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1982-07-30 第96回国会 衆議院 文教委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十七年七月三十日(金曜日)     午前九時五十一分開議  出席委員    委員長 青木 正久君    理事 石橋 一弥君 理事 中村喜四郎君    理事 西岡 武夫君 理事 三塚  博君    理事 佐藤  誼君 理事 長谷川正三君    理事 鍛冶  清君 理事 三浦  隆君       臼井日出男君    狩野 明男君       高村 正彦君    谷川 和穗君       船田  元君    嶋崎  譲君       中西 積介君    山口 鶴男君       湯山  勇君    有島 重武君       栗田  翠君    山原健二郎君       河野 洋平君  出席国務大臣         文 部 大 臣 小川 平二君  出席政府委員         外務政務次官  辻  英雄君         文部大臣官房長 高石 邦男君         文部省初等中等         教育局長    鈴木  勲君  委員外出席者         外務大臣官房外         務参事官    長谷川和年君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ————————————— 七月十四日  障害児学校教職員増員等に関する請願(五十  嵐広三紹介)(第四二八五号)  同(角屋堅次郎紹介)(第四二八六号)  同(川俣健二郎紹介)(第四二八七号)  同外三件(湯山勇紹介)(第四三〇六号)  同外四件(井岡大治紹介)(第四三二六号)  同(久保等紹介)(第四三二七号)  同(森中守義紹介)(第四三二八号)  同(小林進紹介)(第四三七二号)  同外一件(井岡大治紹介)(第四三八八号)  同(池端清一紹介)(第四四〇一号)  民主教育推進に関する請願飛鳥田一雄君紹  介)(第四二八八号)  同(戸田菊雄紹介)(第四三二九号)  同(上田卓三紹介)(第四三七三号)  同(池端清一紹介)(第四四〇二号)  同(阿部未喜男君紹介)(第四四一四号)  同(上原康助紹介)(第四四二〇号)  私学助成に関する請願外一件(春日一幸君紹  介)(第四三〇三号)  同外三件(塚本三郎紹介)(第四三〇四号)  同(青山丘紹介)(第四三二一号)  同外二件石田幸四郎紹介)(第四三二二  号)  同外二件草川昭三紹介)(第四三二三号)  同外二件近藤豊紹介)(第四三二四号)  同外二件柴田弘紹介)(第四三二五号)  同外三件(安藤巖紹介)(第四三七一号)  同外一件(川本敏美紹介)(第四三八二号)  同外一件(佐藤観樹紹介)(第四三八三号)  同外一件(沢田広紹介)(第四三八四号)  同外一件(野口幸一紹介)(第四三八五号)  同外一件(福岡義登紹介)(第四三八六号)  同外一件(武藤山治紹介)(第四三八七号)  同外十四件(横山利秋紹介)(第四四〇〇  号)  同外八件(横山利秋紹介)(第四四一三号)  同外十五件(横山利秋紹介)(第四四一九  号)  身体障害児に対する学校教育改善に関する請願  (佐藤誼紹介)(第四三〇五号)  私学に対する公費助成大幅増額等に関する請  願(田中伊三次君紹介)(第四三七〇号) 同月二十一日  私学助成に関する請願外四件(横山利秋君紹  介)(第四四六七号)  同外一件(水田稔紹介)(第四五一五号)  同(横山利秋紹介)(第四五一六号)  同外三件(横山利秋紹介)(第四五三〇号)  障害児学校教職員増員等に関する請願山原  健二郎紹介)(第四四六八号)  同外二件大原亨紹介)(第四五五四号)  私学に対する公費助成大幅増額等に関する請  願(西中清紹介)(第四四六九号)  民主教育推進に関する請願下平正一君紹  介)  (第四五一七号)  教育制度改悪反対等に関する請願湯山勇君  紹介)(第四五三一号) 同月二十九日  私学助成に関する請願林保夫紹介)(第  四六四五号)  同外三件(矢山有作紹介)(第四七三六号)  民主教育推進に関する請願川俣健二郎君紹  介)(第四六八〇号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件(教科書検定問  題)      ————◇—————
  2. 青木正久

    青木委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件、特に教科書検定にかかわる問題について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。船田元君。
  3. 船田元

    船田委員 いま内外で大変問題となっております日中、日韓関係歴史的な記述をめぐる教科書検定ということについて、これから若干質問申し上げまして、事実関係を明らかにし、今後の政府、特に文部省対応について明らかにしていきたいと思います。  その前に、まず中国韓国などに対する対応などで非常にてんてこ舞いのところ、われわれ文教委員会出席をしてくれました文部省外務省両方関係者に感謝を申し上げたいと思います。  個人的な問題ですが、私自身も実は社会科教員免許を持っておりまして、このような歴史教育をめぐる議論というものには大変関心があるわけでございます。このような議論というのは確かに時として非常に感情論といいましょうか、感情が中に入るようなそういうところもあるわけで、こういう歴史教育をめぐる議論は非常に冷静に事実に即した対応議論というものが必要ではないかなという個人的な考えを持っているわけでございます。きのうの参議院文教委員会も開かれまして若干内容的にダブるところがあるかもしれませんが、この問題、時々刻々状況が変わっておりますので、お許しを願いたいと思います。  まず最初に、けさの新聞報道によりますと、きのうの夜九時から文部省初中局長それから中国大使館王暁雲公使会談をされまして、教科書検定問題に関する文部省側説明を行ったというふうに聞いております。早速の機敏な対応につきましては、私個人としては大変結構なことであると評価をしているわけでございます。  とりあえず昨晩の会談について、その概略文部省の方から御報告をお願いいたしたいと思います。
  4. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 昨日の午後九時でございますが、駐日中国大使館王公使文部省に来ていただきまして、私からおおむね次のような説明を行ったわけでございます。  説明の要旨は、第一に、このたびの教科書検定をめぐる問題については、日中両国友好関係にかんがみ、文部省としても深く憂慮している、第二、文部省としては、教科書記述が適切なものとなるよう最善の努力を払っているところであるが、中国政府の御意見には謙虚に耳を傾けたい、第三、わが国教科書制度検定制度であって、政府は民間で著作、編集された図書が教科書として適切か否かを審査する立場にあり、政府検定に際しつける意見に関し、具体的にどう対処するか否かは著作者創意工夫にゆだねている、今回問題となっている件についてもこの制度の中での結果である、第四、教科書における日中関係に関する記述については、日中共同声明及び日中平和友好条約精神が正しく反映されるべきことは当然と考えており、検定においては従来から一貫してこの方針をとっている、最後に、中国との関係については、今後とも学校教育においても日中共同声明及び日中平和友好条約精神に基づいて日中両国親善友好を深めてまいりたいと述べて、わが国教科書が数多く発行者の発意によって発行されており、その教科書記述の全体を通じて見ると、いま私が申し上げたような配慮が十分に行われていると思われるので、どうか現物をごらんいただきまして御理解をいただきたいということを申し上げたわけでございます。  これに対しまして王公使の方からは、文部省のいまの説明はありのままに大使並びに本国政府に伝える、さらに個人的な見解ではあるがと言いまして、説明内容には賛成しかねるという趣旨のコメントがあったわけでございます。  私としては、なおこの教科書を差し上げた趣旨は、これだけの数多くの教科書が発行され、それを政府が一定の見地に立って適切な配慮を加えるよう検定を行っている、そういう仕組み全体についてさらに理解を深めていただきたいということを補足した次第でございます。
  5. 船田元

    船田委員 いまの初等中等局長お話の中で、教科書、多分高校の歴史教科書であると思いますけれども、その現物先方に手渡したというお話がございました。教科書における個々表現をつかまえて日中友好を損なうというような批判が行われていると私は考えておりますが、教科書全体を見れば、その現物全体を見れば、日中友好関係ということについてはよく表現されているのじゃないかなと私は考えております。この点については、初中局長の方は先方説明をされたのでしょうか。
  6. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいま最後に申し上げましたように、教科書現物を差し上げる趣旨は、個々個所ではなくて全体として教科書を流れる記述をごらんいただきますならば、日中友交立場あるいは日中共同声明に盛られましたその趣旨等が適切に反映されているのではなかろうかということを申し上げたわけでございますが、たとえば一つ日本史の例をとりますと、「現代日本動き」というところで「日本が過去の戦争にともなう責任を痛感し、深く反省するとともに、日中共同声明が調印され、日中国交正常化が達成された」というような記事が写真入りで詳しく記述されているなどでございます。
  7. 船田元

    船田委員 それから、先ほどのお話の中で、検定制度のことについても説明をした、あるいはこれからしていきたいということが出ております。現在の検定制度わが国国情に大変マッチした一つ制度であると考えているわけですが、また一方、国情の違うあるいは制度の違う中国の国民にとっては非常にわかりにくい面もあると思います。個々事項の扱いということよりも、むしろこうした教科書をめぐる制度の違い、あるいは制度趣旨について十分な説明をこれからしていくべきであろうと考えておりますが、初中局長はどうお考えでしょうか。
  8. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 船田先生の御指摘、まさにそのとおりと考えます。私ども説明のポイントもわが国における教科書制度の性格と申しますか、それが検定制度を基調としているということに力点を置きまして、この検定制度趣旨が正しく運用されていることがわが国教科書制度基本であるという立場からこれについて詳しく御説明を申し上げたわけでございます。説明内容は省略させていただきますけれども、この点につきましてはできるだけの説明をしたつもりでございますけれども、やはり国の成り立ち、政治制度社会制度その他教育制度も違いますので、直ちにそのまま理解をいただいたというふうな感じではございませんが、この点についてさらに理解をいただく必要があるという感想を持っている次第でございます。
  9. 船田元

    船田委員 きのうの会談におきましては、王暁雲公使個人的な見解としながらも、今回の文部省説明に不満を表明したと言われております。しかしあわせて、公式には文部省説明をありのまま本国政府に伝える、こういうふうにも述べたと言われております。文部省としては当面説明すべきことは説明したということでございますので、今後の中国政府の公式な対応あるいは声明なりそういうものを待つ、余り焦ることなく今後の推移を見守って慎重に対処していくべきだと私は考えているわけでございます。  文部大臣としてはきのうの会談その後のことについて何か御所見があればお伺いしたいと思います。
  10. 小川平二

    小川国務大臣 予期いたしましたように問題は非常に厳しいという感じを受けたわけです。文部省といたしましては、当方の説明本国政府に伝達するというお話であったわけでございますから、本国政府がどのようにこれを受けとめるか、いずれ何らかの形で表明されると存じますので、それを見きわめた上で対応してまいりたい、こう考えております。
  11. 船田元

    船田委員 外務省来られておると思いますが、問題は前後するわけでございますが、たしか七月の二十七日に中国政府の方から公式な抗議がこの問題に関して日本政府に対してなされたということでございます。その具体的な内容、それから七月二十七日以後に中国政府から何か公式なルートで申し出があったかどうかという件、さらには韓国につきましては韓国政府としての公式な抗議はまだないようでございます。ただ、韓日議員連盟あたりからはわが国日韓議員連盟に若干の働きかけがあるということも漏れ伺っているわけでございます。その中国韓国状況について概略を御説明願いたいと思います。
  12. 長谷川和年

    長谷川説明員 お答えします。  中国側申し入れの概要は次のとおりでございます。三点ありまして、第一点は、最近の日本新聞報道によれば、文部省高等学校、小学校の歴史教科書検定の過程で事実に反する改ざんを行なった、第二点はその例としまして、華北への侵略を「進出」、中国への侵略を「進攻」、九・一八事件を「南満州鉄道爆破事件」、南京虐殺事件中国軍の抵抗が激しかったため多数の死者が出たと記述するよう指導した、第三点は、中国政府としては、この問題は中日共同声明中日平和友好条約精神に離反し、中日友好に不利であり、人民の態度に影響を与えるものであり、きわめて大きな関心を示さざるを得ない、中国政府日本政府がこの中国政府立場に留意して教科書の誤りを正すよう切望する、こういう内容でございました。この後は、中国政府からは日本側に対しては正式の申し入れは一切ございません。  お尋ねの韓国の件でございますが、韓国側からは現在までのところ政府レベルでは公式の申し入れば一切ございません。ただ、東京韓国大使館からいろいろ外務省の方に事実関係等を照会してきております。  なお、御指摘のございました韓日議連を通じての申し入れば、韓日議連イ・ジェソル会長から日韓議連安井謙会長にあてた私信の形で、韓国側としてこれをきわめて重視している、この問題が日韓親善関係に悪い影響を与えないよう双方が努力すべきである、こういった見解を伝えてきたと伺っております。
  13. 船田元

    船田委員 いま外務省の方から、特に中国から指摘された教科書部分について何カ所か出ているわけでございまして、これについては後でまた詳しく触れたいと思います。  その前に一つ、私個人としてちょっと疑問に感じることがございます。それは、今回の中国韓国批判というのが一体どのようなことから始められたかということ、言いかえればそれらの中国韓国批判を形成した材料が一体何であったかということについて質問をしたいと思います。  といいますのは、たしか六月の下旬に今回の文部省検定結果についてのわが国新聞報道がまずございました。その翌日に中国の新華社通信が、歴史を歪曲した、こう早々と報道しているわけであります。このような事実から、私としては中国韓国教科書現物そのもの調査した、あるいは日本の特殊な教科書検定制度を詳しく調査した上での批判ということよりも、むしろわが国新聞報道そのものをニュースソースとして批判を始めたのではないかというふうにも感じとれるわけですけれども、このことについて外務省としてはどういうお考えをお持ちでしょうか。
  14. 長谷川和年

    長谷川説明員 私どもが承知しておりますところでは、中国においては六月下旬からわが国国内報道を引用する形で新華社あるいは人民日報さらには北京放送、こういったメディアを通じましてわが国教科書検定問題を報道あるいは非難して、七月二十六日の中国政府正式申し入れにおいてもわが国報道が言及されております。  韓国に関しましては、ことしの七月初め韓国中央紙東京特派員電として報じたことが国内における本件に関するいろいろな批判や何かの発端になっております。
  15. 船田元

    船田委員 いまの外務省説明では、私の推論といいましょうか、認識がある程度当たっているというふうに解釈をいたしたわけでございます。そういうことでありますと、新聞報道だけではなくて、きのうも中国に対して文部省から詳しく説明をしたということですが、これからもそういう具体的な現物を持っていくなり、あるいは検定制度ということについて文部省側から、あるいは外務省側からきちんとした説明をすれば、この問題についての中国側あるいは韓国側の誤解というものもだんだんと解けてくるのではないかな、こういう考えを持っているわけでございます。  この検定問題について、中国韓国についてはいろいろお話が出ましたけれども、それ以外の国々、特に戦前の日本軍中国韓国と同様に、侵略という言葉をこの際使っていいのかどうかわかりませんけれども侵略あるいは進出をしていった北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国、それからそのほかの東南アジア各国、そういうところにとってもこれは人ごとではない問題であります。どのような動きになっているか、ほかのアジア諸国はどういう動きをしているのかということについて外務省にお伺いいたします。
  16. 長谷川和年

    長谷川説明員 この問題に関しましては、東南アジアにおきましては、すでにシンガポールの南洋商報という華字紙、それからタイにおきまして、同じくタイにおける中国語新聞等報道を行っております。外務省としましては、こういった両国あるいは東南アジアそのほかの地域も含めましてできるだけ正確な情報を早く把握しまして、文部省の方に遅滞なく伝達したく念じております。
  17. 船田元

