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戸叶武君 言いづらいことですが、アングロサクソンというのはわりあいにイエスかノーかはっきりしたことを言い切る、ときどき独善はありますが、おもしろい民族です。だからこそ、ジョンソン大統領のことなんかをキッシンジャーは褒めておりますが、ジョンソンさんは天皇にお目にかかるときも、自分はかつて
アメリカの代表としての大統領もやったのだ、その経験の上に立って
日本から学ぶべきものもあるけれども、
日本のやっていることを見ると心配でならない点もあるからというので、台湾の問題なんかも天皇にあえて
質問するという形で提言を行ったが、そのとき
外務省の通訳の非常に達者な人が前置きに、アングロサクソンは答えはイエスかノーしかないんだから、イエスかノー以外の答えは要らないというような前提条件を設けたようですが、天皇はいつも使っている「ああそう」という形で、謹んでお話は承っておきますと。
日本憲法においては政治に関与しないということを、
アメリカも当時この
日本憲法に国連からいろんな示唆を与えたときには押しつけたはずです。
日本は長い経験を持って、明治憲法の動きのとれない天皇の軍隊、あるいは軍事費の削減はできないというような考え方では、無条件降伏への元も子もなくなってしまうような敗北に追い込まれて、天皇自身が人間に返ると宣言して、涙を流して世界に向かって訴えたのがいまの憲法です。
伊藤博文などというのは、ドイツのカイザーやビスマルク——ビスマルクの方が少し気がきいているけれども、あれらにおだてられて、何にも知らないで薩長がプロシア的な
一つのドイツ連邦における役割りを果たすために押しつけたそれよりも絶対主義的な憲法であって、通用しない憲法であります。にもかかわらず、それをわかっているのかわかってないのか、昔の内務官僚は御用学者のそういう陳腐な、
日本を無条件降伏に導いた原点であるところの憲法に戻れというような単純な頭脳構造において、この憲法改正を叫んでいるけれども、私はあなたのような苦労人と憲法改正論で議論したらあとで困ると思ったから、
アジア調査会で要請されたときも私は逃げております。それは、政治の経験と世界の動きを見れば、あんなばかげたちょんまげ主義よりももっとひどい、陳腐で世界に通用しない憲法が復活されっこない。もう少し頭を洗ってくれば、政治家になる人はそれ相応のやっぱり見識があり、経験を経れば多少私は変わってくれる。なまはんか論戦をやるとそこに記録が残るからと思って、まあ衆議院段階における同じような、高文を通って非常に昔は秀才だと思っているような愚劣な、あの論争にたまって一年間目をつぶっておりましたが、与野党ともにこの問題に対して的確な高見すべきところのものは出なかったと思います。出ないのが幸いだと思っておりますが。
そういう形において、今度は国際舞台において
アメリカや
ソ連が考えるのとは違って、
アメリカや
ソ連の軍部や力の権化としてのマキャベリズムをゆがんだ形においてしか
理解できない人たち。メッテルニッヒあたりを大したものだと思っているけれども、ナポレオンにおいて撃砕されていったじゃありませんか。ああいう蘇秦張儀の徒、秦の国を減ぼした権謀術策や、以下の乱世におけるところの古代史によって世界の新秩序というものはつくられっこないのであります。いま、
アメリカでも
ソ連でも、私は知る人ぞ知るでわかってきていると思います。動きがとれない
アメリカと
ソ連に対して、
日本は思いやりのある態度で相手の面目を傷つけることなく、ポーランドを救えという悲痛なポーランド民族の戦いの中に、イデオロギーを抜きにして民族の悲願というものを受け入れるだけの雅量がなくてどうして世界の新秩序ができるかどうかというのを、
日本が言わなくてもスカンジナビア半島におけるりっぱな政治家はそのことを言い切っている。
フランスでもドイツでも自分の国の立場を主張する面もあるけれども、革命と戦争においてどれだけむだをやったかということを身をもって体験している国であり、
日本もひどい目に遭って、
アメリカが言うなと言っていることが、現実において三十年以上過ぎてやっと広島、長崎の原爆の被害を目の当たりに見たときに、
アメリカの婦人、
レーガンの奥さんですらもこの婦人運動には従わざるを得ないところまで来たと思うのです。女は強いですよ、男より。やはりそういう
意味において、世界の婦人たちが子を生み、未来に対して理想を抱く、よかれと祈って子供たちを育てている母親が戦争反対という叫び声を上げているのは、いわゆる何でもかんでも反対という議論、あるいは観念的な左翼主義とは違う人間本来の私はヒューマニズムがそこには宿っていると思うのです。特に苦労人の鈴木さんやあなたは身をもって体験してわかっているけれども言うこともできない。この間も話しをしましたが、何やら桜のほこりでもって春がすみがつくられた中で、どっちを向いて
政府は走っているのかわからないような、国の運命を決する外交の問題に対して、個々の
一つ一つを取り上げて
質問してみてもどうにもならない。
本当に魂が入っているのかどうか、答えはなくても腹ぐらいは探ってみないと。とにかく国連軍縮総会に送り、サミットの
会議に送る
総理大臣や
外務大臣を信じないというわけじゃないけれども、あそこで恥をかかせたくない、その恥は
日本民族全体の恥だから、私たちはいま武器なき民族が抵抗せんとして体を張って、国会で気違いと言われようが何と言われようが、本当は
総理大臣や
外務大臣の胸ぐらをとって訴えたいような気持ちで私たちはいまおります。いや、あなたは口には出さない、鈴木さんも口には出さないけれども、やはり慎重に世界の動きを見て対処しようというので、いまここで私は御返事を聞くのは無理と思いますから、そんな売名的な行為はいたしません。けれども、これのいかんによって
