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戸叶武君 問題は、一国の
外交の中において一番重要なのは、やはり領土の問題です。民族の自主独立というものが民族運動の原点です。それにもかかわらず
外務省は慎重ですが、おととしの十二月、自民党の機関誌の月刊誌に聡明な通産官僚に書かせている、北方領土の原点は下田条約にありというような間違った
考え方は
外務省も賛成しないと思うが、自民党においては
一つの憲法改正のそれが領土返還のエネルギーの根源とでも思っているような仕方をしますが、この黒船
外交の桐喝に屈して
日本の
外交が自主性を失ったのは、ハリフと結んだところの神奈川条約。それ以上に屈辱を与えられたのは、帝政ロシアの冒険主義者によって下田に軍艦を集めての威嚇に屈した井伊掃部頭の腰抜け
外交です。下田条約のどこが北方領土の問題に対する原点と心得ているか。
外務省にはそのような臓抜けはいないと思いますが、
日本の北方問題に対する
歴史は古いのでありまして、帝政ロシアが無理をやったことを、これを打開しなければ永遠に紛争は絶えないと思ってポーツマス条約において、
日本人は小村寿
太郎のことだけを挙げておりますけれども、小村寿
太郎さんはかたくなって、
日本がうっかりすると焼打ちを食らうというような状態だから、伸び伸びとして問題を論ぜられなかった。けれども、ウィッテ伯は軍部にたたかれて野に下った人ですが、ウィッテ以外に敗戦における講和条約を結び得る人物はないとして起用されて、ポーツマス条約の立役者となったときに、副島種臣の
外交、あるいは
日本におけるところの樺太・千島交換条約前後の問題。
それより前に、井伊掃部頭のやった主体性を失った腰抜け
外交を是正しなけりゃならぬと言って、幕府の
外交官でも竹内下野守、松平石見守は、井伊大老が殺された後、直ちにペテルスブルグ——いまのレーングラードへ入ってグリニッジ天文台のイギリスでつくった地図によって南樺太は
日本領土だとされているのを証拠に、時の崩れ行く帝政ロシアのマキャベリズムの
外交に対して一撃を与えて、そうして帰ってきているじゃありませんか。
そういう
外交上の記録があって、それを全部承知した上でウィッテは無理をしないで、やはりポーツマス条約において禍根を断ち切るために、とにかく
日本に譲歩すべきものは譲歩し、無理をしないようにした。帝政ロシアが滅びるということを彼は知っていたからこそ晩年においてその回想秘録を真実を書いて、
フランスの銀行に預けて回想秘録を残しているのであります。
戦後、鳩山さんとともに日ソ間の調整に努めたところの防衛庁長官であった杉原荒太君は
外務省きっての読書人であり、私とは一晩眠れないでウィッテの回想録を読んで、ロシアの中にもやっぱり悪いことは悪い、間違ったことは改めなけりゃならないという良識者もあるんだが、帝政ロシアは冒険主義者によってこれは崩壊するという冷徹な眼で記録を残しているんです。そういう
意味において、下田条約は
日本の腰抜け
外交であって領土問題の原点ではない、あそこにおける帝政ロシアすらも、これだけの歯舞、色丹、国後、択捉までは認めたとか認めないとかというような小細工じゃなくて、私はあのときにおける
日本の自主
外交の本当の魂をぶち込んでくれた人は、
海外に眼を開いておった開国論者の佐久間象山と攘夷党のリーダーであった吉田松陰の出会いだと思うんです。開国論者であったが佐久間象山は、崩れ行く徳川幕府、主体性のない、民族が支持しないような腰抜け
外交でもって
外交はできぬ。攘夷党の中にはばかばかりおるかと思ったら吉田松陰のような純粋な男がいる。命をかけて
海外に渡航し、
外国の事情を知った上でわれわれの
外交を確立しようと、だから佐久間象山は攘夷党のリーダーであった純粋な吉田松陰というものを激励してやったのじゃないですか。あのために井伊大老は桜田門でもって一いまの憲政記念館のそばが井伊家の屋敷ですが、三月三日に殺されたのです。安藤老中も井伊掃部頭よりは柔軟な
外交専門家であったが、坂下門事変で要撃を受けたのは、主体性のない
外交、これをぶち破らなければ
日本の
外交は
外国から侮りを受けるだけで信用されないと思ったがゆえに、大橋訥庵その他がやはりこれを要撃したのです。われわれは要撃する必要はない。
国民が自覚して、国民の手に
外交を奪還するならば、私は憲法改正で外堀を埋めさしたり、あるいは下田条約などという、腰抜け政治家が帝政ロシアの冒険主義者の前にあわてふためいて卑屈な条約を結んだようなことはしなかったと思うんです。いまやはり
日本にいろいろな思想や
立場が違っても、吉田松陰や佐久間象山だけの見識を持って、国の運命を