    船田委員 次に文部省にお伺いしたいと思いますが、今回の教科書検定問題で特に中国から指摘をされた個所について少し詳しく聞きたいと思います。  先ほどの外務省の話では、七月二十六日に中国政府から公式な抗議があった。その中で、特に日中戦争における日本軍中国侵略が「進出」それから「進攻」という用語に変えられている。二点としましては、九・一八事変日本では満州事変と呼んでおるわけですが、このことについての記述、それから南京事件南京虐殺、こういう記述、これについて問題があったとされておりますけれども、具体的にはどのようなことが問題となったのでしょうか。
  18. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 中国側申し入れの中に挙げられました例として、いま先生がお述べになったような点でございますが、これがどのような観点から問題になっているかということにつきましては、向こうの申し入れだけでは十分に理解しがたい点がございますけれども、第一の「侵略」を「進入」あるいは「進出」ということにつきましては、この華北への侵略というような点については、今回の検定教科書を精査いたしましたが、この部分についての該当は当たらないわけでございます。  一般に侵略進出関係をどう考えるかということにつきましては、昨日の参議院文教委員会におきましても文部大臣から、あるいは私どもから申し上げたわけでございますけれども教科書記述歴史的な事実に即して客観的に公正に、かつ教育的な配慮を加えて行われることが必要だということが前提でございまして、どのような用語をその事実について使うかということは、いろいろな意味教科書記述におきましては大変配慮を加えられる問題ではないかと思います。  ところで、仮に問題となっておりますような侵略の例といたしまして、一つの図の表題、「日本中国侵略」というふうなそういう表題を持った図がございまして、それをどのように表現するかということにつきましては、たとえば同じような時代におきまして列強のアジアに対する行為については「進出」と書いてあるというふうなところから、これについては同じような事実について同じような国に対して行う行為について、全体の調和という観点からバランスをとる意味で表記の統一を求めたところ、「侵略」を「進入」というふうに表現を変えてきたというふうなことでございまして、ことさらにこの点についての意図的な意見を付したものではございませんし、なおこの点は、いわゆる教科書検定におきます一つの運用といたしまして、修正意見改善意見とあるわけでございますけれども強制力を伴わない改善意見としてこれを提示したわけでございまして、その改善趣旨に従って訂正してきたものが「進入」となったというふうな経緯でございます。  それから第二に挙げてございます満州事変のことでございますが、これは関東軍現地参謀らが南満州鉄道の線路を爆破し、それを中国軍行為であると偽って張学良軍に対し攻撃を開始したことに始まること、これはいわゆる柳条溝事件でございますけれども、以後関東軍東北地方全域軍事行動を起こし、占領地を拡大していったこと、ついには満州国を発足させるに至ったこと、これはほとんどの検定済み教科書において詳細に記述されておりまして、このような事実の経過に関する記述について検定意見を付するということはないのでございまして、中国側の挙げておられます例といたしまして、これがどのようなところが問題であるのかという点については、まだその真意理解することができないという段階でございます。  南京事件につきましては、これは事件状況を伝聞だけではなくて直接的に示す史料に乏しいという点でございまして、特に死傷者の数などにつきましては、その伝えられる数が、少ないもので一、二万、多いもので数十万というように、史料によりまして非常に大きな違いがあるわけでございまして、検定におきましては、そのような不確実な数値を教科書におきまして断定的に記述することについては避けるよう求めておるわけでございまして、これは南京事件だけではございませんで、原則としてそういうものについては修正意見を付しているというわけでございます。また、この事件の起こりました状況につきましては、単にそれが大量の虐殺であったというだけではなくて、その起こった状態について背景その他がわかるような記述をしなければ、このことの持っている歴史的な意味というものが解明されないのではないかということで、そういう点についての意見を付しているわけでございますが、これらの点が修正されましたものが、その記述におきまして、これは修正意見に対しまして訂正されました記述そのものが書きかえられたというふうなことで問題になっているというふうに理解をしているわけでございます。
  19. 船田元

    船田委員 時間がもう来てしまいましたけれども、いまのお話の中で、中国側指摘をした個所、このことについて、その真意がよくわからないという点も若干あるようなところがあると思いますので、その辺は中国側と十分に話を詰めていただきたいと思います。  最後に、中国との関係におきましては、先日趙紫陽首相が訪日をされて、それを受けまして鈴木総理小川文部大臣自身が九月に訪中をされるということ、また、韓国との関係においては経済協力問題が大変大詰めを迎えているということ、こういうこともありまして、今後の対応というものはきわめて慎重に、しかも誠意を尽くしてやっていかなければいけない問題だと思います。  最後に、今後の対応につきまして文部大臣の所信を伺いたいと思います。
  20. 小川平二

    小川国務大臣 中国韓国両国とも友好親善関係、同時にまた相互信頼関係を一層深めていかなければならないこの時期に、今回のような不測の事態と申しますか、予期せざる事態が出てまいったことについて、私は本当に心を痛めておるわけでございます。先方の主張には謙虚に耳を傾けますと同時に、日本における検定制度の仕組み、あるいは検定に臨む文部省の姿勢、あるいはまた指摘されております個々事項につきましても十分に説明をいたしまして理解を求めたい、全力を挙げて誠意を持って努力をしたい、このように考えております。
  21. 船田元

    船田委員 ひとつよろしくお願いいたします。  終わります。
  22. 青木正久

  23. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 ただいまも質問がありましたが、昨日、鈴木初中局長中国王公使に対しまして、かねて公式回答しておった第三項に基づきまして、日本教科書検定制度等について説明をした、こういう報道がなされておるし、ただいまも答弁があったわけであります。  重ねてでありますが、どのような説明をしたのか、その要点と、それに対する中国側の受けとめ方をどのようにとらえて帰ってきたのか、その点について説明をいただきたいと思います。
  24. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 説明のポイントは、わが国教科書制度の性格について、その基本的なあり方についての御理解をいただくことにポイントを置いたわけでございまして、わが国教科書制度検定制度をとっていること、この検定制度と申しますのは、多数の民間会社がみずから著者を選んで教科書をつくっていく、そのつくっていくという過程におきまして、国が、政府が一定の観点から適切な配慮を加えてよりよき教科書をつくっていくための制度として検定を行うという趣旨でございまして、その中には指導助言的な性格を持っております改善意見のようなもの、あるいは強制力を持っている修正意見と申しますかそういうような意見を付する、その意見を付する際には、これは学識経験者等から成っております文部大臣の諮問機関でございます検定調査審議会に諮りまして、その意見を聞いて意見を付するというふうな慎重な手続をとっておりますこと、また、その改善意見とか修正意見の運用が、検定制度の運用といたしましては非常に適切に機能していることなどにつきまして御説明を申し上げたわけでございます。  それで、現在いろいろ挙げられております個々の点につきましては、私もあえて触れませんでしたのは、先ほど申し上げましたように、どの教科書のどの記述について、どれが問題であるかという点につきましては、必ずしも明確でない点もございますし、それは、私どもが国会等におきまして個々のケースについてお答えをしていく中であるいは御理解がいただける点もあろうかということもございまして、あえてその点に触れなかったわけでございまして、個々の点と申しますよりは、検定制度の仕組みがわが国の独特の制度でございまして、それについての御理解を得るということが前提ではないかと思いまして、この点に重点を置いて説明いたしたわけでございます。  なお、その際に、教科書における日中関係に関する記述につきましては、船田先生にもお答え申し上げましたとおり、日中共同声明及び日中平和友好条約精神が正しく反映されるべきは当然と考えておりまして、現に教科書の中にもそういう表現があるわけでございます。したがって、教科書全体をごらんいただきますならばわが国立場がよく御理解いただけるのではないか、そういう説明をいたしまして理解を求めたわけでございます。  王公使はそれを聞いておられまして、ただいまの説明についてはそのまま本国政府並びに大使に伝えるということをまず述べまして、その後で、個人的な見解ではあるがと申しまして、ただいまの説明内容には賛成いたしかねる、納得できないというような趣旨見解を述べられたわけでございます。
  25. 青木正久

    青木委員長 委員の質疑時間が限られておりますので、政府におかれましては御答弁を簡潔、明瞭にされるようにお願い申し上げます。
  26. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 中国側理解を求めるべく説明をした、しかし、簡単に言えば理解は得られなかった。むしろ得られなかったという程度ではなくて、新聞にも書いてありますけれども、強い不満の意が個人的な意味でも表明された。その中身は、王公使個人見解というふうにはなっておりますけれども、新聞の報道によれば、単に強い不満が表明されたという程度ではなくて、中身がきちっとあるのですね。それは、新聞の報道によれば、今回の説明内容には賛成しかねる、今回の検定日本政府の意思によって、最終的には日本政府の決定によってなされたものと理解する、文部省が共同声明などの精神に基づいて物事を運びたいというのはうれしいが、今回の検定は共同声明と平和友好条約の基本精神に反していると言える、この説明で人々を満足させるわけにはいかない。  つまり、文部省が誤解を解き理解を求めるということで説明したのですが、それに対して、理解できない、強い不満を表明したというだけではなくて、そういう抽象的なことではなくて、この内容にわたってきちっと向こうの不満の意思、また再度日本政府に対する要求の意思が明確に盛られているわけです。  こういう新聞報道内容が事実だとするならば、このことについて文部大臣はどのように受けとめるのか。先ほど、私の聞き違いじゃないかと思うのですが、予測はしておったというようなことをちょっと船田委員質問に対して答えておったようですが、こういうような個人見解といえども中国側の答弁、見解、これを予測しておったのですか。あわせてひとつ御答弁願いたいと思います。
  27. 小川平二

    小川国務大臣 中国政府の外交ルートを通じての申し入れは、冒頭に新聞報道によればと書いてあるわけでございまして、検定の結果が報道された時点におきまして、日本における検定の仕組み等について十分な知識を持っておらない人がこれを一読いたしました際に、たとえば問題になっております「侵略」というような字句にいたしましても、日本政府がことごとくの教科書からこの字句を抹殺すべく強制したというふうに受け取られても、これはあるいはきわめて自然なことであるかもしれない。そのような問題でございますから、これを解きほぐすのはなかなか簡単なことではない。  その第一着手といたしまして、昨日は日本検定制度について時間をかけて説明を申し上げたわけでございますが、なかなか簡単に了承していただくことができなかった。これは、私がかねて予期しておったところでございます。簡単に片づく問題ではないという認識を持っておったわけでございます。  昨日の公使の御発言は、個人の資格と前置きしての御発言でございましたけれども、あの発言にかんがみまして、問題を解決する上において努力をしなければならない余地がまだまだ大いに残っておるという印象を受けたわけであります。
  28. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 なかなか簡単に片づくものではない、こういうふうに見ているということですが、これは基本的に、七月二十六日でしたか、中国側の公式の口頭による抗議申し入れ、この中国側考え方、趣旨というものを非常に甘く、軽くとらえているのじゃないかという気が私はしてならないわけです。  それで、いままでの新聞報道等によれば、文部省あるいは政府側は、中国側誠意を持って説明すれば中国政府理解は得られると思う、こういう受けとめ方と態度で昨日も臨んだと思うのです。しかし、中国側抗議申し入れば実に一貫しております。いろいろございますが、その申し入れ最後のところに、中国政府は、日本政府中国政府の上述の立場に注意を払って、文部省検定教科書の誤りを訂正するよう希望するときちっと結んであるわけですね。切望か希望か、このところはちょっとはっきりしませんけれども、そういう明確な具体的な内容を持った意思表示に対して、検定制度の違いなどということを説明して理解が得られるというとらえ方、態度、折衝の仕方が甘いのではないか。したがって、先ほど申し上げました、王公使が、個人見解といえども、今回の説明内容には賛成しかねる、しかも、改善意見とか修正意見とか、いろいろ検定制度のことを言っているけれども日本政府の意思によって決定されたものと理解すると明確に言っているわけです。それから、今回の検定は共同声明の趣旨にも反している。そして、これはたしか中国の新華社の報道だと思うのですが、その中の最後にこういう結びがあるのです。誠意は行動によって証明される、すなわち、教科書内容の変更を求める、これで結んでいるのですね。これが中国側の今日も変わらない基本的態度だ、また立場だと私は思うのです。  何かしら誠意を持って行動しているように思われるけれども、また中国から言えば、そのように受け取れる向きはあるけれども何ら証明されるものがない。その証明される内容は、すなわち、先ほど言いました中国の七月二十六日の申し入れ文部省検定教科書の誤りを訂正するよう切望する、それを受けとめて内容の変更の求めにこたえなければ具体的な誠意ある回答とは言えないというふうに中国大使館並びに中国側あるいは中国人民は見ている。これが本来の受けとめるべき立場ではないのか。このような点から言うならば、現在までの文部省政府のこの問題に対するとらえ方、態度、折衝の仕方は甘い。  したがって、個人見解と言うけれども中国公使の見解、態度というのは、われわれから言えば当然予期された回答ではなかったのかというふうにも思いますので、その辺のいままでの受けとめ方、そしてまた折衝の過程について、私はそのように思うのですけれども文部大臣はどのようにお考えですか、再度御回答を願います。
  29. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいまお話のございました点につきましては、私どもは決して楽観的な態度でこれを受けとめたわけでございませんで、基本的には国情の違いなり教育制度の違いがやはり根底にございまして、それを十分に理解した上でないと個々の認識が得られない。したがって、まずわが国教科書制度のあり方につきましての十分な理解を得られる努力が必要であるという観点からそのような態度でまいったわけでございます。  個々具体的な表現を直ちに直すかどうかということにつきましては、国定の教科書の国柄と検定教科書制度をとっております国の教科書との違いを十分にわかっていただきませんとやはりこれはむずかしいという観点から、私どもといたしましては、その前提となっております教育制度教科書制度の違い、あり方について、またわが国教科書検定制度の仕組みについての理解がやはり前提であるということから、個々の問題に触れないでそのことを御説明申し上げてきた、そのことについて理解を得る努力を重点に置いてきたということでございまして、それの理解が得られますならば、個々記述についての問題点についてもおのずから理解が得られるのではないかというふうに考えてまいったわけでございます。
  30. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そこが私は甘いと思うので、これは文部大臣に私は指名して答弁を求めているのですから、簡潔に文部大臣の答弁を求めます。
  31. 小川平二

    小川国務大臣 教科書内容を改めるべしという中国政府の要求は、日本における検定制度の仕組み、あるいは一口に申しますれば検定を行った文部省真意等について十分な理解を持った上での要求とは考えておらないわけでございます。したがいまして、時間をかけて、誠意を持って懇切に説明することによって理解を得たいというのが私どもの態度でございます。
  32. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 時間をかけて説明していけば必ず理解をしてくれると言うのだけれども、しかし、向こうの方が、検定制度の仕組みがわからないのでというようなことや、もう少し突っ込んだ説明をしてくれないかとか、この点について理解が行き届かないとか、こういうことは何も言ってないのですよ。言っていることは、先ほどから言っているように、はっきり物を申しているわけだ。日本政府の決定によってなされたものと理解する、今回の決定は国際的な共同声明、平和条約の基本精神に反すると明確に言っている。そして、ここで言外に言っている——教科書の誤りを訂正するよう切望するという、これは新華社の報ずる声明の中にもあるわけなんです。そういうふうに明確に言っているわけだ。それを単にこちらが抽象的に、教科書制度の中身あるいは制度の違い、内容を、誠意を持って粘り強く努力すれば理解できるなどというようにとらえていること自体がなまぬるいと私は思うのですが、重ねてどうですか。
  33. 小川平二

