○矢口
最高裁判所長官代理者 ただいま横山
委員から
裁判のあり方というものにつきましてのきわめて鋭い御指摘があったわけでございます。
私ども、争いというものは、いろいろの人間が社会で生活しております以上は、なくすることはできないというふうに考えております。社会が複雑になればなるほど、また価値観の多様化ということが叫ばれておりますが、そういうことがあればあるほど、どうしてもどこかで
解決をしていかなければいけないそういう争いというものは、これは絶無にしてしまうということはできないわけでございます。といたしますと、そういった争いをだれが
解決するかということになれば、やはり司法制度というものの健全な運営によって
解決する以外に、現在の文化の英知というものはそれ以外にないということで、司法制度が作用しておるというふうに理解をいたしております。
といたしますと、司法の最終の目的というものは、やはりいろいろある争いというものをできるだけ時宜を得て
解決するということにあるわけでございまして、それをさらに細かに見てまいりますと、まず迅速な
解決というものが要請される、これはもう当然のことでございます。ときには、おくれた
解決というものは
解決のないに等しいわけでございますので、御指摘のように、迅速な
解決ということが真っ先に出てくる問題であろうかと思います。
ただ、そうは申しましても、話し合いで事が終わるということであるならば、どんなに早く話がつきましても、それで結構、めでたしめでたしということになるわけでございますが、どうしても考え方の対立がある、事実の認識についての争いがあるという両
当事者の
紛争というものを
前提にいたします限りは、そこに有権的に
解決しなければいけない。有権的な
解決というのは、考えてみればどちらかに不利であり、どちらかに有利であるという
解決になるわけでございます。といたしますと、その
解決というものは、個々の争いの両
当事者から見て、あるいはある点で不満である、ある点では非常に満足であるということであるにしても、両者が満足を得るということはできないわけでございますので、どうしても客観的第三者が見てそれは適正な
解決であるというふうに思われるようなものでなければいけないということが出てまいります。これが的確性、正確性の要求であろうかと思います。
そのように見てまいりますと、迅速の要求というものと正確性の要求というものは、車の両輪ではございますけれども、実は相反する命題を突きつけられているということになるわけでございます。私どもが一番悩みますのは、やはり迅速性もまことに必要である、しかし、より的確な答え、迅速性にも増して正確な答えでなければいけないんだ、仮にどちらかの不利益をこうむった
当事者が、おれは満足できないと言っても、客観的にいろいろの人がごらんになって、それでいいんだと思えるような結論でなければいけない。これが非常にむずかしいところでございまして、個々の
事案によって、ときに的確性というものに重きを置き、ときに迅速性というものに重きを置くという結果になって出てくるというのが現在の
訴訟のあり方ではなかろうかと思います。
御指摘の西独における
裁判でございますが、私どもも、上西独には相当多数の
裁判官がおられ、また日本の十倍以上の
事件が起こっており、そして、それが現実に、私どももかつてヨーロッパで西独の
裁判所を傍聴させていただいたことがございますが、
裁判官がてきぱきと
訴訟指揮をして、あっという間に
事件を
解決しておられるというところを見まして、その面においてわれわれとして十分学ぶべきものがあるというふうに感じたわけでございますけれども、そういうふうに
解決をしておられる、それで
裁判官の出した結論には従っていくというようなところが見受けられまして、二面学ぶべきものが非常に多いというふうに感じたことがございました。
私どもの日本でのあり方ということでそれをこちらに持ってまいりました場合には、では、日本は常に西独的なやり方をしていないのかというふうに考えてまいりますと、私は必ずしもそうでないような感じがいたします。御指摘の調停における簡易な
解決方法、そういったものも、西独における
裁判官の面前における、職権で
訴訟を進行し、あっという間に
判決の言い渡しがなされるというやり方と基本構造においては相通ずるものがある。国民性の相違もございますので、どちらかというとドイツでは理屈で
解決をし、それで満足をする。日本では話し合いで
解決をし、それで両
当事者が満足をする。同じところを目指しておるのではなかろうかというふうに感じておるわけでございます。
ただ、例としてお挙げになりましたけれども、公害
事件等の大きい
事件になりますと、確かに時間がかかっております。それは刑事
事件でも同様でございまして、十年、あるいはひどいのになりますと十数年かかっておるような
事件もございます。これは決して私どもそれがいいと思っておるわけではございませんで、最善の努力をして、やはり少しでも短くしていくように努力していかなければいけないと思いますけれども、あえて言わしていただければ、新しい型の新しい権利に関する多数
当事者の
紛争といったようなことになりますと、どうしても迅速性の前に慎重であらねばならない、的確性が前面に出てこなければいけないといったような
配慮が働きましておくれておるわけでございまして、そういった点ははなはだ残念に思っておるところでございますが、現状としてはそういった非常におくれておる
事件も皆無ではないということについては、以上申し上げたようなところからお許しをいただきたいというふうに思っております。
ただ、私といたしましては、司法というものが国民の信頼を得ていくためには、やはり時宜に適した、時機を得た
解決というものに持っていかなければいけないということについては最大命題であるというふうに考えておりますので、
事案によりまして、より迅速に
解決するという
事案と、時間をかけてもじっくり審理して、みんなの納得のいくような結論に努力しなければいけないという
事案、そういった二つの型の
事案をえり分けることによって、国民のなお一層の信頼を得られるようになればというふうに念願をいたしておるわけでございます。