外交によって決する人が出なければ、ベトナムにおいて麻薬を飲ませられながら前線で突撃させられた黒人の奴隷戦争のような目に
日本が遣わないとだれが保証できるのですか。そういう
意味において、
国連を守りながら
外交をやろうという決意が、恐らくはいまの総理
大臣の鈴木さんにもあなたにも——あなたはどこにでも突っ込んで、危ない火種になるようなところへ、ベトナムでもどこへでも行って、体で危機を
感じてきている人であります。
私は自民党を責めない。けれども、
日本みずからの主体性の確立ができないような国の
外交がいつまで続くと思うか。この機会にわれわれは北方領土の返還を——北方領土の問題は戦争が起きたときのヤルタ協定からです。二月十一日は領土問題だけれど、それもいまは言わない。むしろポーランドにおける問題がきっかけとなって、われわれは見るに忍びない、
フランスも
中国も戦力が劣ったといって除外されてつくられたのがヤルタ協定です。だから原爆なしには発言ができなくなるといって、ドゴール体制のもとにおける
フランスもやはり原爆をつくったり、
中国においても原爆を開発したりしたのはそのときの私は自衛的な
態度からやむを得なかったと思うんです。そういう
意味において、いま際限なく続くこの核兵器の問題をめぐっての人類の破滅を、危機をだれがブレーキをかけるかできないようなときに、ポーランドの人々は武器なき抵抗をやって
世界の反省を求めているんじゃないかと思うんです。
私は山田三良博士から、彼がウィーンにおいて国際法を研究した時分に日露戦争が起きて、ポーランド独立の秘密結社に
大学内の地下室に連れられていって、
日本がロシアと戦ってくれ、戦ってくれなければポーランド独立はできない。しかもわれわれポーランド人は、足を鎖でくぎづけられながら二〇三高地や旅順において第一線でもって
日本と戦わせられているんだ。奴隷戦争だ。これから解放されなけりゃならないということを彼らに言われたが、京城
大学の総長から学士院長にまでなったあの国際法の先覚者から切々として当時の話を聞いたときに、私はいま
日本人は本当にポーランドを救うやっぱり責任はあると思うんです。
どうぞそういう
意味において、
国連を守って、
国連をして核軍縮をも達成させるような炎が
アメリカのフィラデルフィアからもドイツからも、
フランスからも起きているじゃありませんか。このときに
国連のモデル
国家としてつくられた
日本が、何を理由として憲法を改正するのか。
国連に入っていて
国連の精神に背くようなことをやって、それが
国連を尊敬するところの
日本の
外交家、
日本の政治家であるか、経綸がない。話せばわかる。地獄へは落ちたくない。われわれがいまブレーキが効かなくなった
世界新秩序に対して方向づけをやるためには、
日本民族が
中国をも変えさせて、そうして発想の質的転換によって排他的な民族主義、戦争への道を歩ませないようなことをする以外に
日本が信用を保つことはできないと思うんですが、来るべき軍縮総会、
国連にどういう
態度で腹を決めて総理
大臣なり
外務大臣は行くか、問題は、武器なき国民の戦いは、一国を担う政治家の使命にかかわっているのですから、どうぞ桜の心をもあなたは大体わかってきている苦労人ですから、ひとつ……きょうはほかには触れられなかったのですが、後でまた御返事によって、政治家として最後の
日本民族決起のときを促すために私は総理
大臣、
外務大臣におけ至言動を今後人民とともに監視して、グローバルな時代における、
世界の中における
日本の
外交進路というものを明確にすることを要請したいのです。
私は
日本の総理
大臣、
外務大臣の言うことによって
アメリカでもソ連でもブレジネフやいまのレーガンさんが生きている間に、私はコペルニクス的な発想の転換が権力でない、真理は永遠に正しいというものが出てくると思うので、ひとつあなたから今度の
国連総会において、サミットの
会議において、来るべき
国連総会において、軍縮総会を初めとして
世界がどういう動きを東西南北からするか、それを見定めて、見定めるだけじゃなく、
日本みずからがその先頭に立って偉そうに言うんじゃない、
ヨーロッパでも
世界でも東西南北から火の手が上がっているじゃありませんか。グローバルな時代に新しい発想のもとにおける新秩序をつくり上げなければ
世界は地獄です。地獄へ民族をやり、
日本民族だけじゃない、
世界のためにわれわれは、いま果たさなければならない人間としての
役割りをしなければならないと思いますが、鈴木さんは約束したのだから堂々とやるだろうし、あなたも鈴木さん以上に苦労人であるから、
世界の国々の人々の憂えを憂えとして、
日本民族はこれをどう打開しようとしているか、
世界の中の
日本の
外交進路を、判断でもよろしいですから承りたいと思います。