    小川国務大臣 現行の改訂に文部省の意思が加わっておることは紛れもない事実でございますから、文部省は責任を回避するつもりは毛頭ございません。これは検定の仕組みを説明する過程で先方にも申し上げたことに違いないと信じております。  なお、教科書を改めよという要求についてどう考えるかということについては、ただいま申し上げたとおりでございまして、誠意を持って説明することによって理解をしていただく、その努力を今後も続けてまいりたいと思っておるわけでございます。
  34. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 つまり、検定制度の仕組みを説明をし、理解を求めていった、このことを皆さんはおやりになったのですね。しかし、そのことについて何ら理解を得ることができなかった。むしろ、検定制度の仕組み、したがってそのことは、恐らく皆さんはその背景として、文部省がねじ曲げたとか検閲して介入したとかということじゃないのだ、つまり民間教科書会社の自主的判断ということが内容に含まれているということを説明したのだろうと思うのです。しかし、先ほど言ったようにそのことについて中国側としては、その説明をしたにもかかわらず、今回の検定日本政府の意思によって、最終的には日本政府の決定によってなされたもの、という回答が来ているわけですね。このことを幾ら説明したって、いまの日本教科書検定の仕組み、しかも秘密にされている、しかもその実態から見たならばわれわれだって納得できないのですから、ましてや国の違う中国が幾ら説明されたってこのことはわかろうはずがないのです。  特に、御承知のとおり、修正意見あるいは改善意見とあるけれども改善意見と言うけれども、これは事実上修正意見と同じであって、限りない修正意見なんですね。これは事実皆さんもいろいろな報道や何かで御承知のとおり、中身は明らかにはされていないけれども、いろいろな報道なり周辺から知り得る範囲内で得るならば、一点の改善意見に対して、その発行者、著者、調査官が十二時間にもわたって丁々発止とやっているなどということは、改善意見を述べて後は自主的判断に任せるなどというしろものではないことは国民ひとしく仄聞しているし、事実だと思うのです。しかも、片一方は文部省検定によってそれを認めてもらって販売しなければならぬです。そのときに改善意見を聞き入れるかどうかということは、その商い行為にも響いていくわけですから、当然、改善意見は強い修正意見と同じように受けとめるという、これは事実そういうことを証明しているわけです。また、証言しているわけです。しかも、期日が検定の間近になればなるほどそういう焦りがやはり検定を受ける側にあることは、理屈からいってもそうですし、実態からいってもそうなんです。ですからこれは、日本国内においてだって、検定の仕組みの中身、特に改善意見を付したところが教科書会社あるいは民間のレベルで自主的に改善したといっても、われわれでさえ納得できないのですから、国の違う中国がそのことに納得できるはずがないと私は思う。  したがって、そういう意味で丁寧に初中局長説明したと私は思うけれども、その説明を受けてもなおこの点については疑問だとか、この点は理解できないとか、それならまだ説明していても脈があると思うのです。しかし、そういうような質問や疑問ではなくて、そういう説明をしたにもかかわらず「日本政府の決定によってなされたもの」と理解する、こういうふうに個人とはいえ明確なる回答が来ているという事実は私は重視しなければならぬと思うのです。したがって、そういう点からいうならば、先ほど文部大臣が言ったような、重ねて説明すればやがて中国側はこのことについて理解を示す、納得できるというような状況ではないと私は思うのです。この点についてどうですか。
  35. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 まず、この王公使個人見解は、私は回答ではないというふうに考えております。これから本国政府にそのまま伝えるということでございますから、その対応を私どもはこれから慎重に見守っていきたいというふうに考えています。  それから、検定に際します改善意見でございますが、これはいまお話がございましたようなことではなくて、やはり強制力を持たない、指導、助言的な性格を持っているものでございまして、向こうに学問的な裏づけがあれば、そこで納得がいくことがあれば合意をしてそのままになるというふうなものであろうかと思います。  現に、それが強制力を持たないという点につきましては、日中戦争に関する、日本中国侵略に関する五十六年度の検定結果におきましても、日本史につきましては三点指摘をいたしまして、改められたのは一点。二点はそのまま残っているわけでございます。そのように、改善意見強制力を持たない、現にまた残っているという点につきまして御理解をいただくということが私どもとしては必要ではないか。そういう点も含めて改善意見趣旨等説明を申し上げたつもりでございました。
  36. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そういう理解を求めるということでいっても、先ほど言ったように「日本政府の決定によってなされた」ということを、個人見解といえ公使が表明している。さらに、新華社の報道によれば、日本政府説明に対して次のように手厳しく言っているわけだ。つまり「日本政府は弁解し、政府の責任を民間、つまり教科書会社に転嫁したものである。」、こういう表現をしているのです。これが私は中国人民の共通の今日的時点の受けとめ方ではないのか、そのことをお考えになるならば、説明したならばこれは理解が得られるなどという態度なりこれからの進め方というのは、いまの国際的状況から判断するときわめて甘いし、また日本流の言葉で言えば中国側を非常になめた態度ではないか、私はそう思うのです。国際的な信義にも反する。もっと内容のある回答をしていかなければ、私はこの問題の解決はないと思う。どうですか。
  37. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 私どもは、検定制度の仕組みが簡単にわかっていただけるものとは考えておりませんが、しかし、やはりその点の御理解がないと個々指摘についての御理解が得られないという考え方は依然として強く持っているわけでございます。今後につきましても、そういう観点から、相互の理解を進めるためにも日本教科書制度、教育のあり方というものにつきましては御理解をいただく努力を続けてまいりたいというふうに考えております。
  38. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 次に、内容の問題に触れていきますけれども、先ほど検定制度の仕組みの説明と同時に、侵略進出あるいは進入という内容についても、関連して当然説明されたと思うのです。しかし、この日中戦争記述について、つまり日本の「侵略」を日本の「進出」に変えたというこのことについては、幾ら中国側説明をしても納得の得られるような内容ではないと私は思うのです。これは言うまでもなく、日中戦争の客観的事実は日本侵略戦争であったということはひとしく認めていることであるし、ましてや何年となく身をもって、言うなれば日本の三光政策、御承知だと思いますけれども、殺光、焼光、略光、つまり殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす、この三光政策を身をもって体験した中国からいうならば、あるいは中国政府からいうならば、言葉の問題ではなくて、言葉イコール侵略の実感としてこのことは許せないことだと私は思うのです。同時に、御承知のとおり王公使個人見解の中にもそのことに触れて、共同声明と平和友好条約の基本精神にも反するということを言っているわけであります。これはつまり、日中共同声明両国日本侵略戦争であった事実を認めて、共同声明にお互いが合意しているのだと思うのですね。したがって、「侵略」を「進出」に変えるというしかもそのことを子供に教えていくということについては、この侵略戦争を前提にして合意した共同声明にももとるというのは私は中国立場としては当然だと思う。このことについてどう思いますか。
  39. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 この「侵略」の個々の問題につきましては、先ほど私が王公使説明した中には、具体的にはその点には触れておりません。るる申し上げましたように、まず個々の問題よりも、問題の枠になっておりますところの検定制度の仕組みについて御理解をいただかないと、まずそのことが前提ではないかということで、個々の問題には触れなかったわけでございます。「侵略」を「進出」にしたというケースにつきましては、現在のところ五十六年度の教科書の中では見当たらないわけでございますけれども、たとえば、一つ教科書の中で、「世界史」でございますが、「日本中国侵略」というタイトルがございまして、地図があるわけでございますが、その点についてこの表題をどう評価するかということでございますけれども、一方におきましては、中国に対する欧米列強の行為については「中国進出」というふうに書いてあるのと表記を合わせたらどうかということで改善意見を出しましたところ、これが「満州事変・上海事変」というふうに客観的な表現になってきたということでございまして、そこに記述されております内容につきましては正しく満州事変、上海事変について触れられておりまして、そのことの記述自体が変わっているのではないのでございまして、明らかに上海事変なり満州事変の持っております内容個々に明確に記述されておるということでございまして、これによって侵略と言われるものの実態が変わったというふうなものとは理解してないわけでございます。
  40. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 客観的、統一的記述というけれども、これはそれぞれの歴史的背景でその戦争の性格も違うとは思うけれども、しかし、日中戦争日本軍国主義によって引き起こされた中国侵略戦争であったという、このことは、私は学界においても国民的なレベルにおいてもこれは共通して理解される、コンセンサスの得られる中身だと思うのですね。ですから、そういう点から言うならば、私は日中戦争日本軍国主義が引き起こした戦争だというふうに思うのです。それは、そういうような言い方をしたならばこれは間違いなんですか、文部大臣
  41. 小川平二

    小川国務大臣 多少重複をすることになるかもしれませんが、あらかじめお許しをいただいて申し上げますが、初中局長から申し上げましたとおり、中国と諸外国との戦争記述する際に「進出」という言葉を用いている教科書があるわけでございます。たとえば、アヘン戦争は、これは公然たる大規模な戦争でございましたし、弁護の余地のない戦争だったと私は信じておるわけでございます。その結果中国はいろいろなきわめて屈辱的な条件をのまされた。かような行為歴史の書物あるいは歴史教科書で「進出」と書くということははなはだしく適切を欠いておるかといえば、私は必ずしもそうは考えないわけでございます。歴史教科書でございますから、客観的な事実を記載すればよろしい。一般的に申しまして、歴史の教育におきましては、信慰すべき史料に基づいた史実を客観的に考察し、判断する能力を養うということが歴史教科書でございましょうから、用語等も価値判断を含まない客観的な用語を用いる方がより望ましいのではなかろうかと考えておるわけでございます。  そこで、たとえばある教科書におきましては、中国との戦争一般について「進出」と書いておるのに、日本の場合だけ「侵略」とお書きになっている、用語を統一なさったらいかがでしょうか、その際「進出」という用語の方がより客観性のある言葉ではありませんでしょうかと申し上げたのに対して、著作者はこの意見を入れて改訂をいたしたわけでございます。  そこで、たとえばある教科書におきましては、「満州事変・上海事変」というふうに、「日本中国侵略」という見出しを改めてそのように改訂したわけでございますが、内容記述については一切、一字一句も変更しておらないわけであります。これを通読した者が価値判断をする。  教科書の他の部分におきましては、たとえば戦争日本が過去において行った行為に対する反省ということ、ほとんどことごとくの教科書がきわめて詳細に記述をいたしております。たとえば「現代社会」におきましては「日本国民は、過去の日本がとってきた軍国主義や侵略主義の諸政策が、どんなに誤りであったか、深い反省をする機会が与えられた。自分たちが戦争による生活の破壊や損失を経験することによって初めて、他国民への、罪の深さを知ることができたのであった。」と、このような記載をいたしております。同じ趣旨の記載は多くの教科書に見られるわけであります。特に日中関係について申しまするならば、「日本は過去の戦争にともなう責任を痛感し、深く反省するとともに」云々と、共同声明の趣旨について詳しく記述をいたしておるわけでございます。  過去の戦争、過去において日本が行った行為を深く反省しなければならないということ、あるいは日中の友好親善を深めていかなければならないということは、これは教科書に記載するべき事実ではない。教科書というのはそういうことを書くべき場所ではございません。教科書には客観的事実を記載すればよろしいので、ほかの部分においてかようなことを強調いたしておるわけですから、全体として教科書を通読してもらいました場合に、日本がここで軍国主義政策をとろうとして  おる、あるいは過去の行為に対する反省を全く放棄しておるというような批判は生まれてこないだろう、私はこのように考えておるわけでございます。
  42. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 大体答弁が長過ぎる。  ここで学問論争するつもりはないけれども戦争にはその歴史的背景といろいろ性格の違いがあると思うのです。私はそれを一々ここでは取り上げませんけれども、ただ私は、日中戦争日本の軍国主義が引き起こした侵略戦争であると言って間違いなのか、もし間違いだとするならば、この日中戦争というものをどのような性格の戦争ととらえているのかということなんですよ。具体的に聞いているわけだ。だから、日中戦争進入戦争なのか進出戦争なのか侵略戦争なのか、はっきりしてください。
  43. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいまの御質問でござい  ますが、そのようなお尋ねではなくて、具体的に教科書にどのように記述しているかという点についてのお尋ねでございますれば、私どもが先ほど申し上げたように、ある場合に「侵略」が著者と検定官との合意によりまして「進入」になったというふうなことでございまして、それが侵略戦争とか進入戦争とか、そういうことではございませんで、個々記述についていろいろと改善意見を付して、ある場合にはそういうふうになっているというようなことでございます。
  44. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 全然答弁をはぐらかしているのですが、いまの局長の答弁にしたって、六月末に終わった検定、それを前提にしていろいろ中国側にも説明され、また言っているようでありますけれども、昭和五十三年の検定では、「世界史」や「社会科歴史」について、侵略戦争という、「侵略」ということについて修正意見という形で提起をしているという経過があるわけですよ。そういう経過等もありますし、つまり、「侵略」ということについて政府修正意見改善意見、何らかの変更をさせることについての意見を述べているわけです。ですから私は、日中戦争侵略であるか進出であるか進入であるかという、このことを文部省立場として求めているわけだ。
  45. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいま御指摘の点だけはひとつ弁明をさしていただきたいと思いますが、これは、昭和五十三年度の「世界史」の検定におきます「侵略」についての修正意見を付した点についての御意見ではないかと思いますが、この例は、目次の表記を調査いたしましたところ、「十字軍とモンゴル軍の侵入、オスマン帝国のヨーロッパ進出、西アジアの民族移動とアフリカ・太平洋の分割、日本中国侵略と抗日運動」というふうに目次がなっておりまして、本文の見出しともなる目次の表記に不統一が見られましたので、これらの表記の統一を図るよう、この点については例外的に修正意見を付したものでございまして、これは特別な例でございます。
  46. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 答弁になってない。  それで、時間も迫りましたから、中国側立場に立ったときに、侵略進出進入か、この場合は侵略進出ということですね。「侵略」ということを「進出」というふうに変えた場合に中国側はどういう受けとめ方をするか、これは三光政策によって体験をされたというこの生々しい体験からもちろん納得できないと思いますが、この北京放送の中に次のようなことが書いてある。「新しく検定を受けた教科書は、日本中国侵略をした歴史に関する部分日本軍華北侵略華北進出に改めた例に見られるように、多くの個所侵略という言葉を進出という言葉に改めた」、そしてその後に、「進出という言葉には、日本語ではけなす意味はなく若干ほめる意味がある」、こう書いてある。こういう解説の報道をしているのですね。  とするならば、中国側から言えば、日本軍中国侵略してあのような行為をやったことが、ほめる意味にもとられるような「進出」という言葉に変えるということは、言葉の問題ではなくて、実感からいってまたその語感からいって許せないと私は思うのです。これが中国側の偽らざる皆さんに対する、文部省に対する回答になってあらわれてき、今後もこの態度は変わらぬと私は思う。どうですか。
  47. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 一つ行為のあらわす事実関係、それをどのような表現記述するかということにつきましては、これは個々の事実についての表現というところで判断していただかなければならないと思いますので、一般的に侵略進出かという議論ではなくて、この点についてこれはこうなっているという場合に、それをどうするかというような御検討でなければ、一般的にその「侵略」「進出」という用語を比較いたしまして、こちらの方が楽観的なよい意味があるということだけではないのでございまして、その点については、教科書記述というものが統一を図るとか教育的な配慮が必要であるとか、そういう観点から個々記述について意見を付し、それを著者との合意によりまして改めていくという検定制度の仕組みの中で御理解をいただく必要があるのではないかというふうに考えます。
  48. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 よく言われるのが、記述が客観的とか統一性とか、そういうようなことや、それは個々の個別的などという形でいろいろ言い回しをしております。しかし、満州事変に始まる、以後十五年にわたる中国に対する侵略は、どのように言葉で表現を変えてみたところでその事実は変わらないと思うのです。  ここに侵略戦争の証言するべき文献があります。これは「三光」という、光文社で発行した本です。この三光というのは先ほど言ったとおりでございまして、これは中国で戦犯になった日本人のうち約千人が、みずからの手で下した中国での罪業を書きつづったものであって、これが日本で昭和三十二年に発行されましたが、余りにも衝撃的なために一カ月で絶版になった本です。この本はないのです。国立図書館に一冊あるだけなのです。この中には、皆さん御承知のとおり、累々とした侵略歴史が全部写真に出ている、ここに。いま全部できませんけれども。ここに、十五編についてのそれぞれの、みずからが体験し、みずからが反省という形でつづった事実の記録があります。これには生体解剖からあらゆることが書いてある、全部。それを全部私は読むことはできません。  それで、一番最後に「あとがき」というのがある。あとがきには、中国帰還者連絡会、三名の名前が書いてあります。実名であります。この中には生存者もいます。戸籍を調べれば、ここに証言に立ちます。この本なんです。この本の「あとがき」にこのようなことが書いてある。   ここに収められている十五編は、すべて事実であり、なかんずく、戦争の実体を取扱ったものは、あの戦争の規模と被害からすれば、ほんの九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)にもたらぬ一部分である。   しかしながら、それでも読む人には、どんなに日本軍国主義と私たちが、非道に、野蛮に中国の人々のうえに、残虐な猛威を振るっていたかを了解していただけると思う。   こういう惨事は、たんに一人の人間の異常性格や、思いつきからだけでおこるものではなく、その根本は戦争侵略性という本質からひきおこされているものである。「皇軍」の軍紀や慈悲のおとぎ噺(ばなし)に耳を傾けるまえに、それが個人のどんな意志から発したにせよ、侵略を受け、肉親を目のまえでむざむざと殺された側の人々からみれば、すべて仇(あだ)であり、人の皮をかぶった悪鬼(あつき)羅刹(らせつ)であることに注意をしていただきたい。   私たちは、こういう過去の自分を臍(ほぞ)を噛(か)むような痛恨にさいなまれながら、だからこそ、二度とけっして過(あやまち)を犯すまいと誓いつつ書いた。日本国民のうちに、ふたたび、愛する人々を戦場に送って、あの惨めな悲しみと苦しみを繰りかえし、原爆の惨害を味わいたいなぞと考えるような人はひとりもいないと思う。 以下云々です。  これは後で文部大臣、国会図書館にありますけれども、読んでください。この中に、ずうっとありますが、ここで、事実であって、あの戦争の規模からいえば「ほんの九牛の一毛」にすぎないということで率直に書いてあるのです。  さらに皆さん、これは、まだ世に出ていないものです。これも同じく光文社でこれから発行される、ゲラ刷りなんです。続編なんです、これは。  この中に、第一、日本鬼子、軍医の野天解剖、つまり生体解剖です。その中に、個人の名前が書いてあります。この人は憲兵隊伍長、現在も生存中で、住所も全部わかります。同じこれがずうっと十五編あります。これを読めば、中国に対する十五年にわたるあの侵略が、日本軍のなしたことが、侵略戦争であるか、進出戦争であるか、進入戦争であるか、論外なんです。これは事実が何よりも証明しているし、しかも中国人から言えば、とても「侵略」を「進出」と変えることを納得できるようなものではない。このことを私は日本国民としていたくやはり肝に銘じて中国側申し入れを受ける、そして十分それに対して配慮をするということは、私は日本国民として大切なことではないかと思うのです。  時間がありませんから引き続いて申し上げます。後でまとめて答弁いただきます。  次に、先ほど申し上げましたところの侵略進出の問題、これは日中共同声明やあるいはまた日中平和友好条約に反する、こういうことを言っています。それは事実に照らしてもそのとおりだと思う。  共同声明の中に、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」とある。この日本側は「責任を痛感し、深く反省する。」としたこの日中戦争を、日本中国はどのように受けとめたのか。これは日本中国侵略したというこの事実をお互いが認め合ってこの日中共同声明に合意をしたものだと思う。だから、日中共同声明両国が合意をしたということは、つまり、日中戦争侵略戦争で、日本の軍国主義が侵略したという、このことに立ってこれはつくられたものなんです。そうでしょう。だとするならば、両国間の信義からいっても、この客観的事実を曲げてはならないし、そしてまた、この歴史的事実を教訓として子々孫々まで教えていくということが日本国民の責務であると私は思う。そしてまた、そのことが日中両国人民の子々孫々に至る平和友好の基だと思うのです。  私は、そこまで思いをいたさなければ、そういう重みで中国申し入れなりこのたびの中国大使館王公使見解を深く受けとめなければ、この問題は解決できないし、また、亀裂をますます深めるばかりだと思うのです。そういう観点で私はこの問題に対処すべきであるというふうに考えますが、最後に、この点について文部大臣のまとめた所見、今後の態度、加えて、外務省からも来ておりますから、外務省からもいままでのことを総括的に見解があったら述べていただきたいと思います。
  49. 小川平二

