○稲葉
委員 私、なぜこういうことを質問するかといいますと、忠臣蔵に対する日本人の
理解の仕方というのは、いま
大臣がおっしゃったようなところが非常に多いですね。これは基本的に誤りだということを指摘している人がいるわけです。あれはこういうことでしょう。まず第一に集団殺人
事件だ、そういうわけでしょう。四十七人が集まって、集団で殺人しているわけでしょう。集団殺人
事件だ、
法秩序の破壊だ、こういうわけでしょう。そうじゃありませんか。だから、あれがはやっている問は、日本の間では正しい法の
理解というか、そういうふうなものはあり得ないんだ、こういうふうに言っている人がいますよ。これはだれだか御存じでしょう。——知らない。これは福沢諭吉じゃないですか。福沢諭吉か、内村鑑三か。たしか福沢諭吉だと私は思っている。
それはなぜかというと、福沢諭吉は、途中から変わってきてしまったんだけれども、だと思いますが、彼は、大石内蔵助以下の四十七士は集団殺人
事件だ、
法秩序を破ったんじゃないか、これを賛美しておる日本人の
国民性はおかしいんじゃないか、これがある以上は日本は近代化しないということを言っています。だから彼は、大石内蔵助なんかは英雄ではないと言うんです。英雄というのはだれかといったら、それは人民のために奉仕して、そして自分が殺されたのが英雄だ、こう言っている。日本ではただ一人しかいない。だれだと思いますか。それは佐倉宗五郎だとこう言う。だけれども、佐倉宗五郎も、何かこのごろそれは違うという話もあるのだけれども、そういう話がこのごろ出ていますね。いろいろあるのですけれども、だから、四十七士は集団的殺人行為で、封建領主のためにその恩を返しただけではないか。御恩奉公ですね。これは川島武宜さんの「日本社会の家族的構成」の中に出てきますね。そういうことを言っていて、だから佐倉宗五郎というのは人民の英雄じゃないか、こう言っているのです。がからそこら辺のところは、日本人はどうも法に対する考え方が非常におかしいのですね。これは民主主義革命というものを経ていないところから
発生してきているのだ、私はこういうふうに思うのです。
それからもう
一つ、あなたはドイツ文学の専門でしょう。私も文学をやろうと思ったのですが、文学ではとても御飯が食べられないわけですよ。しようがない——しようがないと言ったらおかしいけれども、転向して、また転向しているわけですが、それは文学やりたいですよ、本当に。文学をやっていれば人生の純粋さに生きていられろし、政治の世界ではろくなことはないし、あれですけれども。
たとえばあの中でイェーリングの「
権利のための闘争」というのがありますね。これは岩波文庫で日沖憲郎さんの訳ですね。これは私ども読んだものです。それから、たとえば小説の中ではクライストの「こわれ甕」、日本でもやりますね、喜劇で。あれは俳優座がこの前やったかな。河内桃子や大塚道子なんかがやったかな。永井智雄も出たのかな、ちょっと忘れましたが。クライストの「ミハエル・コールハースの運命」という本があるでしょう。岩波文庫の薄いやつ、
一つの星。これなんかを見ると、
権利のために闘うことは社会的義務であるというのがずっと流れている精神ですね。これはゲルマンだけでなくてヨーロッパ、アングロサクソンでもそうだと思うのです。
ところが、日本人の場合は、
権利のために闘うというと、あれは変わり者だ、エゴイストだという形でやられているわけですね。だから裁判なしかでもすぐ和解へ持っていっちゃうわけです。これはまたあした
裁判所定員法のところでやりますけれども、すぐ和解へ持っていっちゃう。調停だ、和解だということで、
権利のために闘うということが社会的義務であるという考え方が非常に足りないですね。これが日本の民主主義革命というか、個の確立というものを妨げているわけですね。こんな話をしていると何
委員会だかわからなくなっちゃうけれども、そういうようなことですね。
そこで、私はこの中でずっとお聞きをしていきたいのですが、まず
刑事局長に、きょうの質問じゃありませんけれども、後で質問しますから研究していて答えてもらいたいのは、たとえば談合罪の問題がいま問題になっていますね。談合罪というもののできた経緯、まずこれ。これは非常な修正を経ていますよ。何回もごたごたしている、修正が。そこでいわゆる目的罪として二つの目的が入っていますね。これは不正の利益を得る目的だとか、それからもう
一つ、公正なる価格を害する目的、この目的が入っていますね。なぜこの目的が入るようになったかというような理由。それから、独禁法との
関係。独禁法には罰則がありますから、これとの
関係の問題。それから問題となるのは、いわゆる談合行為というものが
刑法上抽象的な危険犯か具体的危険犯かという問題がありますね。それから、これが一部適用されている。目的というのが入ったから適用されてきたわけでしょう。適用されないものも出てくる。そういう場合に、利益の均衡論であるとかあるいは相互救済論とかありますね。そういうふうな問題が談合の場合には談合罪には適用されないのですが、それとの関連で一体談合罪というものをどういうふうに実際
理解したらいいか、こういうふうな問題が確かにありますね。きょうは通告していませんから、ここで聞きませんけれども。
これは、元検事で財政金融なんかに非常に詳しくて公取に行った高橋勝好さん、あの論文が非常にいい論文がありますから、読んでおいていただきたいと思うのです。これは問題は、談合罪の
規定そのものに、衆議院の修正ですが、目的罪が入っちゃったために、これが非常におかしくなってしまった。こういうことを
一つ申しておきまして、あとは別の機会に質問してまいります。
それから、よくわかりませんが、いま
民事裁判でよくやられている疫学的証明というのがあるわけですね。
刑事裁判の中で疫学的証明というのがどういうふうに問題となってくるか、こういうことについても研究しておいてください。だれか専門家いっぱいいるでしょう。研究しておいてもらいたいというふうに思います。
そこで、この
所信表明に入りまして順次簡単にお聞きをしてまいりますが、この中でたとえば
覚せい剤事犯の問題が第一に取り上げられておりますね。
私、この前、久里浜の
少年院に行ったときに、隣に横須賀刑務所がありますが、あそこへ行っていろいろな内容を聞いたわけです。そうすると、あそこへ入っておるのはアメリカの軍人ですが、アメリカでは覚せい剤というのはないんです、麻薬取締法か大麻取締法。覚せい剤というのはない。日本だけの現象らしいんです。必ずしもいまそうでもないと思うのですが、この覚せい剤の取り締まりについて、
事件がどういうふうに行われておって、これをどういうふうにして処置をしていくか、こういうことについて、ここに書いてあるのですから私はお聞きをしていきたいと思うのですが、それはどうでしょうか。