○栗田
委員 いろいろ重なりますが、もう二、三私例を出させていただきたいと思います。
いま
現場では、
子供たちのために父母の戦争体験を聞く取り組みをやったり、それから戦争体験者の体験を聞いて
生徒たちがそれを聞き書きという形でまとめる運動だとか、これを
教育の一環でやっているところが数多くあるわけでございます。
ここに「梅の木の一の枝」という表題のついた厚い一冊の本を持ってまいりました。これはふるさと学習ということで、実は京都府の北桑田郡のある
中学校でやっている取り組みなのですけれ
ども、一年生から三年生までそれぞれ学年を縦に割って班を幾つかつくりまして、
自分のふるさとで戦争体験者や戦争未亡人やそういう方
たちのところへ行きまして戦争の体験をずっと聞いて調べて、それを
一つのものにまとめたわけです。これを見ますと、「十二月の夏服」とか「運命をかえた三月十七日」「ふたつの道」「弟をうばわれて」といったように、十一の体験記録が
子供の手によってまとめられております。私はこれを読みまして大変感動いたしました。いまの
中学生がこれだけ深く物を考え、またりっぱにこれだけのものをまとめるのかと大変感動したわけですけれ
ども、その中のほんの一部をちょっとお聞きいただきたいと思います。
たとえば「梅の木の一の枝」という文集、これは「森本キヨ子さんの戦争体験」というふうになっておりまして、一年生から三年生まで十名の
子供たちが班をつくって聞き響きをしたもので、こんなに厚いものです。これは、森本さんという方がかつて床屋の若い御主人だったわけですが、戦争に召集されて戦死をされます。キヨ子さんは当時若いお嫁さんで、生まれたばかりの
子供を抱えていましたけれ
ども、戦後戦争未亡人として苦難の中を生き抜いてきて、いまは年をとられていらっしゃるわけです。そのキヨ子さんのところに
子供たちが行きまして、御主人が出征されたころの
状態だとか、そのときどんなふうに思ったかとか、そういうことをいろいろと聞いたり、それから同じ森本さんの戦友であった方から
お話を聞いたりしてまとめているわけなんですね。この最後のまとめのところに、こういう感想的なものを
子供たちが書いているわけです。「戦争をおこす人も、戦争という、まるで
子供あそびのようなものを考えたのも私
たち“人間”なのです。そんな人間が哀れなような気がしてなりません。その反面、こんな考えを改め直すことのできるのも私
たちなのです。」というふうに言っています。そして間がちょっとあきますが、「私
たちは、これから将来を築いていく義務があるのです。そしてそのことを、後世へとつないでいくのです。戦争のいたましさ、悲惨さを、三十六年前の昔話にしてはならないのです。キヨ子さんの体験を通して、もう一度、真の平和とは何か、生命の尊さを考えていく必要があるのではないでしょうか。又、このふるさと学習にあたって、暗い思い出を語って下さったキヨ子さんに、心から感謝しています。」こういうまとめの文章が書かれております。
それからもう
一つだけ、これは沖縄戦の経験を聞き書きしたものもございます。これについても、終わりに
子供はこう書いているのですね。「闇の中を生きぬいて」という長野武雄さんの沖縄戦記なんですが、「長野さんは北支での中国人ほりょの人達に対する日本兵の加害の事実も話してくださいました。中国人ほりょに土に穴を掘らし捕虜の首を軍刀で飛ばしその穴に死体をうめたことや、捕虜に、体がふくれるまで水を飲まし歩兵銃で撃ち殺したということなのです。そして沖縄では、逆に多くの日本兵が被害者になりました。戦争というものは人間をかえてしまう恐ろしいものだと思いました。」云々と、そして後の方にこういう感想が続いているのですね。「
社会の動きばかりでなく私
たちの身のまわりにも考えなおしてみなければならないことがあります。例えば、特攻隊のような服装をしたり、「尊皇愛国」「神風」「特攻隊」などの戦争につながるようなステッカーをつけたりしているのをよく見かけます。このようなことからも戦争への好奇心が知らず知らずに育っていると思います。長野さんは話の最後に「戦争はこりごりや。もう戦争だけはせんといてほしい。」と言われました。そしてこの聞き書きを読んでもらうと「よう書いてくれた。」と涙を流しとても感激してくださいました。長野さんの体験を無だにしないためにも、私