    小川国務大臣 私は、満州事変以降日本中国に対して行いました行為、これは正当化することのできない行為だと考えております。この点において佐藤先生の御認識といささかも変わるところはございませんし、ほとんどことごとくの教科書が、ただいま朗読をなさいましたように、過去において行った事柄に対する責任をとらなければならない、そのことの厳しい反省に立脚して中国との友好を促進していかなければならないという共同声明の趣旨について解説をいたしておるわけでございます。  先ほど来問題になっておりますのは、歴史教科書における記載でございます。歴史教科書は客観的な事実を記載すべきものでございまして、過去の戦争が、支持することのできない戦争であった、日本が犯した過ちであったということを裏づける客観的な事実は、ことごとくの教科書が記載をいたしておるわけでございます。  これは教科書の問題でございまするから、価値判断を伴う言葉を用いなければ間違いだということは、私は言えないと思うのです。この点につきましては、先ほど来るる御説明を申し上げたところでございますから繰り返しませんが、私は先ほど来申し上げましたような考え方でこれからも全力を挙げて誠意を持って当方の立場理解していただく努力を続けるつもりであります。
  50. 長谷川和年

    長谷川説明員 わが国教科書の中で歴史的事実をいかに表現するかというのは、これは文部省が判断される問題でございますが、日中問の共同声明の精神、これに関する認識というのはいささかも変わっていないというのは日本政府の認識であり、したがって、教科書記述に関しましても、日中共同声明の認識というのは正しく反映されてしかるべきだと私たちも考えておりまして、今後とも文部省とも御連絡、御相談をいたしまして、誠意を持ってこの問題の処理に当たりたいと思います。
  51. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 文部大臣の答弁に私は納得いきませんが、時間ですからやめますけれども、しかし、いまの文部省の態度で進めていってもなかなか中国側理解を得ることはできないだろうし、それに固執をするならば亀裂をますます深めるであろうということを私は憂えております。  最後に、先ほども挙げました新華社、ここで誠意を持って当たれと言っているのですから、その誠意は行動によって証明される、すなわち教科書内容の変更を求めるという、このことを最後に申し述べて、私の質問を終わります。
  52. 青木正久

    青木委員長 有島重武君。
  53. 有島重武

    ○有島委員 健全な国民の育成ということにつきまして責任と権限とを与えられております教育行政ということは、より明朗なものであってもらいたい、これが国民の一致した考えであろうと思う。大臣、どうですか。
  54. 小川平二

    小川国務大臣 私もそのとおりだと考えております。
  55. 有島重武

    ○有島委員 従来教科書検定というものは非公開で密室でやってまいったわけであります。この検定の非公開ということについて、国民は非常に暗い印象を持っておるという点について、大臣の認識はどうですか。
  56. 小川平二

    小川国務大臣 検定内容を公開しない理由について申し上げます。(有島委員「理由じゃないのだ、認識、暗いか明るいか」と呼ぶ)まず、このことを申し上げませんと御答弁にならないと思います。御容赦をいただきます。  これは、検定に合格いたしました教科書は、文部省が教科用図書として適切であるとして認定したわけでございます。これはことごとくの教科書がそれぞれ商品として市場に出るわけでございますから、検定内容をありのまま公表するということは採択に影響する、かような観点からこれを公表することは適当でないと考えておるわけでございまして、これが文部省真意でございます。  あたかも密室で何かよからぬことをやっておるように受け取られておるとすれば、きわめて残念でございますから、ただいま申し上げましたような趣旨をいろいろの機会に理解していただく努力をするつもりでございます。
  57. 有島重武

    ○有島委員 私が聞きたいのは、国民は暗い印象を持っておる、このことについて大臣はどのように認識していらっしゃいますかということです。
  58. 小川平二

    小川国務大臣 そのような印象を与えておるといたしますれば遺憾でございますから、これを払拭する努力をするつもりでございます。
  59. 有島重武

    ○有島委員 公開できない理由を一点だけ挙げられました。私どもは公開せよということを言っております。公開をしてはいけないという理由はいま挙げられた一点だけですね。それだけでよろしいですか。じゃ、その問題が解決さえすれば公開をいたしましょう、こういうことになりますね。
  60. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 検定につきましては、一つの原稿が出されましてそれを実際に市場に出す前に、いわゆる教科書としての態様を備えるまでになる一つの過程でございまして、その過程における著者の考え方、あるいはその点についての文部省側の、検定意見を付する側の考え方というものは、いろいろと経過がございまして、最終的には一つの完成した製品として市場に出るというものでございますから、その完成品が出るまでの経過について、それがどのような経過を経て出たかということについては、文部大臣が申し上げましたような、市場における一つの競争原理に従って採択をされるという場合の影響力というものは、採択の公正を阻害するという観点一つございますし、また、その製品が生産される過程におけるもろもろの経過というものを全部公開した場合に、それが製品そのものの内容について影響を与えないであろうかというような観点もございまして、そういう点から、これは出たものについてひとつごらんいただきたい、完成した製品についてごらんいただきたいということで、その内容については、経過についてはこれまでも公開しないということでやってまいっているわけでございます。
  61. 有島重武

    ○有島委員 主に経済的な理由だということはわかりました。この問題は後にまたやります。  かつて石油ショックのときにわれわれ日本国民は、日本経済というものが世界につながっているのだという事実を肌でもって実感した、そういったことがありました。いま、このたびの教科書問題で国民全体が、日本の教育のあり方というものがやはり世界へつながっているのだという事実を肌で感じておるのじゃないかと私は思いますけれども、大臣どうでしょう。
  62. 小川平二

    小川国務大臣 御同感でございます。
  63. 有島重武

    ○有島委員 歴代の文部大臣が、国際社会の中で世界平和に貢献できるような日本人の育成が大切だということをたびあるごとに言っていらっしゃいました。小川文部大臣もそのとおり言っていらした。平素、このような指導助言の立場で言っておられました国際人の育成といいますか、成長、これはいままさに文部当局が国際的に問われておる、そういうふうに受け取れると思うのですね。また国内から言えば、二百万人の教職員の方々もいる、あるいは三千万人を超える児童学生もいるわけですね。みんながこれに注目しておるわけですね。一つの生きた教材として見ているわけであります。この教材の方は検定はいらぬ、ごまかしもきかぬ、責任を持ってその範を示して、こういう姿がこれからの国際社会に生きる日本人の姿なんだ、これを示していく覚悟をお持ちであろうか。私は思いたいところなんだけれども、どうでしょうか。
  64. 小川平二

    小川国務大臣 外国からも理解され、尊敬されるような日本人を育てるということ、これは今日ますます重要な文教政策の課題になっていると私は考えておりますので、そのために、なかんずく教育の国際交流というようなことには大いに意を用いていくつもりでございます。
  65. 有島重武

    ○有島委員 たとえば、昨晩会ったと伝えております王暁雲公使に対して、謙虚に耳を傾ける、こういうようなことは、これは国内的には余り通用しない話だといって議論はございましたけれども、国際的にも余り通用しないことなんだ、そういうことも痛感なさったのじゃなかろうかと思うのですね。  そこで、以下問題になっております、中国政府からの抗議をめぐっての論議にいまなっておりますから、本当は広い国際的な視野の問題であると思いますけれども、これを一つの例としてここで問題にしてまいりたいと思うわけであります。  初めに文部大臣のお立場につきまして、国公私立の小中学校の各学校で主たる教材として用いる教科書、これは文部大臣検定を経たものを使用しなければならないということが学校教育法二十一条に書いてあるわけだけれども文部大臣はこの検定作業について、公正なものである、適切な手続をとっておるものである、これが一つ、もう一つは、文部大臣検定済みの教科書についてはこれは日本学校教育の教材として適切なものであるということを保証する、教科書内容はすべて適切なものである、このことを全面的に責任をとる、こう理解してよろしいですな。
  66. 小川平二

    小川国務大臣 文部省といたしましては、教科書記述が公正で客観的であり、教科書でございますから言うまでもございませんけれども適切な教育的配慮のなされたものであることを期待して、周到、綿密に、しかも偏らない態度で検定をいたしておるわけでございます。しかしこれは人間のやることでございますから、絶対に間違いがないとまでは申しません。したがって、でき上がったものに対していろいろな御批判がございますれば、これは謙虚に受けとめるつもりでございます。
  67. 有島重武

    ○有島委員 私が伺っているのは、文部大臣、責任をとるのですか、とらないのですか。
  68. 小川平二

    小川国務大臣 申すまでもなく、文部大臣の責任において教科書を権威づけておるわけでございます。
  69. 有島重武

    ○有島委員 七月二十六日に中国政府中国外務省の肖向前第一アジア局長を通じまして、日本国政府にあてて抗議文が来た、この中身は、一つは、検定について事実に反する改ざんを行ったのではないかということが一つございました。もう一つは、明らかに中国侵略歴史的事実の真相を歪曲しておる、こういうことですね。これは検定の不公正さというようなことについて触れておることもある。その結果として、いま日本国民に教育されている教科内容、これが全部であるか一部であるかということではなしに、これは将来の日中両国の平和友好のために有効なものであるかあるいはそれが喜ばしくないものであるかという点に着目して、現在ある結果、この事実の歪曲ということについて抗議をした。二つの問題のうち、私は第二番目のことの方がより重要であろうかと思うわけです。ですから、検定の手続について誤りはなかった、わが方の検定はかくかくしかじかの方針でやっておる、こういうぐあいの説明はまさに国内の問題です。こういうことを一生懸命説明して、それじゃ言われるように変えましょうなんということになりましたら、これは内政干渉に近い話になる。中国真意は、ますます日中両国間の友好をあるいは正常な国交を進めていきたい、そこにあろうかと思う。わが方もそこにあろう。ですから、枝葉末節はさておいて、そこに焦点を合わせて進める、これは大臣そのとおり御承認だろうと思いますね。  そこで、かつて帝国憲法のもとで日本軍隊によって中国侵略が行われた事実、それからその際に大規模なる虐殺が行われた、大臣、これは認めますか。
  70. 小川平二

    小川国務大臣 これは多くの教科書が記載いたしておりますとおり……(有島委員教科書じゃない、大臣」と呼ぶ)はい、私が答弁を申し上げておる。  南京占領の際に日本軍によって相当多数の中国の軍民が殺害される、そうしてそのことによって国際的な非難を受けたという事実は、これは否定できない事実でございます。
  71. 有島重武

    ○有島委員 もう一遍聞きますよ。それが旧日本軍による侵略行為であったというふうに認めていらっしゃいますか。また、帝国憲法のもとに正義の御旗を掲げていった日本軍が非人道的な大規模な残虐行為をしてしまった、これはお認めになりますか、大臣個人としても。
  72. 小川平二

