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上原委員 懇談会設置の
段階から私たちはこれは注目をしておったわけで、その懇談会のメンバーを見ても、果たして公正、公平というか、そういう
意見書が出るかどうか、偏ったものになると思ったのです。案の定そういう方向にいま来ている。それは見解の相違とかそういうことではなくして、確かにおっしゃるように過ぐる大戦で犠牲になられた
方々を追悼する、あるいはその犠牲者に対して国が補償するとか、
国民としてもそういうことが再び起こらないように誓い合うということは必要なことですね。その点まで私は否定をしようとは思わない。また
社会党もそういう基本理念を持っておる。だが、きょうはもう多くは触れませんが、いま
総務長官はそういうものは尊重していきたい、近々閣議でもこの
意見書に基づいた日の設定というものをやっていきたいということなんだが、そのねらいとするところをわれわれは注目、重視をせざるを得ないわけですね。
いまお答えがありましたように、従来八月十五日に全国戦没者追悼式というのが持たれてきたことはおっしゃるとおりなんです。しかし、その持たれたすぐその足で靖国神社に総理以下閣僚が参拝をする。これな
ども、ずいぶんこの
国会でも
議論をされておりますが、私的だとか公的だとか、一体一国の総理大臣が総理大臣というふうに記帳までして、なお私的行為だなんて、そんなばかな論議があるかというのだ、本当に。そういうことを、ぬけぬけという表現をしていいかどうかわかりませんが、やっておきながら、なお私的行為だとか、玉ぐし料をポケットから出せば公的行為ではないのだとか、
総務長官、良識のある人ならそういう論理は成り立ちませんよ。これは靖国神社の国家護持を目的としていることは間違いない、このねらいとするところは。そういうことは私たちとしては断じて承服できないし、また
国民もそこまで――私がさっき言ったように、これはなかなか
考えた文章であることは間違いない。簡単に読むと、いいことが書いてあると言うかもしらぬ。実際、それほど
考えた文章なんです。しかし、その背景というもの、目的としているのは何かということをわれわれは見抜かざるを得ない。そのことをきょう強く
指摘しておきたいと思うのですね。
それと関連をして、最近たとえば総理が反核決議に対してツルの一声で、
地方の時代と言いながら、そんなのをやってはだめだ、反米になるからやめろということになると、今度自民党本部からそういう指令を出したら、
地方でもどんどんあれが出ていますね。そういう政治の
あり方というのは、民主主義を封殺するものです。圧殺するものなんだよ。それはよろしくないです。自民党にだっていろいろな
方々がいらっしゃる、良識的な
方々もいる、
地方には
地方の
考え方があるわけだから、そういうところまで中央権力が介入するという政治の仕組みなり構造なり
考えというものは、これは民主主義に逆行するものだと強く
指摘しておきたい。
同時に、なぜ私がこの問題をきょう簡単に持ち出すかというと、三月二十四日の大阪地裁の判決があるでしょう。忠魂碑の敷地を自治体が無償で貸したり移転費用を公費で負担することは違憲だ、憲法の政教分離の原則に反する、憲法の二十条、八十九条に。だから、新聞の社説においても「閣僚の靖国参拝など政教分離の原則を軽視し、なし崩しにしようとする傾向が強まっている折だけに、この判決は時流への警鐘として評価されるであろう。」こういう
指摘もあるわけですよ。
こういうときに、あなたがおっしゃるように、これは懇談会で九回にもわたって
検討したことだから閣議でそれを尊重していきたいということは、いささかどうかと思う。この点は単なる見解の相違とかあるいはそうではないのだということだけで片づけられる問題ではないと私たちは大変重要視をし注目をしておるということも申し上げておきたいわけですが、いま私が引用した、あるいは申し上げたことに対して、
総務長官はどういうお
考えなのか。特に、三月二十四日の大阪地裁の判決等についてはどのように見ておられるのか、これとの関係でこれはどう思うのか、改めて御所見を聞かせていただきたいと思います。