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横山委員 国家賠償法を
改正をして——五十五年に六十一件のものがあって、国家賠償法の
請求がきわめて狭い門であるという点については、私
どもとしてはつくづく残念であって、
無罪の
判決を受けた人々に国家賠償法の門が大きく開かれるように不日、私
どもとしては
改正の提起をいたしたいと思います。
こういうようにこの
刑事補償法が適用されるということは
一体なぜであろうか、なぜこういう問題が起こるのであろうか。その源泉を私はいろいろ調べてみますと、要するに、
本人の自白というものがやはり根底にある場合が非常に多いのであります。
先ほど「捜査又は審判を誤まらせる目的で、虚偽の自白をし、又は他の有罪の
証拠を作為することにより、」という
法律の文章を引用をいたしましたが、この虚偽の自白をしたのかさせられたのかという点について、二、三の
事例を引用して
警察当局の所見を聞きたいと思います。
まず第一に、先般下獄をいたしました千葉のチフス事件の鈴木被告の問題であります。
ここに畑山博さんの書いた「罠告発—日本の
裁判」という本がございますが、こればかりでなくて、私はいろいろな資料をもって千葉のチフス事件について研究をしてみました。そうして一言をもってすれば、千葉のチフス事件は自白があるけれ
ども証拠がない、何らの物的
証拠がない、こういうことに推論をせざるを得ないのであります。
先ほど引用した「自白調書に現れた「犯行方法」の変貌」について、
本人の自白なるものがずいぶん変わっておる。
一体なぜこんなに状況が変わったのかということを調べてみたわけであります。
そうしますと、この千葉のチフス事件について語るところあるいは聞きたいところ、実に多いのでありますけれ
ども、この発端は新聞から始まって
警察が後追いをしたということ、内部告発であること、それから千葉の病院が全く衛生状態が悪かったこと、カルテその他が病院
関係者によって隠滅させられたこと等が特色なんでありますが、自白に至る過程というものをちょっと引用をしますと、
鈴木美夫、大矢房治は強盗殺人犯を落とすベテランとかで、八、九十キロに見える巨躯の持主。日色義忠は痩せて神経質そうだった。それが目の前に二人立ち、日色が後に立って、「さあしゃべれ。さあ聞くべえ」「きさま」「ばかやろ」「おれたちは強盗、強姦みんな落としてきたんだ」とたてつづけにどなる。
充は、
被告です。
充は、葛城病院に二十四日間、強制入院させられ、菌検出検査の名目で食事も制限されていた直後だったので、ひどく疲れていた。そこへもってきて、耳
もとで手メガホンを作って「さあしゃべれ」とやられるのですっかり憔埣してしまった。
黙秘すると、日色も前にまわり、三人でぐいぐい机を押して壁に押しつけられた。
「取調べの三人が最も嫌ったのは黙秘なんです。恥かしい話ですが、机を押しつけられて何度も脱糞してしまいました。そして、糞まみれの下着をはいたまま責められるのです」
充は言う。
「しゃべらなければ、手錠をはめたまま千葉大や地元の下古城を引き回してやる。実地検証という名目でやれるんだ、と言うのです」
お前がいくら弁護士を頼りにしても役に立たない、あいつらは弁護料として家屋敷みな取ってゆく、身ぐるみはがされてしまうんだぞ、とも言われた。
それから、その次になりまして、
取調べは、連日朝早くから夜遅くまで行なわれた。「他の証人はこう言っているぞ」と言って調書のようなものを読んできかされたこともあった。それを聞いていると、味方だと思っていた親類、友人までみんな自分を疑って見ているようだった。
「両親が週刊誌に“早く自供せよ”という手記を書いてるぞ。写真も出てるぞ、ほら。本当は山岡検事に怒られるのだが、特別に見せてやる」といって、遠くから見せられる。記事のところはわざと手で隠されていて見えないのだが、写真は確かに両親の写真だ。(ちなみに、当時、そのような
内容の週刊誌はない)
取調べ室の真向かいのドアがだんだんかすれて見えてくる。しかも、あのドアを開けることが出来ても、その先はさらに遠いのだ、外界は千里も離れているのだ、そう思うとどうしようもない無力感にとらえられてくる。
「あの気持だけは、入れられた者しか絶対に分かりません」
逮捕後七日目の四十一年四月十三日。
「おめえ、やったろう。やったと言え。やった。やった。やった」
またしても手メガホンの大音声。