    小川国務大臣 南京事件を含めまして日本の軍部が行った行為は、これはとうてい正当化することのできない行為だ、かように認識をいたしております。
  73. 有島重武

    ○有島委員 正当化できる戦争もあるというようなお話ですか。
  74. 小川平二

    小川国務大臣 正当化云々という言葉は、あるいは誤解を招くかもしれませんので……(有島委員「誤解を招きますね」と呼ぶ)言い直しますが、弁解の余地のない戦争、かように申しましょう。
  75. 有島重武

    ○有島委員 弁解の余地なく侵略であった、残虐行為であった、そういうことですか。
  76. 小川平二

    小川国務大臣 南京事件を指して仰せでありまするならば、仰せのとおりと存じます。
  77. 有島重武

    ○有島委員 日本軍が大陸に進出をいたしました。進出していったのは旧帝国陸軍であった、こういうことでございますね。日本軍司令官としては、わが軍は大陸に進出せい、進攻せい、攻撃せい、占領せい、こうなるわけです。ところで、わが軍は何々を侵略せりとは言わなかった。この侵略ということは悪いことだ、こういうことですね。進出せり、これはおめでたいことだ、そういうことです。昨今、平和憲法のもとに日本の産業が海外に進出しております。これは産業界にとっては大変喜ぶべきことだ。いま日本産業の海外進出という、この「進出」という言葉と、旧日本軍中国進出と、こう言った、この同じ「進出」という言葉で、同じ進出という印象を与えかねない。これは適切なのかどうかということです。それで先ほどから、「進出」は客観的だ、「侵略」はどうかは読む者が判断するものである、こういうことをきのうの参議院委員会でわが同僚の柏原ヤス先生質問に対しても言われたそうだ。  教科書というのはなるべくわかりやすく書くというのが原則なんじゃないでしょうか。大臣、どうですか。
  78. 小川平二

    小川国務大臣 申すまでもなく、なるべくわかりやすく書くべきものでございます。
  79. 有島重武

    ○有島委員 「進出」と書いて、これは全般的に読めば、現在行われておる学術、文化の進出なんという場合とは違ってこれは不正義の進出であったということはほかの個所を読めばだんだんにわかってきます、それは判読することだというような態度をとるのと、侵略——先ほど大臣がお認めになったのですよ、侵略の事実があった、これを「侵略」として記載するのとどちらがわかりやすいのでしょうか。
  80. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいま問題になっておりますのは、歴史教科書に関する記述表現をどうするかということと思います。進出侵略意味につきまして、有島先生一般的にお挙げになりましたが、経済的進出という言い方もございましょうし、あるいは経済的侵略というふうな表現もございまして、それは一概に侵略がどうで進出がどうだということではなくて、この経済的な行為の実態に従って、あるときは意味を持ちあるときは意味を持たないというふうなものではないかと思います。歴史教科書の中で「進出」と書いてありますものの中で、大臣がお挙げになりました十九世紀におけるヨーロッパ諸国のアジア進出というものは、これはいま先生がお挙げになりましたようなよい意味であろうかというふうに思いますとそうではなくて、そこには植民地化した、そういう行為が書いてあるわけでございまして、そういう「進出」という用語を使っておって、片方では日中に関する関係で「侵略」という言葉を使っておる、その表記の観点からこれを統一したらどうかという、そこのところをいま問題にしているわけでございますので、その表記の観点という点から検定意見を付しているわけでございます。
  81. 有島重武

    ○有島委員 大臣、どっちがわかりやすいのですかと聞いたのですよ。——では、いいです、宿題にします。こんなことは小学校の先生に聞いても、中学校の先生でもわかることだ。こういうことでもってもたもたしたということが、これがまた教材になるだろう。嘆かわしいわ、これ。  次に行きます。  わが党は、これはもう申すまでもなく過去の過ちは過ちとしてこれは認める、事実は事実として認める、その反省の上に立って世界の平和に貢献する。こんなことは本当に全国民の態度であるべきだ。  それで、反省と申しますでしょう。反省というのは、反省すべき過去の事実ということは認識から始まりますな。それからその認識を、深く反省するというのだったらば、やはり峻厳に過去の事実を認識しなければなりません。それはあたりまえですね。大臣、もうこんなことを確認するのは恥ずかしいけれども、どうぞ。
  82. 小川平二

    小川国務大臣 仰せのように、過去の事実を反省して世界の平和に貢献しなければならない。これは教科書のはっきり記載をしているところでございます。そのような認識の裏づけになる客観的な事実を教科書が書いておるわけで、教科書におきまして必ず価値判断を伴うような言葉を用いなければならないとは私は考えておらないのであります。
  83. 有島重武

    ○有島委員 反省ですけれども、その事実の認識だけではだめなんですね。それはそこに判断を下さなければならない。どういう判断を下したか。そうした評価については何か基準が必要なわけでございまして、帝国憲法のもとではこれは正義だったのです。正義と評価されたわけです。現在の日本国憲法のもとでは、これは過悪である、悪いことであると評価される。この評価をしましたというその決断、政府の決断の上に立って日中両国の共同声明もあった。平和友好もいま広がりつつあろうとしているわけだ、そういうことですね。それでこのことは中国から指摘を待つまでもないわけでございまして、もし教科書検定文部省が責任を持ってなさるというならば、憲法の精神ということに立つならば、こうした中国侵略——このことは大臣もお認めになった事実だ。言い方はどうあろうとも、さっきお認めになった。このことについてより峻厳な認識を国民に与えていく、これが適切ということであろうと私は思います。大臣、どうですか。
  84. 小川平二

    小川国務大臣 私自身も峻厳な認識を持っておるつもりでございます。
  85. 有島重武

    ○有島委員 では、あと一問でやめます。  さっき歴史のことについておっしゃいました。私は、歴史教育というのは過去の事実を、なるべく正確だな、全部を正確ということはあり得ないでしょう、あるいは記載に身びいきということもあるでしょう、なるべく正確。だから、そういったなるべく正確な事実認識を、それだけほうり出すということではないのですよ、やはり一つ歴史観に従ってこの価値判断をする、評価する。それで取捨選択もするわけですね。これは載っけよう、これは載っけまい、そこには価値判断があるわけですね。そしてこれをどのように系統立てるか、どのように表現するか、こういうことであろうと思うのです。先ほど大臣がおっしゃった、教科書というのは客観的な事実を記載すればいいのだ、それでこれは基本的に間違いである、あるいは大臣が必要な部分しか言わないで、価値判断の部分だけはちょっと省略されたのだと解釈してもよろしいですが、先ほどのお言葉は不正確であります、歴史ということについて。それで現在はその評価の基準は、事学校教育に関する限りは、諸外国についてはいざ知らず、わが日本国のことについては平和、民主、人権の憲法の三原理である。これは当然のことであろう。  時間が参りましたので、言いっ放しになりましたけれども、あとの議論はまたのチャンスに譲ります。ありがとうございました。
  86. 青木正久

    青木委員長 三浦隆君。
  87. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 まず大臣に、わが国の教育に対する基本姿勢について承りたいと思います。  といいますのは、敗戦そしてその反省の上に立って憲法が生まれ、そして戦後の教育行政が続けられてきたわけです。改めまして憲法の前文を読みますと、「政府の行爲によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、」とあります。また「日本國民は、恒久の平和を念願し、」「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」、また、国際社会においてこうした平和への努力をする生き方の中にわれわれは「名譽ある地位を占めたいと思ふ。」と述べまして、そしてさらに「いづれの國家も、自國のことのみに専念して他國を無視してはならない」、こう書いてあるわけです。今回のこの教科書問題が、再び政府行為によって戦前への悪夢が再現されるのではないか、あるいは諸国民の公正と諸国民に頼ろうとしながら諸国民にいま怒りを買ってしまった、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思いながら、むしろ国際社会から日本が再びいまみんなから怒りのまなざしをもって見られようとしている、また、ことさらに日本ということを考える余り他国を無視してしまうのではないか、そうしたようなことがいま中国あるいは韓国そうした方々から問われているのだと思います。  王公使との対談の中で、要約しますと、戦争の反省を踏まえる、あるいは中国の主張に謙虚に耳を傾けると言いながら、一方では再改訂は拒否する、改訂の責任は著作者の判断にある、いわゆる文部省は単に検定だからというふうな責任回避的な論理が見られるような気がするのです。そんなことから、中国あるいは韓国からわが国に対して、戦後の基本姿勢をいま改められようとするのかどうかといったようなことが不安を持って見られているのだと思います。  改めまして大臣の御見解を承りたいと思います。
  88. 小川平二