たちはこれから先、永久に戦争の悲惨さを忘れてはいけないのです。そして戦争を防いでいかなければならないと思います。」、まことにしっかりとした感想が書かれております。
そして、もうちょっと続きますが、もう少しお聞きいただきたいと思います。原爆展というのがいま各地で開かれておりまして、昨年の暮れは国会でも憲政記念館で原爆展が開かれました。これを
子供も大人も改めて見ております。方々の展覧会場に感想文が残されているのですけれ
ども、きょう私は、静岡県の清水市で開かれた原爆展の感想文と、同じく静岡県の榛原町で開かれました原爆写真展の感想文集を持ってまいりました。これは、どれも
一つ一つ実に胸を打つ感想でございましたけれ
ども、その中の三つだけをちょっと読んでみます。
最初は、小
学校二年生の女の子の書いた感想です。「わたしは、とってもびっくりしました。いち
ども、みたことなかった、しゃしんがいっぱいありました。せなかがやけたり、あしがやけたり、していた人
たちは、どんなにかわいそうかわかりません。わたしは、なみだも、少し出てきました。わたしは、いま、かなしみがいっぱいに、なりました。どうか、しゃしんにのこってしあわせになって下さい。わたしも、もし、せんそうがおきたら、あなた
たちみたいになっても、ぜったい、あなた
たちをわすれません。」その後ずっと続いていますが、こういう本当にかわいらしいというか純真というか、そういう感想なんですね。
それから、同じく小
学校の女の子の感想で、これは学年が書いてないのですけれ
ども、もうちょっと学年が大きいと思いますが、こんなのがあります。「私は、この写真をみていて、おもわずなみだがでそうになりました。くるしんでいるところなどをみるとつい「かわいそう。」と言ってしまいます。今でも病気でくるしんでる人などがいます。そのことを思うと、あれこれわがままをいって母や父をこまらせている
自分がはずかしく思います。募金箱を見ても、私のおこずかいでは、ほんのすこししかできません。このことをとってもつらく思います。」「もうぜったいにせんそうをやらず、少しでもひ害をださないようにしてもらいたいです。」というようなことが書いてあるのですね。
それから、
高校生の男の子の感想がございました。
高校二年生ですから、文章もそれらしい文章なんですが、こんな感想です。「我々は、現代っ子は、なんと幸せであろうか。そして何とぜいたくであろうか。死の放射能に健康な体を奪われ、家族をも奪われた彼等。そして、受験に失敗したからといって、世の中がおもしろくないからといって自殺する我々。写真の前をす通りする我々が恥ずかしい。
自分と同じ現世代の人間が恥ずかしい。今、我々にできることは核兵器追放だけ。この悲劇を二度とおこさないことだけ。」こんな感想文です。まだたくさんございます。同様なものがこの中にはぎっしりと詰まっております。
私は、これを読んで思ったのですけれ
ども、いまの
子供たちは、
非行だ、
暴力だ、自殺だと困ったものだと言われ、またきょうもずっとそのようなテーマでの質疑も繰り返されておりました。しかし、これを見て思いますことは、平和
教育というのは実は本当に深い
教育なのではないかなということだったのです。聞き書きをした
中学生も、それから原爆展を見た
子供たちも、戦争を二度と起こさないようにという感想はもちろんですけれ
ども、それと一緒に、私
たちは幸せだ、この幸せを大事にしなければいけない、いま幸せなんだから平和を次の世代で守っていかなければいけないということを言って、お父さんやお母さんにわがままを言っていた私が恥ずかしいと、かわいい小学生の女の子が感想を述べたり、
高校生が、受験に落ちたからといって、おもしろくないからといって自殺をするわれわれと言って反省しているわけですね。結局、いまこの
社会の中にいて、かつて命が無残に費やされた戦争の経験、その中で苦しんできた人
たち、そういうものにじかに接したときに、
子供は平和の大切さというものを本当の
意味でわかるでしょうし、それから
自分たちがいま恵まれているということがわかるでしょうし、将来何をなすべきかという生きがいまでも、
子供たちがこういう実践の中で会得しているということが、まことに感動的でございました。これこそが、
教育基本法で言われている生命の尊重、そして人格を尊重していく
教育のあり方だと思いますが、
大臣お聞きになっていかがでございましたか。