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串原分科員 このトンネルには大変な経過が実はあったわけであります。
昭和四十一年三月、
国鉄は、中央線岡谷駅から分岐するルートを決定、発表いたしました。しかし、その決定までに
関係者の並み並みならぬ努力がございました。
国鉄は初め三案のルートを示した。ところが岡谷地区も含めまして伊那谷
地域から強力な反対意見が続出をいたしまして、まことに憂慮すべき状態となったわけでございます。
その経過に少し、時間がありませんが触れてみますというと、
関係市町村で組織をいたします伊那谷開発同盟会は、役員会五回、
鉄道部会二回、中央束線現線複線化飯田線
強化貫徹伊那谷住民総決起大会二回、
運輸大臣、衆参議員、衆参両院議員という言い方が正しいのでしょうが、
国鉄本社などへの要請二十一回、ことにおきまして県選出の衆参両院議員がこれを重視し、事態収拾に尽力をされまして、「塩嶺トンネル建設は中央線
輸送増強の上必要であるがそれのみでは片手落である。塩嶺トンネルを建設すると共に飯田線も塩嶺トンネルに建設と同額の経費をもつて改善すべきである」との結論に基づきまして、
国鉄側と話し合った結果、次の
国鉄本社の意向が表明をされました。つまり
昭和四十年十二月二十五日、衆議院の第一議員会館におきまして
国鉄は、「塩尻トンネルは六十億円で建設する。」それから「飯田線は電力の増強、保安設備の増強、留置線の増設、線路の改良増設、ホームの延伸等を二十五億円で行なう。」「飯田線の地上設備の増強に伴い、
車両増強に十五億円かける。」「岡谷−辰野間、辰野−飯田間は中津川線が建設されれば、あい路となるので、二十億円
程度かけて複線化する必要がある。」等々七項目であります。
次いで、
昭和四十一年一月三十一日、衆議院の会館におきまして、県選出の衆参両院議員一
国鉄関係者磯崎副総裁、長野県知事、地元
関係者が懇談するなど、幾たびかの会議、
関係者との懇談を重ねまして、結果は、長野県知事をあっせん者として地元は受諾をし、
昭和四十一年三月十八日?
国鉄磯崎副総裁名で県知事にあっせん受諾回答を文書で行いました。
その文書は、つまりあっせんの内容は、一、「
国鉄及び本県出身の国会議員との話し合いにおいて、
国鉄当局は岡谷−辰野間複線化については、第三次
計画への組入れは出来ないが中津川線が建設されれば複線とする、との意向を表明しているので要望の線に沿って努力したい。」「
国鉄当局は、現在までの話し合いで辰野−塩尻間は廃線とせず、より以上増強を図ることを認めておるので要望通り実現するものと信じている。」さらに「
国鉄当局との話し合いにおいて飯田線飯田以北の改善を図るため、第三次
計画による資金
計画四十億円が決定しており、また岡谷−辰野、辰野—飯田間の複線化のため二十億円の資金
計画の策定を約しておるので、これを
確保するほか、さらに要望の線に沿いより以上の
充実改善を推進してゆきたい。」というような内容を持つものでありますが、時間の
関係から詳細に述べられませんけれ
ども、この経過は承知をされているわけですね。