    小川国務大臣 文部省といたしましては、憲法の基本理念を受けて制定されました教育基本法の趣旨に従って適切な教育行政を進めていこう、このような姿勢に、かつてもいまもいささかも変わりはございません。ただいま軍国主義云々というようなお言葉もございましたけれども、軍国主義を排撃すべきこと、平和を尊重すべきことについてはことごとくの教科書が強調しているところでございます。かような考え方にいささかも変わるところはございませんということを申し上げます。
  89. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 にもかかわらず誤解を招く一つの大きな原因は、たとえば敗戦直後に「あたらしい憲法のはなし」というような副読本がつくられましたが、いまはそうしたものがなくなっております。また、教員養成の課程の中で、憲法が必須科目であったのに、いまは外されてしまっております。そうした姿勢の中に何となく私は、被害者あるいは被害国に立つ人々の気持ちというものをくむ気持ちがいま薄れてきているのじゃないか、そんなような感じがするのです。  たとえば国内における北海道に住むいわゆるウタリ対策、私、文教委員会でも質問いたしましたけれども、弱い人たちに対して教育上の補助が強い人に対するよりはるかに弱まっております。ですから、事実、アイヌ、いわゆるウタリの人々は進学率も低いし、平均寿命も短くなっているわけです。また、同じ国内の沖縄からも戦争中における強い非難が出ております。また、いま北朝鮮に行った日本人妻の問題が提起されているのに、政府はそうしたものには余り対応しようとしておりません。また、韓国の方からは、樺太に現に抑留されている人がおります。昔、日本人として無理やりに北海道なり樺太に連れていきながら、日本人だけが樺太から引き揚げ、そして韓国の人はいまもなおそのままにされておる。あるいはまた、日本に来たがゆえに広島、長崎で被爆をして、現在もなお大変苦しんでいる人がいる。あるいはまた、これも先般質問をさせていただきましたけれども、台湾の人に対しても、日本のまさに戦前の教育の成果として、元台湾兵が元日本兵の名前のもとに大変に勇敢に戦いました。しかるにいま戦後の処置として、日本人には軍人恩給その他が与えられながら、台湾兵には一顧だにしようとしないということであります。われわれとしてはもう戦争は終わったのだと言いたいかもしれないけれども韓国の人なりあるいは元台湾日本兵の人たちには忘れようとしても忘れ得ないことなんじゃないかというふうに思うのです。  そうしたようなことで、いま文部省中国の人への弁明の中において何となく責任回避の姿勢が私には感じられます。  いろいろな主張がなされておるのですが、たとえば新聞の見解ではありますが、わが国では民間が教科書著作、編集を行い、国はそれを審査する立場にある、具体的な記述については著作者創意工夫にゆだねられている、こうしたようなまとめを見ますと、一面的な事実ではあるかもしれないのですけれども、何となく文部省が責任を回避し、逃げているような感じがするのです。  改めまして、この教科書についての文部省の法上の責任というものについてお尋ねしたいと思います。
  90. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 検定制度は、戦後の学制改革の一環といたしまして、教科書を適正につくる、そのための制度として発足いたしまして、わが国国情に合った教科書制度として私は適切に運用されていると考えているわけでございますが、それは国定と違いまして民間会社が発意をもってどのような教科書をつくるかということから始まるわけでございますから、自由主義の原則に合うわけでございます。その中で国家的な見地から教育の一定の水準とか、そういう観点からの規制を加えるという意味で、検定の権限が文部大臣に与えられているという意味で、これはいわば民間の発意を原動力といたしまして、それに教育的な配慮から公の観点の規制を加える、そういう意味の民間と政府との合作と申しますか、そういう意味一つの価値のある制度ではないかと思います。私は、ほかの国の教科書制度をいろいろと検討いたしましても、戦後のわが国の学制改革などを通りましたこの検定制度わが国教育制度の中では適切な制度であるというふうに考えております。
  91. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 文部省設置法の第四条では、いわゆる文部省の一般的な責任についてはっきりと文部省学校教育等、こうしたものに対する責任を負う行政機関であるというふうに書かれております。また、第五条の文部省の権限におきます十二の二という項目では「教科用図書の検定を行うこと。」と書いてございます。そしてまた、これを受けました教科用図書検定規則というのが実施されておりますけれども、これによりますと、全条文は二十一条でありますけれども、この二十一条の条文の中に文部大臣という言葉が全部で二十七カ所ほど出てまいります。二十七カ所がこの教科用図書検定規則の中に出てくるということは、それだけ教科書に対する文部省のかかわりの深さを示していることだろう、私はこのように考えるわけであります。  さて、これからの教科書についてなんでありますけれども、二十一世紀を目指して改めて私たちは憲法、教育法の理念をまず確たるものとしながら、どうやら昭和二十年、敗戦のときの状況を克服しまして、日本だけのことを考えないで全世界のことを考えられるだけの余裕をわれわれはいま少し持ってきたと思うのです。そうした意味においても、国際連帯に立つ新しい教科書づくりにひとつ専念していただきたいと思います。  さて、教科書はもとよりわが国は主権独立国家であるならば自主的に作成すべきものであり、そして改訂することもまた自主的にわが国の判断において行うべきことはあたりまえのことであります。しかしまた、今度の事件に寄せられまして中国あるいは韓国あるいはその他の国々からいろいろと言われている状況を勘案してほしいと思います。すなわち、中国の方はいろいろと意見を言いながらも、教科書のこうした一つ一つの文言に対しては、切望すると結んでいるのであって、日本に何々せよと言っているわけではございません。しかし、そう言いながら同時に、誠意を行動で示してほしい、すなわち文部省が逃げないで文部省なりの対応をしてほしいということだと思います。また、韓国民団の張聡明団長の方からも、本来ならば韓国抗議書としてわれわれに示したい、その気持ちを抑えて、要望書というふうな言葉の中に私は、そうした人々の苦しさというか、日本における立場のむずかしさを知りながらあえてこの問題に対して避けることができない、そうした気持ちが如実に示されていると思います。そういう意味におきましても、教科書作成あるいは改訂という問題に対して文部省の前向きの御検討をぜひとも期待したいと思います。これは答弁は要りません。  さて、もう一度今回こういう事件の起こってきた発端について私たちは考えたいと思います。それは、戦後の教科書の中でとかく左翼偏向の行き過ぎがあるのじゃないかというふうなことが言われました。事実日本の固有の領土である北方領土がソ連に奪われたまま日本に戻ってまいりません。こうしたことが長らく教科書から不問に付されておりましたし、現在もなお大変に不十分であります。また、ソ連がアフガンに入った、これも何と言うべきかわかりませんが、とにかくアフガンに入った。そのことによってアフガンの多くの難民がいま大変に苦しんでおりますけれども、これについても教科書は触れておらぬのです。また同時に、ソ連的なことに関しては大変好意的でありますが、一方、アメリカの側に対しては厳しい、むしろ批判的な書き方がなされております。場合によってはその点においてアメリカから批判されてもいたし方のない、そうしたような気もいたします。また、ベトナムも南北統一すれば万歳である、よかったというふうに新聞も訴え、場合によっては一部の教科書作者も言っておりますけれども、現実にはそこから多くの難民が出てきておりますし、日本もまたそうしたタイの難民キャンプその他に対して一生懸命援助の手を差し伸べている、まだそれすら不十分ではありますが、そうしたことを行っているわけです。そうしたいわゆる左翼行き過ぎを是正しよう、正常化しようとわが党は強く訴えてきております。それに対して、さらにその教科書すら使わない、いわゆる組合の独自の自主カリキュラムによる自主的な教科書を使うという、そうした日教組のまことに行き過ぎた一部の教科書使用もございます。そうしたことを踏まえて、正常化の高まりの中で自民党も耳を傾け文部省も耳を傾けてくるようになったのだと思いますが、今回の過程は、それが若干行き過ぎというふうな形で示されたのだと思います。私たちは、右の行き過ぎを抑え左の行き過ぎも抑えるという中で今後の教科書づくりに専念していただきたいと思います。  さて、こうした教科書づくりがここまで外国から疑われ、国内からも疑われるということは、今日の教科書検定のあり方そのものに問題があるのじゃないかと私は考えるのですが、文部省としては現在の教科書検定のあり方はこれでよろしいとお考えなんでしょうか、それをお尋ねしたいと思います。
  92. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 教科書検定制度につきましては、ただいま申し上げましたように、まず民間がどのような教科書をつくるかということを考えまして、著者にそれを依頼して一定の教科書をつくるわけでございますが、それは昨日私が王公使に差し上げましたように、高等学校日本史教科書でも十種類ございます。それだけの発行者が著者を選んで多様な教科書をつくっていく、その多様な教科書の中で示されました基準は学習指導要領というきわめて簡単な教育内容の基準でございますけれども、それに従って書いていくわけでございまして、相当な自由裁量の余地がございます。その中で書かれた教科書でございますから、いろいろな点で、国家的な考えから見てあるいは水準の維持向上という点から見まして問題がある点につきましては文部大臣において検定意見を付してそれを中正なものにしていくというふうになっておりますので、いまの教科書検定の仕組みは、私は、わが国の民主的な政治、民主的な国家構造のあり方に関連いたしまして適正な制度であるというふうに考えております。
  93. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 現在の教科書検定のあり方は、とかく密室で行われているのじゃないかというふうに国民から強く疑われています。そういう意味ではきわめて閉鎖的でもあり不明瞭だと思いますので、いまの検定のあり方が即いいとは私にはとても思えません。幾多の改善すべき問題があります。きわめて技術的に細かく言えば、たとえば内容精選のための検定基準の改善、あるいは適正な検定手続等の整備、あるいは採択における内容精選の観点、あるいは教育実践の検定制度への反映といったようなものがまず考えられますが、特にここでは、その中の一つ教科書検定手続の改善という問題がございます。これも技術的なことからいえば検定周期の検討あるいは検定等の種類の明確化、あるいは誤記、誤植の多い申請原稿の取り扱いの改善というふうなことがあるのですが、もっと本質的な問題からしますと、検定が先ほど言うように文部省、いわゆる文部大臣文部大臣という言葉が出てきますように、行政が余りにも前面に出過ぎてきております。そうすると、憲法の前文にありますように「政府の行爲によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」といった、政府イコール文部省という形の不安が予測されてくるわけであります。  そこで私は、もっと国民的視点に立つということからは、この検定文部省だけが行うのではなくて、教科書検定審議会に国会の意向が反映できるような、そうした検定のあり方を基本的に変えていくことがいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  94. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 国家行政組織法によりまして、文部省は教育、学術、文化の行政についての責任を負っております。国会はまた立法府といたしまして政治の責任を負っておられるわけでございまして、教育行政に責任を負う文部大臣検定についての諸規則を定め、検定調査審議会という第三者機関に諮問をいたしまして適正な手続を経て検定を行うというこの仕組みは、私は現状では正しいというふうに考えております。
  95. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 私は、その点が改められるべきものじゃないか。いろいろな審議会をつくっても、それが文部省の意向をただうのみにするだけの隠れみの的な存在になるのではないか、少なくともそう疑われる要素を持っているのではないか、どういう方が委員になるのか自体国民には全くよくわからないわけであります。ですから、国民的な合意を得られるような方がこの教科書検定の役に立っていただきたい。そのためには、国民の目でわかるようなところから、すなわち国民の代表である国会の中から選任というか指名というか、方法はいろいろと考えられるでしょうが、とにかく文部省だけで決めるのではなくて、国会という立法府がそこに加わり、監視できるような制度に改めた方がよいと思うのですが、重ねていかがでしょうか。
  96. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいま先生がおっしゃいました点は、やはり日本国憲法の三権分立の原則から申しましていかがであろうかというふうに思います。ユネスコ国内委員会のような機関につきましては国会の先生方の代表が加わるということもございますけれども、これは具体的な教科書をつくっていくという行政行為一つの核心的な行政作業の一つでございますから、そこに立法府の意思が加わるということはやはり問題ではなかろうか、これは教科書検定制度のあり方につきまして種々ただいまこういう立場で御批判をいただいているわけでございますので、そういう立場からの御批判はまさに行政府としては受けとめなければなりませんけれども、具体的な検定をしていくその作業の中に国会の意思が入るということにつきましては、やはり問題ではないかというふうに思います。
  97. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 私は立法府が教科書を作成せよと述べたわけではないのでして、教育行政に対する責任は文部省に負っていただく、ただ文部省が責任を負うにしても、いまその完全な委員の選定そのものが文部省だけであってはどうもぐあいが悪いのじゃないか、少なくとも文部省がこういう人を委員にしたいならばしたいと、その意思表示は結構でございますから、一つの方法として、文部省はこういう人が委員としては最も適格であると思われるならばその方々のリストアップをしていただいてそれを国会にお諮りいただく、その諮られた、そして決まった方がいわゆる検定に携わるというのはいささかも差し支えないのじゃないかと思いますが。
  98. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 検定調査審議会の委員の任免につきましては、文部大臣が広く各界の有識者を任命しているわけでございまして、これはかなり専門的な分野にわたるわけでございますので、学術とかそういう意味の専門的な分野にわたる方をいろいろな観点から判断をしてお願いしているわけでございまして、そのリストを公表して国会にお諮りするということになりますと、むしろその学問の立場からの中正な配慮とかいろんな意味で問題が逆に起こってくるように考えるわけでございまして、私どもはその御批判を承りながら、適正な立場でりっぱな検定調査審議会の委員を選ぶということについては今後も配慮をしなければならないと思いますけれども、ただいまのような御提案につきましては大変問題があるのではないかというふうに考えております。
  99. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 教育は特に中立、中正を旨としたいと思うのですけれども、いまの答弁ですと、幾ら文部省文部省がといいましても、これはやはり一行政機関でありますし、時の政府あるいは時の権力を持つ政党には弱い立場にあると思うのです。ですから、もし本当に公正であると自信を持たれているならば、その方々のリストアップをされても何ら差し支えないし、その方々の研究を妨げる理由も何にもないと思うのです。また事実、教育以外の機関でそうした委員を選ぶ過程の中に国会がかかわっている事例は幾らでも現実にあるのじゃないでしょうか。そうした中でも特に教育の場合にはあってもおかしくないと思うのですが、今度は大臣からひとつ御答弁をお願いしたいと思います。
  100. 小川平二

    小川国務大臣 私は、教科用として真に適切な教科書をつくるための仕組みとしての現行の制度、これは適切な制度だと考えておりまするし、また、適切に運用されておると信じております。ただいまの御提案は、一つの御見識であると受けとめておりまするが、教科書については近年いろいろな御批判がございます。現行の検定制度、仕組みについてもさまざまの御意見が出ておりまして、国民の関心も高まっておるかと思いますので、先ごろ来、中央教育審議会に現行の検定制度のあり方を含めまして教科書全体のあり方について諮問を申し上げておるところでございます。遠からず答申をちょうだいできると期待しておりますが、答申をいただきました際には、その趣旨を尊重して現行制度の見直しについて考えてまいりたい、こう思っております。
  101. 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 ぜひ中教審でお諮りいただいてでも、いまの委員の決め方、果たしてこれでいいのだろうかということをぜひとも検討していただきたいと思います。そうじゃないと、教科書内容に仮に間違いがあった場合に、いわゆる正常化した正しい教科書を書こうとする場合に、文部省が仮に指導、助言を強化されれば、それが必ずしも善意を持って受け取られるだけではない、時の権力の介入によって不当に教科書をねじ曲げるのだというふうなイメージを与えかねないわけであります。しかし、それだけであっては困るからこそ私は、国会というものをここにかかわらしめることによって国民のガラス張りの中で、右に偏せず、左に偏せず二十一世紀を目指したところの教科書づくりにむしろ邁進していただきたい。そして教科書行政に対しても責任を持てるような文部省であってほしい、そう願うのであります。  そこで、時間のようでございますけれども、重ねまして、本来どのような教育を行うべきかというのは、日本に限りませんで、その国自身が決定すべきことであります。ということから、これまでのわが国基本的なあり方は、それはそれなりによろしいと思うのですけれども、しかし現実に、いま中国韓国など今後友好関係をより強固に発展しなければならないこうした国々から問題が提起されたことは、きわめて重大なことだと私たちは受けとめなければならないと思いますし、政府は、これまで教科書記述してきた歴史的事実等のこうした今回のように重要な文言を改めるということについては、少なくともこうした抗議を正確に受けた以上は、本当に誠意を持って相手国に対してもまた国民に対しても、明確な、納得のいくような説明をしていただきたい、このように心からお願いいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。
  102. 青木正久

  103. 山原健二郎

    山原委員 国語辞典を見ますと大半が、「侵略」というのは、他国の支配下に土地等を侵入して奪い取ること、こうなっています。「進出」というのは、勢力を張ったり、新方面を開いたりするため進み出ることとなっております。これはほとんどの国語辞典でございます。  そこで、今回文部省検定の中で「侵略」を「進出」あるいは「侵攻」としたことにつきまして、二つの理由を挙げておられます。一つは、用語の統一の問題、一つは、「進出」というのは価値判断の伴わない客観性を持っている言葉だ、こういうわけですね。そこで、これは偽り、後でつけたこじつけの理由にすぎない、このことをまず指摘しておきたいと思います。  先ほど初中局長は、五年前の検定のときに特殊な問題として「侵略」という言葉を修正意見で出したのだ、こう言われたわけでございますが、当時の七八年の高等学校「世界史」、このときには「日本中国侵略」という言葉に対して、いわゆるA意見修正意見として、これはまずい、「「侵略」は進出あるいは侵入とせよ。」というふうに修正意見を出しております。これは強制力を持っているわけです。そしてその翌年の七九年ですね、これは中学「公民的分野」、ここにおきまして、「「侵略」は侵攻か侵入であり、歴史では禁句である。」、こういうふうに出ているわけです。これが文部省の「侵略」という言葉を「侵攻」、「進出」に変えた基本的理念です。ここに問題があるわけですよ。そして今回はいわゆる改善意見だということで、そのことに基づいて出版社が変えたのでございますということで、文部省考えてきた一貫した思想性を出版会社に転嫁して、それを中国側に対して説明をしている、ここに大きな欺瞞があるわけですね。文部省の一貫した考え方は、「侵略」という言葉を使いたくない。特に、前のときにはどういうふうに言っておるかというと、「侵略」という言葉は悪の印象が強い、こういうふうに言っているわけです。これはテープにもとられておりまして、当時の検定の実態を示しております。このことの中に問題があるわけですね。「侵略」という言葉を使えば悪の印象が強い、悪のにおいがするから、それを進出、侵攻に変えろということで、戦前の日本軍国主義の中国侵略に対して、これを悪と見たくない、言うならば、軍国主義の免罪を図りたい、この考え方が一貫して流れてきた。これは文部省の十年来の指導方針であるということは明確であります。それをここで、価値判断を伴わない客観的な言葉にするのだとかあるいは用語の統一とかいう言葉で逃げようとしても、これは日本国民をも近隣諸国をもごまかすことのできない問題だということを私はまず指摘しておきたいのでありますが、これについて、小川文部大臣見解をはっきりと伺いたいのであります。
  104. 小川平二

    小川国務大臣 先ほど来るる申し上げましたように、歴史教科書の記載は客観的なものであるべきでございます。したがいまして、用語等も客観性のある用語を使うことが適切であると私は信じておるわけでございます。そのように御理解をいただきます。
  105. 山原健二郎

    山原委員 「進出」という言葉が価値判断を伴わない客観性のある言葉だ、こういう説明です。ところが、現実に三十数年前の歴史としてあの中国に対する侵略行為が行われたわけで、あなたの方も「侵略」という言葉に対して非常に微妙な言葉を使っておりますが、それを否定はしていないと思うのですね。しかし、価値判断を伴わないということは、まさにあの侵略戦争をまるで空気のような、自然現象のような形に受け取ろうとする、侵略戦争に対する、美化とまではいま言いませんけれども、それにつながる免罪、あるいはそれを免罪しようとする考え方が背景にあるということ、ここのところが問題なんです。あの苛烈な戦争、諸外国に対して大きな影響を与え、大変な残虐行為も行われ、日本国民三百万が死ぬるという、この戦争に対する深刻な反省というものがないところから今回の問題が起こっておるということを指摘しておきたいのですが、その点はいかがですか。
  106. 小川平二

    小川国務大臣 私は、過去におきまして日本の軍部が中国に対して行いましたことは弁護の余地なき行為だと信じておるわけでございます。このような基本的な認識を修正するとか変更するというつもりは毛頭ございませんし、ほとんど、ことごとくの教科書がこのような認識をはっきり書いておるわけでございます。かような認識の裏づけになりまする客観的な事実を歴史教科書は書くべきであり、書けばよろしい。その際、「侵略」という言葉を使っていけないとは申しませんが、「侵略」という言葉を用いずに、より客観的な「進出」という言葉を使うということがはなはだ適切を欠くとは考えておらないわけでございます。
  107. 山原健二郎

    山原委員 「侵略」という言葉を文部省検定によって変えていくその過程、それからまた、教科書に対する最近の偏向批判というこの流れを見ますと、いまおっしゃったことでは問題の解消にはならぬと思います。  もう一つは、用語の統一の問題で、たとえばアヘン戦争、十九世紀の中国に対する侵略行為に対して、そこでは「進出」という言葉が使われているのだから、日本のあの戦前の、第二次世界大戦につながる行為はやはり「進出」とすべきである、これは用語の統一の問題だ、こういうふうに言われていますね。実は、私は教科書全部調べてみたのです、見本本を。蒙古の襲来については、多くの教科書が「侵略」と書いております。蒙古の日本に対するあの行為ですね、いわゆる元冠でありますが、あれは侵略、その同じ教科書に、日本中国侵略は、これは「進出」となっております。  それから、帝国書院の「世界史」を見ますと、これは二百二十ページですが、国連憲章に出ているところのドイツあるいはイタリア、日本——三国同盟でありますけれども、それは一つのものとして国連憲章には書かれているわけですが、そのナチス・ドイツについては、「一九三八年、オーストリアを併合し、またチェコスロヴァキアでドイツ系住民の多いズデーテン地方の併合を企てた。こうした侵略行動に対し、イギリス首相チェンバレンは、」というふうに書かれておりまして、ナチス・ドイツのあの第二次世界大戦に対しては「侵略」という言葉を使っています。  さらに、その同じ本の二百二十一ページには、「ところがヒトラーはますます侵略主義を進めて、ポーランド侵略に着手し、」と、明確に「侵略」という言葉を使っておりますが、この教科書では、日本軍中国侵略に対しては「進出」となっております。  山川出版の「世界の歴史」、これの三百二ページを見ますと、華北に対する日本軍進出、上海、南京、武漢を占領したという言葉になっておりますが、三百四ページの「大戦の勃発」の項で、「一九三九年九月一日、ドイツ軍は突然ポーランド侵略を始めた。」、こういうふうになっているのです。  これは挙げればたくさんの例が出てくるわけでございますけれども用語の統一ということからするならば、同じ時期における、十九世紀ではなくて二十世紀におけるあの第二次世界大戦へ突入していった日独伊のあのファシズムの戦いというものに対しては、全く違った記述をしているわけですね。用語の統一というのもうそなんです。これはまさに、今回の近隣諸国の批判に対するこじつけの言葉。昨日の参議院における答弁におきましても、この二つを何遍も答弁をしておりますが、この欺瞞性を私は指摘をいたしまして、今回の問題の背景には、日本帝国主義の侵略行為を薄め、さらに美化する立場が背景にあるのではないか、旧日本への憧憬あるいは新憲法への憎悪、他国民へのべっ視感、こういうものがあるのではないか、それが文部省の、文部大臣が任命されました調査官あるいは教科書審議官の一つ一つの発言を見ましても明瞭になってまいります。この文部省の持っている反動性、文部省の持っている戦争に対する反省の希薄さ、ここから今回の問題が出ておるということを明確にしておきたいと思いますが、この点については小川さんはどういうふうにお答えになりますか。
  108. 小川平二