日本の国は世界からなめられます。勝ち負けよりも民族がなめられてしまうようなことは、
日本民族として耐え忍びがたきものを私たちは感ずるのであります。
時と場合によっては、われわれみずから蜂起して
日本の改革を断行しなければならぬ、良識ある人々は立ち上がって、いまのようなふざけた政治からわれわれは言論を取り戻し、国民の中から新しい建て直し運動をやらなければならないということを考えると、きょうはちょうどお釈迦さんの誕生日ということですから、半分ぐらい悟ったがごとく悟らざるがごとく、私たちはお釈迦さんの生まれたときには何もわからなかったでしょうが、お釈迦さんを崇拝した西行は辞世として、お釈迦さんのような死に方をしたい、これが一個の悟りの人生観であったと思います。花の下で眠るがごとき大往生をしたいというのは、断食で死んだのだと思いますが、お釈迦さんにあやかって、二月の十五日にお釈迦さんは死に、西行はその翌日の十六日に死んでおります。花の下は桜ではありません。やはりベストを尽くして眠るがごとき大往生を遂げていった悟りの中に自分の人生観を託していったのだと思います。
私はもう、寿命は九十九まで生きるといいますが、それほど長く生きては迷惑ですけれども、あなただってこれから三十年生きるのは大変です。これが勝負のしどころです。櫻と名のつくにおいてはお釈迦さんよりは現世において苦悩の限りを尽くして、
日本における政治家として名も要らぬ、地位も要らぬ、
日本民族をしてなめられないような心境で、
日本を救った政治家が一人
櫻内というのがあったと言って私がほめても、いやおれは豆腐屋の出だからと言っていますが、豆腐はいまほど世界から歓迎されているときはないのですから、どうぞそういう
意味において、豆腐であろうが桜であろうがいいのですが、最後の務めをやっぱりがっちり国際社会で残すことが、
総理大臣になることよりも
日本の政治家として一人や二人そういう人があったという物語だけでも、世界の物語として残るならば、イソップ物語よりもアラビアンナイトの物語よりも、私はすばらしい物語として後世に残ると思います。
櫻内さん、私はこのむずかしい段階を前にして、
総理大臣からも
外務大臣からも、言論の自由があるけれども、なまはんか言ったために本当に自分たちが命がけの最後の役割りを果たせなかったと言われるのがいやですから、どうぞりっぱな最後を果たしていただかれんことをお願いして、私の
質問は細かい点は抜きにしますが、せめて、この
情報化時代は世界じゅうでわかるわけですから、レーニンですらも二重スパイを使わなければ本当の
情報は入らないと言ったぐらいです。南京
政府の繆斌でも重慶と南京との両方の二重スパイです。鹿地亘夫妻がどうであったかはわからない。しかし乱世においては秘密はない。本当のことを知って
情報化時代は機械だけではない、機械だけでやったのでは、官僚組織だけでやったのではフランス大統領選挙にも負けることがわからないし、
アメリカの大統領選挙においてもあのようなジャーナリズムや
情報機関と逆の結果が出るとはよも知らない。問題は人間の心の底に流れている地下三千尺の心をくみ取る気持ちがなくて、機械ばかり備えても奇怪至極であって、本当の真実をつかまえることはできないと思うのであります。
どうぞそういう
意味において、このインドネシアにおいて本当に新しい近代国家をつくる技術経済
協力のモデル
地域として、いまは軍事故権だから危ない面もありますけれども、よその国の政治にはわれわれは関与はしない、けれども、いろんな技術なり
情報なりをキャッチしながら、あのインドサラサのような民芸品の伝統を残したり、いまの木の彫刻や何かを残して、能力ある民族です、中国と同様に、東南
アジアにおいては。やはりインドネシアとかあるいは
タイとか、イギリスが壊していってくれた漢民族の合作からできた漢人社会の持っているこの李完用のようなすぐれた政治家があるとこるのシンガポールとかあるいはマレーとか、具体的にその国々の立場立場を
理解し、思いやりを持って、一定の形式的なものだけにとらわれないで、いたわりを持ちながら
近代化の道しるべになる愛情、謙虚さ、そういうものが
日本の東南
アジアにおける外交として躍動しなければ、真理は常に具体的でなければ大衆には
理解しがたくなると思うんですから、
米ソも私はこの危機においてへまをやれば世界から全部を失います。だれも言うことを聞かなくなります。ひとり相撲じゃ何もできません。ロビンソンクルーソーの時代はまだ愉快でありましたが、これこそ孤独に耐えられないものはないと思います。
そういうときに、
ソ連も
アメリカも耳を傾けてくれないときに、思い切って謙虚な形で物をはっきり言う、一気にそのとおりにはいかなくても、本当のことを言う
日本人がいたということを、
日本の政治家はうそばっかり筑波山ではなくて、やはり本当のことも言う、大切なときには本当のパートナーシップを発揮して、同盟に類した国々に対して武力的な提携はしないが
協力は惜しまないというだけの気概、貫く精神、これを私は示してもらいたい。個々の問題よりも、いま世界の中における
日本だけしか果たせない役割りを果たさなけりゃならないときに、あなたのような苦労人がいたことによって、けれんのない本当の外交ができたという記録をみごとに達成してもらいたいことを私はお祈りして、
質問でない、政治家としての見識をあなたの中にぶち込みたいと思って、きょうは私の
質問の名による菊説教を効果あらしめるために、いつもよりちょっと時間を短くすることにしました。お願いします。どうぞお釈迦さんの生まれた日はわからないけれども、死ぬときはりっぱだったということだけをお忘れなくお願いいたします。