日本の自民党の中からも、あるいはかって
政府に責任を持ったような人たちの中からも
世界の破滅を好む者などだれもいないんで、こんな危険な火遊びと思うような
世界の危機感をあおって、そこでヘゲモニーを握ろうなどというけちな、やくざでも
考えないようなけちくさい
考え方を捨てさせなければ地獄への道が開かれるだけです。これが現実の回答です。
時間が来たと言いますから、私はほかの人も呼んでいましたが、もうほかの人にじゃない。いまは鈴木さんとあなたがどういう政治家としての最終的な役割りを果たし得るかどうかというものを、
外交権を持つ内閣の責任者としてそれを見届けたいと思います。どうぞ、そういう
意味においていろんな知恵を吸収し、いろんな段階を経、あの場合この場合を
考え用意させ、それに対処して恥ずかしくないような
日本外交の躍動を、新しい創造をつくり上げてもらいたいと思うんで、ほかの人にというと問題が切れてしまいますから、すべての責任を総理大臣と外務大臣がとって、
日本人の魂の奪還、民族の悲願、それを全人類的な納得のいくような
外交路線をいまこそ設定してもらいたいということを質問というよりはお願いし、祈りながら私はあなたたちに迫ります。迫った以上は私たちはただごとじゃ済みませんよ。それで終わりといたします。