    小川国務大臣 かつて日本が犯した行為に対して、峻厳な反省をすべきである、かような基本認識についてはいささかも変わっておりません。このことは、先ほど来るる申し上げたとおりでございます。
  109. 山原健二郎

    山原委員 それならば、本当にこの前の戦争における日本の行った行為に対する反省があるならば、たとえば十九世紀のアヘン戦争にしても「進出」という言葉があるならば、むしろ用語の統一という観点からするならば、こちらの方を「侵略」と書きかえるべきではないでしょうかという改善意見がつくのが当然であって、こちらがあるのだからこちらを消すのだ、しかも、同じ立場であの戦争を引き起こす引き金となりましたナチス・ドイツあるいはイタリアのファシズムに対しては、これは「侵略」だ、日本の場合だけ「進出」だ、こういう立場は、国連憲章に調印をした日本国政府としての誠実なあり方ではないということを申し上げておきたいと思います。  もう一つの問題は、今回は外国からの指摘がございまして、それは当然のことでございますが、外国からのそういう批判を受けるまでもなく今回の文部省検定は多くの問題を持っています。これはわれわれもいままで指摘してきたところでございますけれども、たとえば沖縄の問題です。沖縄は日本の国土の中における唯一の戦場となったところです。そこにおける経験というのはまさに憲法、教育基本法に基づく平和教育の理念から申しまして非常に重大な中身を持っているわけでありますが、これが沖縄問題に関しましてこういうふうになっています。「六月までつづいた戦闘で、戦闘員約十万人、民間人約二十万人が死んだ。鉄血勤皇隊・ひめゆり部隊などに編成された少年少女も犠牲となった。また、戦闘のじゃまになるなどの理由で、約八百人の沖縄県民が日本軍の手で殺害された。」という沖縄戦の脚注がございますけれども、これが削除をされたわけであります。これは沖縄県民の気持ちを全く逆なですることでございまして、沖縄における北中城村の村議会が全会一致でこの意見書を決めておりますし、沖縄県内における抗議運動が展開をしておることは当然のことです。  しかも、文部省のこの書きかえは強硬な修正指示でございまして、犠牲者数が不正確であるとか、あるいはこの原典となりました——私持ってまいりましたが、これは沖縄の県史です。膨大なものです。大変緻密な検討をされまして書かれたものでありまして、これらの体験者の方々の供述が不明確であってはならぬということで何遍も何遍も足を運んで供述を得ておられる。また、一定の思想性を持って事実をゆがめてはならぬということで、これに対しても綿密な点検をしてこれは書かれておるものです。これを一級の史料ではないという言葉のもとに、八百人という数字を消しても、つまり最後までこの日本軍による殺害行為というのを抹殺してしまう、こういうことが許されていいのかどうか。この点については文部大臣はどういうふうにお答えになりますか。——いや、これは文部大臣です。いまや初中局長の問題ではありません。
  110. 小川平二

    小川国務大臣 歴史教科書でございますから、信憑性ある史料に基づいた事実を記載するというのが正しい方法だと信じております。第一級の史料でない云々というお言葉がございましたが、そのようなことを申したとすれば、これははなはだ不遜な言い方であった、反省すべきことだと存じております。八百人という数字は、沖縄県史の中で多くの人が回想録を書いておるわけでございますが、その回想録に記されておる数字を県史とは別の他の史料が集計いたしまして八百という数字をはじき出しておるわけでございます。相当時期がたってからの個人の回想録というものは十分信憑することのできる史料でないということは学問としての歴史の世界におきましてはいわば常識でございましょうか。したがいまして、この八百という数字に根拠があるのだろうか、根拠があるならば示していただきたい、こう申したところ、著作者の方は根拠を示さずして数字を撤回なさった、このような報告を受けているわけでございます。
  111. 山原健二郎

    山原委員 この経過を申し上げる時間はありませんが、文部大臣、八百人という数字はあいまいだという指摘を受けまして消しているのですね。ところが、最後まで日本軍による被害についてはこれを抹殺しているのです。ここのところは全部消えてしまったのです。八百人が消えたのは最初のところですよ。  私は沖縄へ最初に参りましたときに、私の乗りましたタクシーの運転手さんから、四歳のときに洞窟の中で手ぬぐいを口に入れられて長いことひそんでおったという話を聞きました。私はそのときに「手ぬぐいで口ふさがれて洞窟にひそとひそみし四歳のころ」という歌をつくってその運転手さんに渡したことを覚えています。しかも、あなたはそういうふうにおっしゃっていますけれども、これは山中総務長官の時代に久米島事件というのがございます。これはスパイその他で殺害された事件でありますが、これについて山中総務長官は、久米島事件は確認済みでございます、琉球列島全体で非人間的な行為が行われていたことが明らかにされた、総理府は責任を持って国家賠償法を含めて措置をいたしたいと答えております。そして遺族二十名に対しまして国からの見舞い金が支払われておるのが一九七二年の十一月のことでございまして、政府みずからもこの事実を認めておられるのです。  そればかりではありません。沖縄の県史というのは一級の史料ではないとか、あるいは学術研究のものではない、だから証言によって書かれたものはあいまいだというふうなお話をされましたけれども文部省自体がこの県史は五十年から五十五年の当初の「新しい社会の歴史的分野」の中にはっきりと書かれているのです。すでに文部省が認定をしてこれは書かれている。教科書の中に出ているのです。それを今回の検定の中で消したというところに今日の教科書に対するいわゆる右からの攻撃といいましょうか、右とか左とかいう言葉を使いたくありませんけれども、史実をゆがめようとする、沖縄県民の味わった事実をゆがめようとする文部省政府の姿勢があるのじゃありませんか。この事実についてどういうふうにお答えになりますか。
  112. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 ただいまの事実関係でございますが、先ほど山原先生お挙げになりましたように、御指摘の例は、「戦闘のじゃまになるなどの理由で、約八百人の沖縄県民が日本軍の手で殺害された。」というその原稿本の記述に関連するものと考えられますけれども、これは沖縄県史に掲載されました伝聞を含む種々の個人の回顧談等を特に史料批判を加えることなくまとめました歴史学研究会編の太平洋戦争史第五巻、これは青木書店から出ておるわけでございますが、その中にその数が出ているわけでございます。そこで、その数を示しました直接の根拠は何かということを聞きましたところ、これは沖縄県史であるということでございますので、沖縄県史を当たりましたところ沖縄県史には八百人というような具体的な数字の記載はないのでございまして、検定におきましては、あくまでもはっきりと決まりました争いのない数がございますればそれはここに書いて差し支えないわけでございますけれども、信頼性のない、数の記載のないところにつきまして、沖縄県史が、数という点から信頼性があるかということになりますとそういう意味ではどうであろうかということで、この点についてさらに信憑性のある史料がないかということを求めましたところそれ以上のあれがないということでございますので、この点については数等の記載がなくなったというふうなことではないかと思います。
  113. 山原健二郎

    山原委員 八百人のことについては、あの戦乱のさなかですよ。沖縄へ行かれたと思います。もう学校も何もないのです。文化財も何もないのです。戦争が済んだときに先生方どこで教えたか。あの砂浜へ行って字を書いて子供たちに教えるくらいのあの戦場ですよ。そのときに八百人が正確であるか、八百五十人だった、七百五十人だった、六百人だった、そんなことが問題になるのか。しかも執筆者は八百人という数字がそれだけ言われるならと消しているのですよ。書くならば八百人そこそこが犠牲になったと言われるとかというような書き方だってあるでしょう。それを基礎にして教科書から抹殺をする、そういうところに私は問題があるということを指摘をしておきたいと思います。  だから、こういう経過から見まして、さらにいま文部大臣が任命されておる調査官には、朱光会というのを御存じだと思いますけれども、朱光会のメンバーが入っているわけでしょう。主任調査官の中に入っている。われわれは皇道をもって行動するとか五つの綱領を出しておられますけれども、まさにこれは右翼の論理、そういう人たちが調査官になっておられる。また、検定審議官の方にしましても憲法を変えなければだめだと言う人が公然と入って教科書の審議をしておるということですね。しかもそれが密室である。国民にわからぬ、国会にもわからない、新聞の情報その他いろいろ集めてやっと構成して、こんな検定が行われておるのかということがわかる程度でございまして、本当に真相はわからないというのが実態なんです。だから文部省が外国、中国やその他の諸国に対して真相を、真意説明したらわかってくれるだろう——恐らく文部省のいままでの歩みから見るならば、その真意を伝えたためにもっと混乱すると思うのですよ。口先でごまかすか——これは中国では巧言令色すくなし仁と言うのです。言葉でごまかすか、それではこの問題の解決には絶対になりません。  だから私は最後に、もう時間がございません、河野先生の時間が迫るわけでございますから、申し入れをしたいと思うのです。  教科書会社からこういう事態の中で訂正の要請があるならば訂正するべきだと私は思います。その点は文部省に決意をしていただきたい。ここで問題になっているように、もともと検定そのものに大変な行き過ぎもありますし間違いもあるということを考えますと、教科書会社はその改善意見によって、本も売らなければなりません、早く合格しなければならぬというせっぱ詰まった弱い立場記述を変更せざるを得ないところに来ておりますから、もしこれが問題になって教科書会社から訂正の要請があるならば文部省はこれに対してこたえるべきだ。これが質問の第一点です。  第二点は、検定の周辺をもっと公正なものにしてほしい。そしてその中身については、先ほども質問がありましたけれども、公開をすべきである。これなくして問題の解決はありません。  三番目は青木委員長にお願いしたいのでありますが、この密室性をなくするために、少なくともこの文教委員会におきまして、執筆者、教科書会社の方々を参考人として呼んでいただきまして、集中的な審議をし、事態がどういうふうになっているのかということを明らかにしていただきたいと思いますが、青木委員長の御見解をお伺いいたしたいのであります。
  114. 青木正久

    青木委員長 山原君のただいまのお申し出につきましては、理事会に諮りまして後刻相談したいと思います。
  115. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 教科書発行者からの要請があった場合にどうするかということでございますが、改善意見につきましては、これは本来修正することを強制する性格のものではないわけでございますけれども教科書といたしまして一たん欠陥のある記述についてこれを付しまして、それによって改めたわけでございますから、それをさらにもとにそのまま戻すということにつきましては、これは教科書改善にならないという意味におきまして、検定制度趣旨に照らし認められないものというふうに考えております。  また、公開の問題でございますが、これは先ほどもるる申し上げましたように、それによりまして教科書の採択の公正を害するという点がございますので、この点につきましては先ほど来お答えさせていただきましたように、従来の方針でやらせていただきたいというふうに考えます。
  116. 山原健二郎

    山原委員 いまのお答えがいままでのお答えなわけですね。だから結局何もしようとしていないということだと思うのです。だから教科書会社から要請があってももう改善されたのだからやりません、覆水盆に返らず、綸言汗のごとし、これですよ。だから全然問題の解決にならぬわけで、これでは事態の進展は出てこないであろうということを申し上げまして、私の質問を終わります。
  117. 青木正久

    青木委員長 河野洋平君。
  118. 河野洋平

    ○河野委員 外務省においでをいただいておりますから、外務省に最初に少しお話を伺いたいと思います。  日中の国交正常化を進めるに当たって、その原点として日中共同声明というものがございましたが、その日中共同声明をつくるに当たって、外務省は、日本中国との間の不幸な関係をいろいろ認識をしたり説明をしたりして日中共同声明というものにこぎつけられたわけでございます。その間相当な御苦労、御苦心があったと思うのですが、その辺のところでおわかりのところがあれば御説明をいただきたい。
  119. 長谷川和年

    長谷川説明員 お答えします。  日中国交正常化は一九七二年に実現したわけでございますが、その当時日本側から代表団も参りまして、またその前に日本全般の各界の方のいろいろな御支援もいただきまして日中国交というのが実現したわけでございますけれども、その間における共同声明作成についての種々な交渉内容につきましては、私も当時関係したわけでないので詳しくわかりませんが、日本政府としては、中国側日本側とそれぞれの立場につき隔意ない意見の交換をしまして、ただいま先生が御指摘になりましたような共同声明、まずその前文におきましては、過去において重大な損害を与えたことを痛感し、深く反省する、こういう文言が入ったと承知しております。
  120. 河野洋平

    ○河野委員 日本戦争を通じて中国に重大な損害を与えたことを非常に深く反省するということをこちら側が言って、それに対して中国側から賠償権を放棄するということがこの国交正常化のもとになったわけですね。この日中国交正常化のもとというのはやはりわれわれは動かしてはいけない、外してはいけないと思うわけです。それがその後この十年間、日中関係というのは非常にうまくいっていたと思うのですが、ここへ来てどうも大変ぎくしゃくしてきた。日中関係この十年間を振り返って、これだけぎくしゃくしたことがいままでありますか。どうでしょうか。
  121. 長谷川和年

    長谷川説明員 過去十年間、国交正常化以来の日中関係を振り返ってみますと、人事交流あるいは貿易の面、その他の面でも順調に進展しておりまして、特に大きな問題というのは、経済面ではプラントの問題がございましたけれども、いままでには特にございませんでした。  この問題に関しましても、現時点におきましては、中国側から今月二十六日に立場を表明する、また、二十八日に日本側から現地において公使が中国側に回答するという形で、政府としても誠意を持って対処していく方針でおりまして、今後どうなりますかは私たちとしても予見はできませんけれども、この問題につきましても友好裏に誠意を持って解決していくということを願っております。
  122. 河野洋平

    ○河野委員 この十年間、両国がお互いに非常に相手のことを考えて、とにかく日中両国友好関係を積み上げていこうという非常に慎重な努力配慮というものがあってこの十年間来たのだと思うのです。もともと日本中国との間には非常に不幸な歴史があるわけで、その歴史を乗り越えて両国友好のきずなを深めようとする以上、お互いに相手の立場、相手の苦しみを思いやる心というものがなければうまくいかないと思いますが、政務次官どうですか。
  123. 辻英雄