「ふりかけたろう」「刺したろう」「土屋さんは白金棒でやったと言ってるぞ」
その日は取調べの刑事は四人いた。
充がいつまでも黙っていると、とつぜん相手は口調を変えた。
「ところで、川鉄には従業員は何人ぐらいいるかね」
事件とはまるで
関係ないことだと思って答える。
「さあ、何人ぐらいですか」
「ところで、あれをやったろう」
相手は説く。
また口をつぐむ。
「今までしゃべっていたのに、なぜ急にしゃべり止める。しゃべれなくなったのは、やったんだろう。やったと言え」
充はなおも黙っている。
「ふりかかる火の粉を払えると思うのか。さあ言え」
たたみかけるようにまた言われる。
朝からえんえんとそれをやられて、充はもうろうとしていた。時間が何時ごろなのかも分からなかった。とつぜん外へ出て行って戻ってきた鈴木美夫警部が妙なことを言った。
「今情報が入った。今、君の両親が社会にあびて自殺しようとしている。堀内十助夫婦が助けにとんでいる。日色刑事も行っている。おめえが自白しないからだ。おめえは、こんな中に入っているから知らねえが、父親と母親が今テレビの画面に出て大変なことになってるんだ」
「おめえがやったってことになんないと、自殺するんだぞ。え、鈴木、何とか言え。返事しろ。やったってことにすれば、すぐ向こうへ連絡する。そうすれば自殺が防げるんだ」
「………」
「カステラ事件認めろ。それで両親が助かるんだ。親が死んだら元も子もなくなるんだ」
「………」
「勤めに出てるおめえのかあちゃんの立場もちゃんと勤めやすくしてやる。さ、認めろ」
充は連日の取調べの中でとうにふだんの
判断力を失くしていた。ささやかなカステラ事件
一つ認めれば、この場が収まるならと、ふと思ってしまったと充は言う。
「さあ返事しろ。鈴木」
「はい」
思わず充は答えていた。
「よし。聞いたぞ。今の言葉を三人が聞いたぞ。記録したぞ。これが何よりの
証拠だ。さあ先を聞くべえ」
父親繁の証言によるとその日の深夜三時頃、小山町下古城の充の実家では、年老いた両親が、日色義忠の訪問を受けていた。
省略をして、
その家の中で寝ていた両親は表の戸をドンドンと叩く音に目を覚ました。
「千葉中央署の日色という者だが、充君から頼まれてきたのです」
日色は言った。
「
本人は今自白しそうな気持になっているのですが、親がショックを受けて自殺するかもしれないというのです。安心して自白するように一筆書いてもらいたい」
そして充からの言伝てとして、
○子
どもは医者に育ててほしい。
○親の面倒は収がみる。
○三越から買った背広を差し入れてほしい。
その三点を伝えた。
日色は「早く本当のことを言って楽になれ」と書くように、繁に言った。が、繁は「こっちは元気だから心配する必要はない」と書いた。
母親琢が立って前庭に出て、充の丹精している花を一茎折り、「これを息子に届けてください」と警部補に託した。
これを読みまして、私も留置場なりどっかに入っておった人の心境を数人から聞きましたが、留置場におる者の心理、
警察の調べの仕方、そういうものをまことに如実に感得いたします。
先般、私の名古屋でビジネスホテルの若い経営者が売春あっせん行為をしたということで二十日間入りました。母親がやってまいりまして、私のところは実際そういうことはしておりません、こういうことなんですが、あんまがパンマだったわけですね。そのパンマであることは事実らしいのですけれ
ども、ビジネスホテルとしてはそれがパンマをしたのかどうかは本当に知らないと言っておったわけですが、その取り調べの状況を見ますと、新聞に出たからおまえの子供が学校で何と言われているか知っているだろう、おまえのところはハンパン宿だと友達に言われておるぞ、おまえがゲロしないならばおまえのお袋も、これが七十幾つですか、二十日間引っ張ってやるべえ、こういうことを言われて、自分としてはそんなパンマだということの確認もしていないし、そんなことは自分としてはあずかり知らぬことであるけれ
ども、まあやったかもしれない、パンマであったかもしれないと言わざるを得なかった。そうれ見ろ、そういうことを承知の上でやったんだろう、あっせんしたのだろうというところへ追い込まれた。
そこへ行くまでの二十日間の留置場における密室の取り調べというもの、本当に自分としても大変な体験をいたしました、こういうことを私に告白したわけですが、このチフス事件の取り調べの事案について
警察庁はどんな感懐を持っておりますか。