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佐藤(誼)
委員 よく言われるのが、
記述が客観的とか統一性とか、そういうようなことや、それは
個々の個別的などという形でいろいろ言い回しをしております。しかし、
満州事変に始まる、以後十五年にわたる
中国に対する
侵略は、どのように言葉で
表現を変えてみたところでその事実は変わらないと思うのです。
ここに
侵略戦争の証言するべき文献があります。これは「三光」という、光文社で発行した本です。この三光というのは先ほど言ったとおりでございまして、これは
中国で戦犯になった
日本人のうち約千人が、みずからの手で下した
中国での罪業を書きつづったものであって、これが
日本で昭和三十二年に発行されましたが、余りにも衝撃的なために一カ月で絶版になった本です。この本はないのです。国立図書館に一冊あるだけなのです。この中には、皆さん御承知のとおり、累々とした
侵略の
歴史が全部写真に出ている、ここに。いま全部できませんけれ
ども。ここに、十五編についてのそれぞれの、みずからが体験し、みずからが反省という形でつづった事実の記録があります。これには生体解剖からあらゆることが書いてある、全部。それを全部私は読むことはできません。
それで、一番
最後に「あとがき」というのがある。あとがきには、
中国帰還者連絡会、三名の名前が書いてあります。実名であります。この中には生存者もいます。戸籍を調べれば、ここに証言に立ちます。この本なんです。この本の「あとがき」にこのようなことが書いてある。
ここに収められている十五編は、すべて事実であり、なかんずく、
戦争の実体を取扱ったものは、あの
戦争の規模と被害からすれば、ほんの九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)にもたらぬ一
部分である。
しかしながら、それでも読む人には、どんなに
日本軍国主義と私たちが、非道に、野蛮に
中国の人々のうえに、残虐な猛威を振るっていたかを了解していただけると思う。
こういう惨事は、たんに一人の人間の異常性格や、思いつきからだけでおこるものではなく、その根本は
戦争の
侵略性という本質からひきおこされているものである。「皇軍」の軍紀や慈悲のおとぎ噺(ばなし)に耳を傾けるまえに、それが
個人のどんな意志から発したにせよ、
侵略を受け、肉親を目のまえでむざむざと殺された側の人々からみれば、すべて仇(あだ)であり、人の皮をかぶった悪鬼(あつき)羅刹(らせつ)であることに注意をしていただきたい。
私たちは、こういう過去の自分を臍(ほぞ)を噛(か)むような痛恨にさいなまれながら、だからこそ、二度とけっして過(あやまち)を犯すまいと誓いつつ書いた。
日本国民のうちに、ふたたび、愛する人々を戦場に送って、あの惨めな悲しみと苦しみを繰りかえし、原爆の惨害を味わいたいなぞと
考えるような人はひとりもいないと思う。
以下云々です。
これは後で
文部大臣、国会図書館にありますけれ
ども、読んでください。この中に、ずうっとありますが、ここで、事実であって、あの
戦争の規模からいえば「ほんの九牛の一毛」にすぎないということで率直に書いてあるのです。
さらに皆さん、これは、まだ世に出ていないものです。これも同じく光文社でこれから発行される、ゲラ刷りなんです。続編なんです、これは。
この中に、第一、
日本鬼子、軍医の野天解剖、つまり生体解剖です。その中に、
個人の名前が書いてあります。この人は憲兵隊伍長、現在も生存中で、住所も全部わかります。同じこれがずうっと十五編あります。これを読めば、
中国に対する十五年にわたるあの
侵略が、
日本軍のなしたことが、
侵略戦争であるか、
進出戦争であるか、
進入戦争であるか、論外なんです。これは事実が何よりも証明しているし、しかも
中国人から言えば、とても「
侵略」を「
進出」と変えることを納得できるようなものではない。このことを私は
日本国民としていたくやはり肝に銘じて
中国側の
申し入れを受ける、そして十分それに対して
配慮をするということは、私は
日本国民として大切なことではないかと思うのです。
時間がありませんから引き続いて申し上げます。後でまとめて答弁いただきます。
次に、先ほど申し上げましたところの
侵略、
進出の問題、これは
日中共同声明やあるいはまた
日中平和友好条約に反する、こういうことを言っています。それは事実に照らしてもそのとおりだと思う。
共同声明の中に、「
日本側は、過去において
日本国が
戦争を通じて
中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」とある。この
日本側は「責任を痛感し、深く反省する。」としたこの
日中戦争を、
日本と
中国はどのように受けとめたのか。これは
日本が
中国を
侵略したというこの事実をお互いが認め合ってこの
日中共同声明に合意をしたものだと思う。だから、
日中共同声明に
両国が合意をしたということは、つまり、
日中戦争は
侵略戦争で、
日本の軍国主義が
侵略したという、このことに立ってこれはつくられたものなんです。そうでしょう。だとするならば、
両国間の信義からいっても、この客観的事実を曲げてはならないし、そしてまた、この
歴史的事実を教訓として子々孫々まで教えていくということが
日本国民の責務であると私は思う。そしてまた、そのことが
日中両国人民の子々孫々に至る平和
友好の基だと思うのです。
私は、そこまで思いをいたさなければ、そういう重みで
中国の
申し入れなりこのたびの
中国大使館王公使の
見解を深く受けとめなければ、この問題は解決できないし、また、亀裂をますます深めるばかりだと思うのです。そういう
観点で私はこの問題に対処すべきであるというふうに
考えますが、
最後に、この点について
文部大臣のまとめた所見、今後の態度、加えて、
外務省からも来ておりますから、
外務省からもいままでのことを総括的に
見解があったら述べていただきたいと思います。