    ○辻政府委員 ただいま先生のおっしゃいましたような経過がありまして、日本中国との国交正常化を図ることが急務であるという日中両国民の強い願いを踏まえまして両当事者の苦労の上に成立したものだ、その中におきまして特に日本が、日中共同声明にもありますように、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」という考えを前提にして行われたものであって、このことは今後とも変わるべきものでもないし、変わっていないというふうに理解をしております。
  124. 河野洋平

    ○河野委員 日本側中国側に与えた物的な損害を初めとするさまざまな大きな損害というものがありながらそれを乗り越えて両国友好関係を続けていくためには、日本側中国側に対する慎重な、十分な配慮、思いやり、そういうものが必要だというふうに私は思うのですが、文部大臣はどうお考えになりますか。
  125. 小川平二

    小川国務大臣 仰せのとおりでございますので、私も日中両国の相互の理解を一層深めていくための一つの方法といたしまして、教育の国際交流、留学生の派遣、受け入れ等につきましては及ばずながら懸命に努力をいたしておる次第でございます。
  126. 河野洋平

    ○河野委員 国際交流、日中間の交流、その他にいろいろ御努力をしておられるということでございますが、さまざまな努力が今回のこの問題でかなり傷ついてしまった、残念ながら傷ついてしまったということもまた否定できないだろうと思うのです。ずいぶん学術その他の交流を積み重ねてこの十年間こられた。しかし、ここに来て中国側からの非難でそうしたものが、価値に傷がついてしまったということであるとするならば非常に残念だと思うのですね。私は、日中関係を前進させていくという立場に立てば、教科書の問題をちょっと離れて、日中関係を前進させていくということを考えれば、もっともっとこうしたことは日本側配慮すべきではないのか、余りに日本側の独善的な判断、独善的な姿勢というものをかたく突っぱねていくとお互いに友好関係というものはうまくいかないのじゃないか、私は、余り教科書に限定しないで、教科書を一遍離れて日中関係というものを考えていくと、日中双方が余りに独善的に自分の主張だけが正しくて相手のやっていることは間違っている、こうお互いに非難し合ったら田中関係は決してうまくいかないと思いますが、いかがですか。
  127. 小川平二

    小川国務大臣 仰せのとおり、互いに相手の立場を思いやるという基本的な姿勢が欠けておりまするとなかなか親善関係を深めていくことはできない、こう考えております。
  128. 河野洋平

    ○河野委員 お互いに自分のとっている立場あるいは自分のとっている態度が独善的であるかどうかいつも見ながらいかないと、自分はいいつもりでいてがんばっても相手には相手の立場があったりして、おれは正しいことをやっているのだ、おれは間違ってないのだ、おれは自分の信念を貫いているのだと幾ら言っても、相手側から見るとそれはどうも困ったことだと思う場合もあるわけですね。ですから、その独善的な政府の態度というものが、いまさらそんなことを言っても仕方がありませんけれども戦争に突っ込んだこともあるし、大きな国際的な信頼関係を壊してきた過去の歴史考えますと、もう決めちゃったのだから、もうこういうことでやっちゃったのだからだめなんだ、おれたちはおれたちのやり方でやっているのだから幾ら言ってもだめなんだと突っぱねたら友好関係はうまくいかないのじゃないか。ただ私は迎合だけすればいいと言っているのじゃないのですね。お互いに何でも相手にごもっともごもっともと言っていればいいというものでもない。それはそうじゃないということはそうじゃないとおっしゃったらいいと思いますけれども、しかしそれはそうじゃありませんよと言うためにはまず自分自身の反省から始まらないと、歴史的な問題に対する反省もさることながら、たとえば今度の問題についても、これでいいかな、自分たちの主張もあるけれどもこれで相手の立場というものも大丈夫だろうかな、そういうことも必要なんじゃないかと思うのです。これは相互に考えなければいけないことではありますけれども、どうでしょうか、外務省、相互主義といいますか、お互いにお互いの立場を思いやるというけれども日中関係というものはやはりどっちかといえば、かつての加害者であった日本がより中国に思いやる態度が多くなければ日中関係というのはうまくいかないのじゃないでしょうか。いや、それはもう終わったのだ、いまはもう平等でお互いに同じレベルで思いやっていけばいいのだというのでしょうか。それとも、過去の不幸な関係というものを考えると、いろいろあるけれども、やはり日本側がより多く中国側に、とりわけこういう問題に対しては多くの配慮をする必要があると私は思うのですが、外務省、どうでしょうか。
  129. 辻英雄

    ○辻政府委員 一般的に申し上げましたら先生のお説のとおりでありますが、この問題についてどうかということでありますれば、私が先ほど申し上げましたような日中共同声明に盛られました日本日中関係基本認識が誤って理解されるということは非常に遺憾なことでございますので、そういうことに対しましてできる限りの配慮が必要であるということは申し上げられると考えております。
  130. 河野洋平

    ○河野委員 日本には日本の、中国側には中国側の、何といいますか、言葉の解釈の違いなんというものもあるのだろうと思うのです。わりあいと漢字が同じだったりなんかするものですから、受け取り方、意味のとり方なんかで多少の違いがあるということは、かえって問題をむずかしくしている部分もあるいはあるかもしれない。あるかもしれませんが、それは何も——これから教科書の問題についてお尋ねをするのですが、中国側から言われたからとか韓国から抗議が来ているからどうこうということではなくて、日本国内日本人がお互いに非常にフランクな態度で話し合ってみても、まあちょっとよけいなことをしたのじゃないか、「侵略」と書いてきたものに改善意見をつけて、これは直せるものなら直したらどうだと言ったのは、考えてみれば少しよけいなことをしたのじゃないかというふうに思う人が多いと思いますね。そして、直した方がよくないかと言った方も、こんなに大ごとになるとは思わずにやったのかもわからぬ。しかし、言われてみればなかなかえらいことだ。何も私は外国から言われたらという意味じゃありませんよ。国内でいろいろな人の意見を聞いてみると、そんなところまで、進出だか進入だか侵略だか、一緒にするとかどうとかこうとかという細かい配慮があるいはあったのかどうか知りませんけれども、どうもこれはやり過ぎたのじゃないか、やらなくてもいいことをやったのじゃないかという意見が非常に多いと思うのです。  ただ、真善美の問題は多数決で決める問題じゃなくて、真実は真実であり善は善であり美は美であるということなのかもしれませんから、多数決で、多数が言っているから少数意見はだめなんだというのもこれまた乱暴なことかもしれませんけれども、いずれにしても、文部大臣、冷静にお考えになって、われわれの子供たち、これから次の世代を担う子供たちにやはり二度と過ちを犯さないような教育をしていこうとすれば、大臣は先ほどから、いや、ほかの教科でいろいろやっているのだ、社会科でやるしなにでやるし、十分それはやっているつもりだと繰り返しおっしゃった。私はそれはそれなりによくわかりますが、ほかでやっているからここはこれでいいじゃないかということにもなかなかならないのじゃないか。むしろ全部そうするならそうした方がいいので、ほかでやっているからここは、この一字や二字ぐらい直してもいいのじゃないかという説明は、どうも文部省説明とすればいささか小手先に過ぎる。もっと思い切って次の世代を担う子供たちに二度と戦争の経験というものをさせないために徹底した教育をするということが本来必要なのであって、どうも余りぎらぎらし過ぎるとか、余り悪だ悪だと自分たちがやってきたことを言われるのも少しぐあいが悪いじゃないかというような気持ちが多少でも心の中にあって改善の指示をするなんということになると、これはどうも決していいことをしたなとは思わないのです。  ただ私は、やり方、いろいろむずかしいと思うのです。直し方、なかなかむずかしい、直そうったってそう簡単に直らないのだと、先ほどからのお話を聞けばそうおっしゃっておられる。しかし、それはなかなかできないかもしれないけれども非常に重要な問題だということは間違いないと思うのです。  これをこのまま置いておくと、恐らく韓国からも当然言ってきて、また初中局長韓国大使館の方にも説明をしなければならぬ、どこにも説明しなければならぬということになるかもしれませんよ。これは外務省、どうですか、中国以外の国から文部省説明を求められるような事態はありますか、ありませんか。予測できますか、できませんか。
  131. 長谷川和年

    長谷川説明員 韓国に関しましては、本日文部省の方で東京韓国大使館の方を招致いたしましてこの問題について話をすると伺っております。  その他につきましては、現在のところそういったことは考えておりません。
  132. 河野洋平

    ○河野委員 どうも問題は、鎮静化するだろうとか、余り広がらないだろうとか、何とかなるのじゃないかとか、説明すればわかってくれるだろうとかという非常に希望的観測が政府内部にあるように思うのですけれども、余り甘く考えると、まず国際的にいっても、これは文部大臣の所管じゃないかもしれません、外務省の所管であったりするのかもしれませんけれども政府内部でもこれは余り甘く考えていると相当思惑と違うことになるかもしれないし、それから国内的に見ても、この問題が子供たちに教えられることによっていろいろな影響が出てくる。  この教科書をこのまま強行してやれば、恐らく教える先生方は非常に教えにくくなるでしょうね。国会でこれだけ議論になる、これから先もずいぶん議論が広がっていくでしょう。一々先生は、ここは「進出」と書いてあるけれども、実は、「侵略」だったのが直されて「進出」になったのだというような話を教室でしなければならなくなるだろう。それは教育的に余りいいことじゃないですよ。これは教育的見地から考えても、こうした議論のあるものをこのまま強行してこれを使えと言って使っていって、先生方の立場になってこれをうまく使えるでしょうか。これは何か考えないと事は複雑になる一方だ、決していい結果にはならない。  私は、はっきりと二つに分けて、国際問題は国際問題として国際的な問題の処理をやられたらいい。教科書問題は教科書問題として、これはやはり国内の教育に携わる人たち、教育を受けようとする子供たち、その子供たちの親あるいは次の世代に国の未来をゆだねようとするわれわれも一緒になって、こういうことでいいのかなという議論は大いにやる必要がある。そして議論をするだけではなくて、やはり改めるところは改めるということをもっと考えていっていただかなければいけない。  私は教科書記述をすぐに改められるかどうかということは、先ほどからの御議論でなかなかむずかしいということは伺っておりますけれども、しかし大臣、これは問題がある、これは非常に問題だという御認識はありますか。全然問題ないのだ、これで相手が勝手に誤解しているのだから全然問題ないのだという御認識でしょうか。それとも、やはり誤解されたということは一つの問題だ、それからこれから教えていくためにも進出とか進入とかという教え方がほかでは戦争の責任、反省があったとしても、この部分は「侵略」と書かずに「侵入」と書いたり「進出」と書いたりしたというややこしさが、つまり変えたというややこしさが、これだけ問題になっただけにちょっとややこしいなとお考えなのでしょうか、それはどちらですか。
  133. 小川平二

    小川国務大臣 検定に際して文部省がやりましたことは、先ほど来申し上げておりまするように理由があってやったことでございますが、このような事態が出てこようとは全く予期しなかったところでございます。私も長い間にわたって、もとより力は足りないのでございますが、日中の友好親善関係促進のためにいささか努力もいたしてまいりましたので、今度のことには本当に心を痛めておるわけでございます。私どもの日常生活におきましても、全くそのつもりがなくて人様の気持ちを傷つけるということは間々あるわけでございます。かような場合には何ら他意はなかったということを説明して御理解をいただかなければならない。今回のことにつきましても、誠意を持って当方の真意説明して御理解を得たい、こう考えておるわけでございます。
  134. 河野洋平

    ○河野委員 気がつかないうちに相手を傷つけていた場合に、急いで他意はなかったという説明だけでは相手の傷がいえる場合といえない場合とあると思うのですね。これは大臣、お気持ちはよくわかりますけれども説明をしただけではなかなか直らないということになったら、これは本当に両国関係も、せっかくの大臣を初めとして皆さんが積み上げてこられた御努力がこうしたことで問題になるということではいかぬと思うのです。  ですから、私は先ほどから繰り返し申し上げておるように、おれたちは他意はなかったのだ、おれたちの真意はこうなんだ、そしておれたちの真意は絶対間違ってないのだという余りにかたくなな独善的な態度ではなくて、やはり私は、検定という制度議論がいろいろあると思いますよ、しかし、いま少なくともそういう検定という制度でやっているのですから、まず検定という制度を前提にしても、検定という制度が仮に制度として一〇〇%いい制度であったとしても間違えるということはあると思うのです。制度が完全な制度であったって結果として間違えるということはあると思うのです。だから間違っていても、いや検定制度は正しいのです、正しいのですと言ったって、制度は正しくたってその制度に従って人間が作業しているのですから、その結果間違いが出てきてその間違いをみんなに指摘されたら、その間違ったことが、制度が間違っているという場合と、制度は合っているけれどもその制度に従ってやった結果何万回に一回間違えることがあるかもわからぬという場合には、制度が正しくたって結果が間違っていればその結果については直すということは必要だと思うのですね。  先ほど来各委員の御指摘の中で、いろいろこの制度に従ってやってきた結果あいまいな部分とか、考えてみればなるほどそっちの方がよかったかなと思うような部分も、恐らく大臣率直に聞かれて、なるほどそういう見方もあるなというくらいの御感想はあるだろうと思うのです。私は制度にも問題があると思いますよ。あると思いますが、仮に現在の制度が正しいという仮定で議論したとしても、制度が正しくてもその制度に沿ってやった人間の中にミスがあるということだってあり得るのですから、もしミスがあって、お互いにやはりこれは間違っているな、直した方がいいなということであれば、それを直すために制度を全部変えろとか制度を全部変えなければそのミスが直せないということではないのじゃないでしょうか。そのミスを直すやり方というのはあるのじゃないですか、どうですか初中局長、そういう方法はありませんか。
  135. 鈴木勲

    鈴木(勲)政府委員 制度自体は先ほど申し上げたとおりでございますが、運用についてどうこうという点でございますれば、またいろいろな考え方があろうかと思います。先ほど申し上げました改訂検定というのは一つでございますけれども、これは三年後に行われるのでございます。そのほか正誤訂正という方法がございますが、これは一定の条件がございまして、統計数字とかそういう条件にかなった場合に発行者の方から正誤を求めるというふうなことでございますけれども、いま検討してみましたけれども、直ちにいまのケースが正誤訂正に当たるかどうかということにつきましては、このことにはそぐわないというふうに考えております。したがっていまのところ、手続的に申しましてこれを変更するというのは三年後の改善、それがどういうふうになるかという点はあろうと思いますけれども、その点をもとのまま戻すということになりますと、これは先ほど申し上げたような検定趣旨に反するという点もございますので、いま申し上げましたような二つの点についての方法はあるけれども、なかなかむずかしい問題であるというふうに考えております。
  136. 河野洋平

    ○河野委員 時間が来ましたからやめます。やめますが、私はこの問題、先ほどから申し上げておるように、お互いにもう一度、大臣のお言葉をかりれば謙虚にひとつ見直す必要がある。謙虚に耳を傾けて、説明するというのも結構ですけれども、そうではなくて、やはりその前に謙虚に自分たちのやってきたことをもう一度見直してみるということが必要じゃないでしょうか。本当にこの問題は次の世代を担う子供たちの教育にかかわる問題でございますから、おれのやったことは正しいので人様に言われて直すのはメンツがないとかなんとかということにこだわらずに、正しいか正しくないかということでひとつぜひもう一度謙虚に見直してみるということをお願いして、最後に、御所見があれば一言伺って、私は質問をやめます。
  137. 小川平二

    小川国務大臣 御意見を承っていろいろ教えられるところがございます。率直に申し上げます。私も今回のことにつきましては根本にさかのぼって十分考えてみたいと考えております。
  138. 河野洋平

    ○河野委員 終わります。
  139. 青木正久

    青木委員長 次回は、来る八月四日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時散会