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日名子参考人 おはようございます。
保育学並びに
発達心理学を専攻する
立場から、この問題について私の
意見を述べさせていただきたいと思います。
お手元に
横けいの用紙で、上半分に数字を書きましたものが配ってございますので、それを用いながら
お話を進めていきたいと思います。
昭和二十一年三月、つまり戦争が終わりまして
幼稚園が新たな形で
発足をしましたときに、そこに書いてございますように千三百三園、そのうちの
私立が六百七十六園であったわけです。そして、そこに来ております
幼稚園の
園児が非常に少ない十四万三千七百二人、その中の約半分を
私立の
幼稚園が、その戦後の
発足当時において占めていたわけです。以後、
法律並びに
通知の中で、きょうの問題に非常に
関係の深いものを拾いながら、その年における
幼稚園の
状態というものを右側に一応記載してみました。
まず、翌年の二十二年の五月に
学校教育法の
施行がございまして、そのときの五月一日の数はそこに書いてあるとおりでございます。さらに二十四年に
私学法が成立しまして、いわゆる
学校法人の問題が強く表に打ち出されてきたわけであります。その当時を振り返ってみますと、
私立の
幼稚園が、非常に小さい規模で、しかも何の
助成もなく、少ない
園児で大変な
苦労をしながら
幼児の
教育というものを戦後支えてきました。
そうしまして、その後三十九年になりまして、
幼稚園教育の
振興について
幼稚園設備費補助金の交付が始まっております。そしてさらに四十五年になって、
人件費を含む
運営補助費新規算入ということで、さらに
補助が増してきたわけであります。しかし、そのころを
考えてみますと、
幼稚園の現状というのは、事実まだまだ
助成は十分に行われていたわけではございませんし、また
個人立の
幼稚園あるいは
宗法の場合などは、
国税庁あたりからの
税金攻勢もございまして、非常な
苦労をしていたわけであります。
そうしまして、四十八年に
幼稚園教育振興計画要項というのが
初中局長の
通知によって出ました。これは私は非常に注目しなければいけないと思いますのは、当時の
試算が、その下に左側に矢印が書いてございまして、ことしの、五十七年の四月当初に必要な
幼稚園の数というのを、その
昭和四十八年当時に
初中局において算出をしておられるのですね。
幼稚園の数を、そこに星が二つ書いてありますように一万七千五百二十七園というふうに算出されております。そして、その中で
国公立の占める割合が八千四百八十園、それに対して
私立が九千四十七園、そしてそこに入れられる
子供の数は三百三十六万人という膨大な数を
試算されているわけであります。
私は、別にこれを責めるわけではございません。つまり
人口推計そのものも
誤りが出ておりますので、これを責めるわけではございませんが、かなり
読み違いがここにあるわけです。そして、もしこのような数が今日建っていたとしたならば、この
園児の激減する
状況下においてさらに困った問題がいろいろ出ていたのではないかというわけでございます。
ところが、この中でそのすぐ上の五十六年五月の統計と比べてみますと、
国公立関係におきましてはその八千四百八十まで到達するのにかなりの差があるわけです。ところが、
私立の
幼稚園はわずか百数十しか
推計との間に誤差がない。つまり、
私立幼稚園はどんどん
振興計画の
必要幼稚園数に近づいたような
状態に育ってきてしまったのにかかわらず、
国公立の方は育たないで、実際の
推計値よりも非常に少ない形しかできていないわけですね。この辺にもやはり
許可条件その他における形で、もう少し
人口の問題と見合ったことが行われていれば、それほどの数に
私立もふくれ上がらなかったのではないかと思われる点がございます。ただし、これは一律的に
考えればの話であって、部分的に、事実
人口のふえているところでは、やはり
幼児教育をだれにでも受けさせたいという念願からいえば、ふやさざるを得ないという
実情があったことは認められますけれ
ども、やはりそこでかなりふえてしまったということです。
さあそこで、きょうの
案件でございます三年間
延長するかしないかということについての
意見を述べるための
基本資料としてこれを私提示をしたわけでございますが、まず言いたいのは、
幼稚園という
学校教育法の中における
学校と、さらに他の
小学校以上
大学に至るまでの他の
学校の種類との
価値感ということを比較した場合に、両方とも
学校法人に全部なってほしいということは、いわゆる
学校関連の原理から
考えても、
幼稚園だけが
法人化されていないということに対しては、やはり片手落ちであるというふうに一応
考えます。そのためには、今日
法人化されていない
幼稚園に対して何らかの
補助をくださって
法人化を
促進するということで、ことしの三月まで来たわけであります。そしてなおかつ、まだ
法人化されていない
志向園がかなりございますので、それを三年間
延長してということに関しては、私は一応趣旨としては賛成でございます。
しかし、そこで私は
個人的に
条件をいささか
考えさせていただきたい。つまり、三年間
延長するについて、この際、やはりこの三年間でもう再度
延長はしない、そしてさらに今度の三年間
延長をするために、その
助成金を受ける園からは、やはり
誓約書もしくは
念書のようなものをもって、そして三年後必ず
法人化するといったような
処置が必要ではないかと思考いたします。
しかし、私もう
一つ言いたいのは、先ほど戦後の話をしましたのはなぜかと申しますと、あのころに苦境の中で何の
補助もなしに
私立幼稚園を支えてきた
人たちの園が、この
志向園にすら入れない園もたくさんある。つまり、もうすでに自分の方で見きわめをつけてしまったといいますか、あるいはいろいろな
条件下で、苦しくて
志向園にすらならない百二条園というのがございます。これに対して何らかの手をやはり同時に差し伸べるべきであると私は思います。
しかし、その場合の
振興法は、当然いまのものと同じレベルでやることは法的に無理があると思いますので、何らかの別の
処置で百二条園に対してもやはり三年
程度の期限を設けて、同時にその
苦労に対して報いていくということが、私は
幼児を
考える者として非常に重要ではないかというふうに
考えるわけです。
それで、その二つの
条件ですね、つまり、この
法律延長に関しては、それを受ける方
たちに、もう三年間以上は
延長しない、そして必ずなるという
念書なり
誓約書のようなものをいただくということが
一つ。同時に、これを
延長するからには、同じ仲間で、これまでに、戦後非常に
苦労をして、そしてここまで来て、しかもどうにもならない
状況下にあるということを
考えた場合に、これに対して何らかの形の
助成をもし
先生方の
お力でできるならば、私は第三者として非常に喜ばしいと思います。
と同時に、四十八年の
振興計画によりまして
試算がなされて、それが非常に膨大な数の
試算をした、そしてこれは
人口の
読みの
誤り、あるいは
読みの
誤りではなくて、むしろどういう
現象かわかりませんが、五十年から急激に減少してきた
実情というものは、
幼稚園のみではなくて、いろいろな業界にも影響を与えているわけです。そのようなはかり知れない
人口の増減というものを
考えた場合に、いささかこの
読みに計画的に甘さがあったのではないか。そうすると、それは
行政の側の
一つの
読みの
誤りということがあって
振興計画が進められてしまったのではないか。そうすると、それに乗っかって
幼稚園を建てた
人たちが、いま
人口が減ったことによって非常に
苦労しているということもやはりお
考えの中にお入れいただいて、この
法案を
考えるべきではないかというふうに私は思考したわけでございます。
以上、時間がございませんので、一応私の
考えていることを資料に基づきまして説明をさせていただきました。
ありがとうございました。(拍手)