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参考人(
野田親則君)
お答え申し上げます。
御承知のように、胴体が鼻の部分で二つに割れましたものですから、中に残りました八名の搭
乗員も二つのグループに分離されました。前の方は
運航乗務員の三名と、それから操縦席の直後におります二人の客室
乗務員、それが一かたまりになりまして、それから、後ろの方は残る三人の客室
乗務員が大部分の胴体の中に残された、そういう
状態でございまして、大まかに言いますとその二つのグループの行動が完全に分離、独立して行われました。
前の方から申しますと、前の方には究極にはほぼ十一名ぐらいの人が集まりました、お客さんを入れまして。その中に
運航乗務員の三名、
機長と副
操縦士と機関士と、それから二人の客室
乗務員、それとお客さんが五、六人でございます。それぐらいの人が操縦席の中に集まって、その大部分の人たちは右側の副
操縦士側の窓から機外に出たということが判明いたしております。それから、左側の窓から機外に出ましたのは
機長一人だった模様であります。それから、前のグループに属していました一人の例外は副
操縦士でありまして、副
操縦士は自分のすぐ右側の窓から海の中に出まして、右側の海の中を通って右翼の方にたどり着いて、主として右翼の上で救助活動をやったと、こういうことであります。したがいまして、前のグループから一人だけが後ろのグループに合流したということが特徴的であります。
それから前のグループの右から出た大部分の人たちは、推定時刻ほぼ九時半ごろ船に乗って岸の方に移動したようであります。これは昨日も各機関のお撮りになりましたビデオのテープ等を見まして、時刻を分単位、秒単位で明らかにしている過程の最中でございますので、後刻多少変化するかもしれませんが、大体九時半のちょっと前ぐらいに船に乗って岸の方に移動を開始したというふうに目下推定いたしております。ちなみに、搭乗者が機体のところから岸の方に移動をしました時間帯は、一番早い方が九時十二分に飛行機を離れております。それから一番遅い方がほぼ九時四十分に飛行機を離れております。その間にほとんど全部の人が飛行機から岸の方へ移動を開始したと、こういうことでございます。唯一の例外は、機体に挾まれて十二時過ぎまでかかったお客さんが一人おられました。この人が唯一の例外であります。
そして、副
操縦士は右翼の上あたりに位置して機外及び機内の脱出を指揮するつもりでおったようですが、下半身が不自由でございまして、まあ崩れるように翼の上につぶれた、倒れたというような表現の
報告がございますが、翼の上からヘリコプターで岸の方に運ばれるお客さんの中に入れようとしたわけですが、これは自分は
乗務員だからお客さんの方を先にしてくれということで、結果的には最後まで残りまして、二人の客室
乗務員と副
操縦士が最後に、地上から来た救助隊員に君たちが最後である、だから脱出せよという指示を受けて、最後に飛行機から離れたということでありまして、それが推定時刻九時四十分ごろであります。岸に着きましたのは九時四十六分とか四分とか、二つのボートに分かれて着きましたものですから、四十五分前後の時刻に岸壁の方に到着しております。
機長に関しましては、単独行動になりましたものですから非常に動静がたどりにくかったのでありますが、目下の推定では、自分のすぐ右のドアから、多分警察のボートか何か小さなボートに一たん乗り移って、それから
日本航空が準備しました三つの空気でふくらます大きなボートがありますが、そのボートの一つに乗って岸に到着しております。したがいまして、そういうことから推定しますと、
機長がおかにたどり着いたのは九時三十分をちょっと回ったころと考えております。それから一人を除いて最後の人が岸に到着したのが九時四十六分ごろであるということであります。
九時四十六分に着きましたボートに剛
操縦士がおりましたものですから、
会社の者が、
機長はどうしたということを聞きましたら、それは生存しておる、ちょっと前まで一緒のところにおったということを
報告を受けまして、これが本部に九時五十分ごろもたらされました生存の第一の
報告になっております。
機長は生存しておる模様であると、九時五十分ごろです。
それから岸壁に上がりましてからは、
乗務員は合計八名おりましたが、五つの病院にそれぞれ送られております。三名の者は岸壁から直接三つの病院に、別々の病院に送られておる。それから残りの五名は一たん軽傷者を収容する東急ホテルというホテルがございますが、その七階の大広間を軽傷者の一時収容所にしておりまして、そこに収容された後五名の者は結果的に二つの病院に送られております。したがいまして、ホテルを経由して病院に入った者が五名、それから岸壁から直接病院に送られた者が三名、そういう内訳でありまして、八名の者が経路は違いまして五つの病院にそれぞれ収容された、こういうことでございました。
乗員の行動のあらましはそういうところでございますが、
会社の方から一時
機長の死亡の情報を流したという説がございますが、私が
会社関係を調べましたところでは、当社といたしましてはそういう情報を出した記録はございませんので、これは社内の情報でなく社外の情報であったというふうにいまもって信じております。