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大原(亨)
委員 先進的な在宅ケアというものをやるというのであれば、
被爆者も最後は
原爆病院とか特別養護老人ホームで全うするのだというふうなことを考えるのは私は間違いだと思うのです。やはり最後はできるだけ家庭で元気で終わる。前の武見さんは健やかでと、こう言ったけれ
ども、そう終わるのが理想であります。ですから、特別養護老人ホームも
原爆病院も、リハビリテーション、機能回復訓練をやり、医療保障、所得保障と一緒に、在宅ケアの場合のホームヘルパー等も、たとえば週二日でなしに三日とか、
所得制限についてもできるだけ緩和するとか、そういうこと等で先進的な
制度をとりながら、これを全部に及ぼしていく、こういうふうにやらなければいかぬ。
いまのように頭があちこち分かれておるから中途半端な政策になっているということであります。いまの千三百万円の状況調査費の問題等もそうですが、本年はもう一文もないわけです。ですから、どうも七人
委員会を契機にいたしまして、政府は熱意を失っておるのではないかと私は判断をせざるを得ない。
最後に、時間があと七分ですから七分間で終わりたいと思うのですが、
大臣、私は
森井さんの議論やその他ずっといままで議論してきたことを聞いていまして、
内容の薄い厚いについてはそれほど決定的な問題ではなしに、なぜ
被爆者の医療や所得保障について
援護法的な
考え方でできないのかと言えば――かなり進んでおるのですが、そういう
国家補償的な精神で、政策の
内容はともかくとして、やはり国は施策をしてもらいたいということは
被爆者だけでなしに
国民の願いです。
なぜかといいますと、私は二つあると思うのです。これは
国家補償の
援護法をつくった経過が一つある。そのときに、きょうはもう話がありましたが、六月の九日からたしか十二日まで臨時帝国議会をやりまして、あなたおられたそうだけれ
ども、方々で、沖縄が落ちて、東京空襲もあって、制空権は完全にとられて、本土決戦に臨む段階で、義勇兵役法をつくって、内務
大臣、警察が握っておったやつを今度は軍が握って、一応総動員体制をとったわけです。どこまで発動されたかということで、へ理屈を法制局その他たれておりますが、そのころ生まれてもいなかったようなやつが言っているわけですけれ
ども、それはともかくとしまして、そういう経過がありながら、全部の者に軍は命令できるような状況であったわけですが、それでなかったら軍刑法の適用があるような状況でありました。
なぜ、これが
制度としてはいびつなものになろうとしているかというと、それは
援護法をつくって恩給を復活しようということがあった。そこで、その前に
援護法をつくったときに、準軍属の構想を入れざるを得なかった。そこで線引きをしなければいかぬ。
防空法
関係についてはずっと進んでいって昭和四十九年に警防団、医療従事者を準軍属に入れたのですけれ
ども、私も議論して、資料を出して、ついに入れましたが、しかし防空法全体については手を伸ばさなかったわけです。義勇兵役法ができておりましても、そういう問題については線を引いたわけです。それはなぜかと言えば、
関係者が戦犯として占領中追放される、こういうおそれもあったものですから、資料を焼いたわけです。そういう経過があったものですから、どこかで線引きをしなければいかぬようになりまして、線引きをしたのが現行
援護法であり、
援護法との
関係で
被爆者援護法ができないという
関係が一つある。
もう一つは
国際法違反の問題ですが、これはわれわれも長く議論いたしましたけれ
ども、
毒ガス以上、
細菌兵器以上のものであることはだれも認めるのです。以上のものが、なぜヘーグの
陸戦法規や海空の法規によって
国際法違反でないということが言えるかということ。そういうことは言えぬでしょう。それ以下のものが
国際法違反であって、以上のものが
違反でないとは言えぬわけです。そういう理屈はないわけです。はっきりしておるわけだ。
そのことは、昭和二十年の八月六日、九日が済んで、たしか十日でありますが、日本政府は中立国のスイスを通じまして正式の文書でアメリカに抗議をした抗議文があるのですが、その抗議文に明確に
国際法違反の犯罪
行為であるということを通告いたしまして、こちらの
国際法上の権利の主張を留保した公文書があるわけです。しかし、占領中になりましてから、日本政府はそのことは言えなくなったわけです。
国際法違反の犯罪
行為であるということをはっきり日本政府は言えなかった。そこで、実定法がないから、
原爆という具体的な
兵器を決めたのがないから、これは
国際法違反とは言い切れませんといって言い逃れて、そして今日のあいまいな
国家補償のことになった。亡くなられた七人
委員会の一人の田中二郎さんは公法学者でありますが、先生はその問題を持ったままで亡くなられたというふうに私は思っております。
唯一の
被爆国である日本はいまや独立しているのですから、そのことをはっきり言って、そういう精神で
法律をつくって、そして薄い厚いの問題いろいろあるだろうが、その精神を貫いて
援護法をつくっていくということは、日本の一つの政治としての課題ではないかと私は思うわけであります。
その問題について、ひとつ最後に
厚生大臣の御
答弁をいただきたいと思います。