○上田(卓)
委員 総理府の中にあります
国際障害者年推進本部の長期計画を見ますと、たとえば「
国際障害者年の理念は、
障害者の社会への「
完全参加と平等」というテーマに端的に表現されているように、この社会から全面的に
障害者に対する偏見と差別意識を除去し、
障害者が他の一般市民と同様に、社会の一員として種々の分野で活動するとともに、生活を営むことができるようにすることにある。」こういうように明らかにされておるわけであります。あるいはまた「まだまだ
障害者に対する認識は、歴史的・伝統的偏見や医学的無知に基づくものが根強く残存しており、その結果として
障害者の社会
参加を阻み、一般市民が通常受けている諸権利、諸サービスを充分に享受できないという事態も現実に生じている。」あるいは「しかし一般に差別問題は、その社会の歴史、思想、習慣等と深いかかわりをもっており、一朝一夕に根本的に変革することは困難であって、今後においても長期にわたりたゆみない努力が必要である。」こういうことで基本的な
考え方を述べておるというように思うのです。
ここに出ているように、一朝一夕には解決しない、非常にたゆみない努力が必要だ、こう述べられているのですね。だから、ゆっくりしたらいいということではないのですね。目的意識的に最大限の努力をしてもなかなかむずかしい問題だ、私はこういうように読むべきだと思うのです。この問題は意識の問題だから、むずかしい問題だから徐々にやっていったらいいんだという問題ではない。ところがややもすれば
政府の
考え方は、この問題はむずかしいからということで、むずかしい、むずかしい、解決しなければならない課題だと言いながら、実際は何もしていないというのが現状じゃないか。今度の
用語の
整理のこの
法案自身も、なぜもっと十年前、二十年前にできなかったかということを私が指摘するのはそういう点であるわけです。
そこでいま私が問題にしたいのは、いわゆる不快
用語といいますか差別
用語、
不適当用語でありますが、世間にあるところの差別
用語をどうなくするための努力をしておるのかという点について、いま申し上げたそういう
用語だけではなしに、それに関連して幾つかの
用語がありますね。この
用語についても
関係団体から、何とかこういう不当な差別
用語をなくしてほしいという
要望も出ていると思うのです。たとえば九十四回の
国会で「つんぼ」「
おし」「盲(めくら)」という
三つの
言葉が廃止されたわけですけれども、廃止されたと言ったって現実に世間でそういうことは差別
用語として通用していますよ。それだけではなしにそれに関連して、たとえば国
会議員さんにおいてもこういう
用語をしばしば使っていることを私は見聞きしておるわけです。たとえば模様がよくわからないという場合はめくらじまという
言葉を使う場合がありますね。それからめくら蛇におじずという慣用句みたいな形で差別
用語が定着している
言葉もありますね。あるいは、わしをつんぼ桟敷にしているのかということで、そういう差別
用語でもって、自分は全然そんなことを聞いてないということをつんぼ桟敷にしているというような形で、平然と何の罪の意識もなく使っている人があることも事実だと私は思うのです。あるいはあなた方の
法令の中とか省令とか条例の中に、私自身あるのかないのかよくわかりませんけれども、たとえば足の悪い人に対してびっことかちんばとかいう
言葉があることも事実であって、そういうことに対して
政府自身が一体どう考えておるのか。そういう
言葉は別段問題にならない
言葉というように
理解しておるのか。
〔
委員長退席、愛野
委員長代理着席〕
あるいは、ときにはわけもなく泣いたりわめいたり、まあわけもなく泣いたりわめいたりすることはないと思うのですけれども、そういういろいろなことに対して気違いという
言葉も実際ありますね。そういう
言葉について差別
用語として考えておるのかどうなのか。もしかそういう
用語があったために当該者から抗議があってトラブルがあったときに、どういう判断をするのか。端的に言うならば長官の目の前でそういう
用語が飛び交ったときに、あなたはどういう態度をとるのか。それはまだ
法律で禁じられておりませんから別段どうもないと言うのか、やはりそういう不適当な
言葉を使うのは間違っているんじゃないですかという形でいさめる方に回るのかどうかということが言えるのじゃなかろうか、こういうふうに私は思うのです。
私は、日本の社会というのは非常に差別社会だと思うのですね。貧富の差の差別もありますが、本当に貧富の差だけではなしに、いろいろな形の、二人寄ったらどっちかが上だ、どっちかが下だというような
関係が非常にきついと思うのです。たとえば官公庁に勤めている人の場合でも現業職は一段低く見られているという面があるし、またたとえばごみの回収と屎尿に従事している人との
関係も、まああの仕事よりはわしの方がましだというような形で、お互いに軽べつし慰め合うというような
関係もこれまたあるわけで、職業に貴賎はないと言いながら、実際は貴賎があるわけですね。だから、自分の息子をできる限りとうとばれるようなしっかりした官庁あたりに就職させたいとか大会社に就職させたいとか、やはり職業に対して、この職業は自分の息子にとっては向いてないとか向いているとかいうふうに勝手に、それはやはり職業の置かれている社会的立場を反映しておるのではなかろうかというように考えざるを得ないわけであります。
また、婦人差別の撤廃条例云々の
関係から、やはり女性の権利が戦後非常に強くなったとはいうものの、いまなお男性上位というのですか、そういう女性に対する、ちょっとしっかりしたことを言うと女だてらにとか、女のくせにとか、黙っとけとか、こういうようなことは、まだまだ農村とは言わず都市においてもそういう意識があるのではなかろうか。あるいはちょっとねちねちという
言葉がいいかどうかは別にして、あるときにはそういうことを言うのは女々しいということで、女々しいというのは女女と書くわけですから、そういう点で、ちょっと歯切れのいいことを言うと、ああそれは男らしい、そうでないことを言うと、何や女々しいことを言う、男だてらにというような形で、何か女性に対する差別というのは、そのことはいかぬと言いながら現実としてそういう
言葉で差別的な
用語がまかり通っておるのではなかろうか、こういうように思いますので、そういう世間にはんらんしているところの差別
用語、まあ問題は、
言葉を言いかえたらそれだけで問題解決するというふうに私は思っておりません、
用語を変えることだけで問題の解決にはならぬと思いますが、しかし、それがその当事者たちに対してくぎを刺すような、またときにはその人間を悩ませて自暴自棄に追いやったり自殺をさせたり、そういう凶器になるわけですから、そういう形で差別
用語として、不快
用語として、
不適当用語として指摘されている問題については、即刻に私は
関係者と話し合いをして適当な
用語に変えるということはまず第一にしなければならない問題ではないか、こういうように思っておりますので、その点についてひとつ
関係の方から、
文部省も含めて、お聞かせいただきたい。各省来られておりますので、私がいま申し上げた点について、各省ごとにひとつ御
意見を承りたい、このように思います。